スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
新潮文庫版の『カラマーゾフの兄弟 』の「大審問官」の中に,キリストという意訳 がみられるということが『生き抜くためのドストエフスキー入門 』では指摘されているわけですが,この意訳が生じる要因がどういうところにあったのかということを,佐藤は推察しています。一言でいえばそれは,日本におけるキリスト教の理解の限界だというのが佐藤の見解です。
キリスト教では,人間は神の似姿として創造されたけれども,自由意志を悪用してしまったので罪の中に沈んでしまったという考え方があります。いわゆる原罪といわれるものです。この原罪を人間は自力で解消することができません。そこでそれを解消するために,神はイエスを地上に送り,そこから原罪からの救済が始まるのです。ただしこれは救済が開始されるということを意味するのであって,救済が完了するということを意味するのではありません。
イエスは十字架に架けられた上で処刑され,その後に復活します。復活したイエスはすぐに来ると言い残して天に上ります。しかしイエスは未だに戻ってきていません。救済の完了とはイエスの再来を意味するのですが,イエスは再来していないので救済は完了しておらず,現在もまだ終末期にあり,佐藤のいい方に倣えば,終末が遅延しているのです。
この間に,自分こそがイエスの再来であると自称する者が現れたとしたら,その人間は偽イエス,偽キリストということになります。ここでは仮定としていいましたが,実際にそうした人間はいたのであり,ロシアにはとくに多かったのだと佐藤は指摘しています。佐藤によればドストエフスキー はこのことを踏まえて「大審問官」を書いているのです。したがって,原卓也によってキリストと訳されている部分は,偽キリストという意味かもしれないのであって,確かにキリストという解釈も可能ではあるのですが,偽キリストという解釈も可能な文章になっていると佐藤はいっています。
この指摘は心得ておかなければならないでしょう。「大審問官」を読むときに,キリストという文脈だけで理解するのは危険があるようです。
これとは別の見方として,デカルト René Descartesもそれに従っている,ユダヤ教あるいはキリスト教的な創造主としての神Deusを,世界に対して外的なものでなく内的なものとしてみる解釈もできます。すなわち,神の自由意志voluntas liberaを想定して,その自由意志の下に神によって産出されることになる被造物としての世界が,創造主としての神のうちに余すところなく含まれているので,被造物としての世界が神の外部に出ることはあることも考えるconcipereこともできないとする見方です。ただこの見方は,第一部定理一五 については十全に説明しているといえますが,第一部定理一八 については十全には説明しきれません。神があらゆる被造物の内在的原因 causa immanensとして働くagereのであれば,包み込む存在existentiaである筈の神が,部分的にではあれ世界の内に包み込まれる事態も想定しなければなりませんから,これでは神が世界を包み込むこと自体が成立しなくなってしまうからです。
吉田はここではいっていませんが,ここには重大な指摘が含まれているといわなければならないでしょう。第一部定理一五を理解するときに,ここでは神の自由意志をもち出しましたから,というのは吉田がそのように説明しているからなのですが,第一部定理三二系一 により,それがスピノザの哲学に該当しないということはそれ自体で明らかです。しかしこの説明は,神の自由意志を,神の本性 naturaの必然性necessitasといい換えても成立するでしょう。そしてスピノザは第一部定理一六 では,神の本性の必然性necessitate divinae naturaeから無限に多くのinfinitaものが無限に多くの仕方で発生するといっているのです。なのでこのときにこれらの定理Propositioを,ユダヤ教あるいはキリスト教における神と世界の関係にあたる,創造主と被造物という関係でみること自体が,実は誤解なのであるということがここでは指摘されているのです。神がなければ何もあることも考えることもできないということはスピノザの哲学においてもその通りではあるのですが,それは神が創造主であって世界が被造物である,あるいは世界を構成する各々の個物res singularisが被造物であるという関係を,十全に示しているというわけではないのです。このような仕方で神と世界の関係を解さないように注意しなければなりません。
昨年の11月のことになりますが,亀山郁夫 の『ドストエフスキー 五大長編を解読する』という本を読み終えました。これはNHKの100分de名著というテレビ番組の別冊として出版されているもの。この100分de名著のシリーズは何冊か出ていて,その中には読んでみたいものがいくつかありました。最初にどれを読むのがよいかと考えていたのですが,これを選択しました。出版されたのは2022年1月です。
亀山は100分de名著の講師を2回務めています。最初が2013年2月に放送された『罪と罰 』で,次が2019年12月に放映された『カラマーゾフの兄弟 』です。この本の第1章は『罪と罰』,第3章が『カラマーゾフの兄弟』で,このふたつはそのときの番組のテキストに加筆と修正を加えたもの。五大長編のうち残るみっつの『白痴』と『悪霊 』と『未成年』は第2章にまとめられていて,この部分はこの本のために書き下ろされたものです。
テレビ番組という不特定多数を相手にしたものですから,とても難解な内容が含まれているというわけではありませんが,だからといってドストエフスキー の小説を読んでいないという人には十分には理解できないと思います。したがって,テレビでの講義とはいえ,入門書のような性格を有した本ではありません。
一方で,亀山がどのようにドストエフスキーの小説を読解しているのかということを,ある程度以上には知っているという人にとっては,やや物足りなく感じられるかもしれません。亀山は同じNHK出版から『ドストエフスキー 父殺しの文学 』を出版しているわけですが,たとえばそちらをよく読みこんでいたとすると,こちらの内容はそれほど深みが感じられないということになるかもしれません。なので読む順番からしたら,こちらを先に読んで,その後に『ドストエフスキー 父殺しの文学』を読む方がいいかもしれません。この本はその導入というような性格を明らかにもっていますから,いきなりそれを読んだら難しく感じられるかもしれない『ドストエフスキー 父殺しの文学』を,より容易に理解できるのではないかと思います。
内容でとくに気になった部分に関しては,これから順に紹介していくことにします。
デカルト René Descartesの方法論的懐疑 doute méthodiqueを振り返れば,デカルトは自身の思惟Cogitatio,とくに思惟した内容はとにかく疑ったのです。それは,自身の精神mensが能動的に考えるconcipere場合も,受動的に表象するimaginari場合も含めて思惟作用とその思惟内容をすべて疑ったという意味です。その結果effectusとして疑い得ないとした事柄が,すべてを疑っている自分の精神は確実に存在しているということでした。ですからデカルトがこのことを発見したときは,自分の精神が,とくにすべてを疑っている自分の精神が,それ以外のすべての事物から切り離されたものとして発見されたのです。これに対して第二部公理二は,自分が思惟することを現実的に存在する人間は知っているということをいっているのであり,そのことだけを確実に知っているということを意味しているわけではありません。これはそれ自体で明らかといえるでしょう。ですからデカルトが発見したすべてを疑っている自分の精神というのは,デカルトが確実に存在すると認識できる唯一のものですから,確実に存在する自分の存在existentiaのすべてを意味します。しかしスピノザの場合は,確実に存在する自分の存在のすべてを思惟する精神に還元できるわけではありません。それは自分が確実に知っている事柄のすべてではなく,その一部であるからです。ですからこの場合は単に自分が思惟していることを知っているからといって,自分の思惟内容まで疑う必要はありません。要するに方法論的懐疑を実行する必要はないのです。よってそうした疑いを解消するための何か,デカルトの場合でいえば完全な存在としての神Deusのようなものをもち出してくる必要もないのです。
