スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ハーツクライ&養護学校のバザー

2013-11-30 20:24:52 | 名馬
 先月の天皇賞(秋)ジャスタウェイが圧勝しました。この馬の父,ハーツクライにとっては,これが産駒の初の大レース優勝でした。
 母は1995年に新潟大賞典と新潟記念を勝ったアイリッシュダンス。姪には昨年のフラワーカップを勝ったオメガハートランドがいます。そしてはとこには2002年のJRA賞最優秀4歳以上牝馬のダイヤモンドビコー
 競走馬としてのデビューは2004年の1月で新馬戦を優勝。いきなりきさらぎ賞にチャレンジしてこれは3着。次の若葉ステークスで2勝目をあげ,権利を得たので皐月賞に。しかしここはダイワメジャーの14着と大敗を喫しました。5月に京都新聞杯でスズカマンボを2着に降して優勝。賞金を加算して出走したダービーは,展開の利もありましたがよく追い込んでキングカメハメハの2着と健闘しました。
 秋は神戸新聞杯で復帰。キングカメハメハの3着となり,相手関係からも押し出される形で菊花賞は1番人気に。しかし距離が長かったためでしょう,7着でした。ジャパンカップ,有馬記念にも出走しましたが,共にゼンノロブロイから1秒以上離されての大敗。結果的にいえばまだ本格化する前で,素質だけで走っていた時代であったのだろうと思います。
 翌春は大阪杯2着をステップに天皇賞に出走もスズカマンボの5着。次の宝塚記念の2着でこのシーズンのキャンペーンは終了。
 秋は天皇賞からでこれは6着。しかしジャパンカップで2着になると,有馬記念ではそれまでとは一転した先行策に出てディープインパクトに初黒星をつけ,ついに大レース制覇を達成しました。JRA賞でも最優秀4歳以上牡馬に。
 翌年の緒戦となったのがドバイシーマクラシック。今度は逃げるという思い切ったレースをして圧勝。ワールドクラスの力があることが証明されました。イギリスにわたってキングジョージにチャレンジすると,直線では一旦は先頭という大きな見せ場を作ったものの差し返される形で3着。ジャパンカップでディープインパクトの10着と,人気を裏切ると,喉鳴りの症状が出たこともありそれで引退。種牡馬となりました。
 ディープインパクトと同時デビューになってしまっため,種牡馬としてはやや不運であったと思います。これまでに重賞を勝った産駒はジャスタウェイを含めて9頭。すべて芝での結果で,明らかに芝向きという産駒成績。ローレル賞を勝ったクライリングがダートでどれだけやれるかは,今後のこの馬の種牡馬生活にとっても,注目の的であると思います。

 翌日はまたピアノのレッスンが組まれていました。10月の最初に予定されていたレッスンが休止になったのは止むを得ない事情によるものでした。現状は月に2回のレッスンになっていますので,今月は1度だけで仕方がないと思っていたのですが,先生の方で都合をつけ,この26日にも行うということになったもの。月謝は定額で支払っていますから,先生の方でも,月に2回は確保したいという思いがあるのかもしれません。土曜日だったのですが,僕は長者町に出ていまして,帰宅したのは午後5時半過ぎ。ただこの日のレッスンは午後4時半に開始でしたので,僕が戻ったときにもまだ先生はいらっしゃって,妹とおやつを食べていました。
 27日はガイドヘルパーにカラオケに連れていってもらいました。なお,僕はこのカラオケに関しては本牧でと書いてきましたが,実はこのブログでいっているところの本牧とは異なり,根岸駅方面から向うと小港,山手警察署よりも先の,本牧町にあるカラオケボックスだったようです。そちらの方を本牧と認識する人も当然ながら多くいるわけで,妹を担当しているガイドヘルパーはそうした認識であったということでしょう。
 翌週の土曜日は今月に入って11月2日。この日は妹が卒業した養護学校でバザー。これまではこの養護学校のバザーというのは勤労感謝の日に開催されていたのですが,今年から変更になりました。というか,後に説明するでしょうが,今年の勤労感謝の日には別のバザーが実施されまして,その関係から養護学校でのバザーが前倒しされたという形になりました。これが来年以降も継続となるのか,あるいは今年に限定されてのことなのかは不明です。というのも今年の勤労感謝の日というのは土曜日で,それが今月の土曜出勤という形式になっていたからです。こうした形式は勤労感謝の日が土曜日と重なる場合にのみ適用することが可能ですから,そうであるならこれは今年限りです。ただ,祝日に出勤して,それを土曜出勤の代替とするということは,制度上のことは僕には分からないですけれども,運用としては明らかに可能ですから,来年以降の継続も可能であるともいえるのです。
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竜王戦&母の健診

2013-11-29 19:41:51 | 将棋
 富山県黒部市の宇奈月温泉で指された第26期竜王戦七番勝負第五局。
 森内俊之名人の先手で相矢倉。第四局のように先手にとって率が悪いと思えるような戦いに。ただし後手から変化しました。これは深く攻め込むことが可能になる手順を選択したためで,渡辺明竜王の棋風にはむしろ適していたように思います。1日目から駒を取り合い,終盤といっていい局面に。
                        
 これが封じ手の局面。かなり攻められていますが,後手も手段が豊富というわけではなく,先手もやれるのではないかとみていました。金の逃げ場所はふたつで,封じ手は▲6八金。より強い逃げ場所ですから,森内名人にもそれなりの成算があったのだろうと推測します。
 後手としてもこうされれば△同馬▲同飛は避けられません。△7八金から飛車を取っても切れそうですから△5八金も当然でしょう。先手は飛車を逃げるのではなく▲4六馬と活用しました。これですと△6八金と取るほかなく▲同馬。銀を助ける手が必要で,△4八飛と打ちました。これで▲7九金△5八銀成▲7八馬まではおそらく必然の進行。後手も攻めを継続するほかなく,次の△6九金もこれ以外にないかもしれません。以下▲同金△同成銀は必然。
 そこで先手は▲5七角と打ちました。ものすごくひねれば△5八飛成ですが△1八飛成とするのはごく当然。先手は▲4八歩で遮断。今度は成銀を助ける必要があるので△2九龍が自然なのですが,△2七龍と角に当てました。これには▲2四角△同金▲6九馬。わざわざ被害を大きくしたような指し方ですが,角を入手して攻めを狙うという意図だったのでしょう。ただこういう指し方をしなければならないのでは,後手の方が苦しかったのだといえるのではないでしょうか。
                        
 手順中,△4八飛と打ったのは,▲4六桂と打たれるのを防ぐ意味が含まれていたと思います。ただ,その後で角を切られたときに△同歩でなく△同金と取らざるを得なかったのは,歩で取ると成銀を取らずに▲4六桂と打つ手を心配する必要があったからだと思われます。飛車を4八に打ったために角を打たれて遮断されましたので,飛車の打ち場所は後手にとって問題であったかもしれません。
 第2図は勝利に結びつくほどではないでしょうが,先手がはっきりとしたリードを奪っているといえます。長時間の対局での森内名人はこうしたリードを守っていく術に大きな力を発揮するという印象ですが,本局もうまく指し回し,勝利に結びつけました。
 4勝1敗で森内名人が竜王奪取。第16期以来10年ぶり,2期目の竜王獲得。タイトルは通算で12期目。棋士の呼称の通り,今後は森内竜王・名人と表記します。

