スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王将戦&延期

2019-02-28 19:10:09 | 将棋
 24日と25日に琉球新報本社ビルで指された第68期王将戦七番勝負第四局。
 久保利明王将の先手でノーマル三間飛車。藤井システム風の駒組から右四間飛車に転換。相居飛車のような戦型になりました。後手の渡辺明棋王から仕掛けて先手が反撃を狙う展開だったのですが,先手は一手違いに持ち込むのが精一杯で,勝負処を見出せないような一局になってしまいました。なので先手は早い段階で勝負した方がよかったのかもしれませんが,その場合はもっと短手数で後手の勝ちに終わっていた可能性も残り,結局のところは先手の作戦がうまくいっていなかったか,後手の仕掛けが機敏であったかのどちらかだったということになるでしょう。
                                     
 後手が4筋を突き捨て,さらに5筋も突いて先手が角で取ったのに対して5三にいた銀が上がった局面。先手が最初に勝負をかけられるとすればここだったでしょう。
 実戦は☗8八角と逃げ,これは最も普通の手ですが,☗4四同角と取ってしまい☖同金に☗7四歩と突く手はありそうです。実戦でもそうだったように先手は端から攻めることになるでしょうが,そのときに桂馬は戦力になりそうだからです。実際にはそれで先手がいいというわけではないかもしれません。ただ,勝負をかける局面を後に回そうとしてそれが訪れないという一局になってしまったことを思えば,ここで勝負してしまった方がよかったといえなくもないだろうと思います。
                                     
 4連勝で渡辺棋王が王将を奪取第62期,63期に続き5期ぶりとなる通算3期目の王将獲得です。

 11月9日,妹の歯科検診でした。前日の電話で歯科の主治医と話し合った通り,午前11時から。クリーニングをしただけです。時間を要するなら院内の食堂で昼食を済ませて帰るということも視野に入れていたのですが,それほどでもありませんでしたので,院内のコンビニエンスストアで昼食を買い,帰ってから食べました。帰宅したのは午後12時半でした。
 この日,僕たちが歯科に行っている間はどんよりとした曇り空だったのですが,午後から本降りの雨となりました。雨の中の通院は大変ですので,医師の都合で午前に変更になったことは,妹は早く起きなければならない分だけ大変であったでしょうが,かえってよかったかもしれません。こういうのも,起きてしまったことについては悲しみtristitiaの要因があったとしても,それを喜びlaetitiaの要因として認識するcognoscereというあり方のひとつです。
 夜,ピアノの先生から電話がありました。日曜に予定されていたピアノのレッスンの開始時刻に関してでした。
 11月10日,土曜日。午後3時40分にまたピアノの先生から電話がありました。
 先生には小さなお子さんがありますので,レッスンのときはそのお子さんを預けてきます。先生の実家というのは妹が入所しているグループホームと同じ町内の同じ丁目というごく近いところにあるのですが,現在は田園調布に住んでいます。どなたに預けているのかは僕は詳しく知りませんが,その預ける予定だった方が体調不良を起こしてしまったために預けることができなくなったため,翌日のピアノのレッスンは行うことができないというのがこの電話の主旨でした。先生は代替の日として翌週の日曜を希望されたのですが,その週末は妹がグループホームで過ごすということがすでに決定済みであったため,お断りするほかありませんでした。ということで翌々週,11月の最後の日曜日にレッスンを行うということに決定しました。
 11月12日,月曜日。妹を通所施設に送りました。この週末は妹にはふたつの予定があったのですが,歯科への通院は時間が変更になり,ピアノのレッスンは延期になるということで,どちらも事前の予定と異なることになりました。
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農林水産大臣賞典エンプレス杯&予約の変更

2019-02-27 19:39:57 | 地方競馬
 キヨフジ記念の第65回エンプレス杯
                                      
 キンショーユキヒメはダッシュが鈍く1馬身の不利。まずクレイジーアクセルがハナへ。控えたプリンシアコメータにサルサディオーネが並んで2番手は併走。1周目の正面ではこの3頭が後ろを5馬身ほど離しました。4番手はミッシングリンクと上昇してきたビスカリアで併走。6番手にアッキーとブランシェクール。やや下げたクロスウィンドが8番手。3馬身差でアルティマウェポン。2馬身差でエミノマユアクが続き,キンショーユキヒメはこの後ろまで追い上げました。4馬身差でグレートコマンダー,3馬身差の最後尾にラモントルドールと縦長の隊列。ミドルペースでした。
 2周目の向正面でプリンシアコメータが先頭に立つとクレイジーアクセルは後退。サルサディオーネは追い掛けていきましたがコーナーでは後退。変わって追い上げてきたのがミッシングリンクとビスカリア。直線の入口では内からプリンシアコメータ,ミッシングリンク,ビスカリアが並んでいましたが,ここからまたプリンシアコメータが追ってきた2頭との差を広げていって優勝。先に追った2頭の外から脚を伸ばしたブランシェクールが2馬身差で2着。ビスカリアが1馬身半差の3着でミッシングリンクは1馬身半差で4着。
 優勝したプリンシアコメータレディスプレリュード以来の重賞3勝目。ここは能力は最上位。前走は明らかに馬体が太かったために大敗を喫していましたので,絞れているかどうかが最大のポイントでしたが,マイナス18キロという体重でしたから,しっかりと走れる態勢が整っていたようです。レディスプレリュードのときはブランシェクールと僅差だったのですが,本来は今日の着差くらいの能力差があると考えていいのではないでしょうか。差はあるのですが,この路線のトップクラスに最も近い能力がある馬だというのが僕の評価です。父はクラフティワイフの産駒で10戦7勝という成績を残したスパイキュール。母の4つ上の全姉に2004年のNARグランプリで最優秀牝馬のベルモントビーチ。Cometaはイタリア語で彗星。
 騎乗した岩田康誠騎手は第54回,59回に続き6年ぶりのエンプレス杯3勝目。管理している矢野英一調教師はエンプレス杯初勝利。

 三者面談は時間が掛かりますので,この日に妹と帰宅したのは午後5時20分でした。そのとき,留守番電話がひとつ入っていました。
 三者面談は妹を迎えに行く日を希望しています。そうでない日に行うのは僕にとっては二度手間になるからです。8日の木曜日が三者面談になったのは,翌日が妹の歯科検診の日だったので,当初からこの日は迎えに行く予定になっていたからです。留守番電話に入っていたのはその通院に関する件で,歯科の主治医からでした。
 妹の睡眠時間を確保する関係から,僕は歯科であれ脳神経外科であれ,診察の予約は午後3時に入れています。ところが翌日の午後は歯科の主治医が急に外出しなければならなくなってしまったので,予約を変更してほしいというのが留守番電話の内容でした。予約の変更は病院に依頼しなければなりませんから,僕はすぐにみなと赤十字病院に電話を入れたのですが,その電話は繋がりませんでした。というか,繋がりましたがだれも出てくれなかったのです。これは午後5時過ぎという遅い時間だったため,事務職の人はもう仕事を終えていたからだと思います。繋がらないものは仕方がありませんから,翌日に電話を入れようと思っていたところ,主治医の方からまた電話が入りました。
 妹に宛てた役所からの手紙などは僕が読まなければなりませんので,妹の住民票は移していませんし,今後も移すつもりはありません。ですが妹はグループホームに入所しているのであって,事実上はそちらが妹の住居です。家にいる時間よりグループホームや通所施設にいる時間の方が長いのですからそういって差し支えないでしょう。ですから僕としては,明日の午後の診察が受けられないのであれば,午前中に受けるというのが第一希望でした。通院の日を変更するとなると,グループホームとの間で迎えの日の予定などの調整もしなければならなかったからです。すると,午前11時からなら診察ができるということでしたので,それでお願いしました。妹を早く起こさなければならないので,妹にとっては都合が悪い変更だったのですが,ここは妹の都合よりも僕の都合の方を優先させることになったわけです。
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たちあおい賞争奪戦&精神科医