吉田は,スピノザがこだわっているのは,むしろ私も私が思惟している内容も存在しているということの不可思議さにあったといっています。そしてその理由を,私も私が認識している世界も,その本性essentiaには存在が含まれていないからだとしています。いい換えれば,第一部定義一 により,自己原因causam suiではないものが現実的に存在しているということの不可思議さにスピノザはこだわったと吉田はみているわけです。このことの正当性はここでは問うことはせず,吉田のさらなる探究をみていきます。
『夏目漱石『こころ』をどう読むか 』の荻上チキのエッセーでは,ゲートキーパー という観点から『こころ』が論評されているのですが,その中でウェルテル効果というものに言及されています。これも僕は初めて知った用語なので,ここで説明しておきます。
ウェルテルはいうまでもなくゲーテの『若きウェルテルの悩み』の主人公であるウェルテルを指します。この小説の結末でウェルテルは自殺してしまうのですが,これが発表された当初,この小説を読んだ人が自殺するという事象が多発しました。この事例にちなみ,自殺に関する報道が連鎖すると,自殺する人も連鎖するという事象が,ウェルテル効果といわれるようになりました。これは『こころ』でいわれている殉死とは異なり,自殺という出口を強烈に意識することによって生じる自殺なのですが,実際にこのような効果があるということは,実証的に分析されています。現在は自殺の記事には悩んでいる人に対する対策の窓口が紹介されるケースが多くなっていますが,これはWHOが世界の報道機関に対して出しているガイドラインに沿ったものです。つまりウェルテル効果というのは世界的な問題であると認識されているのです。
先生は殉死という語を使っているのですが,この自殺にはウェルテル効果があったのだと荻上は指摘しています。先生の自殺は明治天皇が死んだことによるものではなく,乃木大将の殉死に触発されたものですが,先生はそのことを新聞の報道によって知りました。そしてその記事を読んだ数日後に,自身も自殺する決心をしているのです。この部分から荻上は,先生の自殺は明治天皇の死や乃木大将の殉死そのものが理由なのではなく,天皇の死および乃木の殉死の報道の方が理由であったのだと解しています。つまり乃木の殉死に感銘を受けたというよりは,報道に触発された気分の方が大きな理由だったとみているのです。
この解釈の正当性については僕は何もいいません。ただ,自殺の報道が凶器になり得るということが『こころ』には仄めかされているという荻上の指摘は,正しいものだと思います。
永遠真理創造説と連続創造説を採用することで,デカルト René Descartesがいう神Deusは主意主義的な神になったのだと吉田は指摘しています。このことはここまでの論述から明らかだと思われますが,もう少し具体的な説明を施しておきましょう。
デカルトは神が全知全能であるということを肯定します。このことはキリスト教やユダヤ教においても同等ですし,一般的にいっても神はそのようなものでなければならないでしょう。ただ,全知全能といっても,全知の部分に主軸を置くのか,全能の部分に主軸を置くのかによって,見方は変わってくることになります。もし神が全知であるとするなら,分かっていて不条理なことを神はなさないということになります。したがっていくら神は全能であるとはいっても,できないことはあるとか,少なくともそもそもやろうとしないことがあるという結論になります。これは主知主義的な理解といえるでしょう。これに対して,全能の方に重点を置くとすれば,神はその気になれば何であってもできるのであって,ある事柄を不条理だと結論するのはあくまでも人間的な結論であって,神の意志voluntasを人間の知性intellectusで測ろうとしているにすぎないということになるでしょう。こちらは主意主義的な理解であることになります。
これでみれば分かるように,デカルトは明らかに主意主義的に神を理解したことになります。というか,デカルトのように,神に自由意志voluntas liberaを認めて,神がその自由意志によって世界を創造した上で,かつその自由意志によって現にある世界を別の世界にすることもできるというように解するのであれば,それはそもそも主意主義的に神を解しているのであって,そのように神を解する以上は,永遠真理創造説および連続創造説を採用せざるを得なかったというようにみる方が正しいと僕は考えます。要するに,デカルトはそもそも主意主義的に神を解していたのであって,それを論理的に成立させるために,永遠真理創造説と連続創造説を採用するに至ったと僕は考えます。なので,永遠真理創造説とか連続創造説というのは,積極的に主張されるような説ではなく,神を主意主義的なものと成立させるための手段であったと僕はみます。
『なぜ漱石は終わらないのか 』の第十三章は『道草』がテーマに設定されています。この『道草』は自伝的小説のような内容なのですが,その中から,作家が小説を書く目的が読解されています。
『道草』の主人公は健三といい,この健三のモチーフは漱石自身です。健三は留学からの帰国後に大学で教員をしています。家で試験の採点をするために赤ペンを使っているのですが,この赤ペンを普通のペンに持ち替えて,かつて養子に出ていた家の島田から半ば脅迫のように支払いを迫られた100円を稼ぎ出すというシーンがあります。小森はこの部分は,職業作家としての夏目漱石 が誕生する物語であると指摘しています。
これでみれば分かるように,『道草』で語られているのは,健三すなわち漱石が職業作家になっていくのは金のためであるということが語られている小説なのだと石原もいっています。芸術のためなのではなくて金のためなのであって,それが現実であるということなのです。
その部分で石原も指摘していますが,ドストエフスキー もルーレット で負けた借金の返済のために小説を書くということがあったのであって,それは芸術がどうこういうよりも,身の切迫に迫られて,書かざるを得なかったから書いたわけです。漱石は賭博で借金をするというようなことはありませんでしたが,状況としてはそれと同じようなことがあったのであって,とにかく金を稼ぐ必要があったから小説を書いたのだといわれています。
金のために書くというのは芸術のために書くということと比較するといかにも不純な動機であるようにみえるかもしれません。しかし芸術のために書いたから優れた作品が産出され,金のために書いたのでは作品の質が落ちてしまうのかといえば,必ずしもそうであるわけではありません。そのことはドストエフスキーや漱石が身をもって証明しているといえるのではないでしょうか。金のために必死に書いた作品から,きわめて優れた芸術作品が生まれるということもあるのです。
この二者択一を迫られたなら,ステノ Nicola Stenoは喜んで自然科学の研究を断念し,カトリックの普及に努めることになったと推測されます。なのでステノが地層学の研究から離れたのは必然であったと吉田はいっているのですし,もしかしたらステノはそうした予兆を感じていたから,地層学の研究を続けることを断念したのかもしれないと僕は思います。これは確かに,聖書の記述と自然科学の研究を両立させようとすることに伴う困難なのであって,そうした限界がステノにあったということについては,僕は吉田の見解opinioに同意します。しかし吉田のこの部分の講義内容は,ステノの研究成果については全面的に否定しているようにみえますし,聖書の記述と自然科学の研究を両立させようとすれば限界を迎えるということについても,ステノの個別の事例としてではなく,一般的な事例として説明されているようにみえます。このふたつの点については,吉田は意図しているというわけではないかもしれませんが,補充の説明が必要だと僕は思います。
