スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

水戸黄門賞&神の命名

2020-06-30 18:58:12 | 競輪
 取手記念の決勝。並びは菅田‐山崎‐佐藤の北日本,小林‐吉田‐平原の関東,郡司‐内藤‐萩原の南関東。
 佐藤,平原,郡司と内の3人がスタートを取りにいきました。枠なりに位置を取ったので前受けが菅田,4番手に小林,7番手に郡司という周回に。残り3周のバックの出口から郡司が上昇を開始。ホームで小林の横まできて併走。小林が下げなかったので,誘導が退避しないまま,4番手が併走でバックに。ここから郡司が前を抑えにいきましたが,さすがに菅田も引くわけにはいかず,打鐘から先行争いに。後ろの選手ももつれ,内藤がインに切れ込んで山崎の進路をふさぐ形になったため,山崎,佐藤,萩原の3人が落車。菅田の突っ張り先行になりましたが,援軍がいなくなったため番手に郡司で3番手に内藤。差が開いた4番手に小林以下の関東勢3人という隊列に。バックから郡司が発進。内藤が徐々にマークしきれなくなり,直線は独走となった郡司の優勝。3車身差の2着争いは写真判定になりましたが,小林の勢いをもらって大外を伸びた吉田。菅田と内藤の間に進路を取った平原がタイヤ差で3着。
 優勝した神奈川の郡司浩平選手は3月の玉野記念以来の優勝で記念競輪8勝目。取手記念は初優勝。このレースは小林の先行が濃厚で,菅田が先行争いを挑む可能性はあるとみていたのですが,小林は郡司の内で引かなかったために,後方に置かれる形に。アクシデントは強い雨の影響もあったと思いますが,結果的に労せず郡司が菅田の番手に入りました。脚力では郡司が最上位なので,その時点で優勝は決まってしまったような感じです。関東勢の作戦がいかなるものであったのか分かりませんが,先行する気があったのなら,周回中の位置取りは中団より後方の方がよかったのではないでしょうか。

 絶対に無限な実体substantiaを神Deusと命名することに必然的な理由があったわけではないということは,それが別の名称を付与されてもよかったという意味です。つまり第一部定理一一でいわれているのは,絶対に無限な実体は必然的にnecessario存在しなければならないということであり,そうした実体については神と命名したのであるから,神は存在するということです。それに神とは別の名称,たとえばXが与えられていたとするなら,必然的に存在するのは神ではなく,Xであるということになるのです。つまりスピノザの哲学における神というのは,命名されたものなのであって,何か実在するとされた対象について,その本性essentiaを説明するために定義されたものではありません。たぶんこのあたりのことは,実際にそれが生じたかどうかは別として,神学者からも哲学者からも,批判を招く余地があったのだろうと僕には思えます。同時に,ニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheは「神は死んだGott ist tot」というときに,スピノザの神も死んだということを含意しているわけですが,それが本来は命名されたものであり,神とは異なる名称が与えられる余地もあったということは,気を付けておくべきことかもしれません。
                                   
 ただし,絶対に無限な実体についてそれを神と命名する必然的な理由はなかったということは,スピノザがそれを神と命名したことに何の理由もなかったということを意味するわけではありません。おそらくスピノザには,必然的necessariusではなくとも確たる理由があったために,絶対に無限な実体を神と命名したのだと解するのが正しいと思います。それはたぶん,もしあるものが絶対に無限absolute infinitumであると解されるなら,そのものは同時に最高に完全summe perfectumであると解されることになるからだったと僕は推測します。いい換えれば,あるものの本性が絶対に無限であると解されるなら,そのように解した知性intellectusは,その本性から,それが最高に完全であるという特質proprietasを必然的に導出するために,絶対に無限な実体について命名するなら,神と命名するのが最適であるとスピノザは考えたのだろうと思うのです。最高に完全な存在者についてそれを神ということは,一般的な意味で広く受容され得るような命名であったと考えられるからです。
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ヒューリック杯棋聖戦&神と神々

2020-06-29 19:33:22 | 将棋
 昨日の第91期棋聖戦五番勝負第二局。
 渡辺明棋聖の先手で相矢倉。後手の藤井聡太七段が5筋の歩を突くのを保留する工夫をみせ,先手は急戦を用いました。
                                        
 後手が桂馬を跳ねた局面。5筋の歩を突かなかった効果で金が5四に上がれたため,桂馬が取れそうでしたが,ここで取るのは先手からの反撃があって無理だった模様です。
 ここでたとえば☗7九王と寄るような手はあるでしょうが,後手が桂馬を攻めに使ってきたのと比べると価値で劣りそうです。なので攻めたいところで,☗3五歩と突きました。
 後手は☖6五桂と跳ねて☗6八銀と引かせたところで☖4五銀を決行。ここから☗2二角成☖同金☗4五銀☖同金までは必然。先手はいろいろと攻めの手段がありますが,☗4三歩☖同飛と飛車を動かしておいて☗6六角と金取りに打ちました。これに対して☖3一銀。
                                        
 この手は☖4六桂と攻め合っても☖3二金と逃げてもうまくいかないので選択されたという印象です。ところがこの局面では最善手だったようで,第2図では先手に勝ちがなくなっていました。☖3一銀と打ってくれるならいい攻め方をしたという感じがしますから,先手の手順は仕方がなかったものと思います。この将棋の後手の指し手の選択はAIを相手にしても通用するレベルだったと思いますので,後手の読みの精度の高さを称えるべき一局でしょう。
 藤井七段が連勝。第三局は来月9日です。

 ニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheの有名なことばに,「神は死んだGott ist tot」というのがあります。このときニーチェが死んだといっている神は,キリスト教の神のことですが,それは同時に唯一神という意味でもあります。したがってニーチェが「神は死んだ」というときは,スピノザの哲学における神も死んだという意味が含まれているのであって,この点では『アンチクリストDer Antichrist』における蜘蛛としての神は,キリスト教における神であると同時に,スピノザの哲学における神も含意するのです。なかんずくニーチェは,神が蜘蛛となって自ら網を張るようになったのは,スピノザの相の下においてであるといっているので,蜘蛛としての神という場合は,キリスト教における神という意味以上に,スピノザの哲学における神という意味を強調しているといえるかもしれません。一方で,ニーチェが「神は死んだ」といっているとしても,それは唯一神が死んだという意味であるということも重要であって,神々が存在するという意味では,ニーチェはそれを肯定すると解してもそんなに間違ってはいないのです。
 とはいえ,第一部定義六で定義されている神Deumは,第一部定理一四系一によって唯一神であるものの,キリスト教における神と違っているということもまた,スピノザの哲学を理解する上では重要なので,このことについてはもう少し詳しく説明しておいた方がいいでしょう。
 まず第一部定義六というのは,神を~と解するintelligereという形式の定義Definitioとなっています。この直前に実体substantiaの定義について探求した部分から分かるように,この種の定義は基本的に名目的定義あるいは名前の定義です。ただし,第一部定理一一第三の証明から明白なように,もしもあるものが絶対に無限absolute infinitumであると解されるなら,解された当のものは必然的にnecessario存在することになります。よってこの点を重視するなら,この定義は名目的定義ではあるけれど,実在的な意味も有していると考えることはできるでしょう。ただしこの解釈をするときに注意しなければならないのは,必然的に存在するのは絶対に無限であると定義されたものなのであって,それが神と命名されなければならない必然的な理由があるわけではないということです。
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宝塚記念&蜘蛛としての神

