スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
昨晩の第51回ブルーバードカップ 。福原騎手が個人的都合で騎乗できなくなり,ノーブルプラチナは室騎手に変更。
バリウィールが内に寄るような発馬になり,クァンタムウェーブはやや不利を被りました。ミストレスが逃げて2番手にメルキオル。リヴェルベロと巻き返してきたクァンタムウェーブが並んで3番手。4馬身差でウィルオレオールとバリウィール。3馬身差でジュゲムーン。1馬身差でカセノタイガー。6馬身差でテディージュエリー。4馬身差の最後尾にノーブルプラチナと,早い段階で縦長の隊列となって発馬後の正面を通過。向正面に入りミストレスのリードが2馬身くらいに。メルキオルの後ろはクァンタムウェーブが単独の3番手になり,2馬身差でリヴェルベロとバリウィールに。最初の800mは48秒6のハイペース。
3コーナーでメルキオルが外からミストレスに並びかけるとミストレスは後退。メルキオルが先頭に立ち2番手にクァンタムウェーブ。直線にかけて3番手との差が6馬身くらい離れ,2頭の優勝争い。メルキオルが直線に入ってすぐに差を開くとクァンタムウェーブがまた差を詰めましたが,フィニッシュにかけてまた差を広げていったメルキオルが優勝。クァンタムウェーブが2馬身差で2着。ミストレスの外から追い込んできたウィルオレオールが4馬身差で3着。ミストレスが1馬身半差の4着でミストレスの内から追い上げてきたジュゲムーンが4分の3馬身差で5着。
優勝したメルキオル は重賞初挑戦での優勝。デビューから2戦は芝で大敗。3戦目のダート戦で2着に2秒3もの差をつけて勝ち上がると続く特別戦も5馬身差の圧勝。今年に入って芝のオープンは大敗でしたが,ダートでは底を見せていませんでした。ここは同じようにJRAのダートで2勝をあげているクァンタムウェーブとの優勝争いとみていましたがその通りのレースに。クァンタムウェーブは発馬直後にやや不利があったのも事実ですが,レース内容はメルキオルの方が上でしたので,現時点では2頭の間には着差以上の能力差があるように僕には感じられました。母が2014年にフローラステークスを勝ったサングレアル でその父がゼンノロブロイ 。祖母がビワハイジ で3代母がアグサン 。Melchiorは新約聖書の東方の博士の名前。
騎乗した川田将雅騎手 はブルーバードカップ初勝利。管理している松永幹夫調教師は第50回 からの連覇でブルーバードカップ2勝目。
スピノザはこのような考え方を採用しません。第一部定理一八 で明言されているように,神 Deusは超越的原因causa transiensではないからです。なのでそういう考え方を採用しないというより,そういう考えを斥けるといった方が的確でしょう。これは,ここでは次のように理解するのがよいと思います。
世界の外的原因として神があるとすれば,世界の外部に神があって,その外部の神が世界の存在existentiaおよび作用の原因となるという意味です。このとき,世界の外部に神があるのですから,神の側からみたら,世界は神の外部にあるということになるでしょう。これに対して第一部定理一八がいっているのは,神は超越的原因ではなく内在的原因causa immanensであるということなので,神の側からみたときは,世界は神の外部にあるのではなく神の内部にあるということです。しかしこれはただそのことだけを意味するのではなくて,神の外部には何もないということ,より正確にいえば,神には外部がないということも意味するのです。そしてそのことが,世界の側からみても同じなのです。すなわち世界は神の内部にあるということになるのですが,それはそのことだけを意味するわけではなくて,世界の外部に何かがあるというわけではないということ,これもより正確にいえば,世界には外部そのものがないということを意味するのです。スピノザは第四部序言 の中で神と自然Naturaを同一視するようないい回しを用いていますが,ここでいわれている自然は世界と読み替えてもよいわけで,神の外部には何もないということと,世界の外部には何もないということは,スピノザの哲学では事実上は同じ意味を有することになるのです。実際に当該部分の探究で,吉田はスピノザの哲学では世界の外部には何もない,というかより正確に世界には外部はないといういい方をしています。
これは,第一部定理五 からの必然的なnecessarius帰結であるという説明を吉田はしています。もしも僕たちの世界の外部に別の世界があれば,その世界ももうひとつの世界にほかならず,同じ属性attributumを有する複数の実体substantiaが存在しない以上は,そういう世界は存在しないか,そうでなければ僕たちの世界と同一の世界であるかのどちらかになるからです。
昨年のNARグランプリ が昨日,発表されました。競走馬部門のうち当ブログと関連する馬を紹介していきます。
年度代表馬は川崎のライトウォーリア 。報知オールスターカップ と川崎記念 に優勝。唯一の大レースの勝ち馬なので順当なところだと思います。部門別では4歳以上最優秀牡馬。
2歳最優秀牡馬は北海道のソルジャーフィルド 。JBC2歳優駿 を優勝。唯一の重賞勝ち馬で,全日本2歳優駿も地方馬では最先着となる3着でしたから,これも順当でしょう。
2歳最優秀牝馬は船橋のプラウドフレール 。東京2歳優駿牝馬 を優勝。この部門はほとんどの場合でエーデルワイス賞を勝った馬がいればその馬が,そうでなければ東京2歳優駿牝馬を勝った馬が選出されます。通例に倣った選出といえるでしょう。
3歳最優秀牡馬は大井のサントノーレ 。京浜盃 と戸塚記念 を優勝。これも重賞の勝ち馬で当然の選出。今年の活躍が期待される1頭です。一昨年 の2歳最優秀牡馬で2年連続の受賞。
3歳最優秀牝馬は大井のローリエフレイバー 。ロジータ記念 を優勝。この部門は重賞の勝ち馬がなく難しいところ。秋のグランダムジャパンシリーズを制したグラインドアウトをロジータ記念で降している点が評価の対象になったものと思います。
4歳以上最優秀牝馬は大井のキャリックアリード 。名古屋の秋桜賞を優勝。この部門も重賞の勝ち馬はなかったのですが,重賞で2着1回,3着1回の戦績ですから,その点も考慮されたということだと思います。
ばんえい競馬はこのブログでは扱っていないので割愛します。
最優秀短距離馬は兵庫のアラジンバローズ 。園田の新春賞とサマーチャンピオンを優勝。ここはイグナイターとの争いになったようですが,同じように重賞を勝ったスマイルウィが候補にならなかったのは謎です。両レースに出走していたサンライズホークとの着差からは,こちらになるかもしれません。
最優秀ターフ馬は該当馬なしでした。
ダートグレード競走特別賞馬はフォーエバーヤング 。サウジダービー ,UAEダービー ,ジャパンダートクラシック ,東京大賞典 に優勝。これは当然です。
8月31日に死亡したラブミーチャン が特別表彰馬に選出されました。2歳のときに兵庫ジュニアグランプリと全日本2歳優駿を勝ったことにより,部門別では2歳歳優駿牝馬に選出されたという例外中の例外の馬です。
スピノザは,私が考える concipereということは否定しないのですが,考える私,すなわち精神 mensとしての私というのを,デカルト René Descartesと同じように考えているわけではありません。デカルトは精神としての私を世界と切り離し,私が考えるということは疑い得ないのだけれども,世界のことについてはそのすべてを疑えるということを第一の前提としていました。それに対してスピノザは,精神としての私というのを,世界から切り離されたような,ある種の特権的なもののようには考えません。吉田はそれを,精神としての私と世界を切り離してしまうと,両者を再び接続させるのが困難になってしまうからだと指摘しています。スピノザがその困難を避けるために精神としての私を世界と切り離さなかったのかは何ともいえないところですが,切り離された世界と精神としての私を再接続することが困難であるということは事実です。それはデカルト自身の思想が証明しているのであって,それを克服するためにデカルトは永遠真理創造説と連続創造説を採用し,その気になれば何でもすることができる神Deusの存在existentiaをもち出さなければならなかったのです。
