スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

公理系と勝敗&身体の力

2008-08-31 18:56:11 | 哲学
 競技における公理系と,その競技における勝敗のつき方との関係についても少し考えてみましょう。
 前回もいったように,公理系が複雑になると,戦術とか戦略といった要素が勝敗に与える影響というのがそれだけ増します。いい換えれば公理系そのものが勝敗を左右する要素がそれだけ大きくなるということになります。つまり競技者間で力の差がそうないならば,戦術や戦略といった要素で勝敗が決することになりますし,力の差があっても,この面でその差を乗り越えることが可能になります。したがって,公理系が複雑である競技ほど,絶対的な力というものが生じる要素がそれだけ少なくなるといえるでしょう。
 これは逆に公理系の単純な競技を考えればさらによく理解できると思います。たとえば北京五輪の陸上男子100メートルのウサイン・ボルト選手は,自身の体調にさえ問題がなければ,何度やっても勝つと思われます。これが絶対的な力というものです。
 これに反して,もう少し公理系が複雑な競技になると,別の事態も生じます。たとえば同じ北京五輪のソフトボールでは予選と決勝トーナメントで日本はアメリカに2度負けましたが,3度目の対戦となった優勝決定戦では逆に日本が勝ちました。こうしたことはもちろんそのときどきにおける競技者の体調とか気持ちのあり方にも影響されますが,そもそもソフトボールの公理系というのが,こうしたことを生じさせやすいとも考えることができます。つまり公理系が複雑になると,波乱というものはそれだけ起こりやすくなるといえるでしょう。
 公理系というものが複雑になると,連戦連勝というのは非常に難しくなります。逆にいうとそうした競技で勝ち続けている競技者は,よほどその公理系の本質というものを十全に把握しているといえるのではないでしょうか。

 明日は向日町記念の2日目優秀,朱雀賞です。並びは僕の予想。山崎-内藤で北日本。神山-兵藤の関東が東でここを追うのではないでしょうか。近畿は村上-前田-渡辺。小倉-加倉の西国が,西でこちらを追走と思います。たとえ予想がこの並びと違っても,これは山崎選手ですね。

 なぜデカルトは,また多くの人は,自分の意志によって自分の身体を運動ないし静止に決定し得ると考えたのか。スピノザによるその答えは,人間は,自分の精神に関してならばそのなし得ることというのを知っていたけれども,自分の身体については,そうしたことを何も知らなかったからだというものです。いい換えれば,人間は自分の精神がいかにしてある思惟作用をするのかということについては,その原因を,正しいかどうかは別としても,説明することができるのに対し,自分の身体が運動し,また静止する原因については,そのはっきりとした原因を知らなかったのです。そこで人間の身体がある運動ないしは静止するときには,人間の精神のうちにある意志というものが実在するということに注目し,この意志こそが,自らの身体が運動ないしは静止に決定される原因であると考えるようになったということです。この,人間の身体が運動ないし静止に決定される場合に,人間の精神のうちにそのことに関連するような意志が実在するということについても,平行論という観点から,論理的にも経験的にも説明することが可能なのですが,これに関しては意志の問題により多く関係することになりますから,また別のテーマを立てて考察することにします。
 実際には,人間の身体は,第二部定理六が示すように,延長の属性にのみ関連するような原因で運動したり静止したりするのです。すなわち,人間の身体には,自分の精神による決定などと無関係に,それ自体で運動したり静止したりする力があると考えていいでしょう。そこでいよいよ,そうした人間の身体に備わる力について,経験的な仕方で明らかにしていくということにします。
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盤上の駒を取られるポカ⑤&意志と運動

2008-08-30 19:16:57 | ポカと妙手etc
 で一旦終了の予定でしたが,16日放映の銀河戦で出ていましたので,新シリーズにいく前にそちらを。ちょっと複雑です。
 先手が三間飛車石田流。後手が袖飛車からうまく仕掛けて指しやすそうなのが第1図。
           
 ここで後手は△9六歩。▲同龍は△9五歩で龍の行き場がなくなるので▲7九角はこの一手。ここから後手は△4七成桂▲同金△9九馬と駒得しにいったのですがこの順はポカ。△7六桂と打たれて飛車の行き場がありません。
           
 複雑なのはここから。後手は△8九馬▲5七角に成るぞと△6六歩。先手は▲同角として△6七馬に▲1一角成。後手は△7六馬とし,すごいところに馬を作られましたが,桂馬を外すことには成功しました。
           
 第3図から後手に△2二銀と打たれてはいけないので▲2二香はこの一手。以下,この香車が2一の桂馬を取り,再度▲7六桂が生じました。これはポカではなく,後手としても仕方なかったところですが,第1図からのポカが影響しているのは間違いありません。
           
 実戦はこの後,先手が飛車を取りきる形となり,勝っています。

 明日から向日町記念が開催されます。ここはかなりの豪華メンバーです。

 これで,人間の精神が自分の身体を運動や静止に決定することができないということが,論理的には証明されました。すなわち,人間が自分の意志によって自らの身体を動かすことができると主張することは,実は誤ったことを主張しているのだということが,スピノザの哲学における考え方であるということになります。
 しかし一方で,こうした本当は誤った主張というのがごく普通になされているということは,スピノザ自身もよく承知していました。そもそもスピノザの哲学に先行するデカルトの哲学というのが,倫理的な面においては,自らの精神によって自分の身体を統御するということを目標においているという趣があり,これなどもそうした主張のひとつであると考えることができると思います。
          
