スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
昨年のJRA賞 の競走馬部門が7日に発表されました。
年度代表馬はドウデュース 。天皇賞(秋) とジャパンカップ を制覇。昨年はダートを除くと年間を通して安定して活躍した馬がなく,この馬も後半戦に集中したのですが,大レース2勝のレース内容がアピール性が高かったことで,票を集めるに至ったということでしょう。すでに競走馬登録は抹消され,今春から種牡馬生活を開始します。2021年 の最優秀2歳牡馬で,2度目の受賞です。部門別では最優秀4歳以上牡馬。
最優秀2歳牡馬はクロワデュノール 。東京スポーツ杯2歳ステークスとホープフルステークス を制覇。朝日杯フューチュリティステークスを勝ったアドマイヤズームはほかに重賞を勝っていないので,こちらが選ばれたということでしょう。
最優秀2歳牝馬はアルマヴェローチェ 。阪神ジュベナイルフィーリーズ を優勝。ここはほぼ自動的という面が否めませんが,この馬は牡馬相手の札幌2歳ステークスも2着ですから当然でしょう。
最優秀3歳牡馬はダノンデサイル 。京成杯と日本ダービー で勝利。ここは大レースを2勝したフォーエバーヤングとの争いですが,JRA賞となると,JRAでは1度も走っていないフォーエバーヤングには不利だったかもしれません。それでも僕はフォーエバーヤングの方がよかったと思います。
最優秀3歳牝馬はチェルヴィニア 。オークス と秋華賞 を勝利。有馬記念を勝ったレガレイラもいますが,大レース2勝のこちらが選出されるのが順当だと思います。
最優秀4歳以上牝馬はスタニングローズ 。エリザベス女王杯 を優勝。ほかのレースの成績をみると微妙な感がなくもありませんが,ではどの馬を選ぶのかとなると,結果的にこの馬に戻ってくることになりそうです。競走馬登録は抹消されていて,繁殖牝馬になります。
最優秀スプリンターはルガル 。シルクロードステークスとスプリンターズステークス を優勝。これは順当な選出ではないでしょうか。
最優秀マイラーはソウルラッシュ 。マイラーズカップとマイルチャンピオンシップ を優勝。香港馬が勝った安田記念,遠征した香港マイルも含めて安定した成績を残していますが,ロマンチックウォリアーを選出するというのもありだったとは思います。
最優秀ダートホースはレモンポップ 。さきたま杯 ,南部杯 ,チャンピオンズカップ と日本では3戦して3勝。JRA賞のこの部門はフェブラリーステークスかチャンピオンズカップの優勝馬のどちらかが選ばれるべきだと僕は考えています。不出走だったフェブラリーステークスを勝ったペプチドナイルとのその後の対戦成績から,この馬の受賞が当然だと思います。2023年 からの連続受賞。競走登録は抹消されていて,種牡馬生活が始まります。
最優秀障害馬はニシノデイジー 。中山大障害 を優勝。中山グランドジャンプを勝ったイロゴトシはそれ以降は出走できませんでしたので,こちらになるのは自然な気がします。この馬も競走馬登録が抹消されていて,種牡馬になるとのことです。
特別賞があり,フォーエバーヤング が選出されました。サウジダービー ,UAEダービー ,ジャパンダートクラシック ,東京大賞典 を優勝。JRAでは出走しなかったとはいえ,昨年1年を通して最も活躍した馬はこの馬であったと僕は思っています。このような形でも受賞できたのはよかったのではないでしょうか。
今の時点で真理 veritasである事柄は,神Deusがそれを真理と決定したから真理であるとしなければ,神が真理を保証してくれることができません。あるいは同じことですが,神が真理のしるしsignumにはなり得ません。ところが神は,その真理を真理でなくすることができ,逆に今の時点では虚偽falsitasである事柄を真理であるようにすることができると仮定する必要も生じます。こちらの条件も満たしていなければ,やはり神が真理のしるしであることができなくなってしまうからです。このために永遠真理創造説が採用されるだけでは不十分であることになります。なぜなら,今は確実である事柄が,後には不確実になるかもしれないということは,たとえば1分前に真理であった事柄がこの瞬間に虚偽になる可能性を含んでいるからです。よって,今は真理であるという事柄は,かつて神がそれを真理であると決定したから真理であるというだけでは不十分なのであって,かつてそれを真理であると決定するdeterminareとともに,今の時点でもなおそれを同じように真理であると決定し続けているという必要があるのです。そこでこの条件を満たすために,神はどの一瞬をとってもそれが真理であると決定し続けているという説を採用する必要が生じます。この説は連続創造説といわれます。つまりデカルト René Descartesの思想は,永遠真理創造説と連続創造説がミックスされることによって成立するようになっているのです。
ここから理解することができるのは,このように想定される神は,自由意志voluntas liberaを有していて,その自由意志によってある事柄を真理,ある事柄を虚偽と決定し,その決定determinatioを自由意志によって常に真理でありまた虚偽であり続けるようにしているということです。デカルトの哲学は基本的にこの路線で解されなければなりません。つまり神は自由意志によって何事も決定するということを肯定しないと,世界の確実性certitudoは人間に対して保証され得ないというようになっているのです。
すべてが神の意志に依存すること自体はキリスト教やユダヤ教と大きく反するわけではありません。キリスト教の神もユダヤ教の神も,自由意志によって世界を創造するcreareということについてそれを否定するnegareことはないからです。
第41回ホープフルステークス 。
逃げたのはジュンアサヒソラ。外目から勢いをつけて出ていったので3馬身くらいのリードを取ることになりました。2番手にはジェットマグナム。2馬身差でショウナンマクベスとピコチャンブラック。2馬身差でクラウディアイとマジックサンズ。この後ろにアスクシュタインとクロワデュノール。さらにレーヴドロペラとヤマニンブークリエ。マスカレードボールとアマキヒが続きデルアヴァー。リアライズオーラムがいてファウストラーゼンは向正面で外を一気に進出していったので,アリオーンスマイルが最後尾に。前半の1000mは61秒4の超スローペース。
向正面で捲っていったファウストラーゼンは先頭まで出ようとしましたが逃げたジュンアサヒソラは応戦。3コーナーではこの2頭と3番手との間に3馬身くらいの差。2頭は併走でコーナーを回り,この間に外のファウストラーゼンの方が前に。コーナーで3番手まで上がっていたクロワデュノールがファウストラーゼンを差して先頭に立つとそのまま抜け出して優勝。直線で勝ち馬を追うように坂上から伸びてきたジョバンニが2馬身差で2着。ファウストラーゼンが1馬身4分の1差で3着。
優勝したクロワデュノール は東京スポーツ杯2歳ステークスに続いて重賞連勝。デビューから3連勝で大レース制覇。2歳のレースですから初対戦となる馬が多かったのですが,このレースは新馬,東京スポーツ杯2歳ステークスと連勝してきた馬は堅調で,今年もそのような結果に。早めに外の方に出して前の動向をうかがい,楽に進出して抜け出すというのは非常に強い内容でしたから,来年のクラシック候補といえそうです。父はキタサンブラック 。Croix du Nordはフランス語で北十字星。
騎乗した北村友一騎手は2020年の有馬記念 以来の大レース8勝目。ホープフルステークスは初勝利。管理している斉藤崇史調教師は一昨年のエリザベス女王杯 以来の大レース9勝目。第38回 以来となる3年ぶりのホープフルステークス2勝目。
著名なところでいえばケプラーJohannes Keplerは自身の自然科学研究が聖書の真理veritasの正当性に役立つという前提で天文学の研究をしていました。ケプラーの法則は現代でも成立する法則であって,そのような心構えで研究すれば自然科学において現代にも通用する大きな成果をあげることはできないというわけではないということは,この事例から理解できると思います。ステノ Nicola Stenoが研究したのは地質学であったために,聖書の記述とは正面から対立することになってしまったのですが,これはあくまでも結果effectusなのであって,ステノの心構えが,聖書の正当性を証明しようということにあったということと直接的に関係するわけではありません。したがって,カトリックに執心していたということと,ステノの研究が行き詰まってしまうこととの間には,個別の事例でいえば必然性necessitasがあったかもしれませんが,一般論としていえばその間に必然性があったというようには僕は考えません。
