スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

竜王戦&欲望の原因

2021-08-31 18:58:05 | 将棋
 昨日の第34期竜王戦挑戦者決定戦三番勝負第二局。
 藤井聡太二冠の先手で相掛かり。後手の永瀬拓矢王座が横歩を取る将棋になり,早い段階で戦いに突入しました。
                                        
 先手が桂馬を跳ねた局面。後手は☗9四歩を受けて☖7四飛と引きました。ただこの位置に飛車を引くのは危険な意味もあったようです。
 すぐに☗8三角と打つのも有力ではあったようですが,先手は成算が持てなかったため☗4八王と上がりました。
 ここで☖8八歩と打ったのですが,この手が敗着級の手になってしまったようです。☗同金☖1四角☗6五飛☖6九角成☗7八銀☖7九馬で馬を作りましたが,金取りを無視して☗8三角と打たれました。
                                        
 後手は駒得は見込めるのですが,先手玉がやや遠く,攻め合って勝つのが難しくなりました。
 連勝で藤井二冠が挑戦権を獲得。竜王戦七番勝負には初出場。第一局は10月8日と9日に指される予定です。

 第五部定理二八第三種の認識cognitio tertii generisでものを認識しようとするといわれている欲望cupiditasは,第二種の認識cognitio secundi generisから生じるとされています。僕たちがあるもの,たとえばXを認識するcognoscereということは,僕たちの精神mensのうちにXの観念ideaが生じるという意味です。そして,第二種の認識でXを認識するという場合は,このXの観念は十全な観念idea adaequataです。第二部定理三八第二部定理三九の様式で僕たちの精神のうちに形成される共通概念notiones communesが第二種の認識の基礎となるのであり,この共通概念が十全な観念であるということはこれらの定理Propositioから理解できます。かつこの共通概念が基礎となって何らかの事柄が認識されるなら,それは第二部定理四〇の様式で僕たちの精神のうちに発生するのですから,それもまた十全な観念です。つまり第三種の認識で事物を認識しようとする欲望は,十全な観念からは生じ得ると,第五部定理二八はいっていることになります。一方,この定理でいわれている第一種の認識cognitio primi generisは,事物の混乱したあるいは毀損した認識のことを意味するのですから,僕たちが第一種の認識であるものたとえばXを認識するということは,僕たちの精神のうちにXの混乱した観念idea inadaequataが発生するということを意味します。したがって第三種の認識で何事かを認識しようとする欲望は,混乱した観念からは生じ得ないということも,第五部定理二八はいっているということになります。
 ここで再び第三部定理一に注意すれば,僕たちは働きを受けるpatiことによって事物を混乱して認識し,働くagereことによって事物を十全に認識するのですから,要するに,僕たちが働きを受けているうちは事物を第三種の認識で認識する欲望は発生し得ないけれど,僕たちが働いている場合には,そうした欲望が発生し得るということが理解できます。したがって,第三種の認識で事物を認識することへと向かう欲望というのは,それ自体が働きを受けることによって生じる欲望なのではなくて,僕たちが働くことによって生じ得る欲望であるということになります。あるいは同じことですが,それは僕たちの受動passioからは絶対に生じることがない欲望なのであって,僕たちの能動actioからのみ発生し得る欲望であるということになります。
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勧善懲悪&解釈の弱点

2021-08-30 18:51:02 | 歌・小説
 『坊っちゃん』という小説は,勧善懲悪の小説であるという形容をされることが多いです。作者である夏目漱石に,善を勧め悪を懲らしめるということを読者に推奨するという意図があったかどうかは分かりません。ただこの小説は,少なくとも表面上は善が悪を懲らしめるというストーリーになっていますので,読後に爽快感や痛快な気持ちを得られるという側面があるということは事実です。
                                        
 登場人物の中で善を代表するのは主人公の坊っちゃんであり,また坊っちゃんと協力する山嵐です。悪を代表するのが赤シャツでありまた赤シャツに阿諛追従する野だいこであるといえるでしょう。実際のところ,坊っちゃんや山嵐がそれ自体で善なる人物というようには読めないかもしれませんが,赤シャツや野だいこは権力を用いて邪魔な教員を排除するような策略をする人物ですから,それ自体で悪を代表すると読解することができます。坊っちゃんや山嵐が善を代表すると読むことができるのは,赤シャツや野だいこのそういうやり方に義憤を感じ,その義憤を実行に移すからなのであって,もしも赤シャツや野だいこが存在しなかったとしたら,このふたりが善とみなされることはないかもしれません。とはいえ善悪というのは比較上の概念であって,悪があるから善があると認識されるのですし,逆に善があるから悪が認識されるのですから,坊っちゃんや山嵐が善を代表しているというのは誤りではないと思います。
 ただこれだけでは善なるものと悪なるものが存在するというだけであり,勧善懲悪であるとはいうことはできません。『坊っちゃん』が勧善懲悪の小説であるといわれるのは,実際に坊っちゃんと山嵐が赤シャツに鉄拳制裁を加えるからです。鉄拳制裁という方法のよしあしについては判断の相違が生じるでしょうが,それが物語の中の出来事であるとみるなら,このことが,単に善なるものと悪なるものが存在している小説であるというだけでなく,勧善懲悪の小説,善が勧められ悪が懲らしめられている小説であるといえるでしょう。
 ただしこれはあくまでも表面上のストーリーです。勧善懲悪であることは間違いないのですが,善が全面的に肯定され,悪が全面的に否定されているというのとは少し違う面もあるといえます。

 第五部定理二八は,ある事柄に関して第二種の認識cognitio secundi generisを蓄積していくことによって,その事柄を第三種の認識cognitio tertii generisで認識するcognoscereことの呼び水になるという意味をもっているとみることができます。ただしこの解釈には,ひとつだけ弱点があるのも事実です。
 第三部諸感情の定義一は,現実的に存在する人間が働きを受けるpati限りで,その人間の現実的本性actualis essentiaは欲望cupiditasであるというようにいっています。しかるに,現実的に存在する人間が働きを受けることによって何事かを認識するということがあるとしたら,この人間の知性intellectusのうちに生じるその観念ideaは混乱した観念idea inadaequataです。このことは第三部定理一から明らかです。具体的にいうなら,第二部定理一七の様式で僕たちの身体corpusが外部の物体corpusからその物体の本性を含むような刺激を受けるaffici,つまり働きを受けると,僕たちの精神mensはその外部の物体を現実的に存在すると認識する,つまり現実的に存在するその物体の観念が僕たちの知性のうちに生じるのですが,これは僕たちが働きを受けることによって僕たちの知性のうちに生じる観念ですから,その物体の十全な観念idea adaequataではなく,混乱した観念です。これは第二部定理二五から明らかです。
 一方,人間の精神mens humanaが第二種の認識で何かを認識する場合および第三種の認識で何かを認識する場合には,その人間の精神のうちに生じる何かの観念というのは,混乱した観念ではなく十全な観念です。いい換えれば,僕たちが働きを受けることによって僕たちのうちに生じる観念なのではなくて,僕たちの精神が働くagereことによって生じる観念なのです。したがって,これを僕たちの現実的本性という場合に,欲望が人間の現実的本性であるということに依拠することは不適切であるとみることができます。もちろん僕たちは第二種の認識や第三種の認識で何事かを認識するということはあるのですから,それが僕たちの現実的本性に属するということは間違いありません。それを欲望に依拠して考えてよいのかということが,いい換えればその点だけが,問題となってくるのです。
 まずこれについては,第五部定理二八で第三種の認識に向う欲望といわれるとき,その欲望というのが何を意味するのかを考えます。
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北条早雲杯争奪戦&第五部定理二八の意味