スピノザは『デカルトの哲学原理 Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae 』において,「我思うゆえに我あり cogito, ergo sum」というのは,三段論法ではないと解説しています。すなわち,思うということはあるということであるという大前提があり,我は思っているから我はあるというように主張されているのではないと解説しています。そうではなくてこれは,我は思いつつあるという単一命題であるというのがスピノザの解説でした。吉田はこれを大胆な読み替えといっていますので,吉田はデカルトの論法は三段論法であったとみているのでしょう。僕はそのことには異議がありますが,これは現状の考察とは無関係なので黙殺します。ここではスピノザが「我思うゆえに我あり」というのを,三段論法ではなく単一命題であると解した事実を重視します。
もしもこの命題を,スピノザがいうような単一命題として解するなら,考えるということは私の,あるいは私の精神の一側面だけを説明していることになります。それだけでは私を汲み尽くすことはできないからです。
第68回ニューイヤーカップ 。
プレミアムハンドは立ち遅れて1馬身の不利。ガバナビリティーとツウエンティフォーが並んで逃げる形。ずっと競り合ったので2馬身差の3番手にホーリーグレイル。この後ろは6馬身差でアッカーマン。4馬身差でケンシレインボーとピコダイアル。3馬身差で巻き返したプレミアムハンド。3馬身差でアルメールヴェント。その後ろにシェナノパリオとピノマハナ。2馬身差でオニアシ。4馬身差の最後尾にディープオーキッドととても縦長の隊列。超ハイペースでした。
競り合った2頭は外のツウエンティフォーが先に後退。ホーリーグレイルが変わって上昇しガバナビリティーと並んで直線へ。その後ろはケンシレインボーとアッカーマンの併走に。直線に入って外のホーリーグレイルが前に出て優勝。ガバナビリティーが一杯に粘って1馬身半差の2着。アッカーマンが4分の3馬身差の3着でケンシレインボーが1馬身差の4着。
優勝したホーリーグレイル は南関東重賞初制覇。北海道でデビューし2戦。早い段階で川崎に転入して連勝。全日本2歳優駿は相手が強く大敗でしたが連勝は3秒1差,2秒1差の圧勝でしたので,このメンバーなら通用するだろうと思われました。前の2頭が超ハイペースで逃げ,この馬の位置でもかなりのハイペースではあったと思いますが,3番手で前の競り合いをみることができたのはプラスだったでしょう。牝馬ですので,桜花賞に出走するようなら有力候補だと思います。祖母の父がバブルガムフェロー 。8代母がレディチャッター で,母の従兄がラブリーデイ 。その弟が2020年に中日新聞杯,2022年に目黒記念,2023年に鳴尾記念を勝っている現役のボッケリーニ 。
騎乗した大井の矢野貴之騎手はハイセイコー記念 以来の南関東重賞44勝目。第59回 以来となる9年ぶりのニューイヤーカップ2勝目。管理している川崎の内田勝義調教師は南関東重賞25勝目。ニューイヤーカップは初勝利。
順序だてていくと次のようになります。
まず人間というのは不完全なものです。なので,自分が考えているということについては確実であり得ますが,自分が感知している世界に関しては確実であることができません。よって世界が確実であるというためには,完全な存在existentiaである神Deusが必要になります。その神が,世界の確実性certitudoを不完全である人間に対して保証してくれることになるのです。したがって確実性は神が決定するdeterminareのでなければなりません。そうでなければ神が世界の確実性を保証してくれることができなくなっているからです。よって真理veritasというのは自ずからそうであるものであるわけにはいかないのであって,神が真理であると決定したものが真理であるとされなければならないのです。
これで不都合は生じないようにみえるかもしれませんが,そういうわけではないのです。というのは,ごく簡単な真理,たとえば1に1を加えれば2であるというような真理は,神がそのように決定したから真理であるというのであれば,神がもし別の決定determinatioをしたら真理ではなかったといわなければならなくなるからです。つまりこのようなごく単純な数学的真理に関しても,それは神がそう決定したから真理であるといわなければならないのです。このような説は永遠真理創造説といわれていて,デカルト René Descartesは基本的にこの考え方を採用しています。なので,1に1を加えると2になるということは,神がそのように決定した限りで真理なのであって,もしも神が別の決定をしていたら真理ではなかったことになるでしょう。また,もしも神が別の決定をするとしたら,1に1を加えると2になるということは真理ではなくなるということにもなります。すなわち,1に1を加えると2になるということを,神は真理ではない世界を創造するcreareことができたし,その気になれば今もそのような世界を創造することができるということになるのです。
このような永遠真理創造説を採用すると,さらに困難が生じてくることになります。というのは,神は単純な真理を真理でなくすることができるというなら,今は真理であるということを今も決定しているのでなければならないからです。
3日の第17回川崎マイラーズ 。
ルコルセールは外に向かうような発馬。逃げたのはアランバローズで2番手にムエックス。ギャルダルとコンシリエーレが3番手を併走し5番手にリンゾウチャネル。この5頭が先行集団を形成し8馬身くらい離れてフレールフィーユとオメガレインボー。さらに4馬身差でデルマルーヴルとデュードヴァン。また4馬身くらい離れてゴールドホイヤーとルコルセール。4馬身差の最後尾にホウオウルパンととても縦に長い隊列でレースが進捗しました。前半の800mは50秒3のミドルペース。
3コーナーからアランバローズとムエックスが2番手以下に3馬身くらいの差をつけていき,その3番手には内からギャルダル。直線の入口ではムエックスがアランバローズの前に。そのまま楽に抜け出して快勝。アランバローズの外にギャルダルが出てくると,その外からリンゾウチャネルとコンシリエーレが並んで追い上げ,一杯になったアランバローズを捌いて内からはオメガレインボーが追ってきて4頭で2着争い。先に2番手に上がっていたギャルダルがその位置を守り切り,5馬身差で2着。リンゾウチャネルがクビ差の3着でコンシリエーレがハナ差で4着。オメガレインボーはアタマ差の5着。
優勝したムエックス は南関東重賞初勝利。JRAで3勝し,一昨年の暮れから南関東に転入。転入後は8勝,2着2回,3着1回とほぼ完璧な成績で,前走のマイルグランプリも2着に入っていました。このレースは縦長の隊列ではありましたが,アランバローズはそれほど速いペースで逃げたというわけではなく,その2番手で楽についていけたことで快勝になりました。もう7歳ではありますが,今後の活躍も決定づけられたような結果であると思います。父はアジアエクスプレス 。母の父はアドマイヤマックス 。6代母のスウヰイスー は1952年に桜花賞やオークスを勝った名牝で,日本で古来より続く母系が出自です。Moueixはフランスのワイン会社の創業者の名前。
騎乗した船橋の張田昂騎手は東京2歳優駿牝馬 に続いての南関東重賞8勝目。川崎マイラーズは初勝利。管理している船橋の張田京調教師は南関東重賞17勝目。川崎マイラーズは初勝利。
不完全である人間の精神 mens humanaのうちにも完全なものの観念ideaがあるということは,人間の精神がその観念を形成したからではなく,完全なもの自身が形成した観念が不完全である人間の精神のうちに含まれているからだとデカルト René Descartesは考えます。したがって完全なものは存在するのであって,この完全なものは神Deusといわれるから神は存在するとデカルトは結論します。
