スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
26日に目白で指された第12期女流王座戦五番勝負第一局。対戦成績は里見香奈女流王座が33勝,加藤桃子女流三段が10勝。これはNHK杯の予選の1局を含んでいます。
リコーの社長による振駒で里見女流王座が先手となり,5筋位取り中飛車。後手の加藤女流三段が香損で馬を作らせる代償に飛車を成り込む展開。僕は後手にとって損ではないかと思いましたが,後手の時間の使い方からみてある程度の研究があった筈で,これで十分だったのでしょう。
第1図から☖9九角成とできれば駒損を回復でき,かつ馬も作れるので後手がよくなるでしょう。先手は☗6六歩と打ちました。これは☖同角なら☗7七銀と打つ狙い。ただ先手も見通しが立っていたわけではないようです。
後手はここで時間を使って☖2二玉としたのですが☗8一馬で駒損が拡大。そこで☖4六歩と突いたのですが☗9二馬と引かれて先手は馬の活用の目途が立ち,これで苦しくなったと後手は感想を残しています。
研究があったのは僕は確かだと思いますし,それなら第1図は想定できる局面と思えるのです。なので後手の研究に穴が開いていたのは間違いないと思うのですが,その穴の開き方が不思議に感じられ,謎が残る一局でした。
里見女流王座が先勝。第二局は来月16日に指される予定です。
僕は内分泌科の通院のときには必ず採血をします。その採血の後にはその部位に小さな絆創膏を貼られます。さらにその上から包帯を巻きます。この包帯は5分から10分すれば外していいと言われるのですが,それを捨てる場所が決まっていますので,僕は内分泌科で受付をするまで待ち,その時点で外します。そこに小さなゴミ箱があって,それがその包帯の所定の捨て場所だからです。ただ,絆創膏の方はその場では剝がしません。それはそのゴミ箱は包帯のみのゴミ箱であるからですし,また,包帯は外してよいと言われますが,絆創膏も同じ時間で剥がしてよいと言われているわけではないからでもあります。僕がこの絆創膏を剥がすのは,その日の夜に入浴するときです。
ワクチンの接種は採血とは異なり,止血をする必要はありません。ですから絆創膏は貼られますが,包帯を巻かれるということはありません。そしてワクチンを接種した日の夜の入浴は許されていますので,僕は1回目の接種のときと2回目の接種のときは,その入浴の時点で絆創膏を剥がしていました。要するに採血のときの習慣をそのまま踏襲していたのです。ですが3回目となるこのときは,絆創膏を剥がさないまま入浴しました。そうした方が副反応としての腕の痛みを軽減することができるかもしれないと思っていたので,それを試してみたのです。
僕がそのように思ったのには理由があります。妹は家ではひとりで入浴します。ですが1回目の接種のときも2回目の接種のときも,医療上は許可されている入浴をその日はしていません。これはもしも入浴中に何らかの副反応が生じてしまうと,僕の対応が遅れてしまう危険性があったからです。なので妹は絆創膏を剥がすタイミングがないまま,つまりそれを剥がさないままその日は眠ったのです。
妹は僕と同じように,1度目も2度目もファイザー製のワクチンを接種しました。僕はそれを接種して腕の痛みを感じましたので,妹にもそれが出るだろうと予期していました。ところが妹はその痛みをまったく訴えなかったのです。妹が痛みを訴えなかったということは,実際に妹は痛みを感じなかったと理解して間違いありません。
第166回天皇賞(秋)。
周回コースに入るところでパンサラッサが先頭に立っての逃げ。3コーナーから4コーナーにかけてぐんぐん2番手との差を広げていき,一時的には20馬身くらいになりました。2番手はバビットで3番手にノースブリッジ。2馬身差でジャックドール。5番手にマリアエレーナとシャフリヤール。7番手にジオグリフ。8番手にカラテとアブレイズ。10番手にイクイノックス。2馬身差でダノンベルーガ。12番手にポタジェ。2馬身差でレッドガラン。2馬身差でユーバーレーベン。2馬身差の最後尾にカデナという隊列。前半の1000mは57秒4の超ハイペース。
直線に入ったところでもパンサラッサのリードは15馬身ほど。追ってくることができたのは3頭。先行していたジャックドールと内を回ったダノンベルーガ,そして一番外からイクイノックス。この3頭がフィニッシュにかけてパンサラッサとの差を詰めていき,一番外のイクイノックスが差し切って優勝。逃げ粘ったパンサラッサが1馬身差の2着。内のダノンベルーガがクビ差の3着でパンサラッサとイクイノックスの間になったジャックドールが半馬身差で4着。
優勝したイクイノックスは昨年の東京スポーツ杯2歳ステークス以来の勝利。重賞2勝目で大レース初制覇。この馬は新馬を勝った直後に重賞を勝ち,今年の春は皐月賞とダービーの2戦を走っただけで共に2着。出走してきた3歳馬の中では実績最上位といえる存在でした。上位が接戦の決着となっているように,はっきりと実力上位であったということはできませんが,まだ5戦目で古馬相手の大レースを制覇したわけですから,この後の活躍についても大いに期待してよいものと思います。父は2016年と2017年にJRA賞の年度代表馬に選出されたキタサンブラック。第156回を制していて父仔制覇。母の父はキングヘイロー。母は2015年にマーメイドステークスを勝ったシャトーブランシュ。ひとつ上の半兄に昨年のラジオNIKKEI賞を勝ったヴァイスメテオール。Equinoxは春分と秋分の総称。
騎乗したクリストフ・ルメール騎手はオークス以来の大レース制覇。第158回,160回,162回に続く2年ぶり4度目となる天皇賞(秋)4勝目。第159回と161回も制していて天皇賞は6勝目。管理している木村哲也調教師は皐月賞以来の大レース3勝目。天皇賞は初勝利。
僕は接種の後は何もしないでいいようにしています。これは1度目も2度目もそうで,やはりこの日もそうでした。帰途に弁当を買ってそれを夕食にしています。
1度目のときは,夕食後に血糖値が上がっていました。しかし2度目はそうではなく,副反応が出始めたのは翌日,接種から概ね24時間が経過してからでした。今回も前回と同じようになると思っていましたがやはりそうで,この日の夜のうちには何も起こりませんでした。血糖値も夕食前が114㎎/㎗で,就寝前が120㎎/㎗でした。そのときに検温もしましたが,36.6℃でした。これは僕にとっては平熱の範囲です。当然ですがカロナールは飲まずにそのまま寝ました。
