スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

将棋大賞&第二部定理二七

2006-03-31 22:55:35 | 将棋トピック
 昨年度(4月~3月)の将棋大賞の選考が行われ,最優秀棋士賞には羽生善治三冠が選出されました。例年に比較すると,すごく活躍したという感じでもないのですが,男性棋戦は,タイトル移動がひとつだけだったので,妥当な選考かもしれません。
 その羽生さん相手に名人を防衛し,さらに棋王を奪取した森内俊之名人と,勝利数トップで,竜王防衛,新人王戦と銀河戦優勝の渡辺明竜王が優秀棋士賞,棋聖を防衛し,王位戦・王座戦・王将戦で挑戦者となった佐藤康光棋聖が敢闘賞。
 最優秀女流棋士賞には矢内理絵子女流名人が選出されています。

 さらに第二部定理二七にも注目。
 「人間身体のおのおのの変状〔刺激状態〕の観念は人間身体そのものの妥当な認識を含んでいない」。
 これは,文章の中に難しい部分はありません。で,この定理と第二部定理一九を合わせれば,人間は自分の身体の十全な観念をもたないということになります。驚かれる方がいるかもしれませんが,これは事実なのです。なぜかを簡単に説明すれば,人間は自分の身体が外部の物体によって刺激されることで自分の身体を認識し,それ以外の方法では自分の身体を認識しません。だから,この認識,つまり人間の精神のうちにある自分の身体の観念は,自分の身体の本性以外に,身体を刺激している外部の物体の本性も含むのです。でも,真の観念は観念の対象と本性が完全に一致しなければならないので(第一部公理六),それは真の観念であるとはいえず、だから十全な観念でもないのです。
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木村カエラ&第二部定理一九

2006-03-30 20:39:19 | Weblog
 明日のsakusakuが,木村カエラが番組MCとして出演する最終回となります。僕が番組をコンスタントに見るようになったのは,再放送が夜の12時過ぎになってからですが,見始めた頃には彼女はほとんど無名だったといっていいでしょう。それが今では超有名人ですからね。これだけの人が地方ローカル局の番組で毎日MCやっていたことの方が,不自然といえば不自然だったのかもしれません。

 次に,第二部定理一九に注目してみます。「人間精神は身体が受ける刺激〔変状〕の観念にとってのみ人間身体自身を認識し,またそれの存在することを知る」。これもいささか難しい言い回しですが,要するに僕たち人間は,僕たちの身体が何かの刺激を受けることによって,ここでいう刺激とは,いわゆる肉体的接触だけでなく,光による刺激(視覚)や空気の振動による刺激(聴覚)なども含むわけですが,そうした刺激によって,自分の身体を知覚する,つまり,自分の身体の観念をもつということです。さらに定理の本文中の「のみ」に注意すれば,僕たち人間は,この方法以外では自分の身体を知覚し得ないということになるのです。
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トーセンマウンテン&第一部公理四

2006-03-29 22:14:00 | 中央競馬
 競馬の世界ではレースを走った翌週にまたレースに出ることを連闘といいます。そこで紹介したいのがトーセンマウンテンという馬。
 この馬,昨年12月4日の中京競馬に出走するや,11・17・25日と中京で四連闘。その後,1月29日と2月5日の小倉競馬で連闘。さらに3月4日の中京競馬に出走して,11・19・25日とまた中京で四連闘。しかもそれぞれの着順が7・2・3・2,3・4,3・6・5・3ですから,いずれもそこそこ走ってます。
 僕の競馬キャリアは約20年です。その間に四連闘した馬はいたと思いますが,こうも短期間の間に二度も四連闘というのは記憶にありません。今週からは福島競馬が始まります。動向に注目です。

