有限finitumであるものの性質を無限infinitumであるものに押し付けてはならないというテーゼは,人間の性質を神Deusの性質に押し付けてはならないというテーゼに直結します。よってガリレイGalileo Galileiが数学について考えていることは,スピノザが哲学としてあるいは形而上学として考えていることに直結するのです。そしてスピノザは,哲学あるいは形而上学がその他のあらゆる学知scientiaを下支えすると考えているのですから,数学においても,有限であるものの性質を無限であるものに押し付けてはならない,いい換えるなら,無限であるものの本性naturaは有限であるものの本性によって説明されることはできないということを肯定するでしょう。したがって,河合はガリレイもスピノザも無限のパラドックスに気付いていたということに両者の一致をみているのですが,僕は両者の一致はおそらくそこだけでないだろうと推測します。
さらにこれと関連した言及が『新科学対話Discorsi e dimostrazioni matematiche, intorno a due nuove scienze attenenti alla mecanica ed i movimenti locali』にあると河合のコラムに指摘されています。弟子がサルヴィヤチSalvyachiに対して,連続体の部分は有限個であるのか無限個であるのかを問うている部分です。
この質問に対してサルヴィヤチは,それは有限個でもあるし無限個でもあると解答しています。それは可能性においては有限であり,現実的には無限であるとサルヴィヤチすなわちガリレイは考えているからです。連続体の部分というのは分割される前は可能性として無限なのであり,分割されれば現実的に有限であるというのがこのことの具体的な意味です。
ここでは数学において連続体というのが何を意味するのかは考察の対象から外します。これは僕には荷が重いですし,僕の関心もそこにあるわけではないからです。ここで着目したいのは,ガリレイがある同じものについて,それは無限でもあるし有限でもあるといっている点です。本来はあるものが無限でもあるし有限でもあるということはあり得ません。そんなことはガリレイだってよく分かっていた筈です。しかしあえてそのようにサルヴィヤチに言わせているのは,あるものが有限であるか無限であるかということが,人間がそれをどう認識するcognoscereかによって変わり得るとガリレイは考えていたからだと思うのです。
スピノザはシュラーGeorg Hermann Schullerに宛てた,事実上はチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausに宛てた書簡六十四の中で,延長の属性Extensionis attributumについては直接無限様態と間接無限様態を示しています。それによれば,延長の属性の直接無限様態は運動motusと静止quiesで,間接無限様態は同一に止まる全宇宙の姿facies totius Universiです。このとき,運動と静止が全宇宙の姿といかなる区別distinguereによって区別されるのかといえば,様態的区別です。これは,同じ属性attributumに属する様態間の区別を様態的区別であるということから明白ですが,ここでは次のように説明します。 第一部定理二二が意味しているのは,ある属性の間接無限様態の起成原因causa efficiensはその属性の直接無限様態であるということです。したがってこれを延長の属性に当て嵌めれば,全宇宙の姿の原因は運動と静止であることになります。次に,第一部公理四が意味しているのは,結果effectusの認識cognitioは原因の認識に依存している,いい換えれば,結果を十全に認識するcognoscereためにはその結果の起成原因が十全に認識されていなければならないということです。よって,全宇宙の姿の十全な観念idea adaequataが何らかの知性intellectusのうちにあるとした場合は,その同じ知性のうちに運動と静止の十全な観念があるのでなければなりません。また逆に,運動と静止をある知性が十全に認識した場合には,その知性は全宇宙の姿を十全に認識するということになります。このとき,全宇宙の姿と運動と静止の関係は,第一部公理五には該当していないということになります。いい換えれば,全宇宙の姿と運動と静止との間には,ある共通点があるということになります。共通点を有する様態間の区別は実在的区別ではなく様態的区別でなければなりません。そしてこの関係は,延長の属性にだけ該当するわけではなく,すべての属性に該当します。したがって一般的に,ある属性の直接無限様態とその属性の間接無限様態の区別は,実在的区別ではなく様態的区別であるということが帰結します。
直接無限様態も間接無限様態も,有限finitumではなく無限infinitumです。したがって,無限であるものの間の区別,いい換えれば数的区別ではないような区別のすべてが実在的区別であるというわけではありません。ですが,実体substantiaの場合にはこのことは妥当しないのです。
有限finitumでなければならない線の部分が無限infinitumの点によって構成され得るというのは一例であって,このように,有限な全体の部分が無限によって構成されるという矛盾は,ほかの場合にも生じ得ます。そしてそのために,線の長さの違いによって無限量に大きさの違いが生じるというような矛盾も発生してくるのであり,こうした矛盾も,線の場合は一例なのであって,もっと一般的な矛盾なのです。河合はこうした矛盾を無限のパラドックスといっていて,それについてガリレイGalileo Galileiもスピノザも同じように気が付いていたとしています。いい換えれば,『新科学対話Discorsi e dimostrazioni matematiche, intorno a due nuove scienze attenenti alla mecanica ed i movimenti locali』の中でサルヴィヤチSalvyachiが言及しているのは,一般的な意味における無限のパラドックスについてなのであって,そこで質問されている線と点の関係のみに限定されるというわけではないのでしょう。