2020-06-28 19:10:50 | 中央競馬
 第61回宝塚記念
 グローリーヴェイズは立ち上がるような発馬で1馬身の不利。逃げるとみられたキセキもあまり発馬がよくなかったため,トーセンスーリヤの逃げになりました。2番手にワグネリアン。3番手にペルシアンナイトとダンビュライト。5番手にラッキーライラック。6番手にアフリカンゴールドとブラストワンピース。8番手にスティッフェリオ。9番手にサートゥルナーリアとクロノジェネシス。11番手にレッドジェニアルとモズベッロ。13番手にキセキ。14番手にアドマイヤアルバとグローリーヴェイズでここまでは差がなく続きました。2馬身差でトーセンカンビーナとメイショウテンゲン。最後尾にカデナという隊列。最初の1000mは60秒0のハイペース。
 3コーナーを回ってトーセンスーリヤとワグネリアンの外にダンビュライトが上がり,さらにその外からラッキーライラック,クロノジェネシス,キセキの3頭。この6頭はあまり差がなく直線の入口を迎え,ラッキーライラックが一旦は先頭に立ちましたが,これをマークするようなレースになったクロノジェネシスの手応えが絶好。あっさりとラッキーライラックを差すと,そのまま抜け出し,後ろとの差を広げていって楽勝。外から追い込む競馬になったキセキが6馬身差で2着。キセキの後ろから並んで追い込んできた2頭のうち,モズベッロが5馬身差で3着。サートゥルナーリアが1馬身4分の3差で4着。
 優勝したクロノジェネシスは京都記念以来の勝利。大レースは秋華賞以来の2勝目。京都記念は強力な牡馬が不在でしたが,前走の大阪杯で2着になり,牡馬が相手でも十分に戦えるということを示していました。ですから優勝自体は不思議ではないのですが,1着と2着,そして2着と3着との間にこれほどまでの差が開いたというのは,各馬の能力からすると不自然な感じがします。気象の条件とか馬場の状態が,結果に対して大きく左右したと考えられそうです。ただ,昨年よりも強くなっているということは間違いないでしょう。母の父はクロフネ。3代母がラスティックベルで,ひとつ上の半姉に一昨年の紫苑ステークスと昨年のヴィクトリアマイルと富士ステークスを勝っている現役のノームコア
 騎乗した北村友一騎手は阪神ジュベナイルフィリーズ以来の大レース5勝目。宝塚記念は初勝利。管理している斉藤崇史調教師はNHKマイルカップ以来の大レース4勝目。宝塚記念は初勝利。

 ニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheが蜘蛛に喩えているのは,スピノザではなく神です。ここでニーチェがいっている神は,キリスト教の神のことです。そして,その神が喩えられているのは蜘蛛だけではありません。一八節の冒頭では,キリスト教の神は三種類のものに喩えられていて,蜘蛛はそのひとつです。ニーチェはそこでキリスト教の神のことを,病人としての神,蜘蛛としての神,精神としての神といっています。スピノザに対する言及は,蜘蛛としての神にだけ関連していますから,ここでは蜘蛛としての神のことだけを考えていますが,それは神に対する喩えのひとつであるということだけは,ニーチェの主旨を理解する上では踏まえておいてください。
                                        
 蜘蛛としての神というのは,自らが蜘蛛となって巣を張る蜘蛛のことの筈です。神がそういう蜘蛛になったのは,ニーチェのことばを借りればスピノザの相の下にです。つまりここで蜘蛛としての神といわれているのは,スピノザの哲学あるいはニーチェのいい方では形而上学の神であると解していいでしょう。ニーチェはその神を,キリスト教の神の喩えに用いています。つまりここから,ニーチェはスピノザの哲学における神と,キリスト教の神とを,同一視しているということになります。
 それを同一視することができるのかということについては,疑問の余地があるでしょう。実際にはスピノザはプロテスタントの牧師たちから非難されていたわけですし,死後も長らく無神論者というレッテルを貼られ続けていたからです。神を自己原因causa suiとみることや,本性naturaの必然性necessitasによって働くagereとして,自由な意志voluntas liberaを認めないといったことは,キリスト教の神学からは外れることなのであって,その意味においては確かにスピノザが第一部定義六でいっている神Deumは,キリスト教の神学における神とは異なるものだと解するのが適切でもあります。ただ,ニーチェからすればそれは同じことだったといえます。というのは,ニーチェがキリスト教の神というときにとりわけ意識しているのは,唯一の神という意味での神なのであって,その点ではスピノザの哲学における神も,第一部定理一四系一から分かるように,唯一の神であるからです。
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師弟 棋士たち魂の伝承&比喩の対象

2020-06-27 19:10:02 | 将棋トピック
 久しぶりに将棋の本を紹介します。これが8冊目です。一昨年の6月30日に光文社から発刊された野澤亘伸の「師弟 棋士たち魂の伝承」です。
                                        
 著者の野澤はカメラマンです。高校時代は将棋部で部長を務め,団体戦では県大会で準優勝したそうなので,それなりの棋力はあるとみていいでしょう。おそらく海パンカメラマンという異称で,アイドルの写真集を多く出されている方として有名なのではないかと思いますので,その方が将棋の本を出したということ自体が僕には驚きではありました。
 プロ棋士になるためには師匠が必要です。この本は6組の師弟について,師匠と弟子にそれぞれインタビューを重ね,その関係を明らかにしていくというものです。その6組というのは順に,谷川浩司と都成竜馬,森下卓と増田康宏,深浦康市と佐々木大地,森信雄と糸谷哲郎,石田和雄と佐々木勇気,そして杉本昌隆と藤井聡太です。さらに巻末に,羽生善治に対するインタビューがあります。
 それぞれの師弟関係のエピソードも豊富で,まずそれだけで面白く読むことができると思います。また,個々のエピソードとしても,たとえば増田は将棋を研究するときに,集中するために立って行うという,個人的には驚くようなことも含まれていました。僕が感じたのは,師匠というのは僕が想像していたよりもずっと弟子のことを考えていますし,また弟子の方も,従うのであれ反撥するのであれ,師匠からの影響というのは否めないものがあるのだということです。
 この本が素晴らしいのは,野澤が綿密な取材をすることによって,様ざまなことを明らかにしているということだけではありません。野澤の将棋に対する愛や,棋士に対する畏敬の念といったものが,文章の端々に満ち溢れていることの方が,僕には強く印象に残りました。本業はカメラマンですが,ライターとしてもかなり優秀だと思います。

 スピノザの相の下に,といういい回しは,ニーチェFriedrich Wilhelm Nietzsche自身による記述です。いうまでもなくそのときニーチェは,第二部定理四四系二の,永遠の相の下に quadam aeternitatis specieというスピノザの記述を意識していました。
 ここまでの文脈から理解できることがあります。ニーチェによれば,神自身が蜘蛛となって自らの巣を張るようになったのは,スピノザの相の下においてです。つまり,神が蜘蛛となったのは,形而上学の歴史の中で,スピノザが最初であるとニーチェはみていることになります。そしてスピノザ以前の形而上学者は,神の周囲に蜘蛛の網を張っていたのだということになるでしょう。いい換えれば,この部分において神の周囲に蜘蛛の網を張っていたとされているのは,スピノザ以前の形而上学者であったということになります。
 次に,神の周囲に蜘蛛の網を張っていたことと,神自身が蜘蛛になって自らの巣を張るようになったことを,連続的な出来事とニーチェはみなしています。したがってニーチェはスピノザのことを,神が蜘蛛となって自らの巣を張るようになったという点で新奇性を認めているといわねばならないでしょうが,その新奇性はそれ以前の形而上学からの連続性から理解されなければならないと考えていることも間違いないところです。したがってスピノザは,それ以前の形而上学者の系譜から連なるひとりの形而上学者として,ニーチェによって把握されていると解するべきです。
 これは一七節の終りの方で,この節の最後は,神が物自体になったというように締め括られています。物自体というのはカントImmanuel Kantによる哲学用語です。つまりニーチェは,カントはスピノザから連なる形而上学者のひとりであると考えていたことになるでしょう。また,これによってこの節が終了しているということは,カントの形而上学が,形而上学の到達地点であるとニーチェはみなしていたからなのかもしれません。ただしこれについては僕は断定は避けます。
 これでみれば分かるように,『アンチクリストDer Antichrist』には確かに蜘蛛の比喩が出てくるのですが,スピノザ自身が蜘蛛に喩えられているとはいえない面があります。むしろその比喩の対象は,神だと解せそうです。
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王位戦&文脈