 伯母が伊豆への旅行に向った10月20日は日曜日。ピアノのレッスンがありました。前回これが予定されていた日は,当日の止むを得ない理由によって中止となってしまいましたから,10月はこれが最初のレッスン。したがってここ最近ではかなり間が開いてのレッスンとなりました。午後4時からで,予定通りに行われました。
 翌21日の月曜日に母が磯子中央病院に。これは健康診断で午前9時半から。月曜は作業所の方が妹を家まで迎えに来ますが,ここのところは9時半でもまだ迎えには来ていないという状況でしたから,それまでに病院に到着していなければならないとなれば,間に合わないということが確実でした。なので僕が待機して妹を送り出しています。僕はその後で本牧へ。そして午後からは西横浜まで出ています。なお,帰ってから母に聞いたところによると,健診の内容は,採血と問診と血圧の測定だけであったとのこと。最も心配されるのは一昨年の健診で発見された肺の影のその後なのですが,これはレントゲン撮影が必須ですから,今年もまた不明で終ったということになりました。
 検査の結果はその場では入手せず,郵送してもらう手筈を整えていましたが,25日の金曜日には早くも到着しました。検査したものに関しては,とくに問題はないというものでした。結果を見せてもらいましたが,どうもその内容の多くは,糖尿病との関連項目が多くなっているようでした。
 そしてこの25日に,母はI歯科で,また知覚過敏の治療を行いました。予約は午前11時から。金曜日は妹を送って行きますので,その帰りに寄ることになり,10時半か11時というのが最も適当な時間。10時半ですと場合によっては妹を急がせることになり,11時ですと逆に早くに到着してしまうというケースが生じることになります。ただ,I歯科は席さえ空いていれば,多少は早い時間でも治療してもらえますので,11時の方がよりよい時間設定であるとはいえます。
 前回は上の歯を治療しましたので,この日は下の歯でした。上下の治療をしましたが,まだ治療は継続することになっています。僕はこの日は本牧でしたが,午前中だけでした。
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農林水産大臣賞典兵庫ジュニアグランプリ&懐石料理

2013-11-28 19:16:45 | 地方競馬
 全日本2歳優駿へのステップレースとなる第15回兵庫ジュニアグランプリ
 フラッシュモブは外に逃げるような発走。前に行く構えを見せたのは4頭。枠の並び通りの位置取りとなり,逃げたのはシゲルカガ。2番手がリーダーズボード。3番手にスザク。4番手にニシケンモノノフ。これらとその後ろは少し差が開きました。ミドルペースに近いくらいのハイペースであったと思われます。
 前の4頭のうち最初に脱落したのはスザク。シゲルカガが先頭で直線に入り,リーダーズボードがその外に。さらに外にニシケンモノノフとなり,抜け出したのはニシケンモノノフ。後方から向正面で進出を開始したマキャヴィティがさらに外から迫ったものの届かず,半馬身差でニシケンモノノフが優勝。マキャヴィティが2着。1馬身半差の3着がリーダーズボード。
 優勝したニシケンモノノフは北海道でデビュー。9月に北海道重賞を勝ったのを手土産にJRAに移籍。移籍初戦の条件戦を快勝していて,現状のスピード能力と完成度から,最有力候補と考えていました。まずはそれを生かしての初重賞制覇。距離延長にも対応は可能でしょうが,それがプラスに作用する馬であるとは思いません。父は2005年のフェブラリーステークスを勝ったメイショウボーラー。曾祖母の弟に1985年の大阪杯を勝ったステートジャガー
 騎乗した福永祐一騎手は第8回第12回を制していて3年ぶりとなる兵庫ジュニアグランプリ3勝目。管理している領家政蔵調教師には兵庫ジュニアグランプリ初勝利。

 僕は叔父とは真逆で,食へのこだわりというものをまったくといっていいほど持ち合わせていません。糖尿病患者の多くにとって,食餌療法は苦痛なのではないかと思われますが,僕にとってはむしろ楽なものであるのは,僕にはそうしたこだわりが皆無で,食べることができるならば何でもよいといったところがあるからだと思います。熱量だけを制限すれば十分であるのなら,僕にとってはそれは苦になりようがないのです。量に関して不満をもつこと,要するに食べ足りないと感じることがないわけではありませんが,そういう場合には無制限に摂取してもよいとされる海藻やきのこ,蒟蒻といったもので腹を満たせばよいわけで,それで僕は少しの不満も感じずにいることができます。
 この日の精進落としとなった懐石料理というのは,一般的には小皿に盛られた小料理が一品出され,それを食べ終えるとまた次の皿が出されるという具合に続いていくのが相場です。実際にこの日もそうでした。僕からすればこういう方式で料理を出されるのが最も困るわけです。最初から出される料理のすべてが判明していれば,どれをどれだけ食べればよいのかが分かりますが,この方式は次に何が出されるのかが不明ですし,それがどこで終了するのかも不明だからです。したがってこうした懐石というのは,どんなに美味であったとしても,現在の僕にとっては最もありがたくない料理のひとつであるといえるでしょう。
 精進落としでこの日の予定はそのすべてが終了。従妹を自宅マンションの近くまで送ってから帰宅。僕はその後で本牧へ出なければならず,すべてを終えて帰宅したのは午後6時半前になりました。
 翌20日から,伯母が日本の友人と伊豆へ旅行に出発しました。伯母はその後は,連れ立って来日したロサンゼルス在住の友人が宿泊するホテルに向って合流。残りの滞在はその友人と過ごし,23日に帰国するという手筈を整えていました。したがって今回の伯母の来日では,この日の朝が僕たちとは最後の顔合わせとなりました。なお,23日に帰国といいましたが,これは羽田発の飛行機で,離陸は深夜の12時,つまり厳密にいえば24日の0時でした。
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勝島王冠&食へのこだわり

2013-11-27 20:38:19 | 地方競馬
 開催を通じてのナイターはこれで今年の最後となる大井競馬のメーンは第5回勝島王冠
 先手を奪ったのは軽量のネコイッチョクセン。トーセンピングスが2番手で追いました。その後ろは内がソルテで外がガンマーバースト。さらに内からスターシップ,カリバーン,シーズザゴールドの3頭が併走。フォーティファイド,パワーストラグルまでが集団。少し間が開いてベルモントガリバーが単独の追走に。最初の800mは49秒3のミドルペース。
 3コーナーを回ってガンマーバーストが外から追い上げ,捲るような形で4コーナーでは先頭に。そのまま先頭を譲らず,2馬身半の差をつけて快勝。大外を追い込んだベルモントガリバーが2着。ここが転入初戦のカリバーンがじりじりと伸び,2馬身差で3着。
 優勝したガンマーバーストは前走の埼玉新聞栄冠賞に続いて南関東重賞2勝目。このレースは半数以上の馬に勝つチャンスがありそうに思えるような大混戦のメンバーでしたが,その中で最有力候補であろうと考えていました。着差ほど抜けた力があるとは思えないのですが,ここ一連の安定感からして,このようなメンバー構成でのレースでは,今後も活躍することは必至ではないでしょうか。父はスペシャルウィーク
 騎乗した船橋の森泰斗騎手は埼玉新聞栄冠賞以来の南関東重賞制覇。勝島王冠は初勝利。着々と一流騎手への道を歩んでいるという印象です。管理している船橋の出川克己調教師も勝島王冠は初勝利。