2021-08-29 19:37:24 | 競輪
 小田原記念の決勝。並びは守沢‐佐藤の北日本,松井‐田中の南関東,清水‐柏野の山陽,佐々木‐久米の四国で石塚は単騎。
 松井がスタートを取って前受け。3番手に守沢,5番手に清水,7番手に佐々木,最後尾に石塚で周回。残り3周のホームから佐々木がゆっくりと上昇。バックの出口で松井を叩きました。3番手に守沢がスイッチし,清水が5番手。7番手に石塚で引いた松井が8番手という一列棒状の隊列に変化。残り2周のホームから清水が発進。バックで佐々木を叩きました。守沢がまたスイッチしようとしましたが,叩かれた佐々木が引かなかったので,3番手は内に佐々木で外に守沢,その後ろも内の久米と外の佐藤で併走。石塚はこの後ろに。引いた松井は打鐘から発進。清水が自ら牽制にいきましたが,ホームで乗り越え,かまし先行に。田中と清水の車間が少し開いてしまい,優勝争いは前のふたり。田中はやや車間を開けて後ろを気にしながらの走行となり,直線から差を詰めにいきましたがさすがに届かず,逃げ切った松井が優勝。マークの田中が1車身差の2着に続いて南関東のワンツー。清水を抜きにいった柏野の外から伸びた守沢が2車身差で3着。柏野が4分の3車輪差の4着で清水は微差の5着。
 優勝した神奈川の松井宏佑選手は昨年末のヤンググランプリ以来の優勝。記念競輪は一昨年12月の別府記念以来の2勝目。このレースは本命が清水で対抗が松井。勝負所で先行争いになりましたが,あっさりと決着をつけたことで,松井ラインが有利になりました。離れてしまう心配もありましたが,きちんと続いた田中も松井が逃げ切ってよいというようなレースをしましたので,その援護も大きかったと思います。

 第五部定理二八は,第三種の認識cognitio tertii generisに向う努力conatusないしは欲望cupiditasが,第二種の認識cognitio secundi generisから生じることができるといっています。ここでは努力と欲望が等置されている点を考えなければなりません。
                                   
 スピノザの哲学では欲望は,第三部諸感情の定義一から分かるように,人間が働きを受けるpatiと考えられる限りにおいて,その人間の本性natura humanaを意味します。第四部定理四系から分かるように,人間は現実的に存在する限りは常に働きを受けます。したがって欲望というのは,現実的に存在する人間にとっての本性を意味する,いい換えれば人間の現実的本性actualis essentiaを意味すると解することができます。
 次に,スピノザが努力というとき,これはコナトゥスconatusを意味します。第三部定理七から分かるように,コナトゥスというのはそれ自体が各々の事物の現実的本性を意味します。いい換えれば現実的に存在する事物の本性そのものです。おそらく第五部定理二八で努力と欲望が等置されているのは,この観点からであると考えられます。つまりそれらは人間の,あるいは人間の知性intellectusの現実的本性として等置されていると考えられるのです。
 すると第五部定理二八は,第二種の認識によって第三種の認識が現実的本性となることができるという意味に解することができるようになります。つまり人間の知性において,第二種の認識によって第三種の認識が現実的本性となるということをこの定理Propositioはいっていると解することができるのです。しかるに,第三種の認識がある人間の知性の現実的本性となるということは,その人間が現実的に第三種の認識によって何らかの事物を認識するcognoscereということにほかなりません。この定理は必ずそのようになるといっているわけではなく,そうなることができるといっているのですから,ある事柄を第二種の認識で認識すれば,それを第三種の認識で認識するようになるというわけではなく,あくまでもそうなるケースがあると解さなければなりません。しかしそうなるケースがあるのなら,第二種の認識の蓄積,近藤のいい方に倣うなら知識のストックが,それを第三種の認識で認識することの呼び水になり得るということを,この定理は意味していると考えられるのです。
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認識の裁量&知識のストック

2021-08-28 19:11:29 | 哲学
 僕が人間には自ら放棄したり他者に譲渡することができない思想の自由と良心の自由があるというとき,おそらく次のような疑問を持つ人がいるのではないかと思います。
                                   
 僕は第二部定理一七の様式で人間の精神mens humanaが外部の物体corpusを現実的に存在すると知覚するpercipereとき,それはその人間の精神の思想の自由libertasあるいは良心の自由に該当し,かつそれを放棄したり譲渡したりすることはできないといいました。人間が現実的に存在する限り,その人間の身体humanum corpusが外部の物体の本性naturaを含む仕方で刺激を受けないということは不可能であり,いい換えれば現実的に存在する人間は必ず外部の物体の本性を含む仕方での刺激を受けるafficiのであって,この様式である人間の身体が刺激を受けると,その人間の精神は必ずその物体が現実的に存在すると知覚するからです。しかし,もしもそれが必ず知覚されるような認識cognitioであれば,それを自由という観点から言及することはできないという考え方があり得ます。なのでこの種の疑問が生じる余地があることは僕は認めます。
 この点に関しては,そもそも僕がこの自由というのを,哲学的な概念notioとして解しているということが,一定の解答とはなるでしょう。ただ,このような疑問をもたれる方は,もし人間に思想の自由なり良心の自由というものがあるとすれば,それはある事柄を認識するcognoscereか認識しないのかということが,それを認識する人間の精神の裁量に属する場合についていわれ得るのであって,もしある事柄がそのような裁量とは関係なく,必然的にnecessario認識される場合には,その事柄は思想の自由や良心の自由の範疇には含まれないというような考え方をしている場合があるので,その点については反論しておきたいのです。
 何を認識し何を認識しないのかということについて,人間の精神が裁量することができるのであるとすれば,それはその人間の精神には自由意志voluntas liberaがあるということを意味しています。意志作用volitioとは観念ideaが観念である限りにおいて含む肯定affirmatioないしは否定negatioを意味するのであって,認識するとかしないということは肯定と否定にほかならないからです。僕はこのような意味での自由意志が人間の精神にあるということを認めません。

