スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
JBCレディスクラシック を勝ったアンモシエラ の基礎輸入繁殖牝馬は,3代母の1991年にアメリカで生まれたフェアリードール です。アマゾンウォリアー ,ファンシミン ,マイグッドネス ,アンティックヴァリュー ,ソルティビッド ,バイザキャット と日本で大レースを勝った馬が多く出ているファミリーナンバー が9-f の一族の一頭。
繁殖牝馬としての生活は日本でのみ送りました。最初に産んだのがトゥザヴィクトリー ですから,いきなり成功を収めたことになります。トゥザヴィクトリーの産駒には2010年に中日新聞杯,2011年に京都記念と日経賞,2012年に日経新春杯と鳴尾記念を勝ったトゥザグローリー ,2014年に弥生賞を勝ったトゥザワールド ,2017年の中山牝馬ステークスを勝ったトーセンビクトリー と3頭の重賞勝ち馬がいて,孫の世代にも2018年の七夕賞と2019年の阪神ジャンプステークスを勝ったメドウラーク ,2019年に青葉賞とセントライト記念を勝ったリオンリオン が出ています。
トゥザヴィクトリーの2歳下の全妹からは2015年の報知グランプリカップ を勝ったバトードール と2018年のクラスターカップ を勝ったオウケンビリーヴ が出て,孫の世代には2021年のJBC2歳優駿 を勝ったアイスジャイアント ,2016年の京成杯を勝ったプロフェット ,2018年の京都2歳ステークスを勝ったクラージュゲリエ と3頭の重賞勝ち馬が出ています。
トゥザヴィクトリーの3つ下の全妹はビーポジティブ 。2002年にクイーン賞を勝ちました。
トゥザヴィクトリーの4つ下の全弟はサイレントディール 。2003年にシンザン記念と武蔵野ステークス,2007年の佐賀記念 を勝ちました。
トゥザヴィクトリーの10歳下の半妹の産駒には2013年にフローラステークスとローズステークスを勝ったデニムアンドルビー と2018年にしらさぎ賞 と東京シンデレラマイル ,2019年にマリーンカップ を勝ったラーゴブルー と2頭の重賞勝ち馬。
トゥザヴィクトリーの12歳下の半妹の孫がアンモシエラ。
トゥザヴィクトリーの13歳下の半妹の産駒には2020年に中山牝馬ステークスと福島牝馬ステークスを勝ったフェアリーポルカ がいます。
活躍馬が続出している一族ですが,なぜか大レースの勝ち馬はトゥザヴィクトリー以来出ていませんでした。アンモシエラが2頭目になります。まだまだ繫栄していくでしょう。
フェアリードールの伯母にあたるヘバ という馬も繁殖牝馬として輸入されています。こちらの子孫には2010年のCBC賞を勝ったヘッドライナー ,2015年のサマーチャンピオン と2016年の武蔵野ステークスを勝ったタガノトネール ,2014年のデイリー杯2歳ステークス,2020年の阪神ジャンプステークスと京都ジャンプステークス,2022年の京都ハイジャンプを勝ったタガノエスプレッソ などが出ています。
『神学・政治論 Tractatus Theologico-Politicus 』は政治理論を展開することを意図していたので,理性の有 entia rationisである自然状態status naturalisや,その自然状態から脱出して共同社会状態status civilisに入るための社会契約を,概念notioとして利用することに一定の意義がありました。もちろんそれでもスピノザはそれをホッブズThomas Hobbesがいうのと同じ意味での社会契約として規定することはできず,ホッブズの政治論においては不可逆的であったといえる社会契約を,むしろ一般的な契約pactumと同じように解し,それは破棄され得るものとして規定するほかなかったわけですが,そのように解釈されるスピノザの社会契約もまた実在的有entia realiaではなく理性の有であったことに違いないのであって,それを利用することができたのは,そこで示されるのが政治理論であったからであるということは,同じように成立するだろうと思います。
『国家論 Tractatus Politicus 』は政治理論よりも実践政治のあり方,あるいはあるべき姿を展開しようとしたので,そこでは実在的有だけが意味をもつことができました。自然状態は理性の有であっても,共同社会状態は実在的有なので,実在的有のあり方,あるべき姿について論述しようとする場合は,理性の有に頼ることはできなかったからです。このために『国家論』では社会契約説が大きく後退してしまったのではないかというように僕は考えています。もちろんこれは,その理由のひとつであって,理由のすべてであるといいたいわけではありませんが,確かにこの点が,『国家論』の中でスピノザが社会契約説に触れなかった理由のひとつを構成していると思うのです。
実践政治のあるべき姿を論述しようとした『国家論』の中で,スピノザはみっつの制度をあげてそれらを比較検討しています。ひとつ目が君主国家,ふたつ目が貴族国家,三つめが民主国家です。政治体制でいえば,君主国家は独裁制,貴族国家は共和制,民主国家は民主制を意味すると解するのが,現代の僕たちにとっては分かりやすいだろうと思います。
これらの政治制度の中で,最も優れているとスピノザが考えているのは民主国家すなわち民主制です。これは間違いなくそうであると断定することができるのですが,それが意味しているところが重要です。
オークス を勝ったチェルヴィニア の輸入基礎繁殖牝馬は3代母のハッピートレイルズ という馬です。その母のロイコン も輸入されていますので,ここではロイコンを起点とする一族の活躍馬を列挙していきます。スカーレットインク ,プロポンチス と同じファミリーナンバー が4-d の一族。
ロイコンは1991年に産駒を受胎したまま繁殖牝馬として輸入されました。それ以前の産駒は1頭が競走馬として,3頭が繁殖牝馬として輸入されています。
繁殖牝馬として輸入された1頭がハッピートレイルズ。この馬が1989年にアイルランドで産んで競走馬として輸入されたのがシンコウラブリイ でした。シンコウラブリイは引退後は繁殖牝馬に。産駒には2001年の中京記念を勝ったロードクロノス 。孫に2009年の新潟2歳ステークスと2010年の関東オークスを勝ったシンメイフジ ,2019年にアルゼンチン共和国杯を勝ったムイトオブリガード 。曾孫にも2019年のチャレンジカップを勝ったロードマイウェイ がいます。
やはりアイルランドで産まれ,競走馬として輸入されたシンコウラブリイの3つ下の半弟がタイキマーシャル 。1997年にエプソムカップを勝っています。
ハッピートレイルズはこの後で繁殖牝馬として輸入されました。2頭目の産駒が牝馬で繁殖牝馬となり,2005年のセントライト記念と2007年の京成杯オータムハンデキャップを勝ったキングストレイル を産んでいます。
タイキマーシャルの6つ下の産駒がハッピーパス 。2003年に京都牝馬ステークスを勝ちました。繁殖牝馬となったハッピーパスは,2010年に札幌2歳ステークスと東京スポーツ杯2歳ステークスを勝ったコディーノ と,2016年にフローラステークスを勝ったチェッキーノ の母になっています。チェルヴィニアはこのチェッキーノの産駒で,ひとつ上の半兄が昨年の新潟記念を勝っている現役のノッキングポイント 。またコディーノのひとつ上の半姉が繁殖牝馬として2022年のフィリーズレビューを勝っている現役のサブライムアンセム の母になっています。
