スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

印象的な将棋⑲-18&思う

2025-01-17 11:51:55 | ポカと妙手etc
 ⑲-17の下図で後手が☖3九角と打つと,先手は玉を5七に逃げ出すことができません。
                      
 3八に逃げるか3七に逃げるかの二者択一ですが,検討していく手順ではどちらに逃げても同じです。なので変化が少なくなる☗3七玉の方にします。
 ここで後手に鬼手があります。それが☖2八角成です。
                      
 この手があるなら先手玉の逃げ場が3七であろうと3八であろうと同じなのは明白でしょう。
 でいったように,この将棋を取り上げたのは,時間を掛けて検討したにも関わらず,結論に誤りが含まれていたからです。ただ当該記事から理解できるように,この☖2八角成という手自体は,僕は自身の検討で発見していました。この手を発見したときは我ながら興奮したことを今でもよく覚えています。

 この部分の吉田の考察については,議論が錯綜しているように僕には感じられます。
 まず吉田は,スピノザがデカルトRené Descartesがいった「我思うゆえに我ありcogito, ergo sum」を読み替えたといっていますが,僕は必ずしもそう考えていません。少なくともデカルトがいっていることを三段論法と解すれば,デカルトの主張が通らないということをスピノザは指摘しているのであって,デカルトがそれを単一命題であるということを意識していたかは別として,これを三段論法と解してはいけないということ,いい換えれば単一命題として解さなければならないということは事実だと思います。ただしこの点については僕は争いません。スピノザがデカルトがいった命題は単一命題であると解説したという事実が重要であるからです。
 次に,デカルトが仮にそれを三段論法と思っていたとしようと単一命題であると思っていたとしようと,そこでいわれている思うということが,思惟作用一般を意味することはできません。ここまでの考察から理解できるように,このことは吉田も認めています。ここでいう思うというのは,精神の能動actio Mentisを意味するのでなければならないのであって,精神が受動するaffici場合,スピノザの哲学でいえば,たとえば精神が事物を表象するimaginariような思惟作用は思うということには含まれません。その場合はそこから我ありという帰結が導出されなくなるからです。つまりデカルトは私の精神は考えつつあるといったというようにスピノザは解説したのですが,この考えるconcipereというのは精神の能動だけを意味するのであって,たとえば私は表象しつつあるというようにはデカルトは主張してなかったということになるのです。
 そして,スピノザが,私は考えるということを肯定するというときに,吉田は第二部公理二に訴求していますが,この公理Axiomaは思惟Cogitatio一般について言及されている定理Propositioですから,精神の能動だけを意味するわけではなくて,精神の受動passioも同時に含みます。つまり概念conceptusと知覚perceptioの両方を意味しているわけですから,スピノザは,デカルトがいっている,私が概念するconcipereということだけを肯定するaffirmareわけではなく,私は知覚するpercipereということも同時に肯定していることになるのです。
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印象的な将棋⑲-17&大局

2025-01-11 11:22:20 | ポカと妙手etc
 ⑲-16で示したように,⑲-15の下図から☖7八角と打っていくのはわりと分かりやすい手順で先手の勝ちになります。そこでその局面では☖7八銀と銀の方から打っていくのですが,これが先手にとってはとても難敵となります。
                      
 先手の対応は☗5九玉しかありません。☖7九龍☗4八玉まで,先手の対応は同じになります。
                      
 後手は角を持駒に残してあります。なのでこの局面では☖3九角と打つ手が生じるのです。これで先手は5七には逃げることができません。しかし先手が勝ちになる筋がひとつだけ残されているのです。次回からはその対応策を検討していくことになります。

