スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

カーンの雑感⑧&白内障

2021-07-31 19:01:18 | NOAH
 でいったように,キラー・カーンは1985年から全日本プロレスで仕事をすることになりました。カーンはでいった事情から新日本プロレスの所属選手となりましたが,後にジャパンプロレスに移籍し,そのジャパンプロレスが全日本プロレスと業務提携したことで,全日本プロレスで仕事をする機会を得ることができました。この移籍について,カーンが裏事情を告白しています。
 カーンによれば,新日本プロレスではお金の面でいろいろと嫌なことがあったのだそうです。カーンは具体的には話していませんが,そのニュアンスからは,単に待遇つまりファイトマネーが嫌だったということもあったかもしれませんが,会社のお金の使い方に対して疑問を感じる部分があったということも広く含まれているように僕には思えました。なので,カーンは新日本プロレスを退社して,アメリカでプロレスラーとして生きていこうと考えていました。カーンが大巨人の脚の骨を折ったとされるのはアメリカでの出来事で,カーンはアメリカでも有名な選手ではあったのです。そして何より体格に恵まれていましたから,おそらく本気でそうしようと思えばそうできたのだろうと思います。
 ところがこの時期に,長州力をトップにしてジャパンプロレスを設立しようという動きが生じました。カーンはこの話を,永源遥からの電話で,アメリカで知らされたと言っています。同時に永源は,だからカーンもジャパンプロレスに参加するように求めました。おそらく永源は,カーンが新日本プロレスに対して不満を抱いているということは知っていたのだろうと推測されます。ですがカーンはアメリカで生きていく決意を固めていましたので,この要請は断りました。すると永源は,カーンのことを脅迫したので,カーンは仕方なくジャパンプロレスに入団することになったとカーンは話しています。永源は反社会的勢力の人たちと付き合いがあったので,それが可能だったそうです。
 永源はずっと後にNOAHで,反社会的勢力との関係から処分を受けていますので,脅迫があったのはおそらく事実でしょう。ただしそれがカーンの弱みに付け込んだものなのか,それとも単なる暴力をちらつかせるような脅しだったのかは定かではありません。
 つまり,カーンにとってジャパンプロレスへの入団は,本意ではなかったのです。ところがその本意ではなかった行動のゆえに,念願だった馬場の下で仕事をするという機会に恵まれました。

 12月10日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 12月11日,金曜日。妹をO眼科に連れて行きました。この日に眼鏡を処方してもらう予約を入れておいたからです。この通院がありましたので,この週は木曜日に妹を迎えに行きました。
 眼鏡の処方は,僕が網膜症の検査をしてもらっている院長のO先生ではなく,別の医師が担当しました。おそらく別の医師が来院するのが火曜日と金曜日だけなので,眼鏡の処方は火曜と金曜だけで,事前に予約が必要ということだったようです。
 まず最初に視力検査が行われました。どれほど矯正しても,妹は0.3程度しか見えていないようでした。これはほかに問題がある可能性があるので,診察を受けた方がよいと言われました。なのでこの後で診察の順番を待つことにしました。
 診察はO先生が担当しましたが,両目とも白内障の症状があるとのことでした。さらに左目の眼球には傷があるとのことでした。このふたつが複合して,よく見えなくなっているのではないかとのことでした。
 眼球の傷については,妹はまだ若かった頃に,二重にする手術を受けたことがあるのですが,その影響があるかもしれないとのことでした。ただそうなるとそれは30年以上前のことになりますから,妹の視力というのはすでにその頃から悪かった,あるいは悪くなっていたということになります。僕は妹が眼鏡を作ったのと,その手術をしたのと,どちらが先であったか覚えていませんが,どちらも30年以上前のことだったのは間違いありません。僕も10代の頃ですから,妹のことを今ほどは気に掛けていなかったこともあり,はっきりとした記憶がないのです。
 白内障に関しては,すぐに手術をする必要はなく,経過を観察して,さらに悪化するようなら手術を視野に入れなければならないとのことでした。この白内障もこのときに初めて分かったというだけで,実際にはずっと前から発症していたのかもしれません。ですから,これからどのようなスピードで悪化していくのかということは,僕としても確認しておきたいところでした。それが分かれば,発症の時期も推測できるのではないかと思えたからです。
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流星⑥&2020年11月の通院

2021-07-30 19:19:54 | 歌・小説
 3番はだけです。この後に,この楽曲の中で何度か,つまりの後との後でも歌われていた部分がまた歌われることになります。

                                   

     香川 新潟 大阪 宮城 姫路 山口 袖ヶ浦

 で歌われていたように,歌い手が乗っていたバスは,山頂のサービスエリアで停車しました。そこには何台もの長距離トラックが駐車されていたのです。ここで歌われているのは,そのトラックのナンバープレートのことです。この山頂のサービスエリアというのがどこにあるのかということはまったく分かりませんが,トラックはそこに全国各地から集結していることになります。

     流れる星よ いつか最後にどこへたどりつこうというんだろうか

 ⑤で歌われていた流星は,装飾を施された長距離トラックのことです。ですからここで歌われている流れる星というのも,長距離トラックのことを意味します。だから当然ながら,最後に辿り着くべき目的地というのが存在するわけではありません。ただそのときそのときの目的地へと走り続けるだけです。そして今晩もまた,いくつもの流れ星が,日本中をあちらこちらと走り回っているのです。

 診察が開始になったのは午後3時10分でした。予約は午後2時半でしたが,僕が病院に到着したのが午後2時25分でしたから,その時間に間に合わないのは当然でした。僕はこの日も予約は午後3時だと思っていましたから,その時刻の到着になったのです。いい換えれば,僕が思いこんでいた通り,午後3時の予約であったとしたら,ほぼ予定通りの時刻に診察が開始されたことになります。
 HbA1cは7.4%で,10月よりは上昇していました。しかし数値としていえば悪いものではありません。一方,低血糖は全体の3.3%でしたが,そのすべてが昼食前に集中していました。すなわち,その他の時間帯は低血糖の割合は0%だったのですが,昼食前だけは12.0%と,異常に高くなっていました。よってこれは下げる必要があります。そのためには朝に注射している超即効型のインスリンを減らさなければなりません。ということで,この日の朝までは0.09㎎の注射量であったものを,0.08㎎に減量するという措置が採用されました。
 この日はこれ以外には何も異常は出ていませんでした。何も異常がなかったのは9月以来でした。
 帰途に薬局に寄りました。インスリンも注射針も在庫がありました。帰宅したのは午後4時20分でした。
 12月2日,水曜日。ガス会社に電話をしました。僕の家で使用しているガス警報器の有効期限が迫っていましたので,交換を依頼するためです。日時を決定しました。
 12月5日,土曜日。土曜レクリエーションがありました。なのでこの週は妹を迎えには行きませんでした。
 12月7日,月曜日。この日にガスの警報器を交換しました。14850円でした。ガスを使うのはキッチンですから,当然ながらこの警報器はキッチンに設置されています。なので交換した方はキッチン周りの点検もしてくれました。そのうち,換気扇は15年前に設置したものなので,交換した方がよいと助言されました。なので見積もりを依頼しました。僕としても,設置されていた換気扇は掃除をするのが大変なので,もし掃除が楽になる換気扇があるのであれば交換したいと以前から思っていたのです。
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リスク&小型化