ハッピートレイルズの5つ下の半妹はロイヤルブライド。1994年にアメリカで産んだ産駒が1997年のアルゼンチン共和国杯を勝ったタイキエルドラド で,1996年にアメリカで産んだ産駒が2000年に函館スプリントステークスを勝ったタイキトレジャー です。
タイキトレジャーのひとつ下の半妹も競走馬として輸入。繁殖牝馬となり,孫に2022年のプロキオンステークスを勝っている現役のゲンパチルシファー がいます。
遡ると1957年にアイルランドで産まれたAzurineに至ります。タイキシャトル ,2014年のNARグランプリ の年度代表馬に選出されたサミットストーン ,2008年に東京オータムジャンプを勝ったタイキレーザー ,2002年のJRA賞の最優秀2歳牝馬に選出されたピースオブワールド は,いずれもAzurineの孫のMuffitysの子孫。ロイコンとMuffitysは従姉妹になります。
この部分をスピノザの哲学におけるコナトゥス conatusの説明に利用することには,利点があると僕は考えています。慣性の法則は自然界の一般の法則であって,コナトゥスもまたそれと同様に理解されなければならないということが理解できるからです。すなわち,コナトゥスというのは通常は努力と訳されるラテン語なのであって,だから『エチカ』の岩波文庫版でもそのように訳されています。ところがそれは,思惟Cogitatioを示すわけではないのですから,僕たちがコナトゥスを有するということは,僕たちが自己の有esseに固執しようとする,意志voluntasをもって固執しようとするということではないのです。努力と訳してしまうと,僕たちのコナトゥスがそのように理解されてしまうおそれがあるでしょう。畠中は,『デカルトの哲学原理 Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae 』で当該部分を訳すときには,努力ではなく傾向という訳語を与えています。これは,ある物体corpusが何らかの運動motusへの傾きを有し,それを妨げる原因causaがない状態のことを運動への努力というのは日本語として不適切であって,日本語として成立させるために,運動への傾向という訳語を与えたからです。しかし,実際には現実的に存在する個物res singularisの現実的本性actualis essentiaであるといわれるコナトゥスも,努力と訳すよりは傾向と訳す方が適切なのです。つまり現実的に存在する個物は,自己の有に固執するperseverareことに努力するというより,現実的に存在する個物は自己の有に固執する傾向を有するといった方が,スピノザの哲学におけるコナトゥスを正しく理解できると僕は考えます。コナトゥスとは,物理学的にいえば,慣性の法則に属するものなのであって,努力するとか努力しないかといったこととは関係なく,現実的に存在するすべての個物に備わった傾向なのです。
國分がこの点に注目したのは,コナトゥスの理解のために有益であったと僕は思います。國分は『スピノザの方法 』においても,『デカルトの哲学原理』を利用することによって,デカルト René Descartesの方法論とスピノザの方法論とを比較し,スピノザがデカルトの方法の何に不備を感じたのかを明らかにすることによって,スピノザの独自の方法論を明らかにしようとしました。このような手法は有効だといえるでしょう。
天皇賞(春) を勝ったテーオーロイヤル の輸入基礎繁殖牝馬は祖母のアルペンローズ です。母がバラダ の半妹に当たる同一牝系でファミリーナンバー はA4 。
海外で2戦して未勝利だったのですが,繁殖牝馬として輸入されました。アルペンローズの生年はノーリーズン と同じですから,たぶんノーリーズンの活躍が輸入の契機になったものと思われます。
日本では11頭の産駒を産みました。重賞の勝ち馬は出ていませんが,重賞2着馬は出ています。
この11頭のうちの6頭が牝馬。そのうちの5頭は繁殖牝馬となってすでに子孫を残していますので,牝系は広がっているところ。現時点で最も成功したのが2008年にマンハッタンカフェ との間に産まれた牝馬。この馬が2017年に産んだのが,2021年のみやこステークス,2022年のマーチステークスと帝王賞 ,2023年のかしわ記念 と帝王賞 と大レースを3勝している現役のメイショウハリオ 。テーオーロイヤルはメイショウハリオのひとつ下の半弟となります。
それ以外に重賞の勝ち馬は出ていませんし,南関東重賞の勝ち馬も出ていません。北海道で昨年の栄冠賞を勝ち,今年のネクストスター北日本も勝っている現役のストリームは,2011年にアルペンローズとディープスカイ の間に産まれた牝馬の産駒です。牝系は広がっている途上ですから,まだ活躍馬が出てくる可能性もあるでしょう。
第三部定理九 は,僕たちの精神 mensは自己の有esseに固執しているということだけをいっているのではなく,同時にそれを意識しているといっています。なぜそのようにいえるのかといえば,僕たちの精神が自己の有に固執していれば,僕たちの精神はそれを意識しているということをスピノザは前提しているからだと思います。ですから,単に自己の有に固執するperseverareことが精神の現実的本性actualis essentiaであるとすれば,それが現実的本性であるということを僕たちは認識するcognoscereのです。よってこの場合は,少なくとも僕たちの精神の現実的本性は,明確に意識conscientiaと関連付けられているといえるでしょう。もっとも國分は,スピノザは人間の本性natura humanaを説明するにあたって,意識という概念notioを必要としたのだという主旨のことをいっていて,このことは僕には肯定し難いものを含んでいます。別に意識という概念を必要としていたわけでなく,意識されようと意識されまいとそれが人間の現実的本性であるということはスピノザは認めていて,いい換えれば欲望cupiditasであろうと衝動appetitusであろうとそれが人間の現実的本性であるということをスピノザは認めていて,それがある場合には衝動といわれ,ある場合には意識を伴ったものとしての欲望といわれるというようにスピノザはいっていると僕は解するからです。國分のいい方に倣えば,現実的に存在する人間を突き動かす力potentia,これが衝動ですが,それは人間の現実的本性なのであって,しかしそのことを僕たちは意識するので,意識された衝動である欲望は,衝動が人間の現実的本性であるといわれるのと同じ意味で人間の現実的本性といわれているのであり,僕たちを突き動かす力のほかに僕たちの意識を,僕たちの本性を規定するために必要としていたわけではないと僕は考えます。
國分は自身の説をさらに敷衍して,人間の本性は欲望であり,欲望が意識を伴った衝動であるのなら,欲望から衝動を差し引いた残余の部分が意識なのであって,人間の特徴は,自らを突き動かす力を意識している点にあるといっています。ここでなぜ人間の本性といわずに人間の特徴といっているのかは僕には分かりません。僕はこの主張については部分的に同意するといっておきます。
大阪杯を 勝ったベラジオオペラ の輸入基礎繁殖牝馬は,4代母で1987年にアメリカで産まれたアイドリームドアドリーム です。ソネラ ,クヰックランチ と祖を同じくするファミリーナンバー が4-r の分枝。
アメリカで1頭の産駒を産んでから輸入されました。日本での初産駒はエアデジャヴー 。1998年にクイーンステークスを勝ちました。