 近藤の学習方法の中で,解説を読むというとき,それは単に文章を読むということを意味しているわけではなく,書かれている内容を理解するということを意味しています。そして解説は第二種の認識cognitio secundi generisに基づいて記述されています。つまりこの作業がスピノザの哲学の文脈で意味していることは,数学のある分野のある特定の問題について,その解答の導き方を,近藤が第二種の認識で理解するということです。そして近藤は同じ作業を,同じ分野のほかの問題についても行い,この作業を何度も何度も繰り返していくわけです。したがって,この訓練を継続しているうちに,近藤の知性intellectusのうちには,ある分野の問題の解答を導くための第二種の認識が蓄積されていくことになります。近藤自身はこのことを,知識のストックといういい方をしています。つまり近藤が自著で知識のストックというとき,それはスピノザの哲学では,第二種の認識の蓄積を意味するのです。
 近藤はこの学習方法を続けているうちに,その分野の問題の解答を,問題を一瞥しただけで導き出せるようになったのです。これもスピノザの哲学の文脈で説明するなら,近藤はその分野の問題を第三種の認識cognitio tertii generisで答えられるようになったということです。一瞥して答えを導き出せるというのは,第二種の認識に頼らずに答えを導き出せるということを意味します。スピノザの哲学では認識は三種類に分類されますが,正解を導き出せるのは第二種の認識と第三種の認識だけであって,第二種の認識に依拠しないのであれば,それは第三種の認識にほかならないからです。実際に第三種の認識は直観scientia intuitivaといわれるのであり,それは問題を一瞥しただけで答えを出せるというあり方に当て嵌まります。
 したがって近藤の知性のうちで何が生じていたのかといえば,ある特定の分野で第二種の認識が蓄積されることによって,その分野に関して第三種の認識が働くagereようになったということなのです。そしてこうしたことが実際に生じ得るということは,第五部定理二八から論証することができると僕は考えます。この定理Propositioは,文字通りに解すれば,第三種の認識に向う欲望cupiditasが,第二種の認識から生じるということになります。
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合理的な説明&効果

2021-08-27 19:12:46 | 将棋トピック
 僕は三浦九段が対局相手に疑義を与えるような不自然な離席をしたということは事実だと判断していました。このことは実際に告発が行われたことから明白だと判断したからです。また,その離席について三浦九段が,告発した棋士や調査した棋士を納得させるような合理的な説明をできなかったということも事実だったと判断していました。これも,その理由はともあれ,実際に処分が下されたということから明らかだと判断したからです。しかし,三浦九段に合理的な説明があり得たのかということについてはあまり考えませんでした。不自然な離席と合理的な説明について言及する場合,このケースに妥当する場合についても考えるべきなのであって,それについて考えなかったのは明らかに僕の落ち度であったと今は考えています。
 僕は三浦九段が対局相手に疑義を与えたというだけで,三浦九段自身に非があったといいましたし,現在でもそう考えています。しかし一方で,三浦九段がルールを犯したとは判断していませんでしたし,これについても現在でも同様の判断です。このとき,ルールに違反していないような離席について,合理的に説明することは,最初から無理であったという可能性を考えておかなければなりません。
 離席することが棋士の自由に委ねられている以上,棋士は何か特別な理由がなくても離席するという場合がある筈です。そのことについて後に離席の理由を尋ねられたとしても,曖昧にしか答えられないのは当然です。つまり,離席の理由を問われた場合の答えとしては,実際に三浦九段がそうしたように,身体を休めるためとか,あるいは気分をリフレッシュするためといったような,茫洋とした答えしかあり得ないとも考えられるのです。
 僕は三浦九段の解答,すなわち身体を休めるためという理由を,それが事実であると前提してすべてを判断していました。ですが実際にはそうではなく,離席の理由を問われた三浦九段は,そこに明確な理由があったわけではないので,とりあえず理由になりそうなことを答えたのにすぎなかったのかもしれません。もちろんこれもそうであったと断定できるものではありませんが,離席の理由に対する三浦九段の解答を,そのまま真に受けるのは実は危険かもしれないということは,その時点で考えておくべき事柄でした。

 近藤の学習方法が特別なもの,あるいは独自のものであったのは間違いありません。しかしこの学習方法を繰り返しているうちに,近藤は問題を一瞥しただけで答えを導き出すことができるようになったのですから,効果は覿面であったといえます。実際に新しい単元なり分野なりに入ったばかりの時点で行われるテストは,近藤には敵わない相手,再び近藤の表現を借りれば頭のキレる子がいたのですが,その分野や単元が終了した時点で行われるテストでは,近藤はだれにも負けませんでした。つまり近藤はこの独自の学習方法を継続することによって,だれよりも数学,もう少し限定的にいえば,数学のある分野なり単元なりについて,それをこなすことができるようになったのです。
                                        
 このときに近藤の知性intellectusのうちに生じた現象について,スピノザの哲学の文脈から僕が説明します。
 近藤の学習方法は,問題を読んだらすぐに答えを見て,その答えがいかに導かれるかという解説を読むということを繰り返すものでした。このとき,読むというのは,文字通りにその文章を読むということを意味しているわけではなく,それを理解するということを意味しています。近藤は単に解説を読むとしか記述していませんが,実際に近藤がなしていたことは,それを理解するということだったと断定してよいと思われます。
 数学の問題からある答えがいかにして導かれるかという解説は,合論理的に書かれている筈です。これは数学というのが合論理的な学問であるということから明白でしょう。よってそれはスピノザの哲学でいえば,第二種の認識cognitio secundi generisに基づいて書かれているということになります。スピノザの哲学でいう第二種の認識は,共通概念notiones communesに基づく理性ratioによる認識のことですが,合論理的な認識というのはすべてそれに該当します。あるいは,数学というのが合論理的な学問であるという点に注意するなら,数学というのがそもそも第二種の認識に基づいた学問であるということができます。なのでその解説が第二種の認識に基づいて書かれているというのは,スピノザの哲学の文脈からは,きわめて当然であるとか,あるいはそれ自体で明らかであるといえることなのです。
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お~いお茶杯王位戦&学習方法

2021-08-26 19:10:08 | 将棋
 24日と25日に徳島市で指された第62期王位戦七番勝負第五局。
 藤井聡太王位の先手で相掛かり封じ手の4手後に後手の豊島将之竜王に一失があり,勝負が決まってしまう一局でした。
                                        
 第1図で☖7五銀と出たのがその手。☗9七桂と跳ねられて困ってしまいました。
 常識的には☖6六銀☗8五桂☖7七銀成☗同金と進むところです。ところがこの順は先手が飛車を取るのが大きく,すぐに後手が負けになってしまいます。よって☖8四飛と引いたのですが☗7五角と銀の丸損。この局面で無条件の銀損はひどく,ここから後手の攻めを先手が完全に受け切ったところで後手の投了となりました。
 後手は先手から☗4四角と取ってもらい,☖同歩と角を交換する手順を模索していたのだと思います。第1図で9筋の突き合いがなければ☖7五銀には☗4四角でしょう。このことが大きな見落としの遠因となったと推論します。
 4勝1敗で藤井王位が防衛第61期に続く連覇で2期目の王位となりました。