 墓参が終れば今度は精進落としです。これが予め組まれていましたから,叔父にとっては予定外の行動を住職から告げられたとき,少なくとも瞬間的には冷や汗をかくような状況であったのではなかったかと思います。レンタカーに住職を同乗させれば,また寺まで送る必要が生じますから,予約した時間に店に到着することはほぼ不可能です。それどころか大和市と平塚市の往復にかかる時間を考慮したならば,大幅に遅れてしまうことは必至であったでしょう。一方,住職が墓まで来るということは,その後の精進落としにも参加するという可能性があります。これは住職を同乗させた場合でも同様ですが,自分で運転してきたこの日の場合にも同様です。しかし事前に人数も合わせて予約しているのですから,住職がそれにも来るとなると,間違いなく足りなくなるでしょう。ただ,住職はそちらには来ないで,そのまま帰るということでしたから,精進落としに関しては,何らかの手立てを講じるという必要は結果的にはありませんでした。
 叔父は食にはこだわりがある人で,こうした場合に精進落としをする店舗というのを,法事ごとに変えています。叔父によれば,この食へのこだわりというのは,祖父からの影響なのだそうです。もっとも,祖父が死んだのはすでに説明したように僕が小学校の五年生の頃でしたから,僕は祖父が食に対してどの程度のこだわりを有していたのかということはいっかな分かりません。
 墓が大和市内ですし,従妹が住んでいるのも大和市内ですから,必然的に店舗は大和市内ということになります。そもそも時刻のことを考えれば,そう遠くまで出向くというわけにもいきません。ただ,叔父は長く大和市内に住んでいたのですから,店舗に関する知識も深く,法事のたびに店を変更するということ自体は,それほど困難なことではないようです。これも僕には詳しいことは不明なのですが,自分で食へのこだわりを明言するような人なのですから,訪れたことがある店というのも,数多いのではないかと思います。
 この日に選ばれたのは,和食の懐石を出す,料亭というか小料理屋のようなところでした。もちろん僕は初めての店です。
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大山名人杯倉敷藤花戦&墓参

2013-11-26 18:56:26 | 将棋
 24日に倉敷市芸文館で指された第21期倉敷藤花戦三番勝負第三局。
 振駒で里見香奈倉敷藤花の先手。甲斐智美女流王位はごきげん中飛車。先手が超速銀からもう1枚の銀も繰り出して抑え込みにいきましたが,その銀が追い返されることになり,明らかに作戦失敗となりました。
                         
 最近の里見倉敷藤花は,以前ほどには戦ったり斬り合ったりすることを好まなくなっているような印象がありましたが,ここに至っては仕方がなかったのでしょう,▲2四歩といきました。ここからは互いに無視し合って一直線の攻め合いに。△5五角▲2三歩成△4六歩▲3二と△4七歩成▲2一飛成△5八と▲同金△4九飛成であれよあれよという間に第2図に。
                         
 先手での飛車成りの上,玉型は後手の方がやや堅く,角の働きでも後手が優っていますから,駒の損得はなくてもこの捌き合いではさすがに後手に分があります。この後はきれいに後手の寄せが決まり,快勝に終りました。やけに淡白に負けになる順を選んでしまったという気もしますが,実際の問題点は第1図以前の先手の指し方にあったのは歴然としているといえるでしょう。
 甲斐女流王位が2勝1敗で倉敷藤花を奪取。今期の女流王位獲得に続いて二冠に。倉敷藤花は初挑戦での戴冠となりました。

 寺を出たのは僕たちの方が先でした。ただ,僕たちはそのまま直に墓に向うということはできませんでした。これは住職の僕たちにとって,そしてとくに叔父にとっては予定外の行動の影響でした。わざわざ住職に墓まで来てもらうということになれば,そのまま帰すというわけにもいきません。何らかのお礼が必要となります。こういう場合には車代という名目でお礼を出すのが最も常識的であろうと思います。ただ,現金を生で手渡すわけにはいきませんから,包むための袋も必要です。この住職の行動が予定外であったため,叔父は事前に袋も現金も用意していませんでした。それでも現金だけであるなら何とかなったのですが,袋が手元にありませんでした。だから途中でコンビニエンスストアに寄り,その袋を買う必要が生じたのです。
 僕たちが墓に到着したとき,後から出た住職はすでに着いていて,自分の自動車内で待機していました。僕たちが途中で寄り道していた影響もあったでしょうし,住職の話ですと,住職は僕たちとは違った道を通ってきたようで,この日の交通事情がそちらの方が良かったということもあったでしょう。いずれにしても寺の周辺の道のことなら,僕たちよりも住職の方がよく心得ていて不思議ではありませんから,こういう結果となったのはとくに驚くようなことではありませんでした。ただそのおかげで,すぐに墓参りをすることができましたから,幸運であったというべきでしょう。
 すでに説明したように,父のお寺からこちらの祖母に彼岸の塔婆が出ていましたから,この日にそれを立てました。そのときにこの塔婆は一旦は家で管理するけれども,すでに祖母の墓に立てる目途が立っていたという主旨の記述をしましたが,それはその時点ではこの法事の日程もすでに決定していたからでした。もちろん立てたのはその塔婆だけではありません。この日はこの日で祖母と祖父の塔婆を立てたわけですから,それらも一緒でした。違ったお寺の塔婆を立てることに対して住職がどのような反応をするのか,少しばかり気になったのですが,何食わぬ顔で一緒に立てました。南無妙法蓮華経の塔婆があると,後で気付いた住職が不思議そうにしていました。
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霧島酒造杯女流王将戦&予定外

2013-11-25 18:58:41 | 将棋
 10月15日に対局があった第35期女流王将戦三番勝負第二局は,23日に放映がありました。
 里見香奈女流王将が先手で7筋の位を確保した上で向飛車から手損をして四間飛車。香川愛生女流二段は居飛車を選択し,二枚銀から5筋位取りという,対抗形としては力戦形になりました。少し戦った後でまた陣形を整えたのですが,それに対する先手の揺さぶりで,後手の角が使いにくくなりました。その分だけ中盤では先手が指しやすくなっていたように思えます。
                         
 先手が歩を垂らした局面。ここで△8五桂は勝負手だったかもしれませんが,余計にまずくしてしまったように感じられます。先手は取らずに▲6六銀。△同銀▲同飛は仕方がなさそう。そこで今度は△7七桂成といきました。これは無視して歩が成ってしまう手もあったでしょうが先手は▲同歩△同歩成▲同桂と丁寧に応接。△7五銀と打ち▲6九飛に△6六歩で飛車の侵入こそ防げましたが▲8五桂が気分のよい跳躍。△8六銀に▲7三桂成と進んでは,先手が優勢を確実なものにしました。
                         
 先手はこの後,ゆっくりとしかし確実にという攻め方をしたので,一手違いまではいきましたが,これは先手快勝の部類だと思います。後手の中盤の構想の拙さが祟ってしまった将棋であったというのが,全体を通しての印象でした。
 里見女流王将が勝ったのでタイに。第三局の放映は今週の土曜日です。