4月1日,金曜日。午前8時25分に起きました。1度目も2度目も,僕は翌日は何も予定を入れていませんでした。これは今回も同じです。よって前の2回は起床も遅かったのです。今回もいつまでも眠っていて大丈夫だったので,いつもはかけるアラームをかけていなかったのですが,この時間には目が覚めてしまったということです。前日に弁当を買ったときに,この日の朝食も買ってありましたので,それを食べました。朝食前に計測した血糖値は202㎎/㎗と,前夜よりも高くなっていました。ただ,この時期は朝食前の血糖値が前夜の血糖値を上回るということは,僕の場合にはよくあることなので,それが副反応であったのかどうかは分かりません。むしろ朝食前の血糖値は,その日の気温に左右されることが多いと考えてください。
1度目と2度目のときは,接種部位の痛みという副反応もありました。そのときにもいっておいたように,実際に僕が痛みを感じた部位は,接種した肩の近辺よりも,もう少し下部の肘に近いあたりでしたが,痛みを感じたのは接種した左腕でしたから,それが副反応であったのは間違いありません。この腕の痛みは今回もあったのですが,前の2回に比べればずっとましでした。
僕はこの腕の痛みについては,ひとつだけ前の2回と変えていたことがあります。接種をすると,というかこれは注射をした場合に一般ですが,その部位に小さな絆創膏のようなものを貼られます。
24日に指された第53回新人王戦決勝三番勝負第二局。
黒田堯之五段の先手でノーマル三間飛車から穴熊。後手の服部慎一郎五段も居飛車穴熊にしての相穴熊戦。この将棋はと金と龍のコンビネーションで攻めていった先手がうまくやっていたように思います。
後手が☖5六角と打った手に対して先手が☗4七歩と受け,後手が6五の桂馬を成った局面。☗4七歩のところでは☗3九銀でよかったという感想が残っていますが,それは危険ですからこの順でよかったのではないかと思います。
第1図で☗2三銀成から攻めていったのが敗着となったのではないでしょうか。第1図で☗5一角と打てばたぶん後手は☖3二金と取るほかなく,☗同龍☖2二金☗4三龍として,そこで後手が攻めてくるなら受けに回って先手が優勢であったようです。
服部五段が勝って1勝1敗。第三局は来月1日に指される予定です。
僕は1度目と2度目の接種を予約したとき,ファイザー製のワクチンを接種したいという希望をもっていなかったといえば噓になります。ただそのときに最も重視していたのは,個別接種ではなく大規模接種か集団接種を受けるということで,会場の関係から集団接種を受けることにしました。その当時は集団接種はファイザー製のワクチンと決まっていましたから,僕がどう希望していたこととは関係なく,1度目と2度目の接種がファイザー製のワクチンになったことは,ある意味では強制的に決定されたともいえるのです。
この3度目の接種は武田/モデルナ製のワクチンでした。これも,このときにこのクリニックで接種しているワクチンが武田/モデルナ製であったからで,僕の希望が入り込む余地はありませんでした。
武田/モデルナ製のワクチンは,ファイザー製のワクチンよりも強い副反応が出るといわれていました。実際にそれは統計としても出ていました。僕は1度目の接種の後は腕の痛みしかありませんでしたが,2度目の接種の後は腕の痛みのほかに発熱もありましたので,それよりも強い副反応が出るかもしれないという点は不安に感じていました。そのときは日常生活に支障が出るほどではありませんでしたが,さらに強力な副反応であれば,日常に支障を来すということもあり得ると思えたからです。
一方で,1度目と2度目にファイザー製のワクチンを接種した場合は,3度目もファイザー製のワクチンを接種するよりも武田/モデルナ製のワクチンを接種した方が,抗体の力は強まるということも,やはり統計として出ていました。ですからワクチン自体を効果的なものとするとすれば,武田/モデルナ製のワクチンを接種するのも悪くはない選択でした。つまり武田/モデルナ製のワクチンを接種するということに関しては,よい点もあれば悪い点もあったわけです。とはいえ僕が選択することができることではありませんでしたから,そうした善し悪しがこの日の接種に何らかの影響を与えたというわけではありません。
部屋に呼ばれたらすぐに接種がありました。3度目なので待機の必要はないと言われましたので,そのまま帰宅しました。
21日と22日に仁和寺で指された第35期竜王戦七番勝負第二局。
藤井聡太竜王の先手で角換わりを志向したところ,後手の広瀬章人八段が3三に角を上がり,先手から角を交換することになったため,☖3三金型の角換わり相腰掛銀に。この将棋は中盤から終盤の入口にかけて先手に絶妙な手順が出ました。
第1図で先手は☗3九飛と逃げました。これに対しては☖3七歩。それを☗同金と取り☖5六角成☗同銀☖同銀のときに銀を取り返さずに☗4六金と出るのが好手。
部分的には先手の駒損ですが,飛車が直通してここは先手が優勢のようです。後手としてはこの手順を避けなければならなかったことになりますが,避けがたい手順であるのも事実で,むしろ第2図を見越してこの手順にもっていった先手の読みが素晴らしかったということになると思います。
藤井竜王が勝って1勝1敗。第三局は今日と明日です。
僕は本牧には日常的に行きます。その途中にあるわけですから,クリニックの所在地は改めて調べるまでもなく知っていました。ただ,実際に行ってみると,僕が想像していたのとは違いました。
僕は所在地を知っていただけで,クリニックの中に入ったことはありません。当然ながらクリニックの入口は通りに面していますから,僕は外観としてはその入口は知っていました。そしてその入口から,このクリニックは院長がひとりで個人経営しているものだと思い込んでいたのです。このクリニックの隣には薬局がありますが,大きさだけでいえばその薬局もクリニックもさして変わらないように僕には見えていたのです。ところが実際には入口はそれほど大きなものではなかったのですが,奥行きがかなりあって,僕が想像していたよりもずっと広かったのです。入ってすぐのところに受付があり,僕が入ったときにはそこに4人の看護師が待機していました。そのうちのひとりが受付を担当してくれました。この受付と入口の間がロビーのようになっていて,そこのソファーで接種まで待機しました。
前もっていっておいたように,予約を入れておいたのは午後3時です。僕はそれよりも少し前に到着しましたが,午後3時5分には呼ばれましたので,僕がロビーにいた時間はそうも長くなく,クリニック内の案内などをすべて読むことができたわけではありません。ただその間に,僕が来たこの時点,つまり3月31日の午後3時の時点では,6人の医師が在中しているということは分かりました。少なくともそのうちのひとりは新型コロナウイルスのワクチンの接種を担当していたわけですが,全員がワクチンを担当していたわけではありません。つまりこのクリニックはひとつの診療科があるわけではなく,いくつかの診療科があって,それぞれに医師が対応しているところだったのです。
午後3時5分に呼ばれたのは,入口からみると最も奥の診察室でした。そこが新型コロナウイルスのワクチンを接種するための診察室となっていたのです。僕を呼んだのは接種する医師自身でした。事前の問診は受付で看護師を相手に済ませていませたので,入室したらすぐに接種が行われました。
