スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

フェノーメノ&売上金

2024-09-25 19:10:52 | 名馬
 東京記念を勝ったナッジの父はフェノーメノです。父はステイゴールド。Fenomenoはポルトガル語で怪物。
                            
 2歳10月にデビューし勝利。暮れのホープフルステークスに出走してこれは7着。
 3歳になり1月の条件戦で2勝目。弥生賞は6着でしたが青葉賞で重賞初制覇。ダービーディープブリランテの2着でした。
 秋はセントライト記念で復帰して重賞2勝目。菊花賞ではなく天皇賞(秋)に向かってエイシンフラッシュの2着。ジャパンカップは5着でこの年のキャンペーンを終了。
 4歳初戦となった日経賞で重賞3勝目。天皇賞(春)で大レース初制覇を達成しました。宝塚記念ゴールドシップの4着。
 秋は出走できず5歳春の日経賞で復帰。これは5着に敗れましたが天皇賞(春)で連覇を達成。
 秋になって天皇賞(秋)が復帰戦。ここで14着と生涯初の大敗を喫するとジャパンカップエピファネイアの8着,有馬記念も10着。6歳初戦の日経賞も8着に負け,競走生活から引退しました。
 ダービーや3歳の時の天皇賞(秋)で僅差の2着に入っているように,大レース2勝が天皇賞(春)の連覇だけというほどにはスタミナに偏った馬ではありません。ただ種牡馬としてはどうしても勝ったレースの方が印象として残りますし,現役引退間際の成績が悪かったこともあり,スピード全盛の現代競馬では種牡馬として苦戦しそうではありました。まだ産駒から重賞の勝ち馬が出ていないのですが,やはりそういったところが影響しているのではないでしょうか。

 レベッカRebecca de SpinozaもダニエルDaniel Carcerisも,スピノザの親族であり,遺産の正式な相続人ではあります。したがって,相続の権利を放棄していない間は,スピノザの遺品を整理したことによって得られた売上金について,それを相続する権利はあったといえます。差し押さえたということが具体的にどのような行為をレベッカが行ったという意味なのかははっきりしませんが,少なくともこの競売が行われた1677年11月4日の時点で,レベッカが遺産相続の権利を放棄していなかったということだけは明らかです。
 この売上金は借金と葬儀費用の総計を上回ったというように読めます。というのも剰余金が少ししか残らなかったので,レベッカはスペイクのなしたことに対して異議の申し立てをせず,遺産の相続の権利を放棄したとなっているからです。ここのところにもよく分からないことがあって,葬儀費用と借金はすでにリューウェルツJan Rieuwertszから送られていたのですから,スペイクはその費用を必ずしも必要とはしていなかったと思われるのです。この文章の全体は売上金のすべてがスペイクの収入になったというように理解できるものですから,現にそうであったのかもしれません。スピノザが死んだことによってスペイクは家賃の収入を得ることはできなくなっていました。その後にだれかにまた部屋を貸したかもしれませんが,少なくともスピノザの遺品が数多く残っているうちはそれはできなかったでしょう。なのでスペイクは,遺品を売って収入を得るという目的と同時に,部屋を片付けるために遺品を売却するという必要があったのかもしれません。レベッカは遺産を相続しなかったのですから,売上金はスペイクの収入になったと解するのが自然でしょう。
 スペイクの用を果たした代理人が,この代金の領収書を出しているとありますが,その日付が1678年6月1日付となっていて,競売より半年以上も後のことになっています。これは慣例としてそのようになっているのかもしれませんし,何らかの事情で代金の請求や支払いが遅れたということかもしれません。あるいは分割払いのような形で支払ったので,支払いの終了まで時間が掛かったということもあり得るでしょう。
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モズアスコット&謎

2024-09-21 19:19:33 | 名馬
 若武者賞で2着以下を離して楽勝したベアバッキューンの父はモズアスコットです。5代母がアイドリームドアドリームの3代母にあたる同一牝系で,アメリカ産です。
                            
 デビューは遅く3歳の6月。3戦目に初勝利をあげると4連勝。暮れの阪神カップで重賞に初挑戦して4着でした。
 4歳になって阪急杯,マイラーズカップと連続して2着。5月のオープンも2着でしたが連闘で安田記念に出走すると見事に優勝。重賞初制覇で大レース制覇を達成しました。
 秋はスワンステークスで復帰して2着。しかしマイルチャンピオンシップが13着,遠征した香港マイルも7着と,連続して大敗を喫しました。
 5歳初戦のマイラーズカップも7着。連覇を狙った安田記念も6着。秋は毎日王冠で復帰して6着。スワンステークスは2着でしたがマイルチャンピオンシップは14着でした。
 6歳初戦でダートの根岸ステークスに出走するとこれを勝って重賞2勝目。さらにフェブラリーステークスも勝って大レース2勝目。芝に戻して高松宮記念に出走しましたが13着。ダートに戻したかしわ記念は6着でした。
 秋は南部杯で復帰して2着。武蔵野ステークスは7着。チャンピオンズカップで5着になって現役を引退しました。
 成績から分かるように,芝とダートの両方で大レースを勝った馬ではありますが,どちらの路線でもトップだったというわけではありません。近親には海外の活躍馬が多いので,種牡馬としてのセールスポイントはその点になるのではないかと思います。

 レベッカRebecca de Spinozaの子どもたちが共同相続人に名を連ねなかった理由は定かではありませんが,たぶん制度上の理由だったろうと推測されます。それでダニエルDaniel Carcerisとレベッカのふたりが共同相続人として名乗りを上げたのですが,ふたりだけであった理由というのも考えておきましょう。
 まずスピノザの兄のイサークは,まだスピノザが学生だったうちに死んでいます。ですから相続人にはなり得ませんでした。そしてスピノザの姉のミリアムMiryam de Spinozaも,ダニエルを産んだ直後に死んでしまったのですから,相続人にはなり得ません。また,スピノザの父のミカエルが死んでスピノザは弟のガブリエルと事業を継いだのですから,ミカエルもまた相続人にはなり得ません。さらにスピノザの母のハンナはミカエルよりも先に死んでいますからやはり相続人にはなり得ませんでした。また,ハンナの後にミカエルと結婚したエステル,スピノザの継母も,『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』によればミカエルよりも先に死んだようなので,相続人にはなり得なかったのです。
 スピノザの弟のガブリエル,この人はアブラハムともいわれますが,ここではガブリエルといいます。このガブリエルが共同相続人に名乗りを上げていない理由は僕にはよく分かりません。少なくともスピノザが死んだ時点でも,ガブリエルは生きていたと思われるからです。ただ,後にレベッカがキュラソー島に移住したように,ガブリエルはその時点でオランダを離れて外国に住んでいた可能性があります。そしてそうであれば,スピノザが死んだということを知らなかったのかもしれません。このために,共同相続人として名を連ねることができなかったのではないかと推測します。
 また,レベッカとダニエルが共同相続人として申し出たということは,このふたりはスピノザが死んだということを知っていたことになります。とくにレベッカは,スピノザの葬儀の直後にはスペイクに会っているのですから,わりと早い段階でスピノザの死を知ったということになるでしょう。レベッカがどのような経路でそれを知ったのかということはちょっとした謎です。スピノザは破門された後は親族とは連絡を何も取っていなかったからです。
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アグネスフローラ&衝動と欲望