すでにブルーノGiordano BrunoおよびガリレイGalileo Galileiの例でいっておいたように,この時代のカトリックの権威は絶大でしたから,自然科学の研究成果が宗教裁判にかけられるという事例はいくつもありました。しかし自然科学を研究しようと志す研究者が,聖書の誤りerrorを正そうとして研究に没頭し,その結果effectusとして宗教裁判の被告になったというように考えなければいけないわけではありません。むしろ科学者は科学者個人の探究心によって自然研究に励んだのであり,その結果として聖書の記述に反するような研究結果が出ることになったというようにみるべきだと僕は思います。しかしステノの場合にはたぶんそうではなかったのであって,むしろ地層学を研究することによって,聖書の記述の正しさを証明しようという意図を最初からもっていたのではないかと僕は推測します。
こうした研究態度がステノに独自のものであったなら,吉田のステノに対する批判はそのまま妥当するといわなければなりません。しかし僕の見解ではそういうわけではなくて,まず聖書の記述の正しさを証明するということを目的finisとした研究者はほかにもいたと思うのです。
『なぜ漱石は終わらないのか 』の第九章で,長男の次男化 ということが論じられているのですが,これに関連することが,『こころ』の私と兄との間にもみられるのではないかと僕には思えました。
『こころ』の中の十五の最後のところで,私と兄が会話をする場面があります。これはふたりの父にいよいよ生命の危機が迫っているということが,ふたりにも理解できる状況でのものです。
兄が私に対して,ここへ帰ってきてこの家を管理する気はないかと尋ねます。要するに父の遺産を相続する気はないかという意味です。しかし父の遺産を相続するのは長男である兄ですから,私は兄が帰ってくるのが順だろうと答えます。すると兄はそんなことはできないといいます。それがなぜかは兄の口からは語られませんが,私は,兄は世の中で仕事をしようとする気に満ちているように感じます。
本来なら兄である自身が相続すべき家督を,次男である私に譲って,自分は田舎を出て都会で仕事をしようとすることは,ある意味では長男である兄の次男化であるといえるのではないでしょうか。ただこの文脈では,相続しなければならない家督が田舎にあり,父が死んでも母が残るので,相続する場合には田舎に引きこもらなければならないということになっていて,そのことを兄が拒絶したというようにも読めます。しかし一方で,この当時の長男の次男化の理由のひとつとして,こうした事情も含まれていたかもしれません。
ただし次の点は事実です。家督を相続した長男は,残された家族を養っていく義務がありました。この義務については明らかに兄は放棄しようとしています。これは兄が私に,家督を相続すれば働く必要がないと言っていることから明白です。つまり私の兄は,父が死んだ後に,母のことはともかく私のことを養っていくというつもりはさらさらないのです。これは明らかに次男化といえるのではないでしょうか。
書簡六十七の二 が公開書簡の形式であったから現にあるような内容になったとすれば,その影響によって,書簡六十七の二は書簡六十七 よりも,遺稿集Opera Posthuma に掲載する価値のある書簡になった可能性が残されます。この場合は,これらふたつの書簡によって,ステノ Nicola Stenoとアルベルト Albert Burghの人間性の相違を考察するのは危険が伴うことになります。僕はアルベルトが書簡六十七の二のような内容を有する書簡を書くことができたとは思いませんから,それを書くことができたというだけで,知性的にステノがアルベルトより優れていただろうと思いますが,ステノが書簡六十七のような書簡を書いた可能性の方は否定できないので,この書簡の内容だけで,ステノの人間性を評価することは避けなければならないと思うようになりました。
もうひとつ,この書簡が公開されることが前提とされていたとするなら,それは不特定多数の人が読むことを前提としなければならないわけですが,とくにカトリックの信者が多く読むことになるであろうということは容易に想像され,かつその中で高位にある人物も読むことになるという可能性があります。それが本当に公開書簡であったのなら,たぶんステノはそうしたことも前提としてそれを書いていたと思うのです。そしてその中でステノは,かつて自身がスピノザときわめて親しかったし,今でも疎遠ではないと思っていると書いているのです。
前もっていっておいたように,この書簡はスピノザ宛になっているわけではなく,新哲学の改革者宛となっていますし,本文の中にもスピノザの名前が出ているわけではありませんから,その新哲学の改革者というのがスピノザを指しているということは明示されていません。ここでいわれている新哲学というのは,当時の習いとしてデカルト René Descartesの哲学を指していることがだれにでも明白なのですが,その改革者がスピノザだけであったというようには断定できないからです。同様に,この書簡の中では『神学・政治論 Tractatus Theologico-Politicus 』に対する言及もあるのですが,『神学・政治論』とはっきり書かれているわけではなく,新哲学の改革者が書いたといわれていて,ステノ自身もそう思っている本とだけいわれています。
『カラマーゾフの兄弟 』の中には,「大審問官」というタイトルでイワンが書いた物語があります。いわば小説内小説ですが,新潮文庫版の「大審問官」の訳には不備があるという主旨のことが『生き抜くためのドストエフスキー入門 』で示されています。
新潮文庫版では,キリストという固有名詞が頻出しています。しかしドストエフスキー の原語版に,キリストに該当するロシア語は一度も出てこないそうです。キリストと訳されている部分は,直訳すれば彼なのであって,ここでいわれている彼を,イワンがキリストであると解しているのは間違いないでしょうし,この物語を聞かされるアリョーシャもまたキリストであると解したのは間違いないでしょう。ですから意訳としてキリストという語を充てることには問題はないかもしれませんが,ドストエフスキーの言語版にキリストに該当する原語が一度も出てこない以上,この彼をキリストと意訳してしまうのは不備ではないかと佐藤は指摘しているのです。
しかも,彼というとき,この彼に該当するロシア語の最初の文字が大文字であれば,これは事実上キリストを意味するので,キリストは意訳よりも直訳に近いのですが,「大審問官」で使用されている彼は,最初の文字が小文字なので,これは一般名詞の彼であって,キリストとという語が一度も出てこないのであれば,その彼が再帰代名詞としてキリストを意味することもできないから,これをキリストと訳すのは意訳以外の何物でもないのであって,単に彼と訳すべきであったと佐藤はいっています。
ロシア語のことは僕には分かりませんが,佐藤がいっていることに間違いがあるというようには僕は思わないです。一方,新潮文庫版の『カラマーゾフの兄弟』の訳者は原卓也であって,原については佐藤は原さんほどの学者といういい方をしていますから,学者として高い評価を与えているのは疑い得ません。いい換えれば佐藤にそう評価されるほどの学者が,単純に読めば彼としか訳しようのない語を,キリストと意訳していることになります。
たぶんこの部分は彼という訳で読んだ方がいいだろうと思います。佐藤は,なぜこのような意訳が生じたかも考察していますので,それについてもいずれ紹介することにします。