 新しい分野なり単元なりに出会ったとき,それを論理的に解く力というのを近藤は持っていませんでした。なのでそれを習った直後にテストをすると,近藤はクラスメイトに敵いませんでした。
 この部分は文章上の効果をいくらか狙ったような表現になっていると僕は読解します。近藤は,新しい単元や分野に出会ったとき,それを難なく自力で解く論理的能力を持っているクラスメイトについて,頭のキレる子,と表現していて,そういった友人たちに,習った直後の問題集やテストでは勝てなかったといっています。とはいえ数学に限定した学力でいえば,近藤のレベルはかなり上位ではあった筈で,たとえばそういう友人というのが,10人も20人もいたというようには考えにくいと僕は思います。実際には近藤が勝てなかった友人というのは,ひとりとかふたりだったという可能性もあると僕は解釈します。
 とはいえ,近藤が敵わなかった友人が存在したというのは事実です。そこで近藤はその差を埋めるための学習に取り組みます。この学習方法というのが,いささか変わっています。
 まずその単元なり分野なりの問題を読みます。問題を読んだら自力でそれを解くのではなく,すぐに答えを見ます。答えを見たら今度はその問題からなぜその答えが導かれるのかという解説を読みます。この作業が終わったら,今度は同じ分野の別の問題に取り組み,同じことを繰り返します。そしてそれが終ったらまた次の問題,というように,問題を読む,答えを見る,解説を読むという作業だけを延々と繰り返すのです。
 近藤は自身の数学の学習の仕方に特別のものがあると感じていた,という主旨のことをいっていました。これをみれば,確かに近藤がそのように感じていたとしても不思議ではないと思います。実際に近藤がしていたような学習方法というのは特別なもの,いい換えれば多くの人が採用するような学習方法ではありません。このことは単純にいって,学校の教員がこのような取り組みをするように指導することはないということから明白だと思います。
 この作業を繰り返すうちに,近藤は問題を読むとすぐに答えを出せるようになっていったのです。
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坊っちゃん&方法論

2021-08-25 19:15:43 | 歌・小説
 幕臣と維新の志士について,漱石が特定の思いを抱いていたということは,あくまでも推測であって,確定的にいえることではありません。ただ,そういう要素があると読めるような小説を漱石が書いているということは事実です。それが『坊っちゃん』です。なぜ『坊っちゃん』がそのように読むことができるのかということを説明する前に,僕は『坊っちゃん』についてはほとんど書いたことがありませんので,まず小説の概要を説明します。この小説は基本的に登場人物がニックネームで呼ばれますので,ここでもそれを踏襲します。
                                        
 東京で物理学校を卒業した坊っちゃんは,四国の中学に数学の教師として赴任します。近辺に温泉があり,これは松山と断定できます。松山での教師生活が小説で描かれ,多くのプロットが含まれていますが,ストーリーの中心をなすのは,教員間の人間関係です。
 教頭の赤シャツは,マドンナを巡るトラブル,要するに異性関係から,うらなりという教員のことを邪魔に感じます。そこで画策して,うらなりを延岡に転勤させます。うらなりが望んでそうなったとも読めますが,実質は赤シャツと,赤シャツに阿諛追従している野だいこの策略といって間違いありません。こうした赤シャツと野だいこのやり口にかねがね不満を感じていたのが,山嵐という教員でした。
 坊っちゃんと山嵐は坊っちゃんが赴任した当初は険悪な関係でした。しかしそれは,赤シャツと野だいこに自分が唆されていたからだということに坊っちゃんは気付き,関係を修復します。関係を修復したふたりは,意気投合し,赤シャツに鉄拳制裁を加え,物語は終了します。
 この小説は,坊っちゃん自身が書いているという構成になっています。よって坊っちゃんの意識が前面に出てきます。そこには地方人に対する強い差別意識が含まれます。さほど長くない小説なので読むのは簡単ですが,場合によっては不快に感じる方がいるかもしれないということは伝えておきます。

 経歴の中で触れておいたように,近藤は数学者を志していました。このことから理解できるように,数学は近藤にとっての得意科目だったのです。ただし自身の数学の学び方に関しては,どこはほかの人とは異なるもの,ある種の特別なものを感じていたと近藤はいっています。そしてそれは,自身の育った環境が影響していると分析しています。
 これも経歴でいったように,近藤の実家は塾を経営していて,父親が講師を務めていました。このことから,どのように学ぶのがよいのかということや,どのように教えるのがよいのかということに関して,早い段階から興味をもっていたそうです。これは確かに特殊といえると僕は思います。少なくとも,どのように教えるのがよいのかということは,実際に教える立場に立つ人間でなければほとんど考えることはないといっていいでしょうし,そうした必要がない限り,興味を抱くということもないでしょう。一方,どのように学べばよいかということは,どんな人間でも考えることがあるといえますが,それはたとえばある事柄について学び続けていく過程の中で,自身がある限界を感じたときに考え始めることがほとんどなのであって,学習の当初からどのように学ぶのがよいのかということは,興味をもつことがないとはいえないかもしれませんが,考えることはほとんどありません。というのもそのようなことは,実際にある事柄を学ぶことによってはじめて考えることが可能になるような内容であるといえるからです。
 近藤は実際に自身がどのような方法で数学を学んでいったのかということも説明しています。
 数学は学び続けていく過程で,ある新しい単元や新しい分野の問題に遭遇することがあります。このとき,その取り組みを楽々とこなしてしまう人もいれば,とても苦労してしまう人もいます。それはこの単元なり分野なりを自力で理解することができるか否かということと関係しているのであって,もしもそれを自力で理解することができれば,たとえ新しい単元や分野であったとしても,それを論理的に解いていくことができるのだと近藤はいっています。ですが近藤自身はそれはできなかったそうです。
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燦燦ダイヤモンド滝澤正光杯&経歴

2021-08-24 19:07:36 | 競輪
 松戸競輪場で行われた千葉記念の決勝。並びは吉田‐佐々木の東日本,渡辺に山口,松浦-岩津-藤岡の中四国,中川-荒井の九州。
 松浦がスタートを取って前受け。4番手に中川,6番手に吉田,8番手に渡辺で周回。残り3周のバックの入口から渡辺が上昇。バックの出口で松浦を叩きました。その後のコーナーで今度は吉田が上昇。ホームの入口で渡辺を叩いて前に。5番手に松浦,8番手に中川の一列棒状に。バックに入ると松浦が発進。吉田を叩いたところで打鐘。このラインに続いていた中川がそれを捲りにいきましたが,結果的に不発。渡辺もその後ろから捲りにいったもののやはり不発。そのままだれも前に出せなかった松浦が逃げ切って優勝。マークの岩津が4分の1車輪差で2着。さらに藤岡も4分の3車身差の3着に続いて中四国ラインの上位独占。
 優勝した松浦悠士選手はサマーナイトフェスティバル以来の優勝。記念競輪は5月の函館記念以来で12勝目。千葉記念は初優勝。この開催は松浦と新田の争いとみられましたが,新田が準決勝で敗退。このために決勝は脚力で明らかに上位となりました。打鐘から先行してそのまま逃げ切り,なおかつラインで上位を独占という結果でしたから,確かに脚力で圧倒的に勝っていたということになります。中川が捲ってきたために被ってしまったという理由はあるでしょうが,吉田はあまりに無策だったような気はします。

 日本式の麻雀についていえば,僕はルールは分かります。しかし自分で打つということはしません。ただし動画を視聴することはあります。麻雀の打ち方について何かを云々するわけではなく,あくまでも哲学的な考察をしますので,この程度の知識があれば十分だと思います。考察を進めていく中で,どうしても麻雀のルールについて触れなければならない場面が生じてきますが,そのときには僕が簡単に説明することにします。
                                   
