スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

帝王賞&眼科の選択

2010-06-30 20:39:19 | 地方競馬
 個人的にはレース史上最高と思えるくらいの豪華メンバーによる争いとなった第33回帝王賞
 フリオーソかスマートファルコンの逃げになるだろうと思っていたのですが,どちらも抑えましてサクセスブロッケンの先導。フリオーソとスマートファルコンが続き,マコトスパルビエロを挟んでカネヒキリ,ヴァーミリアンも続きました。最初の1000mは60秒4ですからハイペースといえるでしょう。
 直線に入るあたりでフリオーソがサクセスブロッケンに並び掛けると手応えの差は歴然。あっさりと交わしたフリオーソが直線でもしっかりと伸び,2馬身半の差をつけて快勝。わりと前にいた組ではカネヒキリだけが伸びてきて2着。中団から末脚を発揮したボンネビルレコードが3着。
 優勝したフリオーソは昨年のダイオライト記念以来の勝利で,大レースは一昨年の帝王賞以来の4勝目。少し陰りが出てきたのかと思わせてまた復活するという不思議な馬。勝ててはいなかったものの順調に使われていたことがここで生きたように思います。馬名はイタリア語で猛烈に。一般的には音楽用語とのこと。
 鞍上の大井の戸崎圭太騎手は今月は東京ダービーも制しています。大レースはこの馬の帝王賞以来で帝王賞は2年ぶりの2勝目。管理している船橋の川島正行調教師もこの馬の帝王賞以来の大レース制覇で,こちらは2003年と2006年にも制していますので帝王賞は4勝目になります。

 僕の家からそれほど離れていないところに,H川という1本の人工の川がほぼ南北に流れています。この川の反対側,つまり僕の家からはこの川を渡った向こう岸には国道が川と平行して走っています。川には多くの橋が架かっていますが,僕の家から最も近いのが家からみて南側のS橋で,次が北側になるN橋。このN橋を渡って国道を突っ切って少し奥に入ったところに,М眼科という開業医があることを僕は知っていました。ここが僕の家からは最寄りの眼科ということになります。
 検査のためだけにわざわざ遠方の眼科まで出向くというのはあまりに馬鹿らしいことですから,僕は最初,ここで検査を受けようかと思っていました。それでそのことを家族に話したのですが,反対を受けてしまいました。
 この反対には理由があります。僕の祖母,といってもこれは現時点で同居している母の母のことではなく,もう20年近く前に死んだ父の母のことですが,この祖母が目の不調を訴えてこの眼科で受診したことがありました。そのとき,その眼科医は,よくなるということはないかもしれないがこれ以上の悪化は必ず阻止するということで点眼薬を処方しました。それで祖母はこの点眼薬を使いつつこの眼科に通ったのですが,目の方はよくならないばかりかむしろ悪くなっていきました。このために父や母が心配しまして,大学病院に連れていったところ,網膜剥離と診断され,すぐに入院して手術を受けるということになったのです。
 20年前に死んだ祖母の話ですから,祖母がこの眼科を受診したのはもう30年とかそれくらい前のことになります。僕はこの眼科には行ったことがありませんから,確たることはいえませんが,眼科の名前は変わっていなくても,おそらく医師は代替わりしているのではないかと想像されます。このМ眼科のMというのは,苗字とも受け取れるしそうではないとも受け取れる微妙な名称なのですが,いずれにしても,明らかに誤診と思わざるを得ないような診断をかつて祖母にした眼科での受診に家族が反対することは,理がないことであるともいえません。ということで,僕は別の眼科で検査を受けるということにしたのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久留米記念&眼科検診

2010-06-28 19:29:44 | 競輪
 競輪は来月1日から寛仁親王牌。というわけでまたしてもS級S班が不在となった久留米記念の決勝。並びは神山-小林の関東,山内-浜口の中部,三宅-小川-西田の中国,吉本-井手の九州。
 Sを取ったのは小林。しかし浜口が外を上昇していくと小林はバックで引き,前受けは山内。神山が3番手,吉本が5番手,三宅が7番手という周回。残り2周のホームから三宅が動き,バック入口で前を抑えると,打鐘で吉本がかましていき先行。追い上げた山内が外から番手を取りにいき,バックでは奪いました。隊列が短くなったところを神山が捲っていくと,直線入口あたりでは捲りきったのですが,末の伸びを欠き,番手から出た小林の優勝。小林のインを差してきた浜口が2着で外を伸びた西田が僅差の3着。
 優勝した群馬の小林大介選手は2001年の平塚記念以来となる実に9年ぶりの記念競輪2勝目。20代前半で記念競輪を優勝したくらいですから確かな力があった筈なのですが,いまひとつ伸び悩んでしまったという印象の選手。自力型ですので,番手を回ることができたここはレース自体は楽なものではなかったでしょうか。

 話をスピノザの哲学から糖尿病共生記の方へと戻しましょう。
 3月8日に糖尿病の定期検診のための通院が迫っていたわけですが,僕にはもうひとつ,気になっていたことがありました。それは眼科での検診です。これは前回の闘病記に記したように,入院中に1度だけ行い,さらに退院後にも通院という形で1度だけ入院したみなと赤十字病院に通っていました。そのときの2度にわたる検査では異常がなく,これからは町の眼科医で検査をしてくださいと言われていたのです。僕としてはシックデイのときの病院の選択に迷いがあったように,本音をいえば,やはり糖尿病自体を診察してもらっているみなと赤十字病院で検査してもらいたいのはやまやまですが,本来はここは救急病院ですので,眼科の検査のためだけの患者を診察するということはできないことなのでしょう。
 一般的には,まだ何の異常も発生していないならば,糖尿病患者の眼科検診は1年に1度行えば十分であるとされています。ただ,その前のみなと赤十字病院での検査というのは2009年の4月15日でしたから,もうすぐ1年という期日を迎えようとしていました。しかも血糖値が高めで推移している状態というのは,まあこの1年という期間でみるならばまだ短かったともいえるのですが,血糖値が高い状態であるならば,それだけ合併症を併発する危険性というのが高まるのは当然です。ですから,眼科の検診も早いうちに受けておいた方がいいと僕が思ったのは,しごく当然のことであったといえるでしょう。
 僕は現在は月によって忙しかったりそうでもなかったりするのですが,この3月から4月にかけての期間というのは,わりと自分の自由にできる時間が多かったのです。そして内科の通院日である8日の直前の金曜日,日付でいえばこれは3月5日になりますが,この日は午前中なら検査を受ける時間を作ることができました。というわけで,この日のうちに眼科に行って,検査を受けておくことにしたのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝塚記念&不安の回避