北海道から2頭が遠征してきた昨晩の全日本2歳優駿トライアルの第68回平和賞。
ハナを奪ったのはサムタイムアゴー。2番手にスーパーファルコン。3番手にルナテンソウマオ。4番手にプルタオルネ。5番手にサベージとグロリオサ。7番手にハーモニーロワとガンモヘラクレスで,8頭は集団で進みました。3馬身差でマジデとサンベルベッド。2馬身差の最後尾にメイクアストーリー。前半の800mは52秒6のミドルペース。
3コーナーからサムタイムアゴーにスーパーファルコンが並び掛けていき,3番手のプルタオルネとの差が3馬身くらいに。4番手はルナテンソウマオとグロリオサという隊列に。スーパーファルコンはコーナーの途中でサムタイムアゴーの前に出て,先頭で直線の入口に入りましたが,やや外の方へ出てきました。このために開いた内から追い上げてきたのがガンモヘラクレス。そしてスーパーファルコンのさらに外からプルタオルネとグロリオサ。先んじてスーパーファルコンを追っていたプルタオルネがスーパーファルコンを差すと最後は抜け出して優勝。スーパーファルコンを挟んで内のガンモヘラクレスと外のグロリオサは大接戦。写真判定となって外のグロリオサが2馬身差の2着。ガンモヘラクレスがハナ差の3着でスーパーファルコンはアタマ差で4着。スーパーファルコンはプルタオルネに差されたときに少しばかり緩めてしまった感がありますが,ほとんど影響はしなかっただろうと思います。
優勝した北海道のプルタオルネはデビュー戦を勝って以来の勝利。遠征してきた2頭の中では実績は下でしたが,南関東勢を相手には勝つだけのレベルにあったということでしょう。鎌倉記念の方が遠征してきた馬のレベル自体は高かったように思いますので,このレースに出走した南関東勢のレベルが,鎌倉記念よりも劣っていたということなのではないかと思います。父はリアルインパクト。母の父はサクラバクシンオー。馬名の表記はBultaoleune。ハングルで燃え上がれ。
騎乗した船橋の本橋孝太騎手は東京記念以来の南関東重賞29勝目。その後に日本テレビ盃を勝っています。平和賞は初勝利。管理している北海道の小国博行調教師は,調教師としては南関東重賞初制覇。
集団接種を希望したけれども,家の近くの会場でのワクチン接種ができなかったので,個別接種を行っているクリニックでの予約を入れたのですから,当然ながらこのクリニックは僕の家から近いところにあります。具体的に地名を示すと,根岸町というところで,これは僕が接種をした本牧地区センターや,妹が接種を受けた南公会堂よりも,僕の家からは近いです。
以前に,小学校と中学校の同級生の友人が結婚して引っ越しをしたというエピソードを述べたときにもいいましたが,根岸町というのは中区です。僕の家は磯子区で,最寄り駅はJR根岸線の根岸駅ですが,根岸駅は磯子区で,この根岸駅は磯子区でいえば東の端に当たり,その東側に接しているのが中区根岸町ということになります。ですから僕の家からみれば根岸駅よりは遠く,根岸駅と本牧の間に位置することになります。根岸駅から本牧方面へ向かうには本牧通りという大通りを通ることになりますが,本牧通りというのは間門という交差点より先のことを普通は意味します。間門の交差点はおそらく本牧間門という地名で,根岸町は根岸駅と間門の交差点の間ですので,根岸駅からこのクリニックまでの大通りは,普通は本牧通りとはいわれません。
集団接種を希望したけれども個別接種でもよしとしたのは,単に日時および会場のことだけではありません。もうすでに2回の接種を受けていて,問題にしなければならない副反応は出ていませんでしたから,もう多くの医師や看護師が待機している集団接種の会場ではなく,人数は少ないかもしれないけれども個別接種のクリニックで大丈夫だろうという判断もあったからです。そしてその点の不安を大きく考えなくてよいのであれば,集団接種の会場よりもさらに近いところにある方が利便性も高くなります。ですから後に妹も3度目のワクチンを接種することになるのですが,それもこの日に僕が接種をしたのと同じクリニックでの接種になりました。これは他面からいえば,僕自身がこの日のこのクリニックでの接種に満足したということでもあります。
接種の予約を入れておいたのは午後3時です。近いですから僕が家を出たのは午後2時20分です。
21日に指された第2期白玲戦七番勝負第七局。
振駒で西山白玲の先手となり三間飛車。後手の里見香奈女流五冠も三間飛車に振っての相振飛車に。先手が浮き飛車に構える将棋となりました。
第1図では飛車を見捨てて☗9一香成☖7六歩☗8一成香と進める順があったようです。というか,後手が押さえ込みに来ているのに対して先手が端に手を付けているので,方針としてはその方が有力だったかもしれません。
実戦は☗7八飛と逃げました。ここから☖9四歩☗同香☖同香☗9五歩とするのは端を受ける手筋。香車を入手した後手は☖8五香☗5九角☖8七香成☗7九飛と成香を作りました。そして☖5五銀。
ここで☗3九王と早逃げしましたが,これが直接的な敗着になった模様です。その先に行き場所がありませんから,この早逃げは一手の価値として乏しいものでした。第2図では☗6九飛と回ってとりあえず☖6六銀を防いでおくべきでした。
4勝3敗で里見五冠が白玲を奪取。白玲は初の獲得になりました。
3月17日,木曜日。午後5時10分に,家の工事をした業者から電話がありました。翌日が最終点検になっていましたので,その時刻の通知でした。
3月18日,金曜日。午前10時45分に,工事の施工業者から電話がありました。前日の電話では午前11時から点検をするとのことだったのですが,30分ほど遅れてしまうという連絡でした。実際に点検は午前11時半から始まり,25分程度で終了しました。手直しの必要はないとのことでした。ただ,時期的に問題が生じるかもしれないので,夏場にもう1度点検をするとのことでした。
3月19日,土曜日。この日は妹の土曜レクリエーションが予定されていました。なのでこの週は妹を迎えに行かない予定を伝えていて,だから金曜日に点検を行うことができたのです。ただ,この日の土曜レクリエーション自体は中止になっています。これは新型コロナウイルスの蔓延防止措置のためです。
3月20日,日曜日。彼岸会でしたのでお寺に行きました。お会式の場合は僕が帰宅するのは午後1時を過ぎます。この場合は妹を家にひとりにしておくわけにはいきません。ですからこの週はたまたま土曜レクリエーションの予定があったので,妹をグループホームに預けていたのですが,仮にそれがなかったとしても,彼岸のお会式は出席して塔婆を受け取る必要がありますので,妹を迎えに行くことはできませんでした。
3月25日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。この日はそのままО眼科に向かい,目薬を処方してもらいました。