次に,聖書における時間tempusには至るところで矛盾が生じていると『神学・政治論 Tractatus Theologico-Politicus 』で指摘されていると吉田はいっていますが,この結論は,スピノザによる聖書解釈学がこの時代としては画期的なものであったがゆえに結論された事柄に含まれます。スピノザの聖書解釈学は,少なくとも方法論としては現代にも通用するものであって,この方法論というのがこの時代としてはきわめて画期的なものでした。このことについてはここで説明するような内容ではないので,いずれ機会があれば詳しく検討しますが,簡単にいうとスピノザは聖書をひとつの文献として精査し,その文献のどの部分がどの時代に編纂されたものであるのかということを検討することによって,そこに書かれていることの意味内容がどのようなものでなければならないのかということを検証していきます。簡単な説明ですが,これが『神学・政治論』にみられる聖書解釈の方法論であると理解してください。
吉田はこのことを,5700年という時間に縛られたステノと関連させて説明していますが,この方法論の部分だけを抽出してみると,ステノの地質学の方法論は,スピノザの方法論と一致する部分があるとみることができるのです。
グランプリの第69回有馬記念 。ドウデュースは右前脚の痛みのために歩行のバランスを欠いたので出走取消となり15頭。
発馬後に押していったべラジオオペラが前に出ましたが,内から追い抜いたダノンデサイルの逃げになり,控えたべラジオオペラは2番手に。2馬身差でスターズオンアース。4番手にディープボンド。その後ろはレガレイラとスタニングローズの併走となり,7番手にアーバンシック。その後ろはブローザホーンとジャスティンパレスとシャフリヤール。11番手にローシャムパーク。その後ろがシュトルーヴェとハヤヤッコ。14番手がプログノーシスで最後尾にダノンベルーガ。前2頭の隊列が決まったので1周目の正面に入るところで2番手と3番手の差は詰まりました。コーナーから向正面にかけてハヤヤッコが上昇していったので,3番手がディープボンド,4番手にスターズオンアースとハヤヤッコとなりました。超スローペース。
3コーナーではダノンデサイル,べラジオオペラ,ディープボンド,ハヤヤッコの4頭が雁行となり,その後ろがレガレイラとスタニングローズとシャフリヤールで併走。ディープボンドとハヤヤッコはコーナーで苦しくなり,内を回ったレガレイラが直線の入口でべラジオオペラの外に出て単独の3番手。外から捲り上げてきたシャフリヤールがレガレイラと並んで伸び,ダノンデサイルを差して競り合ったままフィニッシュ。写真判定となり優勝はレガレイラ。シャフリヤールがハナ差で2着。ダノンデサイルが1馬身半差の3着でべラジオオペラが半馬身差で4着。
優勝したレガレイラ はホープフルステークス 以来の勝利で大レース2勝目。今春は皐月賞,ダービーと牡馬のクラシック路線を走り,秋はローズステークスからエリザベス女王杯と牝馬路線に転戦。いずれもそこまで大きくは負けなかったのですが,勝ち負けというところまではいきませんでした。ここで復活ということになったのですが,昨年も暮れに大レースを制しているように,時期的なものも関係したかもしれません。父は古馬になってから活躍した馬ですから,これから大成するということもあるでしょう。父はスワーヴリチャード 。祖母の父がダンスインザダーク 。3代母がウインドインハーヘア 。従兄が今年のセントライト記念と菊花賞 を勝っている現役のアーバンシック で従姉が今年の桜花賞 を勝っている現役のステレンボッシュ 。Regaleiraはポルトガルのシントラにある宮殿。
騎乗した戸崎圭太騎手は皐月賞 以来の大レース22勝目。第59回 以来となる10年ぶりの有馬記念2勝目。管理している木村哲也調教師は秋華賞 以来の大レース12勝目。第67回 以来となる2年ぶりの有馬記念2勝目。
ステノ Nicola Stenoがバチカン写本 の一部をチルンハウス Ehrenfried Walther von Tschirnhausから読ませてもらったのだとしても,その全部を最初から入手したのだとしても,難点が残ることになってしまいます。なのでその部分については僕は推測しきれません。ただ,どちらの場合にしても,バチカン写本をステノに見せてしまった後に,チルンハウスはステノはそれに値する人物ではなかったということに気付いたのだと思います。これは要するに,ステノがカトリックの熱心な信者であるということを知ったという意味です。だからチルンハウスは,スピノザの遺稿集Opera Posthuma の発刊が準備されているということについてはステノには語らなかったのだし,ましてその具体的な内容,つまり編集者がだれでありまた編集者たちがどこで作業をしているのかなどということは教えなかったのです。バチカン写本を異端審問の機関に提出したくらいですから,それが発行されるのかどうかということにもステノは関心をもった筈ですし,関心をもったならばそのことをチルンハウスに訊いた可能性が圧倒的に高いと僕は思います。それに対してチルンハウスは素知らぬふりをしたというのが僕の推測です。実際にかつてホイヘンス Christiaan Huygensから,『神学・政治論 Tractatus Theologico-Politicus 』以外にスピノザが書いたものを知らないのかと尋ねられたチルンハウスは,バチカン写本を所持していたにもかかわらず『デカルトの哲学原理 Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae 』以外には知らないと答えたということが書簡七十 には書かれているということはすでに指摘しておいた通りですが,最初はライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibnizに対して抱いたのと同じような思いをステノに対して抱いていたチルンハウスは,後にはホイヘンスに対して抱いた思いを抱くようになったということです。
ステノは9月4日に上申書を異端審問所に提出したのですが,バチカン写本を提出したのは9月23日であったとされています。なぜ同日でなかったのかははっきりとした理由が分かりません。バチカン写本に関してはさらに内容の精査が必要であったとしても,すでに提出した上申書の中に,その中に含まれている思想は感染性が高い疾病のようなものであると書かれている以上,精査すること自体に何か意味があったというようには思えないからです。
第147回中山大障害 。
レースの前半はジューンベロシティの逃げ。マイネルグロン,テイエムタツマキ,ニシノデイジーの3頭がその後ろの集団。中団がダイシンクローバーとネビーイームで後方がエコロデュエルとロードトゥフェイムとヴェイルネビュラ。最初の大障害コースを各馬が飛越した後に前の4頭とその後ろに5馬身ほどの差が開きました。ここからテイエムタツマキがジューンベロシティの前に出ると,マイネルグロンが抑えきれないように追いかけていき,この2頭と3番手の差が4馬身くらいに。2度目の大障害コースを通過した後でマイネルグロンが前に出て,2番手にジューンベロシティとテイエムタツマキ,その後ろにネビーイームとニシノデイジーとエコロデュエル。
向正面に戻ってニシノデイジーが外から上がっていくとジューンベロシティが応戦。ここからマイネルグロン,ジューンベロシティ,ニシノデイジーの3頭が雁行。最終障害を前にニシノデイジーが前に。最終障害でマイネルグロンが落馬。内から追い上げてきたネビーイームが走り続けたマイネルグロンに絡まれましたが,直線の手前でうまく外に弾いてニシノデイジーの外の進路を確保。抜け出していたニシノデイジーは後ろの追い上げを許さずに優勝。大外から伸びてきたエコロデュエルが5馬身差で2着。ネビーイームが1馬身差の3着でジューンベロシティは3馬身半差で4着。
優勝したニシノデイジー は一昨年の中山大障害 以来の勝利で大レース2勝目。そのときが鮮やかな勝ち方でしたからその後も期待されたのですが,思ったような成績はあげられずにいました。ただこのレースは昨年も2着に入っていて,得意とするレース。今日はマイネルグロン,エコロデュエル,ジューンベロシティ,ニシノデイジーの4強で,展開が結果に大きく左右しそうだとみていました。マイネルグロンは明らかに折り合いを欠いていたようにみえましたので,道中は前の馬にとっては不利。そこで追いかけずに待機し,2周目の向正面に入るあたりから追っていったのがよかったのではないでしょうか。母の父はアグネスタキオン 。祖母の父はセイウンスカイ 。3代母がニシノフラワー で4代母がデュプリシト 。