2010-06-27 19:08:47 | 中央競馬
 昨年の有馬記念で差のない競馬で後ろを離した2頭の再戦となった宝塚記念。コパノジングーが出走取消で17頭。
 発走でドリームジャーニーが左によれましたがすぐに立て直されました。事前に逃げる可能性を示唆していたナムラクレセントの先導。ブエナビスタは3,4番手の内を進み,ドリームジャーニーは中団から。最初の1000mは60秒ちょうど。ミドルペースでしょう。
 ドリームジャーニーは3コーナーの手前あたりから外を進出開始。直線に入ると2番手のアーネストリーが一旦は先頭。ブエナビスタはその内に進路を取ってこれを交わしました。しかし馬場の中ほどをドリームジャーニーの少し前でレースを進めていたナカヤマフェスタが鋭く伸び,内で争う2頭を捕えて優勝。ブエナビスタが2着でアーネストリーが3着。ドリームジャーニーは4着まで。
 優勝したナカヤマフェスタはデビュー2戦目の東京スポーツ杯2歳ステークスを優勝。極悪馬場となったダービーでも1頭だけ追い込んで4着。秋はセントライト記念も制していて,現4歳牡馬ではトップクラス。今日もレース直前に騎手を振り落としていたように気難しい面があり,必ずしも安定した成績は残せずにいましたが,純粋な競走能力だけならここで勝っても何の不思議もない馬でした。待望の大レース初制覇。実績ある馬たちを従えてのものですから,フロックではありません。父はステイゴールド
 騎乗した柴田善臣騎手は2006年の高松宮記念以来の大レース制覇。管理する二ノ宮敬宇[よしたか]調教師はエルコンドルパサーで1999年のサンクルー大賞を制して以来の大レース制覇。宝塚記念はともに初優勝です。

 僕は自分の生活に対してそれを役立てようという意図をもってスピノザの哲学に接しているというわけではないので,こういうことには実はあまり関心はないのですが,日常生活における指針というような意味では,もうひとつ,これと類似したようなことも挙げられると思います。
 たとえば僕たちがある強い不安に駆られたとしましょう。そのときに,なぜ自分自身がそんなにも強い不安に襲われているのかということを考えるということが,この不安から逃れるためのひとつの方法になるのです。少なくともそれについて考えている間は,僕たちはその不安から逃れているといえるからです。
 なぜそうなるのかは,論理的に示すことができます。
 第三部諸感情の定義一三により,不安というのは基本感情のうちの悲しみの一種です。したがって第三部定理五九により,この感情は能動的ではあり得ません。いい換えれば人間は不安を感じている場合には必ず受動的であるということになります。
 一方,それがどんな事柄であれ,僕たちが何事かについて考えるときには,僕たちの精神はそれに対して十全な原因になります。したがってこれは第三部定義二により能動です。不安をはじめとする感情は,スピノザの哲学においては第三部定義三にあるように身体についても精神についても用いることができる特別なことばですが,ある人間の精神は第二部定理一三によりその人間の身体と同一個体ですから,第二部定理七によって秩序は一致します。したがってある人間の精神が能動的であるときは,その人間の身体も能動的です。したがって人間が何かを考えているとき,その人間は精神も身体も能動的であるということになります。よって再び第三部定理五九により,少なくともこの間は,人間はあらゆる悲しみから逃れているということになり,つまりは悲しみの一種である不安も回避しているということになるのです。
 柄谷行人さんは「スピノザと無限」という論考の冒頭で,人間はなぜ悲しいのかを考えている間だけは情念から自由であるというスピノザの考え方に感銘を受けたというエピソードを著していますが,これはここで僕がいっていることと同じといっていいと思います。人間は何かについて考えているときは,単に不安だけでなく,あらゆる悲しみから自由であるといえるでしょう。
                         
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

棋聖戦&不安と希望

2010-06-26 18:28:36 | 将棋
 野球にたとえていうならば,深浦康市王位が自信を持って投げ込んだ豪速球を,羽生善治棋聖が2打席連続でクリーンヒットという状況で迎えた第81期棋聖戦五番勝負第三局。
 羽生名人の先手で一手損角換り1-Ⅰから先手の早繰り銀に対して深浦王位の四間飛車。後手が6筋の位を取って6四に銀が上がるという,何となくバランスが悪いような印象も受ける変わった形になりました。先に後手から仕掛けて銀交換になったのが第1図。
                     
 ここで☖3九銀☗2六飛と進んだのですが,結果からいうとここで打った銀がまったく働きませんでしたので,その分だけ後手が苦戦に陥ってしまったという感じがします。中盤のかなりごちゃごちゃとした戦いを経て第2図に。
                     
 ここはもう後手がはっきり苦戦といえるような状況と思いますが,☖7二歩は勝負手。しかし先手は☗5一馬と入り,☖7六桂と金を取らせて☗5二銀と打ち,一気に決めにいきました。後手はこの攻めを受けきるということはできないので最後の攻撃をかけたのですが,先手が入玉する形で凌ぎきっています。前の2局が豪速球であるとすれば,ここは変化球で勝負したという印象ですが,これもきれいに打ち返されてしまった感じです。
 3連勝で羽生棋聖が防衛。両者は対戦成績が拮抗していましたのでストレート決着は意外。最近のタイトル戦はフルセットかストレートというケースが多いです。

 このように,自分自身にとって間違いなくよからぬことが生じ,しかし自分ではその原因と結果がはっきりとは分からないという場合,人間というものは往々にしてある感情affectusに支配されるようになります。それがスピノザが『エチカ』の第三部諸感情の定義一三で示しているmetus,岩波文庫版の『エチカ』では恐怖と訳され,このブログにおいては不安といっている感情です。このときの僕自身もそうでした。ただ,僕は少なくとも2カ月に1度は通院していますので,そのときに検査をすれば何らかの原因なり結果なりが得られるであろうという思いがありましたから,この不安自体はそうも大きいものではありませんでした。これには,次の通院日が3月8日ともう目前まで迫っているということも影響していたでしょう。
 ところで,スピノザは不安を定義した後の説明で,希望spesのない不安はあり得ないし,不安のない希望というのもあり得ないというようにいっています。これは不安の直前の第三部諸感情の定義一二で定義されている希望の定義Definitioと不安の定義を読み比べてみれば明らかです。結果について疑うことによってある不安を感じるなら,それを疑っているということからして,そこには希望もあるということは明白ですし,逆もまた真verumだからです。
 ところで,第三部諸感情の定義二にあるように,喜びlaetitiaが大なる完全性perfectioへの移行transitioであり,続く第三部諸感情の定義三にいわれているように悲しみtristitiaが小なる完全性への移行なら,たとえ受動passioであっても,大なる完全性に移行する方がよいに決まっています。しかるに不安は悲しみで,希望は喜びの一種なのです。
 ここからひとつの生活上の知恵のようなものが生じます。もしも強い不安に苛まれたときにどうすればいいか。それは,それだけ大きな不安を感じるということは,それに匹敵するくらい大きな希望もあるということなのだと考えるconcipereことです。そしてこれは第四部定理七の,ある感情を除去するのはそれと相反する別の感情であるということにも合致しているといえるでしょう。ある事柄に対する不安に悩まされるくらいなら,むしろそこに希望を見出す方が,同じ受動であってもずっとましなことなのだと僕は思いますし,これはスピノザ哲学の教えであるといってもよいように思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エアジハード&3月上旬