2021-07-29 19:11:22 | 将棋トピック
 それでは処分が発表されたとき,疑惑そのものについて僕が判断した理由を説明していきます。あくまでもこれは再構成であるといいう点には,くれぐれも留意しておいてください。
 三浦九段は棋戦に優勝したこともありますし,タイトルを獲得したこともあります。つまり棋士として大きな実績を残しています。またこの当時,三浦九段は順位戦ではA級に在籍していました。つまり一定の棋力は明らかに保持していたのです。
 そこで,一般にこうした棋士が,一局の将棋に関してコンピューターから指し手の援助を受けると仮定しましょう。この場合,その将棋に勝利するということに関しての利益は確かに得られると思います。ただ,三浦九段の棋力からすれば,そうした援助を受けずとも,一定の成績は残すことができると予想されますから,すべての将棋に関してその利益が得られるというものではありません。一方,そうした援助を受けているということが発覚した場合には,現在の地位も過去の実績もすべてを失うことになるだろうということが,容易に予見されます。したがって,そのことによって得られるであろう利益と,そのことによって失われるであろう損失の大きさを比べれば,後者の方が圧倒的に大きくなります。つまり,三浦九段に限らず,三浦九段と同等の棋士が,一局の将棋を勝つためにコンピューターの指し手の援助を受けるということは,あまりにリスクが高すぎる行為なのであって,もしそれを実行するなら著しく不条理な行為をなしているということになるのです。
 もちろんこのことは,指し手の援助を受けるということが発覚しないということについて,何らかの確信をもつことができる場合には成立しません。しかしそのような確信をもつことができる根拠は何もないでしょう。
 僕は基本的に,上述したようなことを第三種の認識cognitio tertii generisによって認識したということになります。気を付けてほしいのは,第三種の認識というのは論証Demonstratioそのものなのですから,具体的にこの論理的思考が僕の知性intellectusのうちで働いたというわけではありません。この点には注意しておいてください。
 ただしこれは論理的な事柄なのであって,現実的に妥当するというわけではないことも確かです。

 11月28日,土曜日。気掛かりだった妹の生理はこの日から始まりました。
 11月30日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 午後は内分泌科の通院でした。
 この日も予約は午後2時半だったのですが,病院に到着したのは2時25分でした。中央検査室では待機している患者はいなかったのですが,おそらく採血をする技師の都合ですぐには呼ばれませんでした。なのでまず注射針の処理を済ませてから採血をしました。採尿はトイレに行く必要があり,その場を離れなければならないので,後回しにしました。
                                   
 もうこの時点で診察の予約時間は過ぎていましたので,すぐに内分泌科の受付に向いました。そこで,血糖値測定器が新しいものになると告げられました。その測定器は,サマリーを受け取るのと同時に受付で受け取りました。変更になったのは測定器と測定するためのセンサーで,血液を抽出するための注射器と針は従来のものと同じです。大きさでいうと測定器は大きくなり,センサーは小さくなりました。小さくなると,抽出する血液がこれまでより少なくて済むことになります。ではいいことばかりかというとそうでもありません。一般的に物というのは小型化すると,使い勝手は悪くなるからです。たとえばセンサーというのは元から小さなものであって,それがさらに小さくなるのですから,1枚のセンサーを出すためにその分だけ手間取ることになってしまうのです。こうしたことは器用な人には問題にならないことでしょうが,僕にとってはそんなに小さなことではありませんでした。これもまた一般的にいうと,年齢を重ねていけばいくほど,物が小型化するということは必ずしもいいことばかりではない場合が増えていくのではないかと思います。
 なお,血糖値測定器というのは,買い取っているものではなく,借り受けているものです。ですからこの日まで使用していた測定器は,このときに受付に返却しました。正確にいうと,測定器はサマリーを出すために受付に提出します。この日もそのようにしましたので,サマリーを受け取るときに新しい測定器の方を受け取り,古いものはそのまま僕に返されなかったという形になります。
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個人の自然権&入院

2021-07-28 19:16:42 | 哲学
 自然権jus naturaeについて,それを個人のレベルで考察していくということが,具体的にどのような意味であるのかということを説明します。
                                   
 Aという人間が現実的に存在すると仮定しましょう。このAが,肘を曲げた上で拳を握り,曲げた肘を伸ばすという運動motusをすることができるとします。するとこの運動はAにとってなし得ることになりますから,Aの自然権に属することになります。
 Aのこの運動は,たとえばBという別の人間が現実的に存在したとき,Bを殴るという運動になり得ます。ですが僕はここでは自然権を個人のレベルで考えるので,この運動がBを殴る運動であるか否かということは無視します。つまりAのある運動が,他者との関係でどのようにみなされるということは一切の考慮に入れず,単にAのある身体運動としてのみそれをみるということです。いい換えれば単なるAの身体運動を,Aの自然権に属するというということです。
 同様に,Aは声帯を震わせることによって何らかの音を出すことができるならば,それはAの自然権に属することになります。このときその音は,あることばとして,他者を傷つけたり貶めたりするという場合があり得ます。ですがこの場合にも,これは単にAが音を出すことができるという意味においてAの自然権に属すると僕はいうのであって,そのAの発したことばが他者に対してどのような影響を与えるか,あるいは効果を齎すのかということはまったく考慮しません。
 これらはどちらもAの身体運動ですが,こうした身体運動がAの思惟作用と関係するという場合もあります。つまりAのある種の身体運動が,Bを憎んでいるということから生じるという場合もあるでしょう。感情affectusは第三部定義三第三部定理二により,ある人間の身体運動の起成原因causa efficiensとなり得ると同時に,Aの精神mensの状態も意味するからです。しかしこの場合にも,Aが何らかの感情をもつことができるのなら,それはAのなし得ることとして,Aの自然権に属すると僕はいいます。したがって,その感情が他者に与える影響は無視します。そしてこれは感情だけでなく,すべての思惟作用に妥当するというように僕は考えていると理解してください。

 11月23日,月曜日。午後1時にお寺の奥さんから電話がありました。
 お寺の檀家は何かと維持費を要します。僕はそうした維持費に関しては,予めまとまった金額を奥さんに渡しておき,必要なときにはその都度その中から使ってもらうようにしていました。基本的に年末にまとまった金額を渡し,それを翌年に使ってもらうというやり方です。そのために奥さんは毎年末に僕の家を訪問していました。ところがこの直前に,奥さんは消化器系の疾患により,2週間ほど入院していたのです。僕はそのことはこのときまで知らず,この電話で知りました。つまりこの時点ではすでに奥さんは退院していたのです。ただ病後の療養期間中なので,少なくとも11月のうちには来訪することができないだろうとのことでした。奥さんは現在は東京都内に住んでいますので,横浜の僕の家まで来るのは楽ではありませんでしたし,また新型コロナウイルスの感染を防止するという観点からも,そうした移動は控えた方がよかったというのもあります。ただ,お金は渡さなければなりませんでしたから,それをどういった方法でするのかということも含め,ある程度の時間の経過の後に,奥さんの体調がどの程度まで回復するのかということをみた上で決めるということにしました。
 11月24日,火曜日。妹を通所施設に送りました。23日は勤労感謝の日でしたから,妹も休日だったのです。
 11月27日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 実はこの頃,妹についてやや気掛かりな点がひとつありました。生理がなかったのです。僕は妹に対する介助の中では,生理に関連するものが最も大変だと感じていますので,ないというのはそれ自体では楽です。しかし生理というのは妹の年齢であれば本来は約1ヶ月に1度はあるべき身体現象なので,それがないとなればないで,心配にはなります。10月の生理との期間を考えてみれば,この前の週に家にいる間には生理が始まってもおかしくなく,僕はそのつもりでいたのですが,ありませんでした。ですから24日に送ったときには,通所施設の担当者に対して,この点は気掛かりであるという旨も伝えておいたのです。
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叡王戦&手