騎乗した五十嵐雄祐騎手は一昨年の中山大障害以来の大レース4勝目。第136回 も制していて2年ぶりの中山大障害3勝目。管理している高木登調教師は昨年の東京大賞典 以来の大レース12勝目。第145回以来となる2年ぶりの中山大障害2勝目。
チルンハウス Ehrenfried Walther von Tschirnhausはステノ Nicola Stenoのおとり捜査に引っ掛かって,ステノが信頼に値する人物であると錯覚しました。たぶんこの時点で,チルンハウスはステノがカトリックの熱心な信者であると分かっていなかったのだと僕は推定します。というのも,おとり捜査というのは,ステノが自身の立場を秘匿することを前提とした調査であると推定されるからです。
チルンハウスはかつてライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibnizに対して抱いたのと同様の信頼感をステノに対してもったので,ステノのに対してバチカン写本 を読ませてもよいのではないかと思いました。ライプニッツに対してそう思ったときはスピノザがまだ生きていましたから,その許可をスピノザから得るためにシュラー Georg Hermann Schullerを通して書簡七十 でその許可を求めたのですが,この時点ではスピノザはすでに死んでいましたから許可を求めることはできません。なのでチルンハウスは自身の判断でステノにバチカン写本を読ませたのだと思います。
この部分は二通りの見方が可能だと思います。ひとつは,バチカン写本の一部をチルンハウスがステノに読ませ,その一部分を読んだステノが,これはスピノザの手によるものだと思ったのでチルンハウスを問い詰めたら,チルンハウスがそう告白したというものです。吉田が書いているところからすると,このストーリーの蓋然性が高くなります。ただこのストーリーの難点は,ステノがバチカン写本の全体を入手した経緯が分からなくなってしまうところです。ステノはバチカン写本の全体を異端審問所に資料として提出しているので,ステノがそのすべてをチルンハウスから巻き上げたことは間違いないのです。
なのでもうひとつの見方は,最初からチルンハウスはステノにバチカン写本の全体を渡してそれを読ませたのであって,それを読んだステノがこれはスピノザが書いたものだと思ったのでチルンハウスを問い詰めたところ,チルンハウスがそれを認めたので,入手したバチカン写本をチルンハウスに返却せず,そのまま異端審問所に提出したというものです。ただこちらにも難点はあり,これだとステノはバチカン写本を入手した後,その内容を精査する時間を必要としなかったと思えるのです。
第76回朝日杯フューチュリティステークス 。岩田康誠騎手が移動中にスマートホンでコメント機能付きのYouTubeを視聴したため騎乗停止処分を受け,ダイシンラーは横山典弘騎手に変更。
エルムラントは控えるような発馬で2馬身の不利。発馬後はダイシンラー,アドマイヤズーム,クラスペディアの3頭が横並び。2馬身差でコスモストームとトータルクラリティ。その後ろがミュージアムマイル,ランスオブカオス,アルテヴェローチェ,パンジャタワー,テイクイットオールの集団。その後ろがエイシンワンドとタイセイカレント。さらにアルレッキーノとドラゴンブースト。3馬身差の最後尾にエルムラント。道中でダイシンラーが単独の先頭に立ち2馬身ほどのリード。単独の2番手にアドマイヤズームとなりました。前半の800mは48秒0の超スローペース。この影響で折り合いに苦労する馬が多く見受けられました。
3コーナーでもダイシンラーのリードは2馬身。アドマイヤズームの後ろがミュージアムマイルとトータルクラリティとなり,さらにその外からテイクイットオールとドラゴンブースト。直線の入口ではアドマイヤズームがダイシンラーに並び掛け,2馬身差でミュージアムマイル。アドマイヤズームがほどなく先頭に立つとそのまま抜け出して楽勝。追いかけたミュージアムマイルが2馬身半差の2着。外から脚を伸ばしたランスオブカオスが2馬身半差で3着。
優勝したアドマイヤズーム は重賞初挑戦での大レース制覇。10月の新馬を4着に負けた後,前走で未勝利を勝ったばかりでした。このレースは前走を1番人気か2番人気で勝ち,距離が1600mならなおよいというはっきりとした傾向があり,その傾向には合致していました。大きな差をつけて勝ったのは能力の証とみていいでしょう。レース内容からすると,このくらいの距離がベストで,距離延長はマイナスに働きそうに感じられます。父はモーリス 。母の父はハーツクライ 。5代母がクルーピアレディー の祖母にあたる同一牝系。
騎乗した川田将雅騎手 はJBCクラシック 以来の大レース46勝目。第69回 ,72回 ,75回 に続く連覇で朝日杯フューチュリティステークス4勝目。管理している友道康夫調教師はジャパンカップ 以来の大レース24勝目。第70回 ,73回 に続き3年ぶりの朝日杯フューチュリティステークス3勝目。
一説ではステノ Nicola Stenoがカトリックへの改宗を決意したのは1667年だとされています。これは僕が知る限り,最も遅い年代です。ステノは1663年までライデン大学に在籍していましたが,この年に父親,というのは継父であったようですが,死んだのでデンマークに戻っています。その後にパリにいた時期があったようですが,1665年にはフィレンツェにいました。ですから1667年に改宗を決意したとなれば,これはイタリアに移ってからです。イタリアはカトリックの総本山ですから,カトリックに改宗したからイタリアに移ったとみることも可能ですが,イタリアに移ってから周囲の影響で改宗したとする方が自然かもしれません。いずれにしても『神学・政治論 Tractatus Theologico-Politicus 』が発刊される以前にステノがカトリックに改宗していたのは間違いないと考えていいでしょう。書簡六十七の二 が書かれたのが1671年であったにせよ1675年であったにせよ,その時点で間違いなくステノはカトリックの信者であったのであり,『神学・政治論』を読んでいましたし,スピノザとも依然として疎遠ではないと思っていたことになります。
スピノザとステノ関係はそのようなものでしたから,バチカン写本 を読んだとき,その著者がだれであるかは書かれていなかったものの,それがスピノザによるものであるということはステノには分かったろうと吉田は推測していますし,僕もその通りだと思います。もっともこの点については,ステノが異端審問所に提出した上申書の中に,バチカン写本の持ち主,というのはチルンハウス Ehrenfried Walther von Tschirnhausのことでしょうが,白状したという旨のことが書かれているようです。つまりステノがバチカン写本を異端審問所に提出したとき,それがスピノザの手によるものだということについて,ステノは確信をもっていたということになります。
スピノザが書いたものであるということについてはチルンハウスの告白によって確信していたステノですが,それをすぐに異端審問所に提出したわけではありません。数週間にわたってバチカン写本の内容を精査した後,1677年9月4日に,バチカンの異端審問の担当部局に,先述の上申書を提出したのです。
アメリカから1頭が遠征してきた第76回阪神ジュベナイルフィリーズ 。松岡騎手が7日の中京5レースの騎乗中に右足を負傷したためミーントゥビーは古川吉洋騎手に変更。クリノメイが枠の中で激しく暴れたため危険防止のため外枠から発走。
先手を奪ったのはミストレス。リリーフィールドが2番手で追い,3番手にモズナナスターとショウナンザナドゥ。メイデイレディが5番手。その後ろはテリオスララとカワキタマナレアとアルマヴェローチェ。ランフォーヴァウを挟んでダンツエランとブラウンラチェットとミーントゥビー。ビップデイジー,スリールミニョン,ジャルディニエ,ジューンエオスの順で続きコートアリシアンとクリノメイが並んで最後尾を並んで追走。前半の800mは46秒5のミドルペース。
直線に入るところでは内からモズナナスター,ミストレス,リリーフィールド,ショウナンザナドゥの4頭が併走。モズナナスターとミストレスの間にテリオスララが突っ込んできました。ショウナンザナドゥの外から並んで追い上げてきたのがアルマヴェローチェとビップデイジー。この2頭が内の各馬を差して優勝争い。先んじていたアルマヴェローチェが抜け出して優勝。ビップデイジーが1馬身4分の1差で2着。テリオスララが1馬身4分の3差の3着でショウナンザナドゥがアタマ差で5着。