吉田はこの論証Demonstratioは突っ込みどころが満載だといっていますので,一言を付しておけば,スピノザの哲学の枠内でということならともかく,デカルトの哲学のうちではこの論証は成立するようになっています。ここでデカルトの論証について詳しく説明しても仕方がないのでそれは省略しますが,『デカルトの哲学原理 Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae 』では第一部定理六に該当するものなので,その部分を理解すれば,このことがデカルト哲学の中で成立することも分かる筈です。なお,第一部定理六はその論証の過程で第一部公理九に訴求しています。この公理九というのはスピノザがそこでもいっているように,きわめて誤用されやすい内容を有しています。僕の考えでいえばこの公理Axiomaが必要であったというようには思えず,公理八に訴求すれば定理六も同じように結論が出せるようになっていると思うのですが,スピノザにも何か意図があって,公理九を挿入したのではないかと思います。とはいえ『デカルトの哲学原理』はあくまでもデカルトの哲学の解説書ですから,デカルトが示した公理をそのまま用いただけであったかもしれません。とにかく第一部定理六が証明できないというようにはなっていないことは間違いありません。
さらにもうひとついうと,この論証は,デカルトの哲学の中で神が存在するということを論証するための唯一の手段というわけでもありません。ほかの方法methodusを採用しても神が存在するということを証明することができるようになっています。これは『エチカ』でいえば第一部定理一一 にはいくつかの論証があるのと同じことです。なので各自が最も納得できる論証を用いるのがよいでしょう。
北海道から3頭が遠征してきた第48回東京2歳優駿牝馬 。
発馬後の加速が抜群だったバイアホーンの逃げ。それをエスカティアとヴィルミーキスミーが追っていきました。2馬身差でゼロアワーとプラウドフレールとエイシンマジョリカ。3馬身差でドナギニー。ウィルシャインとランベリーが併走で続き3馬身差でアメストリスとイイデマイヒメとエイシンナデシコ。2馬身差でオリコウデレガンス。2馬身差でクレイジーフルーツ。3馬身差の最後尾にヨルノチョウと縦長の展開。前半の800mは49秒6のハイペース。
逃げたバイアホーンは3コーナーで一杯になりずるずると後退。エスカティアが先頭に立ち2番手にエイシンマジョリカ。内を回ったゼロアワーは4コーナーでエイシンマジョリカの外に出てきました。内目からはドナギニーとプラウドフレールが伸びてきて,横に大きく広がっての競り合い。そこから抜け出たのはプラウドフレールとゼロアワー。内のプラウドフレールが制して優勝。ゼロアワーが1馬身4分の1差で2着。エイシンマジョリカが2馬身差で3着。
優勝したプラウドフレール は南関東重賞初制覇。デビューから連勝した後,3戦目は大敗。前走のローレル賞で3着と巻き返していました。このレースは各馬のコース取りが内外に広がった中で,外に出さずに伸びてこられた分の利がありましたので,2着馬に対して力量上位かどうかは分かりません。戦績からみても圧倒的な存在というわけではないと思います。母の父はネオユニヴァース 。4つ上の半兄が昨年 と今年 のフジノウェーブ記念を連覇している現役のギャルダル でひとつ上の半姉が昨年のローレル賞 を勝っている現役のミスカッレーラ 。Fleurはフランス語で花。
騎乗した船橋の張田昂騎手は昨年のゴールドジュニア 以来の南関東重賞7勝目。東京2歳優駿牝馬は初勝利。管理している船橋の川島正一調教師は南関東重賞35勝目。東京2歳優駿牝馬は初勝利。
不確実な事柄から出発するということはできないので,デカルト René Descartesは方法論的懐疑 doute méthodiqueを採用します。それが本当であるかを疑うことができるのなら,そのものについてはすべて疑ってみるという方法です。吉田はこの方法をデカルトは提唱したといういい方をしていますが,提唱というと他者に対してそれを推奨するという意味合いが強く含まれるように僕には感じられますので,僕はそのようにはいいません。デカルトは確実なものに辿り着くための方法として,疑い得るものはすべてを疑うという方法を採用したといいます。つまり方法論的懐疑はデカルトが自身に課した方法であると僕は思っています。
自身の意識conscientiaのうちに浮かんでくるものを,方法論的懐疑の視線でみていけば,ほとんどのことは疑おうと思えば疑うことができます。このことは各人が反省的にこの方法を採用すれば,経験的に理解できることだと思います。たとえば人間は簡単に錯覚してしまうような生き物ですから,感覚sensusを通して入ってくるものについてはそのすべてを疑うことができるでしょう。また,論理的思考にいくら長じていたとしても,思考の過程で誤りerrorを犯すということはあり得るわけですから,この種の推理や推論も疑うことができることになります。さらにいうと,人間は夢を見る生き物ですから,何らかの行動をしていると思っても実際はベッドの中で眠っているという場合もあるわけですから,自身の思っていることや考えていることのほとんどすべては,あてにならないと疑うことができることになります。このように,すべてを疑おうとすればいくらでも疑うことができるのであって,この方法はきりがないといっていいくらいかもしれません。
では,自身が意識しているすべてのことを疑えるのだから,本当に確実だといえることは何もないことになってしまうのでしょうか。そこで実際に確実なことはないのだと断定してしまえば,これは方法論的懐疑ではなく単なる懐疑論です。デカルトはこの懐疑論には傾きません。錯覚をするとか論理的に誤るとか夢を現実だと思ってしまうといったことは人間にはあるとしても,それがすべて自身の考えであるということは変わりはありません。
第18回東京シンデレラマイル 。カツノナノリが出走取消となって15頭。
隊列が決まるまでにやや時間を要しましたが,逃げたのはツーシャドーとなり2番手にフェブランシェで3番手にミスカッレーラとローリエフレイバー。1馬身半差でプリンセスアリーとカラフルキューブ。7番手にミルニュイ。8番手にスピーディキック。9番手にシャンブル。2馬身差でマーブルマカロンとメイドイットマムとカセノダンサー。13番手にサーフズアップでグレースルビーとフェルディナンドが最後尾を併走。前半の800mは49秒6のミドルペース。
3コーナーでフェブランシェと3番手の間が2馬身くらいに開くと,コーナーの中途でフェブランシェがツーシャドーの前に出ました。2番手はツーシャドー,ミスカッレーラ,ミルニュイ,スピーディキックの4頭が併走で直線に。先頭に立っていたフェブランシェはそのまま後ろとの差を広げていって圧勝。4頭の競り合いからはスピーディキックが2番手に上がりましたが,内目の馬群を割って追い込んだマーブルマカロンが差して5馬身差の2着。スピーディキックが半馬身差の3着で大外から脚を伸ばしたシャンブルが半馬身差で4着。
優勝したフェブランシェ はここが南関東転入初戦での南関東重賞制覇。3走前に2勝クラスを勝ち,前々走で3勝クラスで3着になっていましたから,牝馬の南関東重賞では実績上位といっていいくらいの馬。大井コースも苦にしなかったことでの圧勝になりました。牝馬相手なら重賞でも通用すると思いますが,今日のレースからすると距離が延びるのはプラスにはならないように思います。父はリアルスティール 。母の父はクロフネ 。4つ上の半姉が2019年の紫苑ステークスを勝ったパッシングスルー でふたつ上の半姉が昨年の中山牝馬ステークスを勝ったスルーセブンシーズ 。Fee Blancheはフランス語で白い妖精。
騎乗した高知で騎乗中の吉原寛人騎手 は船橋記念 以来の南関東重賞38勝目。東京シンデレラマイルは初勝利。管理することになった大井の藤田輝信調教師は南関東重賞28勝目。東京シンデレラマイルは初勝利。
『スピノザ 人間の自由の哲学 』の第一〇回で,哲学あるいは神学における主意主義と主知主義の対立と,この対立という観点からみた場合のスピノザの哲学という内容が講義されています。こうしたテーマはこれまでに僕は立てたことはありませんので,ここ吉田の講義を詳しく振り返りつつ,僕の考え方も合わせて示していくことにします。
