スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

告白の有無&2020年5月の通院

2020-11-30 19:02:03 | 歌・小説
 ドゥーニャピストルの銃口をスヴィドリガイロフに向けた後,まずそのピストルに関する会話がふたりの間で交わされた後,スヴィドリガイロフによる妻のマルファの毒殺の件の会話へと移行します。スヴィドリガイロフは自分がマルファを殺したとも殺さなかったとも言わず,仮に自分がマルファのことを殺したのだとしても,それはドゥーニャのためであったという意味のことを言うのです。
                                        
 この部分はこの部分で重要な要素を含んでいるといえます。というのも,ラスコーリニコフはソーニャに対して,自分の罪を告白したのですが,スヴィドリガイロフはそれをしなかったということになるからです。もしもスヴィドリガイロフがマルファを殺していなかったのだとすれば,そのような告白は初めからできなかったことになります。ですが,もしもスヴィドリガイロフがもうひとりのラスコーリニコフであったとすれば,ラスコーリニコフが殺人を犯したのと同じように,スヴィドリガイロフも殺人を犯したとしなければならないと僕は考えます。したがって,このラインで考えるなら,スヴィドリガイロフはラスコーリニコフとは異なり,自身の罪を告白しなかったので,ラスコーリニコフのようにはなれなかったのだと解釈することも可能でしょう。つまり『罪と罰』には,罪を告白したラスコーリニコフと,告白しなかったスヴィドリガイロフがいるのであり,それがそれぞれのその後の運命を決定づけたと考えられます。この場合には,そのこと自体が,ラスコーリニコフはソーニャに会えたのであり,スヴィドリガイロフはソーニャに会えなかった理由になるでしょう。よって,スヴィドリガイロフのソーニャがだれであったのか,あるいはだれがスヴィドリガイロフのソーニャであり得たのかということは,あまり気にしなくてよいと考えることができるのです。
 ただし,スヴィドリガイロフは,自分がドゥーニャに愛されていると思っていたふしがあったのは事実です。したがって,もしもそのことを確信することができたのなら,ドゥーニャに対して罪の告白をしたと解することもできるでしょう。ですから,少なくともドゥーニャが,スヴィドリガイロフにとってのソーニャになり得た可能性は,スヴィドリガイロフの中にはあったと考えることはできます。

 僕はこの日の午後は内分泌科の通院でした。
 病院でも,新型コロナウイルスへの対策が強化されていました。入口のところで問診票を記入し,検温する必要があったのです。
 中央検査室ではこの日は4人の患者が検査を待っていました。ですから僕は先に検尿をし,注射針の処理を済ませてから採血をしました。
 診察が始まったのは午後3時50分でした。中央検査室で検査をする患者がすべて内分泌科で診察を受けるというわけではないのですが,それでも中央検査室の患者数と内分泌科の患者数は比例する傾向があります。ですからこの日も中央検査室に4人の患者がいたときに,もしかしたら診察の開始が遅れるかもしれないと予期していたのですが,その通りとなったわけです。なお,このことに新型コロナウイルスが関係していたのか否かは定かではありません。
 HbA1cは7.5%と,4月に比べるとだいぶ下がっていました。4月にトレシーバの注射量を増やし,なおかつ気候もよくなってきましたから,下がったのは自然といえるでしょう。低血糖の発症も,全体の2%で,悪くはありません。なので注射量についても現時点では変更する必要はないということになりました。
 この日もこれ以外には何の異常もありませんでした。これは4月と同様でした。帰途に薬局に寄りました。インスリンも注射針も在庫が足りていました。診察の開始が遅れましたので,帰宅したのも午後4時50分と,やや遅くなりました。
 5月13日,水曜日。ガス給湯器の交換の作業がありました。作業は午前8時50分に開始されました。これまでに使っていたものを取り外し,新しいものを設置するという作業です。概ね1時間ほどで終了しました。すべての代金は365000円です。これは4月23日に見積もりをもらったときに分かっていて,支払いもこの日に現金でということになっていましたから,それは事前に用意してありました。
 5月14日,木曜日。午前8時にグループホームで昨年度まで妹を担当していた職員から電話がありました。事前に依頼しておいたこの日の迎えのことです。この日もグループホームに待機するとのことでした。
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ロンジン賞ジャパンカップ&移動制限

2020-11-29 19:03:22 | 中央競馬
 フランスから1頭が招待された第40回ジャパンカップ
 ウェイトゥパリスは枠入りを極度に嫌がりました。前にいく姿勢をみせたのはキセキとヨシオ。キセキがハナを奪うとそのまま後ろを大きく引き離していくレースに。押さえが利かなかったのかもしれません。2番手にトーラスジェミニとヨシオ。2馬身差でグローリーヴェイズ。2馬身差でアーモンドアイとクレッシェンドラヴ。2馬身差でデアリングタクト。1馬身差でカレンブーケドール。3馬身差でコントレイル。1馬身差でワールドプレミア。2馬身差でパフォーマプロミス。1馬身差でミッキースワロー。8馬身差でマカヒキ。1馬身差でユーキャンスマイル。2馬身差の最後尾にウェイトゥパリスととても縦に長い隊列。最初の1000mは57秒9の超ハイペース。
 直線に入るところでキセキのリードは15馬身くらい。2番手に上がっていたグローリーヴェイズがやや外に出して差を詰めにいきました。この外に出したのがアーモンドアイ。いい手応えで坂下まで進み,そこから追われると前の2頭を差して先頭に。そのまま後ろからの追撃も封じて優勝。グローリーヴェイズに迫ったのは大外のコントレイル,その内のカレンブーケドール。そしてグローリーヴェイズとカレンブーケドールの間に進路を取ったデアリングタクトの3頭。この中からはコントレイルが抜け出して1馬身4分の1差の2着。デアリングタクトがクビ差の3着でカレンブーケドールはハナ差の4着。グローリーヴェイズがクビ差で5着。
 優勝したアーモンドアイ天皇賞(秋)からの連勝で大レース9勝目。第38回以来2年ぶりのジャパンカップ2勝目。この馬が最も強い内容だったのは一昨年のジャパンカップ。昨日のレース結果と今日の天候から,ここは早い時計の勝負になると思われ,それはこの馬にとって有利な条件だろうと思っていました。これで引退ということですが,今年の3歳牡馬のトップと牝馬のトップを2着と3着に従えてのもので,現役最強を誇示して有終の美を飾ったということになるでしょう。父はロードカナロア。母はフサイチパンドラ。祖母はロッタレース
                                        
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手は先週のマイルチャンピオンシップに続いての大レース制覇。第29回,38回に続く2年ぶりのジャパンカップ3勝目。管理している国枝栄調教師は天皇賞(秋)以来の大レース20勝目。第38回以来2年ぶりのジャパンカップ2勝目。