2019-02-26 19:00:26 | 競輪
 静岡記念の決勝。並びは渡辺‐桐山の南関東,浅井‐吉田の中部,稲毛‐古性‐南‐東口の近畿で松本は単騎。
 松本がスタートを取って前受け。2番手に浅井,4番手に渡辺,6番手に稲毛で周回。残り2周に入るコーナーから稲毛が上昇開始。渡辺もそれに合わせて上昇。ホームで松本が誘導を斬りました。バックに入るところで渡辺が松本を叩いて先頭に。ここに外から稲毛が襲い掛かって打鐘。先行争いになるかと思われましたが稲毛があっさりと叩いて先行。松本が単騎で発進。浅井がそれに乗るような形になったものの,松本の勢いが足りず,ホーム後のコーナーで失速。浅井は浮いた松本の内から進出しましたが,バックで渡辺が捲っていったため,さらにその外を回ることに。渡辺の捲りが届く前に古性が番手捲りを敢行。後方の選手に不利な展開が重なったこともあり,そのまま後ろを寄せ付けずに古性が優勝。マークの南が4分の3車身差で2着。4番手の東口が4分の1車輪差の3着まで迫り,近畿勢の上位独占。
 優勝した大阪の古性優作選手は前々回出走の岸和田のFⅠ以来の優勝。1年前の静岡記念以来の記念競輪制覇で通算5勝目。静岡記念は連覇で2勝目。このレースは近畿勢が和歌山,大阪,大阪,和歌山で折り合ったので,稲毛の先行はかなり有力。ただ,それ以外のラインがどのように対処してくるか分からなかったので,絶対視はできないのではないかと思っていました。稲毛は渡辺の抵抗をあっさりと乗り越え,まず動いていったのが結果的には力不足だった松本だったということもあり,古性には絶好の展開に。近畿勢の結束が齎した優勝といえそうです。

 僕には精神科医のあてはありませんでした。なおかつ,次のことも問題になるように思えたのです。
 まずその精神科医は主治医でなければなりません。ということは,今回に限定して,所見を書いてもらうことだけを依頼することはできないように思えたのです。したがって,今回それを書いてもらったら,今後はその精神科に継続して通院しなければならなくなると思えました。さらに,妹は今は本牧脳神経外科に通院していますが,この通院もすぐに決まったわけではありません。まず妹を連れて行って,診察が可能であるという判断が下されることによって,通院が決定したのです。これは逆にいえば,連れて行ったところで通院は不可となる可能性があったというわけで,同じことが精神科において発生しないとも限りません。あくまでもこれは僕のイメージですが,精神科というのは精神を病んでいる健常者が通うところであって,重度知的障害者の診察を専門的に行うところではないので,そうなる可能性も大きいように思えました。医師がこのような仕方で患者を選別することの良し悪しはさておいて,それが実情というものだという認識は僕にはあったのです。
 通所施設においては,月に1度の精神科検診というのがあります。どんなことを行っているのかは分かりませんが,精神科検診という名称なのですから,精神科医が通所施設に来て,利用者の検診を行っているのは間違いないと僕には思えました。ですからもしその医師が所見を書いてくれるなら,それが最善なのではないかと僕には思えました。妹はこの施設を利用するようになって間もなく1年が経過するという時点でしたし,検診を行う精神科医というのは同一の医師でしょうから,妹のこともある程度は知っているだろうと推測されたからです。なので僕はグループホームの妹の担当者に,その方に所見の依頼をできるだろうかということを相談したのです。返事は,たぶん可能であろうということでした。なのでこの件は片付いたとこのときは安心していたのですが,翌週の週末になってから,締切の期日の関係で今年はできないということになりました。なのでまた振出しに戻ってしまったのです。
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叡王戦&主治医

2019-02-25 19:31:37 | 将棋
 22日に指された第4期叡王戦挑戦者決定戦三番勝負第三局。振駒で先手を得た菅井竜也七段は5筋位取り中飛車から穴熊。後手の永瀬拓矢七段も居飛車穴熊に組んでの相穴熊。中盤で大差となってしまう将棋だったのですが,どこが悪かったのかがいまひとつ分かりませんでした。
                                      
 先手が5筋の突き捨てを入れたところ。ここで☗1四歩と打ったのですが,これが局面の悪化を招く手だったのかもしれません。
 後手は☖3五金と出て銀取り。☗3六銀と逃げた手に☖同金と取り☗同飛に☖2五銀と打ちました。先手は☗5六飛。
 ここですぐに歩を取るのではなく☖4二角と引きました。6筋が開いたので先手は☗6六飛。後手が☖6四飛とぶつけたのに対して先手が☗4六角,対して後手は☖3三角と上がり,飛車がぶつかり合っている上にお互いの角が飛車取りになっているという珍しい局面が出現しました。
                                      
 ここから☗6四角☖同歩と進んだのは,後手の言い分の方が通った印象です。ただ先手は飛車を入手したので☗4一飛と先着できました。ここは僕にはそんなに差がないようにも見えるのです。
 後手が☖6五歩と突いたときに☗2六金と打ったのはびっくりする手。ただ,1四の歩を生かすにはこれしかなかったのかもしれません。ですが後手はそれを見透かしたように飛車を取るのではなく☖6九角と対応。先手は☗4六飛と逃げざるを得なくなり☖2六銀☗同飛に☖9九角成と後手が先に駒得。これは☗9一飛成で解消できるのですが☖1四角成と二枚目の馬を作りつつ1四の歩を消すことに成功しました。ここは後手がはっきりよいように思います。
 先手は☗2五銀と打って☖同馬☗同飛で駒得しつつ馬を1枚は消せたのですがそこで☖1六香が痛打でした。
                                      
 ☗1七歩と打てれば問題ありませんが先手は歩を持っていません。第1図で☗1四歩を成立させるためには,先手には歩が必要だったのかもしれません。
 2勝1敗で永瀬七段が挑戦者に。前年度の棋王戦以来となる3度目のタイトル戦出場です。

 推測自体は当たっていました。三者面談の時点ではまだ推測だったのですが,これは後に福祉事務所で確認したので間違いありません。
 妹は年齢の関係から,この時点ではこども医療センターには通院していませんでした。よってこども医療センターの主治医というのがこの時点では存在していませんでした。そしてこども医療センターへの通院を止めるにあたって,母はみなと赤十字病院に紹介状を書いてもらったのですが,その紹介状に不備があるとのことで,希望する通りのみなと赤十字病院への妹の通院を,母は断念することになりました。このあたりの経緯は以前に詳しく書いた通りです。したがって妹は指定歯科としてみなと赤十字病院には通院していましたが,歯科医を主治医とするわけにはいきませんから,この所見に必要な主治医はみなと赤十字病院にも存在していませんでした。
 妹のこども医療センターへの通院で最も重要であったのは,癲癇の発作を抑制するための妹のの処方箋を出してもらうことでした。これは絶対に必要であったため,母は町医者である本牧脳神経外科を探して,それ以降はここに通院しています。ですから本牧脳神経外科の開業医は,妹にとっての主治医に該当することになります。ただし,僕の解釈では,所見を記入する主治医は精神科医でなければなりませんでした。だから脳神経外科医であるこの開業医では不適当だと僕は判断していたのです。前にもいったように,こども医療センターの遺伝科の主治医が精神科医であったかどうかは僕には不明ですが,こども医療センターであれば精神科医も存在する筈で,その判断を仰ぐということはできるでしょう。また仮にみなと赤十字病院への通院が可能になっていたとして,それが脳外科であったとしても,精神科という診療科もありますから,判断を仰ぐことも可能でしょうし,悪くても紹介はしてくれるでしょう。だからもしみなと赤十字病院に通院することになっていたとしたら,僕はその主治医の名前を書いた書類を福祉事務所に提出したであろうと思います。
 本牧脳神経外科は開業医なので,この場合は別に精神科の主治医が必要になるというのが僕の判断でした。
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あほう鳥②&その時点の認識