説得の部分が吉田の独自の見解であることは明白なので,全体ももしかしたら吉田の見解なのかもしれません。正確にいうと,吉田はカトリックの説教師にバチカン写本 を見せてしまったとだけいっているので,ステノ Nicola Stenoがチルンハウス Ehrenfried Walther von Tschirnhausに近づいたというのはその部分からの僕の類推ですが,この一件がおとり捜査のような仕方で行われたとするなら,そのように解するのが自然なのは自明でしょう。
吉田はチルンハウスがオープンであり,警戒心が欠如していたといっているのですから,チルンハウスはステノがカトリックの説教師であると知っていて,その上でバチカン写本を見せたのだというように解しているように思われます。しかし一件がおとり捜査であるなら,ステノは自身の立場を秘匿してチルンハウスに近づいたという可能性も考慮に入れておかなければならないでしょう。かつてチルンハウスはホイヘンス Christiaan Huygensにはバチカン写本のことを秘匿し,ライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibnizに対してもすぐにはそれを見せず,スピノザの許可を得ようとしたのですから,その事実だけで警戒心が欠如した人物であったというのはどうかという思いが僕にはありますが,その部分を考慮に入れないとしても,ステノが自身の立場を秘匿し,うまい具合にチルンハウスがライプニッツに対して抱いたような思いをステノに対しても思わせることに成功したなら,その時点では死んでいたスピノザの許可を求めることができなかったチルンハウスが,バチカン写本をステノに見せてしまったとしても,警戒心が欠如していたというようにいえるのかは疑問が残ります。もっとも,これはステノが自身の立場を秘匿していた,いい換えればステノがカトリックの説教師であるということを知らなかったという場合のことであって,実際には知っていたという場合もあり得るのですから,その場合には確かにチルンハウスには警戒心が欠如していたといえることは僕は否定しません。
バチカン写本の末尾には,寄贈者の名前,これはつまり異端審問機関に寄贈した人の名前ということですが,それが付せられていました。だからバチカン写本をチルンハウスから巻き上げたのがステノだったことは間違いありません。
『夏目漱石『こころ』をどう読むか 』の荻上チキのエッセーを読んだときに,『こころ』という小説では,直接的にではあれ間接的にではあれ,多くの死 が語られているということに僕が気付いたのは,このエッセーが,ゲートキーパーという視点から書かれたものであったからです。こういう視点から『こころ』を読むというのは僕にとっては類例がない,もしかしたらあるのかもしれませんが,それがきわめて少ないものでした。
ゲートキーパーというのは,自殺を志願する人に対して,説得して自殺を思いとどまらせる役目を果たす人のことです。『こころ』の中の最後のところで,私は死の床にある父を見捨てるような形で東京へ向かう汽車に飛び乗ります。この部分は大抵の場合は,私が父親よりも先生の方を自身にとって重要な存在であるとみなしていたというように読まれるのですが,荻上は,自殺を仄めかす長い手紙を自分に送ってよこした先生に対して,ゲートキーパーの役割を果たすため汽車に乗ったのだというように読むのです。父が死の床にあるか否かということとは関係なく,先生のゲートキーパーになれるのは自分だけであるということを私は知っているがゆえに,私はその役割を果たそうとしたということです。したがって,父の死の前には私は無力であったけれども,先生の死に対しては何らかの力を有するということを私は知っていたということになり,そうであれば父を見捨てるように汽車に乗ったことに荻上は違和感はないといっています。つまりこれは,父よりも先生を選択したということではないのであって,自分の力を発揮できる方向へ私は向かったのだという解釈になります。
このエッセーは2014年3月に書かれています。現在でも日本人の自殺者は少なくありませんが,当時は今よりもずっとこのことが社会問題と認識されていました。そういう意味ではこのエッセーは時代的なものであるとみることもできるでしょう。
3月2日の遺品目録によって,スピノザの借金が明らかになったとナドラーSteven Nadlerはいっています。これはレベッカRebecca de Spinozaからの目線で考えるとよく理解できます。レベッカは遺産相続人であるとスペイク に申し出たわけですが,その時点でスピノザの遺産がどれほどのものであるか分かっていませんでした。なのでレベッカがスペイクに遺品目録を作成する権限を与えたのは,その内容を詳しく知りたかったからだということになるでしょう。この路線で解すると,ナドラーがここでいっていることは一貫性があることになります。
なお,これは遺品の目録ですから,たとえばスペイクが支払った葬儀代の費用は含まれていません。スペイクはこの遺品目録にあった負債だけでなく,そうした費用についてもレベッカに請求しました。前にいっておいたように,スピノザには未払いの家賃があって,それをナドラーはスピノザのスペイクに対する借金と表現しているのですが,そうした借金もまた遺品の目録に含まれていたわけではなく,スペイクがレベッカに対して直接的に請求したものでした。もちろん遺品目録の中には,売ることによって得られるものもあったでしょうが,そうしたものから借金を支払ってしまうと,もしも自分の手にいくらかの金銭が残されたとしても,それが僅かであるということが,レベッカにもはっきりと分かるようになったのです。
このためにレベッカはスペイクから請求された借金,すなわちスピノザの未払いの家賃と葬儀代を支払うことを拒みました。スペイクの方はレベッカが遺産相続人であることを主張するならそれは支払われるべきだと考えていましたから,そのために代理人を立ててレベッカに請求しました。これが1677年5月30日のことであったとされています。そしてこの日にレベッカは,ハーグDen Haagの裁判所に対して,この支払いを一時的に保留するための嘆願書を出しています。これは『スピノザの生涯 Spinoza:Leben und Lehre 』にも書かれていることであって,むしろナドラーがフロイデンタール Jacob Freudenthalの調査に依拠している事柄です。これは『ある哲学者の人生 Spinoza, A Life 』の方に詳しく示されている記録が残っていますから,この嘆願書がこの日に出されたことは史実です。
『なぜ漱石は終わらないのか 』の第九章の中で,長男と次男の関係の複雑さについて語られている部分があります。
この時代の家制度では,家督を長男がすべて相続することになっていました。次男は長男に何かがあった時の代理のような存在であって,だからたとえば『それから 』では次男に代助 という名が与えられているのです。逆にいえば漱石がそういう名を与えたということは,漱石はそのことに自覚的に小説を書いていたということになります。
『こころ』では先生が叔父に財産を横領されます。叔父というのは父の先生の弟であって,家督を何も相続できなかったわけです。だからそういう人のことを長男は養う義務があったのであって,その長男が死んだ以上,先生には叔父を養う義務があったともいえます。そう考えれば,叔父が先生の財産を横領したことは,叔父にとっては当然の権利であったとみることもできるのです。
『門 』という小説は,この長男と次男の関係が破壊されているという主旨のことがいわれています。宗助は長男ではありますが,各地を転々とした上で東京に出戻ってきたのであって,経済的にはむしろ困窮しています。それで父親が形見として残した屏風を売ることになるのですが,この屏風は正月に出すようなこの家,野中家ですが,その野中家の象徴のようなものなのです。長男である宗助は本来であればそれを受け継がなければならない存在,単に屏風を動産として受け継ぐという意味ではなく,野中家を受け継ぐという意味でも受け継がなければならないのですが,それを経済的な事情によって売ってしまうのです。これは長男が相続した家督を経済的に次男が売ってしまうという物語としてあるべきプロットなのであって,ここでは長男である宗助が次男化してしまっているのです。