 法要が終ったので次は墓参りです。祖父と祖母の骨が納められている墓は大和市内ですから,そちらに移動するということになるのですが,ちょっと意外なことが起こりました。それは住職も墓に行くということでした。昨年の12月に祖母の一周忌の法要を営んだときには,住職は寺で読経しただけで,墓までは来ませんでした。ですからこの日も同じようになるのだろうと僕は思っていたのです。なのでこれが僕にはとても意外に思えたのです。今回は祖父の三三回忌の法要も兼ねていたから住職が墓まで来ることになったのかもしれませんし,あるいは昨年は一周忌の法要の後にも住職には用事があったために来られなかったということだったのかもしれません。いずれにしてもどうして来るのかとはまさか尋ねるわけにもいきませんから,このようになったはっきりとした理由というのは不明です。
 もっとも,意外に思ったのは僕だけでなく,それは母も伯母も従妹も同様でした。そして住職のこの行動は,喪主である叔父にとっても予定外であったようです。それでも来るというものを拒むわけにはいきませんから,来てもらうということにはなりました。ただし,住職は僕たちとは別に,自家用車を運転して墓に向かうとのこと。納骨のときには墓まで来ていますし,何しろ三三回忌を迎えた祖父の時代から付き合いがある住職,といっても現在の住職は二代目ではあるのですが,それでもその当時から付き合いがあったことは事実で,墓にも何度かは来ています。ですからこちらの方でとくに道案内をするような必要はありませんでした。
 この日に借りていたレンタカーは,大型ワゴンでした。ですから住職が同乗するだけの余裕はあったのです。ただ,同乗して墓まで来るならば,今度はまた寺まで送ってこなければならないことになります。住職にとって墓まで行くということが予定の行動であったのかどうかは分かりませんが,叔父が来ないものと思っていたのですから,おそらくはこの日になって急に告げられたものなのでしょう。住職が自分で運転することになったのは,おそらく住職からのこちらへの配慮であったのではないかと思います。
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ジャパンカップ&祖母の三回忌

2013-11-24 19:00:09 | 中央競馬
 フランスから1頭,イギリスから1頭,アイルランドから1頭が招待された第33回ジャパンカップ
 何が逃げるのかは分かりませんでしたが,それにしてもエイシンフラッシュの逃げというのは少しも予想していませんでした。2番手はトーセンジョーダン。ヴィルシーナと掛かっているようにも見えたジェンティルドンナ,そしてルルーシュの3頭がその後ろに。最初の1000mは62秒4で,逃げたくての逃げでもなかったでしょうから当然のように超スローペース。
 直線に入るとエイシンフラッシュは少し内を開けました。そこに突っ込んでいったのがジェンティルドンナ。エイシンフラッシュは慣れないレースをしたせいもあったでしょうが失速し,外からジェンティルドンナに追いすがったのがトーセンジョーダン。ジェンティルドンナが振り切ったところへ大外を急襲したのが後方で折合いに専念し,直線勝負に徹したデニムアンドルビー。馬体が離れてのゴールは写真判定となり,ハナ差で残したジェンティルドンナの優勝。このペースなので斤量差がかなり有利に働いたのでしょうが,デニムアンドルビーは健闘といえるであろう2着。力尽きたトーセンジョーダンはクビ差で3着。
 優勝したジェンティルドンナは昨年のジャパンカップ以来の勝利。連覇で,史上初のジャパンカップ2勝馬に。大レースは5勝目。今年の3戦は勝ててはいませんでしたが,強敵相手に差のないレース。相手関係は楽になっていて,最も得意と思われるコースでしたから,最有力だと考えていました。迫られましたが,楽とはいえないようなレース内容で凌ぎきったのは,この馬の能力の高さの証明であったと思います。父は第26回の覇者であるディープインパクト。全姉に昨年の京都牝馬ステークスと関屋記念を勝っている現役のドナウブルー。Gentildonnaはイタリア語で淑女。
 騎乗したイギリスのライアン・ムーア騎手は一昨年のエリザベス女王杯以来の日本での大レース制覇。日本馬に騎乗しての大レース初勝利。ジャパンカップも初勝利。管理している石坂正調教師は昨年のジャパンカップ以来の大レース制覇。ジャパンカップは連覇で2勝目。

 翌10月19日は法事。今回の伯母の来日の主目的は,この法事に参加するためでした。
 今年は祖母の三回忌にあたっていました。ですからその法事であったのです。ただ,祖母の死は一昨年の暮れのことですから,この時期に三回忌の法要を営むには早すぎます。ではなぜこうなったのかといえば,同時に祖父,これは母の父,要するに伯母や叔父にとっても父になりますが,その三三回忌の年にも該当していたからでした。祖父が死んだのは僕が小学校の5年生のときであったと記憶していますが,10月だったのです。自然の成り行きとすれば,死んだのが近くになる祖母の三回忌に合わせて日程を組み,それと同時に祖父の三三回忌の法要も営むということになるように僕には思えました。ただ,こうした法事に関してはそのすべてを叔父が取り仕切っていまして,叔父の判断として,祖父の三三回忌に合わせ,同時に少しばかり早いですが祖母の三回忌の法要も営むということに決定されたのです。まあ時期だけでいえば,12月の方が寒くなりますから,その点でいえばありがたく思えるような決定ではありました。
 法要は平塚市内の寺で午前10時半から。レンタカーを借りまして,僕と母,妹,伯母,叔父の5人でまずは大和市内へ。これはやはりこの法要に参加する,叔父の一人娘,僕の従妹を乗せるためです。そこからこちらの寺に向うとなると,国道246号線を使うことになるのですが,その道中で富士山が顔を見せました。山頂付近は雪のために白くなっていたのですが,後で知ったニュースによると,この日が今年の富士山の初冠雪であったそうです。
 実は大和市内で246号線に入るためにやや手間取ってしまい,時間のロスはあったのですが,開始予定時刻よりも前に寺に到着することができました。概ねいつも通りの時間,30分ほどですが,それでふたつの法要は終了。ただ,前月にK伯母の三回忌などを行っている南区内のお寺は,本堂は椅子になっているのですが,こちらはそうではなくて畳敷きの上で座布団に座るという形になりますから,時間は短くても,こちらの方が楽ではないという一面もあります。
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大山名人杯倉敷藤花戦&旅行

2013-11-23 20:19:35 | 将棋
 例年通りに倉敷市芸文館で指された第21期倉敷藤花戦三番勝負第二局。
 里見香奈倉敷藤花が先手で居飛車を明示すると,甲斐智美女流王位も居飛車を選択して横歩取りに誘導。しかし先手はそれを避けて浮き飛車に。後手は引き飛車で,飛車先交換相腰掛銀の定跡形に合流。先手が仕掛けて後手の反撃を誘い,受けに回るという展開にしたのですが,明らかに選択ミスでした。
                         
 先手から角を交換して6筋を突いた局面。後手は△7七歩から猛攻に出ました。▲同金△8五桂▲8六金にガツンと△7七角。▲同桂△同飛成▲6九王に△7八歩と叩き,▲同銀とさせて△8八龍。▲8五金と桂馬は取られましたが△9九龍と王手で香車を取り返しました。
                         