 まず最初に,近藤誠一という人物がどういうキャリアを積んできたのか,いい換えればどういう人生を送ってきたのかということについて,理解しておかなければならない部分があります。その中に,哲学的考察にとって重要な部分がいくらか含まれているからです。
 近藤は1963年に兵庫県で産まれました。実家は私塾を経営していて,父が講師として教えていました。自身は数学者を目指していたようですが,静岡大学の工学部に進み,一時的に会社員となりましたが,そこは辞して大手の塾の講師になりました。その後に父の依頼で実家に戻って跡を継いで塾を経営したのですが,それからすぐに麻雀のプロになっています。
 まずこの経歴から理解できるように,近藤というのは基本的に理系の人間です。ですから哲学にはまるで関心などをもっていないでしょうし,スピノザという哲学者の名前も知らないであろうと思います。著書の内容も,数学の合論理性に基づく論理的な,あるいは科学的な説明によって近藤のいう直感,スピノザの哲学でいうところの直観scientia intuitivaという第三種の認識cognitio tertii generisについて語っています。おそらく哲学的な裏付けには近藤は何の興味ももっていないでしょうし,それを必要ともしていないと思われます。これはちょうどフロイトSigmund Freudが,精神分析学を構築するにあたって,哲学的な裏付けは不要であると考えていたのと同じことです。ですから僕は近藤がいっていることについて哲学的な考察をしますが,それは近藤の著書を補完しようという目的をもったものではありません。むしろ近藤の著書を利用して,スピノザの哲学とは,とくに第三種の認識というのはこのようなものであるということを説明することが目的です。
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叡王戦&麻雀 理論と直感力の使い方

2021-08-23 19:18:28 | 将棋
 名古屋で指された昨日の第6期叡王戦五番勝負第四局。
 豊島将之叡王の先手で相掛かり。藤井聡太二冠が先後同型に組んだのが拙かったようで,早々に差がついていたようです。
                                        
 先手が7筋の歩を突き捨てたところ。後手はこれ以前に手を変えるべきだったという感想が残っているので,すでに先手が有利です。なぜ有利なのかはここからの進捗ではっきりします。
 まず☗6五角と打ちます。飛車を逃げると☗9二歩と打たれて駒損になるので後手は☖6四角と打ち返しました。☗7四角☖8六角で飛車交換。角取りが残っているので☗5六角と逃げました。
 手番は後手なのですがさほど有効な手がありません。☖9六歩と突きました。先手は☗8四歩と打ち☖8二歩を強要させて☗9四歩。
                                        
 これで先手の駒得が確定。分かりやすく先手よしです。総じていえば先手の事前の準備に後手がうまく対応できなかったという将棋だったのではないでしょうか。
 豊島叡王が勝って2勝2敗。第五局は来月13日に指される予定です。

 5月13日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。妹はゴールデンウィークは自宅で過ごし,通所施設に送ったのは6日の木曜日でした。なので7日の金曜日は迎えには行かず,その週末はグループホームで過ごしていました。
 午後8時にピアノの先生から電話がありました。16日に予定されていたピアノのレッスンを,15日に変更したいとの申し出でした。了承しました。
 5月14日,金曜日。妹の歯科の通院でした。この通院がありましたので,この週は妹を木曜日に迎えに行ったのです。
 5月15日,ピアノのレッスンがありました。午後5時半の開始でした。
 5月16日,日曜日。この日に1冊の本を読み終えました。『麻雀 理論と直感力の使い方』というものです。
 僕は別に哲学関係の本やドストエフスキー,あるいは夏目漱石に関連した本だけを読むというわけではありません。このことは,将棋関係の本については何冊かの書評を書いているのでお分かりでしょう。そして将棋ばかりではなく,競馬なども含め,様ざまなジャンルの本を読みます。この本もそういったものの1冊でした。
 題名から分かると思いますが,この本は麻雀に関連した著作です。こうした類の本について詳しく紹介したことはないのですが,この本についてはある観点から触れておきたいのです。それが何かということも,おそらく題名から予測できるのではないでしょうか。理論と直感力といわれるとき,理論というのはスピノザの哲学でいうところの第二種の認識cognitio secundi generisを意味し,直感は直観scientia intuitiva,すなわちスピノザの哲学でいうところの第三種の認識cognitio tertii generisを意味するからです。著者は近藤誠一という麻雀のプロですが,内容を精読すると,確かにそれは第二種の認識と第三種の認識を明らかに意味していて,第三種の認識というのがどのような認識であるのかということについて,それが具体的なものとして示されています。要するに,第三種の認識というのがどのようにして人間の知性intellectusのうちに現れるのかということを,この本はわりと分かりやすく例示してくれているのです。
 こうした観点からの考察なので,麻雀について必要以上に詳しく書くことはしません。
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思想の自由と良心の自由&2021年4月の通院

2021-08-22 19:35:32 | 哲学
 生存権の範囲がどこまで広がるのかということを考察したときに例示した,第二部定理一七に依拠する知覚perceptioの例は,一般的には思想の自由libertasとか良心の自由といわれる概念notioに妥当します。ここでも僕はそれを,人間がなし得ることという意味での自然権jus naturaeの範疇で考えているのであり,法的な概念としていわれる場合の思想の自由や良心の自由と混同しないように気を付けてください。
                                   
 僕はある種の思想の自由や良心の自由が,生存権の一部を構成するといいます。しかしこのいい方が分かりにくいのであれば,ある種の思想の自由やある種の良心の自由は,現実的に存在する人間が,放棄したり譲渡したりすることができないような自然権の一部を構成すると僕は考えていると理解してもらえればいいです。一般的には生存権というのは,人間の身体humanum corpusに関連する事柄をいうのであって,人間の精神mens humanaに関連する事柄についてはいわないといわれれば,それは確かにそうであるということを僕は認めるからです。しかし一方で,僕は人間の精神に関連すると考えられる,思想の自由とか良心の自由というのも,実際には人間の生存権の一部をなす権利ないしは力potentiaであると考えているということにも,留意はしておいてほしいです。そもそもある人間の精神というのは,その人間の身体の観念ideaのことをいうのですから,もしある事柄が人間の身体の生存権の一部を構成するなら,その限りで同じことが人間の精神の生存権の一部を構成していると考えるべきだからです。他面からいえば,良心の自由や思想の自由の,少なくとも一部が人間の生存権の一部を構成するといわれるとき,そのときに人間の身体に生じている何らかの運動motusは,その人間の生存権の一部を構成するのです。
 このことは,岩波文庫版で旧版の117ページ,新版で140ページの,第二部自然学②要請三に依拠します。現実的に人間の身体が存在すれば,その身体は多くの物体corpusから多様な刺激を受けるafficiのです。いい換えればそうした刺激を受けずに存在するということは不可能なので,この力を人間は放棄したり譲渡したりすることはできません。しかるにこのときにそれがその物体の本性naturaを含む刺激であれば,その人間の精神はその物体が現実的に存在すると知覚するpercipereのです。これは認識cognitioなので思想の自由や良心の自由に該当し,かつ放棄することも譲渡することもできない力なのです。

 4月24日,土曜日。この日は土曜レクリエーションが予定されていました。なのでこの週は妹を迎えに行かなかったのですが,蔓延防止措置が適用されていたため中止になりました。つまり妹はずっとグループホームにいたことになります。
 4月26日,月曜日。内分泌科の通院でした。
 病院に到着したのは午後2時5分でした。中央検査室では待機している患者がいませんでした。すぐに採血をすることができましたので,その後に採尿をして,最後に注射針の処理をしました。
 診察が開始になったのは午後3時35分でした。事前に分かっていたことですが,この日から主治医が交代しました。
 HbA1cは7.4%でした。3月よりも低下していたことになります。低血糖は全体の4.6%で,夕食前と就寝前の時間帯に集中していました。割合でいうと,夕食前は全体の10.0%が低血糖で,就寝前は全体の9.1%が低血糖でした。3月の通院のときの低血糖は全体の1%でしたから,低血糖が増加した分だけ,HbA1cが低下したと考えられました。HbA1cは7.4%でも正常値よりはだいぶ高いですが,Ⅰ型糖尿病患者の場合には,正常値の範囲内に収まることが必ずしも好ましいことではありません。このときの値でいっても,HbA1cが低下したというのはそれ自体ではよいことであったとしても,その原因が低血糖の増加によるものであるなら,むしろ身体にとっては負担が大きく,好ましい現象とはいえないのです。なのでこのうち,就寝前の低血糖は減少させようということになり,夕食前に注射している超即効型のインスリンであるヒューマログの量を,0.01㎎減らすことになりました。前夜までは0.09㎎を注射していましたので,この日の夜からは0.08㎎の注射になったということです。
 この日もこれ以外には何も異常が出ていませんでした。これは3月に続いてのことになります。
 薬局にはインスリンも注射針も在庫がありました。帰宅したのは午後5時5分でした。
 4月30日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 5月6日,木曜日。ゴールデンウィークが明けたので,妹を通所施設に送りました。
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不自然な離席&生命保険

2021-08-21 19:08:57 | 将棋トピック
 約束しておいた通り,吟味を先に進める前に,不自然な離席と合理的な説明という記事で書いたことの意味を,詳しく説明しておきます。
 まず,最初に書いてあるのはその記事が書かれた時点での判断材料です。繰り返しになりますが,こうした判断材料だけが,後に吟味を進めていく上でも役に立ちます。
 第三段落と第四段落,すなわち非合理的な離席について述べているのは,一般論です。したがって,三浦九段がこの要件に該当すれば三浦九段の離席は非合理的な離席になるといいたいのではありません。だれであれこの要件を満たす離席をする棋士がいれば,その棋士の離席は非合理的な離席とみなされるということを意味しています。同様に,三浦九段の離席がこの要件を満たしていなければ,三浦九段の説明は合理的であるということをいいたいのではなく,一般にこの要件を満たさないような離席については,非合理的な離席であるとは認めないということを意味しています。この点は現時点でも同じ考えです。
 第五段落で,三浦九段に非があるといっている点も,僕は現在でも同様に考えています。ただしこの点はこの記事でもいわれている通り,職業観に由来するものですから,争うことはしません。たとえそのような離席をしていたとしても,三浦九段には非はないという見解もあり得るということには同意します。その後に処分について述べている部分については,どのような処分が妥当であるかということについては判断しないといっていますが,実際には厳重注意のような処分はあるべきだといっていることから容易に類推できるように,もしも実際の処分,すなわち2016年中の対局を不戦敗にするという処分が,離席に対するものであったとすれば,重すぎると僕は考えていました。このことは将棋連盟の対応に対する疑問とリンクしています。つまり挑戦者決定戦第三局を秘密裏に監視するくらいなら,事前に注意という処分を与えておくべきだったと僕は考えていたのです。
 一方,処分の理由は三浦九段が休場届を提出しなかったことに対するものだとも考えられましたので,残りの部分ではそれについても言及しました。この内容についてはとくに説明する必要はないでしょう。また最後の部分で処分の内容について判断しないといっていますが,僕はこれが処分の理由であれば処分は不当であるという考えに傾いていますので,処分が正当である場合についていっていることに何か大きな意味があるわけではありません。

 4月17日,土曜日。妹の新しい受給者証が送付されてきました。これは4月1日に報酬の改定というのが実施されたことに伴うものです。したがって妹の受けるサービスに何か変更があったというわけではありません。福祉サービスを受けている横浜市民のすべての方が,この時期に新しい受給者証を受け取ったということだと思われます。
 4月19日,月曜日。妹を通所施設に送りました。僕は受給者証はグループホームに預けてありますので,17日に送付された新しいものについてはこの日に持参しました。合わせて,それまでのものについては廃棄してもらうように依頼しました。
 4月21日,水曜日。午前10時半に新任のファイナンシャルプランナーの来訪を受けました。この日は挨拶をした後,ちょっとした商品の説明があっただけです。面会時間も10分ほどでした。
 神奈川県は緊急事態宣言は解除され,蔓延防止措置に移行することになりました。これに伴い,この措置が適用された後の通所施設およびグループホームの方針についての説明が,この日に郵送されてきました。
 4月22日,木曜日。前日に来訪したファイナンシャルプランナーから電話がありました。実は僕の方からひとつ相談したことがりまして,その解答でした。
 僕が相談したのは生命保険のことです。の死後,僕は適切な受取人がいなくなったため,生命保険を解約していました。ですが結局のところ,妹に成年後見人を立てて,その人を受取人に指定する以外に方法はないということでした。これも前にいいましたが,現状は不要なので僕は成年後見人を妹には立てていません。身元引受人という立場で,僕がすべての責任をもっています。責任をもっているというのは,たとえば妹の必要な書類にサインするときの立場がそれであるというほどの意味で,ほかに深い意味はありません。成年後見人を立てると,そうした書類に成年後見人のサインも必要になります。ですからもし成年後見人を立てることが必要になるなら,僕が成年後見人になるのが現状はベストです。しかし僕が僕の生命保険の受取人にはなれません。よって僕は生命保険に新たに加入することはできませんでした。
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お~いお茶杯王位戦&ダイヤ改正

2021-08-20 19:03:38 | 将棋
 対局予定地の豪雨の影響で18日と19日に関西将棋会館で指された第62期王位戦七番勝負第四局。
 豊島将之竜王の先手で相掛かり。後手の藤井聡太王位が飛車先を交換したところで先手から角交換。後手も最強と思える手段で対抗する将棋。この将棋は二回目の駒組が終って後手が仕掛けてからは先手が守勢に立ち,目立った悪手はなかったもののそのまま押し切られてしまいました。なので先手はそれ以前の分岐で別の手段を選択するべきだったということになります。
                                        
 第1図は分岐のひとつ。ここから☗7九玉と引いて8九まで囲いましたが,その結果として後手の攻めが厳しくなってしまった一面があります。なので第1図で☗4四歩と突いてしまうのは変化の一例としてあったと思われます。
                                        
 第2図も分岐のひとつ。ここで☗4八飛と4筋を受けましたが☖7五歩以下,守勢に立たされました。なのでここでも☗4四歩ないしは☗6五歩と攻めるのは有力な変化だったでしょう。
 これらはいずれも分岐なので,敗着といえるほどの着手が先手にあったわけではありません。全体的にいえば,攻めをうまく繋げた後手の巧みさが光った一局だったと思います。
 藤井王位が勝って3勝1敗。第五局は24日と25日に指される予定です。

 4月5日,月曜日。妹を通所施設に送りました。4月1日に横浜市営バスは一部で運行ダイヤの改正があり,僕たちが上大岡へ向かうバスは,家から最寄りのバス停の出発時間が2分早まりました。ですから家を出るのもその分だけ早くなったことになります。とはいえ妹はマイペースなので,妹が決められた時間に何かをしなければならないという場合には,僕は常に時間に余裕を持つようにしています。ですから2分程度の差では,何か大きな影響があったというわけではありません。またこのダイヤの改正は一部でしたので,上大岡から通所施設の最寄りのバス停へ向かうバスには変更はありませんでした。要するに上大岡で乗り換えるバスを待つ時間がやや長くなったということになります。
 2日に持参したもののそのことを伝え忘れてしまった印鑑はこの日に持参しました。通所施設で地域担当支援主任のSさんに会うことができましたので,それを渡しました。この日はその後の僕の都合でバスではなく電車を使って帰りました。根岸駅近くのビルにあるI歯科に寄って,歯科検診の予約を入れました。
 4月9日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。5日に印鑑を渡しておきましたので,この日に妹の給与を受け取りました。もちろん預けた印鑑も同時に返却してもらいました。
 4月12日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 4月14日,水曜日。この日が歯科検診でした。午前10時からです。この日はクリーニングをする前に,歯周ポケットの計測をしました。深さは概ね3㎜から4㎜の間でした。ただし左上は6㎜から7㎜となっていました。
 4月15日,木曜日。午前11時20分に,新しく着任したファイナンシャルプランナーからの電話がありました。僕の家を訪問したいという意向がありましたので,その日程を決定しました。
 午後7時半にはピアノの先生からの電話もありました。18日に妹のピアノのレッスンが予定されていましたので,その開始時刻の通知でした。
 4月16日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。この日は眼科の通院をしてから帰宅しました。目薬の名称が変わったのはこの日からです。
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日刊スポーツ賞黒潮盃&お会式

2021-08-19 19:11:16 | 地方競馬
 岩手から1頭,兵庫から1頭が遠征してきた昨晩の第55回黒潮盃
 抜群のダッシュでノートウォージーがハナに。リードは2馬身くらい。2番手にはジョーイフルガチフェ。3番手にジョエルとシンギングハピネスとハイパータンク。6番手にパストーソでこの5頭は一団。2馬身差でサヨノグローリーとノットリグレット。1馬身差でグランフォロミーとモズアンビリバボー。1馬身差でティーズアレディー。1馬身差でヒートアップハート。3馬身差でリンクスショウ。1馬身差でリックマーベル。1馬身差の最後尾にスマイルサルファーという隊列。最初の800mは49秒6のミドルペース。
 向正面で外目を上昇したのがハイパータンク。逃げたノートウォージーに並び掛けるようにして3コーナーを通過しました。2馬身差の3番手にいたジョエルがコーナーで前の2頭との差を詰め,3頭が並んで直線に。この競り合いからハイパータンクは脱落。ジョエルはノートウォージーを楽々と差し,そのまま抜け出して圧勝。直線の入口では4番手だったパストーソが徐々に前との差を詰めていき,ノートウォージーとほぼ並んだところでフィニッシュ。写真判定となった5馬身差の2着はパストーソ。逃げ粘ったノートウォージーはハナ差で3着。
 優勝したジョエルクラウンカップ以来の勝利で南関東重賞2勝目。このメンバーでは図抜けた実績があり,優勝候補の筆頭と考えていました。上昇馬との争いでしたが,その筆頭が2着のパストーソ。パストーソは1枠がかえって仇となってしまったような内容でしたが,この着差ですから,仮にスムーズなレースをできていてもジョエルには敵わなかったでしょう。つまり,ジョエルを上回るような上昇馬は不在であったという結論になります。父は2004年にサラブレッドチャレンジカップ,2009年に黒船賞兵庫ゴールドトロフィー,2010年に兵庫ゴールドトロフィーを勝ったトーセンブライト。母の父はダイワメジャー
 騎乗した船橋の張田昂騎手は優駿スプリント以来の南関東重賞6勝目。黒潮盃は初勝利。管理している船橋の張田京調教師は南関東重賞3勝目。黒潮盃は初勝利。

 施設長だけでなく,通所施設の妹の担当者も変更になりました。
 通所施設の担当者というのは,多くの利用者を同時に担当します。そしてグループホームとは異なり,通所施設は男女が混合で作業をします。ですから担当者と利用者の性別が異なるということが生じます。実際に今年の3月まで妹を担当していたのはWさんで,この人は男の人でした。4月からはSさんに担当者が交替しました。Sさんは女の人です。なおこれは人事異動ではありません。Wさんは現在も妹が作業している通所施設に勤務しています。担当する利用者が変更になったということです。僕は通所施設の職員というのは知らない人の方が多いです。Sさんと顔を合わせたのもこのときが初めてでした。
 この日は31日にグループホームで妹を担当しているSさんからの電話で依頼されたように,印鑑を持参していきました。持参はしていったのですが,Nさんや通所施設のSさんとの挨拶や顔合わせなどをしているうちに失念してしまい,持参したことを伝えるのを忘れたまま帰ってしまいました。
 4月4日,日曜日。この日はお寺でお会式がありました。これは本門仏立宗の開祖の開山のお会式でした。なので僕はお寺に行きました。
 お会式というのはそう頻繁に行われるものではありません。年に2度とか3度ということもあります。またこれとは別に総講という名称の御講があって,こちらは月に1度は行われています。お会式および総講には必ず現在は東京のお寺に住んでいる住職が来訪して読経をします。このためにその日は普段よりも多くの信者が集まります。僕はこの日はお会式ですから行きましたが,総講の方はこのときまでは行ったことがありませんでした。これには理由があります。
 お会式も総講も行われるのは日曜日です。開始はほとんどの場合が午前10時半で,読経の後,住職の講話などもあり,12時半ごろに終わります。ところがこの日もそうですが日曜日は妹が家にいる場合が多いので,帰る時間も含めて午後1時前後まで妹を家でひとりにしておくわけにはいかないのです。この日はお会式なので行くには行きましたが,途中で退出して帰りました。
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武士の不文律&2021年3月の通院

2021-08-18 19:12:16 | 歌・小説
 篠本はもう一点,漱石が徳川家の家臣であったこと,もっと広くいえば武士階級の出身であったことのアイデンティティーを紹介しています。これはを巡る一件の後,「腕白時代の夏目君」の最後のところに書かれています。
                                        
 漱石は幼い頃から嘘をついたことがなかったと篠本はいっています。もちろんこの幼い頃というのは,篠本が出会って以後の漱石を意味します。その当時の漱石は,嘘つきといわれることについては,神経質なほどに気に掛けていたといっています。つまり嘘つきといわれることが,漱石にとってはこの上ないほどの恥辱だったのです。
 エピソードとして篠本が紹介しているのは,ある年の初夏に,キイチゴの実がたくさん熟しているところを見つけた漱石が,篠本を誘って学校帰りにそれを抓みに行こうと誘ったときのことです。篠本は誘いに乗って,漱石とともに大きな籠をもってキイチゴ狩りに出掛けました。ところが漱石に案内された場所には,木だけがあって実はほとんどありませんでした。全部で12粒か13粒ほどしか採取できなかったそうです。篠本は,おそらくこの近隣の子どもたちが,先に採ってしまったのだろうと推測しています。
 篠本は後日,戯言としてこのときは漱石に騙されたという主旨のことを言いました。すると漱石は真面目な口調で,嘘をついたわけではないと弁明したそうです。つまり嘘つきといわれることをそれほどまでに漱石は嫌っていたのだと篠本は紹介しているのです。
 篠本はこのことを,この時期の武士の子孫は,嘘をつくなということを固く守っていたということと関連付けて説明しています。これは篠本がいっている武士の子孫の不文律のひとつで,篠本はほかにふたつ,他人のものを盗むなということと,喧嘩をしたら負けるなということをあげています。そして,この当時の子どもたちの心理状態は,篠本がこれを書いている昭和10年の子どもたちの心理状態とは,相違していたのだといっています。
 嘘をつかないということ,あるいは嘘つきといわれることを嫌うということは,必ずしも武士階級に出自をもつ子どもだけに特有のメンタリティーであるとはいえないと僕は考えますから,漱石がそうであったことを出自と結び付けるのが正しいかどうかは分かりません。しかし少なくとも,篠本にはそう見えていたということだけは確かです。

 HbA1cは7.6%で,2月よりも下がっていました。これは最も寒い時期が過ぎていたという影響が大きかったものと思います。血糖値のコントロールも概ね良好で,低血糖の発症は1度だけ。それも69㎎/㎗と,極端に低い値ではありませんでした。というか,血糖値の下限値は70㎎/㎗となっていますので,これはぎりぎりで低血糖という値です。これであれば注射量を変更する理由は見当たりませんから,この時点での措置が継続されることになりました。
 この日もこれ以外に異常は何もありませんでした。これも2月に続いての結果です。
 いつものように薬局に寄って帰りました。インスリンも注射針も在庫がありました。帰宅したのは午後5時15分でした。11月にバスの運行に変化がありましたが,これはそれ以降では最も遅い帰宅時刻です。おそらく原稿の運行が継続される限り,これよりも遅くなることがあるとは考えにくいです。
 3月31日,水曜日。午前10時25分に,グループホームで妹を担当しているSさんから電話がありました。年度末で給与の支払いがあるので,次の妹の迎えのときに印鑑を持参してきてほしいとのことでした。
 4月2日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 4月から,通所施設で人事の移動がありました。3月まではTさんが施設長を担当していましたが,Tさんは別の施設,同じ敷地内にあり,妹がグループホームに入所した当時に昼間の出勤場所となっていた施設の施設長になりました。代わってこの時点で妹が通っている施設の施設長には,神奈川区内にある別の施設で施設長をしていたNさんが異動してきました。Nさんは,妹が本牧の作業所に通っていた頃に,妹を担当していた方ですから,妹とは面識がありました。面識があるというより,職員の中で最も親しかった人のひとりといってもいいでしょう。母が小脳出血で入院したときには,そのときに通っていた作業所の所長になっていましたから,その当時の妹の支援態勢について,当時の施設長だったTさんも交えて僕と相談したことがありましたから,僕にとっても面識がある方でした。この異動はこの日にNさんに会って知りました。
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生存権の範囲&解除

2021-08-17 19:21:50 | 哲学
 僕が生存権というのも,一般的な権利jusの概念notioとしていうならそのようにいわれるという意味なのであって,自然権jus naturaeに属する哲学的概念のひとつとして考えています。この点には注意を払っておいてください。
                                   
 現実的には複数の人間が同時に存在するので,人間は自身の自然権の一部を譲渡したり放棄したりすることによって,かえって自然権の拡張という事態が生じ得るのは事実です。このために人間は積極的に自然権を放棄したり譲渡したりするということがあります。ところが一部の自然権については,それを譲渡したり放棄したりすることはできないのです。よってこうした自然権は,人間がひとりで暮らそうとも集団の一員として暮らそうとも,同じようにその人間の権利すなわちpotentia,なし得ることという意味での力に属するのです。ここではまず個人の自然権について考えていくのですから,こうした自然権,僕が生存権といった自然権の一部に属する自然権が,どの程度の広がりをもっているのかということを考えなければなりません。
 第三部定理七でいわれていることが,そうした自然権の一部をなさなければならないということは,すでに指摘した通りです。しかしこのことは,必ずしもコナトゥスconatusと関連した事柄だけを含むというわけではありません。第三部定理九に示されているように,コナトゥスは僕たちが十全な観念idea adaequataを有していても混乱した観念idea inadaequataを有していても,いい換えれば僕たちの精神mensが働いている場合にも働きを受けている場合にも成立します。むしろ僕たちはそうした認識cognitioとともにコナトゥスを意識するようになるのですから,ある種の認識は生存権の一部,譲渡したり放棄したりすることができない生存権の一部を構成していると僕は考えます。
 たとえば第二部定理一七は,現実的に存在する人間の身体humanum corpusが外部の物体corpusの本性naturaを含む刺激を受けるafficiと,その人間の精神mens humanaはその物体が現実的に存在すると知覚するpercipereといっています。この知覚perceptioは人間の精神のうちに必然的にnecessario生じる知覚であって,かつ知覚というのは人間がなし得ることにほかなりませんから自然権の一部を構成します。さらにこの自然権は放棄したり譲渡することができない自然権ですから,生存権の一部を構成することになるのです。
 一般的にはこの種の認識を生存権といういい方はしないと思います。ですが僕はこれも生存権の範囲に含まれなければならないと考えるのです。

 3月17日,水曜日。お寺の奥さんからメールがありました。13日に振り込んだ維持費の入金を確認することができたという旨でした。
 3月18日,木曜日。妹を迎えに行きました。この日は出勤日でしたから,通所施設への迎えでした。
 3月19日,金曜日。妹の本牧脳神経外科への通院でした。この通院の予定があったので,この週は木曜日に妹を迎えに行っておいたのです。この日は診察をしただけでした。
 3月20日,土曜日。お寺で彼岸会がありました。依頼しておいた塔婆を受け取り,この日のうちに会堂の納骨堂に立ててから帰りました。
 3月22日,月曜日。妹を通所施設に送りました。この時点で,神奈川県内の緊急事態宣言は解除され,蔓延防止措置に移行していました。移行後の動向については何も連絡がありませんでしたので,この日に送ったときに,通所施設の妹の担当者に確認をしました。緊急事態宣言が解除されたので,在宅日はなく,毎日が出勤になるとのことでした。確認をしておいたのは,次の迎えが金曜日になっていて,金曜日は基本的に在宅となっていましたので,その場合はグループホームに迎えに行かなければなりません。ですが出勤となりましたので,迎えも通所施設でよいということになりました。
 3月26日,金曜日。この日に妹を迎えに行きました。22日に確認していた通り,通所施設に迎えに行きました。
 3月29日,月曜日。妹を通所施設に送りました。この日は午後から通院だったので,電車を使って帰りましたが,帰宅後の午前11時55分に,退職したファイナンシャルプランナーの後任になった新しいファイナンシャルプランナーからの電話がありました。この日は着任したという挨拶があっただけです。
 前述したように,午後からは内分泌科の通院がありました。
 この日は病院に到着したのが午後2時半と,いつもより少し遅くなってしまいました。中央検査室では採血を待っている患者がいませんでしたので,すぐに採血をすることができました。その後に採尿を済ませ,最後に使用済みの注射針の処理をしました。
 診察が開始になったのは午後3時半でした。
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