スピノザの哲学がこのテーマと関連していくのは,スピノザの哲学がデカルト René Descartesの哲学から影響を受けていることと関係します。ここでいう影響というのは,スピノザがデカルトの見解opinioに同意する場合も反対する場合も含みます。スピノザの哲学の中には当然ながらスピノザに独自の見解というものがあるわけですが,その独自の見解の中にも,デカルトの影響を受けたものというのがあるのであって,単純にいっても,スピノザがデカルトの見解に不備があると考え,その不備を乗り越えるためにデカルトとは異なった見解を示したとすれば,それはデカルトと異なったスピノザに独自の見解であることになりますが,デカルトの影響を受けた見解であるということになるでしょう。吉田がいっているように,デカルトの哲学は考えるconcipere私というのが前面に出て,スピノザの哲学ではそもそも私ということが語られること自体がきわめて少ないので,一見するとその間には何の関係もないようにみえるかもしれないのですが,このこと自体のうちにも,スピノザがデカルトから受けた影響が含まれているといえるのです。
したがってまずデカルトの哲学から始めなければなりません。デカルトの方法論はよく知られているように,またこのブログでも何度かいっているように,とりあえず疑い得るもの,デカルトが疑い得ると思ったものについてすべてを疑うということから始めます。これはデカルトが,何が真理veritasで何が虚偽falsitasであるのかということを訴求するのが哲学であると考えているからです。とはいえ,あるものについてそれが絶対に確実であるということができなければ,真理を訴求することはできません。不確実な事柄を哲学の出発点として措定してしまえば,そこから思考を進めていっても不確実な事柄だけが導出されるからです。
第70回東京大賞典 。
好発はフォーエバーヤング。外からクラウンプライドが追い掛けていくと譲り,クラウンプライドの逃げに。控えたフォーエバーヤングが2番手。2馬身差でウィルソンテソーロとグランブリッジ。その後ろにデルマソトガケとグランデマーレ。さらにラムジェットとサヨノネイチヤとウシュバテソーロ。キングオブザナイルは10馬身ほど離されました。向正面の入口でクラウンプライドのリードが3馬身くらいに。内からラムジェットが進出してグランブリッジと並んでの3番手となり,ウィルソンテソーロはその2頭の後ろに。前半の1000mは63秒0の超スローペース。
3コーナーでクラウンプライドのリードは1馬身くらいに。外から押してフォーエバーヤングが追い上げていき,さらに外からグランブリッジ。直線に入るまでクラウンプライドは頑張りましたが,外からフォーエバーヤングが先頭に立つと内からラムジェットが追い上げて2番手。勝ち馬を追うようにウィルソンテソーロも追ってきましたが,フォーエバーヤングが2頭の追撃を許さずに優勝。外のウィルソンテソーロが1馬身4分の3差で2着。ラムジェットがクビ差で3着。
優勝したフォーエバーヤング はジャパンダートクラシック 以来の勝利で大レース3勝目。今年はチャンピオンズカップよりもメンバーのレベルが高くなりましたが,現3歳馬はレベルが高い上に,古馬との対戦も前走で経験していましたから,勝てるのではないかとみていました。1キロの斤量差があったとはいえこれが能力の差とみてよく,ダートでは日本でトップに立っているのは間違いないと思います。世界を駆け巡って大きく崩れないのは肉体的にも精神的にもタフな証明で,その点も特筆に値するでしょう。父はリアルスティール 。3代母がローミンレイチェル でひとつ下の半妹が今年のアルテミスステークスを勝っている現役のブラウンラチェット 。
騎乗した坂井瑠星騎手はチャンピオンズカップ 以来の大レース13勝目。東京大賞典は初勝利。管理している矢作芳人調教師 はジャパンダートクラシック以来の大レース27勝目。東京大賞典は初勝利。
ステノ Nicola Stenoの地層学の革新性,というのは当時にとっての革新性ですが,これは各々の地層の均一性および異質性を比較することによって,その地層が形成された年代を把握するという点にありました。これはちょうど,聖書の各部分の執筆時期および編纂時期を確定させ,そのことによってそこに書かれていることの意味を確定させようとするスピノザの方法に類似しているといえるでしょう。そしてこのスピノザの文献学的方法が現代の聖書解釈学にも通用する内容を有しているのと同じように,ステノの方法も,現代の地層学に通用する内容をもっているのです。ただステノはその方法を用いても,5700年という年数に縛られていましたから,そこから正しい答えを導き出すことができなかっただけです。
高地から海の生物,たとえば魚や貝の化石が発見されるということがあるのはなぜかということは,僕たちには答えを導き出すことができますが,ステノの時代にはそうであったわけではありません。そしてステノが発見した方法は,その答えを正しく導き出すのに役立つことになります。ですからステノ自身の研究がゆくゆくは行き詰まったであろうということは確かだと僕も思いますが,ステノの研究が方法論としてはきわめて優秀であったということは,僕は否定し難い事実であると思います。
ステノとスピノザが類似した方法論を採用したということは,偶然であったかもしれませんが,何らかの関係があったとみることもできないわけではありません。少なくともステノとスピノザは,ステノがオランダにいた時代には親しく交際していたわけで,その当時のスピノザがこうした方法論についてステノに語ったことがあったかもしれません。後に地質学の研究を開始したステノが,そのスピノザが語ったことをヒントとして,地質学の研究にそれを生かしたのかもしれません。ステノの先駆的論考が出版されたのは1669年ですから,その内容が『神学・政治論 Tractatus Theologico-Politicus 』から直接の影響なりヒントを得たなりしたことはありませんが,ステノがスピノザから方法論に関してヒントを得ていたという可能性は,完全には否定できないのです。
この部分はここまでです。
第24回兵庫ゴールドトロフィー 。
発馬後に飛び出していったのは4頭。エートラックスの逃げになり,ヘリオスが2番手。スペシャルエックスが3番手で挟まれる不利があったラプタスは4番手。マックスとサイレンスタイムは併走になり7番手にアラジンバローズ。8番手がエコロクラージュで9番手にフォーヴィスム。ギガースとパワーブローキングが併走で2馬身差の最後尾にサンライズホークで発馬後の正面を通過。向正面にかけて外に出されたラプタスが3番手に上がりスペシャルエックスが4番手に。前の8頭と後ろの4頭の差が大きく開きました。ミドルペース。
前の馬の中で頑張ったのは逃げたエートラックスとラプタス。向正面で最後尾から動いたサンライズホークとそれに合わせたフォーヴィスムの2頭が外から捲り上げてきて,この4頭が並ぶように直線に。追い上げてきた2頭が並んで逃げたエートラックスを差すとそのまま競り合ってフィニッシュ。写真判定で優勝はフォーヴィスム。サンライズホークがハナ差で2着。逃げたエートラックスが5馬身差の3着で内を回ったスペシャルエックスが4分の3馬身差で4着。優勝争いを演じた2頭の後から追い込んできたギガースがアタマ差で5着。
優勝したフォーヴィスム はスパーキングサマーカップ 以来の勝利で重賞は初挑戦での優勝。南関東転入後は1600mをずっと使っていたのですが,JRA時代の2勝クラスと3勝クラスは1400mで勝っていて,この距離の方がよかったのでしょう。兵庫まで遠征して重賞を制覇したのは評価に値するところ。斤量差があったとはいえこの距離の重賞は多くありますから,メンバー次第でまた優勝も見込めるのではないでしょうか。父はドゥラメンテ 。
騎乗したのは現在は高知で騎乗している吉原寛人騎手 で川崎記念 以来の重賞9勝目。兵庫ゴールドトロフィーは初勝利。管理している川崎の内田勝義調教師は川崎記念以来の重賞2勝目。
吉田はこの後で,ステノ Nicola Stenoが自然科学の研究から身を引いてカトリックの布教に専念したのは必然で,それを,聖書宗教としてのカトリックあるいはキリスト教に入れ上げてしまったことと関連して説明しています。僕はこの点については吉田の説明に全面的には同意しませんが,僕の見解opinioは後に説明することにして,ここでは吉田がいっていることをまずみておくことにします。