2021-07-27 19:13:53 | 将棋
 25日に神田明神で指された第6期叡王戦五番勝負第一局。対戦成績は豊島将之叡王が7勝,藤井聡太二冠が3勝。
 振駒で藤井二冠の先手となり,角換り。後手の豊島叡王が2筋の歩交換を許す指し方をしたところ,先手がそれに乗ったので,横歩取りの乱戦のような将棋になりました。
                                        
 後手が☖2七歩と垂らし,先手の銀が8八から上がったところ。飛車取りなのでとりあえず逃げる必要があります。AIが最善と示していたのは☖8二飛。ただこれは☗8三歩と打たれ,☖同飛は☗2三歩成☖同金☗5六角と打たれますので☖6二飛と辛抱しなければなりません。これはさすがに指しにくかったようで☖8四飛と逃げました。
 この局面でAIは今度は☗3九角と打つのが最善と示しました。これは☖2八歩成を受ける手ですが,こんなところに角を打っては普通はよいとは思えないのでやはり指しにくそうだと思っていたところ,この手は指されました。後手の飛車が8四に逃げたため間接的に飛車を睨む位置にはなっていて,活用の見込みがないわけではなく,その分だけ指しやすかったのかもしれません。
 後手は角の活用を阻止するべく☖6五歩から攻めに出ました。先手は一旦は☗8六歩と飛車先を受け☖6六歩☗同歩☖5五銀直のときに☗2三歩成と攻め合いに出ました。☖同金に☗2四歩。
                                        
 ここで☖2二金と逃げましたが,☗3四角からの攻め合いは先手に分があり,☖2四同金と取るべきだったようです。ですから分水嶺となったのはこの局面なのでしょうが,AIが最善と示した指しにくそうなふたつの手のうち,先手の方がまだ選びやすかったということも,明暗を分ける要素になったといえるかもしれません。
 藤井二冠が先勝。第二局は来月3日に指される予定です。

 1時間に1本ということになると,うまくタイミングが合わなければそのバスに乗ることができません。その場合は,大通りにあるみなと赤十字病院入口というバス停まで歩いていくことになります。距離としていえば大したことはないのですが,妹と一緒となるとその距離を歩くということをなくすだけでも楽になるのです。今はたとえ前のバスが出てしまったばかりでも,15分も待てば次のバスが来るのですから,大通りの停留所まで歩く必要はなくなりました。行くときは元来から敷地内に入るバスを利用していたので,利便性の向上を実感するという観点からは,行くときよりも帰るときの方が大きかったのです。もちろんこれは,妹をみなと赤十字病院の歯科に連れて行くというときだけでなく,僕が内分泌科通院をする場合にも同様です。
 僕は妹と一緒に歩くときは,手を繋いで歩きます。その方が妹はしっかりと,そして早く歩くことができるからです。このことは妹の送迎をしているうちに気付いたことですから,少なくとも2018年の早いうちにはそのようにしていたと思います。それでも母の三回忌のときには,妹はお寺の入口のところで躓いて転び,膝を擦りむいてしまったのです。たとえ短い距離であっても,歩く距離を減らすことができるのが楽であるということは理解してもらえると思います。
 この日は歯のクリーニングをした後で,左上に抗生物質の薬品を塗布しました。妹はその部分に痛みを訴えることがたまにあるのですが,歯周ポケットに弱化している部分があるので,そこが沁みているのではないかという診断でした。
 11月14日,土曜日。妹を通所施設に送りました。これはこの日に土曜レクリエーションがあったためで,妹はこれに参加したいということだったので,異例ではありますが土曜に送ることになったのです。土曜はバスのダイヤが平日とは異なりますので,普段よりも早めに家を出ることになりました。僕の家の最寄りの停留所から上大岡へ向かう朝の時間帯のバスの発着の時刻が,土曜と休日は平日よりも早くなっているからです。
 11月20日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
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瑞峰立山賞争奪戦&利便性

2021-07-26 19:15:45 | 競輪
 富山記念の決勝。並びは堀内-小原の神奈川,藤井‐竹内‐宮越の中部,稲垣‐三谷の近畿で阿部と柿沢は単騎。
 スタートを取りにいったのは竹内,稲垣,小原の3人。枠なりとなり,前受けは藤井。4番手に稲垣,6番手に堀内,8番手に柿沢,最後尾に阿部で周回。残り3周のホームから堀内が上昇。バックで藤井と併走になり,誘導が退避。藤井は突っ張り,堀内は竹内の外で併走。3番手は宮越と小原の併走になり,4番手に稲垣。柿沢と阿部は堀内が上昇したときには続いていましたが,藤井が突っ張ったのをみて引いたため,三谷の後ろに阿部で,最後尾に柿沢という隊列になりました。番手と3番手が併走のままバックに入り,打鐘の少し前から一旦はペースを落としていた藤井が先行。番手戦は堀内がホームで奪いましたが,すぐさま稲垣が発進。バックでは藤井を捲りました。堀内はこの3番手に続いた阿部の内に競り込み,ここでは堀内が前に出ましたが,さらに内に行った柿沢に最終コーナーで外に振られました。その後ろで阿部と小原が接触してふたりとも落車。このあおりで前にいた柿沢が外に振られ,堀内と接触してこのふたりも落車。捲った稲垣と番手の三谷の争いは,稲垣が制して優勝。マークの三谷が4分の3車輪差の2着で近畿のワンツー。後ろで落車が相次いだこともあり,逃げた藤井が3車身差の3着に残りました。
 優勝した京都の稲垣裕之選手は前々回出走の奈良のFⅠ以来の優勝。記念競輪は昨年の富山記念以来の優勝で通算8勝目。富山記念は連覇で2勝目。この開催はS班の出走がなく,シリーズの主役は浅井。しかしその浅井が準決勝で失格となったため,決勝のメンバーがやや脆弱になりました。ライン構成からは竹内が有利でしたが,こういうメンバー構成になると過去の経験が生きるケースが多いのも競輪の特徴で,実績だけなら断然の稲垣の優勝もあり得るというのが僕の見立て。堀内と竹内で競り合いになって,内の竹内が番手を奪われてしまうというのは正直なところ意外だったのですが,その競り合いで隊列が短くなったところをすぐさま発進していった稲垣の勝負判断がよかったということになるでしょう。