 この日は月曜日でした。ですから8日に届いた郵便物の内容からすれば,通所施設に通う日です。しかし,グループホームの利用者はこの日もグループホームに待機していました。これは利用者の中に発熱の症状があった人がいたといった理由ではなく,単に移動を制限するためでした。よってこの措置は,おそらく5月一杯は続くことになるであろうとのことでした。
 予定が頻繁に変わってしまうのには理由があります。グループホームの利用者が日中もグループホームに待機するということになれば,そのために職員も同時に必要になります。したがって職員を確保する目途が立たなければ,日中は利用者がグループホームに滞在することはできません。いい換えれば,この日までに,その目途が立ったということでしょう。同時にこれは利用者の移動を制限するための措置ですから,グループホームと家との間の往復も,可能であれば5月一杯はなしにしてほしいとの要望が出されました。
 妹は5月15日に歯科検診に行く予定がありました。脳神経外科への通院は,妹の薬を処方してもらうのが主だった目的なので,不要でも不急でもありません。しかし,歯科検診は歯のクリーニングが主目的になっているので,不要とはいえないまでも不急であるとは僕には思えませんでした。ただ妹の場合は,開業している歯科医に通院しているわけではなく,指定歯科であるみなと赤十字病院に通院しているために,予約を変更して新たな予約を入れる手続きをするのは煩雑でした。なので僕は,15日に歯科に通うために14日に迎えに行き,18日にまた送ることにして,それ以降は5月一杯は迎えに行かないようにすると申し出ました。先方もそれで納得してくれましたので,これ以降の5月の予定は,事前に,これは4月のうちにという意味ですが,伝えていたものと大幅に変わることになりました。
 僕が迎えに行く予定であった14日は木曜日です。この日も郵便物の内容からすれば,通所施設に出勤する筈の日です。移動の制限が5月一杯続くのは,おそらくそうなるだろうということであり,確定ではありません。なので当日に電話をしてもらうようにお願いしました。
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竜王戦&郵便物

2020-11-28 18:54:48 | 将棋
 一昨日と昨日,指宿温泉で指された第33期竜王戦七番勝負第四局。
 豊島将之竜王の先手で羽生善治九段の横歩取り。この将棋は双方が持ち時間を残して終局となったことから分かるように,途中で差がついてしまった将棋でした。ただ一方に誤算があって一遍に差が開いたというより,徐に差が広がっていった将棋だったように思います。
                                        
 直接的な契機となったのは第1図だと思われます。このまま香車を取れれば先手が明白に有利になります。先手はそれが可能とみてこう打ったと思われ,その踏み込みが勝利を掴んだといえそうです。
 後手は香車を取られる前に攻め続ける必要があります。そしてもしそうできるなら,第1図で先手が歩を打った手を緩手とすることができるでしょう。
 まず☖1五歩と打ちました。取る手もあったと思いますが先手は☗1七飛。☖4六歩☗同銀☖3六飛と連続の銀取り。先手は☗3七銀と飛車に当てて受けました。
 ここは☖1六歩もあったようですが☖1六飛とぶつけました。☗同飛☖同歩までは必然。先手に手番が回ったようですが,すぐに☗1一歩成とすると☖4七角と打たれてこれは大変。しかし☗6五角がありました。
                                        
 これが☖4七角を受けつつの金取り。☖4三金に☗1一歩成が回って先手の有利が確定しました。
 豊島竜王が勝って3勝1敗。第五局は来月5日と6日です。

 O眼科の混雑の度合は以前とほとんど変わりありませんでした。もっとも,この5月8日というのは,混雑しやすい日だったかもしれません。ゴールデンウィーク中は休業でしたし,O眼科は木曜は休診でしたから,7日も休みだったからです。僕はこの日は待合室ではなく,室外で検査を待ちました。室外といっても,O眼科はビルの2階にあるわけですから,屋内ではあります。それでも混雑した待合室で待つよりは,感染のリスクは低くなるのは当然でしょう。検査の結果は異常なし。帰宅したのは正午でした。
 この日,通所施設とグループホームから郵便物が届きました。内容は翌週の月曜,すなわち5月11日から5月一杯,といっても5月は30日が土曜,31日が日曜でしたから,実質的には5月29日までの予定でした。この間は,通所施設は月曜と木曜,そして隔週の水曜だけを出勤とするというものでした。通所施設を利用しているのは,妹のようなグループホームの利用者だけではなく,自宅から通っている人もいます。したがってそうした人は,火曜と金曜,そして隔週の水曜は休みとなるわけですから,自宅に待機することになります。また,出勤日に自主的に休んでも構わないという旨が記されていました。
 この時点で妹はグループホームにいました。グループホームに滞在しているのと自宅で待機しているのとを比較すれば,自宅で待機している方が感染のリスクはどう考えても低いでしょう。ただ,妹をずっと家に置いておくということは不可能ですから,このことによって,妹の予定を変更するということはしませんでした。したがってこの予定に従えば,金曜日に迎えに行くときはグループホームに行き,月曜は通所施設に送っていくことになります。そして妹はグループホームで過ごす時間が長くなることになります。ただしこれはこのときの内容であり,さらに変更が生じました。
 5月11日,月曜日。午前10時10分にグループホームの妹の担当者から電話がありました。僕は7日に妹をグループホームに送りましたので,8日の金曜日はさすがに迎えに行っていません。よってこの週末は妹はグループホームで過ごしていたのです。
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精神の動機&待機

2020-11-27 19:12:05 | 哲学
 スピノザの哲学を説明するときに,動機という語を使用することが適切ではないと僕が考える理由のひとつは,目的としての動機として,動機という語が解される場合があるという点にあります。そしてもうひとつは,動機という語が,思惟の様態cogitandi modiとして,いい換えれば僕たちの精神mensのうちにあるものと解される場合があるという点にあります。
 前回と同じように,ある犯人が遊ぶ金欲しさに強盗を犯したと仮定します。このとき,動機というのはこの犯人が強盗を犯した原因causaのことを意味しなければなりません。スピノザの哲学では,原因は一律に起成原因causa efficiensを意味しますので,目的原因causa finalisとしての金という説明は不適切で,金が欲しいであれ遊びたいであれ,犯人の欲望cupiditasとして説明するのが適切です。ある人間の欲望は,その人間をある行動に駆る起成原因であり得るからです。ただしこれをいうときには,気を付けなければならないことになります。
                                   
 欲望は感情affectusのひとつですが,第三部定義三から分かるように,スピノザの哲学では感情は,人間の身体humanum corpusのある状態も意味しますし,人間の精神のある状態も意味します。ただし,上述のような場合には,欲望は人間の身体のある状態と解さなければならず,人間の精神のある状態と解してはなりません。それが身体のある状態なら,この欲望はその犯人を強盗という行動に駆る起成原因たり得ますが,精神のある状態と解した場合には,強盗という行動に駆る原因とはなり得ないからです。このことはお馴染みの第三部定理二から明白で,精神が身体をある運動motusに決定するdeterminareことはできない,つまり犯人の精神のうちにある欲望が,犯人を強盗という行動に駆る起成原因とはなり得ないのです。
 ところが動機という語は,往々にして精神のうちにあるものと解されがちです。この点でも,動機という語はスピノザの哲学を説明するのに適切ではないのです。