長男の次男化というのが『門』という小説の主題のひとつを構成していると解すると,またこの物語の中に違った意味を見出すことができるかもしれません。
コレルスの伝記 Levens-beschrijving van Benedictus de Spinoza では,宿主が懇願を受けて葬儀の世話をしたとあります。この宿主がスペイク を意味するのは間違いありませんが,だれから懇願を受けたかは定かではありません。スピノザの友人だったかもしれませんし,もしかしたら地域の公職者であったかもしれません。そしてこの葬儀にかかる費用の全額に関しては,リューウェルツ Jan Rieuwertszがすべてを支払うという約束の保証になったと書かれていますが,この部分は日本語の文章として不自然であるように思えます。リューウェルツは葬儀の費用をスペイクに支払うことを保証したという意味であって,日本語の意味からすれば,リューウェルツは保証人になったということだと思います。
ただしここで示されているのは3月6日付の手紙です。これは1688年3月6日とされていますが,それでは遅すぎますから,訳者の渡辺が訳注でいっているように,1667年の誤りでしょう。スピノザが死んだのは1677年2月21日で,25日に埋葬されたとされています。葬儀は埋葬の日だったと思われますから,リューウェルツが保証したという手紙はそれよりも後です。したがって,とりあえずスペイクが葬儀費用を立て替えておいて,その費用について後にリューウェルツが保証したというようにも読めますし,葬儀費用について事前にリューウェルツは何らかの方法でその費用を支払うという約束をしておいて,その約束を基に葬儀代をスペイクが立て替えたというようにも読めます。この部分の真相は分かりません。
リューウェルツからスペイクに宛てられたこの手紙には,スヒーダムSchiedamの友人がスピノザの愛顧に報いるために,スペイクに支払うべき金額のすべてをリューウェルツに送ってきたので,それを同封するという主旨のことが書かれていたとありますから,この3月6日付の手紙がスペイクに届いた時点で,スペイクが立て替えた葬儀のための費用は支払われたのだろうと僕は解します。したがって,この手紙の中で葬儀費用についてリューウェルツが保証したという記述が,何を意味するのかが分からないのです。なおここに出てくるスヒーダムの友人は,シモン・ド・フリース Simon Josten de Vriesの弟であったと思われます。
『生き抜くためのドストエフスキー入門 』で汎悪霊論 が触れられている直後に,チホンとスタヴローギンの信仰に対する考え方の比較が考察されています。
チホンとの対話の中でスタヴローギンが,チホンに神を信じているかと尋ねます。もちろんチホンは信じていると答えます。するとスタヴローギンは,山に向かって動けといえば山を動かすことができるかと尋ねます。山に動けといえば動くのが信仰の証のようなものであって,チホンもそこには同調しています。ただしチホンは,神の言いつけであれば山は動くという主旨の返答をします。これはスタヴローギンを納得させるものではありませんでした。それだと山を動かすのは神であって,チホンではないように思えたからです。そこでスタヴローギンは重ねて,チホン自身が山を動かせるのかと尋ねます。するとチホンは動かせないかもしれないと答えます。自身が山を動かせると自信をもっていえないことについては,チホン自身の信仰が不十分だからだとしています。
この答えにスタヴローギンは驚きます。チホンほどの人でも信仰が不十分であるということに,スタヴローギンは率直に驚いたのです。
信仰のゆえに山を動かせるのかという質問したとき,スタヴローギンはばかげたことを聞いて申し訳ないという意味のことを言っています。しかし実際には,信仰心の中に含まれているエネルギーを集中させれば山を動かすことができるということについては,チホンよりもスタヴローギンの方が信じているのです。だからチホンは山を動かせないことについて自分の信仰心を理由にしたのですし,その答えにスタヴローギンは驚いたのです。
チホンはキリスト教の熱心な信仰者であって,スタヴローギンは無神論者です。そしてそれは,信仰心がもっている力をスタヴローギンの方がチホンよりも過大に評価しているがゆえなのかもしれません。スタヴローギンは信仰の力をあまりに大きく評価しているがために,神を信じることができなくなり,無神論者になってしまったという解釈も可能でしょう。
ここまでの事情からすると,キュラソー島に移住したレベッカが,自分はエステルの娘であると自称したら,キュラソー島でレベッカと共にユダヤ人共同体を構成していた人びとは,レベッカがいうことを信じるほかなかった可能性があります。レベッカの詳しい出自を知っている人が,そこにはいなかった可能性があるからです。また,レベッカが仮にそう自称していたとして,なぜそのような嘘をレベッカがつかなければならなかったのかということは問題として残るでしょうが,何らかの事情のために人が自分の年齢を若く偽るということは,絶対にあり得ないということではないのであって,レベッカはそのようなことをいう筈がないと断定することができるというものではないでしょう。
ナドラーSteven Nadlerがいっている通り,また吉田がそれに従っている通り,キュラソー島に住んでいた人びとがレベッカはエステルの子どもであると思っていたのは間違いありません。しかしキュラソー島に住んでいた人びとがそのような印象をレベッカに対して抱いた原因が,レベッカ自身にあったのだとすれば,そのことをもってレベッカはスピノザの妹であったといえるわけではありません。レベッカが自分はエステルの娘であると自称するのであれば,エステルがスピノザの姉であろうと妹であろうと,同じだけの可能性があるからです。なので,吉田が積極的理由といっているものが,絶対的なものとなるとは僕は思わないです。もちろんそれは,レベッカがスピノザの妹であったということを否定するものではありません。単にスピノザの妹であったということの大きな理由を構成することはできないのではないかということです。いい換えれば吉田が提出している積極的理由は,定説を覆すほどのものとなっていないのではないかと僕は思います。
なのでレベッカがスピノザの姉であったのか妹であったのかということについては,僕はここでは結論を出しません。イサークがスピノザの兄でガブリエルは弟であったこと,そしてミリアムMiryam de Spinozaがスピノザの姉だったことは間違いありません。レベッカは定説ではスピノザの姉とされていますが,吉田のいう通り,妹だったかもしれません。
汎悪霊論 について書いたときにいったように,僕はドストエフスキー がスピノザを知っていたとは思いません。普通に考えて,ドストエフスキーがスピノザのことを知るような機会があったとは思えないからです。ただ,ドストエフスキーとスピノザを繋ぐラインがまったくなかったというわけではありません。細いものではありますが,1本だけそういうラインは確かにありましたので,それを紹介しておきましょう。
『悪霊 』でフェージカがスタヴローギンの使嗾 によってスタヴローギンの妻であるマリヤを殺す場面は,火事も含めて『ファウスト』をモチーフにしていると『ドストエフスキー 父殺しの文学 』の中で指摘されています。『ファウスト』の作者はゲーテですが,ドストエフスキーとゲーテ の間には一定の関係があって,ドストエフスキーはゲーテのことを評価していました。つまりドストエフスキーはゲーテを読んでいたのです。