 僕たちは根岸駅からみなと赤十字病院へ通うわけですが,当然ながら逆方向,横浜や桜木町の方から通うという人もいます。
 この場合,これまでは1時間に3本だったバスが,2本に減少することになりますから,利便性は減少したかのようですが,必ずしもそうではありません。というのは,横浜や桜木町からみなと赤十字方面に向かうバスは,従来からこれ以外に,このバスと同じルートで本牧まで来て,そこから根岸方面には向かわずに本牧車庫へ行くバスが走行していたからです。運行の本数でいえば,そちらの方がそれ以前から磯子や根岸へ向かうバスよりも多かったので,根岸経由の磯子行きが1時間に1本だけ減少したくらいでは,極端な利便性の低下はないのです。むしろ,みなと赤十字病院の敷地内に入るバスが,1時間に1本から2本に増便されたという見方ができるわけで,そう考えれば,むしろ利便性は増したといっていいかもしれません。
 この運行の改変によって,利便性が低下する乗客として考えられるのは,ふたつのパターンです。ひとつは,横浜や桜木町から,本牧より先まで向かう人で,これは1時間当たりの本数が純粋に3本から2本に減少したことになります。ただ,本牧というのは横浜や桜木町と比べれば根岸の方が近く,横浜から根岸までは電車で行けばバスを利用するよりずっと早いので,こうした利用の仕方をしていた乗客というのは,実数としては少なかったのではないかと思います。もうひとつは,磯子や根岸,あるいは本牧の手前から,みなと赤十字病院よりも先,たとえば山下町とか中華街までバスを利用するというパターンで,この場合も1時間に3本だったのが2本に減少しています。おそらくこちらのパターンの方が,利用実数としては多かったと推測されますので,利便性の低下を感じた人の数も多かったように思います。
 僕あるいは妹についていえば,実際の利便性の向上をより感じるのは,行くときよりも帰るときです。これまでは1時間に1本だけが病院の敷地内に入っていたのが,この改変以降は1時間に4本,つまり15分に1本が敷地内の停留所から根岸駅に向かうようになったからです。
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バンブーエール&運行の改変

2021-07-25 19:08:43 | 名馬
 14日のジャパンダートダービーを一杯に逃げ切って優勝したキャッスルトップの父はバンブーエールです。5代母がアンティックヴァリューの5代母にあたる同一牝系。
 2005年7月に2歳でデビュー。3戦目の未勝利戦で初勝利。故障があって休養を挟んで3歳4月のレースも勝って連勝。次のオープンは7着でしたがオープン2戦目で勝利。ユニコーンステークスは5着でしたがジャパンダートダービーで2着。さらに秋の初戦となったダービーグランプリも2着でした。
 休養して4歳初戦の平安ステークス,次の佐賀記念と連続して最下位。ここで距離を短縮し,1400mのオープンを2着になった後,1200mのオープンを勝ちました。
 ここでまた故障して1年以上の休養。復帰戦となったプロキオンステークスは4着でしたがその後は1200m,1200m,1400mとオープンを3連勝。このままJBCスプリントに出走。スマートファルコンを2着に降して初の重賞制覇を大レースで達成しました。
 6歳初戦の根岸ステークスは5着。フェブラリーステークスは8着。ドバイに遠征してドバイゴールデンシャヒーンを4着。帰国してさきたま杯はスマートファルコンの2着。プロキオンステークスで3着になった後,クラスターカップ,東京盃と重賞を連勝。しかしここで引退となってしまいました。
 競走馬の初期は長い距離でも好走していましたが,これは能力の高さで乗り切っていたもので,本質的には1400mまでのスプリンター。種牡馬としてはキャッスルトップが初めての重賞勝ち馬にして大レースの勝ち馬。自身も初重賞制覇を大レースで達成していて,産駒も同じという珍しいケースとなりました。

 11月12日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。この週のうち,10日と11日は,グループホームの利用者の中に発熱した人がいたため,通所施設には行かず,グループホームに待機していたとのことでした。この日はその人の熱も下がったので通所施設に通うことができましたので,僕の迎えも通所施設ということになりました。
 11月13日,金曜日。妹の歯科検診でした。
 妹の歯科検診はみなと赤十字病院です。そして僕は必ず午後3時に予約を入れていました。そしてこの場合,家からみなと赤十字病院に向かうのにはパターンがありました。
 まず根岸駅にバスで出ます。根岸駅からみなと赤十字病院には市営バスを利用します。この場合,通常は本牧を経由する系統を利用します。このバスは1時間に3本の運行があります。しかしこれとは別に,1日に2往復だけなのですが,森林公園方面を経由するバスがあります。これは本数が少ない上に遠回りですから,普通は利用しません。ですが僕は妹とみなと赤十字病院に行く場合には,こちらの遠回りのバスを利用していました。ひとつは1日に2往復のうち,午後3時からの診察の場合は,わりと便利な時間だったからです。さらに,本牧を経由するバスは,みなと赤十字病院の敷地内に入るものは1時間に1本ですが,このバスはみなと赤十字病院が終点なので,敷地内に入るからです。しかし最大の理由は,本牧経由のバスは混雑することがあるのに対し,こちらのバスは空いていて,必ず座れるからです。妹と外出してバスを利用するときは,時間が早いということよりは,座ることができるということの方が重要だったのです。
 しかしこのバスは,11月3日で廃止となりました。よってこの日からは本牧経由のバスを利用することになりました。ただし11月4日に運行の改変があり,こちらのバスは1時間に3本から4本に増え,そのうちの2本がみなと赤十字病院行きに路線が短縮され,残りの2本はみなと赤十字病院経由の横浜行きのままでしたが,そのバスもみなと赤十字病院の敷地内を経由するようになったのです。なのでこの改変は,根岸駅方面からみなと赤十字病院に行く場合には,利便性が高まるものでした。
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お~いお茶杯王位戦&眼鏡の処方

2021-07-24 19:02:26 | 将棋
 21日と22日に有馬温泉で指された第62期王位戦七番勝負第三局。
 藤井聡太王位の先手で角換り相腰掛銀。9筋の位を取った先手が4筋から仕掛け,後手の豊島将之竜王は4筋に飛車を回って受ける形に。
                                        
 これが封じ手の局面で,封じ手は☖5四銀打でした。先手は☗同銀と取って☖同銀に☗4五歩。後手はここで長考して☖3三桂と跳ね,先手は☗8八王と入城しました。
                                        
 この入城によって先手が思いきり攻めることができるようになったのが大きく,形勢は難しいのですが先手の方が勝ちやすい局面になっているようです。
 封じ手は☖5四銀と上がる手もあり得るところですが,先手は銀を手持ちにすると☗6三銀と打つ手筋が生じます。5四に後手の銀がいればその筋は成立しません。
 ☖3三桂と跳ねたところで☖5八銀と打ち,☗4八飛に☖4五銀と出る手があって,この局面は感想戦で長く検討されましたが,先手に思わしい手順がなく,それなら後手が優位に立てたようです。ただこの順も☗6三銀が生じる手順になるので,後手としてはやりにくかったのではないでしょうか。有利にする手順が手筋の手を許す手順にしかないのであれば,すでに第1図が,後手にとっては勝ちにくい局面であったとみることもできそうです。
 藤井王位が勝って2勝1敗。第四局は来月18日と19日に指される予定です。