 このことに反論するためには,いかにして人間の身体に運動および静止が発生するのかを,単に延長の属性を探求することによって証明するのが一番の近道ではないかと思います。スピノザ自身,そうしたことを証明する意欲を十分に有していたということが,友人との手紙のやり取りで明らかになっているのですが,実際にそうした仕事を達成するためには,スピノザの生涯は短すぎました。そこでこの方面からは反論することができませんので,なぜそのような主張がなされるに至ったのかという観点から,このことについてもう少し考えてみることにしようと思います。
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竜王戦&別の証明

2008-08-29 23:59:20 | 将棋
 竜王戦挑戦者決定戦三番勝負第一局。振駒で先手は羽生善治名人。相矢倉▲3七銀から王位戦第五局と同じ形。途中で後手の木村一基八段が変化して,夕食休憩の局面が第1図。
           
 ▲5四歩と垂らしたのに対し△同金と取ったところですが,ここは先手の攻め,後手の受けとはっきりしています。実際に先手が▲3五銀から一方的に攻めて第2図に。
           
 途中の△1六銀とか△3二桂など,いかにも受けただけという手なのですがこれで容易に後手玉は寄りません。先手は飛車を6筋に転換,飛車角交換して△1二角と王手。この角が2一に成り,さらに3一に寄ったのが第3図。
           
 これは▲2二銀~▲5三馬をみた厳しい手。後手は△4二金と引いて受けましたが,この将棋は後でこの馬が大活躍することになります。
 ここから一旦は後手にも攻めが回る局面があったのですが再び先手が手番を握り,放たれたのが第4図の▲6六桂。
           
 角筋を止める手で,僕などはまったく考えていなかったのですが,これがいい手で,ここからはどうも後手にチャンスがないようです。△6三玉に▲4一馬の王手。合駒は3二の金がただなので△7三玉でしたが,▲7四馬とここに活用。△7二玉には▲4七馬とここに引いてこれが龍取りです。
           
 △7九龍は仕方ありませんが,今度は△7四桂が飛車取り。△9二飛には▲6二桂成で▲8三馬を狙います。これを嫌って△7三玉と逃げたのもすごい頑張りですが,以下,▲5六馬と銀取りに出る手が生じました。
           
 第6図以下,この馬が実際に銀を取って7八へ。
           
 将棋としてはここで先手玉が鉄板となり終っている感じです。実戦,後手も駒を費やしてさらに粘りましたが,大勢には影響なく,後手の投了となっています。
 羽生名人が勝って挑戦権獲得まであと1勝。第二局は来月の3日です。なお,この記事の投稿時間は実際には30日の0時を回っていますが,都合上,29日付けにしてあります。

 これはスピノザ自身がその直後の備考において示唆していることでもあるのですが,僕は第三部定理二というのは,さらに別の方法でも証明することができると考えています。
 このために注意しておくべきことはふたつです。ひとつは,ある人間の精神とその人間の身体が同一個体であることを示した第二部定理一三で,もうひとつが物体の原因と結果の連結と秩序が,観念の原因と結果の連結と秩序に等しいことを示した第二部定理七,すなわち平行論の導入となる定理です。
 これでみれば,ある人間の精神の原因と結果の連結と秩序は,この人間の身体の原因と結果の連結と秩序に等しくなければならないということが明らかです。そこで今,秩序の方に目を向けてみれば,もしもある人間の精神が能動状態にあるならば,この人間の身体も能動状態にあるということになりますし,逆にある人間の精神が受動状態であるならば,この人間の身体も受動状態にあるということになります。つまり,同じ人間の精神と身体は,一方が能動状態で,他方が受動状態であるということはありません。
 そこでもしも,ある人間の精神の指令によってこの人間の身体が運動するということがあるなら,このとき,指令を下す精神が能動状態にあるのに対し,指令によって運動する身体は受動状態にあるということになります。つまりこれは不条理なのです。よってこうしたことは生じ得ません。もちろん,ある人間の身体がこの人間の精神をある思惟作用に決定することがないということも,これと同じ方法で不条理であることを証明できます。
 よってある人間の精神がこの人間の身体を運動に決定することはできないし,逆にある人間の身体がこの人間の精神を思惟作用に決定するということもできないということになります。
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続・ルールの公理系&第三部定理二証明

2008-08-28 21:18:25 | 哲学
 一口にルールの公理系といっても,競技によっては,ごく簡単な公理系から成立するものもあれば,かなり複雑な公理系によって成立しているものもあるわけです。
 僕はスポーツの場合には,公理系が単純なものを好む傾向があります。オリンピックでいうと陸上のトラック競技や競泳というのがこれにあたり,北京五輪でも僕のテレビ観戦の中心はこれらの競技でした。
 シンプルな公理系の競技の利点は,勝敗が明確であること,競技の進捗状況が分かりやすいこと,競技進行の途中での各競技者の有利不利が分かりやすいということなどがあげられるでしょう。つまり公理系がシンプルであれば,観戦していてそれだけ分かりやすいということになります。また,これは僕の仮説というかあてずっぽうに近いですが,哲学においてスピノザの哲学を好むような人は単純な公理系の競技を好む傾向が強いのではないかと思います。
 しかし,公理系が単純だと,相手関係とは別に,ルールの公理系そのものから生じるような戦術や戦略といった要素は少なくなります。実際,単純な公理系の陸上の100メートル競走と複雑な公理系のアメリカンフットボールとを比較すれば,戦術や戦略が勝敗に影響する度合がどちらが大きいかは,いわずもがなではないでしょうか。だから競技の観戦において,そうした戦略や戦術を楽しみたいという人にとっては,シンプルな公理系から成立する競技は,いささか物足りなく思えるという面があると思います。
 単純な公理系には単純な公理系の,複雑な公理系には複雑な公理系の,それぞれ長所と短所があるわけです。各人は自分が最も面白いと思えるような競技を観戦するのがベストであるということが,このことから帰結するのではないかと思います。

