スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ユングフラウ賞&連想

2025-02-26 11:40:06 | 地方競馬
 24日に行われた桜花賞トライアルの第17回ユングフラウ賞
 前にいこうとしたのはツウエンティフォー,ゼロアワー,リヴェルベロ,エスカティアの4頭。最内のツウエンティフォーがハナを奪い1馬身半くらいのリードに。リヴェルベロが単独の2番手となり,ゼロアワーとエスカティアが3番手で併走。プラウドフレールが5番手でパトリオットゲームが6番手。この後ろをモンゲーキララ,フリーダム,ウィルシャインの3頭で併走。3馬身差でナーヴィスゼーダとアメストリスが並び最後尾にサティスファイア。最初の600mは36秒9のミドルペース。
 直線の入口ではツウエンティフォーとリヴェルベロが併走となりその後ろがエスカティアとプラウドフレール。この中でプラウドフレールの勢いがよく,すぐに先頭に立つと抜け出して快勝。前を捌けず遅れて追い出されたゼロアワーが逃げ粘るツウエンティフォーを差して1馬身半差で2着。逃げたツウエンティフォーが4分の3馬身差で3着。
 優勝したプラウドフレール東京2歳優駿牝馬からの連勝で南関東重賞2勝目。東京2歳優駿牝馬,ユングフラウ賞と連勝したわけですから,桜花賞は最有力候補でしょう。ただこのレースは外枠からスムーズにレースを進められたのに対し,ゼロアワーは苦労していましたから,逆転の可能性もある程度はあると思われます。母の父はネオユニヴァース。4つ上の半兄が一昨年昨年のフジノウェーブ記念を連覇している現役のギャルダルでひとつ上の半姉が一昨年のローレル賞を勝っている現役のミスカッレーラ。Fleurはフランス語で花。
 騎乗した船橋の張田昂騎手は川崎マイラーズ以来の南関東重賞9勝目。第14回以来となる3年ぶりのユングフラウ賞2勝目。管理している船橋の川島正一調教師は南関東重賞36勝目。ユングフラウ賞は初勝利。

 自身の感情affectusの真の原因causaが自身にも分からなくなってしまうようなことが生じる要因を,スピノザはふたつの法則が働くからだといっていると吉田は指摘しています。ふたつの法則のうちのひとつが模倣imitatioで,もうひとつが連想associtatioです。ここでは感情の模倣imitatio affectuumを考察の中心として取り上げたいのですが,吉田は連想を先に考察していますので,それをみておきましょう。なお,僕が事前に感情の要因が現実的に存在する人間においては複雑になるということを示した部分は,この連想の方と大きな関係を有しています。というのは現実的に存在する人間がある表象像imagoから別の表象像へと移行することは,連想そのものといっていいからです。つまりこのことについては僕はすでに僕の仕方で説明したのですが,それを吉田がどう探究しているかを確認するということになります。
                            
 吉田は連想がある感情と結びつくメカニズムを,本来は現実的に存在する人間が刺激された感情と無関係である筈の事物が,たまたまその感情に刺激されたときにそこに現実的に存在した,あるいはそのように表象されたということによって,いってみれば巻き添えのような形で,その感情の原因となってしまう場合として説明しています。これは僕の説明とは異なった事例といえるでしょう。吉田が具体例として指摘しているのは以下のようなものです。
 ある人間がだれか大切な人を亡くしてしまい悲嘆にくれているとき,葬儀で大量の菊の花を目撃したとします。この菊の花とこの人の悲しみtristitiaは,本来的にはまったく関係がないといわなければなりません。しかしこの人はこれ以降,菊の花を表象するimaginariたびごとに,深い悲しみを感じるということがあり得ます。これはこの人の中で,菊の花の表象像が,大切な人の葬儀の表象像と連結したからで,菊の花を見ると葬儀のことを連想し,それで悲しみを感じるというメカニズムが働くようになるからです。これはごく簡単なメカニズムですから,その当人が菊の花を表象することによって悲しみを感じることがなぜなかが分からないというほどではないでしょう。しかし菊の花はたまたま葬儀のときに表象されただけですから,連想であることに違いはありません。
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中日新聞杯かきつばた記念&複雑な原因

2025-02-25 10:05:58 | 地方競馬
 昨日の第27回かきつばた記念
 先手を奪ったのはエートラックス。ロードフォンスとシャマルが2番手でサントノーレとペイシャエスが4番手。6番手のサンライズホークまでが集団。2馬身差差でサヴァ。マスクトライとメルトが並んで追走し,6馬身差の最後尾にセイヴァリアントで発馬後の正面を通過。ミドルペースでした。
 向正面で内からロードフォンスが上がっていくと外からシャマルも応戦。3コーナーで逃げたエートラックスを間に挟んで3頭が併走になりましたが,エートラックスに挟まれる不利があったようで後退。ロードフォンスのさらに内からサンライズホークが追い上げてきました。サンライズホーク,ロードフォンス,シャマルの競り合いからはシャマルが脱落。2頭はフィニッシュまで競り合い,外のロードフォンスが制して優勝。サンライズホークがクビ差で2着。シャマルのさらに外から追い込んできたペイシャエスがクビ差の3着でシャマルは1馬身半差の4着。
 優勝したロードフォンスは重賞初制覇。重賞初挑戦だった前走の根岸ステークスは離されたとはいえフェブラリーステークスを勝ったコスタノヴァの2着。前々走はオープンを勝っていたこともあり,実績馬を差しおいて1番人気の支持を集めていました。快勝とはいきませんでしたが,初めてとなる小回りコースに対応できたのは大きく,今後の展望が広がりそうです。父はロードカナロア。母の父はダイワメジャー
 騎乗した横山和生騎手と管理している安田翔伍調教師はかきつばた記念初勝利。

 表象像imagoの連結connexioは『エチカ』の中でいくつかの仕方で説明されているのですが,ここでは考察の便宜上,感情の模倣imitatio affectuumとはあまり関係を有さない部分として,第二部定理一八備考を援用しておきましょう。
                       
 この備考Scholiumでいわれている様式によって,現実的に存在する人間の表象像は,Aの表象像からBの表象像へ,そしてまたCの表象像へと次から次へと移り変わっていくことになります。このような仕方でたとえば最後にDの表象像に至ったとして,そのDを表象するimaginariことによって何らかの感情affectus,たとえばXという感情に刺激されたとしましょう。この人間がXという感情に刺激されるafficiのは,Dを表象したからです。なのでXの感情に対してDの表象像だけがその人間の中で原因causaを構成しているかといえば,必ずしもそうはいえないことは明白でしょう。なぜならこの人間がXという感情に刺激されたのは,いい換えればDを表象したのは,まず最初にAを表象したからであり,そのAの表象像から次々と表象像が移行し,最終的にDの表象像に至ったからだといえるからです。なので,たとえこの人間が最初にAを表象したときにはXという感情には刺激されていなかったとしても,もっと分かりやすく何の感情に刺激されていなかったとしても,Aの表象像はこの人間がXという感情に刺激されるときの原因である,少なくとも原因の一部を構成しているということができるでしょう。そしてこのことは,AからDへと至る間のすべての表象像にも妥当するでしょう。このようなわけで,単一の表象像がある定まった感情の原因であるという場合よりも,複数の表象像がひとつの感情の原因を構成するということが,現実的に存在する人間の場合には多くなるのです。僕が第二部自然学②要請三を原理的説明の主要部分であるといったのはこのような意味においてです。
 それでは吉田の探究に戻ります。
 実際の現実的に存在する人間の感情というのは,ひとつの原因に絞れるものではなく,僕が示したようなもっと複雑な原因が錯綜しているのであって,あまりにも錯綜しているため,感情に刺激されている当人にも,本当の原因が分からなくなってしまうということがあり得ます。
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フェブラリーステークス&原理的説明