2019-02-24 19:21:03 | 歌・小説
 「あほう鳥」という楽曲にはちょっとしたことば遊びが取り入れられています。
                                      
 で紹介した部分は,楽曲の1番と2番の同じ部分です。その直後は1番も2番も同じフレーズです。

       悪い夢を見て 泣くなんて
       いい年をして することじゃない
       いつもどおり あたしどおり
       つづけるさ ばか笑い


 1番では,あたしもあんたも泣かないあほう鳥だと歌われていました。この部分は直接的にはそこを受けています。すなわち,悪い夢を見て泣くなどということはいい年をしてすることでもないから,泣かないのです。このことはあんたについては妥当するかどうか不明だといわなければならないでしょうが,少なくとも歌い手であるあたしにとっての事実であるのは間違いないのでしょう。そして泣くかわりにばか笑いをするので,この女は周囲からはおつむが軽いとみられているのかもしれません。歌い手であるあたしは,自分で自分のことをおつむが軽いと歌っているわけですが,それは必ずしも自己評価であるとはいえず,他人の評価を受け入れているだけなのかもしれません。
 ことば遊びというのは3行目の,ばか笑いを続けることを,いつも通りであたし通りだと歌っている部分です。この通りというのはアホウドリのドリに通じています。これは文字だけではひょっとすると分からないかもしれません。ですが楽曲を聴けば,それがいつも鳥,あたし鳥,とも聴くことができるのは間違いないと思います。

 役所から送られてくる書面の文章というのは僕にとっては難解なものが多く,何を要求されているのかが分からないというケースも多々あります。この時点で僕が認識していたのは以下のよっつの事柄でした。
 第一に,重度知的障害者である妹が,公的サービスを受けるためには受給者証が必要であるということ。
 第二にこの受給者証を取得するために医師の所見を区役所あるいは福祉事務所に提出する必要があること。
 第三に所見を記入する医師は妹の主治医である必要があること。
 第四になおかつそれは精神科医でなければならないということ。
 実際のところをいうと,僕のこの認識には誤りが含まれていました。ですがそれが僕に判明するのは12月になってからで,三者面談のときには上述したような認識でいたと理解してください。
 受給者証はこれまでももらっていました。妹がグループホームに入所するにあたって,グループホームに預けて管理してもらっているのでこれは間違いありません。というか,受給者証がなければ入所することはできませんでした。ただ,それをもらう手続きはこれまではすべて母がやっていましたから,僕がこの手続きをするのは初めてでした。今回からは受給者証の取得に支援計画書の作成も必須になり,これは母はやっていなかったことになりますが,医師の所見は従来から必要とされていましたから,だれかに書いてもらっていたのは間違いないのです。
 妹はこども医療センターでは遺伝科という診療科に通院していました。その遺伝科の主治医が精神科医であったのかは分かりません。そもそも遺伝科という名称自体が非常に珍しいものなのではないかと思います。とはいえ,たとえば妹のDNAにどのような変異があるのかといったようなことは,こども医療センターで調べて判明したのです。そしてこども医療センターでは,広範な意味で内科的なといえるようなことはすべて対象となっていましたから,仮に主治医が精神科医でなくても,精神科医の判断は仰げる筈です。だから僕は,前回の受給者証の取得までは,この所見を書いていたのはこども医療センターの主治医だったのだろうと推測しました。
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チルンハウスの誤解⑤&三者面談

2019-02-23 19:13:54 | 哲学
 誤解④の最後のところに示した僕の見解,すなわち,チルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausが書簡六十三で神Deusの知性intellectusというとき,それを思惟の様態cogitandi modiとはみなさずに思惟の属性Cogitationis attributumそのものであるとみなしていたということについて,この見解の正しさについて有力であると判断できそうな材料をあげておきます。
                                      
 この同じ書簡六十三においてチルンハウスは,思惟および延長の属性Extensionis attributumに関して,直接無限様態と間接無限様態は何であるのかという問いをスピノザに対して発しています。このことから明瞭に分かるのは,この書簡を出した時点では,思惟の属性の直接無限様態が何であるのかということをチルンハウスは理解していなかったということです。これに対してスピノザは,返信となる書簡六十四の中で,思惟において絶対に無限absolute infinitumである知性だと解答したのでした。
 スピノザはこの絶対に無限な知性というのを,神の知性と等置していたと僕は考えます。つまり神の知性は人間の知性のように有限finitumではないけれども,絶対に無限な様態なのであって,属性そのものではないという意味が入っていたと僕は考えます。そして同時にスピノザは,このことをチルンハウスは理解していないという前提で,書簡六十四の全体を記述していると僕は考えるのです。よって少なくともスピノザは,チルンハウスがが神の知性というとき,それを思惟の属性の直接無限様態であるとは解さず,思惟の属性そのものであると誤って解している可能性があるということを理解していたと思うのです。
 スピノザはチルンハウスの誤解があったと僕が考えている部分に関しては,チルンハウスが言及している共通点については何もいわず,本性naturaの上でも存在existentiaの上でも異なるふたつのものが,一方が原因causaであって他方が結果effectusであるということはあり得るという一般論で答えています。この解答は原因は本性の上でも存在の上でも結果とは異なるがゆえに原因であるといっているのと同じだと僕は解します。スピノザがこの質問にこう答えたのは,チルンハウスの誤解は神の知性の解し方にあったとスピノザが判断していたからだったのではないでしょうか。

 11月7日,水曜日。郵便局に行きました。前日に母の除籍謄本を取得していましたので,簡易保険の年金の停止の手続きをするためでした。郵便局は僕の家から歩いて3分もかからないところにある関係で,局員の中には母を知っている方もいます。僕は母が死んでから郵便局のATMは何度も利用していました。喪中はがきのパンフレットもこの郵便局で入手したものです。しかし局員の方と話をしたのは,この手続きの方法を教えてもらうために訪問したときが初めてでした。つまりそのときに局員の方でも,母が死んだということを知ったことになります。実は母はほかにも簡易保険の生命保険に加入していましたし,郵便貯金の口座もありました。ただ,すべてを一挙に行うのは僕にとっても大変なので,まず銀行の口座の相続の手続きから開始することにしました。
 11月8日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。同時にこの日は三者面談でした。迎えに行くのは午後3時ごろですので,その時間から施設で行いました。これは,前回の面談のときに立てた今年度の妹に対する支援計画の中間報告です。場合によっては立てた計画を変更するということもあるのですが,妹の場合は変更はありませんでした。なお,この支援計画というのは,通所施設での支援とグループホームでの支援が別個になっています。つまりその両方の計画の説明を受けることになりますので,それなりの時間を要することになります。また,来年の4月から,通所施設が変更になる可能性があることを伝えられました。僕としては変更自体は構わないけれども,送迎の関係上,あまり遠方では困るということを伝えておきました。ただしこれは現時点では何も決まっていません。
 僕の方からはひとつ相談をしました。妹が新しい受給者証を取得するために,医師の所見が必要だったのです。これまでは母がすべてやっていたので僕には不明でしたが,たぶんそれができたのはこども医療センターの主治医だったと思うのです。ところが妹は現在はこども医療センターには通院していませんから,その先生にはもう依頼できません。なので請け負ってくれる医師を探す必要があったのです。
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叡王戦&部屋