2020-06-26 19:05:56 | 将棋
 23日に指された第61期王位戦挑戦者決定戦。対戦成績は永瀬拓矢二冠が0勝,藤井聡太七段が1勝。
 振駒で藤井七段の先手となり角換り相早繰り銀。途中からは,後手の永瀬二冠が攻めきれるか,先手が受けきれるかという勝負となりました。
                                        
 後手が8六に歩を打って攻めたのに対し,先手が7七に歩を打って受けた局面。ここから後手は☖9六歩☗同歩☖9七歩☗同香☖8五桂と端を攻めました。これに対して☗4八金と金を近づけたのは驚きでしたが次の☖1五歩はもっと驚きました。何か先手に直接的に受けてほしいということだったのでしょうか。
 手の交換としては玉が少しでも固くなった分だけ先手が得をしたように思います。そこで☗8六歩としました。これには☖9七桂成もあったでしょうが☖9八角成と馬を作ることを優先。となれば☗8五歩☖8九馬は必然でしょう。先手は☗8七銀と上がりました。
 後手の継続手は☖5四桂の角取り。これに対して☗6七桂と飛車取りに打ち返したのがうまい受け方。同じようでも☗7六歩だと後に☖7七歩と打たれて後手の攻めが続くようです。
 もし☗4八金と寄っていなければここで☖4六桂も有力だったでしょう。しかし実戦では金取りになりませんから☖4五飛☗3七桂☖4六飛☗同歩と進めて☖6六桂とこちらに使うのが自然だと思います。先手はここで金を逃げずに☗2九飛と引きました。
                                        
 これで先手玉は窮地を脱しています。第2図以下は取った飛車を打ち込んだ先手が寄せ切りました。この将棋は後手に攻めの疑問手があったというより,先手が受けの好手を重ねて勝った一局といっていいのではないでしょうか。
 藤井七段が挑戦者に。王位戦七番勝負は初出場。第一局は来月1日と2日です。

 『アンチクリストDer Antichrist』における比喩は,ニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheによるスピノザへの批判です。蜘蛛は,多くの人間から嫌われる生物でしょうから,それが批判的な材料になることは,何となく理解できるのではないかと思います。たとえばニーチェは『ツァラトゥストラはこう言った』の第二部の中に,「毒ぐもタランチュラ」(岩波文庫版ではタランテラとなっていますが,ここではタランチュラといっておきます)という章を設けていますが,そこでもタランチュラは否定的に書かれています。なお,ここでタランチュラに喩えられているのは平等の説教者であり,ここではスピノザは念頭に置かれていないものと思われます。
 『アンチクリスト』における蜘蛛の比喩は,第一七節の終りから第一八節にかけて出てきます。実はここでも,批判の対象となっているのはスピノザだけではありません。これは僕が『エチカ』の何を美しいと感じるのかということとは直接的な関係はないのですが,ニーチェの文脈自体を順に説明しておきます。
 比喩が登場する直前の文脈で批判されているのは,形而上学者です。この形而上学者というのは,とくにだれかを特定しているわけではなく,形而上学者一般のことです。その批判の対象になっている形而上学者が,いつしか神を自由に操ることができるようになったとニーチェはいっています。その直後に蜘蛛という語が出てきます。形而上学者は長いこと神の周囲に蜘蛛の網を張り巡らせてきたというのがその部分です。そしてそうした形而上学者たちの動きによって,神は催眠術を掛けられてしまい,自らが蜘蛛になったとされています。この,神が蜘蛛になったというのは,神が形而上学者になったという意味です。それはつまり,それまでは形而上学者が神の周囲に蜘蛛の網を張り巡らせていたのですが,ついに神自身が形而上学者となって,自らの体内から世界を紡ぎ出すようになったということです。要するに,それまでは形而上学者が張っていた蜘蛛の巣を,神自身が張るようになったと,比喩としてはいいたいわけです。そしてここでスピノザが登場します。神が自ら蜘蛛として巣を張るようになったのは,スピノザの相の下になのです。
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農林水産大臣賞典帝王賞&ニーチェの比喩

2020-06-25 19:02:30 | 地方競馬
 昨晩の第43回帝王賞
 出方を窺い合うような形から,ワイドファラオが逃げ,ストライクイーグルが2番手に。3番手にモジアナフレイバーとクリソベリル。5番手にルヴァンスレーヴとチュウワウィザード。7番手にミツバとオメガパフューム。9番手にサブノクロヒョウとノンコノユメ。11番手以下はヒカリオーソ,フレアリングダイヤ,ケイティブレイブ,キャッスルクラウンの順で発馬後の正面を通過。前半の1000mは63秒9のスローペース。あまり隊列に変化はなく,向正面の中途から3コーナーにかけてオメガパフュームが位置を上げていったのが目立つくらいでした。
 3コーナーを回るところでワイドファラオとストライクイーグルは併走に。その後ろにクリソベリルとオメガパフューム。さらにケイティブレイブも上がってきて,直線の入口ではこの5頭が横にずらりと並ぶ形。ストライクイーグルは脱落。逃げたワイドファラオをまず差したのがクリソベリルで,先頭に出るとそのまま抜け出して快勝。外から2頭目のオメガパフュームは,ワイドファラオは楽に差したもののクリソベリルには追いつくことができず,2馬身差で2着。内目を捌いてきたチュウワウィザードもワイドファラオを差して1馬身4分の1差で3着。ワイドファラオはクビ差の4着。
                                   
 優勝したクリソベリルチャンピオンズカップ以来の勝利で大レース3勝目。サウジアラビアへの遠征で連勝はストップしましたが,国内での無敗は守りました。ルヴァンスレーヴを除けば能力上位は明白で,ルヴァンスレーヴもかつての能力を取り戻せているかが不明だった上に,距離適性でもクリソベリルに分があると思えましたので,順当な優勝だったといえるでしょう。それでも大井の2000mを最も得意とするオメガパフュームに対し,スローペースで2馬身の差をつけて勝ったというのは大きな評価に値すると思います。ダート競馬は年々レベルが上昇しているので,基本的に若い馬の方が綜合レベルは高いと考えられますから,4歳のこの馬の牙城を崩すのは,まだ3歳の馬の中にいるとみた方がよいかもしれません。父はゴールドアリュール。母の父はエルコンドルパサー。祖母がキャサリーンパーで6つ上の全兄に2013年にジャパンダートダービー,2014年に日本テレビ盃,2015年にダイオライト記念,2016年にダイオライト記念,2017年にダイオライト記念を勝ったクリソライト。5つ上の半姉に2016年のJRA賞の最優秀4歳以上牝馬のマリアライト。4つ上の半兄に2015年に神戸新聞杯を勝ったリアファル。Chrysoberylは金緑石という宝石の種類。
 騎乗した川田将雅騎手は川崎記念以来の大レース21勝目。第35回以来8年ぶりの帝王賞2勝目。管理している音無秀孝調教師は高松宮記念以来の大レース17勝目。帝王賞は初勝利。

 ニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheは『アンチクリストDer Antichrist』において,スピノザに対して蜘蛛の比喩を用いました。このことが,僕が感じる『エチカ』の美しさといくらかの関係を有しますので,まずニーチェの意図を確認しておきます。
 ニーチェは初めてスピノザに触れたとき,スピノザは自身の先駆者であると感じました。それが1881年の夏のことで,その衝撃を友人に手紙で送っています。ただし,このときにニーチェが読んだのは,スピノザの著作ではなく,スピノザの哲学の解説書でした。この解説書の中で,スピノザの哲学におけるpotentiaの概念notioが強調されていたらしく,ニーチェはそこに感銘を受けたようです。
 おそらくニーチェはこれを機会にスピノザの著作を読むようになったのでしょう。そして実際にそれを読むようになると,自身とスピノザは一致点より相違点の方が大きいと感じるようになっていきました。もちろんスピノザとニーチェの間には一致する点があるのは事実なのであって,そのことについてニーチェがスピノザを肯定的に評価しているということは間違いないのですが,同時にいくつかの点ではスピノザを批判するようになっていったわけです。一例をあげれば,スピノザの哲学の重要な概念のひとつであるコナトゥスconatusは,ニーチェからみると自己保存的なものにしかみえませんでした。いい換えればそれは保守的なもの,あるいは反動的なものとしかみえなかったのです。このゆえにニーチェは力への意志Wille zur Machtという概念で,コナトゥスを否定するようになります。
 実際にはニーチェは,最初にスピノザの解説書を読んだときにも,相違点があるということには気付いていました。しかしそのときには,相違点の方を少なく見積もって,一致点の方を重視していたのです。それが徐々に,一致点よりも相違点の方が重要であるというようにニーチェには思えてきたのでしょう。たぶんそこにはニーチェの個人的な感情affectusというものが関係している筈で,これは正確性を欠くような説明であると思いますが,そのように理解しておけば分かりやすいのだろうと思います。したがってニーチェが『アンチクリスト』でスピノザを蜘蛛に喩えたとき,それは批判的な観点からです。
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サンケイスポーツ盃優駿スプリント&美

2020-06-24 19:23:28 | 地方競馬
 昨晩の第10回優駿スプリント
 モリデンスターは伸び上がるような体勢での発馬となり1馬身の不利。発馬後の加速ですぐにカプリフレイバーがハナへ。2番手にはボンボンショコラ。3番手はスティールペガサス,ブロンディーヴァ,ストーミーデイ,インペリシャブルの4頭。7番手にファルコンピークとビービーアルバとタイセイサクセサー。10番手以下はダンディーヴォーグ,コーラルツッキー,ミチノギャングと続き,13番手のロイヤルペガサスとキングキャヴィアまでは一団。モリデンスター,ヘヴンリーキスの2頭は少し離されました。前半の600mは34秒5のハイペース。
 3コーナーを回ると2番手のボンボンショコラは苦しくなり始め,インペリシャブルが2番手に。しかしカプリフレイバーの逃げ脚は直線に入っても衰えず,インペリシャブルも苦しくなりました。内を回ったブロンディーヴァが下がったボンボンショコラを捌き,インペリシャブルの内から2番手に上がりましたが,カプリフレイバーには追いつけず,鮮やかに逃げ切ったカプリフレイバーが優勝。ブロンディーヴァが1馬身4分の1差で2着。外から差し脚を伸ばしたキングキャヴィアがクビ差で3着。
 優勝したカプリフレイバーはここまで5戦4勝。南関東重賞は初挑戦での勝利。負けたレースが1600mで,4勝は1000mと1200mという生粋のスプリンター。このレースのトライアルを連勝して臨んできました。クラシックを走ってきた馬たちの対決でしたが,この距離では力が一枚上だったようです。タイムは水準級ですが,2着に差をつけての勝利ですから,水準以上の力量があるという見方もできそうです。父はサウスヴィグラス。祖母の父はサクラユタカオー。母の11歳上の半姉に2002年に関東オークスを勝ったサクラヴィクトリア
 騎乗した浦和の繁田健一騎手は勝島王冠以来の南関東重賞10勝目。優駿スプリントは初勝利。管理している船橋の稲益貴弘調教師は南関東重賞2勝目で優駿スプリントは初勝利。

 定義Definitioに関連する考察はここまでです。なおこの8章の九節の中に,近藤のスピノザの哲学に対する理解について,僕が疑問と感じる点が含まれています。ただしこれについては最初にいった通り,『〈内在の哲学〉へ』の考察の最後に言及することにして,別の考察を先に行います。
                                        
 『〈内在の哲学〉へ』の10章のタイトルは「ある理論が美しいといわれるとき,その真の理由は何でありうるか」というものです。まずこのタイトル自体がとても変わったものだと思わないでしょうか。美しさというのを理論的に考察するということはあり得るのですが,理論そのものに対して美しさを見出そうとすることが,まず理論的に可能であるのかということが問題として出てきそうですし,理論に含まれている美しさを探求するということが,その理論について有意義であるのかということもまた疑問に感じられそうです。
 書評でいったように,『〈内在の哲学〉へ』は,いくつかの論文を再構成することで,あたかも書き下ろした著作であるような体裁にするという形で構成されています。しかし僕はこれは論文集として出版した方がよかったのではないかと感じたということもいいました。この本の中で,際立って他の部分との関係性が稀薄ではないかと僕に思えるのが,この10章でした。
 ただし,僕はここで近藤がいっている事柄について何かを考察するということはありません。この章はとても短いもので,近藤はいくつかの例を出していますが,そうしたものの美しさについて何かを考察するわけではありません。ただ僕は,スピノザの哲学について,ある種の美しさを感じることがある,というか感じているのです。そうしたことについて言及する機会はよほどのことがない限りないでしょう。というのは,僕が感じる美しさというのが,スピノザの哲学を論理的に解明するために役立つということはおそらくないだろうからです。しかし,近藤がここである理論の美しさということを考察の対象としているのですから,この機会に僕もスピノザの哲学,とくに『エチカ』に感じる美しさというのがどのようなものであるのかということを,説明しておこうと思うのです。
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第三部定理三二証明&具体的な意義

2020-06-23 19:19:14 | 哲学
 羨望という感情affectusを強めるのは,羨望する相手への同類意識の高さと,羨望した相手が得た喜びlaetitiaについての入手の困難性の高さです。ところがスピノザの哲学では困難と容易は事物に属するものではなく,事物を認識するcognoscere人間の側に由来するものであるがゆえに,それについては詳しく説明されていません。そこで『エチカ』の定理Propositioを用いることによって,なぜ入手が困難であると表象されればされるほど,それに対する羨望が強まるのかということを,やや遠回しの方法によって説明するほかありません。ここでは第三部定理三二を援用します。まずはこの定理を詳しく証明しておきましょう。そのことが,僕が示そうとする事柄にとって有益になるからです。
                                   