先述しておいたようにステノは1669年に『固い地面の中に自然にふくまれている固い物体についての先駆的論考De solido intra splidum naturaliter contento dissertationis prodromus』という地質学の知見を書物としてまとめています。これは化石と地層に焦点を当てた論考で,おそらくステノがスピノザにも献本したので,スピノザの死後に蔵書として残されていました。1669年には間違いなくステノはカトリックに改宗しています。つまりこれはカトリック信者としてのステノが書いた論考です。
自然科学の研究と,その研究者が信仰する宗教religioは無関係のように思えます。ただそれは現代的な僕たちの視点からそう見えるというだけであって,ステノが論考を書いている時代は必ずしもそうではありませんでした。これは,この時代の自然科学の研究によって,その研究の成果が宗教裁判の対象になり得たということから明白でしょう。ブルーノGiordano Brunoは研究の内容を問われて火炙りの刑に処せられましたし,ガリレイGalileo Galileiも,改心したと認められたので重刑には処されませんでしたが,裁判にはかけられています。ブルーノとかガリレイというのは,必ずしも深い信仰心をもって自然科学を研究したというわけではなかったといえますが,当然ながらその逆のパターンもあるのであって,自然科学を研究することによって聖書に示されている知見の正しさを証明しようとした自然科学者も存在したわけです。なので自然科学の研究と研究者が信仰する宗教というのは,この時代には分かち難く結びついている場合もあるのであって,ステノもそうでした。つまりステノの地層学の研究というのは,単に学問としての地層学について先駆的な所見を論考するということだけを目的finisとしていたわけではなくて,その研究によって聖書の正しさを証明するという目的もあったのです。
第62回ゴールドカップ 。オメガレインボーは野畑騎手から笹川騎手に変更。
一旦はシーサーベントが前に出ましたが外から追い抜いたエンテレケイアの逃げ。シーザーベント,スマイルウィ,アウストロの3頭が並んで追い,5番手にサヨノグローリー。2馬身差でカジノフォンテンが続きその後ろにオメガレインボーとティアラフォーカス。4馬身差でビヨンドボーダーズ。最後尾にグレートジャーニー。向正面に入って2番手以下はシーサーベント,スマイルウィ,アウストロの順になり,内からサヨノグローリーが5番手に。最初の600mは36秒5のミドルペース。
3コーナーでエンテレケイアのリードは1馬身。その後ろが再びシーサーベント,スマイルウィ,アウストロで併走となり,サヨノグローリーはここも内を回りました。直線に入ってエンテレケイアがコーナーワークで再びリードを広げたのですが,3頭併走の大外から伸びたアウストロが差し切って優勝。逃げ粘ったエンテレケイアがクビ差で2着。内から差したサヨノグローリーが1馬身差で3着。
優勝したアウストロ は南関東重賞初挑戦での勝利。昨年10月から軌道に乗り,それ以降は8戦して6勝,2着2回。ここ2走は浦和のA2クラスを連勝していました。このレースは速力で上回るエンテレケイアを力でスマイルウィが捻じ伏せられるのかが最大の焦点。エンテレケイアは持ち前のスピードでスマイルウィは封じたのですが,その後ろから差してきたアウストロに屈するという形になりました。スマイルウィの後ろからレースを進められた展開面の利がありましたし,コース適性の利もあったなど,恵まれたところがあったのも確かだと思いますが,負かした馬たちが強い上にまだ4歳馬ですから今後も楽しめる馬かもしれません。父はダノンレジェンド 。6代母がパロクサイド で3代母のひとつ下の半妹がエアグルーヴ 。
騎乗した浦和の秋元耕成騎手は益田でのデビューから25年8か月で南関東重賞初勝利。管理している浦和の小沢宏次調教師は南関東重賞2勝目。ゴールドカップは初勝利。
ステノ Nicola Stenoは1677年9月にまず上申書,それからバチカン写本 という順で異端審問の機関に提出したのですが,少なくともこの提出した時点では,ステノは自然科学の研究からは身を引いていたとされています。逆にいえば,その直前まではカトリックの普及にだけ専念していたというわけでなく,自然科学の研究にも勤しんでいたということでしょう。チルンハウス Ehrenfried Walther von Tschirnhausがイタリアに移ったのがいつであったかということが不明なのですが,もしかしたらチルンハウスとステノが初めて会ったときは,ステノはむしろ自然科学の研究の方に重きを置いていたのかもしれません。
提出の後,ステノはカトリックの司教としてドイツおよびオランダの各地を渡り歩き,プロテスタントが主流の地域で,カトリックへの再改宗を促し,また残っていたカトリックの信者たちの世話をするようになりました。この吉田の説明が正しいなら,『宮廷人と異端者 The Courtier and the Heretuc : Leibniz,Spinoza,and the Fate of God in the Modern World 』で,スピノザが死んだときにステノとライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibnizが一緒に仕事をしていたというのはやはりスチュアートMatthew Stewartの創作で,史実ではなかったということになります。ただし,ステノがドイツに移ったときにライプニッツと出会い,一緒に仕事をしたことがあったということは,吉田は何も語っていませんが,歴史的事実と解釈していいようです。これについては資料が残っていて,ただその時期が確定的に書かれていないので,スチュアートはその資料を参照して,勘違いしたのかもしれません。いい換えれば意図的に創作したというわけではないのであって,資料を読み間違えただけかもしれないということです。この点はスチュアートの名誉のためにもいっておかなければなりません。
ステノは熱心に仕事に打ち込んだ影響が出たのかもしれませんが,1686年にドイツで死んでいます。このときまだ48歳でした。1988年になってから,当時のローマ教皇から列福というのを受けています。ローマカトリックでは列聖という処置があって,これは聖人に指定されるという意味です。列福というのはそのひとつ前の段階を意味するようです。したがって現在ではステノはローマカトリックの中では聖人の一歩手前となっているのです。
第47回名古屋大賞典 。
一旦はヤマニンウルスが前に出ましたが,外からノットゥルノが追い上げてノットゥルノの逃げに。勢い良く追い上げたこともありすぐに3馬身くらいのリードになりました。ミッキーファイトが2番手になって控えたヤマニンウルスは3番手。4番手にベルピット。5番手にアウトレンジ。6番手にシンメデージー。発馬後の向正面ではこの後ろにやや差がつきましたが,正面に入ると差は詰まり,アルバーシャが7番手,8番手にアナザートゥルース,9番手にサンマルパトロール,10番手にラジカルバローズで11番手にメルト。最後尾のファルコンウィングだけが離されました。ミドルペース。
ノットゥルノは快調に飛ばしていき,2周目の向正面に入ったあたりでリードは4馬身くらいに。ミッキーファイト,ヤマニンウルスは続いていきましたがベルピットは苦しくなり,アウトレンジが外から4番手に。3コーナーにかけてミッキーファイトがノットゥルノとの差を詰めていくとヤマニンウルスはやや離され,最終コーナーで外から追い上げてきたアウトレンジと併走。ただ前の2頭とは水が開いてしまいました。直線に入ってもノットゥルノはよく粘りましたが,外からミッキーファイトが差して優勝。逃げ粘ったノットゥルノがクビ差で2着。3着はヤマニンウルスとアウトレンジの競り合いに,内からシンメデージー,外からアナザートゥルース,さらに大外からサンマルパトロールも並んでいって接戦。内を回ったシンメデージーが4分の3馬身差で3着。大外のサンマルパトロールがクビ差の4着でアナザートゥルースがクビ差で5着。ヤマニンウルスがクビ差の6着でアウトレンジは4分の3馬身差で7着。