2019-02-22 19:06:01 | 将棋
 19日に指された第4期叡王戦挑戦者決定戦三番勝負第二局。永瀬拓矢七段の先手で菅井竜也七段の阪田流向飛車風の三間飛車。この将棋は中盤で後手が駒得をしながら馬を作り,先手の飛車が隠居するような形になってしまい,後手が差をつけました。その後,先手は飛車を使える形にして差を詰めていったのですが,はっきりと逆転したといえるまでには至っていなかったようです。
                                      
 先手が2二に飛車を打ち,後手が歩を受けた局面。ここで先手は☗4六角と王手をしました。
 これに対して後手は☖5五歩☗同角☖6四銀打と受けたのですが,この順は危険で,5筋を突き捨てるかどうかはともかく,7三の地点で受けた方がよかったと思われます。おそらくこの将棋で最も差が詰まったのがこの近辺だったのではないでしょうか。
 先手は☗同角☖同銀☗同馬で二枚換え。こんな順を見落とす筈はなく,次に☖7三角と受けるのが後手の狙いだったのでしょう。
                                      
 これは王手を受けただけでなく,先手玉への王手にもなっています。実戦はここで☗8四香と受けました。
 この手は鋭い受けで,単に王手を受けただけでなく,もし☖同歩なら☗8三銀と打って後手玉が詰みます。ただ☖9二王と対応され,☗7五馬☖同歩☗7四金に☖7八銀不成と取られては,後手が勝ちといえる局面になっていました。
 第2図で☗8四香と打つのが鋭い受けなら,☗8四銀と受ける手もあり得そうです。これも変化が多くてとても先手が勝ちとはいえそうもありませんが,実戦よりも先手玉は粘れる形になりそうなので,まだ一山あった可能性は残りそうです。たぶんこの将棋で先手にチャンスがあったとすれば,それはこの局面だけだったのではないでしょうか。
 菅井七段が勝って1勝1敗。第三局は今日です。

 11月2日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。妹が入所しているグループホームのメンバーは,通所施設では一部屋が与えられ,朝はその部屋まで送りますし,迎えに行く時間にはその部屋で待機しています。グループホームは男女混合の施設を建設することは許されていないようですが,妹が入所しているところは建物を1階と2階に分け,別の名称にして1階は男性用のグループホーム,2階を女性用のグループホームとしています。通所施設の部屋はこのふたつのグループホームが合わせて一部屋なので,通所施設では男女が混合しています。この週から,それまで使用していた部屋を別の目的で使用することになったため,妹が待機している部屋が変更になっていました。僕は変更になるということは事前に知っていましたが,いつからかということは知りませんでしたので,この日に迎えに行って初めて知ったことになります。大概の日は,迎えに行くと施設の入口にこの施設の施設長が立っています。僕はその方に教えられ,変更を知りました。部屋の位置も施設長に教えてもらいました。これまでの部屋より入口に近くなりましたので,その点では便利になりました。ただ,事務所は奥の方にありまして,少なくとも月に1度は僕は事務所に行きますので,そのときは手間が掛かることになります。前の部屋は事務所からはとても近い位置だったのです。
 11月5日,月曜日。妹を通所施設に送りました。この日から,送るのも新しい部屋になったことになります。
 11月6日,火曜日。区役所に行きました。これは母が自主的に加入していた簡易保険の年金を停止するのに必要な書類,具体的にいえば除籍謄本を入手するためです。
 この日に,妹の支援計画書を作成してくれる方が決定しました。ずっと探し続けていたのですが,空きがないというところばかりだったのです。グループホームの妹の担当者がなかなか見つからないことを心配してくれまして,知り合いの方を紹介してくれました。この日にその方が勤務する法人に電話をしました。そのときはその方は不在だったのですが,後で連絡をくれまして,請け負ってもらえることになりました。
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報知グランプリカップ&手続きの順序

2019-02-21 19:16:46 | 地方競馬
 昨晩のダイオライト記念トライアルの第55回報知グランプリカップ
 あまり争うことなくディアデルレイがハナに。1馬身ずつの間隔でシュテルングランツ,ハセノパイロ,タービランスという順で追走。その後ろはムサシキングオーとやや位置取りを上げたキングガンズラングの2頭。その後ろが少し位置取りを下げたワークアンドラブとゴールデンバローズの2頭となり,その後ろのディアドムスまでは一団。2馬身差でヒラボクプリンス。3馬身差でロードフォワードとエンパイアペガサス。2馬身差でバンズーム。最後尾にコンドルダンスと,残る5頭はばらばらの展開に。最初の800mは48秒8のハイペース。ただ,最初の200mのラップがとても速く,隊列が決まるとラップが極度に落ちるという変則ペースでした。
 3コーナーを回ったあたりからハセノパイロがシュテルングランツの外に並んでいき,3頭は雁行。直線に入るとシュテルングランツは脱落し,ディアデルレイとハセノパイロの競り合いに。コーナーでは内目を回ったタービランスはそのまま直線でも最内を突き,競り合う2頭を内から追い抜き,あとは差をつける一方の快勝。2頭の競り合いはフィニッシュまで続き写真判定に。2馬身差の2着は逃げ粘ったディアデルレイでハセノパイロはハナ差の3着。
 優勝したタービランスは2016年の羽田盃以来となる南関東重賞3勝目。ここでは明らかに能力が最上位といえるメンバー構成でしたから,順当な優勝といっていいでしょう。このレースは逃げて結果を出しているシュテルングランツの逃げが有力で,ただ距離を短くしたことで対応ができなければ,金盃のトライアルを逃げて圧勝したワークアンドラブが逃げることになるのではないかと想定。その場合,馬場状態が先行有利なので,タービランスが苦しむケースもあり得ると思っていました。ところが実際には能力ではそれらより劣るディアデルレイの逃げ。この馬でもぎりぎりの2着に粘ったように,逃げ馬が有利だったのは間違いないと思うのですが,それほど能力が高くない馬の逃げになったことは,タービランスにとっては幸いだったのではないでしょうか。最大の強みはレースで自身の能力は必ず発揮できる点で,大きく崩れることはまずありません。デビューの地である北海道と南関東を行き来している馬ですが,北海道のスーパーステションには敵いそうもないので,地区重賞を狙うのなら南関東にい続けた方がよいのではないかと思います。Turbulenceは乱流。
 騎乗した船橋の森泰斗騎手埼玉新聞栄冠賞以来の南関東重賞31勝目。今年はTCK女王盃を勝っています。報知グランプリカップは初勝利。管理している浦和の水野貴史調教師は南関東重賞3勝目で報知グランプリカップは初勝利。