 いくら駒得でもこれでは先手が駄目でしょう。この後,後手はすべて攻めの手,対して先手は攻める手を一手も指すことなく,後手の快勝になりました。これは先手にとって不出来な将棋であったというほかありません。
 甲斐女流王位が勝ってタイに。第三局は明日です。

 翌日,10月13日の日曜日は母と妹が美容院に。この日は通常通りの帰宅になりました。
 さらに翌日の14日から,母と妹,そして伯母の3人で,三浦に2泊3日の旅行に出掛けました。これは伯母の来日が決まった当初から予定はされていたもの。僕も誘われたのですが,その時点ではまだはっきりとした日時が未定であったため,予定を組むことができず,同行は断念しました。平日でしたが14日は体育の日で休日。結果的にいうと僕はその14日こそ休みでしたが,15日は本牧,16日は川崎ということになりましたので,どちらにしても行くことは不可能だったことになります。妹は15日と16日は,作業所は休んだということになりました。
 ところが,この期間中に関東地方に台風が襲来しました。このために15日はほぼ1日中の降雨となり,風も強まっていたため,ほとんど宿泊先で過ごさざるを得なかったようです。そしてこの影響で,土砂崩れが発生し,京浜急行が運転をストップしました。三浦は京浜急行を利用しなければ帰れません。16日は宿泊先の好意でチェックアウトの時間を遅らせてもらったところ,昼過ぎには運転を再開したとのことで,無事に帰ることができました。僕もこの日は日中に京浜急行を利用しました。土砂崩れは横須賀市内で発生したようで,横浜や川崎では電車自体は走行していたので,僕には影響はなかったのですが,ダイヤは特別編成になっていまして,各駅停車と,普段であれば日中には走ることがない特急が交互に走っていました。電車内でも街中でも,この日は明らかに制服姿の高校生や中学生の姿が極端に少なかったです。おそらく休校になったところが多かったためでしょう。僕が帰宅したのは午後5時過ぎで,その時間には3人はすでに帰宅していました。
 18日の金曜日に母が作業所へ妹を送った帰りにI歯科に。この日から知覚過敏の治療が本格的に開始されたわけです。この日は上の歯を3ヶ所にわたって治療。麻酔をして薬品を塗布。また1ヶ所は削れてしまっていた部分が深くなっていたため,埋めたということでした。僕はこの日は長者町で,4時過ぎには早くも帰ってきました。
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竜王戦&伯母の来日

2013-11-22 19:34:53 | 将棋
 香川県宇多津町で指された第26期竜王戦七番勝負第四局。
 渡辺明竜王の先手で相矢倉。森内俊之名人は玉を入城する前に9筋を詰める工夫。先手がこの戦型としてはやや率が悪いとみられている指し方を選択。厳密にいうと封じ手前後の後手の対応が秀逸で,若干のリードを奪っていたとみるべきのようですが,先手の攻めを誤らずに振りほどくのも簡単なことではなく,それが続くのかどうかが勝負の分かれ目となりました。
                         
 歩を叩かれたので4三にいた金で取った局面。▲3五歩は継続手で取るか逃げるかの選択は△4四金でした。これには▲同角の一手で△同飛も必然。そこで▲3四金と飛車取りに食いつきました。飛車は逃げずに△5三金というのは僕には考えられないような手ですが,この局面では最善手だったのでしょう。▲4四金と飛車を取って△同金は必然。そこで▲6一飛と打ち込みました。対して△5二角というのが強い受けで▲1一飛成を強要しそこで手抜いて△6六歩と反撃。
                         
 この局面では先手玉は安全なのですが,△6七歩成とされると駒を渡すことができなくなるため,見た目以上にこの歩は厳しい手だったようです。この後も先手は攻め込みましたが届かなかったので,どうやら第2図で,後手が勝ちに結び付けられるだけのリードを奪っていたということだと思います。深い読みに裏打ちされたものですが,後手の見切りに感服する一局でした。
 森内名人が勝って3勝目。第五局は来週の木曜と金曜です。

 母の会食があった10月8日は僕は日吉に行っていました。帰ったのは午後5時半前でしたから,当然ながら母はもう戻っていました。というかこの時間ですと妹がすでに作業所から帰宅していますから,母が戻っていなければ大変なことになります。
 この週の金曜日,11日にロサンゼルスの伯母が来日しました。このときの来日はやはりロサンゼルスに住んでいる友人と連れ立ってのもの。いつもですと成田に午後7時ごろに到着する航空機を利用していますが,おそらくその関係で今回は異なる飛行機に搭乗していました。これは成田ではなく羽田に着くもので,到着時刻も午前5時半と早朝。連れ立っての来日でしたが,日本では常に行動を共にするというわけではなく,そのまま羽田で別れて伯母はこちらに来ました。といっても日本での生活の拠点はいつものようにアパートになりますから,少し顔を出しただけで,そちらに向いました。夜は妹を連れて外食に行きました。正確にいうならば,伯母が妹を作業所まで迎えに行き,そのまま夕食を済ませて帰ってきたということになります。伯母の来日中,このように妹とふたりで夕食を外で食べるというケースが1度は必ずあるのですが,今回の来日の場合には,それが来日初日になったということです。何も初日からそんなことをすることもないようには思いましたが,この後の伯母のスケジュールと,妹の予定とを勘案しますと,どうもこのタイミングしかなかったようです。
 翌10月12日は妹の土曜出勤。10月の土曜出勤というのは大抵の場合は運動会です。場所も決まっていまして,かつて妹がガイドヘルパーを利用したときに使った,コミュニティセンターとしても使用される中学校。ただしここの校庭を利用すのではなく体育館です。土曜出勤の場合,事前に日程が決まっていますから,その日に運動会を開催するとなりますと,延期することはほぼ不可能です。校庭ですと雨天の場合は開催できませんから,最初から体育館を利用しているということなのでしょう。これは母が連れていき,観戦して,一緒に帰りました。帰宅したのは午後3時15分頃。競技は少ないのですが,その準備に時間が掛かるのだそうです。
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霧島酒造杯女流王将戦&老人パス

2013-11-21 19:14:12 | 将棋
 10月5日に都城市の霧島ファクトリーガーデン内で指された第35期女流王将戦三番勝負第一局は,16日に放映されました。公式戦初対局。
 振駒はと金が3枚で香川愛生女流二段の先手。相三間飛車に。里見香奈女流王将が早めに3筋の歩を交換して△3六歩と叩いたため乱戦に。最後は先手がほぼ一方的に攻め潰すような将棋になったのですが,どこで差が開いたのか,いまひとつ判然としないような不思議な一局でした。
                         
 先手から角を交換し,先手は7九の銀を上がり,後手は居玉を避けた局面。これだけ戦っていますので,まったく差がついていないとは考えづらいですが,僕にはどちらが良いのかは分かりません。
 もう少し駒組を続けることも考えられましたが,先手は▲7四歩と戦いにいきました。△4四角に▲7七銀と受けたので△7四歩。先手は▲4八玉と居玉を解消。そこで後手は△5五角と出ました。先手は▲3六銀と目障りな歩を払う受け。△4六銀もありそうですが△同銀と取り,▲同金に△3五歩。先手は▲4五金と力強く受け,△7三角の撤退に▲6六銀と進出。
                         