 僕は妹を1日の金曜日に迎えに行きました。これは通所施設へ迎えに行ったのです。つまりこの日の朝,妹はグループホームから通所施設へ通っていたことになります。その後のゴールデンウィークの期間中は妹はずっと家にいました。緊急事態宣言中でしたし,一切の用事もありませんでしたから,文字通りに家にいたのであって,一歩も外へは出ていません。もちろんこれは妹のことであり,僕は妹が眠っている午前の早い時間のうちには外出しています。
 ゴールデンウィークはこの6日までで,翌7日に妹を通所施設に送っていく予定になっていました。この時点での電話の内容は,それが通所施設ではなく,グループホームに変更になる可能性があるということでした。グループホームに送るというのは,グループホームの利用者はグループホームに待機し,通所施設に通わないということを意味します。緊急事態宣言中でしたから,こうした措置が採られてもそれは不思議ではありません。ですがまだこの時点ではどうなるのかが決定していなかったため,もしもグループホームに送る必要があるのであれば,翌朝に電話を入れてもらうように依頼しました。
 午後4時半に,昨年度から妹を担当することになったグループホームの職員からまた電話がありました。グループホームの利用者は,翌日はグループホームに待機することが決定したので,グループホームに送ってほしいということでした。
 5月7日,木曜日。妹をグループホームに送りました。僕はこの日は妹を送った後,グループホームから上大岡までは歩きました。たとえばこのような仕方で僕は運動療法のためのウォーキングの時間を確保していると理解してください。
 5月8日,金曜日。O眼科眼科検診に行きました。内分泌科の主治医からは,1ヶ月や2ヶ月の単位であれば先延ばししてもいいだろうと言われていましたから,本来なら行くべきであった4月には行かなかったのですが,世の中の状況をみると,このまま先延ばししていってもすぐに新型コロナウイルスに関連する状況が改善することはないと僕には思えました。それならいつ行っても同じなので,早いうちに行ってしまおうと考えたのです。
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将棋日本シリーズJTプロ公式戦&土曜ダイヤ

2020-11-26 19:13:45 | 将棋
 22日に指された第41回将棋日本シリーズの決勝。対戦成績は豊島将之竜王が6勝,永瀬拓矢王座が7勝。千日手が1局,持将棋が2局。
 振駒で豊島竜王の先手となり,永瀬王座のノーマル四間飛車。先手の居飛車穴熊に後手のミレニアムという戦型になりました。
                                        
 後手が7一の銀を上がった局面。攻勢をかけた直後だったのですが,一気に攻めきることは難しいので,上部を手厚くしたという意味合いでしょう。
 ここで☗1五角と引いたのが素晴らしい構想でした。次に☗3七角と引けば飛車角が総交換になりそうで,そうなれば玉の固さの差で圧倒的に先手がいいでしょう。
 後手は☖7一歩と打ちました。受けとしては手堅いのですが,7筋に歩を打って攻めていきたいところであり,それがなくなったことで先手玉の安全性は増しました。よっていきなり☗5五飛☖同飛と取り☗8六銀と逃げる手が成立。☖7四銀と歩を取って桂馬を守りましたが☗4一角が痛打。☖5二歩は仕方がないところですが☗3二角成で馬を作られました。
                                        
 第2図となって先手は駒得が確定。しかも後手の飛車に成られたときに,1五の角が受けに利いていて,先手が優勢となりました。
 豊島竜王が優勝。昨年度の銀河戦以来となる3度目の棋戦優勝。日本シリーズは2016年以来4年ぶり2度目の優勝です。

 それまでとの違いというのは,バスの運行時間のことです。僕たちは家と通所施設の往復には,市営バスを乗り継いでいます。この市営バスの運行が,この週から土曜ダイヤに変更されました。これは緊急事態宣言が発令されたことにより,バスの利用者が減少したことに伴う措置だったと思われます。民営のバス会社では,それ以前に平日も土曜ダイヤでの運行に移行していたところがありました。
 通常の場合,僕たちは9時18分に家の最寄りのバス停を発車するバスに乗って,上大岡へ向っていました。土曜ダイヤでこれに最も近いのは,9時4分に発車するバスです。ですからこの日は15分ほど早く家を出ることになりました。当然のことですが,そのためにはそれだけ早く準備をしなければならないわけですから,僕も妹も,いつもより15分ほど早く起きたということになります。
 早く家を出たから早く通所施設に着いたのかといえば,これがそうではありませんでした。上大岡での待ち時間が,土曜ダイヤの場合は20分ほどになってしまうからです。通常の場合も待ち時間がないわけではないので,早くなったのは事実ですが,それでも5分早くなったかならないかといったところでした。ただし,帰りは乗り継ぎが通常ダイヤの場合よりもよくなったので,僕が帰宅する時間は10分ほど早くなりました。
 5月1日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。この迎えが,土曜ダイヤへの変更で最も影響を受けた移動です。
 僕は通常ダイヤのときには,午後2時15分のバスに乗っていました。土曜ダイヤだとこの時間の近辺のバスがありません。この時間より前だと午後1時49分で,その次が午後2時35分です。前者ではいくらなんでも早すぎますし,後者では間に合いません。仕方がありませんから,この日は電車を使って迎えに行きました。帰りは妹と一緒なので電車は使えませんが,ここも乗り継ぎがよくなっていて,普段よりも10分ほど早く帰宅することができました。
 5月6日,水曜日。グループホームの昨年3月までの妹の担当者から,午後3時に電話がありました。翌日に妹を送っていくことに関連する事項の連絡でした。
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農林水産大臣賞典浦和記念&申し出

2020-11-25 19:42:48 | 地方競馬
 第41回浦和記念
 リンノレジェンドが押してハナへ。2番手にヒストリーメイカー。3馬身差でダノンファラオ。2馬身差でマイネルズイーガー,ロードブレス,デルマルーヴルの3頭。2馬身差でタービランス。1馬身差で発馬後の加速がやや鈍かったストライクイーグル。2馬身差でサーヒューストン。6馬身差でクインズサターン。3馬身差の最後尾にウェスタールンドと,かなり縦に長い隊列で1周目の向正面を通過。隊列が決まって1周目の正面では凝縮してきました。前半の1000mは62秒5のミドルペース。
 2周目の3コーナーを回るとリンノレジェンドとヒストリーメイカーが併走に。その外からダノンファラオも追い上げ,直線の入口ではダノンファラオが先頭に。最後尾から2周目の向正面で動いていったウェスタールンドが大外から捲り上げるとダノンファラオとウェスタールンドの間に進路を取ったロードブレスも追い上げ,直線は3頭の競り合い。先んじていたダノンファラオが2頭の追い上げを封じる形で優勝。真中のロードブレスがハナ差で2着。外のウェスタールンドがアタマ差の3着。ダノンファラオの内から脚を伸ばしたタービランスが4分の3馬身差で4着。
 優勝したダノンファラオジャパンダートダービー以来の勝利。大レースを勝ちはしたものの,レースのレベルはあまり高くないとみていたので,古馬相手では苦戦すると思っていました。実際に秋の2戦はそのような結果に終わり,ここも軽視していました。2着馬と3着馬が今日のメンバーでは実力上位で,それに対して展開面やコースに対する適性で上回っての勝利とみることもできるでしょうが,56キロで勝ったという事実は評価しなければならず,これまでの僕の見解は改める必要がありそうです。
                                        