 すでにいったように,は国民年金と共済年金の両方に加入していました。しかしそれだけでなく,自主的に簡易保険の年金にも加入していたことが,母の遺品を徐々に整理していくうちに分かりました。母が死んだことを伝えておかなければ年金は支給され続けます。支給され続ければ後で返さなければならないことになる可能性が高いです。この日に郵便局に赴いたのは,この年金の支給の停止の方法を教えてもらうためでした。
 母の遺品の整理をするのは僕だけですから,これはなかなか大変で,時間が掛かります。僕が原則的にどういう順序で手続きに手を付けていったかを説明します。手を付けていった,というといかにも完了したかのようですが,実際は母の死から半年が経過した現在の段階でも,すべてが終っているわけではありません。
 まず最初にしたのは,ライフラインに関連することです。すなわち電気やガス,水道といったことです。これらはいずれもこれまで名義人が母になっていて,母の銀行の口座から引き落とされていました。この名義人を僕に変更し,引き落としの口座も僕の口座に変更する手続きを,僕はまず実行しました。このうち,ガスと水道はすぐできたのですが,電気は事情があって時間が掛かりました。僕の家ではケーブルテレビに加入しているので電気も自由化の際にJcom電力に変更したのですが,カスタマーセンターへの電話がなかなか繋がらなかったのです。そこで,名義人は母のままで口座だけ変更するという手続きはネット上で可能ということが分かりましたので,この手続きだけ先に済ませました。名義人,これは電力だけでなくJcomと契約しているテレビやネットなども含めたすべてですが,その名義人変更の手続きが完了したのはこれよりずっと後のことでした。
 次に,支給されている年金を停止する手続きをしました。これは先述したように,いつまでも支給されていると後で困ることになると予想されましたし,そもそも法的に問題になると思われたからです。遺産の相続や保険の手続きはその後で実行しました。つまりもらっているものを片付けた後に,もらえるものの手続きに移ったということです。
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岡田美術館杯女流名人戦&喪中はがき

2019-02-20 19:01:33 | 将棋
 18日に指された第45期女流名人戦五番勝負第四局。
 里見香奈女流名人の先手で5筋位取り中飛車。伊藤沙恵女流二段は居飛車穴熊で対抗しました。
                                       
 先手が美濃囲いを完成させた局面。ここで☖9四歩と突いています。これは俗に居飛車の税金といわれる手ですが,囲いが完成した先手が攻めてくることが目に見えているこの局面ではややぬるい一面もあり,☖6四歩と反発しておく方が後手としてはいい展開になる可能性が高かったかもしれません。
 先手は☗7四歩☖同歩と突き捨てて☗5三歩成としました。これには☖同銀の一手。そこで先手が☗5四歩と打ったので,☖6四銀と出ておく手はあったかもしれません。しかし☖6二銀と引き☗5五角と出られたときに☖7三銀と上がって受ける順を選びました。このあたりは棋風で,角を出させた方がよいという考え方なのでしょう。ここから☗7四銀☖6四銀☗6三銀成は一本道に思えます。
                                       
 ポイントとなったのは第2図で,ここは☖5四金と出て銀取りを受けるべきだったようです。ただ,☖6二銀と引いたのは角を出させて指すという方針だったのでしょうから,実戦の☖5五銀の方が方針には合っているといえなくもありません。でもこれは☗同飛と取られ☖8八角の飛車香両取りには☗7七歩と封鎖されました。
 ここで☖2四角と上がって☗5三歩成を受けるのは仕方がないでしょうがそれでも☗5三歩成は金取りの先手。☖3三金寄もこの一手で先手は☗7四飛と転換。☖9九角成で駒得は拡大しましたが☗7一飛成と成り込まれました。
                                       
 第3図は駒損でも成駒を3枚も作った上に8一の桂馬を取って2五に打つ手があるので,いかにも穴熊の姿焼きができそうな局面。5筋位取り中飛車のような積極的に動いてくる振飛車に対して居飛車穴熊に組むためには細心の注意が必要なのですが,この将棋はそれが十分に行き届いていなかった一局であったという印象が僕には強いです。
 3勝1敗で里見名人が防衛。第36期,37期,38期,39期,40期,41期,42期,43期,44期に続き十連覇となる通算10期目の女流名人獲得となりました。

 ランタスの注射量を減らしたため,場合によっては血糖値が高めで推移し,HbA1cも高くなってしまうおそれがあります。なので様子を見るために次回の通院までの間隔は約1ヶ月と,通常よりも短くなりました。
 帰途に薬局に寄りました。この日はインスリンも注射針も在庫が足りていました。この日はおくすり手帳を持参するのを忘れてしまったのですが,問題は生じませんでした。
 10月19日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 10月22日,月曜日。妹を通所施設へ送りました。
 10月27日,土曜日。土曜レクリエーションでした。このためにこの週は妹を迎えには行かず,ホームで過ごさせました。この日のレクリエーションは,学校でいうなら文化祭に該当するような行事でした。ただし僕は行っていません。
 10月28日,日曜日。この日から少しずつ,喪中はがきの投函を開始しました。
 2010年の8月に父が死んだ後,10月上旬に母が小脳出血で倒れました。なのでこのときは母が喪中はがきの用意をすることができなかったため,僕がすべてを用意し,宛名も書いて出しました。そのときは業者にネットで喪中はがきの作製を依頼したのです。今回もそれと同様ではあったのですが,郵便局にチラシがありましたので,それを利用しました。つまり前回は印刷業者に依頼したのですが,今回は郵便局を利用したということになります。ただ,ネットで依頼した方が料金が安くなっていましたので,窓口で頼んだわけではなく,チラシだけを持ち帰ってネットで事前に依頼し,はがきもすでに到着していたのです。実はその日付が昨年の11月となっていましたので,この日の投函は少し早かったのですが,もう10月も終わりだからいいだろうと思ったのです。なお,枚数はそこそこありますので,この日にすべてを投函し終えたというわけではありません。宛名は書かなくてはいけませんから,徐々に書いていくことにしていて,その最初がこの日だったということです。ですから大方のはがきは日付のある11月中に届いた筈です。
 11月1日,木曜日。郵便局に行きました。これは簡易保険の年金についてです。
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春日賞争覇戦&2018年10月の通院

2019-02-19 19:01:40 | 競輪
 奈良記念の決勝。並びは新山‐山崎‐佐藤‐竹内の北日本,村上‐村田の近畿,原田‐小倉の徳島で長島は単騎。
 小倉がスタートを取って原田の前受け。3番手に村上,5番手に長島,6番手に新山で周回。残り3周のホームから新山が上昇。コーナーに差し掛かるあたりで原田の前に。ただ新山は誘導を斬らなかったので,新山の後ろは前受けしていた原田,このラインを追ってきた村上,そして番手の山崎の3人が折り重なる形。原田は引いていきましたが村上は引かず,残り2周のホームからは番手戦。新山はコーナーから発進。番手はあっさりと村上が奪いました。佐藤がうまくその後ろを確保したので打鐘後のバックで山崎を3番手に迎え入れたのですが,この時点で2番手と3番手が大きく開き,佐藤の後ろに村田,竹内がその後ろで原田が7番手,長島が最後尾という縦長の一列棒状に。新山はそのまま快調に駆けていったため3番手以下はまるで追いつけず,直線で余裕をもって差し切った村上が優勝。逃げた新山が半車身差の2着。3車身差の3着はバックから捲っていった原田。
                                     
 優勝した京都の村上博幸選手は松阪記念から一開催を挟んでの優勝で記念競輪8勝目。奈良競輪は初優勝。このレースのポイントはふたつあって,ひとつは新山がどのような競走をするのかでした。明らかに先行できるメンバー構成になったので,自分のペースで走れば新山の力をもってすれば逃げ切りも可能でしょうが,北日本ラインの並びからすれば早めに駆けていってもおかしくないとも思えました。もう一点は村上の出方で,脚を溜めて自力で勝負をするのか,それとも北日本を分断しにいくのかでした。結果的に新山は自分のペースで駆けることに徹し,村上は番手戦を挑むことに。この場合は隊列が短くなって原田の捲りが炸裂というケースもあり得たのですが,すぐに競りに決着がついた上,浮いてしまった山崎を佐藤が迎え入れたために車間が開いてしまい,完全に前のふたりだけの優勝争いとなりました。当初からの予定であったのか,それとも展開的にそうそうせざるを得なかったのかは分かりませんが,村上にとっては会心のレースだったことでしょう。個人的にもあり得る展開と考えていただけに,有難い結果となりました。