2010-06-25 19:08:33 | 名馬
 安田記念を勝ったショウワモダンの父はエアジハードという馬です。父はサクラユタカオー
 2歳暮れにデビューして2連勝。皐月賞トライアルのスプリングステークスで4着に破れるとクラシックは諦めNHKマイルカップに。これはエルコンドルパサーの8着に負けたのですが,これがこの馬の競走馬生活唯一の着外でした。
 秋に復帰し条件戦を連勝すると富士ステークスで重賞初制覇。この後,翌春まで休み,オープン2着の後,京王杯スプリングカップはグラスワンダーの2着。しかし次の安田記念では逆にグラスワンダーを2着に降して大レースを制覇しました。したがって,ショウワモダンの安田記念制覇は父子制覇でした。
 このまま休養に入り秋は天皇賞で復帰。これはスペシャルウィーク,ステイゴールドに続く3着だったのですが,マイルチャンピオンシップではキングヘイロー,ブラックホークを破り,この年の春秋のマイル王に輝きました。
 この後,香港マイルを目指して渡航したのですが,現地で故障発症。残念ながらこれで引退となりました。この年のJRA賞では最優秀短距離馬と最優秀父内国産馬の2部門で選出されています。
 印象は派手ではなかったのですが,かなりの能力を持っていた馬。そのわりには繁殖相手に恵まれているとはいえない種牡馬生活で,重賞勝ち馬もショウワモダンでようやく3頭目。ただこのPrincely Gift系というのは世界を見渡してもほぼ日本だけで続いている父系で,後継になり得る馬が出てきたのは大変に好ましいことだと思います。

 その後,2月25日の朝には血糖値は98㎎/㎗と正常の値になりました。前日の就寝前に計測したときには157㎎/㎗でしたので,この日は以前と同様,就寝中に血糖値の低下がみられたということになります。しかしこれはあくまでも一時的なものにすぎませんでした。28日の朝には再び216㎎/㎗と非常に高い数値が出たばかりか,3月1日や3月3日の朝には,300㎎/㎗を超えるという,以前のシックデイに血糖値の高騰が生じたときと変わらないような値まで出始めるようになってしまったのです。
 それではほかの時間帯ではどうであったかといいますと,やはり朝の血糖値がこれだけ高いわけですから,なかなか正常な値というのは出ませんでした。辛うじて夕食の前には正常値になることがあったのですが,これはおそらく,清水ヶ丘公園を訪れたときなどもそうなのですが,僕は日中にひどく歩き回らなければならないような日というのがありまして,それが結果的に運動療法として作用したからなのではないかと思います。血糖値が安定していた頃は,こういうときにむしろ副作用としての低血糖を発症してしまうような場合もありました。Ⅱ型糖尿病に比較するとⅠ型糖尿病の場合には運動療法の効果は低いというのが一般的なのですが,僕の経験からすれば,たくさん歩くということで,Ⅰ型であっても確かに血糖値は低下するのではないかと思います。
 一方,日々の生活ですが,こちらの方は何も変わりませんでした。体調の変化というのもありませんでしたし,たとえば入院前に悩まされた口渇のような糖尿病の自覚症状が出るということもありません。食欲も普段と同じようにありましたから,血糖値をまずまず良好にコントロールできていた頃と同じように食べていました。いい換えれば,それ以前の生活と何ら変わるところはなかったわけです。逆にいえば,そこに変わるところが何もなかったわけですから,それでこれだけ血糖値を統御できないような状態に陥ってしまうということは,僕の身体に何らかの問題が発生していたということは明らかで,しかし,僕自身にはそれが何であるのかが分からなかったのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴールドカップ&朝の血糖値

2010-06-23 19:10:51 | 地方競馬
 南関東の短距離路線ではおそらく現役最強と目されるノースダンデーが出走してきたゴールドカップ
 タッチブライトの逃げは大方の予想通り。スーパーヴィグラスが2番手を追走し,ノースダンデーは3番手。直後にクレイアートビュンで,1頭おいてルクレルク。テイエムヨカドーが後方グループの先頭で,ボランタスは後方3,4番手の外。ペースは速かったです。
 向正面で後方からボランタスが一気に進出。3コーナーを回ったところでは前をすべて捲りきりました。そのままスピードを落とさなかったのでコーナーでもかなり外を回るロスがありましたが,ゴールまで脚色は衰えることなく,最終的には4馬身の差をつけて圧勝。この捲りに対応しようとしたものできなかったノースダンデーが一杯一杯に2着を確保し,3着にクレイアートビュン。
 優勝したボランタスはJRAデビューで5勝。重賞でも3回の3着という実績をひっさげ今春から川崎に移籍。これまではもっと長い距離に活躍の場を求めていて,距離が案じられましたが,スタミナ面を生かすような騎乗で能力が引き出された格好となりました。ただ,本質的にはもっと距離があった方がいいタイプだろうと思います。『エチカ』岩波文庫版で意志と訳されているラテン語の表記がvoluntas。
 騎乗した川崎の山崎誠士騎手は一昨年新春のオールスターカップ以来の南関東重賞制覇。管理しているのは父の山崎尋美調教師で,ゴールドカップは共に初制覇。ただし山崎調教師は騎手時代には勝ったことがあります。