 騎乗した川田将雅騎手と管理している矢作芳人調教師は浦和記念初勝利です。

 4月16日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。午後8時50分にピアノの先生から電話がありました。19日に予定されていたピアノのレッスンの件です。緊急事態宣言下であるため,中止したいという申し出でした。確かにピアノのレッスンというのは不要不急であることは間違いありませんから,そのために先生が外出するのがどうかということはあります。しかも先生は田園調布に住んでいますから,僕の家に来るための移動というのは東京都から神奈川県へ,県境をまたいでの移動になります。こうした移動の自粛もこの時期には求められていました。こうした点を考慮すれば,先生の申し出というのは当然のものであったということができるでしょう。ですから僕も了承しました。ただ妹にはこうした事情というのは分かりませんから,残念そうではありました。
 4月17日,金曜日。妹の本牧脳神経外科への通院でした。この通院があったために,この週は妹を木曜日に迎えに行ったのです。この日は診察しただけでした。理由は不明だったのですが,この日は妹の左目が充血していました。医師はこの点を気遣ってくれ,点眼薬を処方してくれました。こども医療センター遺伝科に通っていた頃なら,こうした処方があったとしても驚きませんが,町の脳神経外科への通院でこうした処方が可能であるというのは,僕にとっては意外なことでした。
 4月20日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 4月23日,木曜日。午後1時35分にガス会社の営業職の社員が来訪しました。15日にどのタイプの給湯器を設置するのかを決定してありましたので,この日にそれの正確な見積もりを受け取り,新しい給湯器を設置する日時を決定しました。そして支払いの方法を確認しました。これは銀行振り込みが可能なのか,現金での支払いでなければならないのかということです。当日に現金での支払いになるとのことでしたので,その日に合わせて現金を用意しておくことにしました。この日の話し合いは30分ほどでした。
 4月24日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 4月27日,月曜日。妹を通所施設に送りました。それまでと違いが発生しています。
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朝日新聞社杯競輪祭&給湯器

2020-11-24 18:46:28 | 競輪
 小倉競輪場で行われた昨晩の第62回競輪祭の決勝。並びは鈴木‐平原‐諸橋の関東,松井‐郡司‐和田の南関東,古性‐稲川の大阪で新田は単騎。
 新田,古性,平原の3人がスタートを取りにいきました。前受けとなったのは新田。2番手に鈴木。5番手に古性。7番手に松井という隊列での周回に。残り3周になると,新田と鈴木,稲川と松井の車間は開き,長い一列棒状に。松井の上昇に合わせて残り2周のホームで古性が動き,新田を叩いて前に、松井がその外から発進。古性を叩きましたが,3番手の和田が離れてしまい,郡司の後ろは内の古性と上昇してきた外の鈴木で取り合うような形に。バックから郡司が発進。郡司の後ろが競り合いになっていたため,だれも続けず,一時的に郡司が抜け出しました。鈴木マークの平原が自力で発進して郡司を追い,直線では外から追い詰めたものの僅かに届かず,優勝は郡司。平原が半車輪差で2着。平原マークの諸橋は直線の入口で古性の牽制を受け,直線は古性と競り合う形。古性マークの稲川がふたりの外に持ち出して2車身差の3着。諸橋は4分の1車輪差の4着。
 優勝した神奈川の郡司浩平選手は10月の熊本記念以来の優勝。ビッグは昨年9月の共同通信社杯以来の3勝目でGⅠは初優勝。この開催は初日に脇本が落車して脱落。新田は決勝に乗ってきましたが単騎での競走に。対して松井という大きな援軍を得たのが郡司で,鈴木もそれなりに先行意欲があると思いましたが,鈴木と松井がやり合っても脚力からいって松井の逃げになりそうですから,相当に有利ではないかと予想していました。最後は平原に迫られたのですが,これは和田が離れてしまった影響が大きかったように思います。自力でGⅠを勝つ日もそう遠くないのではないでしょうか。

 歩くためだけの外出が減ったというのは,一般的ないい方をすれば,散歩をする機会が減ったということです。緊急事態宣言が出されようが出されまいが,日用品や食料を買うというようなことは生きていくために必要なことであって,そのために外出するということは不要不急ではありません。そこでそういった場合に,徒歩で行けば,歩くという運動をすることはできます。このような仕方での運動をそれまでよりも増加させることによって,ただ単に歩くために外出するという機会は極度に減少したのです。この生活スタイルもまた,おそらく今後も続いていくことになるでしょう。ですからこの点においても,新型コロナウイルスによる日常生活の変化が,僕にも生じたということになります。
 4月9日,木曜日。ガス会社の作業員が点検に訪れました。異常はありませんでした。
 このとき僕の方からひとつの依頼をしました。これは給湯器のことです。僕の家は,2005年にバリアフリーにするためにリフォームしました。当時は祖母,の母が同居していたからです。まだ僕の両親が健在でしたから,このリフォーム自体は両親が主体的になしたことであり,僕は関わってはいません。そしてこのときにガスの給湯器を新しいものにしたのですが,それ以降は交換していなかったのです。汚れ物を洗うために湯を出すときには何も困らなかったのですが,ガス給湯器は風呂とも繋がっていて,湯を入れる分にはこれも問題なかったのですが,温めようとすると時間が掛かるようになっていました。なのでこれを新しいものと交換したいと思っていたのです。ということで,そのための見積もりを依頼しました。
 4月11日,土曜日。妹は土曜レクリエーションでした。ですからこの週は迎えには行きませんでした。
 4月15日,水曜日。午後1時半にガス会社の,おそらくは営業職の社員が来訪しました。25分ほど話し合った結果,この時点で設置してあったのと同じ型の給湯器を設置することに決定しました。給湯器は一般的には10年くらいで交換するものだそうですから,我が家のものは15年も働いてくれたわけで,それはよほどよい製品だったことになるでしょう。
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大山名人杯倉敷藤花戦&不要不急

2020-11-23 19:04:15 | 将棋
 21日に倉敷市芸文館で指された第28期倉敷藤花戦三番勝負第二局。
 中井広恵女流六段の先手で里見香奈倉敷藤花のごきげん中飛車。①-Aから4筋で銀が向い合う形。先手が工夫をして角を右に転換。ですがその角を後手の角と自ら交換しにいくことになり,手数を掛けたわりにうまくいっていなかったようです。一言でいえば先手の作戦負けだったということになるでしょう。最後は後手が手堅く決めました。
                                        
 先手が桂馬を打った局面。すでに先手の非勢ですが,これは☗6六飛を可能にするとともに,☗8五桂を狙った手。
 後手はまず☖8七馬と引いて,王手で上部を広げました。☗7八金と寄って当てたいところですがそれは☖6八銀が生じます。☗7八歩と受けるのは仕方がないところ。そこから☖6八桂成☗同玉☖6七歩成。そこで☗5九玉と逃げたのは,飛車の横利きを通しておかなければ逆転の可能性が消えるという意図でしょう。しかし後手はすぐに攻めるのではなく,☖6六歩と打ちました。
                                        
 これで後手は玉に危険なところは何もなく必勝形。以下は攻め合いに進んだものの,後手の一手勝ちとなりました。
 連勝で里見倉敷藤花が防衛第16期,17期,18期,19期,20期,23期,24期,25期,26期,27期に続く六連覇で通算11期目の倉敷藤花です。