 明日は竜王戦挑戦者決定戦三番勝負第一局です。対戦成績には差があり,羽生善治名人が12勝,木村一基八段が3勝です。

 これで第三部定理二を証明する条件が整いました。気をつけるべきことはただひとつ,人間の精神というのが思惟の様態であるのに対し,人間の身体というのは延長の様態,物体であるということだけです。
 第二部定理六が証明したことは,様態の原因は,それが様態となっている属性によって考えられる限りでの神であって,それ以外の属性によって考えられる場合にはそうではないということでした。よって,思惟の様態の原因は思惟の属性によって考えられる限りでの神であり,延長の属性によって考えられる限りでの神ではありません。逆に,ある延長の様態の原因というのは,延長の属性によって考えられる限りでの神なのであって,思惟の属性によって考えられる限りでの神ではありません。いい換えれば,ある思惟の様態が何らかの思惟作用をなす場合に,延長の属性によって考えられる限りでの神はその原因であるということがありません。逆に,ある延長の様態が何らかの作用,すなわち運動ないし静止をなす場合には,思惟の属性によって考えられる限りでの神はこの作用の原因とはなり得ないのです。
 冒頭に気をつけるべきこととしていったように,人間の精神は思惟の様態であり,人間の身体は延長の様態です。だから人間の精神がある思惟作用をなすときの原因がその人間の身体であるということはないですし,人間の身体がある運動をなす場合に,この運動の原因がこの人間の精神であるということもないのです。つまり人間の身体は自分の精神をある思惟作用に決定することができませんし,人間の精神が自分の身体をある運動に決定するということもできないということになります。
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王位戦&第二部定理六証明

2008-08-27 19:07:13 | 将棋
 ここのところ王位戦七番勝負の2日目は遅くなって観戦できないということが続いていました。今日の第五局の2日目は,遅くはならなかったのですが将棋の方が早く終って観戦できず。皮肉なものです。
 深浦康市王位の封じ手は△4五歩。こうやると8筋の突き捨ては別かもしれませんが,第1図まではほぼ一直線の進展に思えます。
           
 ここから後手は△4四歩と打ち,▲5三歩成△4五歩▲4三と△同金と進展。これは陣形の差があって先手が指しやすいように思えます。先手は▲2四角と切ってさらに猛攻。△同銀に▲5二銀と打ち,△3三玉には▲3五歩と押さえ,△4二桂と使わせてから▲6四歩。
           
 どうもこの▲6四歩が厳しく,後手は手の施しようがなくなっているようです。実戦はここから△6九銀と攻め合いにいきましたが,これは届かず,先手が押し切って勝っています。
 封じ手の直前,△3六歩と伸ばしたのが新手とのこと。深浦王位がある程度研究していたのではないかと思うのですが,▲5四歩と強く攻められてうまくいかなかったということなのではないかと思います。
 羽生善治名人がひとつ返して2勝目。第六局は来月9日からです。

 それでは第二部定理六を証明しますが,この定理の大前提となるのは第一部定理一五です。このことからどんなものであれ,そのものの原因が神であるということが理解できます。このときに,神というのがどのように考えられなければならないのかということを示すのがこの定理です。
 今,ある神の属性Aの様態としてXがあるとしましょう。このとき,第一部定理一五によりXは神を原因としてあるわけです。ところで,ここでAの方に目を向けてみますと,Aというのはほかのものには依拠せずに,それ自身によってあり,またそれ自身によって考えられるあるものです。というのはAは属性ですが,第一部定理一〇により,属性というのはそういうものであると証明されているからです。
 一方,第一部公理一の意味というのは,自然のうちに実在するのは実体とその属性,または様態であるということですが,このうち,ほかのもののうちにあるもの,いい換えれば実体のうちにあるものが様態ですので,様態Xの概念は神の属性Aの概念は含みますが,属性Aの概念がほかのものの助けを借りずにそれ自身で概念される以上,それ以外の属性の概念は含みません。すなわち,第一部公理五により,A以外の属性とは共通点を有しません。ところが第一部公理四により,結果の認識は原因の認識を含まなければならないので,A以外のどんな属性も,Xの原因ではありえないということになります。
 よって,Xの原因は神の属性Aであって,神のそれ以外の属性ではありません。つまり各属性の様態は,それが様態となっている属性のもとで神が考えられる限りにおいて神を原因とするのであって,神がほかの属性のもとで考えられる場合には,神を原因とはしないということになるのです。
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ふるさとダービー&第二部定理六

2008-08-26 19:09:26 | 競輪
 競輪は北陸周辺が地区的に分断されていて,新潟は関東,富山と石川が中部,そして福井は近畿。今日はその福井でふるさとダービーの決勝が争われました。
 1番車から稲垣選手がSを取ってそのまま前受け。2番車の岡部選手が中団の5番手で,後方7番手から平原選手という周回。
 残り2周のホームから平原選手が上昇すると,岡部選手も合わせて出ていき,バックでは岡部選手が稲垣選手を叩いて先頭に立ち,スローペースに落としました。打鐘から山おろしをかけて平原選手が先行。一旦は下げた稲垣選手も巻き返していき,先行争いになりましたが飯嶋選手がブロック。バックでは立て直した稲垣選手がまた捲っていき,平原選手に並ぶところまでいったのですが,ここから平原選手が頑張り,再度飯嶋選手のブロックで稲垣選手は失速。十分に番手の仕事をした飯嶋選手が直線で平原選手を交わして優勝。平原選手が2着に残り,9番手から内に入り,直線は中央を伸びた坂本選手が3着に食い込みました。
 優勝した栃木の飯嶋則之選手は昨年のオールスター競輪以来のビッグ2勝目。今年は2月に奈良記念を制しています。力もつけてきているのでしょうが,本人が自信を持ってきているというのが僕の印象で,追込み型で展開には左右されるものの,まだビッグを勝てる選手なのではないかと思います。