優勝したアルマヴェローチェ は重賞初勝利での大レース制覇。8月に札幌の新馬戦でデビュー戦を勝つとそのまま札幌2歳ステークスに出走して2着。ここはそれ以来のレースでした。このレースは前走で上位の支持を集めて勝った馬が強い傾向で,この傾向には合致していませんでしたが,わりと大きな差をつけて勝ちました。ただ2着馬も3着馬もそれほどの支持を集めていたわけではありませんから,例年ほどのレベルにあったのかがやや疑問視されます。来年以降の活躍も例年の勝ち馬ほどは確実視することができないかもしれません。母の父はダイワメジャー で祖母の父がサクラバクシンオー 。母の2つ下の半弟に2016年の京王杯2歳ステークスを勝ったモンドキャンノ 。Armaはイタリア語で武器。
騎乗した岩田望来騎手は2022年のJBCレディスクラシック 以来の大レース2勝目。管理している上村洋行調教師は大阪杯 以来の大レース2勝目。
ブレイエンベルフ Willem van Blyenburgからの書簡十八を受け取ったスピノザは,相手のブレイエンベルフが有能な人物だと思い,返事を書きました。その後の文通の中でそれはスピノザの錯覚であり,ブレイエンベルフは単に反動的な人物であるということがスピノザにも分かってくるのですが,それでもスピノザはブレイエンベルフからの書簡に返事を書きました。スピノザが最後にブレイエンベルフに宛てたのが書簡二十七で,その内容からは遺稿集Opera Posthuma に掲載されなかったブレイエンベルフからの書簡があったことが確定できます。このことから,ブレイエンベルフがスピノザに宛てた書簡のうち,遺稿集に掲載されたのは,スピノザが返事を書いたものだけであったことが理解できます。スピノザが書いていることにはスピノザの思想を理解するうえで役立つ点が含まれていますから,それを遺稿集に掲載する価値は確かにあったと僕は思います。しかしブレイエンベルフの書簡の方は,冗長といっていいほどのものでそのすべてを,遺稿集に掲載する価値があったようには思えません。ブレイエンベルフの書簡と比較すれば,ステノ の書簡の方がよほどまともなものだと僕には思えます。
フーゴー・ボクセル Hugo Boxelとスピノザの間での書簡のやり取りは,現在の僕たちからみれば大した内容を含んでいません。当時はそうでもなかったのだという識者の見解opinioがあり,スピノザが返事を書いているのですから,確かにそうであったかもしれません。ただこのやり取りも,スピノザのいっていることのうちにスピノザの思想を理解するのに役立つ部分があるから遺稿集に掲載する価値があったということは僕は認めますが,ボクセルが主張していることの主眼となっている部分が哲学的に価値があるといえるのかといえば,僕にはそうでなかったとしか思えません。ただスピノザが返事を書いているので,返信が書かれたボクセルからの手紙の方も掲載されるに至ったというように思えるのです。
これらの事例から分かるように,スピノザに宛てられた書簡が遺稿集に掲載される際の規準のひとつに,スピノザがその書簡に対して返信をしているのか否かということが,確かにあったように僕には思われるのです。
大井から1頭が遠征してきた第25回チャンピオンズカップ 。
ミックファイアは発馬で立ち上がり1馬身の不利。逃げたのはレモンポップで2番手にミトノオー。2馬身差でクラウンプライドとペプチドナイル。3馬身差でハギノアレグリアスとペイシャエスとグロリアムンディ。8番手はドゥラエレーデとウィルソンテソーロとスレイマンとサンライズジパング。12番手にテーオードレフォンとセラフィックコールとガイアフォース。2馬身差でアーテルアストレア。最後尾にミックファイアという隊列。最初の800mは48秒2のハイペース。
逃げたレモンポップのリードは1馬身で直線に。ここで外からペプチドナイルが進出してきて単独の2番手に上がったのですが,レモンポップとの差は開いてしまいました。大外からウィルソンテソーロが伸びてきてペプチドナイルを差し,単独の2番手に上がってフィニッシュに向かってレモンポップを追い詰めましたが僅かに届かず,一杯に逃げ切ったレモンポップが優勝。ウィルソンテソーロがハナ差で2着。直線で一番内を突いたドゥラエレーデが1馬身半差の3着。ドゥラエレーデとペプチドナイルの間に進路を取ったハギノアレグリアスが4分の3馬身差の4着でペプチドナイルがハナ差で5着。
優勝したレモンポップ は南部杯 以来のレースで大レース6勝目。第24回 からのチャンピオンズカップ連覇。このメンバーでは能力が上ですので,優勝自体は順当なもの。逃げを身上とする馬なので,ペース次第で着差が開いたり縮まったりますが,やや厳しめのペースでも勝ちを譲らないのは能力の証明といえます。着差は変じたものの上位の3頭は昨年と同じですから,この路線は今年はそれほど勢力図に変化がなかったということになるでしょう。この馬はこれで現役を引退します。
騎乗した坂井瑠星騎手は南部杯以来の大レース12勝目。チャンピオンズカップは連覇で2勝目。管理している田中博康調教師は南部杯以来の大レース6勝目。チャンピオンズカップは連覇で2勝目。
この講義の中で吉田はステノ Nicola Stenoについては多くを語っています。これがステノの経歴と大きく関係していますので,これまでより詳しくそれを説明しておきます。
ステノは1638年にデンマークで産まれました。スピノザは1632年産まれですから,スピノザよりは6つ年下になります。元々はプロテスタントのルター派で,これはコレルス Johannes Colerusと同じです。スペイク の一家はその説教を聞きにいっていたのですから,おそらくルター派の信者だったのでしょう。オランダで優勢だったのは同じプロテスタントでもカルヴァン派ですから,ルター派は少数派であったと推測されます。
ステノの前半生は自然科学の研究者です。オランダに来て医学や解剖学を学びました。人間の耳下腺の研究でも後世に名を残しています。耳下腺と口を繋ぐ管,かつて僕の唾石 ができた部分と思いますが,この管はステノン管といいます。名前の由来がステノです。
科学史的な観点から大きく注目されているのはこちらではなく,地質学の研究だとされています。ステノはオランダを離れてイタリアに移ったのですが,地質学の研究はイタリアに移ってから始めたようです。その研究の成果は『固い地面の中に自然に含まれている固い物体についての先駆的論考De solido intra solidum naturaliter contento dissertationis prodromus 』という本にまとめられました。この本はスピノザの死後に作成された蔵書録の中に残されていました。またステノの処女作だった『解剖学的所見集Observationes anatomicae 』も蔵書録の中にありました。後者は1662年に出されたもので,このときはステノはオランダにいました。なのでステノが直接スピノザに渡したものだったかもしれません。前者は1669年のもので,これはステノがイタリアにいたときのものです。スピノザがどういう本を好んで求めていたかは分かりませんが,たぶんステノの方からスピノザに送ったものだったのではないかと思われます。つまりスピノザとステノは友人だったのです。
アイルランドから1頭,フランスから1頭,ドイツから1頭が招待された第44回ジャパンカップ 。
シュトルーヴェは発馬後の加速が鈍く1馬身の不利。逃げたのはシンエンペラーで2番手にソールオリエンス。3番手がダノンベルーガ,チェルヴィニア,スターズオンアースの3頭。6番手はゴリアット,ジャスティンパレス,オーギュストロダン,ドゥレッツァの4頭。これらの後ろにブローザホーンとカラテ。シュトルーヴェとファンタスティックムーンとドウデュースの3頭が最後尾を並走して向正面へ。向正面で外からドゥレッツァが進出。先頭に出てそこからはドゥレッツァの逃げに。最初の1000mは62秒2の超スローペース。
3コーナーでは2番手がスターズオンアースで3番手にシンエンペラー。その後ろがゴリアットとソールオリエンスという順に前の隊列が変化。ドゥレッツァが先頭のまま直線に入るとスターズオンアースの外からドウデュースが伸びてきました。内を回ってきたシンエンペラーも盛り返してきて3頭で優勝争い。外のドウデュースが内の2頭を競り落とす形で優勝。クビ差の2着はシンエンペラーとドゥレッツァで同着という判定になりました。
優勝したドウデュース は天皇賞(秋) から連勝で大レース5勝目。そのときの回顧でもいったように,スローペースの瞬発力勝負を得意とする馬で,今日もまた絶好の展開になりました。前に出るのにやや苦労した感はありますが,これは距離の影響もあったでしょうし,いつもよりも早めに進出した影響もあったものと思います。切れ味で抜け出すのではなく,競り合う形で勝ったのは大きく評価したいところです。父はハーツクライ 。