 日常的な僕の生活の中で,不要不急の外出といえるのは,週末にウォーキングを兼ねてWINS横浜まで馬券を買いに行くというものでした。そしてこれ以外に,僕の日常の中には不要不急の外出というのはなかったのです。ですがこの緊急事態宣言が出されたときには,すでに全国のWINSでの馬券の発売が休止されていました。ですからすでにこの時点ではこの外出はしていなかったのです。
 もちろんWINSが閉鎖されたからといって,馬券を買うことをやめたというわけではありません。僕がWINSまで馬券を買いに行っていたのは,ウォーキングの方が目的なのであって,馬券を買うだけであればインターネット投票で済ますことができたからです。つまりインターネットで買うことができるものを,わざわざ外出して買いに行っていたのですから,まさに不要不急であったということができるでしょう。ですからインターネット投票の使用の頻度は,それまでと比較すると格段に多くなりました。
 現在は,発売するレースを限定し,また開場の時間も短縮されていますが,WINS横浜での馬券の発売は再開されています。僕は以前はよほどの理由がない限り買いに行っていたのですが,再開後は概ね2週間に1度くらいの頻度で,それ以外はインターネット投票を活用しています。おそらくこれは今後もそんなに変わることはないのではないかと思います。ですから僕の生活スタイルは,新型コロナウイルスによって確かに変化したのであり,この限りにおいては影響を受けたといい得ることになるのです。
 それからもうひとついっておきたいのは,この外出はウォーキングを兼ねているのですが,ウォーキングというのは運動療法の一貫であるということです。療法であるからにはそれはたとえばインスリンを注射すること変わりはありません。つまり僕にとって歩いて運動するということは,不要でもなければ不急でもないのです。ですから,緊急事態宣言が出されていた期間も,一切の外出をしなかったという日はありません。ただし,それ以前は歩くためだけに外出するということがよくありましたが,その頻度というのは極端に減少しています。
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マイルチャンピオンシップ&法の整備

2020-11-22 18:44:10 | 中央競馬
 第37回マイルチャンピオンシップ
 レシステンシアが素早くハナに。2番手にラウダシオン。3番手にベステンダンクとグランアレグリアとアドマイヤマーズ。6番手にカツジ。7番手にメイケイダイハードとインディチャンプとタイセイビジョン。10番手以下はスカーレットカラー,ヴァンドギャルド,サウンドキアラ,アウィルアウェイ,サリオスの順となり,この14頭は集団。3馬身差でブラックムーン。ペルシアンナイトがその後ろで最後尾にケイアイノーテックという隊列。前半の800mは46秒9の超スローペース。
 3コーナーを回るとレシステンシア,ラウダシオン,アドマイヤマーズの3頭は雁行に。直線に入るとアドマイヤマーズの外からインディチャンプが伸びてきてアドマイヤマーズとインディチャンプの競り合いに。これらの後ろに控えていたグランアレグリアはそこから外に持ち出すと,楽に内の2頭を差し切って優勝。アドマイヤマーズとの競り合いを制したインディチャンプが4分の3馬身差で2着。アドマイヤマーズがクビ差の3着。
 優勝したグランアレグリアスプリンターズステークスに続きこれで大レース3連勝としての4勝目。わりと前目でのレースになったのは,前走がスプリント戦であった上に,ペースがとても遅くなったからでしょう。直線に入ってもなかなか進路がなかったのですが,進路を確保してしまいさえすれば切れ味は違うので差し切れるという判断が騎手にあったのだと思います。必ずしもスムーズなレースをしての優勝というわけではありませんから,2着馬や3着馬とは着差以上の能力差があるとみていいかもしれません。父はディープインパクト。祖母の従妹に2007年にフローラステークスを勝ったベッラレイア。Gran Alegriaはスペイン語で大喜び。
                                        
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手は先週のエリザベス女王杯に続いての大レース制覇。マイルチャンピオンシップは初勝利。管理している藤沢和雄調教師はスプリンターズステークス以来の大レース制覇。第10回,14回,15回,18回に続き19年ぶりのマイルチャンピオンシップ4勝目。

 新しい法律を作ってそれを成立させるのには,当然ながらそれなりの時間を必要とします。したがってその法律が対象としている事象への対応には,それだけの時間を要することになります。もしも未知のウイルスというものを,僕が示したような仕方で解すれば,今回の新型コロナウイルスに対して新法を作る必要はなく,すでにあった法律で対処することができたでしょう。そしてその分だけ早く,ウイルスへの対応をすることができたことになります。僕はこの件に関しては,当時の日本の政府の施策は拙かったと考えています。
 しかしもしも,法律の条文を僕がしたような方法で解釈することが問題であるというのであれば,それに対しても対応をしなければなりません。これでは新型のウイルスが広範に渡って感染しているということが判明した場合には,その都度その都度で,そのウイルスに対応するための法律を成立させなければならないということになるからです。よってもしこの立場を採用するという場合には,一般に新型のウイルスの感染に対応することが可能となるような法律の整備が必要でしょう。具体的にいえば,すでに存在している法律を改正することによって,未知のウイルスというのがどのようなウイルスのことをいっているのかということを明文化するとか,あるいは一般に新型のウイルスに対してであればそれがどのようなものであったとしても対応することができるような新しい法律を作るとかいった整備です。
 緊急事態宣言の中で,僕たちの生活に最も影響したのは,不要不急の外出を避けるということだったと思います。もちろんこのことは,僕の生活に対しても変化を齎すことになったのには違いありませんが,影響としていうなら,僕にとってはきわめて限定的なものでした。いい換えればこのことによって多くの人びとが強いられることになったほどの影響は,僕にはありませんでした。というのも,長らくこの日記を読んでいる方なら分かってもらえるのではないかと思いますが,元来が僕は不要不急の外出というのをしないような生活を送っていたからです。娯楽のためにどこかへ出掛けるということは,僕にはほとんどありませんでした。
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作為の理由&未知のウイルス

2020-11-21 18:52:52 | 歌・小説
 ドゥーニャピストルの銃口をスヴィドリガイロフに向けた後のふたりの会話は,小説として作為的であるという指摘が『『罪と罰』を読まない』の中で指摘されています。これはその通りなのですが,こうした作為が発生してしまうのには理由があると僕は思いますので,その点を説明しておきましょう。
                                        
 まず『罪と罰』というのは,エピローグの部分を除くときわめて短い時間の中で繰り広げられる物語です。長編の小説であり,様ざまな出来事がそこで発生するのですが,それらはすべておよそ二週間ほどのうちに起きたことです。つまり小説の中にはきわめて濃密な時間が流れているのです。よって,ドゥーニャがスヴィドリガイロフの,あるいはドゥーニャ自身の意識でいえば,スヴィドリガイロフの妻のマルファのピストルを盗んでいたという過去の出来事は,このような仕方でしか示すことができなかったという面があります。これは小説内の時間経過を濃密にするための作為であったといえるでしょう。
 そしてもうひとつ,『罪と罰』というのは,雑誌の連載小説でした。そしてこの連載が始まった時点で,ドストエフスキーは小説の全体を書き終えていたわけではなかったのです。つまり実際の読者がこの小説を読み始めた時点では,小説の全体が完成していたわけではなく,その時点でもまだ小説は書き続けられていました。よって,たとえば小説の後半部分に入った時点で,この出来事については何らかの伏線を事前に示しておいた方がよかったとドストエフスキーが考えたとしても,もうすでに連載されてしまった部分にそれを書き足すということはできませんでした。これは『罪と罰』に限らず,このような形で部分的に連載されるような小説については一様にいえることですが,こうした小説そのものには,こういった物理的な理由による作為とか破綻というのが生じやすくなっているのです。夏目漱石の『こころ』の破綻も,それが新聞小説であったがゆえに生じた破綻であったとみることができます。それと同じように,『罪と罰』の作為も,それが雑誌の連載小説であったがゆえに生じた作為だったとみることができるのです。