 ここは先手の陣形がばらばらなので,後手は暴れたいところですが,どうもうまい手順がなかったようです。ということは第2図では,もしかしたら先手がリードを奪っているのかもしれません。そしてもしもそうであったとしたら,これ以降はこのリードをずっと保って先手が勝ったということになります。
 全般的にこの将棋の先手は強気と思える手が多く,それに後手が気押されてしまったというような印象を抱きました。
 香川女流二段が先勝。第二局の放映は明後日です。

 病院の帰りに薬局に寄ってインスリンと注射針を入手。帰宅したのは午後4時前。診察が予約時間である2時半に開始となりましたので,いつもと比べるとかなり早い時刻に帰ることができたわけです。
 翌10月8日,昼に母が友人たちとの会食に出掛けました。相手は中学校教師時代の同僚がふたり。上大岡で待ち合わせていまして,妹を送った帰りに根岸駅に着いたところ,ちょうど上大岡行きのバスが来たということで,それに乗っていったとのことです。待ち合わせには早い時間の到着になってしまった筈ですが,上大岡であれば,いくらでも時間は潰せるでしょうから,問題はなかったようです。
                         
 なお,僕はバスの定期券を購入した後,現在まで一貫して継続しています。この定期券を持参人方式としたのは,当時はロサンゼルスの伯母も使用することになるであろうと考えたためでしたが,その後,母が妹を送っていくようになってからは,母も使用するようになっていました。ただ,現在は母は70歳になりましたので,横浜市で発行するバスの無料乗車券,通称老人パスというのを使っています。厳密にいうならこれは無料乗車券ではなく,一定の金額を支払うことによって入手することが可能なものではありますが,その金額は僕が買っている定期券の1ヶ月分のおよそ半額で1年間の利用が可能ですから,無料といってもさほどの間違いではないでしょう。しかも僕の定期券は横浜市営バスと横浜市が委託している横浜交通開発バスのみ使用できるのに対して,老人パスの方は横浜市内を走る民間のバスにも乗車することが可能です。たとえば妹をこども医療センターに連れて行くという場合には神奈川中央交通のバスを利用することになりますし,磯子中央病院に通うときにも,市営バスも走ってはいますが,本数だけでいうならば京浜急行のバスの方が多いのです。老人パスの入手は任意のもので,別に70歳になったから必ず受け取らなければならないという性質のものではありませんが,こうした事情を勘案すれば,母がこれを買ったのは当然の成り行きだったといえるでしょう。ですから僕の定期券は,今はほぼ僕専用になっています。
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農林水産大臣賞典浦和記念&主眼

2013-11-20 19:36:42 | 地方競馬
 力量の差がかなりはっきりとしていると思えるメンバー構成になった第34回浦和記念
 押して押して先手を握ったのはマグニフィカ。好発だったエーシンモアオバーは控えて2番手。その後ろはケンブリッジエルとグランシュヴァリエが併走。ランフォルセが続き,内にダイショウジェット,外にシビルウォー。最初の1000mは63秒1でミドルペース。
 2周目の向正面でエーシンモアオバーがマグニフィカを交わして先頭に。これに連れてランフォルセとシビルウォーもスパート。前の3頭で後ろを離しました。3頭のうち,エーシンモアオバーは4コーナーでは脱落。交わして先頭になったランフォルセを外からシビルウォーが追い掛けましたが届かず,優勝はランフォルセ。1馬身差でシビルウォーが2着。苦しくなったエーシンモアオバーでしたが何とか8馬身差の3着は確保。
 優勝したランフォルセは昨年のダイオライト記念以来の勝利で重賞3勝目。ここは上位3頭の力が突出していて,どれが勝つのかという争い。エーシンモアオバーは長距離輸送が得意でない分の脱落で,シビルウォーとのマッチレースになりましたが,このコースですから先に行けていた分の利があったということだろうと思います。勝ったのは久しぶりですが,それなりには走り続けていましたので,今後もこのようなメンバーではチャンスがある馬でしょう。父はシンボリクリスエス。半弟に2011年のアーリントンカップを勝っている現役のノーザンリバー。甥に2009年のJRA賞の最優秀3歳牡馬のロジユニヴァース。Renforcerは音楽用語でますます強く。
 騎乗した戸崎圭太騎手は第30回以来4年ぶりの浦和記念2勝目。管理している萩原清調教師は浦和記念初勝利。

 これに関しては少しばかり補足しておく必要があるかと思います。
 確かに実験を行うということに関して,U先生は賛意を示してくれました。しかしそれはU先生が従来の医学的見地を翻したというわけではありません。むしろ血糖値の上下は摂取する炭水化物量と最も大きく関連するという見解は保持したままであったのです。したがってこうした実験を行うことによって,何らかの良好な結果を得ることができるという点だけに関していうならば,むしろU先生は懐疑的であったという方が正しいだろうと思います。
 何度かにわたる栄養指導の目的は,もしも僕の血糖値の推移と摂取している炭水化物量の間に明確な因果関係が発見されたならば,それに応じて注射するインスリンの量を加減すれば,現在以上に血糖値をより適正に統御できるのではないかと考えられたからでした。つまり摂取する炭水化物量が多くなるなら,インスリンの量もそれだけ増やし,逆に炭水化物量が少なくなる場合には,インスリンを減じるという方法です。そして炭水化物量に応じて増減させるインスリンの量を計算するいわば公式のようなものも,用意されていたのです。しかし2回にわたる記録の結果からは,僕の血糖値を上下させる主要因は,摂取する炭水化物量ではないということが明らかとなりました。となれば,むしろこうした方法を採用することは危険が伴います。つまりインスリンを減らせば血糖値を十分に下げることができなくなるかもしれませんし,また,単純に炭水化物量に応じてインスリンの量も増大させれば,最も危険な副作用である低血糖を発症させてしまうかもしれないからです。つまり主眼としては,一定程度は統御できている血糖値をさらによく統御するための次の一手を発見するということが最大の目的であったのですが,残念ながらこの調査では,そのための最良の一手は発見することができなかったということになったのです。
 ただ,実験をするということは決定していました。なので次の通院のときにも,栄養指導の予約を同時に入れてもらいました。今度は栄養指導が午後2時で診察が午後2時半にしてもらったので,時間を持て余すこともなさそうです。
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JT将棋日本シリーズ&2013年10月の通院

2013-11-19 19:02:25 | 将棋
 10日に東京ビッグサイトで指された第34回将棋日本シリーズの決勝。対戦成績は羽生善治三冠が38勝,久保利明九段が16勝。
 振駒で久保九段の先手。先手の角交換向飛車だったのですが,後手の羽生三冠がすぐに角を打ち,先手も打ち返したので,角道オープン向飛車のような戦型になりました。仕掛けたのは先手でしたが,戦いの中で飛車が抑え込まれてしまい苦戦に。大きく差をつけられないように丁寧に受けていく展開が長く続きました。
                         