2025-02-24 10:19:26 | 地方競馬
 高知から1頭が遠征してきた昨日の第42回フェブラリーステークス
 逃げたのはミトノオー。ウィリアムバローズ,サンデーファンデー,アンモシエラ,デルマソトガケの順で差がなく続き,押さえながらミッキーファイト。さらにエンペラーワケアとコスタノヴァ。さらにペプチドナイル,ドゥラエレーデがいてタガノビューティーとガイアフォース。さらにサンライズジパングとヘリオス。メイショウハリオまでの15頭は集団。アーテルアストレアだけが3馬身ほど離されました。最初の800mは47秒2のミドルペース。
 直線の入口ではミトノオー,ウィリアムバローズ,サンデーファンデーで雁行。ここから直線で前に出たのはサンデーファンデーでしたが,すぐに外からコスタノヴァが先頭に。コスタノヴァを追ってきたのは内からサンライズジパングとエンペラーワケアで外からミッキーファイトとペプチドナイル。しかし4頭ともコスタノヴァには追いつくことができず,優勝はコスタノヴァ。最内のサンライズジパングが4分の3馬身差で2着。ミッキーファイトが1馬身4分の1差の3着で大外のペプチドナイルがクビ差で4着。エンペラーワケアが半馬身差で5着。
 優勝したコスタノヴァは根岸ステークスから連勝で大レース初制覇。このレースはチャンピオンズカップからの直行組か前哨戦の勝ち馬が強いレースで,その傾向に合致していました。とくに東京コースの実績が豊富でこれで6戦して6勝。今後が楽しみな馬ではありますが,距離やコースも含めて出走するレースの選択はやや難しいところがあるかもしれません。父はロードカナロア。母の父はハーツクライ。母の5つ上の半兄に2012年に佐賀記念浦和記念を勝ったピイラニハイウェイ
 騎乗したオーストラリアのレイチェル・キング騎手は日本での大レース初制覇。管理している木村哲也調教師は有馬記念以来の大レース13勝目。フェブラリーステークスは初勝利。

 吉田の講義はそのまま本論に入っていますので,ここは僕の方から補足の説明を入れておきます。
                        
 僕たちが何らかの感情affectusを抱くときに,その原因causaが単純ではなく複雑なものになることの要因を原理的に説明するのは,第二部自然学②要請三です。これにより,僕たちの身体corpusが,多様な物体corpusから多様の仕方で刺激を受けるafficiことが理解できます。
 第二部定理一七は,僕たちが外部の物体から刺激を受けると,その物体の表象像imagoが僕たちの精神mensのうちに生じることを示しています。したがってこれらを合わせると,僕たちの精神のうちには多種多様な物体の表象像が生じることになります。
 第二部公理三の意味は,僕たちの精神のうちに生じる思惟の様態cogitandi modiのうち第一のものは観念ideaであり,観念を肯定したり否定したりする意志作用volitioであるということです。したがって,僕たちの精神のうちに何らかの表象像が生じたからといって,僕たちは必ず何らかの感情に刺激されるafficiというものではありません。このことは第三部要請一から明らかだといわなければなりません。ただ,思惟の様態のうち第一のものが表象像をはじめとする観念である以上,感情もまた第三部定義三により思惟の様態としてみることができるわけですから,僕たちは表象像を形成すればするほど,何らかの感情に刺激されることもそれだけ増えていくことになります。そして僕たちは現に多種多様な物体の表象像を形成するわけですから,僕たちが何らかの感情に刺激される割合は非常に高くなっているといえます。
 第二部定理一七は,ある表象像は別の表象像が出現すると排除されるということも意味しています。したがってAの表象像はBの表象像が僕たちの精神のうちに生じれば除去されることになります。そこでこのときに,Aの表象像からはXという感情に刺激され,Bの表象像からはYの感情に刺激されるという具合に,各々の表象像がある特定の感情に関連付けられているとすれば,僕が原理的といった方法によってすべての感情の発生を説明することができることになります。ところが事情はそのようになっていないのです。というのは,表象像と別の表象像が関連付けられることがあるからです。
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雲取賞&イニシアチブ

2025-02-19 18:44:04 | 地方競馬
 第7回雲取賞
 キングオブワールドは両サイドの馬から挟まれる発馬で1馬身の不利。すぐにスマイルマンボが先頭に。2番手は1コーナーを出たあたりでシビックドリームとアクナーテンの併走となり,4番手もリコースパローとジャナドリアで併走。3馬身差でケンシレインボー。以下は1馬身差でグランジョルノ,タイセイカレント,ペピタドーロと続き,4馬身差でプレミアムハンド。向正面で巻き返していったキングオブワールドがその直後まで追い上げ,5馬身差の最後尾にオンリーユーズドという隊列に。最初の800mは50秒7のミドルペース。
 3コーナーからスマイルマンボ,シビックドリーム,アクナーテンが雁行となり,さらに外からジャナドリア。コーナーワークで直線ではスマイルマンボが一旦は差を広げましたが,外を回ったジャナドリアが追い上げ,残り100m付近でスマイルマンボを差し,そのまま抜け出して優勝。勝ち馬のさらに外から追い上げてきたグランジョルノが1馬身4分の3差で2着。逃げたスマイルマンボが4分の3馬身差で3着。
 優勝したジャナドリアはデビューから3連勝で重賞制覇。1勝クラスの勝ち方が強かったので,実績はあるグランジョルノよりも能力は上で,最有力候補ではないかとみていました。末脚が確かな馬ですが,ここはわりと前の位置でレースを進められ,それがより生きる展開に。ダートのクラシック路線を目指すとのことで,有力馬になったといえるでしょうが,速いタイムに対しての裏付けはまだありませんから,速いタイムが出るような馬場状態になったときに対応できるのかという点は未知数です。父は2017年のJRA賞で最優秀ダートホースに選出されたゴールドドリームでその父がゴールドアリュール。11歳上の半姉が2014年に関東オークスを勝ったエスメラルディーナ。Janadriyahはサウジアラビアの祭典。
 今年からSPAT4のPOGはJRA所属馬も指名できるようになりました。ジャナドリアは僕の指名馬です。指名馬に対する評価である点に留意してください。
                            
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手と管理している武井亮調教師は雲取賞初制覇。

 表現として個物res singularisを産出しないような神Deusは存在しません。一方で神なしには,第一部定理二五系でいわれているような神を表現するexprimuntur表現者としての個物Res particularesはあることも考えるconcipereこともできません。つまりスピノザの哲学においては表現を介在して神と個物は表裏一体の関係にあると吉田は指摘しています。この指摘も,ドゥルーズGille Deleuzeと一致しています。そしてこのように解するときに重要なのは,この表現のイニシアチブがどちらかにあるというわけではないということです。再び画家の例を用いれば,画家は絵画を描かずにはいられないのですから,描くという表現においてイニシアチブを握っているとはいえません。しかし画家が描かなければ絵画は存在し得ないのですから,絵画がイニシアチブを握っているとはいえないでしょう。これと同じように,神は自身の力potentiaを表現しないことはできないのですから,この表現においてはイニシアチブを握っているわけではありません。しかし神が力を表現しなければ個物は存在し得ませんから,個物がイニシアチブを握っているともいえないのです。
 よって神と個物の関係は,表現を介して,同時発生的でかつ同源的な関係にあると考えなければなりません。したがって,スピノザの哲学において世界の存在existentiaというのは,神と個物の関係を創造主creaturaと被造物creatorとみた場合に示されたような,どこか余計な存在ではありません。むしろ世界のうちにあるありとあらゆる個物は,そしてその個物の総体としての世界というのは,その本性essentiaに存在が含まれているもの,第一部定義一における自己原因causam suiではないものの,たとえばライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizがそういうような神の善意とか,あるいはデカルトRené Descartesがそういうような神の自由意志voluntas liberaといったようなものでたまたま,そういってよければ気まぐれに存在しているというわけでもないのであって,個物モードの神として,神自身の力によって必然的にnecessario存在しているのです。つまりスピノザの哲学における世界というのは,神による被造物などではありません。むしろそれは世界モードの神,書簡六十四でスピノザ自身が示しているような,間接無限モードとしての神そのものなのです。
 この部分の考察はこれで終了とします。
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デイリー盃クイーン賞&基本テーゼ