3月28日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
3月30日,水曜日。午前中に歯科検診の予約を入れました。
3月31日,木曜日。新型コロナウイルスの3回目の接種の日でした。
僕は1度目と2度目は集団接種を受けていて,今回もそのようにしたかったのですが,集団接種を受けるのによい会場,僕が接種を受けた本牧地区センターや,妹が接種を受けた南区公会堂など,僕の家から近くの会場での接種が,この時期には行われていませんでした。なのでこの3度目の接種は,個別接種という,クリニックで行われている接種になりました。
17日に指された第44期女流王将戦三番勝負第二局。
里見香奈女流王将の先手で中飛車。後手の西山朋佳女流二冠は向飛車。先手は左玉から後手が2筋を伸ばしてきた段階で飛車を2筋に戻りました。結果的に先手が5筋,後手が2筋の位を取る対抗型に。後手は穴熊に囲いました。
後手はこの局面で☖3三桂と跳ね,☗3四歩に☖7六歩と攻め合いに目指しました。以下は☗3三歩成☖7七歩成☗同桂☖7六歩☗4三と☖7七歩成☗同金と一直線の攻め合いに。
ただ第2図となっては先手が銀得で,さらに駒得が見込める形となり,圧倒的な優勢になりました。第1図ですぐに☖7六歩と打っても☗同歩に☖同金と取る手に意味がないのでやりにくそうですが,そこで☖8五金と寄っておいて☖7六飛の王手銀取りを狙っておく手はあったかもしれません。また,☗3四歩のときにはさすがに☖4五桂と取るほかなかったのでしょう。全般的にいうと後手が穴熊であることを過信したような内容で,西山二冠は穴熊で戦うことがあまりありませんので,そこで油断が生じてしまったような気がします。
里見王将が勝って1勝1敗。第三局は28日に指される予定です。
僕はすでに3回目の新型コロナウイルスのワクチンの接種の予約を確保していました。2回目の接種のときには発熱がありましたので,今回も発熱することが大いに予期されました。なのでその点について主治医に伝え,解熱剤としてよいものはないかと相談をしました。主治医はインスリンと注射針のほかに,カロナールを処方してくれました。必ず服用するとは限りませんが,妹は発熱があったときにはカロナールを服用します。なので仮に僕が服用しないですんだとしても,常備薬として保管しておくことができるので,カロナールの処方はありがたかったです。
事前に伝えられていたように,主治医は3月で退職します。なのでこのときがこの主治医による最後の診察でした。
帰途に薬局に寄りました。インスリンと注射針,そしてカロナールも在庫が揃っていました。カロナールについては,ワクチンを接種するので処方されたということを,僕の方からいうまでもなく薬剤師は理解しました。それだけ多く処方される薬剤であるということでしょう。帰宅したのは午後4時45分でした。
3月10日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。帰宅すると郵便ボックスに封書が届けられていました。これは支援計画の実施の状況の報告書で,通所施設から届いたものです。この報告は本来であれば三者面談で伝えられるのですが,新型コロナウイルスの影響で,今回も手紙でのやり取りとなったものです。
3月11日,金曜日。妹の本牧脳神経外科の通院がありました。この通院がありましたので,この週は妹を木曜日に迎えに行きました。この日の通院は診察のみでした。帰宅後,午後9時5分にピアノの先生から電話がありました。13日にピアノのレッスンが予定されていましたので,その開始時刻の通知でした。
3月13日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。この日は午後4時半の開始でした。
3月14日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
3月15日,火曜日。11日に送られてきた報告書は,僕がサインをして送り返す必要があるものなので,この日に通所施設に送りました。報告書は通所施設のものとグループホームのものの2枚です。
前橋競輪場で開催された昨日の第31回寛仁親王牌の決勝。並びは新田‐小松崎‐守沢の北日本,吉田‐平原の関東,古性‐稲川の大阪,松浦‐井上の西国。
スタートを取りにいったのは平原と井上。内だった平原が誘導の後ろを確保して吉田の前受け。3番手に松浦,5番手に古性,7番手に新田で周回。残り3周のホームから新田が上昇。誘導が退避するタイミングで平原を叩きました。後方になった古性はホームから上昇。新田を叩いて前に。この動きで後方になったのが吉田で,バックから発進。ただ,稲川と新田の車間が開いていたので,稲川の後ろに入って打鐘。古性の先行になりました。後方になった松浦はホームから発進。新田の前に出たところで内に入り,平原の内に入りました。このふたりが競り合うような形になったので,また内が開き,そこを突いたのが新田。そのままイン捲りのような形で逃げる古性に迫り,直線も内から古性を差して優勝。バックで連結を外して自力で大外から捲って出た守沢が直線も大外から伸び,4分の1車輪差の2着になり,現地集合の形でしたが北日本のワンツー。平原と稲川の間から伸びた松浦が半車身差で3着。
優勝した新田祐大選手は前回出走の西武園のFⅠから連続優勝。ビッグは2019年のオールスター競輪以来の優勝で11勝目。GⅠは9勝目。このレースは吉田が先行するのではないかと思っていました。後方から追い上げていったときは吉田もその気だったと思いますが,稲川の後ろに入れる形になったのでそこに入ることになり,古性の先行に。松浦はおそらく捲り切るだけの余力はなかったので平原の内に入ったのだと思います。新田としては外に出せない最悪の位置になりましたが,インからの進出が決まりました。これは古性の走法によるものなので幸運だったというべきであり,この形での優勝では,まだ完全に復調したとはいいきれないように思います。
3月7日,月曜日。内分泌科の通院の日でした。
病院に到着したのは午後1時55分でした。中央検査室は最近としては珍しく,僕の前に5人の患者が採血を待っていました。ですのでこの日は先に採尿をし,少し待ってから採血ということになりました。使用済みの注射針はこの日は持参していませんでした。
診察が開始されたのは午後3時半でした。中央検査室の患者が多いと内分泌科の診察を待つ時間も長くなるケースが多くなるのですが,この日もそうだったことになります。