 10月30日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 10月31日,土曜日。妹をO眼科に連れて行きました。12日にKさんからの電話で,妹の視力が低下しているのではないかという指摘を受けましたので,それを調べに行ったのです。妹は16日に帰宅していましたが,診察には保険証が必要です。妹の保険証はグループホームに預けてありますので,必要なとき,たとえば歯科検診や脳神経外科に通院するときには,事前にグループホームに連絡して,妹に持たせてもらうのです。よって16日に帰宅したときは,事前にその連絡を入れることができませんでした。なので19日に通所施設に送る際に,連絡帳に次の帰宅時に保険証を持たせてもらうように依頼しておきました。24日は土曜レクリエーションが予定されていたために当初から迎えに行く予定がなかったので,30日に持たせてもらい,31日に連れて行ったのです。前もっていっておいたように,僕には妹の視力が衰えているという実感がまったくありませんでした。他面からいえば,そのことで妹が生活上の困難さを感じているようには思えませんでした。なので急ぐ必要もないと考えたので,このような対応となったのです。
 しかし,もしも眼鏡の処方をするのであれば,火曜日か金曜日の午後に予約を取って,詳しく視力検査をする必要があるとのことでした。なのでこの日は何もせず,そのまま帰宅しました。帰った後でこの後の妹の日程を調べ,電話で適切な日の予約を入れました。
 午後8時20分にピアノの先生から電話がありました。翌月の8日にピアノのレッスンが予定されていましたが,7日に変更したいとの申し出でした。これは日曜日から土曜日への変更であり,妹は土曜も日曜も在宅していますので僕と妹に通っては何ら問題はありません。よって承諾しました。
 11月2日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 11月6日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 11月7日,土曜日。先週の土曜日に先生から連絡があったように,この日にピアノのレッスンが行われました。午後4時半の開始でした。
 11月9日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
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プラチナカップ&2020年10月の通院

2021-07-23 18:58:21 | 地方競馬
 昨日の第4回プラチナカップ
 前に行こうとしたのは4頭。その中からグランドボヌールがハナを奪い,2番手にベストマッチョで3番手にヴァケーション。内から巻き返していったアンティノウスが4番手に上がり5番手にダノンレジーナ。発馬直後は先行争いに加わったウワサノシブコは6番手に。7番手がミヤケで8番手のデイジーカーニバルまでは集団。3馬身差の9番手にマムティキング。10番手がマイネルズイーガー。アンサンブルライフは発馬後の直線で躓く不利があったこともあり,7馬身ほど離れた最後尾を追走。最初の600mは35秒9のハイペース。
 3コーナーからグランドボヌールとベストマッチョは併走に。ヴァケーションは後退。アンティノウスが単独の3番手まで追い上げ,その直後は内にミヤケで外にダノンレジーナという隊列。直線に入ると一旦はベストマッチョが前に出ましたが,外から脚を伸ばしたアンティノウスがあっさりと差し切り,さらに後続の追い上げも封じて優勝。アンティノウスを追ってきたダノンレジーナが1馬身差で2着。後方待機から大外を追い込んだマムティキングが1馬身半差で3着。直線の入口では2着馬の内にいたミヤケがクビ差で4着。直線で早々に一杯となったベストマッチョは1馬身半差の5着。
 優勝したアンティノウスはJRAデビューで4勝。大井に転入したのは6歳になった昨年の年始からで,A2以下のレースを1着,1着,2着,2着,1着と走った後,年末のオープンで2着。ところが今年に入ってA2のレースを8着,4着と崩れました。それでも前走はオープンを走って2着と復調。実績的には劣りますが,戦績からは勝負になっておかしくない馬でした。このレースは前半は控えた馬に有利な展開になりましたので,その部分の恩恵を受けたのは確かでしょう。ただ今日の相手に58キロを背負って勝ったというのは,評価に値すると思います。父はクロフネ。母の父はネオユニヴァース。母の6つ下の全弟に昨年のアンタレスステークスを勝っている現役のウェスタールンド。5代母がクルーピアレディーの4代母にあたる同一牝系。Antinousは古代の星座の名前。
 騎乗した大井の矢野貴之騎手は昨年のアフター5スター賞以来の南関東重賞22勝目。その後,JBCスプリント,クイーン賞,スパーキングレディーカップと重賞を3勝しています。プラチナカップは初勝利。管理している大井の藤田輝信調教師は南関東重賞20勝目。プラチナカップは初勝利。

 10月26日,月曜日。内分泌科の通院でした。
 病院に到着したのは午後2時10分でした。中央検査室ではだれも採血を待っていませんでした。よってすぐに僕の採血の順番が回ってきて,それから採尿,そして最後に注射針の処理をしました。
 この日も診察の予約は午後2時半になっていました。なので中央検査室でしなければならないことのすべてを終えると,すぐに内分泌科へと向いました。
 診察が始まったのは午後3時です。HbA1cは7.2%でした。9月に比べると上昇していましたが,このくらいの上昇幅であれば問題はありませんでした。低血糖は全体の7.8%で,これはかなり高くなっていました。ただ,最低の数値でも66㎎/㎗で,極端に低いものは発症していませんでした。なのでインスリンの注射量を変更するような状況には至っていませんでした。よってそれまでと同じ内容の治療が継続されることになりました。
 この日は中性脂肪が199㎎/㎗と,上限値である149㎎/㎗を大幅に超過していました。8月も上限値を超えていましたが,これほど高かったわけではありません。一方で9月は52㎎/㎗で,下限値である50㎎/㎗を下回ってはいませんでしたが,それに近い数値だったのです。あまりに変動が激しいので,この点についてはなぜここまで大きく変動するのかということについて,僕の方から主治医に質問しました。なぜ変動するのかは具体的に調べなければ分からないのですが,医師から伝えられたのはふたつのことです。ひとつは,中性脂肪は日々の食事の内容によっても変動するけれども,より変動に対する影響が大きいのは,その日の食事の内容であるということです。もうひとつは,中性脂肪の値は,1日の中でも時間帯によって異なるものであり,食事をしてから5時間後くらいで最大値になるということでした。いずれにしても,継続的に高いのであれば問題ですが,僕の場合はそうではないので,心配の必要は何もないということでした。この日はこれ以外には何も異常は出ていませんでした。
 帰途に寄った薬局には処方されたものすべての在庫が揃っていました。帰宅したのは午後4時15分でした。
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習志野きらっとスプリント&唐揚げ

2021-07-22 18:54:36 | 地方競馬
 北海道から1頭,兵庫から1頭,高知から2頭が遠征してきた昨晩の第11回習志野きらっとスプリント。カプリフレイバーは左前脚の蹄球を挫創したため出走取消となり13頭。
 先行争いになりましたが,コパノフィーリングがハナへ。ジョーロノが2番手に控え3番手にアザワク。4番手にフランシスコダイゴで5番手がダノンジャスティス。6番手はクルセイズスピリツとアドバイザー。8番手にキャンドルグラスとダノングッドで10番手にブランオラージュとポッドギル。12番手のダンディーヴォーグまでは集団で続き,離れた最後尾にニシノラッシュ。最初の400mは22秒4の超ハイペース。
 3コーナーを回るとコパノフィーリングがリードを広げ,2馬身差の2番手にフランシスコダイゴが追い上げてきました。先頭のまま直線を向いたコパノフィーリングは,追い上げてきたフランシスコダイゴとの差を再び広げ,鋭く逃げ切って優勝。フランシスコダイゴを追ってきたのはクルセイズスピリツ,アドバイザー,キャンドルグラスの3頭。大外から伸びたキャンドルグラスがフランシスコダイゴを差して3馬身差の2着。ほかの2頭の追い上げは凌いだフランシスコダイゴが半馬身差で3着。アドバイザーがクビ差の4着でクルセイズスピリツは1馬身差で5着。
 優勝したコパノフィーリングはJRAデビューで3勝。3月のレースを最後に船橋に転入。転入初戦のこのレースのトライアルを3番手から差し切って勝ち,連勝で南関東重賞を制覇。JRAでオープンまで出世し,オープンでも3着になったことがある4歳馬ですから,南関東重賞に入れば力量上位とみることができますので,能力通りの優勝とみていいでしょう。JRAの3勝クラスを勝ったときも1000mのレースでしたので,1200mよりも1000mの方がよいスプリンターかもしれません。母のふたつ下の半弟に2010年に京成杯と日本ダービー,2012年に天皇賞(秋),2013年に毎日王冠を勝ったエイシンフラッシュ
 騎乗した船橋の森泰斗騎手羽田盃以来の南関東重賞46勝目。第3回以来8年ぶりの習志野きらっとスプリント2勝目。管理している新井清重調教師は2006年のエンプレス杯を勝っていますが,南関東重賞は開業から17年3ヶ月での初勝利。

