スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

帰無智法&返却の目途

2024-09-28 19:54:00 | 哲学
 書簡七十五でスピノザは,奇蹟miraculumの上に宗教religioを築こうとする人びとが採用している方法は,帰無智法であるといっています。この帰無智法というのが具体的にどのような方法を意味するのかをみておきます。
                            
 帰無智法というのは文字通りに,ある事柄を証明するために,人の無知を基礎づけることをいいます。つまりある人が,自分にとって不明な事柄を証明するために,より不明瞭なことを基礎づけるとすれば,一般にそれは帰無智法といわれることになります。宗教の正当性について証明するために,あるいは神Deusの存在existentiaを証明するために,奇蹟を基礎づけるなら,すなわち奇蹟が現にあるから宗教は正当であるとか,奇蹟が起きるのだから神は存在するというなら,奇蹟という不明瞭な事柄によって宗教や神を証明しているから,それは帰無智法であるとスピノザはいっているのです。宗教,ここでいわれている宗教とはキリスト教を意味するのでキリスト教ですが,その正当性については『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』で語られていますし,神の存在は『エチカ』で証明されていますから,帰無智法に基づかない証明がいかなるものであるのかはここでは詳しく説明しません。
 『エチカ』の第一部の付録では,こうした帰無智法がなぜ発生するのかということが説明されています。これは単純にいうと,神は自然Naturaを人間のために創造したと解することが起点となっています。ところが実際には自然は人間に対して利益を齎すだけではなく,多様な不利益をも与えます。これは単に自然が人間のために創造されたわけではないからというほかないのですが,そうして自然についての新しい原理を導入するよりも,諸々の自然災害を神が人に齎す理由を,自分自身の無知に帰することの方を選んだのです。これはそうする方が容易だったからです。要は諸々の自然災害は,人間には図り得ないような神の業によって生じるのだから,神の叡智を人は知り得ないという方法で解決したということです。
 スピノザはこのような帰無智法は,帰謬法とは異なるといっています。帰謬法についてはまた別に説明します。

 スペイクが依頼したのでなかったら,だれが何の目的でスピノザの遺産の目録を作らせたかが謎として残ります。したがって,実はスピノザが死んだ日に目録を作らせたのもスペイクで,しかしそれが不正確であることをスペイクが看取したので,改めて別の人に目録の作成を依頼したということだったかもしれません。
 仮に遺産目録を作成させたのがスペイクであったとすれば,その目的は葬儀費用の捻出であったと解するのが,『スピノザの生涯Spinoza:Leben und Lehre』を読む限りは適切だと思います。前もっていっておいたように,21日に死んだスピノザの葬儀と埋葬が25日になったのは,葬儀費用の問題があったからだとフロイデンタールJacob Freudenthalはいっているからです。実際に葬儀も埋葬も行われたのですから,一時的にそれを行うだけの経済的余裕はスペイクにあったとみるのが妥当ですが,無償でそれを行うほど余裕があったわけではなく,立て替えた葬儀費用に関しては何らかの形で返却してもらう必要があったのでしょう。おそらくスペイクはスピノザの友人のことは知っていたかもしれませんが,スピノザの親族にだれがいるかは知らかったと思われます。したがって確実に立て替えた葬儀費用を返却してくれると思える人がスペイクにはいませんでした。だからスピノザの遺品を売却することによって,どの程度の売り上げが見込め,それで葬儀費用を賄うことができるかということをスペイクは知る必要があったということです。
 正確な目録が作成されたのは3月2日になってからでした。しかしスピノザの葬儀と埋葬はその前に行われています。これは遺体をあまり長く放置することができなかったという事由によるものかもしれませんが,フロイデンタールはこの間に立て替えた葬儀費用を返却してもらえる目途がスペイクに立ったからと説明しています。いうまでもなくこれは,リューウェルツJan Rieuwertszによる保証です。コレルスの伝記Levens-beschrijving van Benedictus de Spinozaでは,3月6日付の手紙でリューウェルツが保証したとなっていますが,確かにこの手紙は葬儀費用そのものを支払ったということを意味する内容になっていますから,それより前にリューウェルツがそれを保証していたということはあり得るでしょう。

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2 コメント

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マルテンサイト千年グローバル (鉄の道リスペクト)
2024-09-29 11:07:56
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、トレードオフ関係の全体最適化に関わる様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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日本人の誇り (サムライソウル)
2024-10-01 19:19:19
「材料物理数学再武装」といえばプロテリアル(旧日立金属)製高性能特殊鋼SLD-MAGICの発明者の方で久保田邦親博士(工学)という方のの大学の講義資料の名称ですね。番外編の経済学の国富論における、価格決定メカニズム(市場原理)の話面白かった。学校卒業して以来ようやく微積分のありがたさに気づくことができたのはこのあたりの情報収集によるものだ。ようはトレードオフ関係にある比例と反比例の曲線を関数接合論で繋げて、微分してゼロなところが最高峰なので全体最適だとする話だった。
何年か前にノーベル賞候補(化学賞)にも挙げられていたCCSCモデルという境界潤滑理論(摩擦理論)の提唱者でもありますね。摩擦プラズマにより発生するエキソエレクトロンが促進する摩耗のトライボ化学反応において社会実装上極めて重要な根源的エンジンフリクション理論として自動車業界等の潤滑機素設計において脚光を浴びつつありますね。人類というものは機械の摩擦という単純なことですら実はよく理解していないということを理解させられる理論です。
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