HbA1cは7.8%でした。これは高い数値ではありますが,2月よりは低下していました。ただ,低血糖が多くなっていて,全体の5.7%を占めていました。とくにどの時間が多いというわけではなく,就寝前には0でしたが,その他の時間帯,すなわち朝食前,昼食前,夕食前には万遍なく出ていました。なので持続効果型のインスリンであるトレシーバの注射量を,0.01㎎減らすという措置を講じることになりました。厳冬期はすでに過ぎ,これからは気温も徐々に高くなってきますので,その点も踏まえての措置だったと考えてください。
この日はほかにふたつの異常が出ていました。ひとつはアルブミンで,3.9g/㎗と,下限値を下回っていました。これは前年の12月に出て以来の異常です。そのときに詳しく説明したように,僕のアルブミンは平均値より低い値でずっと推移していて,定期的に下限値を下回るという異常が出ます。この日がそれに該当したということです。
もうひとつはP/C比で,これが300と上限の150を大きく上回っていました。
このP/C比というのは,数値が出されることは滅多になく,これが2度目です。2013年6月の通院のとき,150という数値が出ていて,これは上限値です。それ以外は数値ではなくNORMALと記されているか,そうでなければ判定不可と記入されているかのどちらかでした。これは尿の中のクレアチニンにどの程度のたんぱく質が含まれているのかを示す数値で,このときに高くなった理由というのは分かりません。腎機能に関連する数値と思われますが,主治医からも何も言われませんでした。
第83回菊花賞。
セイウンハーデスがすぐにハナに立つと,4馬身くらいのリードを取りました。単独の2番手にアスクビクターモア。3番手にビーアストニッシドで4番手にディナースタ。5番手はガイアフォース,プラダリア,ジャスティンパレス,ポッドボレットの4頭。9番手のセレシオンまでは2番手の集団を形成。2馬身差でシェルビーズアイとドゥラドーレスとフェーングロッテン。2馬身差でボルドグフーシュ。14番手にアスクワイルドモアで15番手がヤマニンゼスト。4馬身差でシホノスペランツァ。6馬身差でマイネルトルファン。2馬身差の最後尾にヴェローナシチーという隊列。最初の1000mは58秒7の超ハイペース。
2周目の向正面に入るあたりでセイウンハーデスのリードは6馬身くらいに。残り1200mあたりからその差が徐々に詰まっていき.2番手を追走していたアスクビクターモアが3コーナーを回ってセイウンハーデスに並び掛けるとセイウンハーデスは一杯になり,単独の先頭で直線の入口を迎えたアスクビクターモアのリードは4馬身くらい。追ってきたのはジャスティンパレスとボルドグフーシュの2頭。この2頭の競り合いを制した外のボルドグフーシュがアスクビクターモアに迫りましたが届かず,直線先頭から一杯に粘り込んだアスクビクターモアがレコードタイムで優勝。ボルドグフーシュがハナ差で2着。ジャスティンパレスが半馬身差で3着。
優勝したアスクビクターモアは弥生賞以来の勝利。重賞2勝目で大レース初制覇。今年は春のクラシックで連対した馬が不在だったので,弥生賞を勝ってダービーで3着だったこの馬が実績では最上位。なので実績重視では順当な優勝といえるでしょう。僕自身は前走の内容から距離にやや不安を感じていましたが,かなり差を詰められたとはいえ自ら動いてのものですから,不安視するほどのものではなかったようです。今年は例年とは異なったメンバー構成でしたが,菊花賞馬はその後も大レースを勝つ馬が多いですから,この馬にも相応の期待はかけていいものと思います。父は第66回を勝ったディープインパクトで父仔勝利。
騎乗した田辺裕信騎手は昨年の南部杯以来となる大レース10勝目。菊花賞は初勝利。管理している田村康仁調教師は2016年のNHKマイルカップ以来の大レース3勝目。菊花賞は初勝利。
昼食を終えてから通所施設に電話連絡を入れました。どのくらいの時刻に到着するかの目途が立ったので,それを通知するためです。上大岡でバスを乗り継いで通所施設に着くと,施設長のNさんが出てきましたので妹を預け,診断の結果についても簡単に伝達しておきました。僕が家に帰ったのは午後2時20分でした。
2月24日,木曜日。家の工事が入りました。この日に午後5時半まで工事をして,床下の補強工事も終了し,屋根裏と合わせ,すべての工事が完了しました。ただこれは工事自体が完了したというだけで,補強した部分がよく乾燥してから,最終的な点検をする必要がありました。その日程についてはこの日のうちには決定しませんでした。
2月25日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。この日はその後でО眼科に向かい,目薬を処方してもらいました。
2月26日,土曜日。午後8時5分にピアノの先生からの電話がありました。翌日のピアノのレッスンの開始時刻の通知です。
2月27日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。開始時刻は午後2時半でした。
2月28日,月曜日。妹を通所施設へ送りました。
3月1日,火曜日。午後5時に家の工事の施工をした業者から電話がありました。この電話で,最終点検の日程を決定しました。
3月2日,水曜日。お寺の総講に行きました。そしてこの日に,新型コロナウイルスのワクチンの3度目の接種券が送付されました。
3月4日,金曜日。ワクチンの接種の予約を入れました。このときは簡単に予約を入れることができました。要するに空きが十分にあったということです。ただ,適当な日がなかったので,実際に予約を入れたのはこの日よりも少し先のことになりました。これは,予約を入れたのが3月4日と,月の初めの方であったことと若干の関係があります。その月に妹を送ったり迎えに行ったりする予定というのは,その前の月の中盤から後半にかけて僕が決定し,グループホームおよび通所施設に伝えます。ですからそれを伝える直前であれば,予約を入れる日程を先に決められますが,月の初めだと予約を入れる日程を後で決めていることになるのです。
16日に鶴林寺で指された第12回加古川青流戦決勝三番勝負第二局。
齋藤優希三段の先手で相掛り。後手の徳田拳士四段が横歩を取る展開になりました。
第1図から先手は☗9五歩☖同歩☗9三歩と攻めていったのですが,これが攻め急ぎで苦戦を招いたようです。
そこから☖7五歩☗9五香と進んだところで☖4三銀。☗6六角は仕方がありません。さらに☖4四歩に☗4六飛も仕方がなく,そこで☖7六歩と突かれてしまいました。
これで後手は桂馬を取って5四に打つ手が狙いとして明確になりました。
第1図から攻め合うのは無理で,先に☗6六角と引いておくか,端の突き捨てを入れてから☗9三歩は打たずに☗6六角と引いておくほかなかったようです。
連勝で徳田四段が優勝。棋士デビューから半年で初の棋戦優勝。ここまでの成績は21勝1敗でこれは特別な棋士の成績です。おそらく将来はタイトルを獲得するところまでいくでしょう。