 ☖4六歩と叩かれ,5六の歩を取って銀が逃げた局面。端を詰めてあるのは後手の大きな主張点で,逆側から攻めていくのが道理に合っています。銀をどかしたので☖5八馬は,流れとして最も自然といえるでしょう。ただそこで☗1五金と打ったのが粘りのある手で,ここでは難しくなっているように思えます。☖4七銀と打ち込むのも当然でしょうが☗1六金と取り,☖3六銀成のときに☗5三香成で攻め合いを目指しました。☖2六歩は最も厳しい手ですが,☗同金☖同成銀☗同歩☖3六金と清算してから☗1六香で先手も挟撃へ。後手は☖2七歩☗3九玉を決めてから☖1四銀という鬼手を放ちました。☗同香は仕方がないところで,そうしておいて☖3七金と縛りました。先手は☗3ニ桂成として☖2三王に☗3三成桂。
                         
 これを☖同王と取ったのが最終的に敗着になった模様。☖1四王と出られたら負けだったかもしれないという先手の感想があります。☖1四王は先の鬼手を最大限に生かす指し方で,もしそれで後手が勝っていたとしたら,絶妙手だったということになったでしょう。ちょっと後手にとって惜しい負け方であったという印象を抱かずにはいられませんでした。
 久保九段が優勝。第33回に続いての日本シリーズ連覇で2度めの優勝。棋戦優勝はそれ以来で通算では5度目です。

 2時半になると,受付の横の表示灯に,僕の順番を示す番号が点灯しました。つまり予約の時間になるとすぐに診察を受けることができたのです。待たされるケースの方が圧倒的に多いわけですから,とくに時間を持て余し気味だったこの日の僕にとって,これは非常に幸運だったといえるでしょう。
 検査結果ですが,まずHbA1Cは6.7%となっていました。8月の通院のときは6.3%で,退院直後を除けばそれまでになかったくらいの良好な数値となっていましたが,今度は悪化していたということになります。ただ,U先生の話では,Ⅰ型糖尿病であるならば血糖値の乱高下が生じてしまうのは致し方なく,この程度の数値であるならよしとしなければならないということでした。もっともこれはU先生に独自の判断というわけではなく,これまでの主治医はだれもが,この程度の数値であれば何も問題にしていませんでしたから,一般的な意味で医学的な見解であると理解してよいのでしょう。
 オーダーされていた項目において,異常を示すマークがあったのはほかにはふたつ。ひとつは中性脂肪で,これは下限値が50㎎/㎗であるところ,47㎎/㎗でした。これは今年の2月に下限値を下回って以来,4月の通院のときには調べていませんが,6月の通院のときと8月の通院のときは正常値の範囲内でした。それがまた下がったのですが,この程度の下げ幅ですから,問題ではないでしょう。もうひとつはLDLコレステロールで,これは今回は57㎎/㎗でした。これが下限値を下回るのはもう恒例といってもいいくらいですから,それ自体は驚くに値するようなことではありません。ただ下限値というのは70㎎/㎗で,これだけ小さな数値が出てしまったのは初めてのことではあります。とくに何かを言われるということはありませんでしたが,現時点ではこれが僕が受けた最後の検査ですから,この後どのように推移していくのかということに関して,個人的には注目しています。
 栄養指導のために使用し,僕が記入したプリントも,このときにはU先生の手元に届いていました。そこで管理栄養士に指示された実験に関する話題などは,このときにU先生から発せられたものでした。
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蒲生氏郷杯王座競輪&外出

2013-11-18 18:58:57 | 競輪
 地元のエースが初日に失格と,やや波乱の幕開けになった松阪記念の決勝。並びは佐藤-成田の北日本,池田-稲村の関東,永井-山内の中部,藤木に萩原で野田が単騎。
 山内がスタートを取って永井の前受け。3番手に池田,5番手に藤木,7番手に佐藤,最後尾に野田で周回。佐藤は残り2周のホームに入ってから上昇開始。野田は藤木にこの後ろを譲って,萩原の後ろに。藤木が佐藤を抑えにいったところで内から池田も上昇。バックでは併走でしたが打鐘では藤木が外から前に。引いた永井が一気にかましていくと,藤木との車間がだいぶ開きました。一列の8番手となった佐藤,6番手になった池田もバックから動きましたが,いかんせん前とは差が開き過ぎ。直線で永井の番手から出た山内が優勝。よく伸びた池田が1車身半差でどうにか届いての2着。逃げ粘った永井が半車輪差で3着。
 優勝した愛知の山内卓也選手は2007年の1月に和歌山記念を優勝して以来の記念競輪2勝目。ほかのラインがそれぞれ過剰に牽制したため,展開に恵まれることになりました。競輪ではたまに起こるケースで,人間が自分の力で走る競技ですから致し方ない面はあります。ただ,近況は不振であったとはいえ,永井はそんなに軽くみてもよいという選手ではないように思います。

 これまで2回の栄養指導は,時間一杯,というのは30分ですが,実施されました。しかしこの日は早く,15分ほどで終了となりました。この日は午後1時半が開始時刻でしたから,1時45分頃には終ったということになります。したがって残るは診察だけでした。
 今までは,午後2時が栄養指導で,午後2時半から診察という予約になっていました。この日は栄養指導が30分早かったのですから,診察も同じだけ早く午後2時からの予約になっていたかといえばさにあらず。診察の方はこの日も午後2時半からだったのです。なので時間を持て余すことになってしまいました。
 僕の診察は月曜日。月曜日は僕が購読している週刊競馬ブックの発売日なので,それを読んで時間を潰すことが多いというのは前にも説明しました。ただ,僕が病院に向う時間ですと,まだ発売していませんから,それを入手することができません。たとえば外食などで院外に出たときに,コンビニエンスストアに立ち寄って買い求めていたわけです。この日は院内の食堂で昼食を済ませましたから,必然的にこのときの僕の手元に週刊競馬ブックはありませんでした。
 少し時間がありましたから,外に買いに行きました。ただ,あまり時間をかけるわけにもいきません。つまり遠くまで買いに出るというわけにはいきませんでした。みなと赤十字病院から,ごく常識的な意味において徒歩圏何には,2軒のコンビニエンスストアがあります。それでそれらの店舗に向ったのですが,どちらの店もまだ発売前でした。どういう販売ルート網になっているのかは分からないのですが,週刊競馬ブックは明らかに早い時刻から売っているコンビニチェーン店もあれば,そうではないチェーン店もあるのです。実は僕が行ったふたつの店舗は,あまり早い時間からは売っていないケースが多いチェーン店でしたから,入手することができないということは,実は事前に想定していた通りでした。
 往復するのにある程度の時間は必要でしたが,まだ診察の予約までには時間がありました。院内をうろうろしながら時間を潰し,予約の10分ほど前になってから,内分泌科の受付に向いました。
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マイルチャンピオンシップ&実験内容