2024-05-17 19:12:51 | 名馬
 東京プリンセス賞を勝ったフェルディナンドの4代母はアグネスフローラです。
 3代母がヘザーランズ。母は1979年のJRA賞の最優秀3歳牝馬に選出されたアグネスレディー
 デビューは2歳の12月。このレースを勝つと年明けの特別戦も勝利。さらにエルフィンステークス,当時はオープン特別だったチューリップ賞も勝って4連勝。この成績で桜花賞に出走すると見事に勝利。初の重賞制覇を大レースで達成しました。オークスはエイシンサニーの2着。しかしこの後で故障を発症して発症してしまったために,そのまま現役を退くことになりました。秋は走れなかったもののJRA賞の最優秀3歳牝馬に選出されています。
 繁殖牝馬となって大きな結果を残しています。3頭目の産駒が牝馬で,この馬の子孫からは2019年にラジオNIKKEI賞を勝ったブレイキングドーンが出ています。フェルディナンドもこの牝馬の子孫です。
 4頭目の産駒はアグネスフライト。2000年に京都新聞杯を勝って出走した日本ダービーを勝っています。
 アグネスフライトのひとつ下の全弟はアグネスタキオンです。
 自身が大レースを勝った上で,産駒が2頭も大レースを制しました。日本を代表する名牝の1頭といっていいと思います。

 これでみれば分かるように,國分が衝動appetitusは人間の本性natura humanaではないと解しているのであれば,その点は明確に誤りerrorであると僕は解します。一方で,スピノザが衝動も欲望cupiditasも同じように人間の本性としていることについては,矛盾があるとは思いません。というのは,第三部定理九備考でスピノザが欲望は意識される限りでの衝動であるというとき,スピノザはこの意識conscientiaを無意識との対比で解しているわけではなく,認識される限りでの衝動であるというのと同じ意味でいっていると僕は考えるからです。したがってスピノザは,意識されない衝動,あるいは同じことですが認識されない衝動があるということは認めていると思われるのですが,この点はここでは注目しなくても構いません。欲望が認識される限りでの衝動であるというのは,欲望とは衝動の観念ideaであるというのと同じです。つまり衝動がXであるなら,欲望はXの観念なのです。
                                   
 第二部定理七によれば,観念と観念対象ideatumの原因causaと結果effectusの連結と秩序ordo, et connexioは一致します。すなわちXとXの観念は同一個体です。つまり衝動と欲望は同一個体なのです。スピノザは衝動を人間の身体humanum corpusとも人間の精神mens humanaとも関連付けているわけですが,欲望が認識される限りでの衝動とされているのであれば,このことは衝動が身体的な衝動であろうと精神的な衝動であろうと同じことです。だからスピノザは第三部定理九備考で衝動についていっていることを,第三部諸感情の定義一では欲望についていうことができたのです。Xが人間の受動的な現実的本性actualis essentiaを構成するのであれば,当然ながらXの観念も人間の受動的な現実的本性を構成するからです。
 僕は平行論を採用しますからこのように説明します。しかしもしも同一説を採用するなら,このように考える必要すらないといえるでしょう。人間の現実的本性が衝動で衝動の観念が欲望とみなされるのであれば,単に衝動と欲望は同じことのふたつの側面であって,それがある場合には衝動といわれ,別の場合には欲望といわれるというだけの差異があることになるからです。
 次に,スピノザが人間の本性を意識と関連付けていることについては,たとえ衝動が人間の本性でも僕は否定しません。
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ユキチャン&認識と意識

2024-05-15 19:12:45 | 名馬
 羽田盃を勝ったアマンテビアンコの母はユキチャンです。父はクロフネ。祖母はウェイブウインド
 2歳7月にデビュー。芝の1200mで14着。12月にダート1200mの未勝利戦で勝ち上がると,3歳3月に芝2000mの特別戦で2勝目。フローラステークスに出走して7着になると関東オークスに向かい,重賞初制覇を達成しました。ジャパンダートダービーは競走除外。クイーンステークスが9着,シリウスステークスが8着,秋華賞が17着。ここからはダート戦に的を絞り,クイーン賞で2着となり3歳戦を終えました。
 4歳になってTCK女王盃に出走して2着。エンプレス杯が6着でマリーンカップも6着。これでJRAから川崎に移籍しました。
 転入初戦のTCKディスタフは3着。クイーン賞で重賞2勝目をあげました。
 5歳初戦のTCK女王盃も制して重賞3勝目。マリーンカップで3着になった後,川崎マイラーズを9着と大敗し,現役生活を終えることになりました。この年はNARグランプリの最優秀牝馬に選出されています。
 白毛は遺伝子の突然変異で発生する毛色なので,かなり少数。その白毛馬で初めて日本で重賞を勝ったのがこの馬でした。白毛ではありませんが,2020年の小倉2歳ステークスとファンタジーステークス,2021年のチューリップ賞,2022年のシルクロードステークスと京王杯スプリングカップとセントウルステークスを勝ったメイケイエールはユキチャンの孫になります。近親にも多数の活躍馬が出ていますから,血統背景は申し分ありません。子孫からはまだ活躍馬が出る可能性がありそうです。

 國分がいうように,スピノザは意識conscientiaと人間の本性natura humanaを関連付けています。ただ,僕のように意識を無意識との対比で解する場合は,このことは当然であるという要素を含んでいますので,そのことについても説明しておきます。
 スピノザは,人間の本性を人間の精神mens humanaと等置することがあります。このとき,人間の精神がある事物を認識するcognoscereといわれるなら,その認識cognitioが意識化されるということ,他面からいえばその認識は無意識にとどまるわけではないということは前提されているといえます。前もっていっておいたように,スピノザは無意識という概念notioを有していないのですから,観念ideaと観念の観念idea ideaeの関係を,僕と同じように考えていたわけではありません。一例をあげれば,第二部定理四三は,現実的に存在する人間の精神のうちにXの観念があるなら,Xの観念の観念もあるのだから,その人間は自身がXの真の観念idea veraを有しているということ,いい換えればXの真理veritasを知っているということを疑い得ないといっていますが,これなどはその典型といえるでしょう。つまりスピノザは基本的に僕たちの精神がXを認識するというとき,僕たちの精神というのを積極的に解すれば,つまりこの文章の主語は僕たちの精神であるということを強調すれば,その精神がそれを意識しているということを前提しているのです。ですからある事柄が人間の身体humanum corpusとだけ関連しているのなら,それを人間の本性と関連付けることはできません。衝動appetitusは人間の身体だけでなく人間の精神とも関連するから,それを人間の本性ということはできますし,実際にスピノザはそのようにいうのですが,このときにはその衝動がその衝動を有する人間の精神によって認識されていて,その衝動が意識化されているということがそもそも前提されているのであって,このために意識化された衝動である欲望cupiditasが人間の本性といわれることになるのです。
                                        