妹は通所施設に通っているときは,昼食は通所施設で摂ります。これは給食です。この日は本来は午前中に通所施設に送っていく予定になっていましたから,妹の給食も用意されることになっていました。しかし18日に皮膚科の診察を受けるという旨の連絡を通所施設に入れたときに,この日の給食についてはキャンセルをしておきました。その時点では予約が午前10時であるということは分かっていたのですが,診察までにどれくらいの時間が掛かるかは分かりませんし,また診察そのものにもどれくらいの時間を要するかも不明であり,給食の時間には間に合わないという可能性もあったからです。ところが,それほど待たずに診察が始まり,検視しただけでケロイドという診断が出されましたので,診察にもさほどの時間を要しませんでした。なのですべてが11時前には終わっていました。ただ給食はキャンセルしてありましたから,どこかで昼食を済ませてから妹を通所施設に送っていく必要がありました。
母が緩和病棟に入院している頃,午前中に母を見舞ってそのまま妹を通所施設に迎えに行くというケースが何度かありました。そのときにもいいましたが,みなと赤十字病院から通所施設にバスで行くには,ふたつのルートが考えられます。ひとつはみなと赤十字病院から上大岡へ向かうバスに乗り,上大岡で乗り継ぐ方法で,もうひとつは一旦は根岸駅を経由して上大岡へ向かい,上大岡で乗り換えるという方法です。前者の方が楽なのですが,みなと赤十字病院から上大岡に向かうバスは本数が少なく,妹を迎えに行く時間には適当なものがなかったので,僕は後者の方法を使っていました。
この日はバスの時間を調べると,上大岡へ向かうバスにはある程度の時間があり,もしも院内で食事を済ませれば,ちょうどそのバスに乗るのに適当な時間になりそうでした。ただまだ昼食には時間が早かったので,そうでないなら根岸駅経由のバスに乗り,根岸駅か上大岡駅で昼食を摂ることになります。僕としてはどちらでもよかったので,妹に尋ねると,院内のレストランですぐに食事をしたいとのことでしたので,そのようにして,上大岡へ向かうバスを利用しました。
昨晩の第25回エーデルワイス賞。
キューティロメラが逃げました。2番手にエコロアイで3番手がライトニングブルー。4番手をニーナブランド,マルカラピッド,トモジャミの3頭で併走。7番手はスティールグレイスとアサクサロックとサワヤカローズ。10番手にメイドイットマム。11番手にエムオーチロとラビアータ。13番手にアンフォラ。その後ろをフユノソラとサヤオンニとレモンアイカーで併走という隊列。前半の600mは35秒4のハイペース。
3コーナーからキューティロメロ,エコロアイ,トモジャミの3頭が雁行となり,4番手以下に少し差をつけました。直線の入口ではキューティロメロが一杯になり,エコロアイとトモジャミの競り合いに。この競り合いを外からマルカラピッドが鮮やかに差し切って優勝。競り合いを制したエコロアイが2馬身半差の2着。トモジャミが1馬身差で3着。
優勝したマルカラピッドは前走で未勝利を勝ったばかり。初戦は芝で大敗しましたが,これでダートは連勝で重賞制覇となりました。このレースは例年のことですが,北海道の実績上位馬とJRA勢の争い。今年は北海道で実績最上位のスティールグレイスが競走を中止してしまったため,JRA勢が上位を独占することになりました。なので例年と比べてどの程度のレベルにあるのかということはいまひとつ判然としない部分が残ります。よってこの馬がどの程度まで走れるのかということは,今の時点では何ともいえないだろうと思います。母の父はダイワメジャー。母の3つ上の半姉に2010年の平和賞を勝ったヴァインバッハ。
騎乗した小沢大仁騎手はデビューから1年7ヶ月半で重賞初勝利。管理している今野貞一調教師はエーデルワイス賞初勝利。
このケロイドがなぜできてしまったのかということは不明です。ただ,思いあたることはひとつだけあります。
妹は2019年の夏に,粉瘤腫ができたために港南中央医院でそれを切除する手術を受けています。これも下腹部と僕は表現しましたが,今回のケロイドができたのとほぼ同じ位置なのです。粉瘤腫の手術を港南中央医院で行ったこともあり,今回も港南中央医院に連れて行ったのだと思います。前回は切除して,切除した部分の病理検査も行い,良性の粉瘤腫であるということが判明したのですが,今回は港南中央医院では病理検査は行えませんでした。これはおそらく,病理検査をするためには切除が必要で,前回は診察でおおよそ粉瘤腫であろうということが判明したのですぐに手術に踏み切ったのに対し,今回は粉瘤腫ではないのですぐに切除するというわけにはいかなかったということなのだろうと思います。
手術で切除した後は,何日間か港南中央医院に通い,消毒を受けました。その間に妹の休みも挟んでいましたから,僕もそのために妹を連れて行ったことがあります。そしてその後に抜糸をしたのです。このときに何らかの傷口があって,そこから細菌が侵入したということは考えられないことではありません。もちろん粉瘤腫の手術を行ったのは,このときからみれば2年半以上前のことであり,そのときに侵入した細菌によってケロイドができたとすれば,あまりに時間が経過しすぎているという感はあります。ただ,ケロイドは元からあって,少しずつ大きくなっていき,ここにきて発見されることになったということは,可能性としてはあり得ないことではないでしょう。そしてケロイドができてしまう原因としては,僕にはこれ以外には考えられませんでした。
それからもうひとつ,これはあらかじめいっておくということになるのですが,妹はこれ以来,現時点まで皮膚科の診察は受けていません。医師からは半年くらいが経過したらまた来るようにと伝えられたのですが,半年後となる8月は,新型コロナウイルスの感染者数があまりに増加している時期で,妹の移動を制限する必要があったからです。このことについては時系列で詳しく記述します。
15日に浅草で指された第2期白玲戦七番勝負第六局。
西山朋佳白玲の先手で三間飛車。後手の里見香奈女流五冠が大駒を動かさないうちに先手から角を交換したので後手は自然に向飛車。先手も向飛車に振り直しての相振飛車に。その後で互いに角を打ち合う展開になりました。この将棋は守りの金を繰り出していった先手が後手の大駒を押さえ込んでの完封勝ちといった内容になりました。
第1図から後手は☖3三角と引きました。先手は☗4五金と進出。後手は☖3六歩☗同歩と突き捨てて☖1四飛と回りましたが☗1五歩と突かれ☖同飛に☗1六銀。仕方がなく☖1三飛と引きましたがさらに☗3四金と進出されました。
第2図のようになってしまうのなら第1図では☖4二角と逃げておいた方がよかったということになりそうですが,それでも押さえ込みの網を食い破るのは難しそうです。たぶん後手は先手が金を繰り出してくるのを軽視していたので1筋から攻めていったものと思われますので,そこで押さえ込みにいった先手の方針が素晴らしかったということだと思います。