優勝したミッキーファイト はレパードステークス以来の勝利で重賞2勝目。これまで大きく崩れたことはなく,ジャパンダートクラシックでもフォーエバーヤングから1馬身4分の1差の2着に食い込んでいました。ここは5戦全勝のヤマニンウルスがいたために2番人気の評価でしたが,シンメデージーが3着に入っていることからも分かるように今年の3歳馬はレベルが高く,能力はこちらの方が上だったということでしょう。斤量差があるのに着差が僅かだった点はやや不満ですが,ここが古馬との初対戦でしたから仕方ないかもしれません。これまでの戦績から考えても,もっと上を目指せる馬だと思います。母の父はスペシャルウィーク 。4代母がエアグルーヴ で7代母がパロクサイド 。5つ上の半兄が2019年の中京記念を勝ったグルーヴィット で4つ上の半兄が2022年にシリウスステークスとチャンピオンズカップ を勝ったジュンライトボルト 。
騎乗した戸崎圭太騎手と管理している田中博康調教師は名古屋大賞典初勝利。
ステノ Nicola Stenoの上申書の内容については,吉田は概ね次のように説明しています。
バチカン写本 に含まれている思想は感染力が強い疾病のようなものであって,これ以上の感染をできる限り防ぐためには,また,すでにその疾病に毒されてしまっている人びとの治癒を推進するためには,この疾病の感染源とでもいうべきものを発見し,しかるべき対抗措置をとるために,努力してしすぎるということはないと思われる,というものです。
この上申書が提出されたのはすでに述べたように1677年9月4日です。スピノザの遺稿集Opera Posthuma が発刊されたのは同年の暮れになってからですから,この時点ではまだ未発刊でした。『宮廷人と異端者 The Courtier and the Heretuc : Leibniz,Spinoza,and the Fate of God in the Modern World 』では,遺稿集の発刊を阻止しようと躍起になっていたのは,オランダのカルヴァン派だけではなくカトリックも同様であったとされていますが,このステノの上申書の内容からすると,その部分には信憑性があると解してよいようです。
一方でこのことは,次のようなことを推測させます。
カトリック陣営がスピノザの遺稿集の発刊を阻止したかったのであれば,それを阻止するためには全力を尽くしたと思われます。努力しすぎてしすぎるということはないというのは,上申書にみられるステノの意見というより,カトリック陣営の総意であったと思われるからです。そうであれば,それをだれが編集し,またどこで編集されているのかということは,きわめて重要な情報であった筈です。そしてその情報がステノにあるいはカトリックの上層部に齎されていたら,遺稿集が発刊されるということは困難だったと思われます。これらの情報があれば,遺稿集の発刊の前に編集者たちの発刊の準備を阻止することができたと推測できるからです。そしてその情報を,たぶんチルンハウス Ehrenfried Walther von Tschirnhausは知っていたと思われます。チルンハウスはシュラー Georg Hermann Schullerと知り合うことによってスピノザとも知己になったのであり,そのシュラーと定期的に書簡で連絡を取っていたのはすでに述べた通りです。そしてそのシュラーは遺稿集の編集者のひとりなのですから,そのことをチルンハウスが知らなかったという方がむしろ不自然であるといわなければならないでしょう。
昨晩の第75回全日本2歳優駿 。
コパノヴィンセントが前に出てミリアッドラヴが2番手になったところ,外からホーリーグレイルが追い抜いていき,ホーリーグレイルの逃げに。3馬身差で追い上げていったミリアッドラヴ。深追いしなかったコパノヴィンセントの内にハッピーマンが追い上げてきて2馬身差の3番手を併走。3馬身差でナチュラルライズ。2馬身差でソルジャーフィルド。2馬身差でウィルオレオールとグランジョルノ。6馬身差でジュゲムーン。4馬身差でキングミニスター。8馬身差の最後尾にカムイカルと非常に縦長の隊列。前半の800mは49秒7のハイペース。
3コーナーを回ると逃げたホーリーグレイルは一杯。ミリアッドラヴが自然と先頭に立ち,ハッピーマンが2番手にさらにナチュラルライズとソルジャーフィルドの追い上げ。先頭で直線に入ったミリアッドラヴは一旦は差を広げ,そこからまたハッピーマンが差を詰めてきましたが抜かせず,ミリアッドラヴの優勝。ハッピーマンが4分の3馬身差で2着。ソルジャーフィルドとナチュラルライズが競り合うところに後方からジュゲムーンが一気に追い上げてきて3着争いは大接戦。ソルジャーフィルドが1馬身半差の3着でナチュラルライズがハナ差で4着。ジュゲムーンがアタマ差の5着。
優勝したミリアッドラヴ はここがエーデルワイス賞 以来のレース。重賞連勝,デビューから3連勝での大レース制覇。縦長の展開でしたが超がつくほどのハイペースだったというわけではなく,スムーズに2番手を追走できたのが大きかったです。軽快なスピードを武器とするタイプにみえますので,1600mをこなしたとはいっても,さらに距離が延長することがプラスに働くようには思えず,むしろ距離短縮した方が能力を発揮しやすいように思われます。体重が大きく減っていたのも今後に向けては不安材料で,一息入れて立て直すことが必要かもしれません。母の父はスマートファルコン 。母のふたつ上の半姉に2017年のTCK女王盃 とエンプレス杯 を勝ったワンミリオンス 。Myriadは無数の。
騎乗した西村淳也騎手はスプリンターズステークス 以来の大レース2勝目。管理している新谷功一調教師は開業から4年9ヶ月で大レース初勝利。
ステノ Nicola Stenoが書簡六十七の二 の中に,スピノザの名前を出さず,また『神学・政治論 Tractatus Theologico-Politicus 』という本の題名も出さなかったのは,もしかしたらステノ自身のうちに何らかの配慮があったからかもしれません。しかし,宗教的パンフレットとして公開されるなら,読む人が読めばこれはスピノザに宛てられたものであり,そこでいわれている本が『神学・政治論』であるということは,容易に理解できたと思われます。少なくともステノがそれを分からなかった,宛先がだれで本が何であるかを分かる人はだれもいないであろうと思っていたとは考えにくいです。仮にもしもステノがそう思っていたのなら,ステノはそのことについて楽観しすぎているといわざるを得ません。ですからステノは確かにそのことは理解して,書簡六十七の二を書いたと僕は想定します。
その上でステノはスピノザのことを,かつてきわめて親しかったし,今でも疎遠ではないと思っていると書いているわけです。なのでここからはふたつのことが読み取れるでしょう。ひとつは,自身がスピノザとかつて親密な交際をしていたし,今でもそれほど疎遠な関係というわけではないということが,このパンフレットを読む人物たちに知られても構わないと思っていたということです。これはある意味では驚くべきことです。これはスピノザの死後のことになりますが,フッデ Johann Huddeやライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibnizは自身がスピノザと関係があったことを秘匿したいと考えていたからです。それは自身の身の安全,より正確にいえば立場上の安全に関係するとかれらが考えていたからだと推察されます。ステノが書いたものが宗教的パンフレットであったすれば,公開されたのはまだスピノザが生きていたときであったと推察されますが,それでもステノは,自身がスピノザとかつて親密であったことはおろか,その時点でも疎遠とはいえないということが周囲の人びとに分かってしまったとしても構わない,つまり自身の身の安全にもカトリック信者としての立場上の安全にも影響を及ぼさないと考えていたことになるでしょう。
そしてもうひとつ,ステノがそのように考えていたのであれば,そう考える土台というものがあった筈なのです。
昨晩の第1回ジェムストーン賞 。
逃げたのはプリムスパールス。内からチートメジャーとヤマノファルコン,外からノブハッピーホースとヨシノダイセンが追っていきました。これらの後ろにラブミーメアリーとユルリとシナノクーパー。ジョイフルロック,フレンドローマ,ミラクルメイキング,オニアシの順で続き3馬身差でスキャロップ。最後尾にプローラーティオーという隊列。前半の600mは35秒0の超ハイペース。