 具体的にこの時期の朝食前の血糖値がどの程度の値で推移していたのかを記しておきます。
 2月16日の朝,血糖値は133㎎/㎗でした。これは若干高い数値ですが,これくらいであればそれほどの心配ありません。翌17日は計測せず,18日が153㎎/㎗。これははっきり高いですが,これくらいの数値はまれに出ることがありましたから,この時点では僕自身はそんなに心配しませんでした。ところが19日は263㎎/㎗でこれははっきり異常といえる数値。次の2日間も140㎎/㎗台で推移し,22日と23日は200㎎/㎗を超えてしまいました。
 これも前回の闘病記の中で説明しましたが,人間が体調に何か異変を来しますと血糖値が高くなるというケースがあります。昨年6月に僕が顎から喉にかけての異変というのを感じた後,血糖値の推移が非常に高い状態であったのはこのためであったといえるでしょう。しかしそのときとは異なり,この間は自分で感じるような体調の異変はありませんでした。もちろん,人間は自分の身体の異変を必ず認識するものであるとはいえませんから,気付かないような変化が起こっているということはあり得ます。事実,僕もそれまでに何度か,そうしたことを経験してきました。しかしそのような場合でも,これだけ長い期間にわたってこういう状態が継続したことはありません。つまりこれは僕にとって初体験でした。
 面白いものでこういう場合,まず機械の故障ではないかと疑ってみたくなります。あるいは無意識の防衛本能がそういう方向に自身の思考を向けさせるのかもしれません。実際のところ血糖値の計測機というのは,室温が低い場合には正確に血糖値を計測できないというケースもあるのです。そしてこの時期は1年でも最も寒い時期ではありました。ただ,この機械には,テスト用の点検チップというのが備えてありまして,このチップを挿入しますと機械が正確に作動しているかどうか分かるような仕組みになっています。僕もこの時期は試しにこのチップを使うことがありましたが,そこに示される数値は,むしろ機械は正確に作動しているというものでした。
                         
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四日市記念&新たな問題

2010-06-22 18:44:11 | 競輪
 四日市競輪場は通年で夜の開催。しかし年に1度だけは昼の開催があり,それが今日決勝(動画)を迎えた記念競輪です。並びは伏見-谷津田の福島に松永,柴崎淳-柴崎俊光-鈴木の三重,松岡-園田-大塚の九州。
 谷津田がSを取って伏見の前受け。中団に柴崎淳で後方から松岡の周回。残り2周のホームから松岡が上昇。まずは柴崎淳を抑え込んでから打鐘で伏見を叩いて先頭に。ここから柴崎淳が巻き返して,かまし先行。引いた松岡がうまく4番手に入り,立ち遅れた伏見が7番手で一列棒状。バックから松岡が捲っていくとこれを柴崎俊光がブロック。柴崎俊光はそのまま発進しましたが,うまくスイッチした園田が直線であっさりと差し切り,楽に抜け出して優勝。マークの大塚が2着で柴崎俊光が3着。
 優勝した福岡の園田匠選手はこれが記念競輪初優勝。実績でも現況の競走得点でも,大塚の方が上ですが,自力も使えるということで番手を回り,その与えられたチャンスを生かしきったのは見事というほかありません。うまく切り替えてあっさりと抜け出したあたり,今節は調子の方もよかったのだろうと思います。28歳ならまだまだ活躍できる年齢で,この優勝を機に,トップクラスまで食い込んでくるということもないとはいえないと思います。

 前回は1月4日の定期検診で,昼食前の超速効型のインスリン注射の量を増やすように指示されたという経過までを説明しましたので,今回はそこから最近までのことを記していくということになります。
 結果的にいいますと,このインスリンの増量というのは効果的であったということになります。実際,昼食前の血糖値というのは,それまでは200㎎/㎗を超過することもあったのですが,これ以降はそんな数値は滅多に出なくなりました。まあ,注射するインスリンの量だけ増やして食事の量というかエネルギーの摂取量は変わらないわけですから,こういう効果が出ること自体は当然といえば当然です。そしてこの後も現在まで,この時間に注射するインスリンの量に関しては増減なくきています。
 しかし,これとは別の問題が発生してしまったのです。
 それまで,僕が最も良好に血糖値を統御できていたのは,1日のうちでは朝食前でした。これは前にもいったと思いますが,食事と次の食事との間は,夕食と朝食との間が最も長くなります。僕自身も何度か夜勤というのを経験したことがありますから,必ずそうであるというわけではありませんが,一般的に人間というものが昼間に活動して夜に寝るものであるとするなら,普通はそのようになる筈です。朝の血糖値が最も良好にコントロールしやすいのには,たぶんそういう事情が関係しているのではないかと思います。いい換えればこれは,僕にだけ特有の現象ではなく,糖尿病の患者一般に妥当することではないかと思います。
 ところが,これがそうでもなくなってきてしまったのです。たとえば,以前は就寝前に血糖値を計測したときに,血糖値が正常とされる値よりも高い状態であったとしても,朝になればそれが正常値にまで落ち着いているということがよくありました。というよりそういうことがほとんどでした。ところが,それが朝になっても下がらずに,就寝前の値とほとんど同じ値で,下がらなくなってしまったのです。血糖値は必ず計測しているわけではありませんが,計測したならば自己管理ノートに記入してありますから,こうした問題が発生した時期というのもはっきりと分かっていて,これは2月の中旬頃,すなわち前回の闘病記を終了させた直後くらいからのことでした。
                      
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

竜王戦展望&共生

2010-06-21 18:41:11 | 将棋トピック
 第23期竜王戦の本戦トーナメントの表が完成しています。例年通りに展望することにします。
 まず左の山ですが,中心となるのはやはり久保利明二冠ということになるでしょうか。また,郷田真隆九段は,1組予選の1回戦で寝坊して不戦敗。その汚名返上のためにもおそらく気合が入ると思われ,対抗格に推します。個人的には村山慈明五段と戸辺誠六段のふたりの戦いぶりにも注目しています。
 右の山は当然ながら羽生善治名人が本命。ただ,一発勝負のトーナメントならだれが勝ち上がってきても不思議ではない顔ぶれ。阿久津主税七段とか松尾歩七段が挑戦ということになれば,新鮮な顔合わせの竜王戦になりますし,もちろんそうなる可能性も大いにあるでしょう。
 例年はどちらの山から挑戦者が出るかを展望し,たぶんそれはずっと当たっていたと思うのですが,今年はどちらの山からというのは難しい。したがって羽生名人が本命で久保二冠が対抗。3番手に郷田九段ということにしておきます。
 本選の開幕は来月7日。今年も個人的に注目できる対局に関して何局かここで取り上げることにします。