 國分は人間を突き動かす力potentiaにその本性をみようとするなら,衝動の概念だけでも人間の本性を説明するのに十分だったといっています。これはあたかもスピノザが衝動を人間の本性とは規定していないというように読解することができますが,これは誤りerrorです。
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バンブービギン&推論の条件

2024-05-11 19:09:09 | 名馬
 しらさぎ賞を勝ったツーシャドーの3代母の父は1989年のJRA賞で最優秀父内国産馬に選出されたバンブービギンです。もうだいぶ古い時代の馬ですが,僕の競馬キャリアの中の馬ではありますので,ここで紹介しておきます。父は1982年のJRA賞の最優秀3歳牡馬のバンブーアトラス。この馬は僕の競馬キャリアより前の馬なので,このブログでは紹介しません。
 デビューは2歳の11月。なかなか勝ち上がることができず,7戦目となる3歳の5月に初勝利をあげました。すると400万以下,900万以下と特別戦も連勝。9月の神戸新聞杯で2着になると,10月の京都新聞杯で重賞を制覇しました。この勢いで菊花賞に出走するとこれも制覇。大レースの勝ち馬になりました。ただ残念ながらこの菊花賞が現役最後のレースに。JRA賞の最優秀父内国産馬に選出されて引退となっています。
 素質が開花するのは遅くなりましたが,初勝利をあげて以降は重賞2着が1回あっただけでそれ以外は菊花賞も含めて全勝。古馬との対戦がありませんでしたから,能力の上限がどれほどだったのかは分かりませんが,それを見せないままに引退ということで,競走馬としてはまだ未知の能力を秘めていたといえるでしょう。
 種牡馬としてはほとんど成功していません。ツーシャドーの3代母はJRAで3勝をあげた牝馬ですが,今後も名前が出ることがあれば,その牝馬の子孫ということになるのではないでしょうか。

 スピノザの哲学では理性ratioは第二種の認識cognitio secundi generisとされています。これとは別に第三種の認識cognitio tertii generisというのがあって,スピノザはこちらの方を最高の認識としています。このことはたとえば第五部定理二五から明らかだといわなければなりません。一般的な哲学の伝統では,理性が最高の認識とされていますので,スピノザの哲学は必ずしもその伝統に則していないということになります。
                                  
 しかし僕はこの國分の指摘に対しては,次のことの方を強調しておきたいです。
 一般に理性というのは,人間の身体humanum corpusが外部の物体corpusによる刺激と独立した思考です。スピノザの哲学でもこの点は変わるところはありません。理性的認識とは,共通概念notiones communesを基礎とした推論のことをいうのであって,この推論というのは人間の身体が外部の物体によって刺激されるafficiその刺激状態の観念ideaからは独立しているからです。別のいい方をすれば,たとえ人間の身体が外部の物体によって何らの刺激を受けるafficiことはないと仮定したとしても,この推論はその人間の精神mens humanaのうちで完結する思考ですから,その人間の精神さえ存在すれば,その人間がなし得る思惟作用であるのです。
 ただし,この推論の基礎となるのが共通概念なのですから,もし現実的に存在する人間の精神のうちに共通概念が存在しないというように仮定をすれば,その人間は理性的認識をすることは不可能であるということになります。しかるにこの共通概念というのは,現実的に存在する人間の身体が外部の物体によって刺激されるからこそ,その人間の精神のうちに生じてくる思惟の様態cogitandi modiなのです。このことは,第二部定理三九で,人間の身体が刺激されるのを常とするいくつかの外部の物体といわれていることから明らかです。したがって,理性的認識そのものは人間の身体が外部の物体によって刺激されるということからは独立した思考であったとしても,人間の精神がそのような思考をすることができるのは,現実的に存在する人間の身体が外部の物体に刺激されることによって,その人間の精神のうちに共通概念が形成されるからなのです。この意味では理性は,人間の身体の刺激状態から独立したような思惟作用であるとはいえないのです。
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モーニン&神への依拠

2024-02-22 19:40:42 | 名馬
 雲取賞を逃げ切ったブルーサンの父はモーニンです。英語表記はMoaninで,ジャズの楽曲名。6代母がオールフォーロンドンの3代母にあたる同一牝系です。
 デビューは3歳の5月と遅くなりました。そのデビュー戦を勝つと500万,1000万,1600万まで4連勝。重賞初挑戦となった武蔵野ステークスこそ3着に敗れましたが,年が明けて根岸ステークスで重賞初制覇。さらにフェブラリーステークスを勝って7戦6勝という戦績で大レースの勝ち馬になりました。
 ところがここから苦難が始まります。かしわ記念で8着と初の大敗。日本テレビ盃は2着になったものの武蔵野ステークスが7着でチャンピオンズカップも7着。5歳初戦のフェブラリーステークスも12着でした。かしわ記念が3着,さきたま杯が2着と復調の兆し。しかし秋は日本テレビ盃が4着で武蔵野ステークスが9着。芝の阪神カップに出走するも6着でした。
 6歳初戦も芝の阪急杯で16着。3月にダートのオープンに出走して久々の勝利をあげました。かしわ記念は6着。9月に韓国に遠征してコリアスプリントを勝ったもののJBCスプリントは4着でした。
 7歳も現役を続行。根岸ステークスは4着,フェブラリーステークスも4着。かしわ記念が7着でさきたま杯が5着。秋に芝のセントウルステークスに出走して9着。スワンステークスで18着となり,現役を退きました。
 デビューしてから翌年のフェブラリーステークスまでと,それ以降では別の馬のようでした。能力のピークをわりと早く迎えてしまい,それ以降は重賞では厳しいというレベルまで落ち込んでしまったという馬です。

 スピノザの哲学では,Deusが存在するということより,僕たちが神の十全な観念idea adaequataを有するということが優先されます。優先されるというのは,そちらの方が僕たちにとって重要であるという意味です。なので僕はここではそのスピノザの路線に沿って説明しますが,この場合はデカルトRené Descartesの哲学における確実性certitudoは,知性intellectusのうちに神の十全な観念が存在するということに依拠することによって保証されます。つまり,現実的に存在する人間の知性のうちにXの十全な観念があると仮定すれば,ただそのことによってその人間はXについて確実であることはできません。その同じ人間の知性のうちに,神の十全な観念があることによって,その人間はXについて確実であるということを知ることができるというようになっています。繰り返しになりますが,デカルトは神の観念idea Deiを有することの方が神が存在することよりも僕たちにとって重要であるというように考えていませんから,デカルトの確実性の説明がこのようになっているというわけではありません。あくまでもスピノザの哲学に沿った解釈であると理解してください。
                                   