 もしある人Aが,ある事柄Xを享受するのをBが表象するimaginariなら,BもそのXを享受しようとします。いい換えれば,Xを享受することへの欲望cupiditasをBは抱きます。このことは第三部定理二七から明らかです。なお,この定理の意味からして,BのAに対する同類意識が強ければ強いほど,BのXに対する欲望も強くなるのですが,このことは証明Demonstratioそのものとは関係しません。
 ところで,もしそのXを享受することができるのがただひとりであるということを同時にXが表象するのであれば,BはX以外の人,これはAに限らずB以外の人であればだれであれ,その人がXを享受することを妨げようとします。なぜなら第三部定理二八により,人は自身に喜びを齎すことを実現させようとするコナトゥスconatusを有しているので,BはXを享受することの実現に向かうコナトゥスを有していることになりますが,もしもXがだれかひとりしか得ることができない喜びであると表象されるなら,他人がXを享受するということ自体がBのコナトゥスに反することになるので,Bはだれであれ,他人がXを享受することについてはそれを妨げようとするのです。つまりこれを一般的にいえば,だれかひとりしか享受することができない喜びがあるとすれば,僕たちは他人がそれを享受することを可能な限り邪魔しようとするのです。

 『エチカ』における実体substantiaの定義Definitioの意義は,それが名目的定義ではなく実在的定義であると仮定した場合に,より明瞭に理解することができるでしょう。
 第一部定義三が,解するintelligereという形の定義ではなく,何らかの実在的な対象,いい換えれば知性intellectusの外に実在する何かについての定義であったとしましょう。書簡九のいい方で表せば,それ自身が吟味されるためにのみ立てられた定義ではなく,その本性essentiaが求められているものを説明するために役立つ定義であったとしましょう。すると,たとえば第一部定理五から第一部定理一一を経て第一部定理一四へと至る間に,実体の本性なり形相formaなりが,大きく変容を遂げてしまうことになります。もちろんいずれの場合であっても,実体はそれ自身のうちにありかつそれ自身によって考えられるものなのですから,公理系の内容自体は維持することができるかもしれません。しかし,定理Propositioの中では,ふたつあるいは複数の実体が存在するのでなければならない筈であったのに,実際にはひとつの実体しか存在しないということになってしまうのですから,実体というのが実在的なものとして定義されているとみる限り,その本性も形相も大きく様変わりしていることは間違いありません。こうした変容を避けるためには,実体は実在的な対象の本性を説明するような定義として立てられてはならず,実体自身が吟味されるために立てられるような定義でなければならなかったのです。もしそのような定義を立てておけば,第一部定理五の実体の本性や形相と,第一部定理一四の実体の本性と形相の間に大きな変容があったとしても,まったく問題はありません。なぜなら,この定義は実体を吟味するために立てられた定義なのですから,まさに実体を吟味していく過程において,実体の本性や形相に変容が生じたということになるからです。
 つまり,『エチカ』では,実体というのは吟味していく中で,その本性や形相を大きく変容させていくものなのです。そのためには実体についての名目的定義,実体という名前の定義が必要であったのです。これが『エチカ』における実体の定義あるいは名目的定義一般の,具体的な意義だったのです。
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叡王戦&公理系のルール

2020-06-22 19:24:26 | 将棋
 今井浜温泉で指された昨日の第5期叡王戦七番勝負第一局。対戦成績は永瀬拓矢叡王が3勝,豊島将之竜王・名人が2勝。
 事前の振駒により永瀬叡王の先手で角換り相早繰り銀。後手の豊島竜王・名人から仕掛けて馬を作りましたが,先手が駒を押し上げ後手が退却を余儀なくされるような展開。この将棋は馬とと金のコンビネーションで後手が先手の飛車を攻めたところで千日手に。先手がこの将棋を千日手にしたのは僕には驚きでした。
 先手と後手が入れ替わっての指し直し局は角換り。後手の永瀬叡王の右玉から,互いに5筋の歩を突き合う,この戦型では珍しい進展に。後手の戦術は千日手志向でしたが,先手の豊島竜王・名人が打開して戦いに持ち込みました。
                                        
 打開した先手が角を打ち込み,後手が5二の金を寄って受けた局面。この局面は先手を持ってそれほど自信はなく,後手を持ってもそれなりに戦えそうというのが僕の判断です。
 ここから☗5五銀☖同銀☗5六歩☖4六銀☗4九飛☖2八角☗6五歩☖5三銀☗6四歩☖同銀左☗6五歩☖同桂☗同桂☖4三金寄☗3八桂と進んで第2図になりました。
                                        
 第2図も先手を持ってそれほど自信があるとは思えないのですが,後手を持ったら相当勝てなさそうと僕には思えます。なので僕の判断では,第1図から第2図の間に後手に何らかの疑問手があったのでなければならないのですが,それがどの手であったのかがはっきりと分かりませんし,また,後手がどういう方針で指せばよかったのかも分かりません。あくまでも僕の判断ですから,第1図ですでに先手の方がいいとか,第2図で後手もまだまだ戦えるということもあり得るでしょう。ちょっと僕には難しすぎる将棋でしたが,第2図で後手が勝てなさそうというのはそんなに間違ってはいなかったようで,これ以降は先手が攻め潰すような展開で終局しています。千日手局と指し直し局をみる限り,両者の将棋観には大きな違いがありそうです。その相違が正面からぶつかり合えば,かなり面白いシリーズになるのではないでしょうか。
 豊島竜王・名人が先勝。第二局は来月5日です。

 第一部定理五が,実在する実体substantiaeについて何事かを証明していると解することはできません。そして第一部定理五でいわれている実体は,第一部定義三で定義されている実体であると解さなければなりません。よって第一部定義三で定義されている実体は,何か実在するものについて定義されているわけではなく,単にそれ自身のうちにありまたそれ自身によって概念されるものについて命名しているだけであると解さなければなりません。ゆえに第一部定義三は,名前の定義あるいは名目的定義であることが分かるのです。
 実際には公理系というのは,定義Definitioと公理Axiomaによって定理Propositioなり系Corollariumなりが論証されていくものですから,定理や系によって,定義の意味が理解されることはあってはならないことです。ここでこのような説明をしたのは,こう説明すれば第一部定義三が実在的なものの定義ではないということが分かりやすいと思われるからです。実際には第一部定義三は,どのようなものをスピノザが実体と解するintelligereのかということをいっているのですから,それだけでこの定義が実在的なものを説明しようとしているのではなく,単にある種のものを実体と命名しているのであるということは分かります。つまり,公理系のルールが破られているというわけではありません。
 『エチカ』では,第一部定義三がこのような内容の定義であるがゆえに,第一部定理五と第一部定理一四が,両立し得るようになっているのです。第一部定理一四というのは第一部定理一一を通して証明される定理です。いい換えれば,第一部定理一四は第一部定理一一を明らかにすることができなければ証明することはできません。第一部定理一一というのは,神Deusいい換えれば絶対に無限な実体について,それが実在的realiterであるということを示しています。いい換えればここでは実体が実在的なものとして証明されていることになります。そしてこれを証明するために,第一部定理五を,ひとつの定理として経由しなければなりません。いい換えれば実体が実在的なものであることを論証するためには,事前に実体を名目的なものとして解しておく必要があるのです。これが『エチカ』における実体の定義の意義です。
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高松宮記念杯競輪&名目的定義