 王位戦は相矢倉☗3七銀になりました。深浦康市王位は受け中心の構えにしましたので,先手の羽生善治名人が攻めきるか,後手のカウンターが決まるかというのが明日の展開となりそうです。

 人間の精神mens humanaが自分の身体corpusを運動motusないし静止quiesに決定することができないということを,いくら経験的に示すということが今回のテーマにおける僕の意図であったとしても,しかし最低限,このことをまずは論理的に正しいということを示しておく必要があります。というか,そうしたことが論理的に導かれるからこそ,その同じことを,経験的にも示すということの必要性が生じてくるのだといえるでしょう。そこでまず,第三部定理二を証明することにしますが,これを証明するためには第二部定理六というのが不可欠です。すでに何度か,別のテーマにおいても用いたことがある定理Propositioですが,今回のテーマでは重要ですので,ここで改めて示しておくことにします。
 「おのおのの属性の様態は,それが様態となっている属性のもとで神が考察される限りにおいてのみ神を原因とし,神がある他の属性のもとで考察される限りにおいてはそうでない」。
 この定理は認識論的に書かれていますが,実在論的に理解しても問題ないと思います。よってこの定理の全体の意味は,様態modiの原因はそれが様態となっている属性attributumであるということになります。ただし現在の考察の主旨は,人間の精神と人間の身体のみですので,思惟の様態cogitandi modiの原因は神Deusの思惟の属性Cogitationis attributumであり,延長の様態の原因は神の延長の属性Extensionis attributumであるということだけでも十分であるとはいえます。
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フランス遠征&意図

2008-08-25 19:27:41 | 海外競馬
 昨年のJRA賞で特別賞に選出されたメイショウサムソンが,この秋はフランスでレースをすることになり,20日に出国。すでに現地に到着して調整が開始されています。
 目標にしているレースは現地時間で10月5日の凱旋門賞。実は昨年もこのレースを目標に渡仏する予定が計画されていたのですが,自身も馬インフルエンザに感染するというアクシデントに見舞われ,遠征を断念せざるを得ませんでした。よって昨秋は日本でレースをしましたが,秋の天皇賞を見事に制しています。
 凱旋門賞はエルコンドルパサーディープインパクトも勝てなかったレース。もちろん相手関係というものもありますが,メイショウサムソンはこれらの馬より能力が上とは考えづらいので,例年レベルのレースとなると,勝つという可能性はやや低いのではないかと思われます。また,メイショウサムソン自身,昨年は宝塚記念は2着でしたが春の天皇賞を勝っていたのに対し,今年は天皇賞宝塚記念も2着にとどまっていて,勢いという点でも昨年には欠ける印象です。ただ,血統面だけは,少なくともディープインパクトよりはヨーロッパの競馬に向くということはいえるかもしれません。
 前哨戦として,現地時間来月14日のフォア賞を使うプランもあるようです。メイショウサムソンはレースを使われて体調を上向かせるタイプと思われ,僕はそれも出走した方がいいのではないかと考えています。いずれにしてもレースを使えば,ここで取り上げるということにします。

 明日はふるさとダービー福井の決勝です。栃木3人ですが別れて,岡部には坂本で東日本,平原-飯嶋-山口の関東,稲垣-浜口の近畿中部に武井-丸山の南関東。平原選手で。

 また明日から王位戦五番勝負第五局が始まります。深浦康市王位が勝てば防衛。羽生善治名人は先手ですので,ここは何とか凌ぎたいところでしょう。

 本格的な考察に入る前に,僕が今回,平行論を考えるにあたって,第三部定理二をテーマとして設定した意図というのを説明しておくことにします。
 まず,第三部定理二の意味というのをここでどのように理解しておくかということですが,スピノザの哲学ではすべてのものが精神を有するわけですから,この定理はすべての精神と身体,身体というのは精神の本性を構成している観念の対象のことですが,そうしたすべての精神と身体とに妥当する定理です。ただし,ここではスピノザは身体について,運動と静止というようにいっていますから,この身体が物体には限定されます。しかし物体に限るならば,すべての物体とその精神に妥当することになります。しかし,今はこれを,人間の精神と人間の身体に限定して理解します。その方が僕がここで考えたい主旨に適合するからです。よってここでのこの定理の意味は,人間の身体はその精神をある思惟作用に決定できないし,また人間の精神は自分の身体を運動および静止に決定することはできないということになります。
 このとき僕は,このことを,単に論理的な仕方だけではなく,むしろ経験的な仕方で示してみたいと考えています。そしてそれが,今回のテーマの意図であるということになります。一般的に,身体が精神を思惟作用に決定できないということについてはともかく,精神が身体を運動と静止に決定できないということについては,あまり正しいと思われてなく,むしろ人間は意志によって自分の身体を動かすことができると思われているのではないかという気がします。そこでその考え方に,経験的な仕方で反論を試みてみたいと思うのです。
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福ノ井賞&第三部定理二

2008-08-24 19:23:00 | 競輪
 ふるさとダービー2日目のメインは,初日特選3レースの上位3選手,計9名による福ノ井賞でした。
 前受けは小嶋選手。中団は平原選手で後方に金沢選手という周回。残り2周のホームから上昇した金沢選手,一旦は平原選手に蓋をして,バックで小嶋選手に並びかけ,打鐘では先頭に立ちました。しかしここから平原選手が巻き返し,ホームでは金沢選手を叩いて先行。長塚選手は山口選手の後ろにスイッチしました。バックから小嶋選手が捲り発進。これを後閑選手が牽制すると,小嶋選手はやや外に浮きました。この開いたところを浜口選手-小倉選手で突き抜け,そのままワンツー。小嶋選手も立て直して迫りましたが,逃げた平原選手が3着に残りました。
 ホームで先行争い,また長塚選手もすぐに切り替えていたので,後方からになった小嶋選手には展開が向いたと思います。後閑選手のブロックが強烈で自身は失速してしまいましたが,後ろのふたりで突き抜けていますので,これがなければあるいは勝てていたかもしれません。1着の浜口選手は調子がよいように思えます。

 スピノザの哲学における観念論,実在論,また感情論については,これまでその基礎的な部分を考察してきました。しかし,スピノザの哲学を先行するデカルトRené Descartesの哲学からはっきりと分かつもの,また,スピノザの哲学をスピノザの哲学たらしめる固有の原理は,第一にはやはり平行論であるということに落ち着くのではないかと思います。そこで今回は,この平行論について,より詳細に考えていくということにします。
          
 『エチカ』における平行論は,まず第二部定理七で明示されます。しかしこれについては,かつて第二部定理一三備考の一文というのをテーマとして設定した際に,その論理的な部分に関してはある程度まで考察してありますし,そこで求めた結論については,僕は今でも同じように考えています。もちろんそのときは,直接的に平行論というのを扱ったわけではなく,すべてのものが精神animataを有するということをどのように理解するべきなのかを探求したわけで,単純に平行論ということだけに的を絞るならば,さらに詳しい考察というのが可能であるとは思います。しかし今回は,それとは別の方面から平行論について考えてみたいという思いが僕にはありますので,第三部定理二をテーマとして設定するということにします。
 「身体が精神を思惟するように決定することはできないし,また精神が身体を運動ないし静止に,あるいは他のあること(もしそうしたことがあるならば)をするように決定することもできない」。
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ルールの公理系&第二部定理四〇まとめ⑤

2008-08-23 20:09:07 | 哲学
 少し前のことになりますがnanaponさんがレスリングの運まかせのルールについてエントリーされています。僕もあのピックアップは確かに運に左右される要素が強いと感じますし,また,レスリングでは同じポイントならば後からポイントを上げた方が勝者とされますが,これも根拠が薄弱のように感じます。
 一方で,運まかせであるかはともかく,こうしたルールの恣意性というのは,広く考えるなら,大方の競技に含まれます。たとえば野球は,一塁,二塁,三塁と回って本塁に帰ると得点になりますが,なぜそうすれば得点になるのか,またそうでなければ得点にならないのかを合理的に説明せよといわれれば,これはかなり困難ではないかと思いますし,少なくとも僕にはできません。
 実はどんな競技にもその競技に特有の公理系というのがあって,各々の競技規則というのはその公理系における定義と公理にあたると僕は考えます。レスリングの場合と野球の場合とで違いがあると感じるのは,公理系は共に恣意的であったとしても,野球の規則は野球という競技の面白さを損なわないように作られている,あるいはむしろそこから野球という競技の面白さが生じてくるように秩序付けられているのに対し,レスリングの公理系はそうではないように感じられるという点です。
 僕は公理系はその公理系の内部で合理的ないしは妥当であるならば成立するという考えです。だから野球はもちろんレスリングも,その内部で合理的であると考えられているのであれば,とくにどうこういうつもりはありません。ただもしもルールの公理系そのものが,競技の面白さを損なうようなものであれば,また競技が本来的に有するべき本性に相反する場合には,その競技というのは衰退せざるを得ないのではないかという気がします。

 明日はふるさとダービー福井2日目メーンの福ノ井賞です。関東5人で別れます。金沢に長塚-飯嶋の茨城栃木,平原-後閑の埼京に山口,小嶋-浜口の中部に小倉。僕は小嶋選手で。

 この条件を満たすために,まずは第二部定理三八を考えました。もっとも,この証明のうちには,必ず人間の精神のうちにある十全な観念があるということが含まれていないと考えることもできますので,実際に条件を満たすのは,第二部定理三八系であるといえるかもしれません,
 これで確かに人間がある正しい前提から正しい結論を導き出し得るということが証明されたのですが,この定理が示しているのは,すべての物体に共通な事柄の十全な観念を前提としてそうしたことができるということのみですので,これでは人間が導き得る正しい結論には限界があります。そこで前提となる十全な観念というのはこれ以外にもあり得るということを示すため,続いて第二部定理三九も考えました。この定理により,たとえば四角形の場合について考えたことが,人間にも妥当しますので,第二部定理一四により,人間の精神のうちには,数多くの推論の前提となり得る十全な観念がある,あるいは少なくともあり得るということが証明できました。
 そしてこのことは,ある公理的性格を帯びた事柄,すなわち人間の能動と受動に関係する事柄を表します。すなわち人間は,自分自身の身体と共通の要素を有するものとより多く関係するほど,それだけ能動的であり,逆にそれが少ないほど,受動的であるということです。
 これで今回のまとめは終了です。明日からは,新しいテーマについて考えていくこととします。
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盤上の駒を取られるポカ④&第二部定理四〇まとめ④

2008-08-22 19:45:36 | ポカと妙手etc
 打った駒を取られるポカは三局紹介したので,盤上の駒を取られるポカも③で終わる予定だったのですが,連載を始めてからこのタイトルに適合するひどいポカが出ましたので,これを最後に紹介しておきます。今期のマイナビ女子オープンの予選の一局です。
 ウソ矢倉を目指した後手に対して先手が袖飛車にし,すぐに3筋の歩を交換したのが第1図。
           
 竹部さゆり女流三段の将棋はそう多く見ているわけではないのですが,こういう乱戦志向のところがあるようです。ここで後手は3二の金が浮いているのをうっかりしたようで△5四歩。すかさず▲3二飛成とされていきなり将棋が終ってしまいました。実際,ここで投了でもおかしくない局面。もう少し指しましたけれども当然ながら勝負に影響はありませんでした。
 3二のあたりは後手の駒が密集していますのでうっかりしやすいのは事実。しかしこういうポカが出るのは相当に珍しいことではないかと思います。
 また印象的なものが出れば紹介しますが,とりあえずこのシリーズはこれでおしまい。今後は別のシリーズを考えています。

 明日からふるさとダービー福井が開催されます。小嶋選手,平原選手,新田選手あたりが軸となって推移していきそうです。

 ここでは,観念が神のうちにあるとみられるような場合について考えているわけではなく,人間の精神のうちに,すなわち有限な知性のうちにあるとみられるような場合について考えています。そしてこのようにみられる限りでは,混乱した観念は無であり,十全な観念というのは有なのですから,第二の意味と第三の意味も成立したといっていいと思います。
 また,これらの意味が成立するということに関しては,別の証明も可能です。さらに別の,結果からの証明は,これらの意味が成立するということをさらに明らかにするとともに,観念の実在性に依拠することなく,第四の意味の場合も証明することが可能であると思われます。
 ここに至って,推論の前提と結論との関係,すなわち,正しい結論は正しい前提からのみ導かれるのであって,もしも前提の方にある誤りがあるのであれば,その結論に関しては,とくに詳しく検討しなくても,それ自体で誤りであると断定してよいということが導かれました。しかし,これはあくまでも論理的にはそうなるということであって,現実的な意味をそれ自体で伴っているというわけではありません。なぜなら,このことのうちには,人間の精神のうちにあらかじめ正しい前提があるということ,いい換えれば,人間の精神のうちに推論の前提となり得るような十全な観念があるということは含まれてはいないからです。よってこのことを現実的な意味でも成立させるためには,人間の精神のうちに何らかの十全な観念が与件としてあるということを証明することが,必要条件になるのです。 
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四日市記念&第二部定理四〇まとめ③

2008-08-21 19:28:20 | 競輪
 四日市記念はここのところ小嶋選手が連覇していたのですが今年は不参加。決勝(動画)は昨日,争われました。
 前受けは武田選手。4番手に柴崎選手。渡部選手を挟んで8番手に石橋選手という周回。残り2周のホームから石橋選手が上昇。柴崎選手,渡部選手もこのラインを追走。石橋選手は一旦は武田選手を叩いたのですが,バックではインから武田選手が巻き返し,打鐘から突っ張り先行になりました。インから上がった柴崎選手が4番手。
 バックから柴崎選手の捲り。一丸選手以下は離れましたが,これが好回転で,柴崎選手-山口選手で捲りきり,神山選手が3番手にスイッチ。直線,山口選手が迫ったものの,粘りきった柴崎選手が優勝。山口選手が2着で,3着に神山選手。
 優勝した三重の柴崎淳選手は競輪学校91期,来月で22歳になるという新鋭選手で,記念競輪はもちろん初優勝。武田選手が本来の調子にはないとはいえ,これを捲りきり,かつ番手の山口選手の追い込みも凌いだのですからこれは立派の一語。将来が楽しみな選手が現れたといっていいのではないかと思います。

 ところがここで別の問題が出てきます。というのは,混乱した観念というのはそれがあるといわれるならば,人間の精神を代表とするような有限な知性のうちにのみあるわけですが,たとえば人間の精神のうちに生じる混乱した観念というのは,それを形相的にみた場合に,形相的に実在するようなものとは限らずに,むしろ形相的には実在しないような観念であるという場合があるからです。つまりそうした,対象が無の観念の必然性が,いかなる意味で十全な観念と同一の必然性であるということができるのかということが,先に解決されなければなりません。
 これを考えるためには,結局のところ,このような種類の混乱した観念,すなわちそれ自体ではいかなる意味でも有であるとはいえないような混乱した観念について,その無の対象とは何かということを考え,そこからそうした表象の必然性を導き出すよりないだろうと僕は思います。そしてこのような意味でこうした混乱した観念の必然性を結論したときに,混乱した観念の有と無の関係がはっきりと明らかになります。すなわちある混乱した観念というのは,そうした混乱した観念によってその一部を構成されている有限な知性,たとえばある人間の精神にのみ関連付けられるならば,それは明らかに無です。しかしこの混乱した観念が神の無限な知性のうちにあるとみられる限りでは,いい換えれば,この混乱した観念によってその一部を構成される知性の本性を構成すると共に,ほかのものの観念を有する限りでこの観念が神のうちにあるとみられるならば,それは紛れもなく有であるということになるのです。
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スパーキングサマーカップ&第二部定理四〇まとめ②

2008-08-20 21:13:56 | 地方競馬
 優勝馬には日本テレビ盃への優先出走権が与えられるスパーキングサマーカップ
 エスプリベンの逃げ。これをインターセフォーとフォースキックが追っていきました。これは予想通りだったのですが,僕が中心に期待したシンメイレグルスは後方の内。こちらは予想外。前半の800メートルは49秒1。一応はハイペースでしょうが,ミドルペースに近いです。
 逃げたエスプリベンが直線に入ったところで後続との差を大きく広げました。これはやられたかと思ったのですがここから失速。中団に構えてスムーズに進出してきたベルモントサンダーが追われると弾けるように伸び,最後は4馬身の差をつけての圧勝。苦しいレースとなったシンメイレグルスですが,ゴール直前でエスプリベンを捕え,何とか2着は確保。逃げたエスプリベンは3着まで。
 優勝したベルモントサンダーは昨年11月のアフター5スター賞以来の勝利で南関東重賞2勝目。ベストより長い距離だと思いますが,この馬は重賞クラスですので,この距離でも能力が違いすぎました。
 鞍上は船橋の石崎駿騎手で,昨年暮れの東京シンデレラマイル以来の南関東重賞制覇。このレースは今年が第5回とまだ歴史が浅く,船橋の出川克己調教師ともども,スパーキングサマーカップは初制覇です。
 シンメイレグルスもおそらくは重賞レベルにある馬。最後は底力を見せてくれたと思います。しかしベルモントサンダーよりも後ろの位置取りでは…。

 残るは第二の意味と第三の意味がいかに成立するのかという点です。これを考えるために,十全な観念と混乱した観念との関係を,有と無との関係としてとらえるという方法を試みました。このように考えるなら,第二の意味も第三の意味も,その成立を否定するためには,無から有が生じるということを主張せざるを得なくなり,こうした主張というのはそれ自体で不条理であるといえるからです。
 しかし,このための障害となるように思われる定理が『エチカ』にはあります。それが第二部定理三六です。ここでは,混乱した観念が十全な観念と同一の必然性で生じるといわれています。しかしもしもあるものがある必然性の下に生じるといわれるならば,スピノザの哲学においてはこれは,むしろそれはある実在性を有するものである,いい換えれば有であるとしか考えられないからです。よってここでいわれている混乱した観念の必然性というのをどのように考えるのかということが,課題として出てくることになります。
 このときに僕が注目してみたのは,この第二部定理三六をスピノザが証明しているときに,最後に依拠した第二部定理六系です。そしてこれについて,たとえば月の場合のような例で考えてみれば,確かに十全な観念と混乱した観念との必然性の同一性を主張するということは,問題がないという結論に達することができました。
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竜王戦&第二部定理四〇まとめ①

2008-08-19 23:35:19 | 将棋
 先週,深浦康市王位を破った羽生善治名人。その後は対局こそありませんでしたが,横浜と長野の将棋まつりに出演。スケジュールは相変わらずハードなまま,今日の丸山忠久九段との竜王戦を迎えました。
 振駒で先手は丸山九段。角換り相腰掛銀戦先後同型の升田定跡に。プロ間では何局も指されていて定跡がかなり確立されているので,一切の前例から離れたのもかなり手数が進んでからでした。夕食休憩に入ったのが第1図の局面。
           
 観戦はここからですが,かなり進んでいるので驚きました。再開後は△7六歩,以下,後手が第2図の形になるまで攻め続け,△3一歩と受けに回りました。
           
 この近辺,僕は勘違いしていて,実戦の▲3二歩で簡単に先手が勝つものと思い込んでいたのですが,後手の飛車が3九にいると寄りません。ということで先手は徹底的に受けに回り,第3図に。
           
 ここでは▲3一歩成△同飛▲3二金と攻めるのも有力だったようですが,▲3三馬。△同金▲3一歩成でこれも厳しいようですが,△2一香が絶妙の受け。
           
 以下,▲6一飛が詰めろで,△7三角が詰めろ逃れの詰めろ。ここで▲8三金なら先手有望であったようですが,金をここに使ってしまうと後手玉を捕まえにくくなるとみたのか▲9七玉。しかしこれは実戦の手順で後手の勝ち。おそらく第4図で△2一香と打たれ,▲3二金は取られて負け,▲3二歩だと△1四桂ないし△3四桂で脱出されるというのをうっかりしていたのではないかと思います。先週よりも凄い逆転だったのではないでしょうか。
 これで羽生名人が挑戦者決定三番勝負に進出。相手は木村一基八段です。
 

 明日は川崎でスパーキングサマーカップ。ここはシンメイレグルス◎が中心で相手もベルモントサンダー○。あとはサウンドサンデー△,エスプリベン△,インターセフォー△。

 四日市記念も決勝です。並びは石橋-佐藤の東日本,武田-神山-高橋の関東,柴崎-山口-一丸の中部で,渡部が単騎。山口選手を。

 今回のテーマは第二部定理四〇でした。しかし本当の主旨は,この定理についてというよりは,この定理から,正しい結論は正しい前提からのみ導かれるのであって,したがってもしも前提の方が誤っているのならば,そこからの結論に関しては,とくにそれを詳しく吟味しなくても,それが誤りであると判断してよいということが,いかにして導かれるのかということです。
 これをいうためには,第二部定理四〇の意味の中に,ただこの定理がいっていることだけでなく,それ以外の意味,合わせて4つの意味が含まれていると考える必要があります。いい換えればこれらの意味さえ含まれているなら,ここから導きたいこともそれで出てきますので,これら4つの意味が含まれている根拠を示すというのが,今回のテーマにおける最重要課題であるといえるでしょう。
 ところで,第一の意味というのはこの定理そのものですので,この定理の証明によってすでにその成立が明らかであるといえます。しかし第一の意味と第四の意味というのは,ちょうど表裏一体の関係にあると考えられますから,これで第四の意味も成立することが明らかになったといえます。また,原因と結果の間にある実在性ないしは完全性の関係を考えれば,第四の意味の証明はとくに第一の意味の証明に依拠せずとも,それ自体で可能であると僕は考えています。
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クラスターカップ&能動と受動

2008-08-18 19:24:54 | 地方競馬
 地元のトーホウライデンが出走を取り消し,11頭で争われた第13回クラスターカップ(動画)。
 外からタイセイアトムの逃げ。これをディープサマー,プライドキムの船橋2頭が追っていきました。最初の600メートルは36秒4で,重賞では考えられないようなスローペース。
 人気のフェラーリピサは後方に構えていたのですが,向正面に入ると追撃開始。ディープサマーは後退し,トーセンブライトはやや離されました。タイセイアトム,プライドキム,フェラーリピサの3頭が雁行状態で直線に。
 タイセイアトムは脱落。フェラーリピサがプライドキムに馬体を併せるところまではいったのですが,そこから再び突き放し,プライドキムが優勝。フェラーリピサが2着で,追い上げてきたトーセンブライトがタイセイアトムを捕えて3着を確保しました。
 優勝したプライドキムは昨年2月のグランプリカップ以来の勝利。重賞は2004年の全日本2歳優駿以来となる3勝目。ここで勝って何ら不思議のない力の持ち主ではありますが,今年に入っての2戦が悪く,軽視していました。スムーズにレースができたのもよかったでしょうが,体重が16キロ絞れていたのもよかったのではないかと思います。従来のレコードを1秒更新するタイムも立派で,フロックではありません。
 鞍上は船橋の川島正太郎騎手。JRAの三浦皇成騎手が大物新人と騒がれていますが,こちらも今年デビューの新人で,早々の重賞初制覇。今年は新人騎手の当たり年なのかもしれません。管理するのは正太郎騎手の父でもある船橋の川島正行調教師。クラスターカップは初制覇です。

 明日は竜王戦挑戦者決定トーナメントの,挑戦者決定3番勝負へのもうひとりの出場者が決まる羽生善治名人と丸山忠久九段の一戦があります。対戦成績は羽生名人が29勝,丸山九段が16勝です。

 第三部定理一によれば,人間の精神mens humanaというのは十全な観念を有する限りでは能動的であり,逆に混乱した観念idea inadaequataを有する限りでは受動的であるということになっています。したがってここで考察していることというのは,現状の主題とはあまり関係していませんが,実は人間の能動actioと受動passioということに大いに関係しているのです。
 ここまでの考察によって導かれた,ひとつの公理的性格を帯びるような事柄をこの第三部定理一に加えるならば,次のようなことが出てきます。もしも人間が,自分自身とより多くの共通の要素を含むような外部の物体corpusと関係すればするほど,その人間はそれだけ多くの十全な観念を有することができますので,同時にそれだけ能動的であり得るということになります。したがって逆に,ある人間が,自分自身と共通の要素が少ないものと関係することが多くなるなら,その人間はその分だけ受動的になりやすいということになるでしょう。
 僕自身についていえば,ただそれが面白いから,あるいは別のいい方をするなら,受動的であれ能動的であれ,それが僕自身の喜びlaetitiaであるからスピノザの哲学について考えているのであって,これを自分の人生に役立たせようと思っているわけではありません。しかしもしもそういう方面からスピノザの哲学について考えるなら,これはひとつの人生訓になり得るのではないかと思います。それはすなわち,人間はなるべく自分自身と多くの共通点を有するようなものと関係するように努めるべきであるということです。
 このテーマはこれで終りとします。いつものように明日からはまとめに入ることにします。
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黒潮盃&公理的性格

2008-08-17 19:05:36 | 地方競馬
 13日に大井競馬場で行われた,全国地方競馬交流の3歳限定南関東重賞の第42回黒潮盃を,遅くなりましたが回顧します。
 最内枠からバルバンクールの逃げ。スムーズなレースが身上の馬ですので,最内枠では当然の作戦だったかもしれません。タケノショウリュウ,ジャイアンツゲットと,人気上位の2頭がこれを追いました。最初の800メートルは50秒6。3ハロン目から極端にラップが落ちていて,1800メートルでは珍しいくらいのスローペースでした。
 このペースに業を煮やしたのが最後尾にいたジルグリッターで,向正面で一気に進出。逃げたバルバンクールはこれに対応できず,タケノショウリュウが先頭に立ち,ジャイアンツゲット,ジルグリッターの3頭が並んで直線に。
 最内のタケノショウリュウが最初に脱落。残る2頭の叩き合いとなりましたが,これを外からギャンブルオンミーが鮮やかに交わしさって優勝。2頭の叩き合いはジルグリッターが制して2着。ジャイアンツゲットは3着でした。
 優勝したギャンブルオンミーは5月の東京湾カップ以来となる勝利で南関東重賞2勝目。ここはおそらく現状の力量では最上位で,問題は58キロという斤量だったのですが,見事にこなしました。
 鞍上は大井の戸崎圭太騎手で,先月のスパーキングレディーカップ以来の重賞・南関東重賞勝利。管理するのは船橋の佐藤賢二調教師で,黒潮盃は共に初制覇となっています。

 明日は水沢でクラスターカップ。フェラーリピサ◎,メイショウバトラー○,トーセンブライト▲の3頭が上位。あとはタイセイアトム△とダイワメンフィス△。

 これで単にすべての物体に共通であるような事柄だけではなくて,自分自身の身体のうちにある何らかの要素についても,それと共通の要素を有するような外部の物体と関係し合うということによって,人間の精神のうちにそのことの十全な観念が生じるということが分かりました。よって人間は,そうした事柄についてもあらかじめの前提とすることが可能であって,この前提から必然的に正しい結論を導き出すことができるということになります。そしてこれにより,前提と結論の関係が意味していることが,単に論理的な意味だけではなく,現実的な意味においても十分に確保されたといっていいのではないかと思います。
 ところで,今回のテーマとはこれは直接的に関係するわけではないかもしれませんが,こうした事柄は,人間がより多くの十全な観念を有するようになるための,ひとつの公理的な性格を帯びた結論を導き出します。すなわち人間は,自分自身とより多くの共通の要素を有するものと多く関係すればするほど,それだけ多くの十全な観念をもつことができるようになるというものです。逆にもしも人間が,何ら自分自身と共通点を有さないようなものと関係する限り,この人間は混乱した観念を有するだけでしょう。もっともすべての物体は何らかの共通点は有しますから,これ自体は現実的な意味をもっているわけではありません。ただ,人間が多くの十全な観念を有するためには,なるべく自分と共通点を有するものと多く関係を結ぶ必要があるということは,間違いのないところだと思います。
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