2025-02-12 10:35:21 | 地方競馬
 昨晩の第71回クイーン賞。ライオットガールが左の後ろ脚の痛みで歩行にバランスを欠いたため出走取消となり7頭。
 アンモシエラが逃げてオーサムリザルトが2番手でマーク。2馬身差で行きたがるのを宥めつつフェブランシェが続き1馬身差でテンカジョウ。3馬身差でキャリックアリード。2馬身差でポルラノーチェとドライゼが併走。最初の800mは50秒2のスローペース。
 3コーナーを回るとアンモシエラにオーサムリザルトが並びかけていき,その後ろは外にフェブランシェで内からテンカジョウ。直線に入ると前の2頭が後ろとの差をやや広げ,ほどなくして外のオーサムリザルトがアンモシエラを差して先頭。そのまま抜け出して優勝。逃げたアンモシエラが1馬身差で2着。テンカジョウとフェブランシェの外からキャリックアリードが追い込んできて3着争いは3頭。インを回ったテンカジョウが半馬身差の3着。外を追い込んだキャリックアリードがクビ差の4着でフェブランシェが半馬身差で5着。
 優勝したオーサムリザルトは,レースへの出走はブリーダーズゴールドカップ以来。重賞は3連勝でデビューからの連勝も8に伸ばしました。実績ではこの馬よりも上の馬もいたのですが,トップハンデを課せられていたように能力は上位。船橋のような直線が短いコースに出走するのは初めてでしたが,コーナー自体は川崎ほどきつくはないので,難なくこなしました。国内で牝馬戦に出ている限りは当分は勝ち続けることができるのではないかと思いますし,たぶん牡馬が相手でも通用すると思います。
                            
 騎乗した武豊騎手は第48回,50回に続く21年ぶりのクイーン賞3勝目。管理している池江泰寿調教師はクイーン賞初勝利。

 僕が主張しているのは,第一部定義六で示されている神Deum,絶対に無限なabsolute infinitum実体substantiamであり,無限に多くの属性infinitis attributisによってその本性essentiamを構成されている実体を,余すところなく十全に表現するexprimere観念ideaは存在しないということではありません。スピノザの哲学は平行論,僕は平行論説を採用するのでここでは平行論といいますが,これを同一説と解しても同じ結論になりますが,そうした論理を採用しているがゆえに,一般的にXが形相的有esse formaleとして,いい換えれば知性intellectusの外に存在するのであれば,Xの客観的有esse objectivumすなわちXの観念が存在するということは基本的なテーゼでなければならないと僕は考えますし,逆にXが客観的有すなわち十全な観念idea adaequataとして実在するのであれば,その観念の観念対象ideatumであるXが知性の外に形相的有として存在しなければならないということも同様の基本的テーゼであると考えます。そして第一部定理一一でいわれているように神は実在します。そしてとくにその第三の証明は,神が絶対に無限であるということから帰結しています。つまり絶対に無限な実体としての神は存在するのであって,それは単に形相的有として存在するという意味でなく,客観的有としても存在するということでなければならないのです。僕がいっているのは,そうした神の観念が実在するということと,現実的に存在する人間がその観念を十全に認識するcognoscereということは別のことであって,それを混同してはならないのではないかということです。
 第二部定理七系によれば,神の本性から形相的にformaliter生じることは,神の観念Dei ideaから客観的にobjective生じます。したがって,神の無限知性intellectus infinitus,これは思惟の属性Cogitationis attributumの直接無限様態に該当しますが,その無限知性のうちに神の観念があるとすれば,その神の観念は第一部定義六で示されている神を余すところなく表現する観念でなければなりません。それは僕たちには認識することができない神の観念であるといわなければならないと僕は考えているわけですが,僕たちには認識することができない類の神の十全な観念が,神のうちには少なくともなければならないと僕は考えます。そしてこのこともまた,僕たちは十全に理解するintelligereことができるというように僕は考えています。
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農林水産大臣賞典佐賀記念&属性

2025-02-07 11:49:37 | 地方競馬
 昨晩の第52回佐賀記念
 逃げる構えを見せたのはメイショウフンジンとグロリアムンディとクラウンプライド。2馬身差でノットゥルノ。5番手にヒロシゲウェーブとシンメデージー。7番手にデルマソトガケ。2馬身差でシルトプレ。3馬身差でタケノサイコウ。2馬身差でサトノスライヴ。2馬身差の最後尾にララエフォールで発馬後の向正面を通過。前はメイショウフンジンの逃げとなり,クラウンプライドが2番手。グロリアムンディが3番手となりました。超スローペース。
 3コーナー手前からクラウンプライドは後退。3コーナーではメイショウフンジン,グロリアムンディ,ノットゥルノの3頭が集団になり,4番手にはシンメデージー。直線に入る前にグロリアムンディは苦しくなり,直線入口ではメイショウフンジンがまた単独の先頭。ノットゥルノの外からシンメデージーが追ってきたものの届かず,逃げ切ったメイショウフンジンが優勝。シンメデージーが2馬身差で2着。ノットゥルノがクビ差で3着。
 優勝したメイショウフンジンは重賞初勝利。このレースはかなり混戦で上位拮抗とみていましたが,コーナーが6回のレースなので,そのコース形態の適性の差が出るかもしれないと思っていました。重賞は初制覇ですが好走した経験は何度もあり,それは2着馬にも3着馬にも該当するところなので,たぶんその点は結果に影響しただろうと思われます。逃げてペースを落としつつ自由にコースを選択できたことも有利に働いたでしょうから,同じメンバーでも展開次第で次は同じ結果になるというわけではないでしょう。父は第40回を制したホッコータルマエで父仔制覇。
 騎乗した酒井学騎手と管理している西園正都調教師は佐賀記念初勝利。

 吉田はこのように説明していますが,これは属性attributumという語が一般的に使用される場合の説明なのであって,スピノザの哲学においては該当しません。先回りすることになりますが,なぜ妥当しないのかを僕が説明します。端的にいえば,スピノザの哲学における属性というのは,ある特殊な意味を有しているのです。
                       
 第一部定義四にあるように,属性とは実体substantiaの本性essentiamを構成するもののことをいいます。この定義Definitioは認識論的な観点から記述されていますが,実在論的に解して問題ないということはかつて検討した通りです。第二部定理一と第二部定理二は,明らかに認識論的な観点だけを意味するわけではありません。
 次に,第一部定理一四にあるように,自然Naturaのうちに実在する実体は神Deusだけなのですから,実在する属性はすべて神の本性を構成することになります。第一部定義六では,神の本性は無限に多くの属性infinitis attributisによって構成されるといわれていて,実際にはこの定義から実在する実体は神だけであるということが導かれるわけですが,ここではその順序は問いません。属性はそれがどんなものであっても実在的には神の本性を構成するのです。
 では本性とは何かといえば,第二部定義二にいわれるように,あるものがなければそれが,逆にそれがなければあるものが,あることも考えるconcipereこともできないようなもののことです。したがって神と属性の関係は,属性がなければ神はあることも考えることもできないものであり,同時に神がなければ属性はあることも考えることもできないという関係を有しています。属性というのは無限に多くあるとされていますが,これはそのうちのどの属性を抽出したとしても成立しなければなりません。たとえば延長の属性Extensionis attributumがなければ神はあることも考えることもできないのですが,神がなければ延長の属性はあることも考えることもできないのです。
 延長の属性は神の本性を構成する属性のひとつなので,神がなければ延長の属性があることも考えることもできないのは明白です。延長の属性を認識するcognoscereとは神の本性を認識するという意味だからです。しかしこの延長の属性がなければ,神はあることも考えることもできないのです。
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報知オールスターカップ&存在論的意味