エアデジャヴーが繁殖牝馬となって初めて産んだのがエアシェイディ 。2008年にアメリカジョッキークラブカップを勝っています。
そのひとつ下の全妹がエアメサイア 。2005年にローズステークスと秋華賞を勝っています。
エアメサイアも繁殖牝馬になりました。2013年の産駒がエアスピネル 。2015年にデイリー杯2歳ステークスを勝つと,2017年には京都金杯と富士ステークスを勝ちました。
エアスピネルのひとつ下の全弟はエアウィンザー 。2018年のチャレンジカップの勝ち馬です。
エアメサイアのひとつ下の全妹はJRAで4勝。繁殖牝馬となって2011年に産んだのがエアアンセム 。2018年に函館記念を勝ちました。
エアアンセムのひとつ下の半妹は競走馬としては1勝。この馬がベラジオオペラの母です。
エアデジャヴーのふたつ下の半弟はエアシャカール 。2000年に皐月賞と菊花賞を制覇。この一族の最初の大レースの勝ち馬がこの馬です。
エアシャカールのひとつ下の全妹は競走馬としては2勝。繁殖牝馬となり,2014年に鳴尾記念と毎日王冠を勝ったエアソミュール の母になっています。
このように活躍馬が続出している一族。最近はやや活力が薄れている感がありましたが,3頭目の大レースの勝ち馬が出ました。まだ継続していきそうな一族です。
仮にスチュアートMatthew Stewartがいっていることが事実であったとしてみましょう。その場合,チルンハウス Ehrenfried Walther von Tschirnhausがローマにいてステノ Nicola Stenoと知り合ったという部分が怪しくなります。チルンハウスは,ライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibnizに『エチカ』の手稿を読ませてもよいのではないかと考えたのです。それはつまり,ライプニッツとチルンハウスはそれくらい親しかったことを意味します。ですからもしもステノがライプニッツと一緒に仕事をしていたのであれば,ステノとチルンハウスもどこかで知り合っていた可能性があるからです。なのでこの場合は,ステノが何らかの画策で『エチカ』の手稿を入手したのはローマではなく,それをステノがローマにもっていったという可能性まで想定しておかなければならないでしょう。チルンハウスがローマにいたということは,『スピノザー読む人の肖像 』では確定的に記述されていますが,これを史実としてよいという情報は示されていませんので,そういう可能性がまったくなかったとは僕はいいません。
しかし,スチュアートがいっていることはたぶん史実ではありません。『宮廷人と異端者 The Courtier and the Heretuc : Leibniz,Spinoza,and the Fate of God in the Modern World 』は元来は脚本として書くことを意図されていた内容であって,そこにはおそらくスチュアートの脚色が入っていて,この部分はおそらくそのひとつであると僕は思います。ステノとライプニッツが一緒に仕事をしていたという情報を僕はほかに知りませんし,そもそもステノがこのときにライプニッツと一緒にいたことも疑わしいのです。
あらかじめいっておいたように,この部分はライプニッツはスピノザの遺稿集Opera Posthuma が発刊されるのを楽しみにしていたというエピソードとして,たぶん創作されています。ただこの脚色は,脚色としてはよくできたものだとは思います。仮にステノとライプニッツが一緒に仕事をしていて,それならライプニッツはステノに,スピノザの遺稿集の出版の準備が進んでいて,その編集をしているのがだれであるのかということを教えたのかといえば,やはり教えることはなかったであろうからです。ライプニッツはカトリックとプロテスタントの統一を真剣に考えていたくらいですから,教会の有力者の知人がまったくいなかったとは考えられません。
全日本2歳優駿 を勝ったフォーエバーヤング の母は2013年にアメリカで産まれたフォエヴァーダーリング という馬で,フォーエバーヤングの基礎繁殖牝馬になります。しかしフォエヴァーダーリングの祖母にあたる,1990年にアメリカで産まれたローミンレイチェル という馬も繁殖牝馬として輸入されていて,このローミンレイチェルを祖とする一族は日本で繫栄しています。英語表記はRoamin Rachel。ファミリーナンバー は2-b 。
ローミンレイチェルは日本では3頭の産駒しか産んでいません。そのうちの1頭がゼンノロブロイ です。
ゼンノロブロイのひとつ上の半姉が,ローミンレイチェルが日本で初めて産んだ馬です。この馬は1戦しかできなかったのですが,牝馬だったので引退して繁殖牝馬に。2009年にファンタジーステークスを勝ったタガノエリザベート ,2015年のクイーンカップを勝ったキャットコイン ,2019年に愛知杯を勝ったワンブレスアウェイ .2017年の札幌2歳ステークスを勝ったロックディスタウン と,実に4頭の重賞勝ち馬の母になりました。ローミンレイチェルが日本で産んだ牝馬はこの馬だけなのですが,産まれた重賞勝ち馬の4頭がいずれも牝馬ですから,その子孫から活躍馬が出てくることはあり得るでしょう。
フォーエバーヤングの母が輸入されたのは,やはりローミンレイチェルの孫であったということが大きかったのだろうと思います。
ローミンレイチェルの3つ下の全妹も繁殖牝馬として輸入されています。その馬の孫に,2022年にスパーキングサマーカップ と日本テレビ盃 を勝ったフィールドセンス がいます。
ローミンレイチェルの3代母が大きな分枝を作っていて,ここまでいくと活躍馬をすべて記すことができないほどです。先日紹介したばかりのメーデイア もこの一族にあたります。
5月11日,木曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。帰宅すると,新型コロナウイルスのワクチンの接種券が送付されていました。5回目のものです。
5月12日,金曜日。妹の歯科検診がありましたので,指定歯科 であるみなと赤十字病院に連れていきました。
5月13日,土曜日。午後7時40分に,ピアノの先生 からの電話がありました。翌日のレッスンの開始時刻の通知です。
5月14日,日曜日。妹のピアノのレッスン でした。午後4時半の開始でした。
5月15日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
5月18日,木曜日。この日が前期の三者面談でした。場所はグループホームです。対面式の三者面談は,僕は新型コロナウイルスの蔓延があって以降は初めてでした。三者面談は,通所施設のものとグループホームのものがあって,別々に行われます。この日は先にグループホームの三者面談があって,その後に通所施設の三者面談でした。三者というのは妹の担当者と妹,そして僕のことです。グループホームの妹の担当者は,最初の担当者が地域支援担当主任に就任したときに変わりましたが,それ以降はずっと同じ人です。通所施設の担当者は長くても2年で,現在の担当者も今年度,つまり今年の4月から担当になった人です。それぞれの面談が終わった後,そのまま妹を連れて家に帰りました。迎えの日に面談をするというのは僕にとっては最も好都合です。この日は,僕が最も希望していた日でした。