 糖尿病を患っている方の中にはもしかしたら同じように感じている方もいらっしゃるのではないかと思うのですが,僕は日々の生活の中で,糖尿病という病と闘っているという感じが少しもありません。むしろこの病気と共に生きているという実感の方がずっと強く感じられます。スピノザの哲学において完全性の移行といわれるとき,その移行と完全性の関係ということをどのように考えるのかという点は議論の分かれるところと思いますが,これでいえば僕の身体が糖尿病という病気を抱える身体になった,とくに僕の場合はⅠ型糖尿病ですから,インスリンがしっかりと出る身体から出ない身体になったということで,本性そのものが変化したというように考える方がしっくりときます。スピノザの哲学における完全性というのは,僕の考えでは力という点からみた本性ですから,本性が異なれば完全性も異なります。よって僕はこのことによって,自分自身の身体の完全性が低下したというようにはあまり思えないのです。別のいい方をするなら,糖尿病を発症する以前の身体と,これを発症した後の身体とでは,本性自体が異なるのですから,両者の完全性を比較するということはできないし無意味であるように思えるのです。
 もしも糖尿病との闘いというのがあるとすれば,僕にはそれは病気の発症以前にあるように思えます。それは規則正しい生活とか,バランスの良い食事とか,適度な運動というようなことになるのでしょう。もっともこれは厳密にいうならⅡ型糖尿病との闘いというのが適切であって,Ⅰ型の場合にはこうした戦いによってもあるいは発症を防げるというものではないのかもしれません。
 今回,僕が闘病記ではなく,共生記ということばを用いたのにはこうした理由があります。糖尿病共生記というのは,人によっては違和感があるような表現であるかもしれませんが,僕があえてこのようにいってみたことには,こうした理由があるということをご理解ください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北海道スプリントカップ&糖尿病共生記①

2010-06-19 18:45:43 | 地方競馬
 施行条件の変更が多い北海道スプリントカップ。今年は門別競馬場の1200mで17日に争われました。
 笠松のラブミーチャンと高知のポートジェネラル。どちらが速いのかにも個人的な興味がありましたが,逃げたのはラブミーチャンの方。ポートジェネラルとダイワディライトがこれを追い,インにミリオンディスク。ガブリンとヴァンクルタテヤマも差なく続きました。前半の600mは34秒1で,ミドルペースといってもいいくらい。
 直線に入ったところでラブミーチャンを追走していた2頭が苦しくなり,一旦はラブミーチャンが後ろを引き離しました。しかし外に出されたミリオンディスクが追われると楽にこれを差し,悠々と抜け出して4馬身差の快勝。差してきたガブリンが2着になり,ラブミーチャンは3着。
 優勝したミリオンディスクは昨年12月のカペラステークス以来となる重賞2勝目。いつも安定して自身の能力は発揮するタイプで,それ以上の力を有する馬と一緒だとどうしても勝てないのですが,ここは相手関係が少し楽になっていました。これくらいのレベルのレースが行われていなかったので,レコードは鵜呑みにできないかもしれませんが,距離は1400より1200の方がよいようです。
 騎乗した蛯名正義騎手,管理している荒川義之調教師ともに北海道スプリントカップは初制覇です。

 まず最初に,これからのこのブログのスタイルといいますか,テーマの扱い方についての説明をしておきます。
 このブログのメーンは,あくまでもスピノザの哲学,なかんずく『エチカ』に関して考えていくということにあります。しかし一昨年の暮れに,僕がⅠ型糖尿病を発症したということもあり,スピノザの哲学から離れ,長らくその闘病記を連載し続けました。ブログ読者の中には,むしろそちらの方に興味があるという方もいらっしゃると思います。実際にこのブログの読者数は,偶然なのかもしれませんが,闘病記を著しはじめてから少しずつ増えていきました。また,僕としても,糖尿病というのが不治の病である以上,その後の経過についても記すことは意義あることと思いますし,また僕自身のうちにも,それについても書いておきたいという気持ちがあります。
 そこで今後は,『エチカ』の考察と,糖尿病に関する手記のようなものを,交互に書き連ねていくということにします。つまり,『エチカ』について何らかの考察をして,それが終了したら,今度はその間の僕自身の出来事,これは必ずしも糖尿病にのみ関係するというわけではないかもしれませんが,糖尿病患者の生活の一端を,広く明らかにし,また自分自身の記録のためにも,書いていくということにします。今回の標題に①とつけたのはそういうわけで,この①が終了したらまた『エチカ』の何らかの考察を開始しますが,それに一区切りがついたら,今度は②を書き,以後はそのように続けていくという僕の意志の表れであるというように理解してください。もっとも,これは前回の闘病記のときにも書いたことと同じですが,僕自身はあくまでもスピノザ主義者であろうとする人間ですから,たとえ糖尿病に関して記述するといっても,完全にスピノザの哲学から離れてしまうということはないだろうと思います。純粋に糖尿病に関してのみ興味があるという方は,そういう点ではむしろ読みにくく,また場合によっては理解しがたくなってしまうのかもしれませんが,その点に関しては事前にご了承ください。というよりも,完全にスピノザの哲学から離れてしまうということは,僕にはできないことなのだというようにご理解いただければありがたいです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

棋聖戦&第二部定理四九系まとめ④

2010-06-18 19:03:51 | 将棋
 第81期棋聖戦五番勝負第二局は,棋聖戦では恒例ともいえる淡路島での対局でした。
 先手は深浦康市王位。羽生善治棋聖の横歩取り△8五飛。前例もある進行で第1図。
                    
 ここで▲2二桂成と踏み込んだのが新手だそうです。△同金では後手も何をやっているのか分からないので△2五歩▲3二成桂△同玉までは必然。先手は▲3四歩と伸ばす詰めろをかけ,後手は△2一桂と受けました。ここは先手としてもいろいろな手段がありそうですが本譜は▲3三歩成と成り捨て,後の底歩を用意するとともに後手玉を露出させました。そして▲7三歩成(第2図)。
                    
 後手はここで放置して△2九飛と攻め合いに。▲3九歩△4五桂▲6二とですが,どうもこの順は後手の方に分があったように感じられます。それでも後手の粘りに手を焼いて,一旦は決め損なったような印象も抱かせながら第3図に。
                    
 ▲2八歩というのも凄い手だと思いますが,ここで△4五桂と打ったのがおそらくは最終的な決め手。以下,王手飛車はかけられましたが,最後は6二のと金も抜いて,後手の勝ちとなりました。
 羽生棋聖が連勝で棋聖防衛に王手。3連覇のかかる第三局は26日です。