 僕は妹の視力が衰えているという実感はまったくもっていませんでした。ただそれは,僕が妹との時間を多く過ごしているからかもしれません。Kさんは計画相談の報告を役所に提出するために,2ヶ月か3ヶ月に1度の頻度でグループホームを訪問し,妹と面談しています。ですから妹の変化については,かえってKさんの方が気付きやすいという側面があるのも事実だと思います。実際にこうした報告は,通所施設の職員からもグループホームの職員からも受けていませんでしたから,接する機会の多い人の方が気付きにくい変化だったというのは,事実であったように思います。
 10月16日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。この日は通所施設の停留所から乗るバスが,いつもよりも1本早くなりました。このバスが早くなっても,上大岡でバスを待つ時間が長くなるだけです。そこで上大岡で夕食のおかずを買いました。
 僕は土曜の午後6時からは大概はテレビ神奈川で放送されている「ハマナビ」という番組を視聴しています。この前の週,つまり10日の土曜日は妹も帰宅していましたから,一緒に視聴していました。このときに「とりげ」という店舗が紹介されていました。この店舗は,僕たちが上大岡から帰るときに乗るバスの停留所にわりと近いところにあるので,店舗自体は知っていたのです。なのでこの日はそこに寄って,唐揚げを買いました。妹は焼き鳥も唐揚げもわりと好きなので,どちらにするか聞いてみたところ,この日は唐揚げの方を選んだので,唐揚げにしたのです。
 10月19日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 10月24日,土曜日。この日は通所施設でのお祭り,学校でいえば文化祭のような催しが予定されていました。なのでこの週は妹を迎えに行きませんでした。ただしこの催しもまた新型コロナウイルスの感染拡大の防止という観点から中止になり,妹はグループホームで待機ということになりました。なお,この催しは土曜レクリエーションの一貫となっています。なので開催が中止になってずっとグループホームに滞在しているとしても,休みというよりも待機という方が正確なのです。
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王座戦&指摘

2021-07-21 19:07:48 | 将棋
 19日に指された第69期王座戦挑戦者決定戦。対戦成績は佐藤康光九段が15勝,木村一基九段が8勝。
 振駒で佐藤九段が先手となり,矢倉を志向すると,木村九段は急戦を匂わせました。それに対して先手が右玉に変化。後手も持久戦に変更して雁木へ。後手が大模様を張る将棋となり,先手は息苦しさを感じる展開に。基本的に局面自体は後手のリードで進行していましたが,佐藤九段は不利感のある序盤でも先攻して主導権を握る将棋が得意で,木村九段は相手の攻めをぎりぎりで受け切るという将棋を得意としますので,双方の持ち味は出せる展開だったと思います。その中で先手にも1度だけチャンスがありました。
                                        
 第1図から☗2六同飛☖8六飛☗2五飛☖7六飛☗2七飛と進み後手が勝ちました。しかしここでは☗3九王と引く手がありました。
 ☖2六角はそれ自体ではただのところに角を打っていて,それに対して☗3九王はその角をわざわざ☖3七角成と馬にさせる手です。ですからこういう手はぎりぎりのところで受けようと考える棋士にとって思い浮かびやすい手といえ,事実,木村九段はその手を恐れていたようです。実際にはそう指したからといって先手の勝ちというわけではなく,互角か先手がやや有利といった局面に持ち込むことができただけなので,勝敗を分かつ一手だったかどうかは何ともいえません。ただ,そういう手順に持ち込むのが,攻めの手ではなく受けの手であったということは,双方の棋風からこの将棋の明暗を分ける要素になったというのは確実だと思います。
 木村九段が挑戦者に。王座戦五番勝負は第56期以来13年ぶり2度目の出場。第一局は9月1日に指される予定です、

 9月30日,水曜日。O眼科に眼科検診に行ってきました。糖尿病性の網膜症に関しては異常はありませんでした。ただ,現状は問題がないけれども,緑内障を発症するおそれがあるという指摘を受けました。この日は混雑していたため時間が掛かり,同じビルの中にあるI歯科に歯科検診の予約を入れた後に帰宅したのは12時45分でした。
 午後9時に,ピアノの先生から電話がありました。8月のレッスンは先生の体調,9月のレッスンは妹の体調がそれぞれよくなく,中止になっていました。10月の日程についてはまだ決定していなかったので,このときの電話で決めました。
 10月1日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 10月2日,金曜日。妹の本牧脳神経外科の通院でした。この通院があったために,この週は妹を木曜日に迎えに行ったのです。前回の通院のときに,血液検査を行いましたので,この日はその結果が伝達されました。妹は3種類のを服用していますが,3種類がそれぞれ効果を発揮しているので,薬剤を変更する必要はないということでした。
 10月5日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 10月7日,水曜日。午前10時35分に地域担当支援主任のSさんから電話がありました。妹にインフルエンザの予防接種を受けさせるかどうかの確認でした。妹は常に受けていますので,この年も接種してもらうように依頼しました。
 9月30日に予約しておいた歯科検診はこの日でした。11時半の予約だったので,Sさんからの電話のときにはまだ家にいることができたのです。歯科ではクリーニングをしただけです。
 10月9日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 10月11日,日曜日。この日が妹のピアノのレッスンでした。午後5時から。久しぶりにレッスンができて,妹は喜んでいました。
 10月12日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 午後5時40分に,計画相談をしてくれているKさんから電話がありました。妹をモニタリングしたところ,眼鏡の度が合わずによく見えていないのではないかという指摘を受けました。
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農林水産大臣賞典マーキュリーカップ&2020年9月の通院