5月19日,金曜日。妹の本牧脳神経外科の通院の日でした。この日は診察を受けただけです。
5月20日,土曜日。妹を通所施設に送りました。土曜レクリエーションがあったので,妹をそれに参加させるためです。この日が土曜レクリエーションであるということを,前回の脳神経外科の通院の日には分かっていなかったので,19日の脳神経外科の予約を入れてしまったのです。なので事前の予定ではこの日に妹を送っていく予定はなかったのですが,5月の予定を提出した後で,この日が土曜レクリエーションであるということが判明したので,提出した予定を変更するように依頼し,それがグループホームによって受諾されたのです。
エリザベス女王杯 を勝ったブレイディヴェーグ の祖母は2002年にフランスで産まれたミュージカルウェイ という馬で,ブレイディヴェーグの輸入基礎繁殖牝馬になります。トップニュースⅡとデュプリシト ,ドバイマジェスティ と同じファミリーナンバー が2-s の一族。
現役時代は主にフランスで走って重賞3勝。
繁殖生活は日本で送ることになりました。最初に産んだ牝馬はオープンまで出世。この馬が後にブレイディヴェーグの母になっています。ブレイディヴェーグのひとつ上の半兄は現役のオープン馬です。
2頭目の産駒は牡馬。この馬もオープンまで出世しました。
3頭目の産駒が牝馬。この馬は2015年にJRA賞 の最優秀3歳牝馬に選出されたミッキークイーン です。ミッキークイーンはすでに繁殖牝馬になっていて,産駒の1頭は先月に4勝目をあげてオープン馬になっています。
4頭目の産駒も牝馬。この馬も繁殖牝馬になっていて,産駒の1頭がすでにオープンを勝っている現役馬です。
これ以降の産駒とその子孫からは目立った活躍馬は出ていません。
15年ほどの間で重賞の勝ち馬が2頭。ただその2頭が大レースを勝ちました。さらに重賞は勝てないまでもオープンまでいっている馬が多数いますので,この牝系からはまだ活躍馬が出てくるでしょう。
後藤の論文に関連して僕がいっておきたかったのはこれだけです。何度もいいますが,僕はメンデルスゾーンMoses Mendelssohnについては詳しくは分かりませんから,これについてはこれだけにして,先に進みます。
『スピノザーナ11号 』は,平尾と後藤のメンデルスゾーンに関連した論考の後,合田正人の「欲望の倫理」という論文が掲載されています。これにはスピノザを廻るラカンJacques-Marie-Émile LacanとレヴィナスEmmanuel Lévinasという副題がついています。ただこの論文については僕の方から何かいいたいことはありません。なのでこの論文とは関係なく,レヴィナスのスピノザ論を解するときに注意するべきことをいっておきます。
レヴィナスは思想家であって,同じように思想家としてのスピノザを批判しています。たぶんレヴィナスは自身でもそのようにしていると思っていると推測されます。ただこの理解にはひとつの陥穽があります。というのもレヴィナスはユダヤ教徒のユダヤ人であって,スピノザはユダヤ人でありながらユダヤ教会から破門されたという歴史的事実があるからです。たとえばレヴィナスは,ナチスによるユダヤ人の大量虐殺という史実の後に,スピノザが同じような思想を展開することができたかは疑問であるという主旨のことをいっていますから,確かにレヴィナスとスピノザの間に,同じ人種としての宗教上の相違というものがあるのであって,レヴィナスがそれを自覚しているのかしていないのかということは別にしても,そうした相違がレヴィナスによるスピノザ批判には反映されているのです。なのでレヴィナスによるスピノザ哲学に対する批判を理解する上で,レヴィナスのある意味では個人的な心情というものが影響を与えているといえなくもないのです。合田がこのことをよく理解しているということは,この論文よりも『現代思想』のスピノザ特集号に掲載されている「白い曠野」という論文から明らかですので,合田の論文を読解する際にはこのことは問題にはなりませんが,このことに注意しないでレヴィナスを研究している場合は,それを読む側が注意しなければなりません。レヴィナスはスピノザのことを,ユダヤ教に対する裏切り者であると規定しているからです。
先週の若武者賞 を勝ったグラッシーズマン の輸入基礎繁殖牝馬は5代母にあたるファイアフラワー です。1972年にイギリスで産まれました。
繁殖生活は1975年から日本で送りました。直仔で重賞を勝ったのは1984年に産んだダイナカーペンター 。1988年の阪神大賞典と1989年の京都記念を勝ちました。
ダイナカーペンターの7つ上の半姉,1977年に産んだ牝馬は繁殖入り。この馬の産駒がフラワーパーク です。フラワーパークは繁殖牝馬となり,2015年の東京新聞杯を勝ったヴァンセンヌ の母になっています。
フラワーパークのひとつ下の半姉も繁殖牝馬に。この馬の産駒には2007年にシルクロードステークスを勝ったエムオーウイナー がいます。
ダイナカーペンターのふたつ下の半妹も繁殖牝馬になっています。その馬の曾孫にあたるのが2013年のNARグランプリ で2歳最優秀牝馬に選出されたブルーセレブ 。グラッシーズマンはこのブルーセレブの産駒になります。
牝系自体の活力はすでに衰えているとみていいかもしれません。ただ,枝葉は広がっていますので,ある程度の活躍馬が出てくる可能性は十分にあるでしょう。
第二部定理三二の意味 に関しては僕が示したことに同意するとしても,もしもその意味を示すのに,すべての観念ideaは神Deusに帰せられれば真verumであるというよりも,すべての観念は神に還元されれば真であるといった方が、その意味が分かりやすい訳になっていると考えるのであれば,そちらの訳を用いる方がいいでしょう。重要なのはこの定理Propositioでスピノザが示そうとしたことについて,どのような訳を選択すればその意味が理解しやすくなるのかということなのであって,もしも畠中の訳が最も分かりやすいと思うのであれば,とくにその訳を変更しなければならない理由というのはありません。僕は帰するという語を用いるのが最もよいと思いますので,これを使用するということであって,このように訳さなければならないということを主張するものではありません。
ここからは僕独自の考察になります。僕はこの定理を,観念は神に帰せられるなら真であるというようにいいますが,この定理の意味を確定させる過程で探求した事柄は,当たり前のことですが,帰するといおうが関係するといおうが同じです。したがって,第一部定理一五 にあるように,あるものはすべて神のうちにあるQuicquid est, in Deo estのであって,観念というのも神のうちにあるわけですから,神に関係させることができない観念は存在しないのと同様に,神に帰することができない観念というのは存在しません。なので,この定理は,すべての観念は真であるというようにも読解できるのですが,実際にはそうではなく,神に帰せられていない観念,いい換えればたとえば僕たちの精神 mensに帰せられている観念というのがあって,その限りでは誤った観念idea falsaがあるということが前提となっているのです。
このことから分かるように,観念は神に帰せられれば真であるのですから,もしも僕たちの精神のうちにある観念があるとき,この観念が神に帰せられているのであれば,それは僕たちの精神のうちで真の観念idea veraであるということになります。ですが,これも考察の中で示したように,僕たちの精神のうちに表象像imaginesがあるときには,僕たちはそれを神に帰することができません。よってそれは僕たちの精神のうちでは誤った観念です。