サルヴィヤチは,有限であるものの性質を無限であるものに押し付けてはいけないと答えていました。したがってガリレイは,この無限のパラドックスは,そのことによって発生するパラドックスであると考えていたと解してよいでしょう。ただ,このパラドックスをどのように解消するべきなのかということは,コラムの中では触れられていません。河合が指摘したかったのは,単にガリレイとスピノザが無限のパラドックスに気付いていたということで一致しているということにのみあるからです。ですから実際にガリレイがこのパラドックスに対して具体的にどう対処したのかということは僕には分かりません。しかしスピノザはこれに対して一定の解答を与えています。
スピノザは,無限と無際限indefinitumを分別します。そして無際限というのは,実際には無限なのではなくて有限であるのだけれども,それが有限であることの限界が不明であるものであるとするのです。他面からいえば,第一部定義二から分かるように,有限であるものは,同じ本性naturaのほかのものによって限定されるのですが,それは確かに限定されなければならないのだけれども,どのように限定されるのかということについては不明である場合には,そのものは無際限であるといわれるのです。したがって,ある線の中に含まれる点は,無際限なのです。
ニーチェFriedrich Wilhelm Nietzscheがいう蜘蛛の意志というのがどういう意志であるのかということを説明したときに,このような考え方に最も大きな影響を受けたのはフーコーMichel Foucaultだと思われるといいました。フーコーについて少しだけ紹介しておきましょう。
フーコーはフランス人で,1926年に産まれました。1946年に高等師範大学に入学し,1950年に大学教員の資格試験を受けましたが不合格。高等師範学校の教員であったアルチュセールLouis Pierre Althusserからの支援を受け,フランス共産党に入党。しかし1953年には離党しました。ただしアルチュセールとの関係はその後も続きました。ニーチェを精読したのは1952年になってから。その後に大学教員試験に合格し,1953年にリール大学の助手に採用されました。フーコーには多くの著作があり,日本語で読めるものもたくさんあります。僕が代表作だと思っているのは『言葉と物Les mots et les choses』で,これは1966年に出版されています。そして1970年にはコレージュ・ド・フランスの教授に就任しました。
こうした経歴から分かるように,『主体の論理・概念の倫理』の考察の対象となり得る人物です。実際にその中には何度も名前が出ているのですが,フーコーに関連したまとまった考察というのはありませんし,人物の略歴紹介にも登場していません。これはおそらく,フーコーの著作の中にはスピノザに対する言及というのが多くないということが影響しているのだと思います。つまりフーコーがニーチェから受けた影響と対比すればスピノザから受けた影響というのはごくわずかなものだということになります。よってこのブログでも,こうした機会がなければ紹介することはありませんでした。
僕が代表作だといった『言葉と物』にはスピノザへの言及が2か所あります。しかしひとつはデカルトRené DescartesおよびマルブランシュNicolas de Malebrancheの思想と並べられる形であり,もう1か所もデカルトの思想と並列されています。こうしたことからも,フーコーがスピノザからはさほどの影響を受けていないということが分かると思います。
スピノザの哲学を学ぶのには役立ちませんが,『言葉と物』は名著だと思います。読了するのは量的に大変ですが,興味があればチャレンジしてください。
すでにいったように,僕は『新科学対話Discorsi e dimostrazioni matematiche, intorno a due nuove scienze attenenti alla mecanica ed i movimenti locali』を読んでいません。ですからこの部分は,河合がコラムに書いていることを,僕が再構成したものです。ただしコラムは『新科学対話』をそのまま抜き書きしているわけではありませんから,この部分が対話の中の弟子の質問として書かれているのか,それともこの当時の科学における無限infinitumという量の一般的な考え方として書かれているのかは不明です。それでも,こうした考え方,すなわち長い線の中にある点の無限量は,それより短い線の中にある点の無限量より大であるということは,確かにこの当時の科学における一般的な考え方であったようです。
これに対してサルヴィヤチSalvyachiは,それを否定する考え方を示しています。サルヴィヤチはガリレイGalileo Galileiの分身なのですから,これはガリレイ自身がそれを否定していたと解して間違いないでしょう。河合はガリレイのいう新科学というのが,静力学から動力学への移行であるとみなしていて,この部分のガリレイの否定についてもそのラインで解することができるようですが,単純にこの点だけをみて,それまでの科学の常識をガリレイは覆しているという観点から,ガリレイの科学を新科学とみなしていいように僕には思えます。他面からいえば,ただこの一点だけをみても,ガリレイが自身の科学をそれまでの科学とは異なった新しい科学であると自負する理由となり得るように僕には思えます。
これに関するサルヴィヤチの言及はおおよそ次のようなものです。もちろんこれも,河合がコラムの中に記していることの,僕自身による再構成です。