2021-07-20 18:55:44 | 地方競馬
 メイセイオペラ記念の第25回マーキュリーカップ
 逃げたのはホーリーブレイズ。2番手にマスターフェンサーで3番手にバンクオブクラウズ。押しながら4番手を追走したのがデルマルーヴル。この4頭はそれぞれ1馬身から2馬身の間隔。ここから3馬身差でヒストリーメイカー。6番手にブラックカード,ラストマン,ニシノゲンキマルの3頭。9番手にエンパイアペガサスとクインズサターン。7馬身差でセンティグレードとヤマショウブラック。5馬身差の最後尾にメイショウオオゼキ。各馬が馬場の中ほどを周回するレースになりました。スローペース。
 3コーナーを回るとマスターフェンサーがホーリーブレイズに並び掛けていき,コーナーの途中で前に出ました。追ってきたのはバンクオブクラウズ。直線の入口ではマスターフェンサーが先頭で単独の2番手にバンクオブクラウズ。ここでの差が直線でも縮まらず,直線先頭のマスターフェンサーが優勝。バンクオブクラウズが2馬身差で2着。4コーナーで3番手まで上がってきていたヒストリーメイカーは,バンクオブクラウズにはまた離されましたが10馬身差で3着。最後まで押しながらのレースになったデルマルーヴルが1馬身差の4着で外からデルマルーヴルに迫ったラストマンはクビ差で5着。
 優勝したマスターフェンサー名古屋グランプリ以来の勝利で重賞4勝目。第24回に続くマーキュリーカップ連覇。ここでは実績上位。そのために斤量は背負わされていましたが,能力面から優勝候補の筆頭と見立てていましたので,順当な勝利といっていいでしょう。この馬はまだ大レース級の強い馬との対戦経験に欠けているのですが,長めの距離であれば太刀打ちできる馬だと僕は思っています。父はジャスタウェイ。Master Fencerは剣豪。
 騎乗した松山弘平騎手は第21回22回に続く3年ぶりのマーキュリーカップ3勝目。管理している角田晃一調教師は第24回からの連覇でマーキュリーカップ2勝目。

 9月21日,月曜日。この日が秋分の日で彼岸会でした。彼岸会のときには塔婆が出ます。今までは先祖代々と父の塔婆は持ち帰り,後日に日野公園墓地内の墓に立てていたのですが,遺骨をお寺の会堂の中の納骨堂に移しましたので,この日は母の分も含め,すべての塔婆を会堂の中に立てて帰りました。日野公園墓地内の墓は遺骨を移したことに伴い,墓終いということになりましたので,僕は遺骨を受け取った8月3日以降は日野公園墓地には行っていません。
 9月22日,火曜日。妹を通所施設に送りました。
 9月26日,土曜日。土曜レクリエーションがありました。よってこの週は妹を迎えに行っていません。この日はキックストライクというゲームをしたとのことです。具体的にどのようなゲームであったかは分かりませんが,妹の話を聞いた限りでは,キーパーのいないPKのようなものだったのではないかと思われます。
 9月28日,月曜日。内分泌科の通院でした。
 病院に到着したのは午後2時10分でした。僕の診察の予約は午後3時がほとんどですが,この日は2時半でした。僕はそのことに,この日の予約票を取り出してから気付きましたので,いつもより早めに行くということはしなかったのです。
 中央検査室では3人の患者が採血を待っていました。なので先に採尿を済ませました。この日は使用済みの注射針は持参していませんでした。僕の採血が終った時点で,午後2時20分を過ぎていましたので,そのまま内分泌科に向いました。
 診察が始まったのは午後3時5分でした。これは検査の結果が出るのに時間が掛かったためだと思われます。HbA1cは7.0%で,8月と同じでした。主治医はもう少し高くてもよいと言っていましたが,低血糖は9月初旬を最後に発症していませんでした。これは盛夏は過ぎたためでしょう。今後は自然とHbA1cも上昇していくのではないかと思えましたので,注射する量の変更は行いませんでした。
 この日はほかには何も異常が出ていませんでした。これは7月以来です。
 薬局にはインスリンも注射針も在庫がありました。帰宅したのは午後4時15分でした。
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サマーナイトフェスティバル&体調不良

2021-07-19 19:26:46 | 競輪
 函館競輪場で行われた昨晩の第17回サマーナイトフェスティバルの決勝。並びは岩本‐佐藤の東日本,清水‐松浦‐阿竹‐小倉の中四国,山崎に守沢で山口は単騎。
 守沢がスタートを取って山崎の前受け。3番手に岩本,5番手に清水,最後尾に山口という周回に。残り3周のバックを通過すると清水が上昇開始。山口もこのラインに続きました。ホームで清水が山崎を叩いて前に。岩本は山口の後ろにスイッチし,そのまま発進。バックで清水を叩いて前に出て打鐘。3番手に清水,7番手に山口,8番手に山崎の一列棒状になると,岩本は一旦ペースを落とし,ホームからまた踏み込んで先行。後方になった山崎の捲りは不発。バックから清水が捲っていき,佐藤の牽制は乗り越えたものの,わりと遅めの発進になった岩本が踏ん張り,捲り切るには至りませんでした。直線は清水マークの松浦が清水の外へ。清水と松浦の間を突いた山口,逃げた岩本とマークの佐藤,捲ろうとした清水の5人が横並び。ここから抜け出た松浦が優勝。山口が半車輪差で2着。松浦マークの阿竹が最後は大外から伸びてきて4分の3車身差で3着。
 優勝した広島の松浦悠士選手は5月の函館記念以来の優勝。ビッグはその直前の日本選手権競輪以来となる5勝目。サマーナイトフェスティバルは初優勝。このレースは徳島勢が中国ラインに追随したため,脚力上位でラインに厚みのある中国勢が有利。ただ,岩本が清水を叩いた後でうまくペースを落としたため,3番手からでもなかなか捲ることができなかったのは清水にとっては誤算でした。打鐘のあたりでは先行争いもあると相手に思わせるくらいの抵抗をしておいた方がよかったかもしれません。それでも松浦が優勝したわけですから,最低限の仕事はすることができたとみていいかと思います。

 いつものように薬局に寄って帰りました。帰宅したのは午後3時50分でした。
 8月29日,土曜日。この日は妹の土曜レクリエーションでした。なのでこの週末は迎えに行っていません。この日は盆踊りをやったそうです。
 9月4日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。妹は帰宅すると必ずおやつを食べます。この日もそうでした。ところがこの日はおやつを食べ終えると,自主的に横になって眠ってしまいました。その後も夕食を食べず,スープを飲んだだけでした。夕食後にはを服用しますので,何か食べておく必要があり,スープならば飲めそうということだったので,僕が飲ませたものであり,妹が自分から飲みたいと言ったわけではありません。発熱はありませんでしたので,とりあえずそのまま寝かせて,様子を見ることにしました。
 午後8時にピアノの先生から電話がありました。8月は先生が風邪気味ということでレッスンは中止になっていて,そのことを伝えられたときに,6日にレッスンをすることとなっていたのです。ですがこの時点では妹の体調が悪く,当日までに回復するかどうかは分かりませんでした。よってその旨を伝え,その日のレッスンを中止にしてもらうように依頼しました。結果的に2ヵ月連続でレッスンは中止ということになってしまいました。
 9月5日,土曜日。妹は普通に起きてきて,食事も普段通りに摂ることができました。体調不良は一過性のものだったようです。原因が何であったのかは定かではありませんが,基本的に暑さからくる疲労だったのだろうと思います。
 9月7日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 9月11日,金曜日。この日は妹の日帰り旅行が予定されていました。旅行の直後に帰宅するのは妹にとってハードなので,この日は迎えには行っていません。ただし旅行自体は,新型コロナウイルスの影響によって中止となっています。
 9月12日,土曜日。午後3時にお寺の奥さんから電話がありました。これは秋の彼岸会についての連絡でした。
 9月18日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
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自然権&2020年8月の通院