NHKマイルカップ を勝ったシャンパンカラー の輸入基礎繁殖牝馬は2015年にイギリスで産まれた母であるメモリアルライフ です。このメモリアルライフが輸入されたのには理由があって,メモリアルライフの祖母,シャンパンカラーの三代母である,1998年にフランスで産まれたバルドウィナ という馬が輸入されていて,繁殖牝馬として日本で成功を収めていたからです。Baldwinaは姓のひとつ。英語だとボールドウィナです。ファミリーナンバー は1-n 。
2004年にイギリスで1頭の産駒を出産してから輸入。日本での初産駒となったのがワンカラット で,2009年にフィリーズレビューを勝つと2010年には函館スプリントステークスとキーンランドカップ,2012年にはオーシャンステークスを勝ちました。
ワンカラットの7つ下のの半妹がジュエラー 。2016年に桜花賞 を勝っています。
メモリアルライフは2004年にイギリスで産まれたバルドウィナの産駒の娘。メモリアルライフは繁殖生活は日本で送っていて,シャンパンカラーは2頭目の産駒になります。まだ繁殖生活を送っていますから,シャンパンカラーの弟や妹も,いずれは競走馬として出走してくることになるでしょう。
重賞の勝ち馬はこの3頭だけですが,重賞の入着馬というのはほかにも何頭かいます。バルドウィナはおそらく日本の競馬に対する適性が高い繁殖牝馬で,バルドウィナを一族の祖とする馬たちからは,おそらくまだ活躍馬が出てくるものと思います。
愛amorという感情affectusは必ずしも理性ratioから生じるわけではありません。受動感情として現実的に存在する人間のうちに生じる場合もあります。第三部定理三九 は,愛が能動的に生じようと受動的に生じようと同じように成立するわけですから,どちらにしても愛を感じた人間は,その愛の対象に,条件付きとはいえ親切をなすでしょう。この親切をなす行為自体は合倫理的な行為ではありますが,もしも受動的な愛によって愛する対象に親切をなすのであれば,それは有徳的であるとはいえません。理性に従って愛を感じ,その愛のゆえに親切をなすときだけ,その人間は有徳的であるといわれるのです。
このことは,『神学・政治論 Tractatus Theologico-Politicus 』のスピノザの主張と重なる部分があるのであって,あるいはスピノザはこの定理Propositioについて,そのことを想起していたかもしれません。スピノザによれば新約聖書の教えというのはふたつしかなく,そのうちのひとつが隣人を愛せということでした。隣人を愛するということはそれ自体で合倫理的であるといえます。この愛が隣人に対して親切をなす要因となるからです。しかしその聖書の教えに服従することによって隣人を愛し,また隣人に親切をなす人間は,合倫理的ではあっても有徳的であるとはいわれません。ただ理性に従って隣人を愛し,隣人に親切をなす人間だけが有徳的であるといわれるのです。隣人に親切をなすことは共同体や社会societasといった人間の集団に融和を齎すものであって,亀裂を生じさせるようなことではありません。ですからスピノザは新約聖書のこの教えを称揚し,それが合倫理的であるということは是認します。しかしある人間が人間集団に融和を齎すからといって,それだけでその人間が有徳的であるということにはならないのです。
受動passioというのは第三部定理一 により,混乱した観念idea inadaequataに依存します。そして國分がいっている通り,現実的に存在するある人間の受動というのは,その人間の本性natura humanaのみによって説明される力potentiaに対して,その人間とはほかのものの力がより多く表現されている場合にいわれるのでした。したがって,僕たちの精神mensのうちに混乱した観念が発生するということも,力の対比によって説明できる筈です。
昨年末の全日本2歳優駿 を勝ち,先日のUAEダービー を鮮やかに逃げ切ったデルマソトガケ の3代母は1981年にアメリカで産まれたエイプリルソネット という馬で,日本での基礎繁殖牝馬となります。ビューチフルドリーマー と同じくファミリーナンバー は12 。
アメリカで2頭の産駒を産んでから輸入されました。1990年から2004年までの間に13頭の産駒を日本で産み,そのうちの7頭が牝馬であったため,牝系が広がっていきました。
一族から最初の重賞の勝ち馬は,1997年に産まれた牝馬から出ています。この馬は競走馬としてもオープンを勝つなど活躍しました。この馬が2004年に産んだのがミリオンディスク 。2009年にカペラステークスを勝って一族にとって初の重賞制覇を達成。翌2010年には北海道スプリントカップ も勝ちました。
ミリオンディスクの6つ下の半妹がアムールポエジー 。こちらは2013年に関東オークス を勝っています。そして繁殖牝馬となってからはデルマソトガケの母になりました。
デルマソトガケは一族の最初の大レースの勝ち馬というわけではありません。エイプリルソネットが1992年に産んだ牝馬の孫に,ワイドファラオ がいます。2019年にニュージーランドトロフィーとユニコーンステークスを勝つと,翌2020年にはかしわ記念 を勝っています。
デルマソトガケまでで一族からの重賞の勝ち馬は4頭しかいません。ただ未勝利で終わるような馬はそれほど出ていない一族です。こうした一族が代を経て活躍馬を量産するようになるということはそれなりにあることですから,エイプリルソネットがそのような基礎繁殖牝馬となる可能性は残っていると思われます。
第二部自然学①補助定理二 は,第二部定理三八系 を論証するにあたっては有効ではありません。この系Corollariumは,現実的に存在する人間は外部の物体corpusと何らかの関係をもつことを前提しているといえます。このことを暗黙の前提とすることについては,僕は否定しません。第二部自然学②要請三 から明白だといえるからです。また現実的に存在する人間の精神 mens humanaによる認識 cognitioについていうなら,第二部定理一四 から明らかだといえるでしょう。逆にいえばスピノザは第二部定理三八系を証明するにあたっては,これらの要請Postulatumと定理Propositioとに合わせて訴求する方がよかったであろうと僕は思います。
これはスピノザの過失といえば過失といえるのかもしれません。この過失はきわめて微細なものであって,僕にとってはさして問題とするに値するようなものではありません。ただ,ドゥルーズGille Deleuzeが第二部定理三八 と第二部定理三九 を,共通概念 notiones communesの適用の論理と形成の論理とに分けて考えているということに対しては,いくらかの影響を与えた可能性も残ります。少なくとも第二部定理三八系を第二部定理三八と合わせて理解するなら,いい換えれば定理と系を一体化したものと考えるのであれば,第二部定理三八と第二部定理三九を,ドゥルーズが示したような仕方で分節することはできなかったかもしれないからです。