何度もいっているようにゲーテはスピノザ主義者であって,いわゆる汎神論論争のときには親スピノザの立場からヤコービに反論しました。つまりゲーテが書き残したものの中にはスピノザに触れたものがあるのです。したがって,『ファウスト』のようなゲーテの小説だけでなく,ゲーテが書き残したスピノザに関連したものもドストエフスキーが読んでいたとしたら,ドストエフスキーはスピノザのことを知っていたということになるでしょう。僕はその可能性はないとみるのでドストエフスキーがスピノザを知っていたということはないと思いますが,僕がいっていることが絶対に正しいとは僕はいいません。
ただし,あったとしてもラインはこれだけですので,仮にドストエフスキーがスピノザのことを知っていたとしても,それはゲーテを通したスピノザです。いい換えればゲーテが解釈したスピノザであって,ドストエフスキーが自身でスピノザの哲学を解釈したことはないのは間違いないと僕は思います。なので佐藤がいっていることが正しいとしても,ドストエフスキーが意識したのはゲーテを通したスピノザで,スピノザそのものではない筈です。
妹の薬 を処方してもらっているのは,根岸駅の近くにあるチェーン店の薬局 です。これはてんかんの薬だけでなく,目薬 も同じです。薬局は同一店に集中させた方がよいと僕は考えているのでそのようにしています。このチェーン店の薬局になったのは,僕が中心に妹の世話をするようになった時点で,そうなっていたからです。そしてそれ以降はそれで何の不都合もありませんでしたから,今でもそのようにしています。
ただ,僕は同じ薬局を選ぼうとは思っていませんでした。母もこの薬局を利用していましたから,母のS字結腸癌が発見された後,母に処方された薬を僕が取りに行くというときにはここを利用していました。ただ母の癌がいよいよ末期になり,麻薬が処方されたときには,ここではすぐに処方してもらうことができなかったからです。そしてそのとき,僕は僕の薬を処方してもらっていた個人薬局に行ったのですが,そこでは当日の午後には処方できるということでした。つまり特殊な薬品になると,チェーン店よりも個人薬局の方が頼りになるということを僕は経験的に知っていましたから,選ぶなら個人薬局の方にするということも,前もって決めておいたのです。
I歯科とО眼科は,何度かいっているように同じビルの中にあります。どちらも2階にあるのですが,1階には2軒の薬局があるということを僕は知っていました。このビルも根岸駅の近くなので,僕はその2軒のうちのどちらかにしようと思っていました。そしてその予定通り,その2軒のうちの一方を選びました。このときに一方を選んだ規準は簡単で,その日に空いていた方を選んだということです。空いている方が早く処方してもらえるだろうということです。ただこの日はさすがにインスリンも注射針も在庫がありませんでした。インスリンとか注射針というのは普通に在庫があるような薬品ではないのです。なので発注だけ依頼して帰りました。帰宅したのは午後4時25分でした。
11月21日,火曜日。前日に発注しておいたインスリンと注射針は,この日の午後には受け取れる手筈になっていました。出掛けた帰りに寄って受け取ることができました。
『夏目漱石『こころ』をどう読むか 』の中に,荻上チキのエッセーが掲載されています。このエッセーは僕には意外な観点から『こころ』に触れています。しかし荻上のエッセーについて触れる前に,僕はこのエッセーを読むことによって気付いたことがありますので,それを先にいっておきます。それは,『こころ』という小説は,直接的であれ間接的であれ,多くの人の死が語られているという点です。ここでは物語の順序ではなく,時系列でどのように死が語られているかをみていきます。
まず最初に死ぬのは先生の両親です。正しく並べると,まず先生の父が死に,看病の結果として父と同じ病気に感染した母が死にます。
この後で先生は遺産の管理を叔父に任せるのですが,叔父に裏切られたことを契機に故郷には戻らないと決め,東京で下宿を探します。探し当てたのが日清戦争で未亡人が住んでいた仮定です。ここでは間接的にこの未亡人の旦那の死が語られています。
先生はこの下宿にKを住まわせます。そしてKはこの下宿で自殺してしまいます。
Kの死の後,先生は未亡人の娘,お嬢さんと結婚しますが,結婚後に未亡人が病死します。
先生と私が出会うのはこの後です。最終的に先生は自殺する,正確にいえば自殺を仄めかす遺書を私に送ります。このとき私は故郷に帰っていたのですが,これは私の父が死の床にあったからです。こちらも物語の中では死にませんが,物語の終了後にすぐに死ぬのは確実という状況ですから,死が語られているといっていいでしょう。
そしてこれとは別に,物語の登場人物とはいいがたいのですが,物語の進行過程の中で明治天皇が病死し,乃木が明治天皇を追って殉死します。この殉死は実際には乃木の妻である静子との心中で,それはまったく触れられていませんが,『夏目漱石「こゝろ」を読み直す 』でいわれているように,先生の結婚相手のの名前が静 と名づけられる理由を構成しているといえます。
『こころ』はそんなに長い物語ではありません。それなのにその中で,これだけの死が語られているのです。これは異様といっていいかもしれません。
結論から端的にいっておきますが,愚者は自然の秩序ordo naturaeに従うよりそれを乱す者であるということはありません。もっともこのことは愚者にだけ特有に妥当するのではなくて,現実的に存在するすべての人間に妥当します。いい換えれば,この文からは,愚者に対して賢者は自然の秩序に従い,愚者はそれを乱すということが暗示されているのですが,賢者が自然の秩序に従っているのと同様に,愚者も自然の秩序に従っているのです。いい換えれば,賢者は自然の秩序に従っているようにみえるような仕方で自然の秩序に従っていて,逆に愚者は,自然の秩序を乱すようにみえる仕方で自然の秩序に従っているまでです。このことは第四部定理四系 から明白であるといわなければなりません。
ここで自然の秩序といわれるとき,それがどのような秩序として含意されているのかまでははっきりと分かりません。このこと自体はスピノザがそのように考えているというわけではなく,スピノザからはそのようにみえているというだけなので,スピノザからそのようにみられている人びとにとっての自然の秩序が具体的に何であるのかということまでは措定することが難しいからです。ただスピノザがいいたいのは,どのように自然の秩序というものを表象したとしても.本来的な自然の秩序には現実的に存在するすべての人間が従っているので,表象されている自然の秩序に従っているようにみえるとしても逆にそれを乱すようにみえるとしても,そのこともまた自然の秩序から出てくるのであるということです。したがってこのことは,自然の秩序といわれる秩序だけではなく,すべての秩序に妥当するといわなければなりません。つまり何らかの秩序があって,その秩序を乱す者が存在するとしても,それは自然の秩序によってその秩序を乱しているということになります。
ただしスピノザは自然の秩序に対して知性の秩序ordo intellectusを引き合いに出すことがあります。第二部定理二九備考 では,知性の秩序とはいわれていませんが,ふたつの秩序が比較されていて,自然に共通の秩序に対応する秩序は知性の秩序といわれることになります。ただこのことはここでは重視する必要はありません。
『門 』の中で,宗助と御米の過去が詳しく語られるのは第十四節です。そこで宗助が御米を友人から奪ったことが明かされます。この友人は安井といい,宗助は最初は御米を安井の妹として紹介されるのですが,そうでないことはすぐにはっきりとしました。安井が病気になって回復したということ以外に詳しいことは語られないので,実際に安井と宗助,そして御米の間に具体的に何があったのかは分かりません。とにかく後に宗助と御米は結婚し,各地を転々とした後,物語が進捗していく時点では東京に住んでいます。
このときに宗助と御米が住んでいた家の裏に,坂井という人が住んでいました。宗助と坂井は仲良くなって,宗助が坂井の家に出入りするようになります。第十三節の中で,宗助が坂井の家を訪ねたときに,織屋がいて,宗助もその織屋から御米のための銘仙を3円で買って帰るというプロットがあります。これは坂井が織屋と交渉してかなり値引きさせた金額でした。銘仙をもって帰った御米に事の顛末を話し,品のよい銘仙が3円とは安いといって笑います。