2020-06-21 19:30:20 | 競輪
 和歌山競輪場で開催された第71回高松宮記念杯競輪の決勝。並びは新田‐佐藤の福島,平原‐芦沢の関東,脇本‐稲川‐稲垣の近畿,松浦に和田。
 佐藤,松浦,芦沢の3人がスタートを取りにいきました。枠なりとなり,前受けは新田に。3番手に松浦,5番手に平原,7番手に脇本で周回。残り2周のホームまで動きはなく,誘導が退避しないままそれぞれのラインの間で車間が少し開く隊列に。バックに入ってから脇本が発進し,打鐘で新田を叩いて先行。平原が合わせて上昇したので隊列は乱れ,脇本‐稲川‐平原‐稲垣‐新田‐佐藤‐芦沢の順に。ホームから松浦が発進。バックで前に迫っていきましたが,最終コーナーの手前で稲川がブロック。松浦はそれを乗り越えて脇本の後ろに入ったのですが,そこまで。直線もよく粘った脇本が優勝。松浦マークの和田が半車身差の2着で,松浦は半車輪差で3着。
                                        
 優勝した福井の脇本雄太選手は昨年の日本選手権競輪以来の優勝でビッグは5勝目。GⅠは4勝目。高松宮記念杯競輪は初優勝。オリンピックに備えているため競輪はあまり出走せず,今年は日本選手権競輪が中止になったためこれが初出走。優勝の間隔が開いているのもそのためです。松浦はよく頑張ったと思いますが,やはり力量は脇本の方が上で,残り1周半くらいからの先行になると,捲るのは難しいようです。7月は2回の出走が予定されていますので,また強いレースが見られることでしょう。

 僕はこのブログの中で,『エチカ』の定義Definitioの中には,実在的定義というべき定義と,名目的定義というべき定義の二種類があるといういい方をしてきました。名前の定義,いい換えれば定義されるものを命名するという行為は,このうち名目的定義に該当します。第一部定義三が名目的定義であるということ,すなわち実在的定義ではないということは,『エチカ』の論証Demonstratioの過程の中から明確に理解することができます。
 最も分かりやすい例として,ここでも第一部定理五をあげておくことにしましょう。この定理Propositioで実体substantiaeといわれているのは,第一部定義三で定義されている実体でなければなりません。これは公理系のルールですからそれ自体で明白だといわなければならない事柄です。よってここでいわれている実体は,それ自身のうちにありかつそれ自身によって考えられるあるものです。このとき,第一部定理五が,何か実在的なもの,といってもこの定理は実体について論証しようとしているのですから,実在的な実体について何事かをいっていると仮定してみましょう。すると,自然naturaのうちにはふたつあるいは複数の実体が存在して,それらの実体は同一の属性attributeを有していないといっていることになります。ところが『エチカ』はこう解釈することはできません。なぜなら第一部定理一四において,Deus以外には実体は存在しないといわれているからです。よって第一部定理五がいっているのは,ふたつあるいは複数の実体が存在して,それらは同一の属性を有していないということではないのです。そうではなく,もしふたつのあるいは複数の実体が存在すると仮定すれば,それらが同一の属性を有するということはないということなのです。つまり実在的な対象について何かをいっているわけではなく,それ自身のうちにありまたそれ自身によって考えられるものを実体というのであれば,論理的に同一の属性を有するふたつあるいは複数の実体は存在し得ないといっているのです。よって第一部定義三は,何か実在的な対象を名指ししてそれを実体といっているのではありません。もしそうであるなら,第一部定理五と第一部定理一四の間に矛盾が生じてしまうからです。
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神鳥忍&定義の意義

2020-06-20 19:03:29 | NOAH
 ロッシー・小川は,対抗戦時代のマッチメークなどに関しては,ほとんど自分が考えていたと発言していました。この対抗戦時代に活躍した選手のひとりに,当時のLLPWの神鳥忍がいます。僕自身が関係するわけではありませんが,神鳥についてはおそらくそんなに知られていないエピソードがありますので,まずはそれを紹介していきます。
 僕のは中学校の教諭をしていました。その当時の教え子のひとりに神鳥がいたのです。母が話していたところによれば,副担任であったクラスに神鳥がいたとのことでした。
 神鳥はプロレスラーになる以前に,柔道で有名になりました。中学校の時にはすでに柔道をやっていたようです。しかしその当時から神鳥は,将来は女子プロレスラーになると言っていたそうです。その理由というのは,柔道では食べていくことができないけれども,プロレスラーなら稼げるからというものでした。神鳥は対抗戦時代に戦った北斗晶から,プロレスに対する愛に欠けるという主旨のことをよく言われていたのですが,それが愛であったかどうかは別としても,すでに中学生の頃から,将来はプロレスラーになるという気持ちがあったのは事実です。
                                        
 対抗戦時代に神鳥のライバルといえば,前述の通り北斗晶をイメージされることが多いかと思います。ただ,神鳥は柳澤のインタビューに対し,その時代の自分のベストバウトは,北斗との試合ではなく,ブル・中野との試合だったと語っています。これは1994年7月14日に東京都体育館で行われたチェーンデスマッチのことです。この試合はデスマッチではあったものの,遺恨や怨念といったものが何も存在しない,こういういい方が適切であるかどうかは分かりませんが,スポーツライクな試合でした。そして神鳥がプロレスにおいて求めていたのは,そのような試合であったそうです。ですから北斗とは,プロレスに対する考え方そのものに対立があったのかもしれません。
 神鳥は自分が認める唯一のプロレスラーがブル・中野であると言っています。つまりブルは神鳥が求めるようなレスラー像を体現する存在だったのでしょう。他者を介してではあれ,私的な交流もあったそうです。

 あるものの名前を定義するということは,ある事柄の説明を示し,それによって示されるものを命名するというのと同じです。このとき,命名に制限は必要とはされません。いい換えれば,それによって定義されるものの名前は,何であっても構わないということになるのです。このゆえに,この種の定義Definitioは唯名論と関係します。唯名論というのは,ものの名前は何であっても構わないという考え方を含んでいるからです。
 たとえば,スピノザによる実体substantiaの定義である,第一部定義三も,このような名前の定義です。書簡九で示されている実体の定義も,第一部定義三も,同じように実体を~と解するintelligereという形態の定義になっていることが,これらふたつの定義が共に名前の定義であるということを証しています。したがって,実は『エチカ』において,それ自身のうちにありまたそれ自身によって考えられるものが,実体といわれなければならない理由は,実体がこのように定義されているということ以外にありません。いい換えれば,それが実体といわれなければならない理由は,スピノザがそれを実体と命名したということ以外にはないのです。そしてスピノザは,別にそれを実体と命名しなければならない必然的な理由を有していたわけではありません。別のいい方をすれば,実体以外の名称で命名してもよかったのです。たとえばスピノザがそれをXと命名したのなら,『エチカ』で実体と記述されているその他の部分もすべてXと記述されれば,『エチカ』の公理系には何の問題も生じなかったということになります。
 このような仕方で名前を定義することには,公理系において明確な意義があります。それは,たとえばそのように命名されたものについて,それが実在するとかしないとかいうことや,実在するならどのように実在するかといったことを,論証Demonstratioの過程の中で明らかにしていくことができるからです。というのは,あるものの名前だけを定義するなら,そうしたものが存在するかしないかは問われません。いい換えれば,定義されるものが実在的realiterであるか否かということは問われません。それが問われていないということが,実は名前の定義の意義なのです。
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女流王位戦&名前の定義

2020-06-19 19:18:02 | 将棋
 17日に指された第31期女流王位戦五番勝負第三局。
 里見香奈女流王位の先手で5筋位取り中飛車。加藤桃子女流三段は居飛車穴熊。先手が端を攻める展開になりました。
                                        