ここまで僕が示してきたことは,第二部定理三七 および第二部定理三八で,すべてのものに共通するといわれているときの,共通ということをどのように解するべきなのかということと関係してきます。もっとも第二部定理三七は,すべてのものに共通するものは個物 res singularisの本性 essentiaを構成しないといわれているだけであり,この個物の本性というのは現実的に存在するある個物,現実的に存在する物体corpusの本性と解することができますから,単にすべての物体に共通するものと理解してもよいかもしれません。しかし第二部定理三八は共通するものの観念ideaについて言及されているのですから,それと同じように解することはできません。その共通するものの観念は,現実的に存在する外部の物体と接触することによって,接触した人間の精神のうちに形成されるということになっているからです。
ホープフルステークス を勝ったドゥラエレーデ の祖母は2006年にアルゼンチンで産まれたマルペンサ という馬です。Malpensaはミラノにある国際空港の名前。ナイスランディング ,ローザネイ と同じくファミリーナンバー は1-w 。
アルゼンチンでGⅠを3勝した馬。競走生活を引退した後で輸入され,繁殖生活は日本で送りました。
輸入されて最初に産んだのがサトノダイヤモンド 。2016年のJRA賞 で最優秀3歳牡馬に選出されました。
その後に残した産駒は3頭だけ。すべて現役は退いています。この3頭のうち,サトノダイヤモンドのひとつ下の半妹とふたつ下の半妹は牝馬で,いずれも繁殖牝馬になりました。ドゥラエレーデの母になったのはふたつ下の牝馬の方で,こちらもドゥラエレーデが初めての産駒になります。
マルペンサはすでに繁殖生活を送っていませんので,2頭の牝馬が今後の一族を担っていくことになります。マルペンサもドゥラエレーデの母も,最初の産駒が大レースを勝ちました。サトノダイヤモンドのひとつ下の半妹,つまりドゥラエレーデの母のひとつ上の半姉は,重賞で2着が2回,3着が1回と,未勝利に終わったドゥラエレーデの母よりも競走馬として活躍し,そのために繁殖牝馬となったのは半妹よりも後になりました。産駒は今年が2歳なので,順調にいけば今年か来年にデビューするでしょう。初産駒が活躍する傾向の一族ですから,注目してみるのもよいかもしれません。
第五部定理四二備考 で,賢者が存在することをやめることはないといわれていることは,現実的に存在するある人間の精神 mens humanaのうちに何らかの十全な観念idea adaequataがあるなら,その人間はそのものについて誤謬errorを犯すということはないので,賢者として存在し続けるというように解釈することは可能です。そしてこの解釈が,現実的に存在するある人間についてその人間を賢者という場合,あるいは同じことですが現実的に存在するある人間を賢者としてみる場合に,最も適切な解釈であると僕は思います。しかし一方でこの部分は,それとは別の,字義どおりに近い意味で解釈することもできますので,その解釈についても僕の見解を述べておきます。
第五部定理四二備考 で,無知者は存在することをやめるという場合,それは第一義的に解釈すれば,文字通りに無知者が存在することをやめるのでなければならないということだと僕はいいました。無知者は現実的に存在するある人間として想定されているわけですから,人間が存在することをやめるというのは,その人間が死ぬという意味です。しかしこのような意味でその備考Scholiumを解釈することができないということは明白です。明白であるということを知っていながら僕があえて第一義的にはこのような意味でなければならないということをいっておいたのは,その後の賢者の場合と比較する上でのことです。
賢者は賢者としてみられる限りで存在することをやめないというのは,第一義的には賢者は賢者として存在し続けるという意味なのであって,それは賢者は死ぬことはないという意味でなければなりません。しかしこれは不条理です。賢者として想定されているのも無知者と同様に現実的に存在する人間なのであって,人間は現実的に存在するものとしてみられる限りは必ず存在することをやめるからです。これは生きている人間は必ず死ぬという意味であって,賢者であろうと無知者であろうと関係ありません。もっといえば,持続duratioのうちに存在するいかなるものもいずれは現実的に存在しなくなるので,このことは現実的に存在するいかなる個物res singularisにも妥当します。現実的に存在するとは持続のうちに存在するという意味なのです。
アユサン の母は1995年にアメリカで産まれたバイザキャット という馬です。アマゾンウォリアー ,ファンシミン ,マイグッドネス ,アンティックヴァリュー ,ソルティビッド と,日本で多くの活躍馬が出ているファミリーナンバー が9-f の一族。
アメリカで4頭の産駒を産んでから輸入されました。アユサンは日本で4頭目の産駒で,産駒の中で活躍した初めての馬となりました。
アユサンの5つ下に全妹がいて,この馬は重賞は勝てなかったものの,2017年の阪神ジュベナイルフィリーズで3着,翌年のフィリーズレビューと紫苑ステークスで2着になり,桜花賞とオークスで5着になるなど,2頭目の活躍馬となっています。
アユサンが繁殖牝馬となって5頭目の産駒が朝日杯フューチュリティステークス を勝ったドルチェモア 。こちらもアユサンの産駒としては初の活躍馬といえる存在です。
多くの活躍馬が出ているわけではありませんが,重賞を勝った2頭は大レースまで手が届きました。現状では活躍馬が続出するわけではないけれども,トップクラスまでいく馬がぽつぽつと出てくる一族という傾向になっています。
第四部定理一 の意味は,本来はある人間の精神 mens humanaのうちにあるXの十全な観念idea adaequataは,Xの混乱した観念idea inadaequataの積極性を排除しないということです。つまり,現実的に存在するある人間の精神のうちにXの混乱した観念があるとき,その同じ人間の精神のうちにXの十全な観念が発生したとしても,Xの混乱した観念は除去されないということであり,また同時に,現実的に存在するある人間の精神のうちにXの十全な観念があったとしても,その同じ人間の精神のうちにXの混乱した観念が発生することは妨げられないということです。したがって,ある人間の精神のうちにAの十全な観念があり,それがそれとは別のBの混乱した観念あるいは表象像imagoに移行するということを直接的に意味するものではありません。とはいえ,ある人間の精神のうちにXの十全な観念があっても,その同じ人間の精神のうちにXの混乱した観念が発生し得るということについては明確に肯定しているとみなければなりませんから,ある人間の精神が,Xの十全な観念からXの混乱した観念へと移行するということについては肯定しているとみなければならないのであり,人間の精神が十全な観念から混乱した観念へと移行し得るということについては,この定理Propositioが認めているとみてよいでしょう。
したがって,ある人間の精神が十全な観念だけにとどまるということはないのであり,第五部定理四二備考 で賢者が存在することをやめないといわれているとき,賢者は何らかの十全な観念から混乱した観念へと移行することはないという意味に解するのは無理があると僕は考えるのです。ただこの意味でも解釈することができないとなると,そこの部分でスピノザがいわんとしていることが何であるかということを考察する際に,あり得るとした解釈のすべてが否定されてしまうことになります。しかしそれらのうちのどれかに解釈することができるのは確実だといわなければならいので,ここまでの考察を生かした上で,再び適切な解釈はどれであるのかということを考えていきます。