騎乗した武豊騎手 は天皇賞(秋)以来の大レース制覇。第19回,26回 ,30回 ,36回 に続く8年ぶりのジャパンカップ5勝目。管理している友道康夫調教師は天皇賞(秋)以来の大レース23勝目。第37回 以来となる7年ぶりのジャパンカップ2勝目。
スピノザは君主制,貴族制,民主制の三種類を比較したなら,民主制が最も優れていると考えています。しかしこれは,『スピノザ〈触発の思考〉 』を考察したときにいったことですが,スピノザは民主制という政治形態が政治形態のいわば最終形態であって,そこを目指すべき制度であると考えているということを意味するわけではないのです。むしろ『国家論 Tractatus Politicus 』でいわれている民主制というのは,君主制がひとつの政治制度であり,また貴族制がひとつの政治制度であるというのと同じ意味において,民主制もひとつの政治制度であるという意味にすぎません。民主制が最も優れているというのは,共同社会状態status civilisにおける構成員の自然権jus naturaeが最も守られやすい制度がこの三種類のうちでは民主制であるというだけであって,民主制が導入されればそれが保証されるというわけではないのです。むしろ共同社会状態においてその構成員の自然権を守るにはどうすればよいのかという観点が『国家論』では検討されているのであって,君主制の場合にはどうすればいいか,貴族制の場合はどうするべきか,民主制ではどうすればよいのかということが示されています。したがってこれでみれば分かるように,構成員の自然権が守られるような君主制もあれば,それが守られにくい民主制というのもあるとスピノザは考えているのです。
したがって吉田は,自然状態status naturalisなどは存在しないのだから,もし現実的に存在する人間が苦痛を感じるとすれば,それは共同社会状態においてなのだという主旨のことをいっていて,これは僕も同意しますが,だからといってそれは政治制度がどのようなあり方をしているのかということに還元することはできません。無法で歪な社会的な枠組というのがそれでも共同社会状態であるのは事実ですが,その枠組は君主制に限られるというように解することはできません。むしろ民主制であっても,無法で歪な社会的枠組というのはあり得るのですし,君主制であるからといって直ちにそのような社会的枠組であるわけではないのです。
僕が補足しておきたかったのはこれだけです。なのでこの部分の考察はここまでとして,次の考察に移行することにします。
イギリスから1頭が遠征してきた第41回マイルチャンピオンシップ 。
バルサムノートが主張しての逃げ。ニホンピロキーフとレイべリングが並んで2番手。4番手にコムストックロードで5番手にはブレイディヴェーグとフィアスプライド。7番手にウインマーベル。8番手にエルトンバローズ。9番手にオオバンブルマイ。10番手にナミュールとマテンロウスカイ。12番手にソウルラッシュとアルナシームとチャリン。15番手にセリフォス。16番手がジュンブロッサムで3馬身差の最後尾にタイムトゥヘヴン。前半の800mは45秒7のミドルペース。
軽快に飛ばしたバルサムノートのリードは3コーナーで3馬身。そこから差が詰まっていき,直線の入口ではバルサムノート,ニホンピロキーフ,ウインマーベルの3頭が内外に大きく離れた先頭に。ウインマーベルよりさらに外から追い込んできたソウルラッシュが内の各馬を差すとそのまま抜け出して快勝。2着争いはウインマーベルとそのすぐ外から追ってきたブレイディヴェーグとエルトンバローズの3頭で接戦。エルトンバローズが2馬身半差の2着でウインマーベルがクビ差の3着。ブレイディヴェーグがハナ差で4着。大外を追い込んだチャリンがクビ差の5着。
優勝したソウルラッシュ はマイラーズカップ以来の勝利。重賞4勝目で大レース初制覇。一昨年の4月に4連勝でマイラーズカップを勝って以降はずっとこの路線のトップクラスで走り続け,昨年のマイルチャンピオンシップが2着,今年の安田記念が3着と,優勝に近いところまできていました。ここは今までの悔しさを払拭するような快勝で,留飲を下すことができたのではないでしょうか。父はルーラーシップ 。母の父はマンハッタンカフェ 。母の3つ上の半兄が2013年の青葉賞を勝ったヒラボクディープ 。
騎乗した団野大成騎手は昨年の高松宮記念 以来となる大レース2勝目。管理している池江泰寿調教師は昨年のスプリンターズステークス 以来の大レース24勝目。第34回 以来となる7年ぶりのマイルチャンピオンシップ2勝目。
スピノザが想定している自然状態 status naturalisというのは,各人が自己を他の圧迫から防ぎ得ることが困難な状態のことです。したがってこの状態においては各人は,それほど多くのことをなし得ないことになるでしょう。なし得ないということはその力 potentiaが現実的にないということを意味し,この力が自然権jus naturaeを意味するのですから,この状態では各人の自然権は無に等しいということになるのです。
このことは,実はスピノザがホッブズThomas Hobbesの順序とは逆に,自然状態の方を自然権によって規定していることと関係しているといえます。スピノザは自然状態というのを『国家論 Tractatus Politicus 』においてどのような状態であるかということを規定していないのですから,その概念notioをホッブズがいっているのと同じ意味でいっていると解することもできます。しかし吉田がいっているように,『国家論』における論述だけでみるなら,自然権を先に規定しておいて,その概念を利用して自然状態を説明しているということも事実であって,この限りにおいては,各人の自然権が無に等しい状態のことをスピノザは自然状態というというように解せるからです。いい換えればスピノザは各人の自然権が無に等しい状態のことを想定し,その状態のことを自然状態といったというように解せるのです。つまり自然権によって規定される自然状態というのは,スピノザにとっては初めからその自然権が各人にとって無に等しい状態のことであったということが可能でしょう。
なおスピノザは,この自然状態における各人の自然権は,現実的な権利というよりは空想上の産物にすぎないという意味のことをいっていますが,これは自然状態そのものについても妥当すると解してもいいと思います。要するに自然状態のような状態は現実的な状態ではなくて空想の産物であって,人間がそのような自然状態において存在したことはないしこれからも存在することはないというように解してもよいと思います。前もっていっておいたように,とくに『国家論』においては社会契約説は斥けられているといっても間違いではないので,現に自然状態が存在したあるいは自然状態が存在するというように解する必要はまったくないからです。
第49回エリザベス女王杯 。
ピースオブザライフは発馬後に挟まれて1馬身の不利。コンクシェルが逃げて向正面に入るところで3馬身くらいのリード。2番手はシンリョクカとハーパー。2馬身差でスタニングローズ。5番手にホールネス。6番手にキミノナハマリアとコスタボニータ。8番手はシンティレーションとレガレイラとラヴェル。ライラックを挟んでエリカヴィータとゴールドエクリプス。モリアーナとサリエラが併走で続きルージュリナージュとピースオブザライフは並ぶように最後尾を追走。最初の1000mは59秒6のスローペース。
3コーナーでコンクシェルのリードは2馬身ほど。ハーパーが徐々に差を詰めていきシンリョクカ,スタニングローズの順で追走。直線の入口でもコンクシェルは2馬身くらいのリードを保っていましたが,コーナーでスパートしたスタニングローズがあっという間に前に出て先頭。馬場の外の方に出てきましたがそのまま抜け出して快勝。スタニングローズよりも外を追い込んできたラヴェルが2馬身差で2着。3着争いはスタニングローズより内に進路を取った,レガレイラ,シンリョクカ,ホールネス,ライラックの4頭で接戦。ホールネスが4分の3馬身差の3着でシンリョクカがクビ差で4着。レガレイラがハナ差の5着でライラックがハナ差で6着。
優勝したスタニングローズ は一昨年の秋華賞 以来の勝利で大レース2勝目。このレースは大レースを勝ったことがある馬が2頭。3歳以降に勝ったのはこの馬だけという,大レースとしてはやや低調なメンバー構成。秋華賞を勝った後は昨年の中山記念で5着に入った以外は大敗を続けていましたが,今日のメンバーであれば実績上位でですから快勝になったというところ。あくまでもメンバー構成上の優勝であって,復活したとみるのは早計であるように思います。父はキングカメハメハ 。母の父はクロフネ 。4代母がローザネイ 。3代母が1995年にデイリー杯3歳ステークスを勝ったロゼカラー で祖母が2001年のフィリーズレビューと2003年のマーメイドステークスを勝ったローズバド 。Stunningは魅力的な。