 後手が1一の玉を上がって角の直射を避けた局面。先手はここから☗4四銀☖同金☗同角と金銀を交換しました。後手は☖5四飛。この局面はすぐに☖5七桂成と攻め合うこともできたのですが,たとえば☗6二角成と逃げてくれればそこで☖5七桂成の方が,後手玉は安全という読みだったと思われます。
 先手はこの角取りを放置して☗1五歩と打ちました。これは驚きましたが,ここではいい判断だったようです。後手は当然☖4四飛で,一時的に後手の角得。先手が☗1四歩と取り込んだときに☖1六歩と受けました。ここから☗1三歩成☖同桂☗Ⅰ四香までは一本道。後手はここでは攻め合う手段がないので☖2四歩と催促しました。☗同桂成☖同銀は必然で先手は☗1五歩と打って香車を支えました。
 次に☗1六香と取られてはいけないので☖1七銀と打ちましたが,これは非常手段に思えます。☗同香☖同歩成☗同王。ここで☖2二銀上と受けたのですが,一旦は☖1六歩と打っておくのが優りました。というのは☗1三香成☖同銀のときに☗2七銀と上がられ,先手の玉が安全になってしまったからです。
                                        
 一時的に駒を大きく損しても,端を部分的に制圧してしまえば対等以上に指せるという先手の大局観が光った一局だったと思います。
 3連勝で里見王位が防衛第23期,26期,27期,28期,30期に続く連覇で通算6期目の女流王位です。

 スピノザによる実体substantiaの定義Definitioは第一部定義三にある通りです。したがって,実体をただひとつの属性attributumからなるものと解するintelligereという定義が,実体の定義として真verumであるとスピノザがいうかといえば,スピノザはそれを真であるとはいいません。むしろこれは実体について虚偽falsitasの命題であるというでしょう。スピノザがこのことを踏まえた上で,いい換えれば前提として,シモン・ド・フリースSimon Josten de Vriesや講読会のメンバーに宛てて,ここで実体の定義を実例として用いたのは間違いありません。しかしそこでスピノザが何をいいたかったのかといえば,この定義は真ではなく偽であるということではなく,このような類の定義は,真理veritasと関係していなくても構わないということなのです。このことは,スピノザが真理であるとは認め得ないようなこの定義について,それをよい定義であるともいっていることから明らかだといわなければなりません。ここのところは混同してはならないのです。
 スピノザは,もし実体がこのように定義されたのであれば,複数の属性によって本性essentiaを構成される実有ensについては,それを実体とはいってはならないといっています。いい換えれば実体とは異なった名称が与えられなければならないのです。しかしもしもこの条件が守られさえすれば,この定義はよい定義ですから,この条件を守った公理系のうちでは,これは実体についての真理であるということになります。要するにスピノザがいっているのは,単一の属性からなるものを実体と解するという実体の定義は,ある場合には真理にもなるし,またある場合には真理ではなくなるということなのです。この種の定義が真理と関係しなくてもよいとスピノザがいっているとき,それが具体的に意味しているのはこういうことだと解釈するべきでしょう。
 したがってこれは,あるものの名前を定義しているということになります。そしてあるものの名前を定義するときには,それが十分に理解できるものであるならよい定義であって,定義されるものと定義された内容とが一対一で対応し合う限り,それは真理なのです。このことはスピノザが定義のうちに唯名論的なものを認めているということと関係します。
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京成盃グランドマイラーズ&実体の定義

2020-06-18 19:26:19 | 地方競馬
 昨晩の第23回京成盃グランドマイラーズ
 大外枠でしたが抜群の加速力でサルサディオーネがハナへ。2番手はカジノフォンテン,キャプテンキング,リッカルドの3頭。5番手にウェイトアンドシーとグレンツェント。7番手にアンサンブルライフ。8番手にリンゾウチャネル。一時的にサルサディオーネのリードが広がる場面はありましたが,この8頭は一団。ここから3馬身の差が開き,コパノチャーリー,サダムリスペクト,センチュリオン,ベンテンコゾウという順で続きました。前半の800mは48秒9のミドルペース。
 サルサディオーネに積極的に並び掛けていったのはキャプテンキング。この2頭の併走の後ろはカジノフォンテンとリッカルドで,外からグレンツェントが追い上げる形で直線へ。この時点でこの5頭と6番手以下は少し離れてしまいました。サルサディオーネはキャプテンキングを振り切り,ここでキャプテンキングは脱落。内を回って少し外に出てきたカジノフォンテンがサルサディオーネに並んでいくと,この2頭が後ろを離して優勝争い。最後は外から前に出たカジノフォンテンが優勝。サルサディオーネがクビ差で2着。外から追ってきたグレンツェントは最後まで前の2頭に追いつくことができず,半馬身差で3着。
 優勝したカジノフォンテンは南関東重賞初勝利。昨年はクラシックの王道路線を走り,大崩れはなし。秋に復帰し条件戦を4連勝。2着馬との差が,2秒9,2秒6,2秒5,8馬身といずれも圧勝。川崎マイラーズは5着でしたが,すぐに巻き返しました。条件戦と南関東重賞ではレベルが違うため,前走は十分に力を発揮できなかったのが,そのレベルとの戦いを経験することで力を出せたということでしょう。本来は逃げた方がいい馬だと思われ,同様に逃げれば強いサルサディオーネを競り負かしたのは評価に値するでしょう。父は2008年にピーターパンステークスを勝ったカジノドライヴ。母は2002年にスパーキングレディーカップ,2003年にエンプレス杯,2005年に報知グランプリカップとTCKディスタフに勝ったジーナフォンテン
 騎乗した船橋の張田昂騎手はデビューから7年で南関東重賞初勝利。管理している船橋の山下貴之調教師は開業から4年7ヶ月で南関東重賞初勝利。

 スピノザが書簡九の中で実体substantiaについて言及している部分に関しては,よく注意して解釈することが必要だと僕は思っています。
                                        
 スピノザは第一部定理一〇備考の冒頭で,ある属性attributumと別の属性が実在的に区別されても,それらふたつの属性が異なった実体の本性essentiaを構成するとは限らないという主旨のことをいっています。また,第一部定理一二は,実体を属性によって分割可能であると考えてはならないという意味のことをいっています。これらのことが意味しているのは,複数の属性によって本性を構成される実体がある,少なくともあり得るということです。現に『エチカ』では,第一部定義六で無限に多くの属性からなる実体substantiam constantem infinitis attributisと定義されている神Deumが,第一部定理一一において存在すると言明されています。つまりスピノザは,実体が,唯一の属性によって本性を構成されるものであるというようには考えていません。
 このあたりの事情は,書簡九では説明されていません。これは,こうした事情については説明しなくても構わないということをスピノザは前提することができたからです。この書簡はシモン・ド・フリースSimon Josten de Vriesに,より正確にいうならフリースを代表とした講読会のメンバーに対して送られたのですが,かれらはそうした事情については分かっていたのです。なぜなら講読会というのは『エチカ』の草稿の講読会で,第一部定理一〇備考というのが存在したかは不明ですが,第一部定義六とか第一部定理一一および第一部定理一二は存在していたと考えるべきであって,講読会のメンバーはそれを読んでいたに違いないからです。
 ところが,実体をただひとつの属性からなるものであると解するという定義Definitioを,十分に理解できるがゆえによい定義であるとスピノザがいうときには,それはスピノザが実体をどのように考えているのかということとはおそらく関係がないのです。僕は『〈内在の哲学〉へ』の議論には,この点についてある種の混同が含まれている可能性があるように思えるのです。確かにスピノザは,この種の定義は真理veritasと無関係であっても構わないといっているのですが,それはスピノザが例示した定義が真理ではないということではないのです。
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おまえの家⑤&定義の命題