3コーナーでプリムスパールスのリードは2馬身くらい。ヨシノダイセンが単独の2番手となり,内からヤマノファルコンが追い上げてきました。直線に入ると逃げるプリムスパールスと追うヨシノダイセンの間をヤマノファルコンがこじ開けようとして3頭の競り合い。そこからプリムスパールスがまた引き離していき,楽に逃げ切って優勝。ヨシノダイセンの外から追い上げてきたフレンドローマが4馬身差で2着。大外から追い込んだミラクルメイキングがクビ差で3着。ヨシノダイセンが半馬身差の4着でヤマノファルコンがクビ差の5着。
優勝したプリムスパールス は南関東重賞初勝利。デビュー戦で2秒2もの差をつけて勝つとゴールドジュニアに出走して最下位。3戦目の特別戦は2馬身半差で快勝しこのレースに出走しました。大井が2度目だったこと,距離が1200mになったことが勝因としてあげられます。この時期の1200m戦ですから様ざまなキャリアの馬が出走していたレースで,馬券面からは難解でしたが,結果は圧勝になりました。ただレース全体のレベルがどうであったのかは疑問が残るところ。この馬は現状は1400mでも長いというタイプの馬だと思います。父はベストウォーリア 。母の父はダイワメジャー 。
騎乗した船橋の澤田龍哉騎手は昨年のプラチナカップ 以来の南関東重賞5勝目。管理している船橋の米谷康秀調教師は南関東重賞2勝目。
アルベルト Albert Burghがファン・デン・エンデン Franciscus Affinius van den Endenのラテン語学校で学んでいた時代,上演した演劇のいくつかにおいてスピノザと共演したということが,『ある哲学者の人生 Spinoza, A Life 』では確定的に記述されています。『レンブラントの生涯と時代The life and times of Rembrandt 』について検討したときにいったように,エンデンのラテン語学校では演劇が授業のひとつとして行われていたのですが,これは演劇を通して生徒がラテン語を学ぶことを意図していただけでなく,観客を入れて上演し,収入を得ることも目的としていました。ここでいわれている上演は,そうした上演と思われます。ナドラーSteven Nadlerは資料も示していますので,このことは史実と確定してよさそうです。
ラテン語学校で学んだ後,アルベルトはライデン大学に入学しています。これが何年のことであったかが正確に書かれていないのですが,少なくともステノ Nicola Stenoとアルベルトが同窓生であったことは間違いありません。なのでステノとアルベルトがその時点で出会っていた可能性は否定できません。そしてステノがライデン大学で学んでいた頃はスピノザはライデンLeiden近郊のレインスブルフ Rijnsburgに住んでいて,おそらくライデン大学に出入りしていました。よって書簡七十六 でいわれているように,アルベルトとスピノザがステノについて語り合ったことがあるというのは,状況として不自然でないことになります。もっともこれは状況についての説明で,書簡七十六の内容について疑わなければならないような理由はありませんから,スピノザ,ステノ,アルベルトの3人が,互いに互いを知っていたということは史実として確定して問題ありません。
いずれにしてもアルベルトとスピノザは,ファン・デン・エンデンのラテン語学校において知り合っていたのは間違いありませんし,おそらくアルベルトがライデン大学に入学した後も会っていたでしょう。したがって,スピノザがコンラート・ブルフの家で世話になっていたという可能性が否定されたとしても,スピノザとアルベルトの父親であるコンラート・ブルフが知り合いであり得たことになります。ですからコンラートがスピノザに対して,アルベルトに書簡を書いてほしいと依頼するケースもあり得ます。
昨晩の第16回勝島王冠 。
キングストンボーイはタイミングが合わず1馬身の不利。ランリョウオーが逃げて2番手にサヨノネイチヤ。巻き返したキングストンボーイが3番手に追い上げ4番手にパワーブローキング。5番手にヒーローコール。6番手にキタノオクトパス。その後ろはリンゾウチャネル,コラルノクターン,ユアヒストリー,アイブランコの4頭。2馬身差でモダスオペランディとゴールドハイアー。3馬身差でマースインディ。4馬身差でクリノドラゴン。最後尾にアポロビビ。最初の800mは49秒5のミドルペース。
3コーナーでランリョウオー,サヨノネイチヤ,キングストンボーイの3頭が併走に。2馬身差でパワーブローキング。さらに2馬身差でキタノオクトパス。コーナーで外からキングストンボーイが前に出ようとしたのでサヨノネイチヤが対抗し,ランリョウオーはここで後退。サヨノネイチヤとキングストンボーイが並んで直線に。直線でも競り合いましたが,外のキングストンボーイが決着をつけ,そのままサヨノネイチヤを引き離して圧勝。サヨノネイチヤが5馬身差で2着。パワーブローキングが2馬身差の3着。後方から大外を追い込んだマースインディが4分の3馬身差で4着。マースインディの内から並んで伸びてきたユアヒストリーがハナ差の5着。
優勝したキングストンボーイ はこのレースがJRAからの転入初戦。5月にオープンで2着になっていましたから,頭打ちでの転入ではなく,南関東重賞ならすぐに通用する力量がありました。サヨノネイチヤは帝王賞も南部杯も競馬にはなっていたので強敵でしたが,3キロの斤量差があれば負かすこともあり得るとみていましたが,想像以上の差がつきました。この開催の大井競馬は早い時計での決着が目立っていたのですが,そういった馬場状態に対する適正の差もあったのかと思います。大レースは厳しそうですが重賞なら通用しそう。南関東重賞に出走するなら常に優勝候補でしょう。父はドゥラメンテ 。3つ上の半兄に2018年の皐月賞 を勝ったエポカドーロ 。
騎乗した大井の御神本訓史騎手は黒潮盃 以来の南関東重賞72勝目。第13回 以来となる3年ぶりの勝島王冠2勝目。管理している大井の渡辺和雄調教師は南関東重賞11勝目。勝島王冠は初勝利。
スピノザからアルベルト Albert Burghへの返信は書簡七十六 で,1675年12月にハーグDen Haagから出されています。以前にステノ Nicola Stenoについてスピノザとアルベルトが語り合ったことがあったということを史実として確定させる内容を含んだ書簡です。書簡六十七 はこの年の9月に出されたものですから,スピノザはおよそ3ヶ月が経った後に返信を書いたことになります。
期間が開いたことについては,この書簡の冒頭でスピノザが記しています。それによれば,スピノザはアルベルトからの書簡には返事を書くつもりがありませんでした。なぜなら,カトリックの闘士となってしまったアルベルトを家族の元に引き返すために必要なのは,理性 ratioによる説得ではなく,時間tempusの経過であるとスピノザは考えていたからです。しかしアルベルトの才能に期待をしていた友人たちが,スピノザに対して,アルベルトの友人としての義務を果たすように,というのはアルベルトのことを理性的に説得するようにという意味ですが,そのような依頼をしきりにするので,それに心を動かされて書簡を書くことをスピノザは決意したのです。
ここでは若干の説明が必要です。スピノザは友人の意見opinioに心を動かされたといっていますが,実はスピノザはアルベルトだけでなく,アルベルトの家族とも親しかったと思われます。実際にスピノザは,アルベルトをアルベルトの家族の元に引き戻すのに必要なことが何かということを語っているわけですから,友人の依頼というものの中には,アルベルトの家族からの依頼も含まれていたと考えられるのです。
スピノザがユダヤ人共同体から追放された後,レインスブルフ Rijnsburgに住むようになるまでの間のことは,史実として残されている歴史的資料が少なく,よく分かっていません。ただその間に,コンラート・ブルフ,これはアルベルトの父ですが,そのコンラート・ブルフの家に滞在していた可能性が『ある哲学者の人生 Spinoza, A Life 』で指摘されています。コンラートはアムステルダムAmsterdamの裕福な裁判官で,コレギアント派collegiantenに同情的であったとされています。アルベルトの方はファン・デン・エンデン Franciscus Affinius van den Endenのラテン語学校に入学したので,そこでスピノザと親しくなったといわれています。