2025-02-05 17:26:48 | 地方競馬
 高知から1頭が遠征してきた川崎記念トライアルの第61回報知オールスターカップ
 発馬後はランリョウオー,ヘラルドバローズ,ヒーローコール,ライトウォーリアの4頭が並びその後ろにキャッスルブレイヴ,プラセボ,シシュフォス,ジョエルの4頭。この後ろは6馬身ほど離れてデルマルーヴルとマンガン。テンカハルがその直後。3馬身差でペルマナントとゲンパチハマジ。2馬身差の最後尾にドスハーツ。前の4頭からヒーローコールが前に出て単独の逃げとなり,ライトウォーリアが2番手。3番手となったランリョウオーの外に,2列目にいたプラセボが並んで1周目の正面を通過。超ハイペースでした。
 単独の先頭に立った後,ヒーローコールのリードは1馬身から2馬身の間で終始。3コーナーでは1馬身くらいになり直線の入口ではライトウォーリアがほぼ並びました。ライトウォーリアがやや外に出たので,直線は離れた2頭の競り合い。どちらも一杯になっていましたが,ヒーローコールが逃げ切って優勝。ライトウォーリアが半馬身差で2着。これ以外の前にいた馬は直線入口の時点ですでに離れ気味。中団から外を追い込んだテンカハルが4馬身差で3着。
                       
 優勝したヒーローコールは一昨年の戸塚記念以来の勝利で南関東重賞5勝目。年上の世代と対戦するようになってからは勝てていませんでしたが,それなりに安定した成績を残していました。ここは無理にでも先手を奪ったのが勝因で,現状はスタミナ勝負にした方が好走しやすいということなのだと思います。父はホッコータルマエフロリースカップサンマリノの分枝で,母の2つ上の半兄に2001年の函館2歳ステークスを勝ったサダムブルースカイ
 騎乗したJRAの内田博幸騎手は2010年の羽田盃以来となる南関東重賞制覇。第38回,42回を制していて報知オールスターカップは3勝目。管理している浦和の小久保智調教師は南関東重賞71勝目。報知オールスターカップは初勝利。

 それでは吉田の論考に戻ります。
 第一部公理一の意味は,自然Naturaのうちに存在するものは実体substantiaであるか,そうでなければ実体の変状substantiae affectioすなわち様態modiであるかのどちらかであるということです。しかるに第一部定理一四により,自然のうちに実在する実体はDeusだけなのですから,自然のうちに存在する神以外のものはすべからく様態であるということになります。ですからネコもイヌもウマもすべて様態であるというのがスピノザの考え方です。そして様態というのは実体の変状,すなわち神の変状ですから,ネコというのは神がネコのようなあり方をとった状態,あるいは同じことですが,ネコのような状態をとった神であるということになります。吉田のいい方に倣えば,ネコとはネコモードの神であるということになります。
 当然ながらこのことはネコにだけ限定していえることではありません。この世界を構成している諸々の個物res singularisは,それが生物であろうと無生物であろうと同じように神である実体の様態として存在していることになります。これは第一部定理二五系でいわれていることです。吉田はこのような考え方をすることで,スピノザは世界そのものの存在論的な意味での位置づけを大きく変更したといっています。ことのついでですから,この点についてもみていくことにします。
 ユダヤ教あるいはキリスト教的な位置づけ,あるいはデカルトRené Descartesもそれに倣っているといえる神と個物の位置づけ,これは何度も繰り返すようですが創造主creaturaと被造物creatorという位置づけですが,創造主の意志voluntasによって被造物が産出されるという発想は,世界の存在existentiaの恣意的な性格が強調されることになると吉田はいいます。これはデカルトが採用した連続創造説のことを思い出せば明白であるといえるでしょう。この発想だと,そもそもこの世界は存在しなかったということもあり得たし,またいつなくなってしまったとしてもおかしくなかったのだけれども,神がその気になったことによりこの世界は産出されることになったし,また今もその気になっていることによって現にこの世界が存在し続けているということになるからです。この場合,潜在的には世界の存在は余計なものになります。
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東京中日スポーツ賞金盃&第一部定理一五と第一部定理一八

2025-01-29 17:48:09 | 地方競馬
 第69回金盃。本田正重騎手がこのレースの馬場への入場のときに落馬して肋骨を4本骨折したため,クリノドラゴンは安藤洋一騎手に変更。
 ヒミノフラッシュ,セイカメテオポリス,ローズボウル,クリノドラゴンの4頭は発馬後にすぐ控えました。好発はアイブランコでしたがすぐ外からヒーローコールが前に出ての逃げ。ラッキードリームとリベイクフルシティが2番手で追い4番手にタイガーチャージ。4馬身差でミヤギザオウ。1馬身差でヴィアメント。2馬身差でキリンジ。1馬身差でアイブランコ。2馬身差でカイルとヴェルテックス。1馬身差でローズボウル。2馬身差でヒミノフラッシュ。1馬身差でマンガン。2馬身差でセイカメテオポリス。最後尾にクリノドラゴンで発馬後の向正面を通過。正面に入ってペースが落ちたので各馬の間隔は縮まり,最後尾だったクリノドラゴンが9番手まで進出しました。最初の1000mは66秒1の超スローペース。
 2周目の向正面ではヒーローコール,リベイクフルシティ,ラッキードリームが半馬身の間隔で前を占め,3馬身差でタイガーチャージとミヤギザオウとヴィアメント。さらに3馬身差でキリンジ。3コーナーでは前の3頭が横並びになりましたが,一気にスパートしたキリンジが外から捲り,勢い余ってかなり外に出てしまいましたが,直線の入口では先頭。そこからは離す一方となって圧勝。2着争いは前で粘った馬と差し込んできた馬で大激戦になりましたが,好位からしぶとく脚を使ったミヤギザオウが制して6馬身差の2着。逃げたヒーローコールが半馬身差で3着。
 優勝したキリンジはこれが南関東転入初戦。JRA時代はジャパンダートダービーでの2着があり,その後に転入した兵庫では昨年のJBCクラシックで3着に入りました。実績からは南関東重賞では上位ですから優勝候補の1頭とみていましたが,圧勝になりました。ただこれは距離が影響したための着差という面があり,額面通りに受け取っていいかは分かりません。とはいえ重賞や大レースでも通用する馬ですから,距離が短くなっても今後も好走は必至の馬だと思います。父はキズナ。母の父はルーラーシップ。母の5つ上の半兄が2014年に鳴尾記念と毎日王冠を勝ったエアソミュールで3代母がアイドリームドアドリーム
 騎乗した大井の笹川翼騎手は戸塚記念以来の南関東重賞21勝目。金盃は初勝利。管理することになった大井の渡辺和雄調教師は南関東重賞13勝目。第61回以来となる8年ぶりの金盃2勝目。

 吉田はスピノザの考え方を,その本性essentiaに存在existentiaが含まれている何か,いい換えれば第一部定義一により,自己原因causa suiである何かが,世界の内側から働いているから,自己原因ではない世界は存在するというように説明します。いうまでもなくこの何かは神Deusです。これだと結局のところスピノザも神をもち出しているのですから,吉田が例に挙げているデカルトRené Descartesと変わるところはないようにみえるでしょう。しかし第一部定理一八には意味があるのであって,超越的原因causa transiensとして神をもち出すのと内在的原因causa immanensとして神をもち出すのとでは,意味が異なるのだと吉田はいっています。そこで,内在的原因としての神というのが,どのような神であるのかということ,とくにそれは超越的原因としての神とはどのように異なるのかということを検証していきます。
                       