第四部定理一は,Xの十全な観念とXの混乱した観念が,現実的に存在する同じ人間の精神のうちに同時に存在するということも示します。
JBCスプリント を勝ったダンシングプリンス の輸入基礎繁殖牝馬は3代母のスコッチプリンセス です。ファミリーナンバー は11-f 。
1970年にアメリカで産まれた馬。繁殖生活は日本だけで送りました。繁殖生活中に産んだ牝馬は5頭いましたが,現在も続いているのは主にふたつの系統です。
主軸となっているのは1986年に産まれたサワヤカプリンセスの子孫。その馬が1996年に産んだのがサイキョウサンデー で,1999年に中日スポーツ賞4歳ステークスを勝ちました。これがこの一族の最初の重賞制覇。
サイキョウサンデーの3つ下の全弟がデュランダル 。こちらは一族から初の大レースの勝ち馬になりました。
デュランダルの3つ下の半妹は繁殖牝馬となり,ダンシングプリンスの母になっています。
総じていうと,未勝利で終わるような馬はあまり出ず,かといって重賞レベルまで強くなる馬もそれほど出てこなかったという一族。ただ,未勝利馬があまり出ずに何頭かが重賞を勝つまで出世するような一族が,日本で世代を経て大レースまで届くようになるというケースは意外とあります。なのでこの一族からさらに活躍馬が出てくるという可能性も,それなりに残っているのではないでしょうか。
では一般的な意味で,基礎部分を復習するということにどのような意義があるのかということから僕の考えを示していきます。
どのような知識あるいは技術を習得していくにしても,それを習得するためには必ず必須となる部分というものが含まれます。これが一般的に基礎とか基本といわれる事柄です。知識あるいは技術の向上というのは,その基礎的部分あるいは基本的部分を習得した上で可能になります。さらに,知識であれ技術であれ,それを向上していくのには段階というものがあります。いい換えれば,習得するのが容易な知識や技術もあれば,それが困難な知識や技術もあります。もちろんここには各個人による差異があるのであって,Aという知識を習得することは,Xには容易であるけれどもYには困難であるとか,Bという技術の習得はXにとっては困難だがYにとっては容易であるということは生じ得ます。したがって,段階というものがどのような順序を踏んでいくのかということは人それぞれどいえますが,段階というものがあるということについてはどのような人にとっても同一です。
そこで,それぞれの段階に,順序があると仮定します.もちろんその順序は人によって異なるでしょうが,順序があることは間違いないので,順番をつけること自体には問題ないでしょう。このとき段階1というのは,その知識なり技術なりを習得するためには必ず身につけておかなければならない基本的な部分であるとします。よって段階1については,その技術なり知識なりを習得するためには,だれであっても習得しておかなければならない段階です。この段階1をクリアすることで,段階2に進むことができます。実際には段階1から進む段階2は,段階2-A,段階2-Bというように,複数が存在することが普通ですが,ここでは説明を容易にするために,そうした種別も含めて段階2といっておきます。
この段階は,一般的には無際限に継続します。技術であれ知識であれ,その習得に最終段階があるというのは,現実的には稀なのであって,最終段階があるとするなら,それは便宜的に設定されたものである場合がほとんどであるといっていいでしょう。
天皇賞(秋) を勝ったイクイノックス の輸入基礎繁殖牝馬は4代母に当たるブランシュレイン という馬です。Blanche Reineはフランス語で白の女王。ヴィキュニア と同じでファミリーナンバー は16-b 。
1982年にフランスで産まれた馬。2頭の産駒をフランスとアメリカで産んだ後で輸入されました。
日本で最初に産んだ産駒が牝馬で,競走生活では5勝。その後に繁殖牝馬になりました。この馬がサクラバクシンオー と配合されて産まれたのがブランディス 。降雪のために延期され,2004年1月に実施された中山大障害と,同年4月の中山グランドジャンプを勝ち,JRA賞でこの年の最優秀障害馬に選出されました。
ブランディスのひとつ下の半妹は競走生活は2勝。繁殖入りした後で,キングヘイロー を父とする,2015年のマーメイドステークスを勝ったシャトーブランシュ の母になりました。
シャトーブランシュが繁殖牝馬となって2頭目の産駒がキングカメハメハ が父のヴァイスメテオール 。昨年のラジオNIKKEI賞を勝っています。そのひとつ下の半弟が,キタサンブラック と配合されたイクイノックスになります。
一族に牝馬の割合が少ないので,分枝が大きく広がっているわけではありません。それでもこれだけの活躍馬を出していますから,少ない牝馬が繁殖入りして,さらに活躍馬が輩出するという可能性はあるでしょう。
第三部定理二 は真理 veritasです。したがって,人間の身体humanum corpusは自分の精神mensを思惟作用に決定するdeterminareことはできません。そして人間の精神は自分の身体を運動motusや静止quiesに決定することもできません。僕はこの定理Propositioをテーマとして設定して深く論考したことがありますが,そのときに,この定理が真理であるということを,単に論理的に示しただけではなく,僕たちの経験的にもそうでなければならないということを示しました。ですからこの定理が真理であるということについてはここでは繰り返しての説明は与えません。ただ,僕たちが現に生きているこの社会では,むしろこの定理は虚偽falsitasであるとされているのであって,人間の精神が自分の身体を運動にも静止にも決定することができるということになっています。
同様のことは第二部定理四九 および第二部定理四九系 についてもいえます。これらの定理や系Corollariumも真理なのであって,これについてもまた僕は単に論理的に真verumであるということだけではなく,僕たちが事物を認識するcognoscereあり方を反省的に考えることによって,経験的にも真でなければならないということを示してありますから,ここではそれを繰り返すことはしません。ただ僕たちが生きている現代社会あるいは近代社会においては,むしろ虚偽とされているのであって,人間の精神を構成する諸々の観念ideaには限界があるのだとしても,同じ人間の精神にはそれを超越する自由意志voluntas liberaが備わっているのであり,その限りにおいては意志と観念は同一ではなく,意志は観念を超越するということになっています。そもそもスピノザの哲学では,第二部定理四八 で,人間の精神には自由意志は備わっていないとされているばかりでなく,第一部定理三二系一 により,神 Deusにも自由意志は備わっていないとされているのですから,これでみればスピノザの思想の形而上学に該当する部分,とくに第二部定理四八と第二部定理四九,そして第二部定理四九系を支えている形而上学的部分が,現代社会では虚偽であるとされていることになります。
このように,反省的に考えれば真理とされなければならない事柄が,社会において虚偽とされるということは,実はさほど不自然なことではありません。
エリザベス女王杯 を勝ったスタニングローズ の4代母は1988年にフランスで産まれたローザネイ という馬です。このローザネイを起点とした一族は薔薇一族といわれ,日本で大きく発展しました。ナイスランディング と同族で,ファミリーナンバー は1-w 。