このプロットの中の安いというのは,安井にかかっていて,このことによって宗助と御米が安井のことを想起する契機となっているのだと,『なぜ漱石は終わらないのか 』の第九章の中で小森が指摘しています。実際にこの日の夜,御米が宗助にある告白をします。これは,自分は子どもを産むことができないということを,易者に指摘されたというものです。この易者は,御米は人に対して済まないことをした記憶があって,その罪が祟っているから子どもはできないといったのです。結婚後の6年間で,これまでに実際に御米は何度か懐妊はしていたのですが,子どもを産むことはできませんでした。
済まないことというのが安井と関係しているのは疑い得ません。そして確かに安いと笑ったときに御米が安井のことを思い出したから,この晩の告白に繋がったのかもしれません。
道徳的命令を発していないような道徳に対して何か不満を感じることがあるとすれば,それは命令を要求しているからにすぎません。國分はスピノザの道徳は一切の命令を発することはないというようにいっていますが,僕は自己の利益suum utilisに準ずるような命令は,まったく発しないというようには考えません。実際に國分自身も,第四部定理一八備考 でいわれていることは,一種の道徳的命令として解することができるといっているように思えます。もちろん実際にはこれは命令ではないのですが,仮に命令というものがあるとしても,『エチカ』においてはすべてこのような類のものになります。しかしそれは僕たちが道徳的命令として理解しているものとはあまりに異なっているといわざるを得ないでしょう。ですから國分がいっているように,『エチカ』はあるいはスピノザの哲学は,一切の道徳命令を発することはないというように解して間違いありませんし,とくに,たとえば他人を殴打するなというような類の命令を道徳に求めているのであれば,スピノザの哲学からはそのような命令は生じ得ないと解しておく方がよいでしょう。これはスピノザが,第四部定理八 において,善bonumと悪malumをそれぞれ意識された喜びlaetitia,意識された悲しみtristitiaと規定していることからの必然的な帰結です。この意識conscientiaを超越したような善悪が存在するということをスピノザは認めないのですから,自己の意識を超越したような善悪に関する道徳的命令は発令されようがないのです。
念のためにいっておきますが,第四部定理四系 により,現実的に存在する人間は常に受動 passioに隷属するのですから,スピノザは超越的規範の有用性,あるいはそうした超越的規範から発せられるような道徳的命令の有用性を否定するnegareことはありません。そうした命令が受動的な人間を,理性ratioに従っている人間がなすのと同じように行為させる限り,その規範および命令は有用であるとしかいいようがないからです。これは受動的な人間を敬虔pietasにさせるような規範や命令は有益utileであるという意味なのであって,たとえば聖書が神Deusを愛することと隣人を愛することについて服従することを命令するのは有用であるというのが一例になります。
先月のことになりますが『夏目漱石『こころ』をどう読むか』という本を読み終えました。2014年5月に河出書房新社から発売された本が,2022年12月に増補版として出版され,僕が読んだのはその増補版の初版です。増補版には2本のエッセーと1本の評論,そして三者対談がひとつ,新しく収録されています。
新しく収録されたものから分かるように,この本は多くのエッセーおよび評論から構成されています。編者は石原千秋です。もちろん本の題名から理解できるように,すべての評論とエッセー,そして対談はすべて『こころ』と関係しています。ただし関連の度合はきわめて高いものあればそうでないものも含まれます。評論はともかくエッセーの方はその割合が高く,『こころ』について語られているけれども,その主題は必ずしも『こころ』にあるわけではないというものも含まれています。
三者対談も含めた対談が4本。エッセーは10本。評論は8本。このほかに柄谷行人および吉本隆明の講演が2本。これ以外に冒頭と末尾に編者である石原の文章が掲載されています。これだけのものを1冊の本に収録したわけですから,評論もそれほど長いものが含まれているわけではありません。
なお,評論の中には,すでに僕が読んでいたものもあります。石原千秋の「眼差しとしての他者」は初出は「東横国文学」ですが,『反転する漱石 』の中に収録されています。また小森陽一の「『こころ』を生成する心臓」は,初出が「成城国文学」で,ちくま文庫版の『こころ』の解説として掲載されています。
エッセーの中にも評論の中にも,僕にとって興味深いものが多く含まれていました。それらについては徐々に紹介していくことにします。
このことからスピノザが何を主張しているのかといえば,意識conscientiaが良心conscientiaを参照して自身の行動を決定するdeterminareというわけではないということです。あるいは同じことですが,僕たちをして善bonumにも悪malumにも舵を取らせることができる中立的な意識があるわけではないということです。むしろこの場合の意識は,僕たちの感情affectusを参照する限り,常に善か悪かの認識cognitioに至っているのです。ですからその感情の対象を善と認識するcognoscereか悪と認識するのかということは,僕たちが自身の感情を参照したときにはすでに決定されているのです。
國分はこの部分では触れていませんが,このことは人間には自由意志voluntas liberaがないということと関連しているといえます。僕たちが善の方向にも悪の方向にも舵を取ることができないということは,僕たちは僕たち自身の自由意志によって善を選択したり悪を選択したりすることはできないということと同じだからです。ただここでは良心と意識の関係でこのことがいわれているのですから,そのことに注視する必要はありません。中立的な良心というものがないということが重要です。むしろ語源的な観点から,良心と意識が同じものであるとするならば,良心によって何事かを善であるとか悪であるというように判断するのではなくて,良心が悲しみを齎すなら僕たちはそのことを悪と判断し,逆に良心が喜びを齎すなら僕たちはそのことを善と判断するだけなのです。
國分はこの後で,意識と良心の関係についての考察を続けていますが,そのことはすでに探求してありますからここでは省略します。ただ僕はここでひとつだけいっておきたいことがあります。それは,第四部定理三七備考一 との関係です。かつて僕は,そこでいわれている宗教心 religioというのが,僕たちが宗教心とか信心といった語で表そうとすることとはかなり隔たりがあるのであり,だからそこで畠中が,神を認識する限りにおいてすべての欲望 cupiditasと行動を宗教心と関係させるとは訳さずに,宗教心に帰すると訳したのは適切だったといいました。ただ本来であれば,宗教心に変わる適切な日本語があるのなら,宗教心に変えてそちらの訳語を用いる方がなお適切であるだろうと僕は考えているのです。
『なぜ漱石は終わらないのか 』の第八章で,小森が『それから 』の代助 と三千代の過去の関係について,独自の解釈を示しています。おそらくその時点で代助と三千代は相思相愛だったのですが,代助は平岡に三千代のことを譲ってしまいました。なぜ代助がそうしたのかということについての一助となるような解釈です。