西山白玲が勝って3勝3敗。第七局は明日指される予定です。
紹介状は持参していたのですが,どのようにすればよいのかは分かっていませんでした。なので妹の検診が終わった後で病院の窓口に赴き,その紹介状をどのように扱えばよいのかを尋ねました。すると,予約を入れておいた方がよいと言われました。紹介状というのは診療科まで書かれていますが,これは妹の腫瘍の病理検査のためのものですから,紹介されているのは皮膚科です。ただし紹介状による予約は,皮膚科ではなく,相談室で入れるとのことでした。僕は以前に栄養指導を受けたことがありますが,その栄養指導を受けたのがこの窓口がある受付の裏手にあり,相談室というのはその向かいです。ただし僕が栄養指導を受けていた頃にはなかったコーヒーショップが今は院内にできていますので,そのころとは位置は若干の変更がありました。その相談室で担当者と話し合い,予約を入れました。妹が帰ってきていますので,翌週の月曜日の午前中です。本来であれば妹を送っていく時間ですから,通所施設への報告も必要になります。なのでバスを待っている間に電話を入れました。病院内ではマナーモードにしていますから,外に出てからの電話になりました。
2月21日,月曜日。予約を入れておいたみなと赤十字病院の皮膚科に妹を連れていきました。予約は午前10時です。病理検査が必要とのことだったのですが,担当医が患部を診察して,ケロイドと診断が下されました。よって検査をするために患部を切除するというようなことは行われませんでした。なお患部は,地域担当支援主任のSさんからの電話では,恥骨の付近と伝えられていましたが,僕が位置を表現すれば下腹部です。
どこかに傷口があって,そこから細菌が侵入して感染すると,それはすべてケロイドといわれるようです。ケロイドはもしそれを腫瘍と表現すれば良性のものですので,切除をする必要はありません。ただ,肥大化する場合があるので,もしもそういうことがあった場合には切除をするために手術をしてもよいというのが医師から伝えられたことです。すぐに肥大化することはないので,半年くらいが経過したら,また診察を受けるようにという指示を受けました。
第32回埼玉新聞栄冠賞。
発馬後に前にいこうとしたのは4頭。ライトウォーリア,トランセンデンス,フレールフィーユ,ランリョウオーという順になりました。2馬身差でエルデュクラージュとタービランス。2馬身差でリッカルド。2馬身差でエメリミット。4馬身差でタカジョーとパストーソ。4馬身差でジョエル。2馬身差の最後尾にマンガンという隊列で発馬後の向正面を通過。正面に入ると3番手がエルデュクラージュとフレールフィーユ。5番手にランリョウオー。6番手にエメリミットとタービランスという隊列に変化しました。前半の1000mは61秒6の超ハイペース。
2周目の向正面に入るあたりでライトウォーリアのリードは2馬身くらい。ここからトランセンデンスが差を詰めていこうとすると逃げたライトウォーリアが早くもスパート。3番手はエルデュクラージュ,ランリョウオー,フレールフィーユでしたが,フレールフィーユはここで後退。内からタービランス,外からエメリミットが追い上げてきました。スパートをかけたライトウォーリアのリードは3コーナーを回るあたりで6馬身くらいに。直線はさすがに一杯になりましたが,そのまま逃げ切って優勝。内を回ったエルデュクラージュと,同じように内を回って直線はエルデュクラージュの外に出たタービランスが2着を争うところ,3コーナーではまだ最後尾だったマンガンが外から強襲。内の2頭を差し切って3馬身差で2着。エルデュクラージュがクビ差の3着でタービランスが1馬身差で4着。
優勝したライトウォーリアは南関東重賞初制覇。JRAデビューで昨年の10月にはオープンで勝利。前走が南関東転入初戦で大敗。ただ,このときは発馬後に2度ほど不利を被っていて,参考外として度外視すれば南関東重賞レベルでは力量上位という可能性はありました。逃げて早めにスパートして最後は一杯になりながらも粘るというのは,浦和コースだったから可能だったとみることもできます。実際に最後の200mは15秒1という,滅多に記録されないくらいの遅いラップでしたから,ほかの馬の騎手たちに軽視されたがゆえの勝利だったという一面もあるでしょう。そのラップからも分かるように,本来はこの距離は長く,もう少し短い距離に適性があるタイプだと思います。母の父がディープインパクト。従弟に一昨年の京都2歳ステークスと昨年の青葉賞を勝っている現役のワンダフルタウン。
騎乗した大井の矢野貴之騎手は京成盃グランドマイラーズ以来の南関東重賞28勝目。その後にさきたま杯を勝っています。埼玉新聞栄冠賞は初勝利。管理している川崎の内田勝義調教師は南関東重賞21勝目。こちらも埼玉新聞栄冠賞は初勝利。
帰途に薬局に寄りました。インスリンも注射針も在庫が足りていました。帰宅したのは午後4時15分でした。
2月10日,木曜日。午前7時50分に,グループホームの妹の担当者のSさんから電話がありました。この日は僕が妹を通所施設に迎えに行くことになっていました。通所施設へ迎えに行くのは午後3時と決まっています。通所施設の終業はその時刻だからです。しかしこの日はグループホームの利用者は,それより早くにグループホームに戻るということでした。妹はグループホームには戻らずに通所施設に残るので,迎えに来るのは通所施設で構わないけれども,そういう事情であるから,もしも可能であればいつもより早めに迎えに来てほしいと依頼されたのです。理由は明らかにされませんでしたが,この日の午後は降雪の予報が出ていましたので,おそらくそれが理由だろうと思われました。迎えに行く時間が変更されるのであれば通所施設に連絡してほしいとのことでしたので,午後12時45分に通所施設に電話を入れ,いつもよりも1時間ほど早めに迎えに行く旨を伝えました。もしあまりに激しい降雪があるようならタクシーで迎えに行くことも考えていましたが,僕が家を出るときには雨でしたので,いつもと同じようにバスを用いました。通所施設の近辺では雪が降りましたが,それ以外の時間帯,というかそれ以外の場所では雨でしたから,バスでの往復にとくに問題はありませんでした。なお,木曜に迎えに行く予定になっていたのは,翌11日の金曜日が祝日で休みだったからであり,通院があったわけではありません。4日に地域担当支援主任のSさんに伝えられていた,みなと赤十字病院への紹介状は,この日にSさんに会うことができましたので,そのときに受け取りました。
2月14日,月曜日。妹を通所施設へ送りました。
2月17日,木曜日。妹を通所施設へ迎えに行きました。
2月18日,金曜日。妹の歯科検診がありました。これがありましたので,この週は木曜に妹を迎えに行ったのです。検診はクリーニングをしただけでした。前週の木曜に受け取っていた紹介状は,この日に持参していきました。