騎乗したフランスを拠点に騎乗しているクリスチャン・デムーロ騎手は一昨年のエリザベス女王杯 以来となる日本馬に騎乗しての大レース6勝目。2年ぶりのエリザベス女王杯2勝目。管理している高野友和調教師はNHKマイルカップ 以来の大レース8勝目。エリザベス女王杯は初勝利。
自然状態status naturalisを経由せずに規定されたスピノザの自然権jus naturaeは,スピノザ自身が書簡五十 でいっているように,共同社会状態status civilisでもそっくりそのまま残されることになります。この順序で規定された自然権には,手をつけたくても手をつけることができないからです。そしてスピノザの哲学における自然権に対する手がつけられないという特徴が,スピノザの哲学における社会契約説の軽さに直結することになるのです。すでにいっておいたように,ホッブズThomas Hobbesの社会契約説は重く,スピノザの社会契約説は軽いのです。この比較をもう少し具体的に吉田は説明しています。
社会契約を破棄して自然状態に復帰するという選択肢は,ホッブズの政治論においてはあり得ません。ホッブズがいう自然状態とは,万人の万人に対する闘争状態なのですから,そのような自然状態に戻るくらいであるなら,それがどんなに辛くひどい共同社会状態であったとしても,その共同社会状態に留まる方がマシであるという理屈になるからです。これに対してスピノザは,社会契約というものは契約pactumを締結する人びとの利益utilitasに結びつかなければ何の意味もないのであって,そうした利益が現に失われてしまえば,社会契約といえども即座に破棄されて無効になるのです。
利益といういい方は『神学・政治論 Tractatus Theologico-Politicus 』で実際にスピノザが使用している語です。このいい方は生々しく感じられるかもしれませんが,たとえば諸個人が私利私欲のために共同社会状態を潰すことが許されるということを意味しているわけではありませんので,その点には留意してください。これは共同社会状態が継続していくための条件を示しているのであって,そのためには社会契約が結ばれるというだけでは不十分であり,その社会契約を結んだ当人たちに対する実質的かつ内容的な利益が継続して齎されなければならないということです。
吉田は直接的には指摘していませんが,いってみればこれは共同社会状態における権力あるいは支配者に対する制約であるとみることができると僕は考えています。ある共同社会状態において権力を継続的に働かせるための条件が,その共同社会状態の成員の実質的利益の継続であるということです。
第170回天皇賞(秋) 。
べラジオオペラが好発でしたが2コーナーでホウオウビスケッツが前に出ての逃げに。べラジオオペラとシルトホルンが2番手。4番手にタスティエーラで5番手にマテンロウスカイとダノンベルーガとリバティアイランド。7番手にステラヴェローチェとソールオリエンスとキングズパレス。10番手にノースブリッジとジャスティンパレスとレーベンスティール。2馬身差でドウデュース。2馬身差の最後尾にニシノレヴナント。前半の1000mは59秒9の超スローペース。
道中でシルトホルンが単独の2番手となり,3番手がべラジオオペラ,タスティエーラ,リバティアイランドの併走という形になって直線に。逃げたホウオウビスケッツがここからよく粘り,インからその外に持ち出したべラジオオペラなどの追い上げは振り切りました。後方から大外を一気に伸びたのがドウデュースで,内の馬たちをすべて差し切って優勝。そのすぐ内に進路を取っていたタスティエーラが1馬身4分の1差の2着。逃げ粘ったホウオウビスケッツが半馬身差の3着。
優勝したドウデュース は有馬記念 以来の勝利で大レース4勝目。後方からの差し脚が持ち味の馬ですが,あまりペースが速くはならない瞬発力勝負というのが最も持ち味が生きる馬。今日はそういう展開になったので豪快な差し切り勝ちとなりました。高い能力を持っているのですが,ペースにやや注文がつくタイプなので,安定して上位に入ることができていないという馬だと思います。父はハーツクライ 。
騎乗した武豊騎手 は有馬記念以来の大レース制覇。第100回,116回,120回,136回 ,138回 ,156回 に続く7年ぶりの天皇賞(秋)7勝目。第99回,101回,103回,105回,119回,133回 ,153回 ,155回 を制していて天皇賞は15勝目。管理している友道康夫調教師は皐月賞 以来の大レース22勝目。天皇賞(秋)は初勝利。第137回 と163回 を制していて天皇賞は3勝目。
船旅の出発地がどこであったのかということは『レンブラントの生涯と時代The life and times of Rembrandt 』では示されていません。ただその時期にはスピノザがすでにハーグDen Haagのウェルフェの家に移っていたとはいえ,そのことがスピノザが船旅に参加することの障害になったというようには考えなくてよさそうです。
出発地がどこであったのかは分かりませんが,船はホウダGoudaの町へ向かいました。これは先述したように水運で栄えた町です。ところが出発して2,3時間もしないうちに突風のために6人が乗ったヨットの大きなマストが折れてしまいました。この修理が終わるまでヨットは動かないので,一行は村に上陸したのです。この村はブレイスウェイの村とされています。今までに訪れたことがないような寒村と表現されていますので,よほど小さな村という設定でしょう。このような小さな村でマストがすぐ手に入らないのはごく当然だと思います。なのでここで一行は3日間を過ごすことになりました。動くことはできなくても寝泊りはヨットの中でできたものと思われますから,そこを不自然に思う必要はないでしょう。
このとき,ホラティウスQuintus Horatius Flaccusの古い写本が出てきたので,それほど難しくない詩のいくつかをオランダ語に訳そうとして,一行は楽しい時間を過ごしたと書かれています。おそらくその写本は,ヨットの中から出てきたのでしょう。以前にだれかがヨットに持ち込んだものがそのまま残され,時間を持て余した一行が船の中に何かないかと捜索したらそれが出てきたというディテールに思えます。実はこのヨットの所有者がだれであったかということは書かれていないので不明なのですが,このディテールからすると,一行の中のだれかの所有物であったと想定され,そしてそうであればおそらくコンスタンティン Constantijin Huygensのヨットと解するのが適切であるように思われます。たぶんこのヨットはそれほど頻繁に使用されるものではなかったのではないでしょうか。だから以前に持ち込んだ本がこのときにも船内に残されていたのだし,またそれほど使用するヨットではなかったから手入れもそれほど十分ではなく,いくら突風が吹いたとはいっても大きなマストが折れてしまったのでしょう。
第85回菊花賞 。川田将雅騎手が昨日の東京の3レースの終了後に落馬をして頭部を負傷したためメリオーレムは藤岡佑介騎手に変更。
ピースワンデュック,ビザンチンドリーム,コスモキュランダの3頭は発馬で1馬身ほどの不利。エコロヴァルツが逃げて2馬身ほどのリード。ノーブルスカイが2番手で3番手にミスタージーティーで発馬後の向正面を通過。発馬で不利があったピースワンデュックが徐々に上昇していき,2周目の正面に入るところで先頭に。ついていったメイショウタバルとノーブルスカイが2番手で4番手にシュバルツクーゲル。5番手にミスタージーティーという先行集団に。2馬身差で控えたエコロヴァルツとウエストナウとアーバンシック。9番手にアドマイヤテラ。10番手にショウナンラプンタとメリオーレム。12番手にダノンデサイルとヘデントール。14番手にハヤテノフクノスケとビザンチンドリームとコスモキュランダ。2馬身差でアレグロブリランテ。2馬身差の最後尾にアスクカムオンモア。最初の1000mは62秒0の超スローペース。
向正面からアドマイヤテラが外を上昇したので先行集団から前に出たシュバルツクーゲルとアドマイヤテラが並んで3コーナーへ。アーバンシックが3番手に上がり内からショウナンラプンタで外からはヘデントール。直線に入るとアドマイヤテラが単独の先頭に。それを追っていたアーバンシックが差して前に出るとそこからは抜け出して快勝。内目を回ったショウナンラプンタ,一旦先頭のアドマイヤテラ,外を回ったヘデントール,大外を伸びたビザンチンドリームの4頭で2着争い。ヘデントールが2馬身半差の2着。アドマイヤテラがハナ差の3着でショウナンラプンタがクビ差の4着。ビザンチンドリームがクビ差で5着。