繁殖生活は日本だけで過ごしました。初仔が牝馬のロゼカラー 。1995年にデイリー杯2歳ステークスを勝ってすぐに重賞の勝ち馬が輩出しました。ロゼカラーの3つ下の半弟がロサード 。この馬は1998年に新潟3歳ステークスを勝つと翌年には京阪杯を制覇。2001年には小倉記念,2002年にオールカマー,2003年にまた小倉記念と,重賞を5勝しました。さらにその4つ下の全弟がヴィータローザ 。この馬は2003年にラジオたんぱ賞とセントライト記念,2006年に中山金杯と重賞3勝。
ロゼカラーが繁殖入りしての初仔がローズバド 。2001年のフィリーズレビューと2003年のマーメイドステークスと重賞を2勝しました。ローズバドの4つ下の全弟はローゼンクロイツ 。2005年に毎日杯,2007年に中京記念と金鯱賞を勝ち重賞3勝。
スタニングローズはローズバドの初仔の産駒になります。
ローズバドの産駒にはローズキングダム もいます。この一族で初の大レースの勝ち馬になったのがこの馬でした。
ここにきてさらに大レースを勝った牝馬が出てきました。なのでこの一族はさらに繫栄していくことになるでしょう。
第一部定義六 は,絶対に無限な実有ens absolute infinitum,あるいは無限に多くの属性infinitis attributisからなっている実体substantiamを神Deumと定義しています。しかしこれは何度もいっていることですが,そうした実有あるいは実体が,神と定義されなければならない根拠は何もありません。別に神とは異なった記号で表現されても構わないのです。ただその場合,たとえばそれが神ではなくXと記号化された場合には,『エチカ』あるいはスピノザの思想で神といわれている部分が,すべてXといわれなければならないというだけのことです。したがってスピノザは第一部定理一一 で,神は存在するということを論証していますが,そこでそれが存在すると論証されているのは第一部定義六でいわれている神なのですから,この神を神ではなくXと記号化するなら,存在すると証明されるのは神ではなくXになるということです。
しかし,神とXが同じように定義されて,単に記号表現としてのみ差異があるのであれば,これらふたつの形而上学は,記号の表現上の相違があるだけで,その内容は事実上は同一であるということになるでしょう。いい換えれば,同一の形而上学が異なった記号で表現されるということは現にあり得るのです。これが形而上学には正解があるわけではないということで僕がいいたいことの意味です。ですから形而上学を支える定義 Definitioに関しては,時として振り返っておくことはとても意義のあることだと僕は考えているのです。
ここまでは形而上学一般の場合です。これをさらにスピノザの思想とそれを支える形而上学に限定した場合には,さらに特有の事情が発生してきます。このことは,『はじめてのスピノザ 』でも注意が与えられているのですが,それは比喩的な注意になっていますので,僕の説明の後で紹介します。この國分の比喩は絶妙な比喩だと僕は思いましたが,それはスピノザの思想に特有の事情が何であるかを理解した後の方が,おそらく腑に落ちてくるでしょう。
スピノザは第三部定理二 で,人間の精神 mens humanaが自分の身体corpusを何らかの運動motusや静止quiesに決定するdeterminareことはできないといっています。もちろんここにも形而上学的な支えがあります。そのひとつは,第一部公理五 であるといえます。
桜花賞 を勝ったスターズオンアース の母は,2013年にイギリスで産まれたサザンスターズ です。そしてその母で,2006年にフランスで産まれたスタセリタ という馬も,その前に輸入されています。日本での母系はこのスタセリタから始まっています。セリエンホルデとサロミナ の7代母が,スタセリタの7代母にあたる同一牝系でファミリーナンバー は16-c 。
スタセリタはGⅠを6勝した名馬。サザンスターズが最初の産駒で,サザンスターズを生んだ後,種付けをされた状態で輸入されました。来日してから産んだのがソウルスターリング 。2016年に阪神ジュベナイルフィリーズ を勝ってJRA賞 の最優秀2歳牝馬に選出されると,翌年はチューリップ賞とオークス を勝ち,JRA賞 の最優秀3歳牝馬に選出されました。
ソウルスターリングのふたつ下の全妹がシェーングランツ 。この馬は2018年にアルテミスステークスを勝っています。
サザンスターズはおそらくソウルスターリングの活躍があったため,最初から日本で繁殖生活をスタート。スターズオンアースは日本で2頭目の産駒となります。
これだけ短期間で大レースの勝ち馬が2頭出ていますし,その2頭を含む重賞勝ち馬の3頭がいずれも牝馬ですから,日本でも牝系が発展していきそうです。現時点で気掛かりなのは,ソウルスターリングはオークスを勝った後,シェーングランツはアルテミスステークスを勝った後,いずれも勝てなかったように,やや早熟の傾向がみられること。その意味では世代を経たスターズオンアースが,これ以降どのくらい活躍することができるのかという点に,血統面から注目しています。
第四部定理三五 は,人間は理性 ratioの導きに従う限りでは,本性naturaが一致するといっています。いい換えればこの限りにおいては人間が対立的であるということはありません。それがスピノザのいう敬虔pietasの意味なのですから,人間は理性に従う限りでは敬虔であるということになります。これはもちろん,キリスト教の信者であるかないかということとは関係ありません。キリスト教徒だけが理性の導きに従うことができるというわけではないからです。たとえキリスト教を信じていなくても,あるいは同じことですが,イエスをキリストとは認めていないとしても,人間は敬虔であるということができるのです。
一方,スピノザが解するキリスト教の教えのふたつのうちのひとつは,隣人を愛せということでした。人は隣人を愛する限りでは対立的であることはありません。いい換えれば敬虔であることができます。したがって,この教えを遵守する限りでは,人間は敬虔であることができます。つまり,理性に従う人と同じように行動することになるでしょう。よって,理性に従って振る舞う場合と,聖書の教えを忠実に守って振る舞う場合は,その振る舞いの内容は一致します。前者は理性によって,つまり精神の能動actio Mentisによって敬虔であるのに対し,後者は聖書の教えによって,つまり聖書から働きを受けるpatiことによって敬虔であるのですが,振る舞いは一致するのです。つまり,現実的に存在する人間は,ある種の受動passioによって,能動的な人間,スピノザの哲学でいうところの自由の人homo liberと同じように振る舞うことができます。そしてこの限りにおいては,スピノザは受動的であること,本来的には非道徳的なことを,むしろ推奨するのです。
これは今の考察とは無関係ですが,僕はここに示したスピノザの考え方については,論理的な飛躍が含まれているのではないかという疑いをもっています。しかもふたつの論理的な飛躍が含まれているのではないかと思っています。これはこれでスピノザの哲学の探求にとっては重要なことでしょうから,この機会に僕の疑念を説明しておきましょう。
まずひとつは,スピノザがキリスト教の教えといっている,隣人を愛せという点です。