 第一部定理一五は,存在するすべてのものは神のうちにあるといっています。神が内在的原因であるということは,世界のすべてのものの内側で神が原因として働いているということを意味しなければなりません。これはそれ自体で明らかですから,これ以上の説明は不要でしょう。その一方で,すべてのものが神のうちにあるのだとすれば,このふたつ,つまり第一部定理一五と第一部定理一八は矛盾するのではないかという疑問が生じておかしくありません。ですがスピノザの哲学ではこれらは矛盾なく両立するのです。
 神が世界に内在するというのは,たとえば山には山の,海には海の神が,同様に台所には台所の神が,便所には便所の神がというように,無数の神が世界のうちに内在するということを意味するのではありません。スピノザの哲学はそう理解してはいけないのです。むしろそのような仕方で第一部定理一八でいわれていることをイメージしてしまうと,スピノザがこの定理Propositioでいわんとするところを正しく理解することが困難になると吉田は指摘しています。このようなイメージで理解される神,正確にいうと無数の神ですから神々はというべきでしょうが,こうした神々は世界の全体を包摂するのには貧弱すぎる,吉田のことばをそのまま用いれば,そのような神々は世界の全体を包み込むにはしょぼすぎるです。
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報知グランプリカップ&内在

2025-01-24 12:14:46 | 地方競馬
 ダイオライト記念トライアルの昨晩の第61回報知グランプリカップ。岡村健司騎手が一昨日の3レースで落馬し左の骨盤を骨折したためホウオウトゥルースは沢田騎手に変更。
 キングストンボーイは立ち上がって2馬身の不利。外からジョーパイロライトがハナを奪い,2番手にリンゾウチャネル。2馬身差でムエックスとギガキング。2馬身差でホウオウトゥルースとサンテックス。あとは差がなく,ユアヒストリーとキングストンボーイ,アドマイヤルプス,テンカハルとジョエル,キタノオクトパス,ナニハサテオキ,マコトロクサノホコの順で発馬後の正面を通過。向正面に入ってギガキングが単独の3番手に上がり,ムエックスの直後までキングストンボーイが巻き返してきて,2馬身差でサンテックス。この後ろが4馬身ほど離れました。最初の800mは49秒9のミドルペース。
 3コーナーを前にリンゾウチャネルがジョーパイロライトに並びかけていき,コーナーの入口ではリンゾウチャネルが前に出てジョーパイロライトは後退。ギガキングとキングストンボーイが2番手を併走で追い,ムエックスが内から,サンテックスは外から追撃。直線に入る前にギガキングは後退。ムエックスが外からリンゾウチャネルの前に。内を回ってきたムエックスと外を回ったサンテックスが追い上げてきて,3頭の争い。直線先頭のキングストンボーイが追い上げを振り切って優勝。内のムエックスが4分の3馬身差で2着。外のサンテックスは2馬身差で3着。
 優勝したキングストンボーイ勝島王冠からの連勝で南関東重賞2勝目。このレースは能力だけでいえば半数以上の馬が勝っておかしくないと思えるメンバー構成。近況も加味すれば上位は3頭と思われましたが,その3頭で上位を独占しましたので,概ね現状の力通りの決着になったとみていいでしょう。上位馬が力を出し切った中で勝ち切ったことは評価に値しますが,2着馬と3着馬はそれほどの差はない筈で,次は逆転というケースもあり得ると思います。父はドゥラメンテ。母は2005年のフェアリーステークスと2006年のフィリーズレビューを勝ったダイワパッション。3つ上の半兄が2018年の皐月賞を勝ったエポカドーロ
 騎乗した大井の御神本訓史騎手は勝島王冠以来の南関東重賞73勝目。第47回以来となる14年ぶりの報知グランプリカップ2勝目。管理している大井の渡辺和雄調教師は南関東重賞12勝目。報知グランプリカップは初勝利。

 これはこの部分の吉田の探究とは無関係ですが,この指摘は重要だと思われますので,詳しく検討しておきましょう。第一部定理五は,スピノザの哲学の特徴のひとつである内在の哲学と関連するのです。
                       
 第一部定理五がいっているのは,同一の属性attributeを有する複数の実体substantiaeは存在しないということです。この定理Propositioは複数の実体が存在するとしても,それらの属性は同一の属性を有することはないという意味であって,実際には後の第一部定理一四でいわれているように,実在する実体はDeusだけですから複数の実体は存在しないのですが,そのことは前提されていません。それでもこのことが論証されると,ある実体がほかの実体の原因causaであったり結果effectusであったりすることはできないということは出てきます。これは次の第一部定理六でいわれていることであり,ここでも複数の実体が存在すればという仮定の下にいわれているのであって,複数の実体間では因果関係が発生することはないといわれています。これはそれ自体で明らかだといえるでしょう。というか,そういう仮定がなければ第一部定理六は何も意味を有することができなくなってしまいます。
 このことから理解できるのは,仮にふたつの実体が存在すれば,ある実体の外部に別の実体があることになるでしょう。このふたつの実体の間には因果関係が生じようがないからです。したがってこれらの実体をAとBであるとすれば,Aの外部にBがあり,Bの外部にAがあるということになります。よってAにもBにも外部があるようにみえるのですが,ことはそう単純ではありません。というのもAとBは同一の属性によって本性naturaを構成され得ないので,Aの内部からBを認識するcognoscereことはできませんし,Bの内部からAを認識するということもできないからです。これは第一部公理五から明らかです。よってAの内部からは外部があるとの認識cognitioはできず,それはBの内部からも同様です。したがってそこにはふたつの内在世界だけがあることになり,それぞれは外部を有さないことになります。よって同一の属性を有する複数の実体が存在しないという第一部定理五から,内在の哲学が必然的にnecessario帰結されることになるのです。
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日刊ゲンダイ賞ブルーバードカップ&外部

2025-01-23 11:02:37 | 地方競馬
 昨晩の第51回ブルーバードカップ。福原騎手が個人的都合で騎乗できなくなり,ノーブルプラチナは室騎手に変更。
 バリウィールが内に寄るような発馬になり,クァンタムウェーブはやや不利を被りました。ミストレスが逃げて2番手にメルキオル。リヴェルベロと巻き返してきたクァンタムウェーブが並んで3番手。4馬身差でウィルオレオールとバリウィール。3馬身差でジュゲムーン。1馬身差でカセノタイガー。6馬身差でテディージュエリー。4馬身差の最後尾にノーブルプラチナと,早い段階で縦長の隊列となって発馬後の正面を通過。向正面に入りミストレスのリードが2馬身くらいに。メルキオルの後ろはクァンタムウェーブが単独の3番手になり,2馬身差でリヴェルベロとバリウィールに。最初の800mは48秒6のハイペース。
 3コーナーでメルキオルが外からミストレスに並びかけるとミストレスは後退。メルキオルが先頭に立ち2番手にクァンタムウェーブ。直線にかけて3番手との差が6馬身くらい離れ,2頭の優勝争い。メルキオルが直線に入ってすぐに差を開くとクァンタムウェーブがまた差を詰めましたが,フィニッシュにかけてまた差を広げていったメルキオルが優勝。クァンタムウェーブが2馬身差で2着。ミストレスの外から追い込んできたウィルオレオールが4馬身差で3着。ミストレスが1馬身半差の4着でミストレスの内から追い上げてきたジュゲムーンが4分の3馬身差で5着。
 優勝したメルキオルは重賞初挑戦での優勝。デビューから2戦は芝で大敗。3戦目のダート戦で2着に2秒3もの差をつけて勝ち上がると続く特別戦も5馬身差の圧勝。今年に入って芝のオープンは大敗でしたが,ダートでは底を見せていませんでした。ここは同じようにJRAのダートで2勝をあげているクァンタムウェーブとの優勝争いとみていましたがその通りのレースに。クァンタムウェーブは発馬直後にやや不利があったのも事実ですが,レース内容はメルキオルの方が上でしたので,現時点では2頭の間には着差以上の能力差があるように僕には感じられました。母が2014年にフローラステークスを勝ったサングレアルでその父がゼンノロブロイ。祖母がビワハイジで3代母がアグサン。Melchiorは新約聖書の東方の博士の名前。
                            