 人間が排尿を我慢するということは,人間の身体,すなわち延長の属性のレベルでみても,人間の精神,すなわち思惟の属性というレベルからみても,現実的に実在する人間の与えられた本性という観点から考える限り,この現実的本性には反することになります。いい換えればこのことは,人間の本性によって説明することができません。したがってまず排尿を我慢するということを考える場合には,この現実的本性に反するような運動自体がなぜ人間に出現するのかを考えておく必要があります。これを人間の精神の秩序としてではなく,人間の身体の秩序として考えました。そしてこれにより,これはいわゆるの効果であって,それは我慢する秩序を習得するというよりは,排尿の秩序付けとして現実的にはなされるということを明らかにしました。そしてその後に,排尿を我慢する自分自身の身体の表象像と意志作用が同一のものであるということを明らかにしました。
 次に排尿の場合,すなわち排尿という運動をなす自分自身の身体の表象像と意志作用についての考察に進みました。ここでは否定の否定という観点を導入し,その両者が同一のものであるということを明らかにしました。
 次は尿意と意志,トイレに行くことを肯定すると意識されるような意志との関係です。ただ,この意志の発生には尿意は必要条件とはいえませんから,この経験的実例はふたつあり,まず尿意なき意志作用の場合について,やはり両者が同一の思惟の様態であるということを示しました。続いて放尿の肯定という新たな概念を導入し,これによって失禁が肯定されるようなあらゆる例外が除外された結果,尿意ある意志作用の場合にも,やはり観念と意志作用が同じものであるということを明らかにできました。
 最後になったのが十全な観念の場合です。しかしこの場合には,ごく一般的な仕方で,観念と意志作用が同一であるということを示すことができましたので,経験的な実例としては正方形の観念とその面積を肯定する意志作用の場合のみをその題材としました。もちろん結論として得られたのは,やはりこの場合にも個々の観念と個々の意志作用は同一のものであるということでした。
 このようにして,今回の考察では,経験的な観点からも,ある人間の精神のうちに現実的に生じる各々の観念と,それら各々の観念を肯定する意志作用が同一のものであるということが明らかになりました。したがって当初の目的は十分に達成できたと僕は考えています。
 第二部定理四九系はこれで終ります。次回からは再び糖尿病に関して書いていきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女流王位戦&第二部定理四九系まとめ③

2010-06-17 18:26:29 | 将棋
 決着がつくのか,あるいは最終局までもつれ込むのか。第21期女流王位戦五番勝負第四局が指されました。
 一風変わった出だしから後手の甲斐智美女王の中飛車。清水市代女流王位も早々に飛車を5筋に回り,早い段階から5筋での攻防が焦点となりました。
                    
 ここで▲5五角と飛び出すのが玉の懐も広げて気持ちいい感じなのですが,△5三銀から銀交換になり,▲6四角に飛車交換では後手の駒を鮮やかに捌かせた格好。さらにその飛車を先着(第2図)されてしまっては,完全に先手がやり損なった形になってしまいました。
                    
 この後,後手は多少のもたつきはあったもの着実に攻めを展開。先手は粘るだけのような将棋となってしまい,一局を通していうなら後手の完勝といえるような内容の将棋になりました。
 甲斐女王が3勝1敗で女流王位も奪取。一気に二冠を達成。女流将棋界はどうやら世代交代の波が一気に押し寄せてきたようです。

 この問題を解消するために,まず人間の精神のうちに排尿を否定するような思惟の様態,積極的にいい換えるならば排尿を我慢することを肯定するような思惟の様態が生じてくるような秩序,すなわち我慢の秩序について探求しました。そしてこれをスピノザによる表象の考え方から,刺激状態の変化複数の刺激という観点から考え,実例をとりあげることにより,少なくともこれは,人間の精神のうちに尿意が発生する秩序とは異なるということを明らかにしました。これによって排尿の肯定と我慢の肯定は同じ人間の精神のうちにあって矛盾するものではなく,むしろ同時にあることができる思惟の様態であるということを明らかにしたのです。
 ところで,人間が排尿を我慢するというとき,スピノザ哲学的にはふたつの意味が考えられます。すなわち,ひとつは人間の身体が排尿を我慢する運動をなすという意味であり,もうひとつは,人間の精神が排尿を我慢することを肯定するという意味です。そこで僕は,このようなふたつの意味において,意志と身体というのは平行論における同一個体であるということをまず示しました。これはちょうどこのような意味において観念と身体とが同一個体であるということと同じ意味にあるのです。
 続いて,個々の観念と個々の意志作用が同一の思惟の様態であるということについて,このことを経験的に示そうとする場合の最大の難関と僕には思えた,意識と無意識の問題の解明に突入しました。すなわち僕たちは意識のレベルでは,尿意の場合には観念の方を,我慢の場合には意志作用の方を意識することが多いという観点です。そしてその理由について,論理的観点と経験的観点からそれぞれあげました。ただしこれはあくまでも僕の仮説にすぎません。
 これは副産物ともいえるのですが,ここまでの一般的帰結として,物体AとAの観念は同一個体であり,この観念を肯定する意志作用もAと同一個体であるということまでは明らかにできました。ところで,同一個体であるものは原因と結果の連結と秩序は同一です。したがって,これは平行論からの帰結事項となりますが,僕たちが物事を考えていく場合には,それを精神の秩序ないしは知性の秩序で考えたとしても,あるいは身体の秩序で考えたとしても,結論は同一になります。これを利用して考察を続けていきました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

関東オークス&第二部定理四九系まとめ②

2010-06-16 20:48:02 | 地方競馬
 3歳牝馬のダート女王決定戦となる関東オークス
                      
 ギンガセブンも逃げたかった模様ですが,アイシークレットがダッシュの違いでハナに立つと,ギンガセブン以下をぐんぐん離していきました。芝での実績上位のシンメイフジが3番手,アドマイヤオンリーとハーミアが並ぶようにその直後,中団にショウリダバンザイとナムラフェアリで,トーセンウィッチは後方2番手。ペース自体はハイペース。
 3コーナーを過ぎたあたりで逃げたアイシークレットと後ろの差が縮まり始め,直線に入るところでアイシークレット,ギンガセブン,シンメイフジの3頭が雁行状態。そこからシンメイフジが内の2頭を引き離していくと,追ってきたハーミアの追撃も凌ぎきって優勝。ハーミアが2着で,ギンガセブンが3着に粘りました。
 優勝したシンメイフジは昨年9月の新潟2歳ステークス以来となる3勝目で重賞は2勝目。ダートは今日が初めてで,こういうタイプはこのレースでは苦戦するケースが目立っていましたが,今年は例年よりレベルも低かった印象で,能力で相殺したという感じがあります。それでもダートをこなしたのは,今後のレース選択という観点からも収穫だったのではないでしょうか。父はフジキセキ,祖母が1993年のJRA賞最優秀牝馬のシンコウラブリイ
 鞍上は内田博幸騎手で,2006年チャームアスリープ以来となる関東オークス2勝目。管理している安田隆行調教師はこのレース初制覇です。