『それから』の第14節で,代助と三千代が過去を回想する場面があります。その中に,代助は美千代の動作と談話からある特別な感じを得たという意味のことが書かれています。前後の文章の脈絡から,動作というのは三千代がただ一度だけ髪を銀杏返しに結ったけれども,それ以降は代助の前ではその髪型に結わなかったということで,談話というのは,三千代が代助に対してarbiter elegantiarumという異名を濫用したことを指します。これはラテン語で,趣味の審判者という意味です。代助と三千代が知り合ったのは,三千代の兄と代助が親しかったからでした。兄と代助が会話の中でこのラテン語を使っていて,三千代はそれを覚えたのです。
三千代の兄はその後に死んでしまうのですが,代助はこのふたつのことから,代助と三千代が結婚することを兄が三千代に対して禁じていたと解したのではないかと小森はいっています。銀杏返しというのは未婚の女の髪型で,その髪型をした三千代に対して何らかの性的関心を代助が有したから兄は代助の前でその髪型にすることを三千代に禁じたのであり,また,三千代が代助を趣味の審判者という異名で呼ぶのは,代助と三千代の関係が趣味だけのものに留まるように兄が考えて,三千代に代助をそのように呼ばせたと代助は考えたということです。実際に兄から三千代にそのような命があったのかは代助には分かっていません。ただこの兄妹の父は株で失敗して経済的に苦しくなったから,三千代をよいところに嫁がせなければならず,それには自分は相応しくないという自覚が代助にあったとしてもおかしくはありません。
ただ,代助がそれを兄の遺言のようなものと解していたとして,平岡を三千代に周旋したのには疑問は残ります。兄の遺言の条件に,平岡なら相応しかったというようにも思えないからです。
この考え方によって,契約pactumそのものの概念notioは,抽象的なものではなく具体的なものとなります。國分はスピノザの契約概念には弁証法的展開があると指摘していて,そのふたつのポイントのひとつに契約の具体化をあげていましたが,具体化の方が意味しているのはこのことです。スピノザ自身がいっているところによれば,至高の権力の権利jusは万事に及び,個人の自然権jus naturaeは至高の権力に譲渡されることになっていて,このことは無理せず実践できることであって,実践の方法論も,その理論に見合った形に改善することができます。しかしそうはいっても,それは多くの点で純粋な理論にとどまっているのです。いい換えれば現実的ではないのです。それがなぜかといえば,現実的に存在する人間が自身の自然権を,あるいは同じことですが自身の力potentiaを,自分が人間をやめてしまうくらいまで他人にあるいは至高の権力に譲渡してしまうということはだれにもできないからです。そしてそのゆえに,万事を思うがままに実行することができる至高の権力というのもまた,現実的には存在することができないのです。
このようにして,『神学・政治論 Tractatus Theologico-Politicus 』の中でも,強権的な国家Imperiumが成立することを否定するnegareことに成功しているというように國分は指摘しています。それが本当の意味での成功といえるのかどうかは僕には分かりません。少なくとも社会契約論を理論的に用いるのであれば,強権的国家の成立は必然的な結果effectusであると僕はみるからです。ですから少なくとも実践を無視した理論的側面に注目する限り,スピノザは強権的国家の発生を防いでいるとは僕は思わないです。ただ前もっていっておいたように,スピノザは哲学する自由libertas philosophandiを保守することを目指していたし,それが保守されなければ国家の安全も道徳心も損なわれるといっているのですから,強権的国家を否定する側にスピノザがそもそも立っていたということは間違いありません。それを社会契約論を利用することによって導出することが可能であるかどうかは別にして,たとえ社会契約論を利用しても,国家が強権的であることを否定することをスピノザが最初から目指していたことは間違いないといえるでしょう。
『生き抜くためのドストエフスキー入門 』の第二章は『白痴』です。『白痴』ではムイシュキン公爵 がカトリックのことを激しく批判する場面があります。なぜムイシュキンがカトリックを批判しなければならなかったのかということを,佐藤が詳しく解説しています。
『白痴』のムイシュキンによるカトリック批判の要旨は,カトリックは無神論よりも悪いというものです。そしてその理由としてムイシュキンがあげているのは,無神論はただ無を説くだけだけれども.カトリックは歪められた神を説くからだというものです。ムイシュキンによればローマカトリックは信仰ですらなく,西ローマ帝国の継続にすぎず,そのゆえに民衆の大部分は信仰を失い始めています。佐藤が説明しているのは,なぜムイシュキンがこのような仕方でカトリックを批判するのかという点です。
佐藤はその理由を,ローマカトリックとロシア正教における神と人の関係の捉え方の相違にあるとしています。ごく簡単にいうと,ローマカトリックにおける救済というのは神から人間に対する一方的な恩寵であり,この恩寵はイエスを通して神から人間へと降りてきます。これに対してロシア正教では,人間が神になるということが究極の目標とされます。つまり現実的に存在する一人ひとりの人間がすべて神になることができるということが,ロシア正教の中心的な教義なのです。
ここでムイシュキンが,ローマカトリックが西ローマ帝国の継続にすぎないといっている点も重要です。西ローマ帝国を継続しているのは,カトリックだけでなくプロテスタントも同様であるというようにロシア正教からはみえるからです。この部分ではムイシュキンはロシア正教をロシアの国家宗教とみていて,ロシアと一体化させています。この路線でいえばロシアは西ローマ帝国の継続ではなく,東ローマ帝国,ビザンチン帝国の後継帝国で,キリスト教的東洋なのです。つまりここには西洋と東洋の対立が含まれていて,この対立は現在まで続いているといえるでしょう。
ホッブズThomas Hobbesの理論では,自然状態status naturalisは万人の万人に対する闘争状態であるから,その状態を回避するために,万人が自然権jus naturaeを放棄することによって社会契約を結ぶということになっています。したがってこの契約pactumは一回性のものであることになります。しかし,そのような社会契約が本当に存在したのかという疑問や,自然状態において万人がそのような契約を締結するのが可能なのかという疑問は出てきます。僕はそもそも自然状態などというものが存在しなかったと考えますから,ホッブズの理論が有益であるとすれば,社会societasの成立を理念的に説明するのに役立つというように解しますから,このような疑問を呈したりはしませんが,もしもホッブズの理論が,現実的に存在する社会の成立をそのまま説明するものであると解すれば,その社会契約論がこのような批判にさらされることになるのはごく当然のことだとは思います。
このような批判が出てくるのは,そもそも自然権を放棄するということが不可能なのに,それを可能なものと前提しているからだというのは,ひとつの見解opinioとして出てくるでしょう。スピノザの国家論はその観点からホッブズの国家論を修正したものだといえます。このためにそこでは,ホッブズの社会契約が一回性のものであるのに対し,スピノザの社会契約はいわば反復されるものとして提示されることになります。つまり何らかの社会契約が締結されているということが,現にその社会契約が履行されているということによって保証されるというようになっています。そしてこのようにすれば,少なくともその社会契約を履行している人びとが,その社会契約を締結している集団,たとえば国家Imperiumの中で生きているという現実を説明することができるでしょう。少なくともホッブズの社会契約論は,集団たとえば国家の始原となるような,絶対的な起源の説明でしかないのに対し,スピノザが引き継いだ社会契約論が,そのようなもの,國分のことばを借りれば,神話的なものとなっていないことは理解できると思います。
ただし,このような仕方で社会契約の理論を引き継いだとしても,なお解決しなければならない問題は確実に残ってしまうのです。