 10月15日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 午後は内分泌科の通院でした。病院に到着したのは午後2時20分です。この日は予約が2時半でしたから,事前の検査の時間を考慮に入れればこれでは間に合わなかったのですが,2時半の予約でも実際に診察が開始になるのは3時近くというケースも多く,この時間の到着で構わないと思ってそうしました。
 保険証の確認を最初にしますが,母が死んで世帯主が変わったため,僕と妹の保険証も新しくなっていました。このために保険証のコピーという手続きが必要になりました。
 中央検査室には待機している患者がいませんでしたので,すぐに採血をして,それから採尿をしました。この日は尿の量がいつもより少なかったのですが,問題はなかったようです。注射針は箱が一杯になっていませんでしたので,この日は持参しませんでした。
 院内のコンビニエンスストアで週刊競馬ブックを購入。読みながら内分泌科の受付で待機していました。診察のために呼ばれたのは午後3時でした。
 HbA1cは7.0%でした。8月よりは高くなっていたのですが,この数値なら問題はありません。ただサマリーは,低血糖の値が3.6%となっていました。前回はこれが1.1%でしたから,HbA1cは高くなっていたのですが,低血糖の回数は増えていたのです。このために医師は持続効果型のインスリンであるランタスの注射量を0.01㎎だけ減らすように指示しました。それでもし血糖値があまり高くなってしまうようであれば,超即効型のインスリンであるヒューマログの注射量を増量することで調整するようにという指示が同時に出されました。なのでこの日の夕食前からは,ランタスの注射量を減らすことになりました。
 この日はほかに異常がひとつあって,白血球数が10900/μℓと,上限値の9800/μℓを超えていました。この数値が検査詳細情報に掲載されるようになったのは2017年7月からで,最も少ないときで5100/μℓ,最も高いときで6400/μℓでしたから,この日は異常に高かったことになります。どうなると高くなるのかが分からないので,理由は不明です。
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朝日杯将棋オープン&同窓会

2019-02-18 19:24:56 | 将棋
 16日に有楽町朝日ホールで指された第12回朝日杯将棋オープンの決勝渡辺明棋王と藤井聡太七段は公式戦初対局。
 振駒で渡辺棋王が先手になり,雁木を目指しました。後手の藤井七段も追随して相雁木。先手が棒銀で後手が腰掛銀という珍しい展開に。
                                      
 先手が銀を4六に組み替え,後手が4三の銀を上がって3五の歩を守った局面。飽和状態になっているので先手から仕掛けていくことになりました。
 まず☗7五歩。これは後手の対応を見てその後の指し方を決定する意図。候補となるのは☖8四飛と☖6三金ですが後手の選択は前者でした。
 先手は☗2四歩☖同歩と突き捨てて☗6五歩と角道を開けました。これを☖同桂と取ると角取りになって気持ちいいのですが,じっと☖同歩と取って後の☖6六歩を狙いとしました。
 ここはいくつか手があったと思いますが先手は☗5五歩と突きました。これに対して☖4三銀右なら☗7六銀で一旦は落ち着くのですが後手はそうはさせじと☖6三銀。
 今度は☗7六銀では☖6四銀から押さえ込まれるので☗7四歩と取って☖同飛に☗7六歩と打ちました。後に銀が手に入れば☗7五銀と打って後手の飛車の行き場がなくなるのが狙い。後手はそれを避けて☖8四飛と逃げました。
 先手はそれでも☗3八飛と寄って銀の交換を狙いに。とはいえここではこれくらいしか狙いのある手がなかったのかもしれません。後手は☖7五歩と打ち押さえ込みを狙いに。☗同歩☖6四銀ではいかにも後手の狙い通りになりそうなので☗3五銀☖同銀☗同飛は仕方がないところだと思います。
 角を入手すれば王手飛車を掛けられる局面になったので後手は☖7六歩。☗同銀は☖6六銀で困りますから☗8八角と逃げました。
                                      
 実戦は第2図から☖3四歩と打ったのですがこれは疑問手ですぐに☖7五銀と打つべきだったというのが後手の感想戦での最初の反省でした。もし☗7五銀と打たれていれば飛車を下に逃げていては☗3四飛で何をやっているか分からないので必然的に飛車交換になります。そのとき先手は☗6九歩と打てるのに対して後手は一段目に歩が打てないため,その飛車交換は先手に利がありました。ただ先手がその手を逃して☗3六飛と逃げたため,☖7五銀と手厚く打った後手が以下は快勝することになりました。
 藤井七段が優勝。今年度の新人王戦以来となる3度目の棋戦優勝。第11回に続き朝日杯将棋オープンは連覇を達成しました。

 10月10日,水曜日。前日に予約しておいた歯科検診でした。11時から。クリーニングをしただけで,注意を受けることもありませんでした。
 10月11日,木曜日。区役所に行きました。母の医療費が限度額を超過していたため,それを請求する手続きです。これは後日に銀行の口座に入金されることになります。
 10月12日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。アレルギー症状を発症していた妹の様子はあまり変わっていませんでした。
 10月14日,日曜日。母が退職するときのひとつ前に勤務していた中学校の同窓会でした。事前にSさんから電話で連絡をもらっていたこともあり,僕が妹を連れて出席しました。母は特殊学級,現在でいう特別支援学級の担任であったため,この同窓会には重度知的障害者である妹を連れて行くのが通例でした。僕は行ったことはありませんが,妹が参加者のひとりであった関係で,母の死後も連絡があったのです。
 この同窓会はかつては伊勢佐木町にあったハイランドレーンというボーリング場で開催されるのが常でした。現在はハイランドレーンは閉館し,ソプラティコという名称の施設になっています。この年の同窓会の会場はそこで,午前中は2階でボーリングを1ゲーム,その後は6階に移動して借り切った1室で昼食を済ませ,昼食後はその部屋でミニゲームをするという内容でした。このミニゲームは同窓会に参加した先生方,つまりかつての母の同僚たちが考案したいくつかのものです。午前10時半ごろから始まって午後2時ごろに解散となりました。参加したのは先生や僕のような保護者も含めて総勢で20人ほどでした。
 妹が好むのはカラオケとボーリングです。カラオケの機器は入所しているグループホームにあります。普段は使うことはありませんが,週末にグループホームに滞在している場合は歌うことができます。というか妹は必ず歌っているようです。しかしボーリングはボーリング場まで連れて行かなければできず,ガイドヘルパーの利用も,一緒に参加する利用者の都合で,終りの頃はカラオケばかりになっていたため妹にとって久しぶりでした。とても楽しめたようです。
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フェブラリーステークス&往復

