昨年までのTCKディスタフが重賞に昇格,第8回レディスプレリュードと名称も改められ,昨晩の大井競馬場で争われました。
笠松のエーシンクールディがさっと先頭に立っての逃げ。クラーベセクレタが2番手につけ,カラフルデイズ,テイエムヨカドー,フレンチカクタス,ミラクルレジェンドといったあたりが差なく追走。ラヴェリータがその後ろ。最初の800mは49秒7で,見た目通りのスローペース。
3コーナー手前でペースが上がりだし,テイエムヨカドーとフレンチカクタス,さらにカラフルデイズも後退。エーシンクールディはコーナーワークで直線入口でややリードを広げ,先に動いたラヴェリータがクラーベセクレタを交わして2番手。これを一旦は控えて外に持ち出されたミラクルレジェンドがまとめて交わして優勝。エーシンクールディは残り100mほどで止まり,これは捕えたラヴェリータが2着でエーシンクールディは3着。
優勝したミラクルレジェンドは前走のオープンから連勝。重賞は昨年12月のクイーン賞以来の3勝目。その後は2着のラヴェリータに勝てませんでしたが,乗り方にも問題があったように思え,実力的には遜色ないか,こちらの方が上ではないかと考えていました。ここも1キロ軽い斤量でしたので,はっきりと上回ったとはいえないかもしれませんが,ゆくゆくは女王として君臨できる馬だと思います。おそらく新設のJBCレディスクラシックに進むでしょうが,ラヴェリータと共に有力馬となる筈です。父はフジキセキ。一族の代表はエルコンドルパサーやキングカメハメハの父となるKingmambo。日本での活躍馬は2007年にファンタジーステークスを勝ったオディール。
騎乗したのは岩田康誠[やすなり]騎手で管理しているのは藤原英昭調教師。重賞としての初回にその名を刻みました。
ここの部分に関しては,今回のテーマだけでなく,これまでの僕のスピノザの哲学の読解と関連して齟齬を来していると考えられるおそれがありますので,もう少し詳しく説明しておかなければなりません。
まず,理性の有ないしは表象の有が有といわれているけれども実際には無であるということに関しては,『エチカ』でいえば第二部定理四九備考,岩波文庫版の上巻162ページにそれとなくほのめかされています。また『デカルトの哲学原理』の付録となっている『形而上学思想』においては,第一部第一章のほぼ冒頭の部分で,理性の有は有ではないということがはっきりと示されています。これらのことから勘案して,スピノザが理性の有ないしは表象の有を有ではなく無とみなしているということは明らかだと思います。
一方,僕はこれまで,十全な観念と混乱した観念の相違は,真偽という観点からは前者が真理であるのに対し後者は虚偽である,この場合は虚偽と誤謬を異なるものとした上での虚偽であるとみなし,一方,有と無という観点からは,前者は有すなわち実在的であるのに対して後者は無,すなわち非実在的なものであると解してきました。
しかしこのことはあくまでも以下のことを前提にした上でのことです。第二部定理七系の意味は,神の無限知性を構成する各々の観念はすべて十全な観念であるということです。したがって混乱した観念は,あるとみなされるなら必ず有限知性の一部を構成するということになります。しかし実際にはこうした観念も,第一部定理一五,ないしは第二部定理一一系により,神の無限知性のうちにあるのです。したがってこの限りではこうした混乱した観念も十全であり,真理かつ有です。同じことは第二部定理三六からも帰結する筈です。したがって第一義的にはすべての観念は有なのです。それが無とみなされ得るのは,あくまでも神から切り離され,ある有限知性の一部を単独で構成するとみられる限りにおいてのことなのです。
僕はこうした観点において,理性の有ないしは表象の有が無であるのに対して観念は有であるといっているのであり,またその点が理性の有および表象の有と観念とを分つ最大のポイントであると考えています。これらふたつの有と無の関係を混同しないようにしてください。
笠松のエーシンクールディがさっと先頭に立っての逃げ。クラーベセクレタが2番手につけ,カラフルデイズ,テイエムヨカドー,フレンチカクタス,ミラクルレジェンドといったあたりが差なく追走。ラヴェリータがその後ろ。最初の800mは49秒7で,見た目通りのスローペース。
3コーナー手前でペースが上がりだし,テイエムヨカドーとフレンチカクタス,さらにカラフルデイズも後退。エーシンクールディはコーナーワークで直線入口でややリードを広げ,先に動いたラヴェリータがクラーベセクレタを交わして2番手。これを一旦は控えて外に持ち出されたミラクルレジェンドがまとめて交わして優勝。エーシンクールディは残り100mほどで止まり,これは捕えたラヴェリータが2着でエーシンクールディは3着。
優勝したミラクルレジェンドは前走のオープンから連勝。重賞は昨年12月のクイーン賞以来の3勝目。その後は2着のラヴェリータに勝てませんでしたが,乗り方にも問題があったように思え,実力的には遜色ないか,こちらの方が上ではないかと考えていました。ここも1キロ軽い斤量でしたので,はっきりと上回ったとはいえないかもしれませんが,ゆくゆくは女王として君臨できる馬だと思います。おそらく新設のJBCレディスクラシックに進むでしょうが,ラヴェリータと共に有力馬となる筈です。父はフジキセキ。一族の代表はエルコンドルパサーやキングカメハメハの父となるKingmambo。日本での活躍馬は2007年にファンタジーステークスを勝ったオディール。
騎乗したのは岩田康誠[やすなり]騎手で管理しているのは藤原英昭調教師。重賞としての初回にその名を刻みました。
ここの部分に関しては,今回のテーマだけでなく,これまでの僕のスピノザの哲学の読解と関連して齟齬を来していると考えられるおそれがありますので,もう少し詳しく説明しておかなければなりません。
まず,理性の有ないしは表象の有が有といわれているけれども実際には無であるということに関しては,『エチカ』でいえば第二部定理四九備考,岩波文庫版の上巻162ページにそれとなくほのめかされています。また『デカルトの哲学原理』の付録となっている『形而上学思想』においては,第一部第一章のほぼ冒頭の部分で,理性の有は有ではないということがはっきりと示されています。これらのことから勘案して,スピノザが理性の有ないしは表象の有を有ではなく無とみなしているということは明らかだと思います。
一方,僕はこれまで,十全な観念と混乱した観念の相違は,真偽という観点からは前者が真理であるのに対し後者は虚偽である,この場合は虚偽と誤謬を異なるものとした上での虚偽であるとみなし,一方,有と無という観点からは,前者は有すなわち実在的であるのに対して後者は無,すなわち非実在的なものであると解してきました。
しかしこのことはあくまでも以下のことを前提にした上でのことです。第二部定理七系の意味は,神の無限知性を構成する各々の観念はすべて十全な観念であるということです。したがって混乱した観念は,あるとみなされるなら必ず有限知性の一部を構成するということになります。しかし実際にはこうした観念も,第一部定理一五,ないしは第二部定理一一系により,神の無限知性のうちにあるのです。したがってこの限りではこうした混乱した観念も十全であり,真理かつ有です。同じことは第二部定理三六からも帰結する筈です。したがって第一義的にはすべての観念は有なのです。それが無とみなされ得るのは,あくまでも神から切り離され,ある有限知性の一部を単独で構成するとみられる限りにおいてのことなのです。
僕はこうした観点において,理性の有ないしは表象の有が無であるのに対して観念は有であるといっているのであり,またその点が理性の有および表象の有と観念とを分つ最大のポイントであると考えています。これらふたつの有と無の関係を混同しないようにしてください。