まずサルヴィヤチは,長い線の中にある点の無限量とか短い線の中にある無限量というようなことを考えるconcipereこと自体をしてはいけないのだといっています。そしてこのような困難が生じてしまう理由というのは,有限なfinitumものにとっての性質,僕たちが経験的に知ることができるような有限finitumであるものがもっている性質を,無限であるものに対しても押し付けようとするからだとしています。そもそも大きいとか小さいとかあるいは相等しいといったことは,有限なものには通用する性質であるにしても,無限なものには通用しないのです。
僕の結論としては,1675年にステノNicola Stenoが書簡六十七の二を書いたとき,『新科学対話Discorsi e dimostrazioni matematiche, intorno a due nuove scienze attenenti alla mecanica ed i movimenti locali』を意識してデカルトRené Descartesの哲学を新哲学といった可能性はきわめて低く,1638年にガリレイGalileo Galileiが『新科学対話』を出版したとき,デカルトの新哲学を意識して自身の科学を新しい科学といった可能性は否定できないということになります。とりわけ,『新科学対話』が出版されたのが,イタリアではなく,この時期にデカルトが活動していたオランダであったことも,この結論を補強する要素にはなり得るかもしれません。とはいえこれはあくまでも僕の見解opinioであって,史実がそうであったと主張したいわけではないという点は理解しておいてください。
この部分の考察は,新科学から新哲学へ向かう僕自身の連想,いい換えれば僕の精神mensのうちの表象像imaginesの結合に由来します。僕はこれを,スピノザが第二部定理一八の備考Scholiumで具体的な事例をあげているような表象像の結合といいます。新科学にせよ新哲学にせよ,それはあくまでもことばから別のことばへの連想なのであって,ことばというものが一般的に記号である以上,それは十全な観念idea adaequataから十全な観念への移行と解するべきではなく,混乱した観念idea inadaequataから混乱した観念への,つまり表象像から表象像への移行であると解するべきだからです。そしてこの表象像の移行あるいは表象像の結合は,僕自身の精神のうちで生じたことなのであって,河合自身がコラムの中で言及しているというわけではありません。なのでこれに関する探究はここまでとして,河合自身がコラムの中で言及している事柄を対象とした考察に移ることにします。
繰り返しになりますが,『新科学対話』というのは,ガリレイの分身と思しきサルヴィヤチSalvyachiという人物が,弟子の質問に解答するという形式で進められていきます。その中に,もしAとBという2本の線がある場合,線の中には無限に多くのinfinita点が含まれているがゆえに,もしも線Aの方が線Bよりも長いのであれば,線Aに含まれている点の無限infinitumの量は,線Bに含まれている点の無限の量よりも大きいという見解に対して,サルヴィヤチが答えている部分が含まれています。まず河合はこの部分に着目しています。
ステノNicola Stenoが『新科学対話Discorsi e dimostrazioni matematiche, intorno a due nuove scienze attenenti alla mecanica ed i movimenti locali』を念頭に,デカルトRené Descartesの哲学を新哲学といった可能性はきわめて低いと僕は思います。ただ,逆のパターンはあり得ると僕はみます。
すでに示したように,『新科学対話』はガリレイGalileo Galileiの最晩年の著作で,1638年に出版されました。デカルトの主要な著作のうち,『省察Meditationes de prima philosophia』は1641年,『哲学原理Principia philosophiae』は1644年に書かれていて,『新科学対話』より後のものになります。しかし『方法序説Discours de la méthode』は『新科学対話』より1年前の1637年に出版されていました。なお,『方法序説』はまとまった著作の一部分,とくに哲学に関する部分のことをいうのであって,出版された著作の全体の中には,自然科学も含まれています。
デカルトはこれより前の1633年に『世界論Le Monde』という本を書いていました。この中に,地動説を肯定する内容が含まれています。このためにこの著作は出版されず,デカルトの死後に公刊されることになりました。デカルトが死んだのはガリレイが死んだのより後のことですから,ガリレイがそれを読んだということはありません。ただ,ガリレイの存命中に,すでにデカルトは地動説を肯定していたということは重要でしょう。そうした風評がどれほどの広がりをもっていたかは分かりませんが,ガリレイがそれを知っていたという可能性を完全に否定することはできないからです。
一方,哲学に関していえば,デカルトの存命中,とくにガリレイも存命中のうちから,デカルトの哲学が一般に新哲学,それまでの哲学とは異なる哲学という意味で新哲学といわれていた可能性はあります。ステノがこの語を用いたことから類推したように,少なくともステノがカトリックに改宗したときには,カトリック世界では一般にデカルトの哲学は新哲学と呼ばれていたと思われるのですが,そういわれ始めた時代というのはさらに遡ることができる筈だからです。そしてそれが一般にカトリックの世界での事象であるのなら,カトリックの総本山であるイタリアでは当然ながらそういわれていたと解する必要があります。よって,ガリレイがデカルトの新哲学を意識して,自身の科学を新しい科学といった可能性はあるのではないでしょうか。