 スピノザにとっての確実性というのはこのようなものではありません。確かに第二部定理一一系にあるように,現実的に存在する人間の知性は神の無限知性の一部partem esse infiniti intellectus Deiですから,その点では僕たちにとっての確実性が神に依拠しているといえないわけではありません。ただそれは,たとえばAという人間の精神mens humanaが存在するなら,それはAの精神という様態的変状modificatioに様態化した限りでの神の思惟の属性Cogitationis attributumであるという意味なのであって,確実性そのものが神に依拠しているわけではありません。むしろ,Aの知性のうちにXの十全な観念があるのであれば,Xの十全な観念の観念idea ideaeもAの知性のうちにあるのだから,それでAはXについて確実であることができるといわれているのですから,Xについての確実性が,デカルトのいうような意味で神に依拠していないということは明白でしょう。このことは,Aの精神のうちに神の十全な観念があるかないかということとは関係なく成立するからです。つまり神を十全に認識していなくても,僕たちは確実であることができるのです。
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ダイヤモンドビコー&交付通知書

2024-01-16 19:23:23 | 名馬
 ニューイヤーカップを勝ったギガースの祖母はダイヤモンドビコーです。母はステラマドリッド
 デビューは2歳10月。デビュー戦は4着でしたが同一開催の折り返しの新馬で初勝利。500万が4着,フェアリーステークスが6着で2歳戦を終えました。
 3歳4月に復帰。初戦の500万は2着だったもののその後は500万,900万と連勝。夏の札幌で古馬相手のクイーンステークスで2着になると,ローズステークスで重賞初制覇。秋華賞には出走せず暮れの阪神牝馬ステークスに向かって6着でした。
 4歳初戦の京都牝馬ステークスは2着。中山牝馬ステークスで重賞2勝目。新潟大賞典が7着,エプソムカップが10着と,牡馬相手には苦戦しましたがクイーンステークスは2着。さらに府中牝馬ステークスで重賞3勝目をあげました。エリザベス女王杯は2着でしたが阪神牝馬ステークスで重賞4勝目。この年のJRA賞の最優秀4歳以上牝馬に選出されました。
 5歳も現役を続行。金鯱賞が8着,函館記念が11着,クイーンステークスが4着,オールカマーが6着,エリザベス女王杯がアドマイヤグルーヴの6着と,勝利をあげることはできないまま引退となりました。
 大レースを勝っているわけではありません。それでも代表馬に選出されたのは,同年に大レースを勝った古馬の牝馬がいなかったためで,幸運な面があったのは確かです。
 活躍馬が続出している牝系ですが,ダイヤモンドビコーの子孫はそれほど走れていません。重賞の勝ち馬はいませんし,南関東重賞の勝ち馬もギガースが初めてでした。

 6月28日,水曜日。前日にお寺の奥さんから電話で連絡があった御講の概要は,この日に速達で届きました。御講を行うのに可能な日が何日か設定されていましたので,僕にとって最も都合のよい日をピックアップし,お寺の奥さんに電話をして伝えました。
 7月6日,木曜日。2通の郵便物がありました。1通は保険証です。僕は国民健康保険ですが,この保険証が7月31日まででした。8月1日から適用が開始されるものが届いたということです。なお,届いたのは僕のものだけではなく,妹のものも同時に郵送されました。適用開始は8月1日ですが,国民健康保険証は届けば適用開始日以前から使用することができるようになっています。もう1通はマイナンバーカードの交付通知書というものです。6月22日に再申請していたわけですが,それは受理されたということです。ただしこれは交付の通知書であって,マイナンバーカードそのものではありません。マイナンバーカードを入手するには指定された場所に取りにいく必要があり,いつどこに取りにいくのかということを予約する必要がありました。この時点ではこの後の僕の都合に不明な点が残っていましたので,すぐに予約を入れることはできませんでした。
                                        
 7月7日,金曜日。午後1時15分に地域担当支援主任のSさんから電話がありました。これは妹が使用している薬剤の説明書を持参してほしいとの依頼でした。この電話の後,通所施設に妹を迎えに行きましたので,通所施設の妹の担当者にその説明書を手渡しました。О眼科に寄り,目薬の処方をしてもらってから家に戻りました。
 7月9日,日曜日。グループホームに妹を送りました。
 7月10日,月曜日。この後の予定の目途が立ちましたので,午前中にマイナンバーカードの受け取りの予約をしました。場所を選ぶことができたのですが,磯子区役所にしました。上大岡に専門の受取所があって,妹を通所施設なりグループホームなりに送迎する際には上大岡を経由しますから,そのついでに取りに行くこともできましたが,そうはしませんでした。その方が楽そうに思えるかもしれませんが,実際はそうともいえないからです。
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スワーヴリチャード&開山会

2024-01-07 19:40:02 | 名馬
 ホープフルステークスを勝ったレガレイラの父はスワーヴリチャードです。父はハーツクライ
 2歳9月にデビューして2着。翌月に未勝利で初勝利。東京スポーツ杯2歳ステークスで2着に入って賞金を加算しました。
 3歳初戦の共同通信杯で重賞初勝利。皐月賞は6着に敗れましたがダービーは2着でした。
 休養に入って復帰したのがアルゼンチン共和国杯。ここで重賞2勝目。有馬記念キタサンブラックの4着でした。
 4歳春は金鯱賞で重賞3勝目をあげて大阪杯へ。ここで大レースを初制覇しました。距離適性からすれば宝塚記念に進むのが普通ですが,コース適性の方を重視して安田記念に出走。3着と健闘しました。
 秋は天皇賞(秋)で復帰。このレースは10着。ジャパンカップは3着でこの年のキャンペーンを終えました。
 5歳初戦は中山記念。4着に入ってドバイシーマクラシックに遠征。3着でした。帰国してこの年は宝塚記念に出走。これも3着。
 この年も天皇賞(秋)が秋初戦となって7着。ジャパンカップで巻き返して優勝。大レース2勝目を達成。この年は有馬記念にも出走して12着。これで現役引退となりました。
 ファーストクロップが現3歳なのですが,いきなり大レースの勝ち馬が出たように,かなり好調な滑り出しです。産駒が2歳のうちから走ることができるということは,種牡馬として重要な要素ですので,大成功まで期待できそうです。

 帰宅しますと後期の三者面談の報告書が郵送されていました。これはグループホームの分です。
 4月1日,土曜日。前日に郵送されていた報告書は,僕のサインを入れて返送しなければならないものでした。なのでこの日のうちにサインを入れて送付しました。
 4月3日,月曜日。妹を通所施設に送っていきました。4月からバスのダイヤの改正がありました。最寄りのバス停を出るのがこれまでよりも2分ほど早くなりました。
 4月7日,金曜日。3月31日の帰りに妹の目薬を処方してもらったときに予約を入れておいた歯科検診でした。この日は午前10時からでした。
 4月8日,土曜日。総講の日でしたのでお寺に行ったのですが,この日は総講がありませんでした。これは翌日に開山のお会式が予定されていて,その準備のためでした。
                                        
 4月9日,日曜日。開山のお会式がありましたので,またお寺に行きました。この日は統一地方選挙の投票日でした。僕が住んでいるところであったのは,神奈川県知事選と神奈川県議会選,そして横浜市議会選です。これはお会式から帰った後で投票に行きました。妹は不在でしたので,棄権ということになりました。
 4月10日,月曜日。3月の通院のときに指示をされていたMRIの検査がありました。
 予約は午後2時半からだったのですが,病院に到着したのがその5分前くらいになってしまいました。ですからすぐに2階にある放射線科の受付に向かいました。受付で指定された場所で待機していると,検査の担当者が来て,まず事前にもらっていた問診票を渡しました。MRIの検査には金属を身につけていてはいけないのですが,僕は歯にブリッジを入れていて,これは取り外すことができません。その旨を伝えました。それから個室のロッカールームに案内されました。ここで検査着に着替えました。着替えたといっても,僕は着ていたものは下着以外のすべてを脱いで,水色の薄いガウンのようなものを上から羽織っただけです。まだ暖かいといえるような時期ではありませんでしたが,院内は一定の気温に保たれていますから,そのようないでたちでも寒いということはありませんでした。
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メーデイア&対応

2024-01-06 19:00:19 | 名馬
 浦和記念,名古屋グランプリと連勝したディクテオンの母はメーデイアです。
 父はキングヘイロー。6つ上の半姉が2006年に福島牝馬ステークスを勝ったロフティーエイム。Medeiaはギリシア神話に出てくる王女の名前。
 デビューは遅く3歳の4月でこれは大敗。8月の未勝利を3着になった後,9月に初勝利。11月の500万を2着になって3歳戦を終えました。
 4歳2月の500万を勝ち上がると3月の1000万は5着。5月に芝の1000万特別に出走して3着になり,当時の制度により降級しました。6月の降級初戦は芝で2着。ダートに戻ると8馬身差の圧勝で夏休みに入りました。
 復帰したのは暮れの1000万でこれを勝利。年が明けて1月の1600万特別で2着になり,条件場の身でTCK女王盃に挑戦すると重賞初制覇を達成しました。続くマリーンカップも勝って重賞連勝。芝のヴィクトリアマイルに向かって17着と大敗しましたが,スパーキングレディーカップで重賞3勝目をあげました。さらにレディスプレリュードも勝つとJBCレディスクラシックも勝って大レースを制覇。ジャパンカップダートに進みましたがここは10着でした。
 年が明けてTCK女王盃に出走し連覇を達成。これで現役を退きました。
 デビューが遅くなったのは晩成型で,まだ体質がしっかりとしていなかったためでしょう。実際に本領を発揮したのは4歳の秋になってから。それ以降は牡馬には通用しませんでしたが,牝馬戦では無敵状態でしたから,牝馬としてはかなりの能力がある馬であったと思います。

 妹が利用しているグループホームが,経営難のゆえに閉鎖という事態にでも陥れば,僕と妹の日々の生活に支障を来すことになります。実際に経営が困難になりつつあるという前提での依頼でしたから,何らかの仕方で応じる必要がありました。僕がこのときに決定した対応は主に二点です。
 ひとつは,妹に帰宅の必要がない場合は,グループホームに滞在させるということです。これまでは,金曜日に妹を通所施設に迎えに行き,何の用事もない週末を家で過ごして,月曜日に通所施設に送っていくということがありました。これは帰宅する必要がないのに帰宅していたという場合に該当します。今後はこのようなことはしないということです。逆にいえば,妹が帰宅を要する場合というのは,通院がある場合とピアノのレッスンがある場合のふたつですから,こういったことが週末に予定されていない場合,妹は原則的にグループホームで過ごすことになります。これで間違いなく妹のグループホームの滞在時間は長くなりますから,経営難を克服するためのいくらかの援助にはなるでしょう。
 もうひとつは,これまでは週明けに妹を通所施設に送っていたのですが,家にいなければならない事情がない限り,前日の午後にグループホームに送っていくようにするということです。ピアノのレッスンは日曜に組まれますので,日曜に送っていくことはできませんが,通院だけの場合は日曜に送っていくことができます。そのような場合は日曜にグループホームに送ることにしました。これは滞在時間も長くなりますし,これまでは妹が摂取していなかった日曜の夕食と月曜の朝食もグループホームで摂取することになります。こちらはひとつめほどではありませんが,やはり経営難の克服にいくらか役立つでしょう。
 ただし,この依頼があったのは3月31日のことです。当然ながらその時点では4月の予定というのはすでにグループホームに提出してありました。ですから実際にこのような対応をするようになったのは,5月に入ってからのことでした。
                                   
 この日はこの後,眼科で目薬を処方してもらってから帰りました。僕の4月の歯科検診の予約も同時に済ませました。
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ダノンレジェンド&奇蹟

2023-12-16 19:03:30 | 名馬
 勝島王冠を勝ったサヨノネイチヤの父はダノンレジェンドです。
                                  
 母はマイグッドネス。6つ下の半弟に2019年に共同通信杯と毎日王冠,2020年に中山記念,2021年に安田記念を勝ったダノンキングリー
 2歳11月にデビュー戦を勝利。その後は5連敗して3歳の8月に2勝目。さらに3連敗して4歳の3月に3勝目をあげると次のレースも勝ってオープン馬に。オープンの2戦は連敗。降級して初戦が2着で2戦目に勝ち,オープンに戻りました。次のオープンも負けたのですが12月のカペラステークスで目が醒めるような追い込みを決めて重賞初制覇。ここから快進撃が始まります。
 5歳初戦の黒船賞で重賞2勝目。さらに東京スプリントも勝ちました。北海道スプリントカップは3着だったのですがクラスターカップで重賞4勝目。さらに東京盃も勝ちました。JBCスプリントは1番人気に推されたものの2着。
 6歳初戦の黒船賞で連覇達成。東京スプリントは3着でしたが北海道スプリントカップは勝って重賞7勝目。さらにクラスターカップも連覇しました。東京盃は5着に負けたもののJBCスプリントを勝って大レース制覇。これを手土産に引退しました。
 徐々に力をつけてオープンに出世し,重賞制覇を達成すると快進撃を開始。大レース制覇を手土産に引退というのはサウスヴィグラスにそっくりです。ダノンレジェンドの産駒は勝ち上がり率が非常に高いのが特徴で,当初の期待よりは種牡馬としてすでに成功しているといっていいと思います。サウスヴィグラスほどの大種牡馬になれるのかは分かりませんが,その可能性はあるかもしれません。

 『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』のスピノザの聖書解釈には,いくつかの核があります。そのうちのひとつに,奇蹟miraculumを認めないということがあります。これは,第一部公理三と関連しているのであって,必然的にnecessarioそのような結果effectusとなる原因causaが与えられていないことは,自然Naturaのうちには生じないという意味をもちます。こうした現象を仮に自然現象といっておくとすれば,奇蹟とは自然現象を超越した現象という意味になるのであって,そういうことが現実的に存在する世界のうちに生じることはあり得ないとスピノザはいうのです。
 だからスピノザはいわゆるイエスの復活,死んだイエスが生き返ったということは認めないのであって,書簡七十八ではそれを比喩的に解するといっているのです。したがって,これはスピノザが直接的にいっているわけではありませんが,マリアが処女のまま懐妊してイエスを出産したということも,自然現象には反することになりますから,スピノザはそれを比喩的に解するというでしょう。
 この考察とは関係ありませんが,このことは,新約聖書で奇蹟とされているすべてのことを比喩的に解さなければならないということを意味するわけではないということには注意してください。たとえば新約聖書の中でイエスは様ざまな病人を癒し,それは奇蹟と規定されていますが,その中には,ひどい精神的な抑圧によって身体的に不調を来していた病者に対して,イエスが精神分析のような仕方で抑圧を解放したために身体的な不調も癒されたと解釈することができるものがあるのであって,こうしたことは自然現象として現実的に生じ得ますから,奇蹟と規定されていても現実的に生じたことであると考えることができます。すなわち,スピノザがいっている奇蹟というのは,あくまでも第一部公理三に反するような現象のことをいうのであって,新約聖書の中で奇蹟といわれているすべての事柄を意味するわけではありません。したがって,聖書の中で奇蹟と記述されているすべてのことを比喩的に解さなければならないというわけではありません。自然現象として解せることはそう解せばよいのであって,比喩的に解さなければならないのはそれ以外のことです。
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リアルスティール&ユダヤ人

2023-12-05 19:34:18 | 名馬
 JBC2歳優駿を勝ったフォーエバーヤングの父はリアルスティールです。父はディープインパクト。母はラヴズオンリーミー。4つ下の全妹に2021年のJRA賞で最優秀4歳以上牝馬に選出されたラヴズオンリーユー
 2歳の12月に新馬を勝つと2月にドゥラメンテを2着に降して共同通信杯を勝って2戦目で重賞制覇。スプリングステークスはキタサンブラックの2着で皐月賞はドゥラメンテの2着。ダービーはドゥラメンテの4着でした。
 秋は神戸新聞杯で復帰して2着。菊花賞はキタサンブラックの2着。3歳の秋シーズンはこれで終了。
 4歳になって復帰した中山記念はドゥラメンテの3着。遠征したドバイターフで大レース制覇を達成しました。帰国すると安田記念に出走して11着と生涯初の大敗。
 ぶっつけで天皇賞(秋)に出走してモーリスの2着。ジャパンカップがキタサンブラックの5着で4歳の秋も2戦でシーズンを終えました。
 5歳も初戦に中山記念を選びましたが8着。これで秋まで休養に入りました。
 復帰戦となったのが毎日王冠で重賞3勝目。極悪馬場となった天皇賞(秋)はキタサンブラックの4着。この年も秋は2戦だけ。
 6歳初戦となったのが2年前に勝ったドバイターフ。この年は3着。帰国してまた安田記念に出走したものの15着に大敗して現役を退きました。
 戦った相手がドゥラメンテやキタサンブラック,モーリスといった超一流馬でしたから,国内では大レースは勝てなかったのですが,きわめて堅実に走り,超一流ではなくても一流の能力はもっていた馬です。血統背景はしっかりしたものがありますから,種牡馬としての成功は望めるのではないでしょうか。

 このことは,ユダヤ人とは何かという壮大な問題に関連してきます。ユダヤ人がひとつの国家Imperiumで暮らしていたときは,その国家の住民がユダヤ人であったわけですが,その国家が滅ぼされた後は,ただユダヤ民族というだけでその人がユダヤ人であり続けることは簡単なことではなかったし,実際にそういえるわけでもありませんでした。自分たちの国家はないにしても,他国の領土で共同体を形成し,ラビが命じる戒律を遵守しながら生き続けることによって,ユダヤ人はユダヤ人であり続けることができたのです。そういう意味ではウリエル・ダ・コスタUriel Da Costaというのは,ユダヤ民族が出自ではありましたが,ユダヤ人だったわけではないのであって,だからユダヤ人としてのアイデンティティというものは必要なく,ただモーセの律法が神Deusの法であるということを,自身の方法で信仰することができれば十分であったのです。
 スピノザはアムステルダムAmsterdamのユダヤ人共同体の中で産まれそこで育ったわけですから,ダ・コスタとは違ってユダヤ人であったといえます。しかし,ユダヤ人としてのアイデンティティを必要とはしなかったという点では,スピノザはダ・コスタと同様であったのではないかと僕は推測します。
                                   
 モーセの律法やラビの戒律を遵守することによって,ユダヤ人がユダヤ人であり続けることができたということについては,スピノザも認めていると理解して間違いないと思います。スピノザは『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』において,かつてユダヤ人あるいはヘブライ人の国家があった地域へのユダヤ人の帰還がいずれはなされるであるという意味のことを書いて,後にシオニストたちがこの一文を喜んだというエピソードが残っているわけですが,スピノザがそのようにいったのは,国家を失った後もユダヤ人がユダヤ人としてのアイデンティティを失わずに生きているからであって,これからもそのように生き続けるであろうからということが根拠になっているといえます。つまりスピノザは,モーセの律法を人間の法ではなくて神の法であるとユダヤ人が解することによって,ユダヤ人がそのアイデンティティを保ち続けられたということについては,肯定しているのです。
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ノースフライト&ダ・コスタの例

2023-12-04 19:01:55 | 名馬
 ハイセイコー記念を勝ったダテノショウグンの3代母はノースフライトです。
 デビューは3歳の5月。当時は未出走馬だけが出走できる未出走戦というのがあり,これを勝ちました。続く特別戦も連勝。3戦目は負けたのですが2勝馬の身で挑んだ府中牝馬ステークスを勝って重賞初勝利。そのまま当時は3歳牝馬限定だったエリザベス女王杯に出走。これは2着でしたが暮れの阪神牝馬特別で重賞2勝目をあげました。
 4歳の初戦は京都牝馬特別でこれは6馬身差の圧勝。さらにマイラーズカップもレコードタイムで制して重賞4勝目。そして安田記念も勝利。大レースを制覇しました。
 秋はスワンステークスで復帰。ここはサクラバクシンオーのスピードに屈して2着でしたが,距離が延びたマイルチャンピオンシップはサクラバクシンオーを2着に降して優勝。大レース2勝目を達成して現役を引退。JRA賞のこの年の最優秀3歳以上牝馬に選出されました。
 デビューは遅く引退は早かったのですが,競走成績はほぼ完璧。クラシックには出走できなかったのですが,同世代の牝馬の中でトップクラスの能力があったのは間違いありません。
 子孫はオープンを勝った馬はいるのですが南関東重賞を勝ったのもダテノショウグンが初めて。重賞の勝ち馬はまだ出ていません。

 極端ないい方をすれば,祖国を追われた後のユダヤ人たちが,他の民族と同化することなく現在までユダヤ民族として存続し続けているのは,ユダヤ人がユダヤ人としてのアイデンティティを失わなかったからであって,そのことにはモーセの律法や,ラビたちが定めた事細かな規定が大きく貢献したのだと僕は考えているのです。ただこれは事実としてそうであったといっているのであって,だから教会の権力は肯定されるものであるという意味ではありません。ラビたちはたぶんこのようなことを意識して細かい規定を命じたわけではないのでしょう。
                                   
 ウリエル・ダ・コスタUriel Da Costaは,スピノザより少し前にユダヤ教会から破門の宣告を受け,悔悛の意を示したものの復帰するための儀式が屈辱的なものであったために,自殺してしまったのでした。このダ・コスタの破門の例は,ここで僕が示した事情といくらかの関係を有しているのではないかと思います。というのもダ・コスタはユダヤ人の子孫ではあったのですが,祖先の時代にカトリックに改宗していましたし,ポルトガルでカトリックの教育を受けています。つまりユダヤ人共同体でユダヤ教神学の教育を受けたスピノザとははっきりとした違いがありました。後にモーセ五書に触れることによってユダヤ教に憧憬の念を抱き,オランダに移ってユダヤ教に改宗したのです。だからダ・コスタにとって,モーセの律法は重要な教え,すなわち人間の法lexではなく神Deusの法であったのですが,ラビたちが細かく規定した教えは不要なものであって,むしろモーセの律法に反するものと感じられたのです。確かに民族でいえばダ・コスタはユダヤ人であって,改宗者とはいえユダヤ教徒ではあったのですが,だからといってユダヤ人としてのアイデンティティを必要としていたわけではないのです。こういう人物にとってはラビの細かな指導は,ユダヤ教を信仰するにあたっては邪魔なものでしかなかったでしょう。ダ・コスタがラビおよびラビたちの教えを批判するようになり,またその教えを遵守しなくなるのには必然性necessitasがあったのであって,それが破門の宣告から自殺へと至るダ・コスタの人生を決定したように僕には思えます。
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ベストウォーリア&同一説の難点

2023-10-14 19:32:05 | 名馬
 ゴールドジュニアを勝ったクルマトラサンの父は,アメリカで産まれて競走馬として輸入されたベストウォーリアです。
 2歳11月にデビューして新馬を勝利。500万の特別を2戦した後,3歳の2月に2勝目をあげました。兵庫チャンピオンシップに出走して2着になった後,ユニコーンステークスで重賞を勝ちました。ジャパンダートダービーは5着。
 古馬との初対戦となった武蔵野ステークスは3着。4歳になってオープンを勝ち,フェブラリーステークスに出走して13着。5月にまたオープンを勝ち,6月のオープンは2着でしたが7月にプロキオンステークスで重賞2勝目。そして南部杯を制して大レースの勝ち馬となりました。JBCクラシックは5着でチャンピオンズカップホッコータルマエの11着。
 5歳初戦のフェブラリーステークスは3着。かしわ記念は2着。プロキオンステークスを連覇して重賞4勝目。さらに南部杯も連覇して大レース2勝目。この年はJBCスプリントの方に出走して3着でした。
 6歳初戦のフェブラリーステークスは4着。かしわ記念が3着でさきたま杯が2着。三連覇を狙った南部杯は2着でJBCスプリントは2着と,この年は大きく崩れることはなかったものの勝ち星は上げられませんでした。
 7歳も現役を続行。根岸ステークスが2着でフェブラリーステークスも2着。かしわ記念が4着でさきたま杯が3着。秋は南部杯が6着で武蔵野ステークスが7着と,この馬にしては崩れました。
 8歳になって根岸ステークスを出走取消になった後,フェブラリーステークスが10着。かしわ記念が5着でさきたま杯が9着。南部杯も6着と敗れて現役を引退しました。
 7歳の秋以降は能力の衰退がありましたが,それまではきわめて堅実に走りました。1400mから1600mを得意とした馬で,コパノリッキーにはまったく勝てなかったように超一流というほどではないのですが,広くそう思われているよりは高い能力があった馬だったと思っています。

 同一説を採用する場合の難点は,人間が認識するcognoscereことができるのが物体corpusとその観念ideaだけであるとしても,実際にはスピノザの哲学では,それらが実在的にrealiter区別されるということになっているので,このことを利用して証明されているすべての事柄について,それと同様の仕方で証明することが不可能になってしまうということです。この点については心配される方もいらっしゃるでしょうから前もっていっておきますが,これは単にその形而上学を援用して論証することができないというだけであって,別の方法で証明することができます。
 こうしたことをすべての定理Propositioについて説明していくことはできませんから,ここではひとつだけ実例をあげて説明します。
                                   
 僕は平行論を採用することの利点のひとつとして,第三部定理二でいわれていること,すなわち人間の身体humanum corpusはその人間の精神mens humanaを思惟作用に決定するdeterminareことはできないし,逆に人間の精神がその人間の身体を運動motusなり静止quiesなりに決定することができないということを,直接的に帰結させることができるということをあげました。このことは,人間の身体と人間の精神が実在的に区別されるということ,つまり現実的に存在するある人間の身体とその人間の精神の間には因果関係が生じ得ないということから証明されるのです。しかし,同一説を採用すると,人間の身体とその人間の精神は同一物の別の側面ということになっていますから,それらが実在的に区別されるということをいうことはできません。なので同一説を採用して第三部定理二を証明しようとするなら,これとは別の方法が必要になります。そしてそういう方法があるのです。
 現実的に存在するある人間の身体とその人間の精神は,同一物のふたつの側面です。したがって,もしもその人間の身体が働いているのであれば精神も働いているということになりますし,逆にその人間の身体が働きを受けているのであれば,精神も働きを受けていることになります。もちろんこれは逆からもいえます。つまり,現実的に存在する人間の精神が働いているのなら身体も働いていますし,精神が働きを受けているのなら身体も働きを受けているということになります。
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サトノクラウン&主体なき悪

2023-06-05 19:28:41 | 名馬
 日本ダービーを勝ったタスティエーラの父はサトノクラウンです。
 2歳の10月にデビューして新馬を勝つと続く東京スポーツ杯2歳ステークスで重賞を制覇。十分に賞金を稼いだので休養に入りました。
 3歳初戦の弥生賞も制して重賞2勝目。皐月賞は1番人気に推されましたが,同じ厩舎のドゥラメンテの6着。ダービーもドゥラメンテの3着でした。
 秋は天皇賞(秋)にぶっつけで出走。これはラブリーデイの17着に大敗。
 4歳初戦の京都記念を制して重賞3勝目。遠征したクイーンエリザベスⅡ世カップは12着と大敗。帰国して出走した宝塚記念は6着でした。
 この年も天皇賞(秋)で復帰。これは同じ厩舎のモーリスの14着。しかし再び遠征した香港ヴァーズを勝って大レース初制覇を海外で達成しました。
 5歳初戦の京都記念で連覇を達成して重賞5勝目。大阪杯キタサンブラックの6着でしたが宝塚記念を勝って大レース2勝目。
 また天皇賞(秋)で復帰してキタサンブラックの2着。ジャパンカップは10着,有馬記念がキタサンブラックの13着でした。
 6歳初戦は遠征したドバイシーマクラシックで7着。帰国して出走した宝塚記念は12着でした。
 秋はジャパンカップで復帰。9着に敗れて現役を引退しました。
 大レースは2勝していますが,大敗も多く,超一流の成績を残した競走馬ではありません。ダービー馬が輩出したように,基本的に中距離から長距離向きの産駒が多くなると思われます。

 理性ratioによって害悪を与えたり親切にすることを断念するとすれば,受動感情によってそうする場合と異なっていると考える必要があります。なぜなら,第四部定理三五にあるように,理性に従う限りでは人間の現実的本性actualis essentiaは一致するからです。だからたとえばAという人間が現実的に存在していたとして,AはBを憎んでいるけれど,理性に従うことによってBに害悪を与えることを断念したということが生じたとしても,それがAであることに何らかの意味があるとすれば,そのときにAは理性の指示に従ったということ,いい換えればその限りにおいてAは自由の人homo liberであったということであって,Bに害悪を与えることを断念したことではありません。理性の指示に従うとすれば,すなわち自由の人でありさえすれば,だれであろうと憎しみのゆえに害悪を与えるということについては断念することになるからです。
                                   
 ここから理解できるように,もし理性が何らかの意味で悪malumを認識するcognoscereのだとすれば,それは認識したその人間にとって悪であるということを意味するのではありません。それは現実的に存在するすべての人間にとっての悪であって,とくに現実的に存在する人間が理性に従っている限りにおいての悪なのです。よって,理性が何らかの意味で悪を認識するという場合は,だれがそれを認識するのかということは問う必要がありません。このことは主体subjectumの排除と関係していることはいうまでもありません。いい換えれば,理性が何らかの意味で悪を認識するといわれるときの悪は,ある特定の主体にとっての悪というわけではないので,主体が排除されたような意味での悪です。第四部定義二は,悪とは現実的に存在する人間が確知するcerto scimusものであるといっていますが,だれが確知するのかということをこの場合は気に掛ける必要はありません。また,第四部定理八は,意識された限りにおいての悲しみtristitiaを悪といっていますが,理性が何らかの意味で認識するような悪は,現実的に存在するすべての人間が同じように感じる悲しみであることになります。いい換えれば第三部諸感情の定義三により,すべての人間が大なる完全性perfectioから小なる完全性に移行することになります。
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ロゴタイプ&表象像の力

2023-05-15 19:31:14 | 名馬
 兵庫チャンピオンシップを逃げて圧勝したミトノオーの父はロゴタイプです。父は2003年に中山記念とマイラーズカップ,2005年にマイラーズカップ,2007年に中山記念を勝ったローエングリン。祖母が1993年にローズステークスを勝ったスターバレリーナ。Logotypeは組み合わせた文字を図案化したような書体。
 2歳の6月にデビューして勝利。函館2歳ステークス4着,オープン3着,札幌2歳ステークス4着を挟んで11月に東京の特別戦をレコードタイムで勝って2勝目。そのまま朝日杯フューチュリティステークスも勝って大レースを制覇。この年のJRA賞で最優秀2歳牡馬に選出されました。
 3歳初戦のスプリングステークスで重賞2勝目。さらに皐月賞ではエピファネイアを差し切って大レース2勝目。ダービーキズナの5着でした。夏の札幌記念に出走して5着。3歳の秋は出走がかないませんでした。
 復帰戦となった4歳春の中山記念はジャスタウェイの3着。遠征したドバイデューティフリーもジャスタウェイの6着。帰国初戦は札幌記念で8着。毎日王冠が6着,マイルチャンピオンシップが7着で,4歳時は未勝利。
 中山金杯でラブリーデイの2着になった後,ダートの根岸ステークスに参戦して8着。中山記念が2着,大阪杯が5着でこの春のキャンペーンは終了。秋はオールカマーで復帰して4着。富士ステークスが3着でマイルチャンピオンシップモーリスの9着。この年も勝利を飾ることができませんでした。
 6歳初戦の中山記念はドゥラメンテの7着。ダービー卿チャレンジトロフィーで2着になると安田記念ではモーリスの追撃を封じて逃げ切り,大レース3勝目。毎日王冠が8着,マイルチャンピオンシップミッキーアイルの5着。2度目の海外遠征となった香港マイルは5着でした。
 7歳も現役を続行。中山記念が3着,安田記念が2着と,春の2戦を終えて現役を退きました。
 大レースこそ3勝していますが,戦績からも分かるように,その時代のトップクラスの実力馬だったわけではありません。ただ2歳のデビューから7歳の春まで,大きく負けるということはほとんどないまま現役を終えました。長期にわたって一定の実力を維持し続けたという点が,この馬の最大のセールスポイントではないかと思います。

 AがBを自身の悲しみtristitiaの原因causaとして意識しているとき,大きなpotentiaを表現しているのはBであるというより,Aの精神mensのうちにあるBの表象像imagoであると僕は考えます。つまりAの知性intellectusの外に現実的に存在しているBという人間の力が表現されているというより,Aの精神のうちにあるBの表象像の力が表現されていると僕は考えるのです。
                                   
 スピノザの哲学でいう表象像は,あるものが現実的に存在していると知覚するpercipere混乱した観念idea inadaequataのことです。したがってこの例でいえば,Aの精神のうちに,Bが現実的に存在するという観念があって,この観念がA自身の悲しみの原因となっているとAは認識しています。この認識cognitio,これはBに対するAの憎しみodiumそのものですが,この認識のゆえにAはBを殴打することになります。したがって単純にAからみれば,Aの精神のうちにあるBの表象像の力と,Bの力を分けることができるわけではないかもしれません。あるいはそれは同じことであるという見解opinioを僕は否定しません。ただそれはあくまでもAからみた場合に限られるのであって,たとえばAとBと別の人間,これはたとえば現にこのことを検討している僕たちという意味ですが,その立場からみれば,Aの精神のうちにあるBの表象像と,Aという人間とは別の人間として存在しているBという人間は,別のものとして解するのが適切であると僕は考えます。よって,AがBに対する憎しみのゆえにBを殴打するというとき,その力がより多く表現されているのは,BではないしAでもなく,Aの精神のうちにあるBの表象像であると僕は解するのです。
 このことから理解できるように,第三部定理三九で言及されていることのうち,ある人を憎んでいるためにその人に害悪を与えるということが現実に生じるという場合には,憎しみのゆえに害悪を与える人間の,憎んでいる相手に対する表象像の力が最も多く表現されることになると僕は解します。したがって一般に憎んでいる相手に対して害悪を与えるような行為は,害悪を与える人間の力であるとは僕は考えません。正確にいえば,それは力であってもそれよりも大きな力が働いているのであって,この限りでは無力impotentiaだと考えます。
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