2019-02-17 19:22:08 | 中央競馬
 第36回フェブラリーステークス
 ゲートの中で立ち上がっていたノンコノユメは発馬でも遅れて4馬身の不利。一旦はサンライズソアが前に出ていましたが内からインティが前に出て逃げました。控えたサンライズソアが2番手で内の3番手にサクセスエナジー。4番手はモーニンとワンダーリーデル。オメガパフュームが6番手で,ノンコノユメは向正面でその外まで追い上げました。ユラノト,ゴールドドリームと続いてその後ろはメイショウウタゲとノボバカラ。サンライズノヴァが後方3番手で後方2番手はクインズサターン。ノンコノユメが動いたことで最後尾となったのがコパノキッキング。前半の800mが48秒0のスローペースとなったこともあり,14頭が集団でのレースに。
 直線に入ったところでも逃げたインティは楽な手応え。そのまま2番手以降との差を広げていきました。追うことができたのは前をいく各馬よりは外に出したゴールドドリームだけ。フィニッシュに向けて差は縮まっていったのですが差すところまではいかず,逃げ切ったインティが優勝。ゴールドドリームがクビ差で2着。内目を捌いて上がってきたユラノトが4馬身差で3着。
 優勝したインティは一昨年4月にデビュー。初戦は大敗だったのですがその後は一昨年の夏から昨年の夏までおよそ1年の休養を挟みながら6連勝。前走は前哨戦のひとつの東海ステークスで重賞初制覇を達成していました。これだけのメンバーと対戦するのは初めてだったのですが,底を見せていないだけに勝ってもおかしくないと考えていました。このレースはスローペースになって展開面では恵まれましたから,2着馬以上の力があるとみなすのは早計かもしれませんが,2着馬はこの舞台を最も得意とする実績最上位の馬ですから,それを抑えて勝ったという点は大きく評価するべきだと思います。ルヴァンスレーヴとの対戦が楽しみとなりました。Intiはインカ神話の太陽神。
                                      
 騎乗した武豊騎手は一昨年の有馬記念以来の大レース制覇。第20回,23回,25回,32回に続き4年ぶりのフェブラリーステークス5勝目。管理している野中賢二調教師は2014年のジャパンダートダービー以来となる大レース2勝目。

 10月5日,金曜日。妹を通所施設へ迎えに行きました。妹はどうも何らかのアレルギー症状を発症したようで,鼻水がよく出ましたし,目も充血していました。ただ医者に連れて行くというほどではありませんでしたので,市販の目薬と鼻炎薬で対処しました。
 10月7日,日曜日。妹のピアノのレッスンでした。開始時刻は午後2時でした。
 10月9日,火曜日。妹を通所施設に送りました。8日は体育の日で休日だったからです。
 通所施設は港南区内ですが,これは磯子区に近い場所にあることはすでに書いた通りです。往復にはバスを乗り継ぎます。僕の家の最寄りのバス停から上大岡駅まで行き,そこで乗り換えて通所施設に最寄りのバス停まで行くのです。この場合,僕の家は磯子区で,上大岡へ行くバスは途中で南区内を通過して終点の上大岡に到着します。上大岡は港南区内です。一方,妹の通所施設の最寄りのバス停は磯子区内ですから,乗り換えたバスが磯子区内に入った最初のバス停で僕たちは降ります。あとは歩いて港南区内に戻る形になります。これは行きの場合で,帰りはこれと逆に,港南区を出発して,磯子区,港南区,南区,磯子区という順で帰って来ることになるのです。
 妹を電車に乗せるよりはバスに乗せる方が楽なので,僕はこうした往復をしています。しかし最短で往復しようと思えば,僕の家から根岸駅にバスで向い,根岸線に乗り換えて洋光台まで行き,駅前のバス停から通所施設の最寄りのバス停に行くという方法になり,これはずっと磯子区内を乗り継ぎ,最後に徒歩で港南区に入るという形になります。上大岡駅前から通所施設の最寄りのバス停に向かうバスは,洋光台駅前を経由して港南台駅前に行くという系統ですから,この場合でも乗るバスは同じです。というか,洋光台駅前から通所施設の最寄りのバス停を経由する系統はほかにふたつあるので,利便性もこちらの方が高いです。
 僕はこの日は早く帰る必要があったので,行きは妹と一緒にバスを乗り継ぎましたが,帰りは洋光台駅前に出て電車で帰りました。この場合は根岸駅に着くことになるので,ついでに歯科検診の予約を入れてきました。
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表彰選手&四十九日法要

2019-02-16 19:25:08 | 競輪
 昨年の競輪の表彰選手は1月21日に発表されています。遅くなりましたがここで紹介しておきます。
 最優秀選手賞は奈良の三谷竜生選手。日本選手権,高松宮記念杯とGⅠを2勝してグランプリも優勝。これは文句なしでしょう。2月の高松記念奈良記念,3月の玉野記念と記念競輪も3勝しました。2014年に優秀新人選手賞,2017年に特別敢闘選手賞を受賞していて,3度目の受賞。MVPは初受賞となりました。
                                      
 優秀選手賞はふたり。ひとりは福井の脇本雄太選手。オールスター寛仁親王牌でGⅠを2勝。三谷がMVPを受賞できたのは脇本のおかげといっても過言ではなく,こちらも当然の受賞。得点,勝率,連対率はいずれもトップでした。7月に福井記念も優勝しています。2012年に特別賞を受賞していますが,優秀選手賞は初受賞。2017年は国際賞でした。
 もうひとりは三重の浅井康太選手競輪祭で優勝。6月の久留米記念,9月の富山記念,10月の豊橋記念,12月の四日市記念と記念競輪は4勝。記念競輪を4勝したのはひとりだけですからこれも順当な受賞。2011年,2015年,2017年に続き2年連続4度目の優秀選手賞。ほかに2014年の特別敢闘選手賞を受賞しています。2011年は国際賞も同時に受賞。
 優秀新人選手賞は長崎の山崎賢人選手。11月に取手記念を優勝しました。このカテゴリーの選手で記念競輪を優勝するのは快挙といっていいので,これも順当かと思います。初受賞。
 特別敢闘選手賞は山口の清水裕友選手。11月に防府記念を優勝しました。GⅠの決勝に2回進出し,グランプリにも出場したのですが,例年に比べると甘めの選考のような気もします。清水は山崎より年齢は若いのですが,優秀新人賞の対象外ですから,分け合ったという形でもありません。いずれは順当といわれるような成績で,何らかの受賞をする選手だと思います。
 国際賞とガールズは当ブログの対象外ですので割愛します。

 14日にした国民年金の手続きと,19日に行った国民年金の証明書の発行は別物です。前者は国民年金の支給を停止してもらうためのもので,後者は還付金がいくらかあったので,その支給のために必要とされる証明書の発行でした。
 9月20日,木曜日。午前11時に導師が来訪して読経をしました。翌週が四十九日の法要になっていましたので,週に1回の住職の導師の来訪はこれが最後になりました。
 9月21日,金曜日。妹を通所施設まで迎えに行きました。
 9月25日,火曜日。妹を通所施設に送りました。24日の月曜日が秋分の日の振り替え休日だったためです。
 9月28日,金曜日。妹を迎えに行きました。
 9月30日,日曜日。この日が母の四十九日の法要でした。お寺で午後1時からでした。遺骨は従来からお寺にある納骨堂に納めたのですが,この間は大雨になって大変でした。台風が接近中だったのです。お寺への送迎は父のきょうだいの三女の長男がしてくれました。遺骨のほかに返礼品も持って行かなければなりませんでしたから,自動車で送ってもらえるのはとてもありがたかったです。通常はこうした法事のときは,終了後に精進落としをするものですが,この日は行いませんでした。その代わりといっては何ですが,出席者の塔婆の代金はこちらで負担しました。
 帰ってから,葬儀社に電話をしました。遺骨を納骨堂に納めましたから,祭壇は不要になりましたので,その片付けを依頼する電話です。
 10月1日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 前日に電話をした葬儀社は,この日の午後2時から3時の間に来訪するということでした。実際にその間に訪ねてきて,この日のうちに祭壇は片付けられました。
 10月3日,水曜日。夜にピアノの先生から電話がありました。週末に予定されていたピアノのレッスンの開始時刻の件でした。
 10月4日,木曜日。区役所に行きました。これは共済年金,正式にいうと公立共済年金の事後処理のために必要な書類を取り寄せるためです。国民年金と別になったのは,必要な書類を報知する手紙が僕の家に到着した日のずれによるものです。
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叡王戦&区役所