 騎乗した川田将雅騎手はブルーバードカップ初勝利。管理している松永幹夫調教師は第50回からの連覇でブルーバードカップ2勝目。

 スピノザはこのような考え方を採用しません。第一部定理一八で明言されているように,Deusは超越的原因causa transiensではないからです。なのでそういう考え方を採用しないというより,そういう考えを斥けるといった方が的確でしょう。これは,ここでは次のように理解するのがよいと思います。
 世界の外的原因として神があるとすれば,世界の外部に神があって,その外部の神が世界の存在existentiaおよび作用の原因となるという意味です。このとき,世界の外部に神があるのですから,神の側からみたら,世界は神の外部にあるということになるでしょう。これに対して第一部定理一八がいっているのは,神は超越的原因ではなく内在的原因causa immanensであるということなので,神の側からみたときは,世界は神の外部にあるのではなく神の内部にあるということです。しかしこれはただそのことだけを意味するのではなくて,神の外部には何もないということ,より正確にいえば,神には外部がないということも意味するのです。そしてそのことが,世界の側からみても同じなのです。すなわち世界は神の内部にあるということになるのですが,それはそのことだけを意味するわけではなくて,世界の外部に何かがあるというわけではないということ,これもより正確にいえば,世界には外部そのものがないということを意味するのです。スピノザは第四部序言の中で神と自然Naturaを同一視するようないい回しを用いていますが,ここでいわれている自然は世界と読み替えてもよいわけで,神の外部には何もないということと,世界の外部には何もないということは,スピノザの哲学では事実上は同じ意味を有することになるのです。実際に当該部分の探究で,吉田はスピノザの哲学では世界の外部には何もない,というかより正確に世界には外部はないといういい方をしています。
 これは,第一部定理五からの必然的なnecessarius帰結であるという説明を吉田はしています。もしも僕たちの世界の外部に別の世界があれば,その世界ももうひとつの世界にほかならず,同じ属性attributumを有する複数の実体substantiaが存在しない以上は,そういう世界は存在しないか,そうでなければ僕たちの世界と同一の世界であるかのどちらかになるからです。
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NARグランプリ&考える私と世界

2025-01-16 15:35:17 | 地方競馬
 昨年のNARグランプリが昨日,発表されました。競走馬部門のうち当ブログと関連する馬を紹介していきます。
                       
 年度代表馬は川崎のライトウォーリア報知オールスターカップ川崎記念に優勝。唯一の大レースの勝ち馬なので順当なところだと思います。部門別では4歳以上最優秀牡馬。
 2歳最優秀牡馬は北海道のソルジャーフィルドJBC2歳優駿を優勝。唯一の重賞勝ち馬で,全日本2歳優駿も地方馬では最先着となる3着でしたから,これも順当でしょう。
 2歳最優秀牝馬は船橋のプラウドフレール東京2歳優駿牝馬を優勝。この部門はほとんどの場合でエーデルワイス賞を勝った馬がいればその馬が,そうでなければ東京2歳優駿牝馬を勝った馬が選出されます。通例に倣った選出といえるでしょう。
 3歳最優秀牡馬は大井のサントノーレ京浜盃戸塚記念を優勝。これも重賞の勝ち馬で当然の選出。今年の活躍が期待される1頭です。一昨年の2歳最優秀牡馬で2年連続の受賞。
 3歳最優秀牝馬は大井のローリエフレイバーロジータ記念を優勝。この部門は重賞の勝ち馬がなく難しいところ。秋のグランダムジャパンシリーズを制したグラインドアウトをロジータ記念で降している点が評価の対象になったものと思います。
 4歳以上最優秀牝馬は大井のキャリックアリード。名古屋の秋桜賞を優勝。この部門も重賞の勝ち馬はなかったのですが,重賞で2着1回,3着1回の戦績ですから,その点も考慮されたということだと思います。
 ばんえい競馬はこのブログでは扱っていないので割愛します。
 最優秀短距離馬は兵庫のアラジンバローズ。園田の新春賞とサマーチャンピオンを優勝。ここはイグナイターとの争いになったようですが,同じように重賞を勝ったスマイルウィが候補にならなかったのは謎です。両レースに出走していたサンライズホークとの着差からは,こちらになるかもしれません。
 最優秀ターフ馬は該当馬なしでした。
 ダートグレード競走特別賞馬はフォーエバーヤングサウジダービー,UAEダービー,ジャパンダートクラシック,東京大賞典に優勝。これは当然です。
 8月31日に死亡したラブミーチャンが特別表彰馬に選出されました。2歳のときに兵庫ジュニアグランプリと全日本2歳優駿を勝ったことにより,部門別では2歳歳優駿牝馬に選出されたという例外中の例外の馬です。

 スピノザは,私が考えるconcipereということは否定しないのですが,考える私,すなわち精神mensとしての私というのを,デカルトRené Descartesと同じように考えているわけではありません。デカルトは精神としての私を世界と切り離し,私が考えるということは疑い得ないのだけれども,世界のことについてはそのすべてを疑えるということを第一の前提としていました。それに対してスピノザは,精神としての私というのを,世界から切り離されたような,ある種の特権的なもののようには考えません。吉田はそれを,精神としての私と世界を切り離してしまうと,両者を再び接続させるのが困難になってしまうからだと指摘しています。スピノザがその困難を避けるために精神としての私を世界と切り離さなかったのかは何ともいえないところですが,切り離された世界と精神としての私を再接続することが困難であるということは事実です。それはデカルト自身の思想が証明しているのであって,それを克服するためにデカルトは永遠真理創造説と連続創造説を採用し,その気になれば何でもすることができる神Deusの存在existentiaをもち出さなければならなかったのです。
 スピノザは『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』において,「我思うゆえに我ありcogito, ergo sum」というのは,三段論法ではないと解説しています。すなわち,思うということはあるということであるという大前提があり,我は思っているから我はあるというように主張されているのではないと解説しています。そうではなくてこれは,我は思いつつあるという単一命題であるというのがスピノザの解説でした。吉田はこれを大胆な読み替えといっていますので,吉田はデカルトの論法は三段論法であったとみているのでしょう。僕はそのことには異議がありますが,これは現状の考察とは無関係なので黙殺します。ここではスピノザが「我思うゆえに我あり」というのを,三段論法ではなく単一命題であると解した事実を重視します。
 もしもこの命題を,スピノザがいうような単一命題として解するなら,考えるということは私の,あるいは私の精神の一側面だけを説明していることになります。それだけでは私を汲み尽くすことはできないからです。
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ニューイヤーカップ&永遠真理創造説