 もしこの当時の日本の政府の判断の下に,未知のウイルスを規定するなら,おそらく今後も未知のウイルスが存在するということはありません。他面からいえば,未知のウイルスについての法律を適用する機会は訪れません。これは次のように説明することができます。
 何らかのウイルスによる感染が疑われるような感染症が,多くの人びとの間で流行したと仮定します。しかしこの段階では,あくまでも疑いなのであって,それがウイルス性の感染症であると決定することはできません。つまり未知であるか未知でないかをいう前に,ウイルスであるか否かが分からないのですから,ウイルスを対象とした法律が適用できる筈はありません。これは自明の理だと思います。
 それが確実にウイルス性の感染症であるということが判明するのは,そのウイルスが発見された後のことになります。しかしもしもそのウイルスが発見されたのであれば,同時にそのウイルスの組織の結合も発見されるということになるでしょう。そこでもしそれが発見されれば,それはウイルスではあっても未知のものではないというなら,未知のウイルスは人間にとって存在することが不可能だといわなければなりません。段階でいえば,ウイルスであるか否かが未知の状態があって,その後に未知ではない,あるいは同じことですが既知のウイルスであるという段階に移行するからです。
 もしも未知のウイルスというのをこのように規定しなければならないのであれば,未知のウイルスについて定められた法律に欠陥があることになります。その法律はその法律の下に生活する人びとに対して,一切の影響を与えることが不可能だということになるからです。ですからもしもこうした立場を採用するのであれば,その法律の条文を改正することに向けた努力をするべきでしょう。
 僕は法律は条文を柔軟に解釈するべきだと考えます。上述のように未知のウイルスを規定すれば,その法律は何の意味もないことは明らかですから,もしその組織構造が判明していたとしても,そのウイルスに対する効果的な予防法や医学療法が不明であれば,そのウイルスは未知のウイルスだと解釈するべきだと考えます。
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目的としての動機&緊急事態宣言

2020-11-20 18:59:09 | 哲学
 スピノザの哲学を説明する場合に,動機という語を使わない方がよいと僕が考える理由は,主にふたつあります。このうちのひとつは,動機という語が,日本語の文脈の中でどのように使われるケースが多いのかという点に関連します。
                                   
 僕たちが動機という語を用いるケースが多いのは,犯罪者が犯罪を犯す理由を説明する文脈の中でなのではないかと僕は推測します。少なくとも僕は動機という語に対して,そのようなイメージをもっています。そしてこの場合に動機というのは,犯罪者が犯罪を犯す目的と同一視される場合がります。必ずそうであるというわけではないのですが,同一視される場合がある以上,動機という語を用いてスピノザの哲学を説明するのは適切ではないだろうと僕は考えるのです。
 たとえば強盗犯が,遊ぶ金欲しさのゆえに犯行に及んだと仮定してみましょう。この仮定は無理がないものだと思いますし,同時にこの犯人が強盗を犯した動機を,日本語の文脈の中で説明していることも間違いないでしょう。
 このときその動機は,遊ぶための金が欲しいからだと説明されています。この場合,それを金が欲しいと解するにせよ,遊びたいと解するにせよ,その犯人の心情に適合させて解する限り,犯人の欲望cupiditasが強盗の動機になったと説明されます。欲望は基本感情affectus primariiのひとつであり,それは人間をある行為に向かわせる起成原因causa efficiensたり得ます。よってこのような説明をする限りでは,スピノザの哲学を説明するために適切であるといえることになります。スピノザの哲学では,原因というのが一律に起成原因を意味していて,かつこのように解される限り,この文脈における動機は,スピノザの哲学における原因と同一視することができるのです。
 しかし同じ文脈は,犯人は金のために,つまり金を目的として強盗に及んだと解される場合もあり得ます。この場合は金が動機を構成することになります。そしてそれは起成原因ではなく目的原因causa finalisです。つまりスピノザがいう原因とは異なるのです。よってこちらの文脈での動機という語を使ってスピノザの哲学を説明するのは不適切です。なぜならこの動機は,スピノザがいう原因とは異なっているがゆえに,第一部公理三によりその結果effectus,つまり強盗という犯行を説明することができないからです。
 このような観点があるために,僕は動機という語はスピノザの哲学の説明には相応しくないと考えるのです。

 主治医の答えは,なるべくであれば眼科医に言われた通りの間隔で検査をするのが好ましいというものでした。ただ,1ヶ月とか2ヶ月という単位であれば先延ばししてもいいのではないかというようにも言いましたので,僕もこれからの世の中の様子なども考慮して,いつ行くのかを決定することにしました。
 帰途に薬局に寄りました。インスリンも注射針も在庫がありました。帰宅したのは午後4時35分でした。
 4月8日,水曜日。この日の午前0時から緊急事態宣言が発効になりました。
 この宣言は,この日のこの時間に出されるということが,事前に宣言されていました。ただ,その宣言を出すということを事前に宣言する必要があるのなら,それが緊急事態宣言という名称で呼ばれるのは不自然であるように思います。宣言を出すということを事前に宣言することについては,様ざまな事情というものがありますから,僕は悪いことであるとは考えません。なので名称は非常事態宣言とでもする方がよいのだろうと思います。
 僕がこの時期に日本政府が実施した施策の中で,最も気になったのは,新型コロナウイルスは未知のウイルスではないので,未知のウイルスを対象とした法律は適用することができず,新型コロナウイルスのために新たな法律を作らなければならないとした点です。もしもこのような理屈を立てるのであれば,おそらく未知のウイルスを対象とした法律を適用する機会は,今後も訪れることはないでしょう。他面からいえば,僕たちにとって未知のウイルスなるものは存在しないことになるでしょう。
 新型コロナウイルスというのは,確かにその組織構成というものは判明していました。この点でそれは未知のウイルスではないとされたのです。ということは,これから発生するであろうどのような新型のウイルスも,その組織構成さえ判明すれば,未知ではないということになります。つまりそれがどのような感染力をもち,どのように対処すればよいのかということは未知であっても,構成さえ知られれば未知ではないということになるでしょう。実際に新型コロナウイルスは,そのような段階で未知のウイルスではないとされたのです。
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サンタアニタトロフィー&2020年4月の通院

2020-11-19 18:56:11 | 地方競馬
 昨晩の第41回サンタアニタトロフィー
 発走後の加速が抜群だったワークアンドラブがすぐさまハナへ。行きたがるのを宥めながらサンロアノークが2番手。3番手にハルディネロ。4番手にマイネルバサラ。5番手にアドマイヤゴッドでこの5頭が先行集団。2馬身差でスウィングビートとテルペリオンとキャプテンキング。9番手にコパノジャッキー10番手にグレンツェント。11番手にクロスケでこの6頭は一団。4馬身差でグリードパルフェ。3馬身差でトーセンブル。2馬身差でマイネルクラースとミキノトランペット。7馬身差でロードアルペジオ。前半の800mは48秒4のミドルペース。
 ワークアンドラブは3コーナーを回るとペースアップ。直線に入るところで後ろとの差を広げるとそのまま楽に逃げ切って優勝。2番手は直線半ばで7頭ほどが横一列。そのうち最も外にいたグレンツェントが抜けて6馬身差で2着。グレンツェントのすぐ内のコパノジャッキーが半馬身差で3着。離れた最後尾から大外を追い込んだロードアルペジオがクビ差で4着。
 優勝したワークアンドラブは昨年のマイルグランプリ以来の南関東重賞2勝目。その後は距離が長い,斤量が重い,逃げられないといった要因があり,勝てなかったのですが,ここはそれらの条件がすべて整い,圧勝となりました。逆にいえば,勝つためにはいくつかの条件が揃わなければならない馬だということになるでしょう。この開催は全般的に時計が早いのですが,それもこの馬には合っているのかもしれません。母の従弟に2015年に佐賀記念とマーチステークスを勝ったマイネルクロップ
 騎乗した大井の笹川翼騎手は埼玉新聞栄冠賞以来の南関東重賞9勝目。サンタアニタトロフィーは初勝利。管理している大井の荒山勝徳調教師は南関東重賞24勝目。第40回からの連覇でマイルグランプリ2勝目。