2019-02-15 18:57:10 | 将棋
 11日に指された第4期叡王戦挑戦者決定戦三番勝負第一局。対戦成績は菅井竜也七段が0勝,永瀬拓矢七段が2勝。
 振駒で菅井七段が先手になり5筋位取り中飛車から相穴熊の将棋になりました。
                                     
 後手が4一の金を上がって固めたところ。ここで先手は☗5九角と引きました。この手は仕掛けを誘発したかもしれません。
 後手は☖8六歩☗同歩と突き捨てました。ここで☖同角は☗8八飛があるので無効なのですが,☖7五歩☗同歩☖同角とこちらを交換しました。
 先手は角を使うべく☗3六歩と突いたのですが,この手はよくありませんでした。
 後手は☖7二飛と回りました。これは☖3九角成と切って飛車を成り込む狙い。先手はそれを避けて☗7七角と戻りましたがそこで☖7八歩と打つのが軽妙。☗同飛は角を切られて☖8七金があるので☗7六歩と打ちましたがそれでも☖3九角成と切られ☗同金に☖7九歩成とと金を作られました。
                                     
 第2図は先手の駒得ですがこれは一時的なもの。となれば金を1枚剥がされている先手の穴熊が弱体化している分だけ後手がよくなっています。先手は☖7二飛と回られたときに☗7六歩と受けることができなければいけませんでした。なので☗3六歩のところは☗5六飛と指すべきだったということになりそうです。
 永瀬七段が先勝。第二局は19日です。

 9月13日,木曜日。午後5時半に導師が来訪して読経しました。この日にの四十九日の日取りが正式に決定しました。親戚に連絡したのはこの後です。
 9月14日,金曜日。区役所に行きました。この日に済ませた手続きは,母の介護保険に関連するもの,横浜市から助成がある葬祭費に関連するもの,そして母の国民年金に関連するものの3つです。12日にも区役所に行ったのですが,この日と分けたのには理由があって,まず第一に,この日の3つの手続きは,12日に済ませた2つの手続きの終了の証明書が必要であったことです。ただしこれは12日にもらえたので,その日のうちに済ませることができなかったわけではありません。ですから主たる理由は第二のもので,12日の手続きのためにこちらで用意しなければならないものとこの日の手続きにためにこちらで用意しておかなければならないものが別で,12日の手続きのときはこの日の手続きのために用意しておかなければならないものを持参していなかったからでした。どんなものが必要かは事前に分かっていますし,12日の手続きはさほど時間を要するものではありませんでしたから,こうした手続きを今後するという方のためには,ふたつを同時に済ませてしまうのがよいと助言しておきます。
 この日は妹の通所施設で納涼会というのがありました。これは8月から分かっていました。妹はこれを,7月に中止になった盆踊りの代替であると勘違いしていたようで,8月の段階からこの日はホームに泊まりたいと言っていました。納涼会は通所施設で開催するものだと説明したのですが分かってくれませんでしたので,本人の希望通りに,この日はグループホームで過ごすようにしておきました。ですからこの日は妹を迎えに行っていません。
 9月19日,水曜日。また区役所に行きました。これは母の国民年金の手続きのために必要な証明書を発行してもらうためでした。母は中学校の教師でしたから,共済年金にも加入していたのですが,そちらに尋ねたところ,母の場合は共済年金と国民年金は別々に手続きしなければならないということでしたから,証明書が必要になったのです。
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棋王戦&採血

2019-02-14 19:06:29 | 将棋
 10日に新川文化ホールで指された第44期棋王戦五番勝負第二局。
 渡辺明棋王の先手で角換り相腰掛銀。後手の広瀬章人竜王中住い。2筋を突破されて3段目に玉が逃げ出す展開。僕にはすごく難しい将棋でした。
                                     
 2六の角が成ったところ。ここで先手は☗7五歩と突きました。
 この手も後手玉の急所を攻める手ですが,ここは☗2二龍と使っていく手や☗5五桂と王手をする手もあり,それらの方が厳しいように思えます。なのに☗7五歩が選択されたということは,それらの変化には悪くなる順があり,消去法だったのではないかと推測します。よってここは先手が自信を持てる局面ではなかったのではないでしょうか。
 後手には☖8五桂と跳ねる手があり,結果からいうとここでその手が成立していないと実際にはもう先手が優位に立っていたということになるのだと思います。ですがそれでは攻めきれないとみての☖8七歩だったと思われ,そうなると後手には勝ちがなかったのかもしれません。
 先手は☗同金と取り☖5七金に☗同金☖同成銀と清算して☗7四歩と取り込みました。
 ここで☖7五香と打てば☗7三歩成☖同金☗7六歩と進むと思われます。実戦は後で似たような筋が出ていますが,ここで打っておいた方が後手は少しだけ得だったかもしれません。ただしだから勝てるというわけではなさそうです。
 実戦は単に☖6七成銀と寄ったのですがそこで☗7三歩成☖同金としてから先手は☗7八金と受けました。
                                     
 第2図は先手玉を寄せるのが大変な局面になっています。ここでは先手が勝ちといってよさそうです。
 渡辺棋王が連勝。第三局は来月10日です。

 本牧脳神経外科には診察室に隣接して処置室があり,採血はそこで行われます。妹は肉厚の上に血管が細いので,採血には苦労します。多くの場合,採血は肘の裏側周辺に注射するのではないかと思いますが,妹の場合はその部位からは採血することができません。ここでは何度か採血していますから,担当する看護師もそのことは心得ています。この日は妹をベッドに寝かせ,左手首の親指側から採血をしました。うまくいかずにやり直しになることもあるのですが,この日はこの1度の注射できちんと採血することができました。
 帰途に薬局に寄りましたが,この日は妹の薬が足りていませんでした。足りない分については郵送してくれることになりました。
 夜になって,ピアノの先生から電話がありました。日曜に予定されていたピアノのレッスンの開始時刻の報告でした。
 9月8日,土曜日。午前中にSさんから電話がありました。母が退職するときに勤務していた中学校の同窓会が10月にあるという報知でした。ボーリングをするので参加してほしいという内容です。前日に足りなかった薬はこの日の夜のうちに配達されました。妹の薬局は僕の薬局とは異なり,チェーン店ですから,これは郵送による配達です。
 9月9日,日曜日。ピアノのレッスンでした。午後2時半からです。妹は日帰り旅行のときに買ってきたお土産を先生に渡しました。また,妹の誕生日が近いということで,先生の方からもプレゼントをいただきました。生花とガラスのケースに入ったプリザーブドフラワーでした。僕は花を飾る習慣はありません。生花の方は仏花に使いました。プリザーブドフラワーの方はグループホームに持参し,妹の部屋に飾ってもらうことにしました。
 9月10日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 9月12日,水曜日。区役所に行きました。この日にした手続きは,住民票の世帯主を変更することと,母の印鑑登録証を返却することです。また,僕たちの家族はマイナンバーカードはだれも作成していませんが,通知カードはあります。それも返却するつもりでしたが,必要になる場合があるので返さなくてよいとのことでした。
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