2025-01-08 18:44:56 | 地方競馬
 第68回ニューイヤーカップ
 プレミアムハンドは立ち遅れて1馬身の不利。ガバナビリティーとツウエンティフォーが並んで逃げる形。ずっと競り合ったので2馬身差の3番手にホーリーグレイル。この後ろは6馬身差でアッカーマン。4馬身差でケンシレインボーとピコダイアル。3馬身差で巻き返したプレミアムハンド。3馬身差でアルメールヴェント。その後ろにシェナノパリオとピノマハナ。2馬身差でオニアシ。4馬身差の最後尾にディープオーキッドととても縦長の隊列。超ハイペースでした。
 競り合った2頭は外のツウエンティフォーが先に後退。ホーリーグレイルが変わって上昇しガバナビリティーと並んで直線へ。その後ろはケンシレインボーとアッカーマンの併走に。直線に入って外のホーリーグレイルが前に出て優勝。ガバナビリティーが一杯に粘って1馬身半差の2着。アッカーマンが4分の3馬身差の3着でケンシレインボーが1馬身差の4着。
 優勝したホーリーグレイルは南関東重賞初制覇。北海道でデビューし2戦。早い段階で川崎に転入して連勝。全日本2歳優駿は相手が強く大敗でしたが連勝は3秒1差,2秒1差の圧勝でしたので,このメンバーなら通用するだろうと思われました。前の2頭が超ハイペースで逃げ,この馬の位置でもかなりのハイペースではあったと思いますが,3番手で前の競り合いをみることができたのはプラスだったでしょう。牝馬ですので,桜花賞に出走するようなら有力候補だと思います。祖母の父がバブルガムフェロー。8代母がレディチャッターで,母の従兄がラブリーデイ。その弟が2020年に中日新聞杯,2022年に目黒記念,2023年に鳴尾記念を勝っている現役のボッケリーニ
 騎乗した大井の矢野貴之騎手はハイセイコー記念以来の南関東重賞44勝目。第59回以来となる9年ぶりのニューイヤーカップ2勝目。管理している川崎の内田勝義調教師は南関東重賞25勝目。ニューイヤーカップは初勝利。

 順序だてていくと次のようになります。
                            
 まず人間というのは不完全なものです。なので,自分が考えているということについては確実であり得ますが,自分が感知している世界に関しては確実であることができません。よって世界が確実であるというためには,完全な存在existentiaである神Deusが必要になります。その神が,世界の確実性certitudoを不完全である人間に対して保証してくれることになるのです。したがって確実性は神が決定するdeterminareのでなければなりません。そうでなければ神が世界の確実性を保証してくれることができなくなっているからです。よって真理veritasというのは自ずからそうであるものであるわけにはいかないのであって,神が真理であると決定したものが真理であるとされなければならないのです。
 これで不都合は生じないようにみえるかもしれませんが,そういうわけではないのです。というのは,ごく簡単な真理,たとえば1に1を加えれば2であるというような真理は,神がそのように決定したから真理であるというのであれば,神がもし別の決定determinatioをしたら真理ではなかったといわなければならなくなるからです。つまりこのようなごく単純な数学的真理に関しても,それは神がそう決定したから真理であるといわなければならないのです。このような説は永遠真理創造説といわれていて,デカルトRené Descartesは基本的にこの考え方を採用しています。なので,1に1を加えると2になるということは,神がそのように決定した限りで真理なのであって,もしも神が別の決定をしていたら真理ではなかったことになるでしょう。また,もしも神が別の決定をするとしたら,1に1を加えると2になるということは真理ではなくなるということにもなります。すなわち,1に1を加えると2になるということを,神は真理ではない世界を創造するcreareことができたし,その気になれば今もそのような世界を創造することができるということになるのです。
 このような永遠真理創造説を採用すると,さらに困難が生じてくることになります。というのは,神は単純な真理を真理でなくすることができるというなら,今は真理であるということを今も決定しているのでなければならないからです。
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東京スポーツ賞川崎マイラーズ&神の存在の証明

2025-01-05 11:51:46 | 地方競馬
 3日の第17回川崎マイラーズ
                            
 ルコルセールは外に向かうような発馬。逃げたのはアランバローズで2番手にムエックス。ギャルダルとコンシリエーレが3番手を併走し5番手にリンゾウチャネル。この5頭が先行集団を形成し8馬身くらい離れてフレールフィーユとオメガレインボー。さらに4馬身差でデルマルーヴルとデュードヴァン。また4馬身くらい離れてゴールドホイヤーとルコルセール。4馬身差の最後尾にホウオウルパンととても縦に長い隊列でレースが進捗しました。前半の800mは50秒3のミドルペース。
 3コーナーからアランバローズとムエックスが2番手以下に3馬身くらいの差をつけていき,その3番手には内からギャルダル。直線の入口ではムエックスがアランバローズの前に。そのまま楽に抜け出して快勝。アランバローズの外にギャルダルが出てくると,その外からリンゾウチャネルとコンシリエーレが並んで追い上げ,一杯になったアランバローズを捌いて内からはオメガレインボーが追ってきて4頭で2着争い。先に2番手に上がっていたギャルダルがその位置を守り切り,5馬身差で2着。リンゾウチャネルがクビ差の3着でコンシリエーレがハナ差で4着。オメガレインボーはアタマ差の5着。
 優勝したムエックスは南関東重賞初勝利。JRAで3勝し,一昨年の暮れから南関東に転入。転入後は8勝,2着2回,3着1回とほぼ完璧な成績で,前走のマイルグランプリも2着に入っていました。このレースは縦長の隊列ではありましたが,アランバローズはそれほど速いペースで逃げたというわけではなく,その2番手で楽についていけたことで快勝になりました。もう7歳ではありますが,今後の活躍も決定づけられたような結果であると思います。父はアジアエクスプレス。母の父はアドマイヤマックス。6代母のスウヰイスーは1952年に桜花賞やオークスを勝った名牝で,日本で古来より続く母系が出自です。Moueixはフランスのワイン会社の創業者の名前。
 騎乗した船橋の張田昂騎手は東京2歳優駿牝馬に続いての南関東重賞8勝目。川崎マイラーズは初勝利。管理している船橋の張田京調教師は南関東重賞17勝目。川崎マイラーズは初勝利。

 不完全である人間の精神mens humanaのうちにも完全なものの観念ideaがあるということは,人間の精神がその観念を形成したからではなく,完全なもの自身が形成した観念が不完全である人間の精神のうちに含まれているからだとデカルトRené Descartesは考えます。したがって完全なものは存在するのであって,この完全なものは神Deusといわれるから神は存在するとデカルトは結論します。
 吉田はこの論証Demonstratioは突っ込みどころが満載だといっていますので,一言を付しておけば,スピノザの哲学の枠内でということならともかく,デカルトの哲学のうちではこの論証は成立するようになっています。ここでデカルトの論証について詳しく説明しても仕方がないのでそれは省略しますが,『デカルトの哲学原理Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae』では第一部定理六に該当するものなので,その部分を理解すれば,このことがデカルト哲学の中で成立することも分かる筈です。なお,第一部定理六はその論証の過程で第一部公理九に訴求しています。この公理九というのはスピノザがそこでもいっているように,きわめて誤用されやすい内容を有しています。僕の考えでいえばこの公理Axiomaが必要であったというようには思えず,公理八に訴求すれば定理六も同じように結論が出せるようになっていると思うのですが,スピノザにも何か意図があって,公理九を挿入したのではないかと思います。とはいえ『デカルトの哲学原理』はあくまでもデカルトの哲学の解説書ですから,デカルトが示した公理をそのまま用いただけであったかもしれません。とにかく第一部定理六が証明できないというようにはなっていないことは間違いありません。
 さらにもうひとついうと,この論証は,デカルトの哲学の中で神が存在するということを論証するための唯一の手段というわけでもありません。ほかの方法methodusを採用しても神が存在するということを証明することができるようになっています。これは『エチカ』でいえば第一部定理一一にはいくつかの論証があるのと同じことです。なので各自が最も納得できる論証を用いるのがよいでしょう。
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東京2歳優駿牝馬&方法