2020-06-17 19:09:15 | 歌・小説
 で磨かれていたギターを発見した歌い手は,何だかいたたまれない気持ちになります。もっともその気持ちは,歌い手が訪ねてきたときからおまえが感じていた気持ちと同じだったのかもしれません。

                                   

     あんまり ゆっくりも してはいられないんだ
     今度 また来るからと おまえの目を見ずに言うと
     そうか いつでも 来てくれよと
     そのとき おまえは 昔の顔だった


 歌い手はおそらく仕事の外回りの最中におまえの家を訪ねたのであり,だからゆっくりしてはいられない事情があるということは,嘘ではなかったかもしれません。ですが本心をいえば,もうここをすぐにでも立ち去りたくなっていたのでしょう。だから,また来るというのは明らかな社交辞令なのであって,歌い手はそれをおまえの顔を見て言うことはできなかったのです。
 おまえが昔の顔に戻ったのは,歌い手が去ることで,辛い気持ちから去ることができると思ったからでしょう。もしそうであるのなら,歌い手のことばが社交辞令であるということにも,気付いていた筈です。

     コートの襟を立てて あたしは仕事場へ向かう
     指先も 襟もとも 冷たい
     今夜は どんなに メイジャーの歌を弾いても
     しめっぽい音を ギターは出すだろう


 この部分で多くのことが分かります。
 まず歌い手が女であること。そして歌い手は仕事場へ戻る必要があったこと。コートを着ている,つまり冬の日であったことなどです。そして最後に,歌い手もギターを弾いていたことが分かります。でおまえはギターをやめたといっていましたが,歌い手はそれより早い段階で,ギターをやめていたのでしょう。この晩,歌い手が弾くギターも,おまえのギターのように,ピカピカに磨かれているのかもしれません。
     
 バディウAlain Badiouに関連する考察はここまでにして,次の探求に移ります。
 『〈内在の哲学〉へ』の8章の七節で,スピノザの定義Definitioの要件の意義が,『エチカ』との関連で具体的に説明されています。これはスピノザの定義論を正しく理解する上できわめて有益なので,ここでも詳しい説明を与えておきます。
 近藤がここで採り上げているのは,シモン・ド・フリースSimon Josten de Vriesに宛てた書簡九の,それ自身が吟味されるために立てられる定義です。この要件そのものについては,何度か説明していますからここでは繰り返しません。ただし近藤は,この要件についてスピノザが説明している事柄をさらに深く追求していますので,それはここでも説明していきます。
 スピノザがこの要件についていっていることは,もしこの要件に則って定義が立てられる場合には,十分に理解することができるのであればそれで十分であって,公理Axiomaや定理Propositioとは異なり,真理veritasとは関連しなくても構わないということです。つまり,公理とか定理というのは,その命題が真verumの命題でなければならないのですが,定義の命題に関しては,もしもそれを十分に理解することができるのであれば,真の命題でなくてもよいとスピノザはいっているのです。このことはバディウに関連した考察の中で,空を定義し得るのかということを考えたときのことと関連し得ますが,ここでは『エチカ』との関連で探求していきます。
 スピノザはこの種の定義を,実体substantiaを用いて説明しています。もし,各々の実体は唯一の属性attributumを有するのみであるという命題があったとしたら,この命題は定理の命題でなければならず,それを真であることを示すための証明Demonstratioが必要になります。しかし,実体を唯一の属性からなるものであると解するintelligereという命題を立てるのであれば,この命題は実体のことを十分に理解することができるがゆえに,よい定義であることをスピノザは認めるのです。ただしこの場合は,この定義が立てられた後に,複数の属性からなる実有ensについて論述しようとするのであれば,それを実体ということはできません。つまりこの条件さえ守られるのであれば,前述の定義は実体の定義としてよい定義であることになります。
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自由からの逃走&結論

2020-06-16 19:11:40 | 哲学
 個別の論文を別として,フロムErich Seligmann Frommが初めて世に問うた著作が,1941年の『自由からの逃走』です。
                                        
 人間は,隷属状態にあるときには自由を入手することを熱望するのですが,自由を手に入れてしまうとかえってそのことが重荷になり,それを明け渡してしまおうとする傾向があるということを,社会心理学の観点,すなわち個人の心理ではなく,集団的心理から解明しようとした著作です。哲学的な文献ではなく,社会心理学すなわち科学的な文献ですので,当ブログの性質からこれ以上の解説は控えます、
 この著作のフロムによる序文に,次のような主旨のことが書かれています。
 この本は,心理的要因と社会的要因の交互作用についての,広範な研究の一部です。研究自体は未完成であって,完成させるためにはなお多くの時間を要します。しかし現代の政治的発展,というのは1941年すなわち第二世界大戦の最中という意味ですが,その時代の政治的発展は,近代文化の最大の業績である,個性と人格の独自性にとって,とても危険なものになっているとフロムには感じられました。このためにフロムは,それを完成させるために大規模な研究を遂行することは中止し,自由の意味ということを集中して研究することになりました。それは,心理学者というのは,たとえ必要とされる完全性を犠牲にすることがあったとしても,現代の危機を理解するのに役立ち得る事柄については,即座に提供する必要があるとフロムが考えていたからです。
 ここから,フロムの人物像あるいは学者像が大きく浮かび上がってくると思います。フロムというのはきわめて倫理的でありまた道徳的な学者であったということと,現代の事情に敏感な学者であったということです。そのためには研究の完全性を犠牲にすることも止むを得ないといっているのですから,ある意味では学者らしからぬ学者だったといってもいいくらいでしょう。フロムが自身の研究を哲学によっても基礎づけようとしたことは,こうしたフロムの学者としての姿勢とも関連しているのだと思います。

 僕の見解opinioでは,少なくとも円や球に関しては,実在的なものが学知scientiaの対象となるとスピノザは考えているということになっていますから,非実在的なものが数学の対象となっているときに,その数学をスピノザは学知ではないという可能性は排除できません。ですから,公理論的集合論やカントールGeorg Ferdinand Ludwig Philipp Cantorの数学を,学知であると認めるという結論を出すことはできません。ただしそれは,学知として認めないという結論を出しているわけではなく,このことについては分からないという意味です。いい換えれば,スピノザは公理論的集合論やカントールの数学というのを,学知として認めるか認めないかは分からないというのが,ここでの考察の結論になります。
 『主体の論理・概念の倫理』の探求のときには,僕はスピノザが集合論を学知として認めないであろうという主旨のことをいいました。今回はそれとは異なった結論を出したので不思議に思われるかもしれませんが,当時は僕は,バディウAlain Badiouが数学は存在論であるというテーゼを立てているということを知らなかったために,本来なら分離するべきだった存在論と数学とを混在させて考えていたのです。たとえば三者鼎談の中で上野は,集合論は内包と外延とがセットになっているのに対して,スピノザは内包なき存在論をやろうとしていたといっているとき,それを僕は集合論という数学の文脈において理解したのですが,実際には上野自身がスピノザの存在論について言及しているように,これは存在論の文脈で解さなければならなかったのです。スピノザは数学が存在論であることを否定するでしょうし,存在論的な文脈でいうなら,カントールの数学については,カントールがそれを存在論と解しているか不明ですから何ともいえませんが,バディウの公理論的集合論については学知と認めないでしょう。ですが数学としてみた場合は,それを学知として認める可能性は排除することができないのであって,この意味において,バディウとスピノザとの対立を正しく理解するためには,数学と存在論を分離するか否かということが,何より重要だったのです。『〈内在の哲学〉へ』はこの点について,とても参考になりました。
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