2021-07-18 19:16:22 | 哲学
 三浦九段の告発をした棋士のことを非難するのは筋違いであるといったときに,僕はそれを表現の自由libertasという概念notioから説明しました。しかしこのようなことについて表現の自由からそれを擁護することについては,違和感があるという人もいるのではないかと思います。そしてそうした違和感は,ある意味では当然のものだとも僕は思います。というのも,表現の自由というのは基本的人権に属するような法的概念として一般的には理解されているのに対して,僕は自然権jus naturaeを哲学的に解したときに,その自然権に属するような哲学的概念として表現の自由を解しているからです。なので僕がいう表現の自由とはどのような自由であるのかということについて詳しく説明したいのですが,これはあくまでも哲学に類することなのであり,三浦九段に関連する連載の中で説明していくのは分量を考えてもあまり適切ではありません。ですから,哲学のカテゴリーという別枠で,これについて詳しく明らかにしていくことにします。
 まず,僕が自然権というとき,それはあるものがなし得ることのすべてを意味します。したがって人間の自然権というのは人間がなし得ることのすべてであり,ライオンの自然権といえばライオンがなし得ることのすべてです。そしてある人間Aが現実的に存在するなら,Aの自然権といいうのはAのなし得ることのすべてを意味することになります。ここからの説明では,このAの自然権というのを中心に考えます。つまりたとえばA以外の人間が現実的に存在するにしても,一般に人間の自然権ではなく,Aの自然権だけを考えていくということです。
 次に,Aの自然権とはAがなし得ることのすべてを意味するので,Aの思惟作用とAの運動motusおよび静止quiesの両方を含みます。つまりAの精神mensがなし得ることのすべてはAの自然権であり,またAの身体corpusがなし得ることのすべてはAの自然権であると僕は解します。一般に人間の身体はきわめて多くのことをなし得ます。そして人間の精神mens humanaとはその人間の身体の観念ideaを意味するので,人間の精神もまたきわめて多くのことをなし得ます。そのすべてが人間の自然権に属すると僕は解しているという点には注意しておいてください。

 HbA1cは7.0%と,7月の通院のときよりも低下していました。低血糖は全体の2.5%でした。
 血糖値は,朝食前,昼食前,夕食前,就寝前と,1日に4度計測するのが基本です。入院中はそうでしたし,退院後もしばらくはそのようにしていました。しかし退院後の何度目かの通院のときに,そのときの主治医から,大変なので毎回は計測しなくてもよいと言われましたので,僕はそれ以降から1日に4度の計測を必ず行っているというわけではありません。ですから全体の2.5%といっても,前回の通院と今回の通院の間の,計測したうちの2.5%という意味です。この間の実測数でいうと,朝食前が30回,昼食前が33回,夕食前が29回,就寝前が28回です。ですから全体の比率はそんなに変わりません。血糖値は高いときの方が多く計測します。何度かいっているように僕の血糖値は夏よりも冬の方が高いですから,この時期は実数としては少ない方だと考えてください。
                                   
 低血糖は,昼食前は皆無でしたが,朝食前が3.7%,夕食前が3.4%,就寝前が3.6%と,それ以外の時間帯は平均的に分散していました。なのでこの割合を低下させるために,持続効果型のインスリンであるトレシーバの注射量を,0.01㎎だけ減少させるという措置が採られました。トレシーバは僕の場合は夕食前に注射することになっています。前夜までは0.09㎎を注射していましたので,この日の夜からは0.08㎎に減少させたことになります。
 この日はこれ以外に,中性脂肪が153㎎/㎗と,上限値である149㎎/㎗を僅かに上回っていました。中性脂肪は2019年10月の通院のときに,下限値を下回るという異常が出ていましたが,上限値を上回るという異常が出たのは,2019年5月の通院のとき以来です。中性脂肪については,後にまた高くなる異常が出たので,そのときに主治医に質問をしましたので,そのときに詳しいことは記述することにします。
 もうひとつLDLコレステロールが69㎎/㎗で,下限値の70㎎/㎗を下回るという異常もありました。これは2018年7月以来の異常でした。
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大成建設杯清麗戦&三回忌

2021-07-17 19:00:03 | 将棋
 14日に指された第3期清麗戦挑戦者決定戦。対戦成績は鈴木環那女流三段が1勝,加藤桃子女流三段が3勝。
 振駒で鈴木三段の先手になり雁木。後手の加藤三段は左美濃の右四間飛車。先に先手が銀桂交換の駒得を果たし,その後に先手が桂馬を取って銀を捨てたので,駒割りは元に戻りました。それが第1図。
                                        
 第1図から☗6六角☖4六歩☗1一角成☖4七歩成と進んで第2図。
                                        
 この後の進展からみて分かるように,第2図はすでに後手の必勝形になっているようです。
 手順中,☖4六歩に☗同歩と取る手はありますが,この手は利かされの上,☗1一角成を防がれてしまうので,実戦ほどではないとしても先手が不利でしょう。なので先手はこの順を防ぐためには,第1図で☗5七桂と飛車取りに打ち,4五の歩を狙っておくほかないように思えます。ただこのように桂馬を使って互角以上に渡り合えるのかは,かなり先まで進んでみないと何ともいえません。なので第1図は,実戦的にはすでに先手が勝ちにくい局面になっているのかもしれません。
 加藤三段が勝って挑戦者に。清麗戦の五番勝負には初出場。第一局は9月23日に指される予定です。

 8月14日,金曜日。妹の歯科検診があり,指定歯科であるみなと赤十字病院に連れて行きました。
 8月15日,土曜日。の三回忌の法要の日でした。もう三回忌でしたので,親戚は呼ばず,僕と妹のふたりでお寺に行きました。お寺の入口のところで妹が躓いて転んでしまい,左膝を擦りむいてしまいました。お寺の方にその傷の手当てをしてもらいました。法要は13時に開始の予定で,僕たちが到着したのは12時半くらいです。傷の手当の時間はありましたが,定刻よりも早めに法要が始まりました。この日は同時に日野公園墓地から運んだ父と父の両親の遺骨を納骨することになっていましたが,すでに説明したように,納骨はこの時点ですんでいました。読経の方も三回忌のものと納骨のものを合わせて,1度で済ませました。前にもいいましたが,このお寺の住職は,現在は基本的に東京都内のお寺に住んでいて,ここのお寺には日替わりで何人かの僧侶が滞在しています。この日に読経をしたのはその僧侶のうちにひとりの,Tという僧侶でした。読経が1度だけだったこともあり,僕たちは午後2時過ぎには帰宅することができました。
 8月18日,火曜日。妹の夏季休暇は前日の17日まででした。なのでこの日に妹を通所施設に送りました。
 8月20日,木曜日。午後9時15分にピアノの先生から電話がありました。23日の日曜日に妹のピアノのレッスンが予定されていたのですが,先生が風邪気味のため中止にしたいとのことでした。もちろん受け入れることにして,次回の期日についてこの電話で決定しておきました。
 8月21日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。ピアノのレッスンが中止になってしまったので,妹は残念そうでした。
 8月24日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 この日は午後から内分泌科の通院でした。
 病院に到着したのは午後2時過ぎでした。中央検査室では僕の前にふたりの患者が順番を待機していました。ですので僕はまず採尿を済ませ,注射針の処理もしてから採血をしました。診察が開始になったのは予約の予定通りで,午後3時でした。
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