 次に僕が目指したのは,このような尿意という観念の中には,ある運動の肯定,すなわち人間の身体に対して排尿という運動を肯定する思惟の様態が含まれているということを示すことでした。このためにまず第三部定理一一で,人間の身体が排尿という運動をなす観念は,その人間の精神の完全性を促進ないしは向上させるものであるということを明らかにしました。
 しかしこれだけでは目指した目的には十分ではありません。というのは,これによって証明されていることは,あくまでも一般的な意味においてであり,個々の尿意のうちにそうした肯定が含まれているということではないからです。しかも尿意は知覚,すなわち混乱した観念であると規定したわけですが,上述のことはむしろ十全な観念として人間の精神のうちにあることができると考えられるからです。
 そこでこの不備を埋める作業を始めました。そのために第三部定理六第三部定理九を援用しました。これにより,少なくとも尿意が混乱した観念であったとしても,そのうちには人間の身体に対して排尿という運動を肯定する思惟の様態が含まれるということまでは明らかにできました。しかし,一般と具体という関係においては,やはりまだこれだけでは不十分で,これで成立するのは,尿意一般の中には排尿一般の肯定が含まれるということだけで,個々の尿意のうちに個々の排尿の肯定が含まれるということは,厳密には明らかにされていませんでした。
 そこで今度はそれを明らかにしにいったのですが,これには直接的には適当な定理が僕には見当たりませんでしたので,第三部定理一二の帰結として,これを明らかにするという方法を選択しました。
 この結果,当初の目的を達成することはできました。しかし,ここで新たに問題が発生します。といいますのは,経験が教えるところでは,僕たちは尿意を感じたからといって,すぐに排尿するということを肯定するわけではなく,それをむしろ否定するような思惟の様態を意識するないしは有することがしばしばあるからです。そしてこのことは,むしろ尿意のうちに排尿を肯定する意志作用が含まれているということと,むしろ矛盾すると考えることができるからです。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弥彦記念&第二部定理四九系まとめ①

2010-06-15 18:51:17 | 競輪
 やや強行日程ではあったもののそれなりのレベルの選手が揃って争われた弥彦記念は今日が決勝(動画)。並びは山崎-成田-紺野の北日本,武田-諸橋-藤原の関東,海老根後位は阿部と山田で競り。
 成田が飛び出し山崎の前受け。海老根が中団で武田が後方という周回。残り3周のバックから武田が動く構えをみせると,呼応した海老根が先に動いて,ホームでは山崎を叩いて誘導の後ろへ。武田は山崎に蓋をしてから前を叩きにいき,打鐘で先頭に立ってそのまま先行。4番手を確保した海老根の後ろはホームで山田が取りました。このときの競りのあおりもあり,山崎は少し離された7番手に。立て直した山崎はバックから捲り発進。さらに海老根もこれに合わせて動くという捲り合戦となりましたが,大外をしぶとく伸びた山崎がゴール前で捲りきって優勝。武田の3番手から出た藤原が2着,山崎マークの成田が3着。
 優勝した福島の山崎芳仁選手は昨年10月の共同通信社杯以来の優勝。実は最近の優勝はビッグばかりで,記念競輪は一昨年5月の平塚記念以来と,このクラスの選手にしては実に久々となる通算9勝目。前とかなり離れてしまったのでこれはダメかと思わせましたが,最後までよく諦めずに踏んできました。記念競輪は久々ですが,ビッグでは優勝も重ねているわけで,やはり現在の競輪界を代表する選手のひとりであることには変わりありません。

 今回のテーマは第二部定理四九系でした。ただしこの系を考察する主旨は,とくにこの系について何らかの疑問を呈するためというわけではなくて,むしろこの系が正しいということを,経験的な観点から補完するためでした。
 まず最初に取り組んだのは,スピノザの哲学において,あるいは『エチカ』において,知性とは何を意味し,意志,そして意志作用とは何を意味するのかということです。これはこの系を正しく理解するために必要なことだったといえるでしょう。
 主旨はあくまでも経験論による系の補完ですが,その前に,この系が正しいということについては,論理的に証明しておかなくてはなりません。第二部定理四九系というからには,当然ながら第二部定理四九からの帰結事項なのですが,今回の考察ではこの系をこれ単独で補完するという意図がありましたので,第二部定理四九には依存しないような証明というのを試みました。この過程において,スピノザは意志と知性との関係を本性と存在という関係になぞらえて説明しているのに対し,僕は実在性と本性という関係にたとえて説明しました。これは僕が意志という思惟の様態を,ある力として把握しようとしていることと関係していて,虚偽を否定する力もある意志作用としてみなそうとしているからです。
 この手続きを経て,いよいよ経験的考察が出発します。僕は人間の身体の排泄という運動とその観念そして意志作用との関係でこれを説明しようとしました。そこで人間の排泄という運動の最も代表的なものとして排尿をとりあげ,これを失禁放尿とに分節しました。もちろんこれはこの考察のための分節であり,いわばこの考察における約束事のひとつです。
 まず,排尿の観念というのを考えました。そしてこれをもう少し広い意味でとらえるという意向から,それを尿意ということにしました。最初の問題は,この尿意が十全な観念であるのか混乱した観念であるのかということでしたが,これを観念の対象となっているものがどういうものであるのかという観点から,自分自身の身体についての知覚である,すなわち混乱した観念であると結論したのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゼンノロブロイ&正方形

2010-06-13 18:38:10 | 名馬
 東京湾カップを優勝して東京ダービーの優先出走権を手に入れたマグニフィカオークスを同着で優勝したサンテミリオン。そして東京ダービーを優勝したマカニビスティー。この3頭はいずれもゼンノロブロイ産駒です。
                  