15日に鶴林寺で指された第12回加古川青流戦決勝三番勝負第一局。徳田拳士四段と齋藤優希三段は公式戦では初対局。
加古川市長による振駒で徳田四段の先手となって角換わり。先手が腰掛銀から銀矢倉に組み替えた後に後手の齋藤三段が腰掛銀に構える将棋になりました。
この将棋はここで後手が☖3三玉と上がったために☗4三角が厳しい一手となり,一気に先手が勝ちになりました。
後手はこの局面では悲観していて,☖2三歩☗2九飛では勝てないとみての勝負手だったとのことです。ただそれで後手が優勢というわけではないとしても互角ではあり,形勢判断の誤りがあったための敗着であったといえそうです。
徳田四段が先勝。第二局は16日に指されました。
2月4日,金曜日。午後1時40分に,地域担当支援主任のSさんから電話がありました。妹の恥骨の付近に腫瘍があったため,港南中央医院に連れていって診察を受けたとのことでした。診断では病理検査の必要があるとのことで,しかし港南中央医院ではその検査が不可能であるため,みなと赤十字病院への紹介状を書いてもらったので,僕が連れていき診察を受けてほしいという旨の依頼でした。急ぐ必要があるという事案ではないとのことでしたから,了承しました。
2月7日,月曜日。みなと赤十字病院の内分泌科の通院の日でした。
病院に到着したのは午後2時ごろでした。中央検査室ではひとりの患者が待機していました。ひとりでしたから,採血を呼ばれるまで待ち,それが終わってから採尿。最後に注射針を処理しました。
診察が始まったのは午後3時10分でした。HbA1cは8.0%でした。1月は通院がありませんでしたので,前年の12月との比較になりますが,著しく上昇していたといっていいでしょう。数値が跳ね上がったのは,起床時,つまり朝食前の血糖値が高騰していたからで,その時間帯の血糖値は平均で220.0㎎/㎗だったのです。これは寒くなってきたことが影響しています。何度もいっているように,僕の血糖値は気温が下がるほど高くなるのですが,1日のうちで最も気温が低いのは朝ですから,朝の血糖値が顕著に上昇するのです。実際に睡眠前の血糖値の平均は196.7㎎/㎗で,これもかなり高い数値ではありますが,朝と比較すれば低くなっています。その血糖値が時間が経過して朝になるとさらに高くなるのですから,これは食事の影響ではなく,気温の影響だったことは明白です。こうした事情ですから,処置を講じる必要はありますが,超速攻型のインスリンを増量するのは不適切です。なので持続効果型のトレシーバの注射量を,0.01㎎増量するということになりました。
この日はこれ以外には何も異常が出ていませんでした。異常がなかったのは前年の11月以来でした。
主治医から3月で退職することが知らされました。次の主治医が臨時で診察した医師になることはこの時点で決定していました。
松山競輪場で争われた昨晩の道後温泉杯争覇戦の決勝。並びは根田‐福田の南関東に阿部,稲毛‐森川の近畿中部,佐々木‐渡辺‐坂本の西国で杉森は単騎。
渡辺がスタートを取って佐々木の前受け。4番手に稲毛,6番手に根田,最後尾に杉森で周回。残り3周のバックの出口から根田が上昇開始。杉森も続きました。ホームに入ると稲毛はすぐに引きました。ホームの出口では根田が佐々木を叩いて先頭に。杉森も4番手に続き,引いた稲毛はこのラインを追わなかったので5番手に佐々木,8番手に稲毛という隊列に。この隊列のまま打鐘を迎え,根田の抑え先行に。バックから佐々木が発進。福田の横まで来ると福田が軽く牽制。これで佐々木は勢いが止まりました。それほど動かずにすんだ福田が直線で踏み込んで優勝。福田マークの阿部が1車身差で2着。阿部マークのレースになった杉森が阿部と佐々木の間から伸びて4分の1車輪差で3着。結果的にラインで上位独占の形になりました。
優勝した神奈川の福田知也選手は7月の玉野のFⅠ以来の優勝。グレードレースは初優勝。この開催は寛仁親王牌に出走しないメンバーでの争い。脇本が出走の予定でしたが欠場となったため,根田がシリーズリーダーのような存在に。決勝メンバーの中では杉森が根田に次ぐ存在でしたがいかんせん単騎なので,根田のラインが有利になるだろうとみていました。稲毛の走行は不思議で,自ら8番手を取りにいったようなもの。もしかしたら佐々木が福田のところに飛びついて,隊列が短くなったところを捲ろうというものだったのかもしれませんが,いずれにしても作戦の失敗でしょう。抑えて徐々にスピードアップしていくのは根田の力が最も生きる展開なので,そういう展開になってしまった時点でほかのラインは苦しくなりました。福田の前回の優勝も根田をマークしてのもので,このふたりは連携実績が豊富です。両者の信頼関係もこのライン構成では大きかったように思います。
1月31日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
これは前にいったことがあるかと思いますが,妹が帰宅する際には連絡帳が渡されます。僕と通所施設の間,また僕とグループホームの間の連絡は,緊急の事項でない限り,この連絡帳でやり取りされます。妹が帰宅したときは,家にいた間の妹の様子などを記入して,通所施設へ持参し,出迎えた妹の担当者に渡します。ところがこの日は,記入はしたもののその連絡帳自体を持参するのを忘れてしまいました。
僕は通所施設への往復にはバスを利用しています。上大岡駅でバスを乗り継ぐのですが,持参し忘れたことに気付いたのは上大岡駅で乗り継ぎのバスを待っているときでした。上大岡駅まで来てしまっていましたから,とりあえず妹と通所施設まで行き,妹を担当者に預けた後,また家に戻り,忘れてしまった連絡帳を持参して再び通所施設へ行きました。到着したのが13時前後になりましたが,僕が通所施設の玄関を入ると,施設長のNさんがいましたので,連絡帳と,28日に帰宅したときに送付されていた受給者証を渡して帰りました。
2月2日,水曜日。2日は総講の日で,この日は行くことができましたのでお寺に行きました。ところがこの日の総講は朝参詣で午前6時半からに変更となっていましたので,僕がお寺に到着したときにはすでに総講は終了していました。僕がお寺に行く主目的は墓参りなのであって,総講に出席することは副次的なものですから,これはこれで僕にとっては大したことではありません。
2月3日,木曜日。家の工事が入りました。この日の工事は午後3時50分まで。あと1回か2回で終了できそうだとのことでした。なお,工事の日程というのは,工事があった日に,次はいつにするかを話し合って決定します。前にもいったように,床下とか屋根裏を工事するとなると,工事をしている間は僕が在宅している必要があります。ですから話し合って決定するといっても,ほとんどは僕の都合です。事前に業者から施工ができない日を伝えられるケースはありましたが,それ以外の僕が指定した日について受け入れてもらえないというケースは1度もありませんでした。