優勝したアーバンシック は前哨戦のセントライト記念から連勝。重賞2勝目で大レース初制覇。デビューから連勝した後,京成杯で2着に入ってクラシックへ。皐月賞は4着,ダービーは11着でした。休養明け初戦となったのが前走のセントライト記念で,これが鮮やかな勝利。春よりも力をつけているのは明白で,ローテーションや過去の菊花賞の傾向から最有力ではないかと思っていました。接戦となった2着争いを尻目にしての快勝で,これは距離適性の分もあったかもしれません。今後も大崩れはなく走れる馬だと思います。父はスワーヴリチャード 。3代母がウインドインハーヘア 。桜花賞 を勝ったステレンボッシュ は従姉,昨年のホープフルステークス を勝ったレガレイラ は従妹になります。Urban Chicは洗練された。
騎乗したクリストフ・ルメール騎手は先週の秋華賞 に続く大レース制覇。第77回 ,79回 ,84回 に続き連覇で菊花賞4勝目。管理している武井亮調教師は2016年の全日本2歳優駿 以来の大レース2勝目。
みっつのプロットの共通点として示しましたが,これは『レンブラントの生涯と時代The life and times of Rembrandt 』の全体を貫いているといってもそれほど遠くありません。つまりこの作品は,真実とは思えないような多くのプロットと,そのディテールとして確かな史実という組み合わせで構成されているのです。そしてここが重要なのですが,このプロットの大筋が真実らしく思われないのが,そのプロットに対する細かい説明に含まれているのです。『蛙 Βάτραχοι 』の場合は,同じところに滞在しなければならなかったので,『蛙』の劇めいたものを同行者で行ったということならあり得そうですが,それを本格的な劇として,金は取らなかったものとは思いますが,本格的な劇として客を呼んで見せたと書かれているから,かえって信憑性を失わせています。アメリカの場合は,メナセ・ベン・イスラエル Menasseh Ben Israelが,アメリカにはユダヤ人がいるというくらいであれば,そのように言うこともあり得そうだと思えるのですが,それがまだアメリカが陸続きの時代のことだなどと言うから,信憑性を失ってしまうのです。そして模型のプロットは,金に困窮したファン・デン・エンデン Franciscus Affinius van den Endenが,砲火装置の新しいアイデアをもってきたというなら,あってもおかしくないと思えますが,船の模型まで創作していたなどと加えられているので,信憑性が失われることになっています。
これら細かい部分が書かれていること自体は,不自然ではありません。ウリエル・ダ・コスタ Uriel Da Costaの部分はファン・ローン Joanis van Loonがその場にいたわけではないので,その場での会話があまりに詳しく書かれているのは,作品として不自然といわなければならないかもしれませんが,これらみっつの部分は,いずれもファン・ローンが同席していたわけですから,ファン・ローンが書いたものであるという設定を崩すようなものとはなっていないからです。つまり文学評論という観点からすれば,これらの部分は創作であったとしても不自然なものとはなっていないがゆえに,作品として成立しているということになります。よってこのことは,むしろ吉田がいっているように,この作品が完全な創作であるということを補強しているように見えるかもしれません。
第29回秋華賞 。丹内騎手が昨日の新潟の3レースで落馬し腹部を負傷したためコガネノソラは坂井瑠星騎手に変更。
クイーンズウォークは発馬で躓き2馬身の不利。外の方からセキトバイーストが前に出ての逃げ。向正面に入るあたりでリードは4馬身。2番手にクリスマスパレード。2馬身差でタガノエルピーダ。4番手にラヴァンダ。5番手にコガネノソラ。6番手にアドマイヤベルとランスオブクイーン。8番手にチェルヴィニア。9番手にホーエリートとステレンボッシュ。11番手にミアネーロ。12番手にチルカーノとボンドガールとクイーンズウォーク。5馬身差の最後尾にラビットアイ。前半の1000mは57秒1の超ハイペース。
超ハイペースになったのは逃げたセキトバイーストが飛ばしたためで,3コーナーでは8馬身のリード。2番手のクリスマスパレードと3番手のタガノエルピーダとの間も4馬身。直線の入口ではセキトバイーストのリードは3馬身くらいに。直線でもみるみる詰まっていき,前を行くクリスマスパレードとラヴァンダの間に進路をとったチェルヴィニアが先頭に。そのまま抜け出した優勝。大外から追い込んだボンドガールが1馬身4分の3差で2着。馬群の内目を縫うように捌いてきたステレンボッシュが半馬身差で3着。
優勝したチェルヴィニア はここがオークス 以来の実戦。大レース連勝で2勝目。このレースは桜花賞馬のステレンボッシュとオークス馬のチェルヴィニアの争い。それぞれに不安材料があり,チェルヴィニアは唯一の遠征競馬だった桜花賞が大敗だったことで,ステレンボッシュは不利な外枠に入ってしまったこと。ステレンボッシュはかなり厳しいレースになったので影響があったかもしれません。チェルヴィニアは桜花賞のときは久々の実戦で,態勢が整っていなかったための大敗だったのでしょう。遠征競馬にも不安がないことを証明し,3歳牝馬のトップに立ったとみていいと思います。母の父はキングカメハメハ 。4代母がロイコン で祖母が2003年の京都牝馬ステークスを勝ったハッピーパス 。母は2016年のフローラステークスを勝ったチェッキーノ でひとつ上の半兄が昨年の新潟記念を勝ったノッキングポイント 。Cerviniaはマッターホルン山麓の集落名。
騎乗したクリストフ・ルメール騎手はオークス以来の大レース制覇。第22回 と23回 に続く6年ぶりの秋華賞3勝目。管理している木村哲也調教師はオークス以来の大レース11勝目。秋華賞は初勝利。
さらに次のことにも留意しておかなければなりません。
著者がだれであっても,この本は『レンブラントの生涯と時代The life and times of Rembrandt 』という題名から分かるように,レンブラントRembrandt Harmenszoon van Rijnが主題となっています。その中にスピノザが出てくるのは,ファン・ローン Joanis van Loonがそれを書く契機になったのがスピノザであったからだとされています。ローンとレンブラントは仲が良かったので,レンブラントが死んでしまったときにローンはひどく落ち込んでしまいました。鬱状態になったと解するのがよいでしょう。その頃のローンが仕えていたのがコンスタンティン Constantijin Huygensで,そのコンスタンティンがローンの状態を見かねて,スピノザにアドバイスしてもらうように諭しました。ローンは逡巡したのですが結局はスピノザと会うことにしました。そこでスピノザはローンに対し,自身に起こったことやそのときの気持ちを書いてみるようにという助言をしたのです。その助言によってローンは実際にそれを書いてみることにしました。ここから分かる設定は,ローンはそれを発売するつもりがあったわけではなく,自身の癒しのために書いたということです。なのでスピノザがこの中に登場してくることになり,同時にスピノザの知り合いで,ローンと面識があった人たちのことも書かれることになりました。
この部分が創作であることを僕は否定しませんが,史実であったとしてもおかしくはありません。スピノザがホイヘンス Christiaan Huygensと親しかったことは史実から明らかですし,『ある哲学者の人生 Spinoza, A Life 』ではホイヘンスの弟とはもっと仲が良かったかもしれないとされています。コンスタンティンはその兄弟の父親ですから,スピノザと面識があったとしてもおかしくありません。とくにコンスタンティンの別荘はフォールブルフ Voorburgの近郊にありましたから,スピノザがフォールブルフに住んでいた頃,コンスタンティンの一家が別荘に滞在しているときはスピノザがその別荘を訪れるという機会があったとしてもおかしくありません。つまりコンスタンティンとスピノザの間に面識があったという想定は不自然なものではありませんから,コンスタンティンがローンとスピノザを仲介して会わせたとしてもおかしくはないのです。
香港から2頭が遠征してきた第58回スプリンターズステークス 。
オオバンブルマイは加速が鈍く1馬身の不利。4頭が前にいき,ピューロマジック,ウイングレイテスト,ルガル,ビクターザウィナーの順に。前がそのまま飛ばしていったのでピューロマジックのリードは3馬身くらい。ウイングレイテストとルガルの間も3馬身くらいになり,ルガルとビクターザウィナーの間にも2馬身くらいの差。2馬身差でママコチャとマッドクールの併走。7番手にトウシンマカオ。8番手はウインマーベルとサトノレーヴとヴェントヴォーチェ。11番手はエイシンスポッターとナムラクレア。2馬身差でモズメイメイとムゲン。2馬身差でオオバンブルマイとダノンスコーピオンが最後尾を追走。前半の600mは32秒1の超ハイペース。とくに200mから400mが9秒9という猛ラップでした。