 吉田はブルーメンブルクHans Blumenbergの整理に従って,中世後期のキリスト教スコラ哲学は,大局的には主知主義的な神Deusの理解から主意主義的な神の理解へと移行する流れの中にあったとしています。永遠真理創造説や連続創造説はその流れの延長上にあるといえるでしょう。吉田はこのふたつの説をデカルトRené Descartesとだけ関連付けた説明をしていますが,永遠真理創造説も連続創造説もデカルトに特有の理論であるわけではないので,スコラ哲学がそのような流れの中にあって,デカルトもその流れの中にいたと解釈します。
 この主知主義から主意主義へと向かう流れを断ち切ることになったのはスピノザだと吉田はいっています。ここから吉田のスピノザの哲学の考察が開始されるのですが,そこではスピノザの哲学が主意主義および主知主義と関連付けて探究されているわけではありません。なので,吉田の考察の分析の前に,スピノザの哲学を主意主義および主知主義と関連付けて説明するならどのようになるのかということを,僕が考察してみます。
 まず端的にいえるのは,スピノザの思想に示される神が,主意主義的な神であることはできないということです。これは単純なことで,もしも神を主意主義的に理解しようとするのであれば,デカルトが現にそうしていたように,神に自由意志voluntas liberaを帰する必要があります。少なくとも神が自由な意志によって真理veritasを創造したというように解せるのでなければ,神を主意主義的に解することはできないからです。連続創造説が必要とされるのはなぜかということの考察から,これは明らかだといえるでしょう。ところが第一部定理三二系一にあるように,スピノザは神に自由意志があるということを否定します。ですからスピノザの哲学における神が,主意主義的な神であるということはありません。
 ではスピノザの哲学における神は主知主義的な神であるのかといえば,単純にそのように断定できるというわけでもありません。たとえば,神が全知全能であるということをスピノザが否定するnegareかといえば,否定はしないと僕は考えますが,スピノザは神が世界を創造するcreareということ自体を,僕たちが解するような意味では否定すると思うのです。
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印象的な将棋⑲-16&編集の情報

2024-12-20 18:49:32 | ポカと妙手etc
 ⑲-15の下図は先手が金を取っていますので,☗7二金から後手玉は簡単に詰みます。受けても7四の飛車が取られる形ですから後手玉に受けはありません。したがって後手が勝とうとするならこのまま先手玉を詰ますほかありません。
 まず⑲-13の変化を確認しておきましょう。⑲-15の下図から☖7八角です。
                      
 ここから☗5九玉☖7九龍☗4八玉☖3六桂。
 ここで☗3七玉は☖3九龍で先手玉が詰むのは同じ。なので☗5七玉と逃げます。
                      
 ここでの☖6六金は☗同馬があり,それ以上の王手が先手玉にはありません。なのでこの変化は明快に先手の勝ちです。
 ただし⑲-15の下図にはさらに別の変化があり,そちらの方がずっと難解なのです。次回からはそれを順に検討していきます。

 ステノNicola StenoはチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausからバチカン写本を巻き上げました。そのチルンハウスは,スピノザの遺稿集Opera Posthumaの編集者がだれで,どこでそれが編集されているのかということをおそらく知っていました。しかしステノが異端審問所に提出した上申書の内容に,その情報は書かれていませませんでした。もしステノがそれを知っていたら,努力しすぎてしすぎるということはないとまで書いているのですから,それを秘匿する理由はまったくありません。ということはステノはその情報を知らなかったと確定してよいでしょう。つまりチルンハウスはおそらく知っていたであろうその情報を,ステノには伝えなかったということになります。つまりチルンハウスはバチカン写本を巻き上げられるという,そういってしまってよければ失態を犯してしまったわけですが,スピノザの遺稿集に関連する重要な情報については,ステノに対して秘匿していたのです。
 こうした事情から,ステノのおとり捜査というものの実態が,より明らかになってくると僕には思えます。そこで僕は,現時点ではこの一件の最も大きな可能性は,次のようなものであったと推定しておきます。
 イタリア,たぶんローマでステノとチルンハウスは知り合いました。そのとき,事前の情報として,チルンハウスがスピノザの晩年のよき文通相手であったということをステノが知っていたか知らなかったかは定かではありません。もしも知っていたなら,ステノは最初からおとり捜査を目的としてチルンハウスに近づいたのでしょう。そうでなく,知り合ってからそのことを知ったのであれば,おとり捜査はその後にステノによって企てられたということになります。この点は僕はどちらの可能性も同等に評価します。
 チルンハウスに接近したステノは,自身が信頼に値する人物であるということをステノに思い込ませることに成功しました。つまり,パリでチルンハウスがライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizに対して抱いたのと同じような思いを,チルンハウスに思わせることに成功しました。元は科学者であり,かつスピノザとも親しく交際していてスピノザの思想をよく知っていたステノにとっては,それは難しいことではなかったと思います。
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印象的な将棋⑲-15&遺稿集への掲載