 僕の診察の予約時間は午後3時です。それが3時10分に診察が始まったのですから,ほとんど予定通りといっていいでしょう。午後3時といっていますが,予約票に書かれているのは午後3時から3時半なのですから,3時半に開始になったとしても,それは予定通りであるということができるからです。つまりこの日のO先生の診察を受ける患者は,すべてO先生と初対面だった筈ですが,それでも診察の時間が大幅に伸びるようなことはなかったということになります。
 サマリーの結果から判明したのは,朝の血糖値が平均的に高いということです。これは寒い時期には例年のことです。HbA1cは8.0%でした。3月は結果が分かりませんが,1月と同じ数値です。そのときにいったように,この値まで上昇するのは久しぶりであり,これは高い数値です。一方,低血糖は0にすることはどうしてもできないのですが,全体の中では2.6%で,それほど高いわけではありません。なので,持続効果型のインスリンであるトレシーバの注射量を,0.01㎎増量するという措置が採られることになりました。この日はこれ以外には何も異常が出ていませんでした。これも3月は分からず,1月と同じです。
                                   
 最後に,僕の方からひとつ質問をしました。
 この日,中央検査室で採血をするところでは,これまでと相違がありました。採血は何人かが同時にすることができるのですが,その間にそれまでにはなかった間仕切りがつけられていたのです。これはおそらく新型コロナウイルスの感染を防止するための対策だったと思われます。
 新型コロナウイルスへの感染に対してどのような状況が危険度が高いのかということは,この時期には十分に分かっていました。もちろんそれは不特定多数の人間が,換気がよくない場所に,長時間にわたって密集するということです。僕は日常生活の中では基本的にそのような機会はありません。そして最も危険に思えたのは,眼科検診でした。僕が行くO眼科はいつも混雑していて,待ち時間も長かったのです。本来の間隔なら,この4月のうちに検診を受けなければなりません。しかしこうした時節なので,延期してもよいかを尋ねたのです。
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ハイセイコー記念&入出の整理

2020-11-18 18:47:11 | 地方競馬
 全日本2歳優駿トライアルの昨晩の第53回ハイセイコー記念
 パストーソの枠入りには時間を要しました。グランニコラシカは立ち上がるような発馬で1馬身の不利。発走後の正面ではジョーロノとアランバローズが並んでいましたが,コーナーワークでジョーロノが単独の先頭に立ち,アランバローズが2番手に。3番手はタブラオとパストーソで併走。5番手にランリョウオー。6番手にマカベウスとグランニコラシカ。この7頭は集団。3馬身差でサッキールビアノ。3馬身差の最後尾にフォルメッシという隊列。前半の800mは50秒8のスローペース。
 3コーナーを回ると内を回ったランリョウオーが3番手に上がり,パストーソは後退。タブラオも後退し,3番手と4番手以降との差が3馬身ほどに。ペースがスローだったこともあり,ここからは前の3頭の争い。2番手からアランバローズがジョーロノの前に出るとジョーロノは一杯。ランリョウオーは直線では外に出してアランバローズを追いましたが,差は詰まらず,先に抜け出したアランバローズが優勝。ランリョウオーが1馬身半差で2着。ジョーロノは3馬身半差の3着。
 優勝したアランバローズはこれでデビューから4連勝。ゴールドジュニアに続いての南関東重賞2勝目。ゴールドジュニアのレース内容から,僕は距離の延長にはやや不安があったのですが,しっかりと2番手で押さえることができたので,ここも勝ちきりました。このレース内容は前走よりも格段に進歩したという印象です。本質的にはスピードタイプかと思いますが,この分ならさらなる距離の延長にも対応は可能なように思います。鎌倉記念と平和賞を好走してきた馬たちを破っての優勝ですから,南関東生え抜きの2歳馬の中では,現時点ではトップにいるとみてよいでしょう。母の父はステイゴールド
 騎乗した船橋の左海誠二騎手はゴールドジュニア以来の南関東重賞50勝目。ハイセイコー記念は初勝利。管理している船橋の林正人調教師は南関東重賞17勝目。こちらもハイセイコー記念は初勝利。

 昨年の4月に,日中の通所施設を変更する際の説明会で,なるべくであれば通所施設の作業の開始時刻に間に合うように送ってほしいという解答が,Tさんから僕にありました。もしもそうするためには,僕たちはそれまでよりも早く家を出なければなりません。しかしその後に確認したところでは,それまで通りで構わないということでしたので.僕たちはそれまでと同じ時間に家を出ています。つまり通所施設に到着する時間も,それまでとは変わっていません。到着するのは概ね10時10分くらいです。この時間には通所施設では作業が始まっています。僕が送っていくのは大概は月曜日で,月曜は朝に礼拝を行うのですが,僕たちが到着した時間にはすでにその礼拝が始まっているわけです。ですから僕たちが行く時間帯に,通所施設の敷地の入口の所に,通所施設の職員がだれも存在していないというのは,当然といえば当然のことです。僕はそういう時間帯に送っていったことがないのではっきりとしたことはいえませんが,もしも開始時刻に間に合う時間帯であれば,やはりだれかがそこに立ち,入出の整理にあたっているのかもしれません。
 僕はこの日は午後から内分泌科通院でした。
 病院に到着したのは午後2時10分です。中央検査室ではだれも待っていませんでしたから,採血をしてから採尿をし,注射針の処理を済ませました。
 診察が開始されたのは午後3時10分でした。この日から主治医が交代し,O先生になりました。おそらく30代前半の男の医師です。主治医が交代するときは,診察まで時間が掛かるケースが往々にしてあります。主治医が交代するのは僕だけではなく,僕の以前の主治医の診察を受けていた患者はすべてこのO先生に主治医が変更になります。つまりO先生が担当する患者はそのすべてがO先生と初めて顔を合わせることになります。前の主治医の退職が3月末ですから,O先生がここで診察を始めたのは4月からです。まだ6日ですから,おそらく患者のすべてがO先生と初の顔合わせだったでしょう。この場合は初診に近い面があり,診察時間が長引く要素があります。なので僕はこの日は遅くなることも覚悟していました。
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シュリリー&給与の受け取り

2020-11-17 19:16:15 | 血統
 キョウエイマーチの輸入基礎繁殖牝馬は,キョウエイマーチの7代母にあたる,1925年にオーストラリアで産まれたシュリリーという馬です。ファミリーナンバー7-d
                                       