直線の入口でもピューロマジックは5馬身ほどのリード。先にウイングレイテストがついていかれなくなり,ルガルが自然と2番手に上がるとピューロマジックとの差を一気に詰め,そのまま抜け出して優勝。最内から進出してきたトウシンマカオがクビ差で2着。大外を猛然と追い込んだナムラクレアがクビ差で3着。
優勝したルガル はシルクロードステークス以来の勝利。重賞2勝目で大レースは初制覇。シルクロードステークスを勝ったことで高松宮記念は1番人気で臨みましたがレース中に骨折があって10着。ここはそれ以来のレース。シルクロードステークスは大きな差をつけての優勝でしたから,能力を発揮できれば勝てるというメンバー構成で,結果的に能力発揮に影響しない程度まで仕上がっていたということでしょう。着差は大きくありませんでしたが,現時点ではトップの馬だとみていいと思います。父はドゥラメンテ 。4代母がラヴズオンリーミー の祖母にあたる同一牝系。Lugalは古代メソポタミアで使われていたシュメール語で王。
騎乗した西村淳也騎手はデビューから6年半強で大レース初制覇。管理している杉山晴紀調教師は昨年の天皇賞(春) 以来の大レース6勝目。スプリンターズステークスは初勝利。
スピノザの遺品の競売は11月4日に行われました。この売上からスペイク は葬儀費用も含めた,自身が負担したスピノザのための費用のすべてを賄うことができたとフロイデンタール Jacob Freudenthalはいっています。この部分ではコレルス Johannes Colerusがかなり詳しい報告をしていて,たとえば事務処理のために働いた弁護士のためにいくらの支払いがあったかということも明らかになっています。フロイデンタールの計算ではそうしたすべての支払いを終えて,売上金からは僅かのものが残ったとなっていますので,スピノザが本来であれば支払わなければならなかった費用は,これですべて賄うことができて,僅かとはいえ剰余金が発生したということになります。コレルスの伝記 Levens-beschrijving van Benedictus de Spinoza によれば,この売上金をレベッカRebecca de Spinozaが差し押さえたのだけれども,残金が僅かだったから遺産の相続を放棄したとなっています。したがって剰余金はたぶんスペイクの収入になったのではないでしょうか。
なお,フロイデンタールは,これ以外に蔵書の売上があった筈だといっています。スピノザにどのような蔵書があったのかということは記録が残っていて,全部で161冊に上ります。競売の中にも何冊かの本が含まれてはいますが,それにはまったく届いていません。したがって残りの蔵書は密かに売却されたのだとフロイデンタールはみているわけです。ただしフロイデンタールの記述は,この蔵書のいわば密売が,遺稿集Opera Posthuma の出版費用を捻出するために行われたと読むことができるようになっています。なので売上はスペイクのものになったわけではなく,遺稿集の編集者たちの手に入ったと解することもできます。遺稿集の編集者たちが先に売却できそうな蔵書を選別して,その残りが11月4日の競売に出されたということは,可能性としてはあるのかもしれません。
遺稿集の編集者たちは,遺稿集を出版するだけの費用が捻出できなかったから,スピノザの遺稿そのものを売却しようとしたとフロイデンタールはいっています。この論証の軸になっているのは,シュラー Georg Hermann Schullerがライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibnizに対して売却を打診しているという史実です。ただしこれは本当に遺稿集の編集者たちの総意であったか,僕は疑わしく思います。
第65回宝塚記念 。
好発はベラジオオペラで一旦は先頭に。しかし外からカラテが上がってくると控え,発馬後の正面のうちにカラテが先頭に。さらに外からルージュエヴァイユも上がってきて,1コーナーから2コーナーに掛けてカラテの前に出て,ここからはルージュエヴァイユの逃げに。こちらも外を進出してきたプラダリアが2番手となり,カラテ,ベラジオオペラの順に。2馬身差でヒートオンビートとディープボンド。1馬身半差でシュトルーヴェとジャスティンパレスとソールオリエンス。ローシャムパークを挟んでヤマニンサンバとドウデュースとブローザホーンが最後尾を併走。3コーナーでは先頭から最後尾までが7馬身くらいに凝縮するレースになりました。最初の1000mは61秒0の超スローペース。
3コーナーからルージュエヴァイユから離れた外をプラダリア,向正面で掛かり気味に上昇していったローシャムパーク,外に出したベラジオオペラの3頭が併走。直線の入口ではルージュエヴァイユとプラダリアとベラジオオペラの3頭の雁行になり,ローシャムパークは4番手に。その外からブローザホーン。前の3頭の競り合いからはベラジオオペラが抜けて一旦先頭。大外からブローザホーンがそれを差して優勝。ベラジオオペラとブラダリアの競り合いの外から伸びたソールオリエンスが2馬身差で2着。一旦先頭のベラジオオペラがクビ差の3着でプラダリアがクビ差で4着。
優勝したブローザホーン は日経新春杯以来の勝利で大レース初制覇。未勝利を勝つのに苦労した馬なのですが,1勝してからはきわめて安定した成績を残していて,日経新春杯を勝った後も阪神大賞典が3着,天皇賞(春)が2着と,大レースにも手が届きそうなところまで来ていました。どちらかといえば距離が長いところで活躍してきた馬ですから,各馬が外を回るような馬場状態になったことはプラスに作用したでしょう。ただ,スローペースで上りが早い競馬を突き抜けていますので,むしろこのくらいの距離の方が適性が高かったという可能性もありそうです。父はエピファネイア 。母の父はデュランダル 。6代母がパテントリークリア の4代母にあたる同一牝系。
騎乗した菅原明良騎手はデビューから5年3ヶ月で大レース初勝利。管理している吉岡辰弥調教師は開業から4年3ヶ月で大レース初制覇。
先走って僕のこれまでの考察に合わせて探求しましたが,國分はこのことについても詳しく説明しています。それもみていきます。
スピノザはホッブズThomas Hobbesと自身の違いを,自然権jus naturaeに対する考え方として説明しています。この説明から分かるように,自然権という概念notioをホッブズも有していました。というか,自然権を権利の概念として最初に発見したのはホッブズであったといっていいでしょう。それをホッブズは端的に,どんなことでも行う自由libertasと規定しています。つまり現実的に存在するある人間が自然権を行使するというのは,その人間に自然Naturaが与えた力potentiaをその人間の思うがままに発揮する権利のことです。よってこの権利は社会societasの法lex制度の枠内に収まるものではありません。むしろそれを超過するでしょう。このためにホッブズは,法という概念と権利という概念を分けて考えなければならないと主張したのです。
前もっていっておいたように,スピノザはこのホッブズの規定についてはそのまま引き継いでいるといって差し支えありません。差異が出てくるのはその先です。
ホッブズは自然権が何らの規制も受けずに発揮される状態のことを自然状態status naturalisといいます。このような状態が人類の歴史の中で実際に存在したとは僕は考えませんし,ホッブズがそれをどう考えていたかも分かりませんが,とりあえず理念型としてそのような状態を拵えて,それを自然状態と規定したとここではいっておきます。ホッブズにとっての自然状態は,戦争状態と同じことを意味します。いわゆる万人の万人に対する闘争状態のことです。しかしこの状態は大きな矛盾を抱えています。というのも,第三部定理六 のようなコナトゥス conatusをホッブズが現実的に存在する人間に対して認めるかどうかはともかく,現実的に存在する人間は自身の身の上の安全を第一に考えなければならないのに,自然状態はそれと大きく矛盾する状態,要するにだれもが自身を危険に晒している状態であるからです。このことから,現実的に存在する人間は,自身の安全のためにむしろ自然権を放棄しなければならないという考え方が出てくることになります。それをホッブズは自然権に対して自然法 lex naturalisというのです。