2013-11-17 19:08:40 | 中央競馬
 秋のマイル王決定戦になる第30回マイルチャンピオンシップ
 前哨戦を逃げ切ったコパノリチャードが最内枠を引きましたから,この馬の逃げになるのはごく自然。追い掛けたのは3頭で,ガルボとクラレントとダイワマッジョーレ。その後ろはリアルインパクト,サダムパテック,カレンブラックヒル,ダノンシャーク,グランプリボスの5頭が一団を形成。前半の800mが46秒8のスローペースになったこともあり,先頭から最後尾まで,わりと短い隊列でのレースになりました。
 4コーナーを回ったところから馬群が大きく横に開いての追い比べに。展開有利だった先行勢からまず抜け出たのがダノンシャークで,一旦は引いたダイワマッジョーレがこれを追う形。しかし後方3番手に位置し,前の集団の外に出されたトーセンラーがひときわ目立つ脚色でこの競り合いをあっさり抜き去り,1馬身の差をつけて快勝。ダイワマッジョーレが2着になり,4分の3馬身差の3着にダノンシャーク。
 優勝したトーセンラーは2月の京都記念以来の勝利で重賞は3勝目。大レースは初制覇。1600mのレースには出走すること自体が初めてでしたが,これまでに戦い続けていたメンバーと比較すれば,相手が楽になっていましたし,京都は得意中の得意とするコースなので,最有力馬ではないかと考えていました。1600mにも対応できるスピードがあったことも確かですが,総合力での優勝というのが正しいのではないかと思います。父はディープインパクト。祖母のはとこにシーキングザパール。Raはエジプトの太陽神だそうです。
                         
 騎乗した武豊騎手日本ダービー以来の大レース制覇。第29回に続いての連覇でマイルチャンピオンシップ2勝目。管理している藤原英昭調教師は昨年の東京大賞典以来の大レース制覇でマイルチャンピオンシップは初勝利。

 なぜこのような内容の指導がされたかといえば,端的にいって,僕の血糖値は,夕食前には正常値に保たれていることが多いのに対して,睡眠前の血糖値は高くなっているケースが多かったからです。ただ,僕の食餌療法は,炭水化物に関しては,毎食4単位,熱量でいえば320kcalで一定でした。なのでそれを変更するのではなしに,たんぱく質として摂取している部分で変更するのがよいだろうというのが具体的な指示の内容であったのです。たんぱく質に関しては,朝食と昼食は1単位ずつ,それに対して夕食では2単位と,倍の量の摂取になっていました。この倍の量を摂取する食事を,夕食から昼食へと移行するのが,今回の実験の方法となったのです。
 実際には血糖値は摂取する炭水化物量によって影響されるというのが医学的な考え方ですから,この方法はその見地から照らしてみればあまり正しくない方法といえるのかもしれません。ただ,僕には僕の決まった食生活というものがありますし,またたんぱく質として摂取する食物のうちに,炭水化物が含有されているということも事実です。つまりこれはそうした事柄のすべてが考慮された上での決定であったと僕は理解しています。この後の診察のとき,僕の方からU先生にこの実験内容に関して話したのですが,U先生もそうしたことを試みることは悪くないことだと言ってくれました。
 僕自身に関していえば,こうした実験を試みるということ自体は嫌いではありません。というよりもむしろ好きな方だといえるでしょう。ですからこのこと自体は僕には面倒だとは感じられなかったですし,それよりも楽しみだという気持ちの方が強いくらいでした。
 ただ,実験をしたならばその結果を分析するということが必要です。これはつまり栄養指導はまだ継続して行わなければならないということを意味します。よって次回の通院のときにも,また栄養指導の予約を入れる必要が生じたわけです。そして実験の結果を記入しなければならないのですから,この日もまたプリントを受け取りました。といっても炭水化物量を計算するためのものはすでに入手済みですから,記入用のプリントが3枚だけです。
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デイリー盃ロジータ記念&実験

2013-11-16 20:14:41 | 地方競馬
 笠松から1頭,高知から1頭が遠征してきた13日の第24回ロジータ記念
                         
 かなり主張してオキナワレッドの逃げに。その分だけ1周目の向正面から4コーナーにかけて,後ろと差がつくことになりましたが,先手をはっきりと奪うとペースを落とし,正面から1コーナーまででその差も埋まっていき,隊列も定まりました。2番手はヒットザトレイル。その後ろは内がカイカヨソウで外がローズベビークリス。さらにシュンシャインとハクシュウベリーがいてイチリュウが外。そしてリアハッピーでインからケンブリッジナイス。最初が早かったのでハイペース。
 3コーナーではヒットザトレイルが下がり,カイカヨソウが内から2番手。外からイチリュウがマークしようと上がっていきましたが,こちらはコーナーでは苦しくなりました。直線に入ってカイカヨソウはオキナワレッドの外に。オキナワレッドも抵抗する素振りは見せましたが,難なくカイカヨソウが捕えると,楽に抜け出して3馬身差の快勝。勝ち馬と同じようなコース取りから直線はかなり外まで持ち出されたケンブリッジナイスがゴール寸前でオキナワレッドを捕えて2着。クビ差の3着に逃げたオキナワレッド。
 優勝したカイカヨソウは4月の東京プリンセス賞以来の勝利で南関東重賞は4勝目。ときにポカがある馬ですが,能力は断然ですから,順当な勝利。これまでよりも大人びたレース振りと思え,成長も感じられました。牝馬戦線なら重賞でも好勝負が可能な馬だと思っています。
 騎乗した川崎の今野忠成騎手は先月の鎌倉記念以来の南関東重賞制覇。ロジータ記念は初勝利。管理している船橋の川島正行調教師第22回,第23回に続いてロジータ記念3連覇となる3勝目。

 余談ですが,僕はこの日,食堂で大根そばというのを食べました。このときが初めてというわけではなく,これまでにも何度か食べたことがあったメニューです。普通,大根そばというのはおろしそばのことなのであって,僕も最初はそのイメージでした。でもこの食堂の大根そばはそうではなく,いわゆる盛りそばに,千切りの大根が乗せられたものです。僕はここ以外ではこうしたそばを食べたことはありませんが,こういうそばを出す店がほかにもあるのかどうか,少しばかり気になっているのです。
 食事を終えてすぐに指導室へ。いつもですとここでは僕と担当の管理栄養士が一対一で向き合うのですが,この日は室内にもうひとり,別の人がいました。新人の管理栄養士で,実際の栄養指導というのがどういったものであるかを見学するためでした。したがって最初にいつもの管理栄養士に紹介されて,そのときに挨拶程度の会話はありましたが,それ以上の関係は構築されませんでした。見学ですから,当人も黙して見ているだけであったからです。なお,入院中の栄養指導も含め,これまでに僕を担当した管理栄養士は,現在の担当者も含めてそのすべてが女の人でしたが,この新人は男の人でした。
 前回時に受け取った3枚のプリントには,記入するべき事柄のすべてを記入していましたし,これは前回時も同様でしたが,参考のために血糖値も記入しておきました。3枚は3日分で,この直前の3日間,つまり10月4日の金曜から6日の日曜までの記録です。管理栄養士はそれを見まして,やはり僕の血糖値の上下と,摂取している炭水化物量には,大きな因果関係を見出すことが不可能であるという主旨のことを述べました。これは前回の診察のときに,僕の血糖値を変化させる主要因に関してU先生がおっしゃったことの裏付けであるといえるでしょう。
 ただし,血糖値の変化からすれば,昼食時に摂取する炭水化物量を少し増やし,その分を夕食時に減らした方が良いのではないかという指導がありました。そしてそれでどういった結果が得られるのか,検証してみるということになったのです。いわばひとつの実験をすることになったわけです。
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