昨晩の第69回船橋記念 。
好発はルクスディオン。それを内からエンテレケイアとカプリフレイバーが追っていく形。2馬身差でスワーヴシャルル。ジャスティンとティアラフォーカスは併走でサンダーゼウス。ポーラチュカとギガースも併走。アイゴールド,ラヴケリーと続いてファイナルキングとカールスパートの併走。最後尾にエルロイ。最初の400mは22秒8のハイペース。
3コーナーではエンテレケイアが単独の先頭に立ち,カプリフレイバーが2番手。好発を決めたルクスディオンは2馬身差の3番手に後退し,外からスワーヴシャルル,内からジャスティンの追い上げ。直線の入口でカプリフレイバーとの差を広げたエンテレケイアが,そのまま抜け出して快勝。スワーヴシャルルが単独の2番手に上がったところ,外からギガースが追い込んできて,かなり差を詰めたものの届かず,スワーヴシャルルが4馬身差で2着。ギガースがアタマ差で3着。
優勝したエンテレケイア はアフター5スター賞 以来の勝利で南関東重賞3勝目。1000mでは南関東では敵なしという状況ですから,順当な優勝。スピードを前面に出す馬は,休養すると急激に能力が衰えてしまうケースがあるのですが,この馬は順調にレースを使い続けています。順調にレースに使い続けていられる限りは,これからも活躍が期待できると思います。父はアジアエクスプレス 。はとこの子に2021年のホープフルステークス と2022年の中日新聞杯を勝っている現役のキラーアビリティ 。Entelecheiaはアリストテレスの哲学用語で,完成された現実性。
騎乗した金沢の吉原寛人騎手 はアフター5スター賞以来の南関東重賞37勝目。船橋記念は初勝利。管理している浦和の小久保智調教師は南関東重賞70勝目。船橋記念は初勝利。
このことから分かるのは,チルンハウス Ehrenfried Walther von Tschirnhausはバチカン写本 を慎重に扱っていたのであって,不用意に他人にそれを読ませてしまうようなことは避けていたということです。なのでこの観点からすれば,チルンハウスがバチカン写本を自主的にステノ Nicola Stenoに渡してしまうということはあり得ないことのように思えます。とくにホイヘンス Christiaan Huygensには自身がそれを所持していることを秘匿し,自身がそれを読むべき人物であると評価していたライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibnizに対しても独断で読ませるようなことはせず,スピノザにその許可を求めていたチルンハウスが,カトリックの中でそれなりの立場にあったステノに草稿を渡してしまうようなことは,考えられないといっていいくらいでしょう。
一方で別の事情があります。ステノがバチカン写本を入手したのは,スピノザの死後のことです。スピノザが死んだのが1677年の2月で,ステノが草稿を入手したのは1677年8月です。スピノザの遺稿集Opera Posthuma はこの年の暮れには発刊されていて,この時期はおそらくその編集中であったと推測されます。たぶんチルンハウスはそのことを知っていたでしょう。したがってこの時期のチルンハウスは,すでにバチカン写本を所持し続ける意味が薄れつつありました。遺稿集が発刊されればそこには『エチカ』が掲載されるのは間違いありませんから,もし読む必要が生じたら,そちらを読めばいいからです。なのでこの時期のチルンハウスは,スピノザが生きていた頃ほどにはバチカン写本を慎重に取り扱う必要はなくなっていました。こうしたチルンハウスの気持ちの変化が,草稿がステノの手に渡ってしまったことといくらかの関係があったとみることもできるでしょう。
解説の方で,おとり捜査のようなやり口でチルンハウスがステノにバチカン写本を巻き上げられたと書いてあるそうですから,そこには何らかの根拠はあるのでしょう。ただその根拠が何か分からない以上はその事情を考察することが無意味というわけではありません。ただ考察するのであれば,ここに示した二点はそのための論拠にしなければならないと思います。
吉田はこの後でチルンハウスとステノについての概略を説明しています。
第26回兵庫ジュニアグランプリ 。
コパノヴィンセントが無理なく前に出てそのまま逃げることに。外の分だけ前に出られなかったべラジオドリームが2番手。ヤマニンシュラとコスモストームが並び,サンジュウロウとヴィグラスデイズとシャインミラカナの3頭が併走。ラピドフィオーレ,ハッピーマン,キミノハートの順で続き2馬身差でマナヴァルキューレ。4馬身差の最後尾にジーニアスレノン。ミドルペースでした。
3コーナーを回ってサンジュウロウとシャインミラカナは後退。最内を回って追い上げてきたのがハッピーマン。べラジオドリームは直線の手前で一杯。2番手に上がったヤマニンシュラと逃げたコパノヴィンセントの間を突いたハッピーマンが粘るコパノヴィンセントを差し切って優勝。コパノヴィンセントが1馬身半差で2着。ヤマニンシュラが1馬身半差の3着。ヴィグラスデイズがクビ差の4着でコスモストームが半馬身差の5着と,総じて前につけていた馬がそのまま流れ込む決着。
優勝したハッピーマン は重賞初制覇。このレースはJRAの1勝クラスで好走歴がある馬が3頭いて,そのうちの2頭によるワンツー。ハッピーマンは道中の位置取りが後ろになってしまい,展開面からは不利でしたが,内を回ることで相殺しました。それでも前にいた馬たちが有利なレースであったことは間違いありませんから,このメンバーの中では能力が上位であったとみていいと思います。小回りで器用なレースで勝ち切った点も評価できます。父はダノンレジェンド 。母の父がキングカメハメハ で祖母が2007年のフラワーカップを勝ったショウナンタレント 。その父がアグネスタキオン 。
騎乗した坂井瑠星騎手と管理している寺島良調教師は兵庫ジュニアグランプリ初制覇。
『国家論 Tractatus Politicus 』の第六章の第一節では,人間は本性 naturaの上で共同社会状態status civilisを欲求するので,人間が共同社会状態を解消してしまうことは起こり得ないという意味のことがいわれています。これは一読すると,スピノザがホッブズThomas Hobbesと同じことをいっているように見えます。ホッブズは,それがどんなにひどい共同社会状態であったとしても,自然状態status naturalisに戻るよりいいから,人間が共同社会状態を解消して自然状態に回帰することはないといっているからです。しかし実際には,人間が共同社会状態を解消することはないという同じことをいっているとしても,スピノザとホッブズでは違う意味のことを主張していると考えなければなりません。ホッブズは実際に自然状態があって,そこに回帰することはないといっているのに対し,スピノザはそもそも自然状態などというものは存在しないから,共同社会状態を解消して別の状態に移行することはできないといっているのだからです。すなわち人間は常に共同社会状態に現実的に存在することになるのですから,政治論を構築していくときは共同社会状態から出発しなければならないのであって,共同社会状態以前の状態としての自然状態から出発することはできないのです。
もちろん共同社会状態というのは,現実的に存在するあるひとりの人間だけを抽出するなら,その人にとって不本意で苦痛に満ちたものであるということがあり得ます。ホッブズの政治理論では,それでもその状態は自然状態よりよい状態であるということができますが,スピノザの政治理論ではそのようにいうことができなくなります。したがって人間は,というのは僕たちはという意味ですが,共同社会状態が現にあって,その中で現に暮らしているということをもってよしとするわけにはいかなくなります。自然状態など存在せず共同社会状態しか存在しないのであれば,現実的に存在している人間に対して苦痛を齎すのは共同社会状態にほかならないからです。それがどんなに無法で歪んだものであったとしても,共同社会状態は共同社会状態であって,そうした共同社会状態が現に生きる人間の苦痛の原因causaとなり得るということを弁えておかなければなりません。