 デビューはやや遅れ,3歳2月。この新馬を勝った後,オープン3着を挟んで500万を勝つとダービートライアルの青葉賞へ。直線で蛇行して審議の対象になりましたが結果はセーフで重賞初制覇。続くダービーでは王者のレースをしましたが内からネオユニヴァースに差されて2着でした。
 秋は菊花賞トライアルの神戸新聞杯から。ここは直線で凄まじい瞬発力を発揮して重賞2勝目。しかし菊花賞は勝負どころで包まれる不利があって4着。続く有馬記念は同じ厩舎のシンボリクリスエスの3着でした。
 4歳は春の日経賞から。ここは勝って当然のメンバー構成でしたがよもやの2着。続く天皇賞は大逃げした馬を捕まえられずに2着。宝塚記念も4着とこのシーズンは勝利から見放されました。
 秋は京都大賞典から。この馬はレース中にスムーズさを欠くことが多かったのですが,ここはきちんと折り合い,2着には破れたものの進境をみせました。事実,この後は天皇賞で大レース初勝利を飾るとジャパンカップ,有馬記念も制してJRA賞年度代表馬に選出されました。
 普通はこれで引退ですが翌年も現役続行。宝塚記念3着をステップに渡英しインターナショナルステークスに挑戦。しかし惜しくも2着に破れました。帰国後,天皇賞は2着,ジャパンカップが3着,有馬記念は8着と,結局この年は勝ち星を積み上げられずに引退となっています。
 現3歳馬が初世代。すでに重賞勝ち馬3頭が出ている上にそのうちの1頭がクラシックで勝利,さらに自身は走らなかったダートでもこれだけの活躍馬が出ているのですからきわめて順風な滑り出しといえるでしょう。本格化したのは4歳秋ですから,産駒も長く活躍できるのではないかと思います。

 十全な観念の場合はごく一般的にその観念ideaと意志作用volitioが同一であるということを示すことができるわけですから,経験的な側面からも,混乱した観念idea inadaequataの場合のようにそう多くの例材を必要とはしないでしょう。そこで,十全な観念idea adaequataが人間の精神mens humanaのうちにあるあり方の説明としては,どうしても数学的なものを用いるのが簡単になりますから,そこからひとつだけ検証してみます。
 1辺の長さが1であるような正方形の面積は1です。そこでこれを肯定するaffirmareような意志作用について考えてみましょう。この肯定affirmatioというのは,そうした辺の長さが1の正方形の観念がなければあることはできません。しかしもしも僕たちの精神のうちに1辺が1の正方形の十全な観念があるなら,僕たちはその正方形の面積が1であるということを必ず肯定するでしょう。逆にいえばこれを肯定できないのであれば,僕たちの精神のうちにある正方形の観念の方が十全な観念ではないということが明らかだからです。
 もちろん僕たちがこの場合に,この正方形の面積が1であるということを肯定することを必ず意識するのかといえばそれはそうともいえません。しかし少なくともそれを肯定することができないならば,1辺の長さが1であるような正方形の十全な観念というのが僕たちの精神のうちにあることができないということもまた明らかだと思います。
 よって1辺の長さが1であるような正方形の十全な観念と,この正方形の面積が1であることを肯定するような意志作用というのは,一方がないならばもう一方があることができないような関係にあることになります。いい換えれば,ある正方形の面積を1であることを肯定するということは,その正方形の1辺の長さが1であることを肯定していることに等しいですし,逆にある正方形の1辺の長さが1であることを認識するcognoscereことは,その正方形の面積が1であることを肯定していることに等しいことになります。したがってこの両者は同じ思惟の様態cogitandi modiであるということになるでしょう。これはちょうど,正方形というのを形相的にformaliter,すなわち精神の外にある物体corpusとして考えたときに,1辺が1の正方形と面積が1の正方形は同じ正方形であるということと同じです。
 十全な観念に関しても経験的な観点から説明することができましたので,今回の考察はこれで終了します。明日からまとめに入ることとします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

王位戦&十全な観念の場合

2010-06-11 19:03:09 | 将棋
 第一人者の羽生善治名人に昨年の新人王に輝いた広瀬章人五段が挑むという図式の第51期王位戦挑戦者決定戦。公式戦では初対局。
 振駒で広瀬五段の先手。迷わず四間飛車穴熊にすると羽生名人も居飛車穴熊と,相穴熊に。
                   
 ここで後手が△5四歩と呼び込んで激闘開始。▲同銀△7七飛成▲同桂△6九角▲5三銀成△5八角成▲4二成銀△同金上と進展。手順中,後手に連続長考があったとのことで,あるいは誤算があったのかもしれませんが,手を変えるのは不自然に思えますし,はっきりとした差がついたということもないようには思えます。
 少し進んだのが第2図。
                   
 ここで△4七馬としましたが,この手が最終的な敗着になったのではないかと思います。▲同銀△5七金▲5五馬△4七金。そこでいきなり▲2二馬と切っていきました。この手順の途中から観戦を始め,これで勝ったらかっこいいなと思ったのですが,よく考えると△4七金と取った手はそれほど先手玉に迫っておらず,これではっきり先手の一手勝ちでした。
 広瀬五段が勝って挑戦権獲得広瀬五段は僕が期待している棋士で深浦康市王位は応援している棋士。個人的にはとても楽しみなシリーズになります。開幕局は来月13日と14日です。

 スピノザが定義する意志作用,すなわちそれはある事物を希求したり忌避したりする精神の傾向ではなくて,真理を肯定し虚偽を否定するような思惟の様態であるという点に注意するなら,実は個々の意志作用というものが個々の観念にほかならないということは,十全な観念の場合にはきわめて一般的な様式で証明することができます。
 まず第二部定義四からして,十全な観念というのは真の観念をその内的特徴という観点からみた観念です。いい換えればある人間の精神のうちにAの十全な観念があるということは,この人間の精神のうちにAの真の観念があるということに同じです。ただそこには観点の違い,すなわち観念を内的特徴からみるのか,外的特徴からみるのかという相違があるだけです。
 次に第二部定理四三により,もしもある人間の精神のうちにAの真の観念があるならば,この人間はその認識を真理ではないと,要するに自分の精神の一部を形成しているその真の観念が真の観念でないと疑うことができません。
 これらのことからして,もしもある人間の精神のうちにある十全な観念があるのなら,少なくともこの人間が,その観念を否定することはできないということが明らかでしょう。つまりもしもある人間の精神のうちにAの十全な観念があるのなら,この人間はこれを否定するような意志作用を有することはできず,もしも有し得るならばこれを肯定するような意志作用だけであるということになります。
 しかし,これを肯定する意志作用が現実的にあるということは,実は第二部定理四三によってすでに明らかになっているといえるのです。なぜならば,真の観念を有している人間がそれを真の観念であると知ることができるということは,その真の観念についてそれを真であると肯定しているということにほかならないからです。もしも僕たちがそのことに気付かないとしたら,それはただそうした肯定が肯定として意識されていないからにすぎないのです。
 ところで,こうした肯定は肯定される真の観念がなければあり得ないのは当然です。しかし僕たちはある事柄を知っていれば,それを意識するかどうかはともかく,それを知っているということについて知ることがただそれだけで可能なのですから,この肯定がなければ観念の方もあることができません。あるいはこの観念はこのように肯定されることなしにはあり得ません。だから一般的に十全な観念とそれが含む意志作用は同一のものであるということになるのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする