スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王座戦&目的達成

2008-09-30 23:04:31 | 将棋
 王座戦五番勝負第三局。相矢倉▲3七銀から,いつものように先手の羽生善治名人が攻め,後手の木村一基八段が受けるという展開。
 今日は少し遅くなり,夕食休憩直後には間に合わず,観戦を開始したのは第1図の局面。
 いかに穴熊といえども,先手の攻め筋があまりに細そうで,後手がいいのではないかと思って検討したら,意外に難しいので驚きました。まあ,僕の第一感はこんなものであるともいえますが。
           
 実戦はここから1二の飛車と3六の馬が交換になるという展開で第2図へ。
           
 後手としてはここから入玉含みにゆっくり指すか,反撃に転じるかの決断時。ただ先手陣にと金が作りにくい状況なので,反撃したいという感じはします。実戦も△9五桂。以下,▲8八銀打にすぐ△8七桂不成といったので,▲同銀△8六香のとき,▲2五桂と打たれて入玉はできなくなりました。そして第3図に。
           
 次に▲4八香が厳しそうなので,△5七角か△5九角のような手を考えていたら,△2四角とこちらから。先手も▲4八香と打ちましたが,△6八角成▲4七香に△4九飛が詰めろで,これは決め手になりませんでした。以下,先手が手順に6八の馬を抜き,飛車の取り合いになって第4図。
           
 ここで△6八歩成としたのが▲3五馬を見落とした敗着だったのではないでしょうか。代わる手としては△5九飛のような手かもしれませんが,それでも後手が勝つのは容易ではなかったかもしれません。以下は先手がうまく寄せきり,押し切っています。
 3連勝で羽生王座が防衛。王座戦はこれで実に17連覇となります。

 明日は川崎で鎌倉記念。中心はクロンダイク◎。アンビシャスガイ○,ノーステイオー▲,ロマ△。そしてヴィクトリーゲーム△。難しいです。

 これで,今回の考察の意図である,第三部定理二を経験論的な仕方で証明する,あるいはそれを補強するという目的は完全に達成されました。すなわち,もしも人間の精神が自分の身体をある運動に決定できるならば,いい換えれば,人間の意志の決定が人間の身体の運動の原因であるならば,少なくとも僕が失禁で示した第三の場合は,人間には生じることのない現象であるということになるのですが,僕たちの経験は僕たちに対して,むしろ逆のことを明らかに教えているからです。したがって一般的にも,人間の精神の意志は,この人間の身体の運動の原因ではあり得ないということになるのです。いい換えれば,僕たちが自分の意志を自分の身体の運動の原因と知覚することは錯覚です。
 それではこうした種類の失禁といわれる排尿という運動がいかにして人間の身体に生じるのかということ,あるいは一般的にいうなら,人間の身体の運動の原因とは何であるのかということが問題としては残るかもしれません。しかし今回の考察の主題は,あくまでも第三部定理二を経験論的な仕方で証明するという点にのみあるわけですので,この点については,まず第一に,第一部公理三により,人間の身体が運動するにはある一定の原因が必ずあるということ,次に人間の身体は個物なので,第一部定理二八により,人間の身体が運動する場合には,その身体の全体が運動するのであれ,また人間の身体を構成するある一部分が運動するのであれ,その原因はその運動をする個物とは別の個物であるということ,そして最後に,人間の身体は延長の個物なので,第二部定理六により,人間の身体を運動に決定するような個物は,やはり延長の個物,すなわち物体であるということだけをここでは示しておくことにします。
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モハメド・ヨネ&第三の場合

2008-09-29 19:27:45 | NOAH
 一昨日の晩はワンナイト興行としてNOAHの大阪大会があり,佐々木健介選手のGHCヘビー級王座にモハメド・ヨネ選手が挑戦する選手権試合が行われました。
 ヨネ選手は札幌での抽選式シングルマッチで敗れたので,この戦線からは一歩後退との印象がありましたが,佐々木選手の挑戦が決まるや敵意を剥き出しに。前ツアーでは森嶋選手と佐々木選手の前哨戦が2試合組まれていたのですが,共に森嶋選手のパートナーを務め,自ら佐々木選手のパートナーを短時間で降していました。また,ベルトの流出となった翌日には健介オフィスの道場まで押しかけていって,この挑戦権をもぎ取りました。
 ヨネ選手が入場前に佐々木選手を襲撃し,セレモニーなしに試合開始。佐々木選手もヨネ選手の一連の手法には怒り心頭で,チョップ,ラリアート,そして珍しいパンチを軸に,潰すようなファイトスタイルに出ました。ただ,ヨネ選手もデビューは藤原組で,バトラーツを経てNOAHに入団した選手ですので,こうしたスタイルは望むところ。キック,エルボー,張り手を中心に応戦。ラリアートの打ち合いでもなかなか負けませんでしたし,キックも有効。僕が思っていたより頑張りましたし,佐々木選手としても想像していた以上の手応えがあったようです。
 試合は最後,ハーフネルソン,ドラゴンの投げ捨て2発からラリアートを挟み,なんと佐々木選手がキン肉バスター。佐々木選手としてもこれで決めたかったのではないかと思いますが,ここはヨネ選手が凌ぎました。結局,自分の得意技であるノーザンライトボムの方で決めています。
 ヨネ選手はNOAHに移籍して7年。GHCシングルはこれが初挑戦だったのですが,それよりもむしろ,佐々木選手というのが自身が最も燃えられる相手であったのかもしれません。

 明日は王座戦五番勝負第三局。羽生善治王座が勝ちますと防衛ということになります。木村一基八段が一矢を報いることができるでしょうか。

 取手記念は決勝です。並びは牛山ー武田ー戸辺ー十文字ー神山の茨城栃木,小嶋ー加藤の中部に立石で,小林が単騎。これは武田選手で仕方ないでしょう。

 ここで役に立つのが第三の場合の失禁ということになるのです。
 それを強い意味でいうとしても,また,弱い意味で主張するのだとしても,もしも人間の身体が,自分の精神の決定に従って運動をなすというなら,少なくともこの第三の場合の失禁といわれるような排尿という運動は,人間の身体には生じ得ないということになります。なぜなら,人間の精神が自分の身体に対して排尿という運動をなすことを否定するように決定している限り,いい換えれば,人間の精神が自分の身体に対して排尿という運動をなさぬように我慢することを肯定するように決定している限り,人間の身体は排尿という運動をなさないということを認めなければ,この主張はまったく成立しないからです。しかるにこの主張に無理があるということ,つまり人間が第三の場合の失禁をするということ,あるいは少なくともこうした失禁をする可能性があるということについては,僕はだれも否定できないと思います。実際,この第三の場合の失禁というのを自分自身で経験したことがない人でも,自分にはこの種のことは絶対に生じないと断言はできないでしょう。いや,むしろこの状態が長く続く限り,必ず生じるといわざるを得ないのではないでしょうか。
 このことから,第三部定理二が,経験的にも正しいということが明らかに証明できていると僕は思います。人間の身体は,人間の意志とは無関係に,それ自身の原因と結果の連結と秩序によって運動しますし,とくにこの第三の場合の失禁のように,人間の意志に反するような運動をする場合さえあるのです。少なくとも,人間の意志が自分の身体の運動の原因にはなり得ないということについては,これで経験論的な観点からも証明することができたといえるのではないでしょうか。
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助さん格さん賞&論理と経験

2008-09-28 19:03:38 | 競輪
 記念競輪の2日目優秀はユニークなネーミングがされるケースがありますが,今日の取手記念の2日目優秀(動画)もそうで,助さん格さん賞。
 前受けは小嶋選手で,おそらく武田選手が中団,伏見選手が後方という周回から,伏見選手の上昇に武田選手が続いたのではないかと思います。伏見選手は残り2周のホームでは小嶋選手に並びかけていましたが,そこからはっきり叩かず,また小嶋選手も引かずでバック通過。打鐘で武田選手も上昇し,3車併走の形になりましたが,内から小嶋選手が突っ張ると武田選手は引きました。井上選手が離れ,3番手に伏見選手,5番手に井上選手,6番手が武田選手という一列棒状でホームからようやく小嶋選手の先行に。バックから武田選手が捲っていきましたが,車間を開けていた伏見選手が対応し3コーナーから発進。外に浮いた武田選手は苦しくなり,そのまま捲りきった伏見選手が1着。小嶋選手の番手から加藤選手が2着に入り,伏見選手マークの神山選手が3着。
 伏見選手はオリンピックや世界選手権などで外国人選手相手のスピードレースを多く戦ってきましたので,こういう展開になればほかの選手よりおそらく楽なのだろうと思います。余裕のあるレースに思えました。小嶋選手に先行させ,武田選手を後方に置いたのもうまかったですし,井上選手が離れて3番手に入れたのもラッキーでした。

 確かに,人間の精神のうちにある意志がある場合と,何らの意志もない場合とで,その人間の身体がある同じ運動をなすというときに,この運動の原因と結果の連結と秩序が違うということを,論理的な仕方で示すことは困難であると思います。しかし今は,このことを経験的な方法で考察しようとしているということを肝に銘じなければなりません。さらに同じような観点からいえば,スピノザの哲学の側からは,人間の精神のうちにある意志がある場合でも,また何らの意志がない場合でも,実は人間の身体というのは,同一の原因と結果の秩序と連結で運動するのだということを示さなければならないでしょう。異なった意見に対する反論は,自分の側にも同じように跳ね返ってくることになるからです。そしてこのことを論理的に示しているのが,第二部定理六であるといえるわけです。
 しかしよく考えてみますと,この定理がいかに論理的に正しいのだとしても,あくまでも論理的にはそうなっているということなのであって,僕たちが経験的に知覚することをそれだけで反証できるというものではありません。少し意味合いは違いますが,第四部定理一が示していることは,そのようなことであるといえなくもないからです。つまり,いかに論理的には人間の意志が自らの身体を運動には決定できないとしても,僕たちはある意志と運動とを経験するたびに,むしろ自分の意志が自分の身体を運動に決定していると知覚してもおかしくはないからです。よってこれを崩すためには,あくまでも論理的な仕方ではなく,経験的な仕方でのみ訴えるほかはないということになるでしょう。
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盤上の駒を取られるポカ⑥&弱い意味の場合

2008-09-27 19:44:55 | ポカと妙手etc
 今月9日に放映された第16期銀河戦決勝トーナメント2回戦より。
 横歩取り中座飛車から第1図。
           
 この▲1六歩は,もちろん1四の銀を取りにいった手。ただ,▲1六歩,▲1五歩,▲1四歩と3手かかりますので,実戦的にはやや危険な意味も含みます。しかしそこは論理的には誤っていないという結論があるのでしょう。このあたり,その将棋観に則っているともいえます。こうやったらどうなるのかと思っていたそうで,論理の正しさを実戦で証明しようとしたといったところでしょうか。
 実戦はここから△7五歩▲1五歩△4四角と進みましたが,これは後手の読み抜けで,▲3五歩とされ困りました。
           
 第2図から,△3五同角は▲同飛で角と銀の両当たり。かといって△7六歩も▲同飛で,これでは角をただ手放しただけになってしまいます。▲1四歩と取られる形はひどいので,仕方なく△2五銀と出ましたが,▲同桂△同桂▲同飛で銀の丸損になりました。
           
 この後も第3図の差が縮まることはなく,先手が勝っています。
 この将棋は,感想戦で読み抜けの詳細が明らかになりました。まず第1図の▲1六歩は実戦では新手だった模様。ただし後手は研究済みで,ここから△7五歩▲1五歩△7六歩▲1四歩と一直線に攻め合うのは苦戦と把握されていたようです。よってここから工夫したのが△4四角と打ち,▲3五角△2五歩▲2八飛に△7五歩と突く順。しかしいざ第1図になると,この手順中△2五歩に構わず▲4四角と取られ,△2六歩▲3三角成△同金▲6六角とされるのが気になり先に△7五歩と突いてしまったようです。▲3五歩が研究手順でなかったので,早指しもあいまって読み抜けが発生してしまったということでしょう。
           
 参考図は心配しすぎで,これは先手としても自信はもてないようです。第1図から△4四角でも先手は▲3五歩とするつもりだったようなので,これは今後の研究課題なのでしょう。
 実際には,この将棋は僕が表題からイメージするものとは少し違っています。ただ,現実的に銀がただで取られたこと,そしてその原因が詳しく説明されたことを重視し,ここで紹介しました。

 明日は取手記念2日目優秀の助さん格さん賞です。並びは伏見に神山で東日本,武田ー長塚ー戸辺ー十文字の地元,小嶋ー加藤の中部に井上。長塚選手か伏見選手で。

 実際には,人間の身体はその人間の精神の決定により運動をするという主張には,強い意味と弱い意味のふたつの場合があるわけです。このうち,強い意味に関していうならば,確かに失禁の第一の場合と第二の場合によって,単に論理的にではなく,経験的にも十分に反駁されたということができます。これらの例は確かに,別に人間の精神による決定などは何もなくても,人間の身体は排尿という運動をなすことがあるということを明白に示している事例だといえるからです。
 しかし弱い意味でこの主張を考える場合には,これらの例はそれを反駁するには十分であるとはいえず,人間の意志によって自分の身体は運動に決定されるという主張の側から,一定の反論を許すことになります。これはちょうど,この失禁の第一の場合と第二の場合が,スピノザが第三部定理二の備考で経験的な実例として指摘している,夢遊病者の例と,単に人間の意志とその人間の身体の運動との関係だけに着眼するならば,同じような関係にあるといえるからです。だから同じような反論,つまり,人間の身体はそれ自体で運動する場合もあるが,ある運動に関係するような意志がその人間の精神のうちに現実的に実在するならば,この意志の決定するように運動するという反論が可能になるのです。
 しかし本当は,こうした反論をするためには,人間の精神がある意志を有している場合の人間の身体の運動と,そうでない場合の人間の身体の運動との間にある,原因と結果の連結と秩序は,異なったものであるということを証明しなければ,反論としては十分であるとはいえません。スピノザが単に夢遊病者の例をここで経験論的な観点から呈示したのには,おそらくそのように反論することは不可能であると考えていたからだろうと思います。よってこの意味においては,実は第一の場合と第二の場合だけで,人間の身体は人間の意志の決定とは別の原因で運動するということを,経験的に証明することができたといっていいのだろうと思います。
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王位戦&第一の場合と第二の場合

2008-09-26 20:34:45 | 将棋
 王位戦七番勝負第七局2日目。昨日は先手も勝つのは大変ではないかと書き,僕としてはどちらも持ちたくないような将棋でしたが,片上五段,遠山四段は駒得の先手を持ちたいという見解でした。
 封じ手は▲5五歩。以下,△4五銀に▲2四歩と,先手は一気に攻め合いに持っていきました。ただ,実戦の手順で先手が攻め合って勝つには,厳密には少し足りなかったようです。それでもかなり迫力ある攻防が見られました。まず第1図。
           
 これは▲3五桂と打ったのに対し,先手が2三の金を3四に逃げたところ。ここで▲2三角は△2四金で届かないようですし,▲2三桂成もいまひとつ響きが薄い。それでも▲2三桂不成という勝負手をひねり出しました。後手は△5二金と歩を取り,▲3一角△3二玉。ここで▲3五歩△同金としてから▲2二角打。後手は△2六香とここで反撃の一手を入れました。
           
 第2図はすでに観戦していましたが,手の流れから▲2七歩とは受けられないのでしょう。▲1一角成△2八香成と進みました。▲2一銀△4一玉に▲3三馬の詰めろ。△6三金に▲7五桂がまた詰めろ。△5二玉に▲8五桂は攻防の手です。
           
 △8九飛を主に検討していたのですが,わりとすぐに△5七とと指しました。以下,▲同玉に△7八飛。これが存外に受けにくい詰めろでした。跳ね出した8五の桂馬がここでは質駒になっています。先手は時間がないこともあり,ここから詰ましにいきましたが,後手玉は詰まず,この過程で駒をさらに渡したこともあり,そのまま投了となっています。
 4勝3敗とした深浦康市王位が防衛。羽生善治名人という最強の挑戦者を降しての防衛ですから立派です。七冠ということに関しては,僕はまた見たいという気持ちともう見たくないという気持ちが混在していたのですが,深浦王位もとくに応援している棋士のひとりなので,これでよかったかなという気がしています。
 タイトル保持者が順位戦で陥落してはタイトルの格に傷がついてしまいます。今期はぜひA級の座を死守してほしいです。なお深浦王位は防衛と同時に九段昇段も決めました。

 明日からは取手記念が開催されます。注目は伏見選手になるでしょうが,今回は自力のレースが多くなりそうです。

 それでは失禁といわれるような排尿の場合の,第一の例と第二の例についてまずは考えてみましょう。
 まず,このような種類の失禁といわれるような排尿という運動を人間の身体が現実的になすということ,あるいはこういってよければなし得るということについては,僕たちは経験的な観点からこれを否定することはできないと思います。よって人間の身体というのは,実際にこうした運動をなすことがあるのであって,これは端的に,人間の身体というものが,この人間の精神による決定を受けなくても,排尿という運動をなすことがあるということを示しています。実際,第一の場合は,人間の精神は覚醒していないのですから,ある運動をなすように決定を下すということ自体が不可能であるといえます。一方,第二の場合は,排尿に関係するような観念がこの精神のうちにはないと仮定されているわけですが,そうなるとそれに向うようないかなる思惟の様態もこの人間の精神のうちにあることができません。第二部公理三が示しているように,思惟の様態の第一のものは観念なので,Aの観念がある知性のうちに現実的に実在しないのであれば,Aに関係するようないかなる思惟の様態も,これと同じ知性のうちにはあることができないからです。
 少なくとも部分的には,これだけで今回のテーマである第三部定理二に対する,経験的観点からの補強となっているということは明らかだといえるでしょう。そしてこのことから,人間の身体は,自分の精神による決定などとは関係なく,それ自身の原因と結果の連結と秩序によって,ある運動をなすと結論することもできるでしょう。
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達人戦&思惟の様態の種類

2008-09-25 20:53:04 | 将棋
 40歳以上の選抜棋士による非公式戦の達人戦。今年は8月31日に朝日ホールで公開対局による決勝が行われ,島朗九段が青野照市九段を破って優勝しました。簡単に紹介しておきます。
 このふたりの対戦ならば角換り系の将棋が予想されますが,後手になった島九段が意表の四間飛車。相穴熊になり,第1図のような駒組みとなりました。
           
 先手の6筋の位は,まだ穴熊にする前に取ったもの。こうして居飛車穴熊に組むのは個人的には欲張った指し方と感じるのですが,この場合は先に後手が穴熊に組んでいますので,そうでもないのかもしれません。青野九段はこうした指し方を得意としているようです。
 第1図から先手が▲2四歩と仕掛け,戦いになりました。先手にややミスがあったようで第2図へ。
           
 桂馬の活用で気持ちのいい▲4五桂ですが,どうもこれが先手にとって致命的な手となってしまった感じ。△5六歩と打たれて困りました。以下は必死の防戦。
           
 しかし第3図の△6八歩が最終的な決め手といえそうです。取るのは△4六角で困るので,放置して攻めにいきましたが,と金を作って駒を剥がし,以下もうまく食いついた後手が押し切っています。

 王位戦は2度にわたる振駒の末に羽生善治名人が先手に。深浦康市王位は一手損角換り1-Ⅱ。先手の早繰り銀,後手の腰掛銀で,後手が反撃含みに指したところ,先手がやってこいと▲5六歩。後手が早くも角を切ってのっぴきならない戦いになりました。最大の焦点は後手の攻めが続くのかどうかですが,先手も受けきって勝つのは難しい気がするので,どこかで反撃に転じるのではないでしょうか。

 失禁の第三の場合について,排尿を否定するような思惟の様態というのは,スピノザの哲学において論理的に考えるならば,すでに考察したように,これを意志と規定することができます。しかしもしも単に経験論的に訴えるだけであれば,僕たちが僕たち自身の意志とみなすような思惟の様態は,必ずしもスピノザがそうのように示しているように,単に観念が観念である限りにおいて含んでいるような,その観念の肯定だけであるとは限りません。むしろスピノザの哲学においては,第三部諸感情の定義一に定義されているような欲望についても,僕たちはある場合には意志とみなすことがあります。というか,実際に僕たちの身体が排尿という運動を我慢している場合に僕たちの精神のうちに生じる思惟の様態については,これをその観念を肯定するような意志であるのか,それとも単に今は排尿という運動をしたくないとことばで示されるような欲望であるのかということは,経験的にははっきりと規定することができないのではないかと思います。僕がこの第三の場合について,単に排尿を否定するような意志とはいわずに,排尿を否定するような思惟の様態といったのは,こうした理由からです。
 しかし,もしもスピノザの哲学に依拠するのではなしに,経験論的な観点から意志という思惟の様態を考えるのであれば,僕はこれも意志ということが許されるだろうと思います。現在は意志とその意志に関連する身体の運動との関係についての考察ですが,この場合の意志は,あくまでもそのように,経験的な観点から意志とみなし得る思惟の様態のことです。僕はスピノザの哲学に依拠して考えますから,これを意志とはいわずに思惟の様態といっていますが,この思惟の様態とは,経験論的に意志とみなしえるような思惟の様態のことであるとお考え下さい。
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青森記念&意識

2008-09-24 18:54:24 | 競輪
 北日本は冬季は降雪の影響を受けがちですので競輪場は少なく,3場のみ。そのうちのひとつが青森で,今年の記念競輪の決勝(動画)は昨日争われました。
 山田選手も狙っていたようですが,Sは石橋選手で前受け。3番手に山田選手,5番手に平原選手,7番手に小橋選手が入り,8番手から池田選手という周回。
 残り2周のホームから池田選手が上昇開始。平原選手がこのラインに続きました。バックで池田選手は石橋選手を叩いたのですが,ここでペースを落としました。石橋選手は内に切り込みましたが3番手は平原選手が確保,この間隙を縫って山田選手が発進すると,池田選手は踏み遅れ,中部のかまし先行に。小倉選手はここにスイッチ。平原選手はバックから捲る構えをみせましたが,一足先に単騎で捲った小橋選手に重なりいけず,兵藤選手は見切って内に。直線は中部両者の争いかと思いましたが,一番外に出した兵藤選手の伸びがよく,まとめて交わして優勝。2着が番手の山内選手で,山田選手が3着。
 優勝した群馬の兵藤一也選手は一昨年4月の高知記念以来となる3度目の記念競輪制覇。平原選手は結果的に不発だったのですが,そこからうまく立ち回りました。関東は追い込みに有力選手が多いので,なかなかよい位置を回ることができない現状ですが,これを気にさらに上を目指してほしい選手です。

 明日から王位戦七番勝負第七局が始まります。泣いても笑ってもこれで最後。勝った方が王位獲得となります。

 これらの考察から,僕たちが自分の身体の排尿という運動に関係するような思惟の様態を精神のうちに有するとき,その思惟の様態がどのように意識されるのか,つまり僕たちがそれらの思惟の様態の観念をどのような形で有しがちであるのかということが理解できます。
 僕たちは排尿という運動を自分の身体がなすことそのものに関しては,それを意識しないか,意識するとしてもそれはそういう運動をなしている自分の身体の表象の観念であって,この表象が観念である限りにおいて含んでいるような肯定の方を意識するということはあまりありません。それはこの肯定というのをスピノザの哲学が示す通りに意志と考えた場合に,僕たちは排尿することに向うような意志を意識することはあまりないという経験が教えるところに同じです。もちろん僕たちは,トイレに行くというようなことについてはその意志を意識すると僕は思いますが,それは排尿という運動そのものに向う意志とは別の意志であると思います。
 しかし逆に排尿という運動を否定するような思惟の様態の場合には,その表象の観念よりは,その表象が含んでいる肯定の方をむしろ強く意識します。実際に僕たちの身体が排尿という運動をしないように我慢しているとき,僕たちは,我慢している自分の身体の表象を意識することもできますが,むしろ我慢することへ向うような,あるいは我慢することを肯定するような意志の方を意識する場合が圧倒的に多いということは,おそらく僕たちの経験に合致しているといえると思います。実際にこういう意志に関しては,大部分の人がそれを意識した経験があるといえるのではないかと思いますので,これが排尿というのを題材にすることの意義のひとつとなるわけです。
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日本テレビ盃&否定する思惟の様態

2008-09-23 19:18:16 | 地方競馬
 日本のテレビによる競馬中継は,日本テレビが船橋競馬を中継したのが始まり。船橋で日本テレビ盃が行われるひとつの理由はここにあります。
 ナイキアディライトが正面では先手を奪ったように見えたのですが,外からナンヨーリバーが追っていき,向正面ではほぼ並びながらもこちらがやや前に出ての逃げ。フリオーソはその後ろからのレース。最初の800メートルが45秒4という猛烈なハイペースになりました。
 フリオーソはこれを3コーナー手前から早くも動いていき,前の2頭を交わして直後にいたコアレスデジタルと並ぶように直線に。中団にいたボンネビルレコードが少し離れた3番手に追い上げました。フリオーソはコアレスデジタルは難なく振り切ったのですが,さすがに力を使い果たしていたようで,ボンネビルレコードの追い上げには抵抗できず,差しきったボンネビルレコードが優勝。前半が早かった影響もあり,レコードタイムのおまけつき。フリオーソが2着で,3着には後方から追い込んできたサンライズバッカスが入り,有力3頭による順当な結果となりました。
 優勝したボンネビルレコードは5月のかしわ記念以来の勝利で重賞は3勝目。母系祖先はダイナゴン。やはりこの馬,船橋コースにはかなりの適性があるようです。フリオーソにはこれが初の先着ですが,今日は展開面の利も大きかったように思います。
 JRAの馬ですが,主戦といえる大井の的場文男騎手もかしわ記念以来の重賞・南関東重賞制覇。重賞よりは南関東重賞勝ちが多い騎手で,日本テレビ盃は初優勝。管理する堀井雅広調教師も日本テレビ盃は初制覇です。
 フリオーソはさすがに強気に乗りすぎた気がします。それでもそうも差をつけられずに2着を確保したのは,やはり力の表れとみていいのではないでしょうか。

 今度は,僕の失禁の説明の第三の場合にある,排尿という運動を否定する思惟の様態とは何かということを考えておかなければなりません。そしてこれもまた,スピノザの哲学に論理的に訴えるだけであれば,これは意志であるということができます。
 この説明は単純にいますと,自分の身体について,排尿という運動をなすことを否定するような思惟の様態ということになります。そして経験的に考えてみた場合でも,実際に僕たちのほとんどは,こうした思惟の様態を有した経験があるといえるのです。ただし,こうした思惟の様態を僕たちが意識するときには,僕たちは普通は排尿することを否定するような思惟の様態としてではなく,自分の身体が排尿という運動をしないことを肯定するような思惟の様態として知覚します。もっと分かりやすくいえば,排尿を我慢することを肯定するような思惟の様態として知覚するのです。僕たちはたとえば街中で尿意というものを表象すれば,すぐに自分の身体が排尿という運動をなすことを肯定せずに,むしろ排尿を我慢することの方を肯定し,その間にどこかにトイレはないかと探すのではないでしょうか。そしてこうしたことは,かなり多くの人が経験したことがるのではないかと思います。
 僕が排尿という運動を否定するような思惟の様態という場合には,このように,排尿をしないことを肯定するような思惟の様態というものも含んでいます。そして排尿を我慢するということは,思惟の様態としては,僕たちはやはり意志として認識するのではないでしょうか。つまり,人間の精神がこのような状態にある場合に,この人間の身体が排尿という運動をなすとき,これは第三の場合の失禁に該当するということになります。そして確かにこれは,僕たちが失禁ということばを形相的にではなく客観的に考える限りでは,最初にイメージするようなものなのではないかと思います。
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日テレ杯ジュニアタッグリーグ③&肯定する思惟の様態

2008-09-22 19:17:36 | NOAH
 日テレ杯ジュニアタッグリーグの優勝決定戦は,の試合の直後に引き続いて行われました。選手は連続して試合をすることになりますし,観客も同一カードを連続して観戦するということになるのですが,リーグ公式戦はこの日のセミファイナルでしたし,メーンにはGHCヘビーのベルトが流出した試合が控えていましたから当然の措置。というか,こういう場合は続けて優勝決定戦を行うということは,同一カードの連戦になるかどうかはまた別の話ですが,事前にルールとして決められていました。
 この試合も金丸組が速攻を仕掛け,開始早々に金丸選手がKENTA選手に花道での垂直落下ブレーンバスターを見舞うなど優位に展開。そして平柳選手も試合に介入してきたのですが,途中で椅子による攻撃が同士討ちとなり,ここから流れが変わりました。最後は膝蹴りからGo2Sleepを決めたKENTA選手が金丸選手から3カウントを奪い,KENTA・石森組が逆転優勝。このチームは昨年も制覇していますので,連続優勝となりました。
 金丸選手はNOAHの中ではどちらかといえば地味な選手で,この大会の後,ROHの日本大会でダニエルソン選手に敗れ,GHCジュニアヘビー級のタイトルも失ってしまったのですが,トータルでいえばNOAHのジュニア戦線をトップとして引っ張ってきた選手ですので,優勝もそうですが,金丸選手から3カウントを奪ったというのは,KENTA選手にとっても大きかったのではないかと思います。
 リーグ戦には三賞もあり,殊勲賞はブライアン・ダニエルソン,デイビー・リチャーズ組,敢闘賞はブリスコ兄弟,技能賞には中嶋勝彦,飯伏幸太組がそれぞれ選出されました。

 明日は船橋で競馬の日本テレビ盃。これはフリオーソ◎が中心で,サンライズバッカス○,ボンネビルレコード▲までが有力。ほかではサカラート△とナンヨーリバー△。

 青森記念も決勝になります。並びは平原ー兵藤の関東,石橋には小野の混成,山田ー山口の中部,池田ー小倉の中四国で,小橋が単騎。力を信じて平原選手から。

 人間が排尿という運動をなす場合に,この排尿を肯定する思惟の様態が,この運動をなす人間の精神のうちにあるということは,単にスピノザの哲学に論理的に訴えるだけであれば,証明することができると僕は考えています。
 これは第二部定理一二に訴えるべきであるのか,あるいは第二部定理一九に訴えるべきなのかはやや微妙ですが,いずれにせよここから,人間の身体が排尿という運動をなす場合に,まさに排尿している自分自身の身体の観念が,この人間の精神のうちに実在するということについては確実であると思います。ところがこの観念というのは,自分の身体が排尿という運動をなしているということの肯定,すなわち,自分の身体について排尿という運動を肯定することなしにはあることができません。これはちょうど,たとえば小倉優子の精神のうちにこりん星の観念がある場合に,この観念は,小倉優子がこりん星の現実的存在を肯定することなしにはあることができないというのと同じ関係にあたるといえます。
 こうした肯定については,僕たちはこれを普通は意志と解します。というのは,自分の身体が現実的に排尿という運動をしていることを肯定するとは,排尿という運動を現実的になすということを自分の身体に対して肯定するというのと同じことだからです。
 僕は放尿ということについては,人間がトイレで排尿という運動をなす場合を主に念頭においています。このとき,これを肯定する思惟の様態がこの運動をなす人間の精神のうちにあるということは,上述のことから論理的には正しいのですが,しかし経験的にいえば,僕たちは必ずしもこの肯定を意識しているとはいえません。ここでは経験的な仕方で説明することを意図していますから,放尿については,排尿を肯定する思惟の様態とは関係なく,むしろそれを否定する思惟の様態がないという,消極的な説明を用いました。
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八甲田賞&放尿

2008-09-21 18:52:41 | 競輪
 台風の影響も少し懸念されはした青森記念ですが,無事に開催され,今日が2日目優秀(動画)の八甲田賞でした。
 三宅選手の前受けで,3番手に石橋選手,5番手に浜田選手,8番手に佐藤選手という周回だった模様。佐藤選手の上昇に浜田選手が続き,打鐘では一列棒状に。ここから石橋選手が発進すると,一気にかまして先行となりましたが,紫原選手が離れ,佐藤選手が2番手で第二先行の形。ただ,石橋選手との開いた差がなかなか縮まりません。バックで後方から三宅選手が仕掛けていき,佐藤選手もようやく前に追いついたところで直線に。結局,外の三宅選手ー西郷選手で抜け出しワンツー。佐藤選手が3着でした。
 狙った石橋選手はいいレースをしてくれたと思うのですが,昨日と同様に後ろの選手が離れてしまいました。メンバーが少し上がっているわけですので,これでは粘れなかったのも致し方ないところ。佐藤選手は結果的には石橋選手のダッシュに対応できなかった感じで,ホームでもう少し踏んでいれば,すんなり番手に入ることができたかもしれません。勝った三宅選手はここのところ好調で,目立ったレースをしていましたが,今開催もその調子をキープできているようです。

 ある人間の精神の状況に関連して失禁といわれるような排尿という運動以外の排尿については,僕はそれをおしなべて放尿といいます。よってここでいう放尿とは,失禁ではないようなすべての排尿ですので,意味は次のようになります。すなわち,人間の精神が覚醒していて,かつ自分の身体の排尿という運動に関係するような何らかの思惟の様態があり,またとくにこの思惟の様態が意識されている,いい換えればこの思惟の様態の観念もこの人間の精神のうちに現実的に実在し,なおかつこの排尿という運動を否定するようないかなる思惟の様態もこの人間の精神のうちには現実的に実在しないという状態で,この人間の身体が排尿という運動をなす場合,この排尿という運動のことを,放尿といいます。もちろん失禁が形相的にも説明できる以上は,放尿もまた,脱衣状態における排尿というように,形相的な仕方で説明できるということは僕も認めますが,ここではあくまでも便宜的に,客観的要件から放尿ということばを用います。今は放尿の本性を明らかにするということを目的としているわけではないということは,失禁の場合と同様です。その点については争いませんので,ここでは放尿とはそのようなことを示すということだけご注意ください。
 さて,この放尿の説明のうち,排尿に関する否定的な思惟の様態が現実的には実在しないという部分については,本来はある事柄を説明するには相応しくないような,ある否定的な表現であるといえます。実際にはこれはむしろ,排尿という運動を肯定するような何らかの思惟の様態がある状態での排尿というべきなのかもしれません。ただ,もしもこのようにいいますと,ここで目的としている経験論的な説明の場合には,少し厄介な問題が生じると僕は考えていますので,あえて,それに関する否定的な思惟の様態が現実的に実在しないという表現をここでは用いました。
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日テレ杯ジュニアタッグリーグ②&失禁の具体例

2008-09-20 19:29:25 | NOAH
 の結果により,リーグ制覇の可能性を残すチームは2チームに絞られ,リーグ最終戦はこの両チームによる直接対決になりました。ただし,現GHCジュニアタッグ王者の金丸・鈴木組がここまで勝ち点10を上げていたのに対し,前王者のKENTA・石森組は勝ち点8でしたので,KENTA組は優勝のためにはこの試合に勝ち,さらに優勝決定戦でも勝たなければなりませんので,金丸組が圧倒的に有利という状況でした。
 金丸選手と鈴木選手はこのツアーの前のツアーでチーム結成。いきなりKENTA組に挑戦した7月の博多大会でこれを破り新王者になっていたのですが,この試合は平柳選手の介入もあり,試合後には新王者にブーイングが飛ばされるという荒れた試合。鈴木選手はそのツアーまではそれまで同様の青のロングタイツで試合をしていましたが,今ツアーからは黒に一新。鈴木選手がこういう試合をするようになるとは想像していませんでした。
 この試合も平柳選手がセコンドに付き,花道から入場してKENTA組が身構えたところを,金丸選手と鈴木選手が後ろから襲い掛かるという奇襲で開始。ただどうでしょう,得点の状況からいえば,金丸組は引き分けでも優勝できましたので,こういきなり奇襲をかけて早い展開にするよりは,もっとじっくりと戦っていった方が,作戦としては優れていたように思います。もっとも,ジュニアにじっくりした試合というのはあまりそぐわないかもしれませんが。
 試合は石森選手が孤立させられる展開となって苦戦しましたが,その石森選手が最後は頑張り,メキシカンロールで鈴木選手から3カウントを奪いました。よって優勝の行方は決定戦に持ち込まれることになりました。

 明日は青森記念の2日目優秀の八甲田賞です。並びは佐藤ー岡部の北日本,石橋には紫原,三宅ー西郷で西日本,浜田ー湊ー小倉の四国。ここはあえて石橋選手。

 それではこれら3種類の失禁の具体的な例をあげておきましょう。
 まず①の場合ですが,これは僕たちがよく知っている例でいうならば,夜尿,俗にいうおねしょが該当します。僕は人間が眠っている場合には,何の観念も有さないとは考えません。観念を有するというのは無意識にあたると考えているからです。しかし精神が覚醒しているというのは,人間の精神が,どんな観念であったとしても,その観念の観念を有することが可能であるという状態を意味します。そこで人間は,眠っている場合には,観念を有することはあっても観念の観念を有するということはありません。よっておねしょは①の失禁にあたることになります。
 ②は具体例をあげるのが少し難しいですが,ジェットコースターに乗っている間に,それと気付かぬうちに身体が排尿という運動をなしていたというような場合がこれに該当します。ただし,ここではあくまでも,排尿に関する一切の思惟の様態がないということを前提としていますので,たとえばその間に尿意を感じていたというような場合は,厳密にはこの例からは外れ,むしろ③であるか,そうでなければ失禁ではないということになります。
 僕たちが失禁ということばでまずイメージするのは③のタイプだと思います。失禁の経験は,自分にせよ他人の表象にせよ,子どもの頃に授業中に,というケースが多いのではないかと僕は思うのですが,こうした例はほとんどの場合がこの③に該当すると考えてよいだろうと思います。
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日テレ杯ジュニアタッグリーグ①&失禁

2008-09-19 19:52:40 | NOAH
 森嶋選手が佐々木選手に敗れ,GHCヘビーのベルトがNOAH外部への流出となった試合が行われた日本武道館大会は,ツアーの最終戦だったのですが,このツアーは日テレ杯ジュニアタッグリーグ。つまりツアー全体の主役はこちらでしたので,これも紹介しておきましょう。
 最終戦でまだ優勝の可能性を残していたのは3チーム。このうち,健介オフィスの中嶋選手とDDTの飯伏選手のチームはブリスコ兄弟と公式戦。中嶋組はここまで得点8。この試合に勝てば3チームによる三つ巴の優勝決定戦に進出する可能性がありました。一方のブリスコ兄弟は勝ち点7でしたので,優勝の望みは消えていました。
 ブリスコ兄弟は前にも試合を紹介したことがありますが,連係プレーが素晴らしく,見ていていつも感心します。中嶋組はこのリーグ戦が初タッグだったのですが,なかなかいいチームでした。試合は最後はジェイ選手と飯伏選手のマッチアップとなり,ラリアートから連係のダブルインパクト,ドゥームスデイディバイスと繋いでブリスコ兄弟が勝利。最後の意地をみせて中嶋組の希望を断ち切りました。
 中嶋組は初戦から4連勝したのですがそこから3連敗。金丸組とブリスコ兄弟は負けても仕方のない相手ではありますが,得点配給係であった丸藤組にリングアウト負けを喫してしまったのが響きました。ブリスコ兄弟はKENTA組に勝ち,金丸組とも引き分けたのですが,マルビン組とダニエルソン組の外国人対決で,共に敗れてしまったのが祟りました。

 明日からは青森記念が開催されます。GⅠから中3日で疲れがどうかですが,佐藤友和選手が中心と思います。

 このような仕方で僕が分類する排尿のひとつを,ここでは失禁ということにします。そこで僕がここでいう失禁とは,人間の精神が以下の3つの状態のうちのいずれかの状態にある場合に,この人間の身体が排尿という運動をなす場合です。
 ①人間の精神が覚醒していない状態での排尿。
 ②人間の精神は覚醒しているが,この人間の精神のうちに,自分の身体の排尿という運動に関連するような,一切の思惟の様態が現実的に実在しない状態での排尿。
 ③人間の精神は覚醒していて,かつ,自分の身体の排尿という運動に関連するような何らかの思惟の様態もまたこの精神のうちに現実的に実在するが,同時に,この排尿という運動に関して,否定的な事柄を含むような何らかの思惟の様態も現実的に実在する状態での排尿。
 スピノザの哲学では,事物が知性の外部にある場合を形相的といい,知性の内部にある場合には客観的といいます。そこでこれでみれば,排尿が形相的なものであるのに対し,失禁は客観的なものによって規定されるということになります。ただこれは,現在の目的からこうしているにすぎません。失禁もまたある形相的な側面から,たとえば着衣状態における排尿というべきであるという考え方も僕はあり得るとは思います。ただし僕は失禁の本性を明らかにしようと意図していませんので,失禁の定義が何であるのかということについては争う気は少しもありません。ただここでは便宜的に,客観的側面から失禁といいますので,この点には注意してください。
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トゥインクルレディー賞&延長作用と思惟作用

2008-09-18 18:55:48 | 地方競馬
 昨晩の大井競馬場では,牝馬限定の南関東重賞,トゥインクルレディー賞が争われたのですが,6レースで4頭が落馬するというアクシデントがあり,断然人気のトーセンジョウオーは戸崎騎手から今野騎手に乗り換りとなりました。
 アストリッドが逃げるものと思っていたのですが,チヨノドラゴンの先手になりました。トーセンジョウオーが2番手で,スターオブジェンヌが3番手。前半の800メートルは49秒3で,これはミドルペースに近いハイペース。
 3コーナーでスターオブジェンヌが上がっていくと,トーセンジョウオーの手応えが悪くずるずると後退。逃げたチヨノドラゴンはいい感じで,2頭の争いかと思いましたが,案外あっさりとスターオブジェンヌが交わし,そのまま先頭でゴールに飛び込み優勝。道中は中団の後ろ目にいたミスジョーカーが最内を伸び,チヨノドラゴンを交わして2着となり,チヨノドラゴンが3着。
 優勝したスターオブジェンヌは佐賀でデビューし大井に移籍。一旦また佐賀に戻って今度は船橋にきた馬。勝利は1年前の佐賀でのレース以来で,南関東重賞は初制覇。有力馬の凡走に助けられた面はありますが,自身も前走のスパーキングレディーカップでは4着に入っていて,ここにきて力をつけているというのも事実です。
 南関東は重賞競走には他地区の騎手が騎乗可能というルールになっていて,ここは佐賀の真島正徳騎手の騎乗。もちろん南関東重賞は初優勝で,この制度での初の優勝騎手となりました。管理するのは船橋の佐々木功調教師で,トゥインクルレディー賞初制覇となっています。
 トーセンジョウオーは58キロが響いたとも,大井あるいは右回りは苦手ともいえますが,それにしても15着とは負けすぎのように思えます。

 さて,人間というのは延長の個物である人間の身体と思惟の個物である人間の精神とが合一したものですので,なし得ることは,延長作用である運動と静止か,そうでなければ思惟作用であるかのどちらかであるといいました。またこのことは,第二部公理五と,第一部公理五の組み合わせからも証明することができます。すなわち,人間が思惟の様態と物体しか知覚ないしは感覚しないのは,その人間自身が思惟の様態と延長の様態であって,それ以外の神のあらゆる属性の様態ではないからだ,ということになるからです。
 そこで,排尿というのはこのうちの延長作用にあたるわけです。しかしここでは,単にこの延長作用あるいは運動としての排尿にのみ焦点を当てて考えるというわけではなく,この運動と,この運動に関連するような何らかの思惟作用,とりわけ意志との関係について考えるわけですから,今度はこの排尿という運動を,この運動をなすときのある人間の精神のうちにある思惟の様態のあり方によって,場合分けをするという必要があります。ただ,これを単に場合分けするというだけでは,たとえば思惟の様態がAであるような状態での排尿という運動と,思惟の様態がBであるような状況での排尿という運動,という具合に考えなければなりません。もちろんそのように考えて何ら差し支えない,というか本来はそのように考えるべきところといえるかもしれません。しかしもしもこれらの場合を,別のことばによって,とくに僕たちが普通に使用するようなことばによって場合分けできるならば,経験論的な説明の上ではさらに便利です。そこで僕は今度は,排尿というのはあくまでも延長作用としての運動ではあるわけですが,そこをあえてこの運動をなす人間の思惟の様態の差異に注目し,ふたつの場合に,ことばの上でも分類することにします。
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王座戦&意志作用の原因

2008-09-17 22:42:50 | 将棋
 王座戦五番勝負第二局。
 相矢倉▲3七銀。後手の羽生善治名人が△5三銀から早めに△4二銀と引く工夫を見せたので,木村一基八段もよくある穴熊にはせず,9筋を受けてから▲6五歩と仕掛けていきました。結果的に先手がかなり駒得する変化となり,控室は先手有望との評価だったのですが,渡辺竜王は後手を持ちたいと感じていたようですので,難しい分かれなのでしょう。
           
 第1図で先手は▲8五歩と打ち,△同飛に▲8六金と出て,さらに駒得にいきましたが,ここは▲7三角と打って,6四に成り返るような順もあったと思います。実戦の▲8六金には△同飛▲同角△3六銀で第2図に。
           
 ここは▲6九角と打つ手があったみたいですが,棋譜コメントの通りに難しいようです。実戦は▲8八歩と打ちましたが,ここに歩を打って先手は後で苦労することになりました。以下,夕食休憩を挟んで第3図に。
           
 ここで▲7七金と逃げましたが,▲2一角と打つ勝負手はあったと思います。棋譜コメントの順はおそらく先手の勝ちなので,後手は上に逃げていくことになるのではないでしょうか。▲7七金には△7六桂と打ち,▲7九銀△4六角▲1五歩にすぐ△7九角成。しかしこの手は危うさがありました。▲同玉△8七歩▲7六金△同歩で第4図。
           
 ここで△3一角という鬼手がありました。取ると,▲1二龍~▲2四桂で詰みます。よって△2二金打と合駒するのではないかと思いますが,少なくとももう一山あったのではないでしょうか。実戦はこれを逃して▲6八角。これ以下は先手にチャンスはなかったのではないかと思えます。
 これで羽生王座が2連勝とし,防衛に王手をかけました。第三局は30日です。

 スピノザの哲学においては,ある意志作用について考える場合には,その意志作用の発生について考えなければいけません。これは第一部公理三第一部公理四が示す通りです。したがって,人間の身体のある運動と,その人間の精神のうちにある,この運動に関連するような意志作用,あるいは意志作用に限らずとも何らかの思惟の様態との関係について考察しようという場合には,単にそうした思惟の様態があるということ,さらにいうならば,そうした思惟の様態が意識されている,つまり,この人間の精神のうちにあるそうした思惟の様態の観念があるということも重要ですが,これと同じくらい,こうした思惟の様態が発生するような原因が,この人間の精神のうちにあるということを確定しておくことも重要なのです。排尿という運動の場合には,単に排尿に関係するような思惟の様態が,その排尿という運動をなす人間の精神のうちにあるというだけでなく,この思惟の様態の発生する原因となり得る思惟の様態もまた,この同じ人間の精神のうちにあるということを,経験論的に説明しやすいので,非常に優れた例となるわけです。
 僕たちが使い慣らしていることばでいえば,尿意というのがそれにあたります。尿意というのは,理解の仕方によっては,人間の身体の運動とか,あるいは人間の身体のある状態を表すというように考えることもできるかと思いますが,と同時にこれは,明らかに人間の精神のうちにある,自分の身体の状態のある表象であると考えることも可能です。そして僕たちの精神のうちに,排尿することへの意志が発生するという場合に,この表象がこの意志作用の原因となり得るということについては,経験論的に否定し難いのではないかと僕は思うのです。
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佐藤棋王の将棋観&意義

2008-09-16 19:27:22 | 将棋トピック
 産経新聞の石井英夫論説委員が,佐藤康光棋王を招き棋聖戦の慰労会をしたとのこと。その場で,棋聖戦第五局の第1図から第2図の間の△8六歩という羽生善治名人の手について,佐藤棋王はこれを羽生マジックとは認めずに,自分のうっかりだと主張したとのことです。佐藤棋王は,妙手でも紹介した第4図からの▲5五馬についても,局後に見落としたと発言したそうですから,△8六歩の場合も当然の答えと思います。
 有限と無限という関係でいえば,将棋の指し手は有限です。ただし有限である事柄は人間はすべて十全に認識できるかというとそうではなく,その認識不可能な事柄についてはスピノザの哲学では無際限といいます。そういう意味で,僕は将棋の指し手は無際限であると思います。もちろん棋士は対局において,ルールの上では可能なすべての指し手を考慮するわけではありませんが,それでもなお無際限であると思いますし,何より実際の対局では時間の制約というものもあります。
 しかし佐藤棋王は,たとえ無際限であっても,有限である以上,人間はそれを正しく認識できるという前提の下で,対局に挑んでいると思われます。そしてこれは,将棋というのをきわめて論理的に思考しようとする態度に結びつきます。どんな事柄であれ,それを正しく認識しようとするなら,人間は論理に訴えるほかありません。そして論理にはマジックが介在する余地はないのです。確かに羽生名人が実戦的と表現されるような手段をわりと用いるのに対し,佐藤棋王はあまりそういう指し方はせず,むしろ偉大なる悪手を代表とするような,実戦的という面から考えればむしろ損であると思えるような指し方を平気で採用します。そしておそらくそこには,少なくとも論理的には誤っていないという結論が,佐藤棋王の中にはあるのでしょう。羽生名人が局面を歪んだものとして把握しようとするのに対し,佐藤棋王は歪なものを整えようとしているといえるでしょうか。ただこの整え方は,論理を理解できない人にはよけいに歪に感じられるものなのでしょう。
 スピノザの哲学は哲学の中でもきわめて論理的なものであり,僕自身も論理を偏愛する人間です。よって僕も羽生マジックということばはあまり好きではなく,実際にブログの中でも使用したことはありません。佐藤棋王の将棋というのは,僕はわりと好きというかかなりの魅力を感じるのですが,僕が佐藤棋王の将棋に惹かれる理由のひとつは,案外こんなところにあるのかもしれないと思いました。

 明日は王座戦五番勝負第二局です。

 大井ではトゥインクルレディー賞。これは勝つのはトーセンジョウオー◎で,2着はベルモントノーヴァ○かパフィオペディラム▲のどちらか。あとは3着候補で,チヨノドラゴン△,スターオブジェンヌ△といったところでしょうか。

 ここで排尿という運動を用いて経験論的な説明をすることの意義は,排泄そのものを例にとって説明することにおける意義に準じます。ただし,僕は排泄というのをいくつかの運動に分類しましたので,それらの中で排尿という運動を扱うということの意義になればこれはまた別の話になりますから,ここで改めて説明しておくということにします。
 まず僕は,排泄という概念を広く考えるならば,発汗などというのも排泄の一種といえるのかもしれないといいましたが,発汗について扱うのはここでの目的にあまり相応しくありません。というのは,それこそこれは経験的に僕たちがよく知っていることなのではないかと思うのですが,僕たちが発汗をする場合には,そのことに関係するような思惟の様態が,前もって僕たちのうちにあるということがまずないからです。単純に意志との関係で考えてみた場合でも,僕たちは汗をかこうということばで示し得るような意志を有することがないとは僕も主張しませんが,実際にはこの意志は,ある運動,スポーツとしての運動をしようというような意志に還元されます。直接的な意味で汗をかこうとか,汗を止めようということは僕たちは普通は意志しないものと思います。
 嘔吐も同様で,こちらの場合にはこれを直接意志することは,発汗の場合よりはあるといえるのかもしれませんが,やはり大抵は僕たちはこんなことを意志しません。よってこれもあまりよい例にはならないのです。
 これに比べて排尿とか排便は,意志があるかどうかは別としても,多くの場合はこの意志作用の原因となり得るような何らかの観念が僕たちの精神のうちにあるといえると思います。そして排尿という運動の頻度は,排便という運動の頻度よりも明らかに多いです。つまり人間にとっては,排尿の経験は排便の経験よりも多いということになります。これらのことが,排泄のうちでも排尿を題材とする最大の意義であるということになります。
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