 戦前に輸入された馬ですから,僕の競馬キャリアが始まる前にも,多くの大レースの勝ち馬が出ています。その中に,牝系の発展に寄与した牝馬がいます。1953年に天皇賞(秋)を勝ったクインナルビーがその馬。キョウエイマーチもこのクインナルビーの子孫にあたります。ほかにクインナルビーの子孫からは,僕の競馬キャリアの直前になる,1984年と1985年にJRA賞の最優秀ダート馬に選出されたアンドレアモンがいます。そしてクインナルビーの子孫の中で最も代表的な馬というのは,こちらは僕の競馬キャリアが始まった後,キョウエイマーチよりは前に走り,JRA賞では1984年に最優秀3歳牡馬,1985年に特別賞,1986年に年度代表馬に選出され,1991年には殿堂入りしたオグリキャップということになるでしょう。オグリキャップの6つ下の半妹となるオグリローマンは,1994年に桜花賞を勝っています。
 キョウエイマーチ以降,重賞を勝ったクインナルビーの子孫,あるいはシュリリーの子孫はレディスプレリュードマルシュロレーヌが初めて。南関東重賞の勝ち馬は1頭いて,2002年にニューイヤーカップを勝ったトキノアジュディです。
 クインナルビーを経ないシュリリーの子孫にも,僕の競馬キャリア内で大レースを勝った馬がいます。1991年にロースステークスを勝った後,エリザベス女王杯も勝ったリンデンリリーです。リンデンリリーがエリザベス女王杯を勝った日は,僕は文化祭のために大学にいて,よく覚えています。リンデンリリーの産駒であるヤマカツリリーは,2003年にフィリーズレビューを勝ちました。
 一族の活力という点ではもう衰えてきているとみていいかもしれません。それでも分枝はそれなりにありますから,活躍馬が出る可能性が皆無というほどではないでしょう。

 3月30日,月曜日。妹を通所施設へ送りました。
 4月2日,木曜日。午後6時50分に,地域担当支援主任のSさんから電話がありました。妹の給与については,通所施設の事務に預かってもらっているので,迎えに行ったときにそれを受け取ってほしいという内容でした。
 4月3日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。妹を迎えに行ったときは,必ず通所施設の妹の担当者であるWさんが僕のところまで妹を連れてきます。例外は,Wさんが何らかの事情で通所施設を休んでいるという場合だけなので,そのようなケースはほとんど生じません。このときに連絡帳を受け取り,グループホームから外出するための書類に僕がサインをします。この日はいつも通りのこの一連の作業の後に,前夜の電話にあった妹の給与に関することをWさんに尋ねました。ただWさんはこの事情は知らなかったようです。つまり僕は本来は事務の職員にこのことを尋ねるべきだったのであって,前夜のSさんの電話の内容の本来の主旨はそのようなものであったのでしょう。事務の職員と担当の職員の間では当然ながら業務の内容には大きな差があるのであって,担当の職員がそれを知らなかったとしても不思議ではありませんが,僕はこのときにはそのことに思い至らなかったのです。Wさんがこのことを施設長であるTさんに伝えてくれ,僕はTさんから妹の給与を受け取りました。Tさんは施設長なので出張などもあり,施設に不在ということも少なくはないのですが,もし施設にいる場合は,この時間帯,すなわち午後に保護者が利用者を迎えにくる時間帯には,施設の敷地の出入口のところにいます。保護者の中には自家用車で利用者を迎えにくる人が少なからずいて,その自動車が敷地に出入りするのを誘導しています。この日もそうで,僕は徒歩ではありますが,当然ながらその出入口から敷地に入るわけですから,事前に会っていました。もちろんこのことはこの日に限らずいつでもそうですし,帰るときは妹も会うことになります。
 4月6日,月曜日。妹を通所施設に送りました。僕が妹を送っていく時間帯には,通所施設の出入口にはだれもいません。
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天才の考え方&社長の要望

2020-11-16 18:57:35 | 将棋トピック
 将棋関係の書籍の紹介。9冊目となる今回は,加藤一二三と渡辺明の『天才の考え方』です。今年の4月に中央公論新社から発売されました。
                                        
 5部構成になっています。第1部が渡辺明の思考法①で,これは渡辺が書いたもの。第2部は加藤一二三の思考法①で,こちらは加藤が書いた部分です。第3部は対談。加藤と渡辺の対談です。第4部が渡辺明の思考法②で第5部は加藤一二三の思考法②。それぞれ渡辺と加藤が書いたもので,これは対談を受けて書かれたものと推測されます。対談がいつ行われたのかは定かではありませんが,この中で昨年の11月の王将戦挑戦者決定リーグ戦で,広瀬章人八段が藤井聡太七段(当時)を破って挑戦権を得た将棋に関する言及がありますから,たぶん今年に入ってからのことでしょう。
 各々の部にはサブタイトルがつけられています。第1部は「天才の準備の仕方」。第2部は「天才は過去も未来も気にしない」。第3部は「天才の運とツキを考える」。第4部は「天才はそこに「解」があるかを考える」。第5部は「天才が考えるライバル論」です。当然ながらそのサブタイトルに沿った事柄が書かれまた話されているわけですが,必ずしもそれだけではなく,直接的にいうならそれとは無関係であるようなことも書かれたり話されたりしています。サブタイトルは初めからあって,それについて書いたり話したりするという依頼があったのではなく,書かれたものや話されたことを総括して,後につけられたものなのかもしれません。ですから各部のサブタイトルについては,さほど気にしない方がいいかもしれません。
 加藤の『羽生善治論』と同様に,だれが「天才」について語る資格があるのかということは,この本の場合にも問題になるかもしれません。ただ,加藤がそれについて語る資格があるということは,『羽生善治論』を著述する資格があるというのと同じ理由によって成立します。一方,対談の中で加藤は渡辺について,天才であると思っていると発言しています。したがって加藤が「天才」について語る資格を有しているのと同じ意味で,渡辺もその資格を有しているということになるでしょう。

 もう一点,役所への手続きをする際には墓の名義人,すなわち父のきょうだいの長男である,僕の伯父の実印と印鑑証明が必要になるとのことでした。ただ,役所への手続きというのは,遺骨を移す日時が決定してから,社長の方で実施することになっています。したがって次に何をなすべきなのかということははっきりとしていて,それは日時を決定するということでした。この決定については,社長の方から要望が出されました。それは,日時の決定後に役所への手続きを済ませ,その前に伯父の実印と印鑑証明が必要になってくるということ,また,遺骨をきれいな状態で渡すためには一定の期間にわたって乾燥させる必要があるという二点を踏まえ,日時の決定後に三週間から四週間ほどの余裕が欲しいということでした。つまり,日時は僕たちで決定するわけですが,そのときに,たとえば来週に移すというような決定は避けてほしいというのが具体的な要望の内容です。これについては了承しました。
 ただ,日時を決定するのには問題がありました。彼岸会が簡略化されたように,新型コロナウイルスの影響によって,お寺では人が集まるような儀式,たとえば御講のような儀式を,この時期には実施していなかったからです。もちろん通夜や葬儀,法要といったものは実施していたのですが,それ以外の,必ずしもその時期にやらなくてもいいような儀式については,すべて先送りしていたのです。遺骨を移すということも,必ずしもすぐに実施しなければならないことであるというわけではなく,先送りしても構わないことだといえます。ですからこちらからもこの時期にはお寺に対して依頼しにくかったのです。なのでそうしたお寺の事情については僕の方から社長に伝え,もしかしたら実行するのはかなり先のことになる可能性もあるということを了承してもらいました。
 3月27日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 3月29日,日曜日。午後1時10分にグループホームの職員,昨年度までの妹の担当者から電話がありました。これは週末の予定の確認でした。この週のうちに年度が変わるので,確認が必要になったものです。
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