 まずは第一部公理四に注目したいと思います。
 「結果の認識は原因の認識に依存しかつこれを含む」。
 おそらくスピノザは,この公理Axiomaにふたつの意味を込めています。
 ひとつは,ある事物を十全に認識するcognoscereためには,その原因causaを十全に認識しなければならないということ。もうひとつは,ある事物の真の観念idea veraをもっているということは,その真の観念の対象ideatumの原因の真の観念をもっているという意味であるということ。
 ひとつめについては,結果effectusというのは原因から生じるから結果といわれるわけですから,結果の十全な観念idea adaequataが原因の十全な観念に依存するのは当然だと思います。でも,ひとつめが成立しているのであれば,ふたつめが成立するのも当然ということになると思われます。
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鶴田VS三沢&カーリーの疑問

2006-03-28 21:49:56 | NOAH
 昨日のG+のノアdiコロッセオで,1990年6月の武道館でのジャンボ鶴田と三沢光晴の試合がOAされてました。
 この日も,その前のタイガーマスクから三沢になった東京都体育館の試合も,生で観戦していたから懐かしかった。ただ、もう15年半以上前のことで,意外な点もありました。もうこのときすでに,三沢選手はエルボーを使っているんですね。僕の印象だと,ハンセンから三冠を奪取した試合が強烈で,それからという感じだったのに。あと,ずっと見ていて,三沢選手の身体はそんなに変っていないと思い込んでいたのに,この頃は明らかに小さい。一回りか二回りは大きくなっているんですね。

 ここまでくれば,カーリーが第二部定理一二を経験的に不成立であると考えるのも,不思議ではないと思います。僕だって,僕の身体の中に起こることについて,すべて真の観念をもっているとは到底思えませんから。
 ただ,すでに見たように,論理的には確かにそうなるわけで,それならば,この疑問というのを,エチカのどの部分に訴えれば最も有効であるかというように,とりあえずは考えてみることにします。
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「スピノザに倣いて」&定理三二の意味

2006-03-27 22:46:05 | 哲学
 21日のコメントで,アランの『スピノザに倣いて』を推薦しましたが、この本についてちょっと注意したいことがあります。
                         
 スピノザはほとんどの場合mens(精神)といい,anima(心・魂)とはまずいいません。ところがこの本,アランのフランス語で何といわれているか定かでありませんが,魂といわれています。この訳はよくない。「精神」といわれるのと「魂」といわれるのとでは,受ける印象がまったく違うと思います。なので,この本に出てくる「魂」は,すべて「精神」と変換してお読みください。

 第二部定理三二でいわれているのは,単に神の中にある観念はすべて真の観念であるということではないと思います。
 真の意味は,ある観念があって、その観念がどんな仕方であれ、ある仕方で神と関係付けられさえすれば,その限りで,その観念は真の観念であるということだと思います。だから,ある人間の精神の本性を構成する限りでの神のうちに,その人間の身体の中に起こることの観念があるなら,その限りでこの観念は真の観念なのです。
 つまり,ある人間の精神の本性を構成する限りでの神とは,その人間の精神にほかならないのですから,人間の精神は,自分の身体の中に起こることについてはすべて,その真の観念を有するということになると考えられます。
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日本選手権競輪&第二部定理三二

2006-03-26 21:32:49 | 競輪
 競輪の日本選手権の決勝は吉岡稔真選手が逃げ切って優勝しました。
 先行一車ではあったのですが,捲りタイプなのでどうかと思っていたのですが,後続があれだけもつれれば,吉岡選手の力からすれば楽ですね。結果的に加藤慎平選手の動きに乗る形になった有坂直樹選手が2着。3着が加藤選手でした。僕が期待した稲村選手は一瞬,うまく追い上げたかにみえましたが,もつれに巻き込まれて落車してしまいました。吉岡選手はどこへ行っても人気が高く,レース後はかなりの歓声でした。

 残念な馬もいましたが,ドバイワールドカップデーの日本馬は,かなりの成果をあげたと思います。昨日はラジオNIKKEIのブログだったので,今日はグリーンチャンネルのブログを紹介します。

 ここで第二部定理三二に注目します。
 「すべての観念は神に関係する限り真である(omnes ideae, quatenus ad Deum referuntur, verae sunt.)」。
 もちろんこれは証明されるべき事柄なのですが,ここでのテーマとは無関係なので,神Deumのうちに誤った観念idea falsaがあると主張することは,神が不完全であると主張するようなものだから,それ自体で不条理であるということにして,それで証明されたことにおきます。しかしこの定理Propositioがあるために,あるいはこの定理が正しいために,第二部定理一二には何か問題があるようにも思えるのです。
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ドバイ情報&観念のまとめ

2006-03-25 20:49:16 | 海外競馬
 昨日,19日の記事にコメントがありました。その中でカネヒキリについて触れられていましたが,日本時間の今日の夜から明日の未明にかけて,UAEのドバイで競馬のドバイワールドカップデー。ひとつは純血アラブのレースのため日本馬の参戦はありませんが,残りの6レースには日本からものべ9頭が参加します。関東ではグリーンチャンネルでないとライブで見られないのが残念。そのグリーンチャンネルの実況はラジオNIKKEIの二名のアナウンサーです。お二人のドバイ日記をお読みください。
 明日は競輪の日本選手権も決勝です。並びがどうなるか現時点では分かっていないのですが,僕はここは稲村選手に期待します。

 観念をふたつの方法で分類するのは、かえって話を複雑にするだけと思われるかもしれませんが,エチカ全体にとってこれは重要なことなのです。なのでもう1度まとめておきましょう。観念はその外的特徴(観念の対象との関係)からみられる場合,真の観念といわれるか誤った観念といわれるかのどちらかです。一方,内的特徴からみられるときには,十全な観念であるか混乱した観念であるかのどちらかです。そして,ある観念が真の観念であれば,それは同時に十全な観念でもありますし,もちろん逆に、ある観念が十全な観念であるのなら,それは真の観念でもあります。そしてこの関係は,誤った観念と混乱した観念との間にも当てはまるのです。
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ゴールデンレーサー賞&十全な観念と混乱した観念

2006-03-24 22:16:34 | 競輪
 競輪の日本選手権(ダービー)は,22日から立川競輪場で開催中ですが,今日は初日と2日目の特選計3レースを勝ち上がった9名によるゴールデンレーサー賞
 先行した吉岡稔真選手の番手から大塚健一郎選手が抜け出して1着。2着は兵藤一也選手で,3着は加藤慎平選手でした。
 明日が準決勝3レース,決勝は明後日です。

 観念が対象との関係を離れ,それ自身がもっている内的な特徴からみられるとき,真の観念が有する内的特徴に一致する観念を十全な観念といいます(第二部定義四)。岩波文庫版では妥当な観念と訳されるケースが多いのですが,僕は十全な観念の方を用います。
 これに反して,真の観念のもつ内的特徴に一致しないなら、それは混乱した観念といいます。なので,十全な観念と混乱した観念が対義語であることになります。
 ちなみに,ある観念が真理であることの保証となるのは,観念がこのようにその内的特徴からみられる場合なので,真の観念ではなく,十全な観念です。
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お知らせ&真の観念と誤った観念

2006-03-23 22:26:05 | Weblog
 お気付きの方もいると思いますが,ブックマークが追加されています。ちょっとここでご紹介。
 まず『進歩向上』。同じときにブログを始めたことがきっかけでwan♪というハンドルネームコメントしてもらってる方のブログです。ハンドルネームのため,ブログを探すのに手間取ってしまったのですが,先日,僕のことを記事にしてもらったの検索でヒットできました。こういうことで『エチカ』を読んでみようという方がいきなり出てきて,僕もブログを始めたかいがあったというものです。一度ご覧になってください。ハンドルネームの由来も分かりますよ。
 もうひとつは『Mondoの一発予想』。20日の記事にトラックバックしてもらいました。競馬の予想をされていますので,競馬,なかんずく馬券に興味のある方はご一読を。

 観念について説明します。
 『エチカ』では観念はふたつの方法から四種類に分類されます。まず,観念を観念の対象(観念されたもの)と比較する方法。このとき,観念がその対象に一致する場合,つまり,観念とその観念の対象の本性が同一であるなら,この観念は真の観念であるといわれます(第一部公理六)。そして逆に,観念が観念されたものと一致しない場合,つまり,観念の本性がその観念の本性以外の何かを含む場合、この観念は誤った観念であるといわれるのです(ただし,誤った観念を有するということと,誤っているということは異なります。これについては第二部定理三三や定理三五とその備考を参照してください)。
 これがこの方法による観念の分類。この意味で,真の観念と誤った観念は対義語であるということになります。
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王将戦&定理一二証明

2006-03-22 21:43:45 | 将棋
 昨日のコメントにレスしてあります。 

 昨日から始まっていた 王将戦は羽生王将が佐藤棋聖を破り4勝3敗で防衛,三冠を守りました。佐藤棋聖は3連敗のあと3連勝(このケースは将棋界で2度目)し,初の大逆転を目指しましたが,それはなりませんでした。今からすれば,第二局で,詰みを逃したのが痛かったように思いますが,あれは詰ます手順が筋悪だったので,仕方ないといえば仕方ないのかもしれません。

 人間精神は人間身体の観念です(これについてはここでの証明を省きます。第二部定理一一を参照してください)。つまり,人間精神という観念の対象は人間身体なのです。なので,定理九系からして,ある人間身体の中に起こる現象の観念は,その人間身体の観念を有する限りでの神,いい換えればその人間精神の本性を構成する限りでの神,つまるところは,その人間精神の中にあるでしょう。つまり、ある人間の精神は,その人間の身体の中に起こる現象の観念を有する,あるいはその現象を認識するということになります。これで定理一二は証明されました。そしてこのように証明する限り,この論理構造には何の矛盾もないように思われます。
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名古屋大賞典&汎神論

2006-03-21 22:37:05 | 地方競馬
 古屋大賞典はドンクールがマイネルボウノットとの競り合いを制して重賞2勝目。
 前回の佐賀記念の結果からして,逆転は難しいと考えていたのですが,小回りの地方競馬場のコースに慣れている岩田康誠〔やすなり〕騎手の手腕が大きかったでしょうか。
 ピットファイターは折り合いを欠いていたようです。
 レイナワルツはJBCクラシックのときのようにインにもぐりこめなかったのが痛かったと思います。

 今日から王将戦の第七局。相矢倉ですが,最近では少ない形になっています。決着は明日ですが,さすがにこの段階では予想できません。

 エチカでは,自然のうちに存在するものは神と神がある状態に変化したもの(変状=様態)のみです。これがこの哲学が汎神論とみなされる理由(厳密にいえば僕は正しくないと思いますが)。
 そこで,Aの観念を有する限りでの神というのは,Aの観念の本性を構成する限りでの神,あるいはAの観念に変状した神という意味であって,実際にはこれはAの観念そのもののことだと考えて構いません。よって,Aの観念を有する限りでの神のうちにXの観念があるというのは,Aの観念がXの観念を有する,つまりAの観念がXを認識するという意味なのです。
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黒船賞&神との関係

2006-03-20 19:51:21 | 地方競馬
 第9回黒船賞は,やはりブルーコンコルドが,2着の川崎のロッキーアピールに6馬身もの差をつけて圧勝しました。
 59キロを背負っていたとはいえ,ベストの1400メートルでこの相手では力が違いすぎた感じですね。

 明日は名古屋大賞典です。能力的にはピットファイターだと思いますが,休養明けなので,それを苦にするようだとマイネルボウノットの出番でしょうか。名古屋競馬場なのでレイナワルツも侮れませんが。

 神というからには,ありとあらゆるものについて,その観念を有していなければ不自然です。したがって,Aが形相的にあって,このAの中に固有のXが生じる場合には,Aの観念もXの観念も神のうちにはなければなりません。
 ところが第二部定理九系によれば,Xの観念を有するために必要なのは,Aの観念のみであって,それ以外の観念は必要とされません。もちろんこれは,神の場合にも同様です。だから,神はAの観念を有する限りでXの観念を有するでしょう。つまり,神はありとあらゆるもの,すなわち無限に多くのものの観念を有するわけですが,Xの観念については,Aの観念を有するだけで十分なわけです。逆にいえば,神のうちにXの観念があることを考える場合には,神が無限に多くのものの観念を有することに注目しなくても,神のうちにAの観念があるということに注意しさえすれば十分だということになります。
 第二部定理九系の内容と神との間にはこうした関係があるので,第二部定理九系はあのような難解な文章で表現されているのです。
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阪神大賞典&第二部定理九系の意味

2006-03-19 21:00:17 | 中央競馬
 阪神大賞典はやはりディープインパクトが楽勝しました。それにしても今日はやけに強かった。2・3着の馬は距離が長いほどいい,ステイヤーだと思いますが,それらを軽く一捲りですから。
 レース後の武豊騎手のインタビューだと,前の馬がバテただけなのだそうですが。見た目の印象だと,ダービーのときが最も強く感じられましたが,今日はそれと同様の印象を僕は受けましたし,体はあまり変わっていない感じでも,去年より強くなっていると思います。

 明日は高知で黒船賞です。適距離に戻って,やはりブルーコンコルドでしょうか。ただこの馬,昔から体重の変動が激しいので,その点には注意しなくてはいけません。

 形相的事物と客観的事物(その観念)の原因と結果の連結と秩序が実在的に同一であるなら,Aが形相的にあって,このAの中に必然的に,かつ固有のXという現象が生じるなら,Aの観念の中にはXの観念が,それと同じ必然性で生じるということになります。
 ところで,ここではXはAの中に固有に生じると仮定されていますから,Xを認識するために必要不可欠なのは,Aの観念だけであって,BやCの観念というのは必要とされません。そしてこれこそが定理九系が意味していることなのです。
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坂上弘&本性

2006-03-18 21:00:50 | 歌・小説
 ゆうべ笑いの金メダルを見ていたら,投稿あなたもヒロシというコーナーにおじいちゃんラッパーというのが出ていました。あれは坂上(さかうえ)弘という人です。去年tvkのsakusakuという番組で,一青窈が紹介していて知りました。
 尾崎豊の卒業をカバーしていて,それが番組でも流れ,そのときはあまりの異様さに笑ってしまったんだけど,今はこれはこれでありかななんて思っています。

 明日は阪神大賞典。やっぱりディープインパクトが勝つんでしょうね。

 本性についてもここで説明しておきます。
 『エチカ』の本性の定義Definitioは完全なものです。何らかの事物Aがあって,このAについてその性質を説明する命題Xがあるとします。このとき,XがなければAがあることも考えられることもできず,逆にAがなければXはあることも考えられることもできないとき,つまり,Xという命題がAだけを説明してそれ以外のBやCについては説明できないとき,XはAの本性に属するといいます。
 本性の定義がこうでなければならない理由は,ここでのテーマとは無関係なので割愛しますが,関心や疑問があれば,第二部定理一〇系の備考Scholiumを参照してください。
 なお,岩波文庫版では,essentiaが本質,naturaが本性と訳されていますが、このふたつは同じ意味なので、僕は本性という語で統一します。
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A級順位戦&定理七の意味

2006-03-17 20:48:14 | 将棋
 昨日のコメントにレスしてあります。

 昨日指されたA級順位戦のプレーオフ羽生・谷川戦。ふたりのプレーオフは12年ぶりだったそうですが,12年前は上座・下座が話題になったときだと思います。そのときは当時の羽生棋聖が勝って,そのまま名人になったのですが,昨日は谷川九段が勝ち,森内名人への挑戦権を獲得。森内・谷川の番勝負は,以前の朝日オープンで2度ありましたが、タイトル戦は初めてになります。

 精神の外に実在するものが形相的で,観念が客観的であるとしたら,定理七の意味というのが,形相的事物と客観的事物の原因と結果の連結と秩序が同一であるということだと理解できます。あるいは,具体的にいえば,Aが形相的に実在すれば,このAとAの観念とは,原因と結果の秩序と連結が同一であるということです。また、AとAの観念は,その属性こそ異なっていても,本性は完全に一致するともいえるでしょう。そしてこれが実在的な意味で正しいというのが,この定理一二を巡るテーマでの前提になるのです。
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