2024-12-31 18:52:01 | 地方競馬
 北海道から3頭が遠征してきた第48回東京2歳優駿牝馬
 発馬後の加速が抜群だったバイアホーンの逃げ。それをエスカティアとヴィルミーキスミーが追っていきました。2馬身差でゼロアワーとプラウドフレールとエイシンマジョリカ。3馬身差でドナギニー。ウィルシャインとランベリーが併走で続き3馬身差でアメストリスとイイデマイヒメとエイシンナデシコ。2馬身差でオリコウデレガンス。2馬身差でクレイジーフルーツ。3馬身差の最後尾にヨルノチョウと縦長の展開。前半の800mは49秒6のハイペース。
 逃げたバイアホーンは3コーナーで一杯になりずるずると後退。エスカティアが先頭に立ち2番手にエイシンマジョリカ。内を回ったゼロアワーは4コーナーでエイシンマジョリカの外に出てきました。内目からはドナギニーとプラウドフレールが伸びてきて,横に大きく広がっての競り合い。そこから抜け出たのはプラウドフレールとゼロアワー。内のプラウドフレールが制して優勝。ゼロアワーが1馬身4分の1差で2着。エイシンマジョリカが2馬身差で3着。
 優勝したプラウドフレールは南関東重賞初制覇。デビューから連勝した後,3戦目は大敗。前走のローレル賞で3着と巻き返していました。このレースは各馬のコース取りが内外に広がった中で,外に出さずに伸びてこられた分の利がありましたので,2着馬に対して力量上位かどうかは分かりません。戦績からみても圧倒的な存在というわけではないと思います。母の父はネオユニヴァース。4つ上の半兄が昨年今年のフジノウェーブ記念を連覇している現役のギャルダルでひとつ上の半姉が昨年のローレル賞を勝っている現役のミスカッレーラ。Fleurはフランス語で花。
 騎乗した船橋の張田昂騎手は昨年のゴールドジュニア以来の南関東重賞7勝目。東京2歳優駿牝馬は初勝利。管理している船橋の川島正一調教師は南関東重賞35勝目。東京2歳優駿牝馬は初勝利。

 不確実な事柄から出発するということはできないので,デカルトRené Descartesは方法論的懐疑doute méthodiqueを採用します。それが本当であるかを疑うことができるのなら,そのものについてはすべて疑ってみるという方法です。吉田はこの方法をデカルトは提唱したといういい方をしていますが,提唱というと他者に対してそれを推奨するという意味合いが強く含まれるように僕には感じられますので,僕はそのようにはいいません。デカルトは確実なものに辿り着くための方法として,疑い得るものはすべてを疑うという方法を採用したといいます。つまり方法論的懐疑はデカルトが自身に課した方法であると僕は思っています。
                            
 自身の意識conscientiaのうちに浮かんでくるものを,方法論的懐疑の視線でみていけば,ほとんどのことは疑おうと思えば疑うことができます。このことは各人が反省的にこの方法を採用すれば,経験的に理解できることだと思います。たとえば人間は簡単に錯覚してしまうような生き物ですから,感覚sensusを通して入ってくるものについてはそのすべてを疑うことができるでしょう。また,論理的思考にいくら長じていたとしても,思考の過程で誤りerrorを犯すということはあり得るわけですから,この種の推理や推論も疑うことができることになります。さらにいうと,人間は夢を見る生き物ですから,何らかの行動をしていると思っても実際はベッドの中で眠っているという場合もあるわけですから,自身の思っていることや考えていることのほとんどすべては,あてにならないと疑うことができることになります。このように,すべてを疑おうとすればいくらでも疑うことができるのであって,この方法はきりがないといっていいくらいかもしれません。
 では,自身が意識しているすべてのことを疑えるのだから,本当に確実だといえることは何もないことになってしまうのでしょうか。そこで実際に確実なことはないのだと断定してしまえば,これは方法論的懐疑ではなく単なる懐疑論です。デカルトはこの懐疑論には傾きません。錯覚をするとか論理的に誤るとか夢を現実だと思ってしまうといったことは人間にはあるとしても,それがすべて自身の考えであるということは変わりはありません。
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東京シンデレラマイル&主意主義と主知主義

2024-12-30 18:54:15 | 地方競馬
 第18回東京シンデレラマイル。カツノナノリが出走取消となって15頭。
 隊列が決まるまでにやや時間を要しましたが,逃げたのはツーシャドーとなり2番手にフェブランシェで3番手にミスカッレーラとローリエフレイバー。1馬身半差でプリンセスアリーとカラフルキューブ。7番手にミルニュイ。8番手にスピーディキック。9番手にシャンブル。2馬身差でマーブルマカロンとメイドイットマムとカセノダンサー。13番手にサーフズアップでグレースルビーとフェルディナンドが最後尾を併走。前半の800mは49秒6のミドルペース。
 3コーナーでフェブランシェと3番手の間が2馬身くらいに開くと,コーナーの中途でフェブランシェがツーシャドーの前に出ました。2番手はツーシャドー,ミスカッレーラ,ミルニュイ,スピーディキックの4頭が併走で直線に。先頭に立っていたフェブランシェはそのまま後ろとの差を広げていって圧勝。4頭の競り合いからはスピーディキックが2番手に上がりましたが,内目の馬群を割って追い込んだマーブルマカロンが差して5馬身差の2着。スピーディキックが半馬身差の3着で大外から脚を伸ばしたシャンブルが半馬身差で4着。
 優勝したフェブランシェはここが南関東転入初戦での南関東重賞制覇。3走前に2勝クラスを勝ち,前々走で3勝クラスで3着になっていましたから,牝馬の南関東重賞では実績上位といっていいくらいの馬。大井コースも苦にしなかったことでの圧勝になりました。牝馬相手なら重賞でも通用すると思いますが,今日のレースからすると距離が延びるのはプラスにはならないように思います。父はリアルスティール。母の父はクロフネ。4つ上の半姉が2019年の紫苑ステークスを勝ったパッシングスルーでふたつ上の半姉が昨年の中山牝馬ステークスを勝ったスルーセブンシーズ。Fee Blancheはフランス語で白い妖精。
 騎乗した高知で騎乗中の吉原寛人騎手船橋記念以来の南関東重賞38勝目。東京シンデレラマイルは初勝利。管理することになった大井の藤田輝信調教師は南関東重賞28勝目。東京シンデレラマイルは初勝利。

 『スピノザ 人間の自由の哲学』の第一〇回で,哲学あるいは神学における主意主義と主知主義の対立と,この対立という観点からみた場合のスピノザの哲学という内容が講義されています。こうしたテーマはこれまでに僕は立てたことはありませんので,ここ吉田の講義を詳しく振り返りつつ,僕の考え方も合わせて示していくことにします。
                           
 スピノザの哲学がこのテーマと関連していくのは,スピノザの哲学がデカルトRené Descartesの哲学から影響を受けていることと関係します。ここでいう影響というのは,スピノザがデカルトの見解opinioに同意する場合も反対する場合も含みます。スピノザの哲学の中には当然ながらスピノザに独自の見解というものがあるわけですが,その独自の見解の中にも,デカルトの影響を受けたものというのがあるのであって,単純にいっても,スピノザがデカルトの見解に不備があると考え,その不備を乗り越えるためにデカルトとは異なった見解を示したとすれば,それはデカルトと異なったスピノザに独自の見解であることになりますが,デカルトの影響を受けた見解であるということになるでしょう。吉田がいっているように,デカルトの哲学は考えるconcipere私というのが前面に出て,スピノザの哲学ではそもそも私ということが語られること自体がきわめて少ないので,一見するとその間には何の関係もないようにみえるかもしれないのですが,このこと自体のうちにも,スピノザがデカルトから受けた影響が含まれているといえるのです。
 したがってまずデカルトの哲学から始めなければなりません。デカルトの方法論はよく知られているように,またこのブログでも何度かいっているように,とりあえず疑い得るもの,デカルトが疑い得ると思ったものについてすべてを疑うということから始めます。これはデカルトが,何が真理veritasで何が虚偽falsitasであるのかということを訴求するのが哲学であると考えているからです。とはいえ,あるものについてそれが絶対に確実であるということができなければ,真理を訴求することはできません。不確実な事柄を哲学の出発点として措定してしまえば,そこから思考を進めていっても不確実な事柄だけが導出されるからです。
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