2024-12-04 18:57:45 | ポカと妙手etc
 ⑲-14の最後のところでいったふたつの手の思想をミックスする順というのは,次のようなものです。
 ⑲-10の第2図では,まず☗7四銀と打ちます。これには☖同飛の一手で☗6三銀の王手飛車取りを掛けます。これにも☖7一王です。
                     
 ここで☗7四銀成と飛車を取ってしまうのは⑲-13の変化に進んで先手の負けです。
 ⑲-13の第2図の☖6六金を打たせないというのが⑲-14の変化でした。なので上の図で飛車を取らずに金の方を取る☗2二角成というのが,ふたつの思想をミックスした手になります。
                     
 銀を渡したのに飛車を取らず金の方を取るというのはとても考えにくい順です。ところがこの図は先手の勝ちなのです。ここから後手が先手玉を攻めてくることになりますが,先手がそれをどう受けていくのかということをこれから検討していくことになります。

 これまでに何度か書いてきたことではありますが,僕はかねがね書簡六十七の二が遺稿集Opera Posthumaに掲載されなかったことを不思議に思っていました。これは次のような事情によります。
 この書簡は20世紀になってから発見されたものです。現在の『スピノザ往復書簡集Epistolae』はゲプハルトCarl Gebhardtが編纂したものが元になっているものが多いのですが,この書簡はその編纂よりも後になって発見されたものなので,後に加えられました。その際に書簡六十七の二として,収録されたのは,この書簡が書簡六十七と関連したものであったからです。
 書簡六十七はアルベルトAlbert Burghがスピノザに送ったものであって,ステノNicola Stenoが書簡六十七の二の中でスピノザにしているように,カトリックの立場からスピノザの思想を批判するものです。なのでここに挟まれることになりました。書簡六十七には1675年9月3日付という記述があります。書かれた時期もそれほど変わらないとみられているのです。
 書簡六十七の方は遺稿集に掲載されました。ところがその内容は,確かにカトリックの立場からスピノザの思想を批判することを企てているものの,書簡六十七と書簡六十七の二との間には大きな相違があります。書簡六十七というのは単にアルベルトがスピノザに対して罵詈雑言を浴びせているだけの内容なのですが,書簡六十七の二はそのような罵詈雑言はみられず,むしろそういってよければ知性的にスピノザを説得しようとしているのであり,と同時に,スピノザがその説得に応じることはないだろうということをステノ自身が心得ているような記述になっているのです。したがって,書簡六十七と書簡六十七の二を比較したときに,どちらが遺稿集に掲載するに相応しい内容を有していたのかといえば,これは圧倒的に書簡六十七の二の方なのです。ところが遺稿集の編集者たちは,書簡六十七の方は遺稿集に掲載したのに書簡六十七の二の方は掲載を見送りました。これが僕には不思議に思えてならなかったのです。
 書簡六十七と書簡六十七の二に書簡六十七の方を優先的に遺稿集に掲載する理由がなかったというわけではありません。スピノザはアルベルトには返信を送っているからです。
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印象的な将棋⑲-14&ベントーとガブリエル

2024-08-18 19:27:24 | ポカと妙手etc
 ⑲-10の第2図で⑲-13の第2図の変化が負けであることを理解した先手は,☗7四銀とは打たずに☗2二角成と金を取りました。
                         
 これは⑲-13の第2図の変化に進んだときに☖同馬と取ることができるというのが主旨で,こうしておいてから☗7四銀と打とうという狙いです。
 ただしこの手には大きな難点がありました。それは第1図自体が後手玉に対する詰めろにはなっていないということです。つまりこの局面で後手は一手の余裕を得ることができ,それが後手の勝利に直結しました。なので第1図は局面としては逆転していて後手の勝ちです。
 まず☖7八金と王手をして☗5九玉と逃げたところで☖5四歩と金を取ります。
                         
 この手が発生したのが後手には大きかったです。この手は先手玉に対する詰めろにはなっていないのですが,先手玉が上部に脱出するのを防ぐ手になっています。さらに先手の馬筋をずらしさえすれば先手の玉が詰むようになっているのです。
 ⑲-10の第2図で,☗7四銀でも☗2二角成でも先手の負けなら,その時点ですでに先手には勝ちがなかったように思えます。しかし実際にはそうではありません。ふたつの手の思想をミックスすれば,先手に勝ちが残っていたのです。

 母方の祖父の名前を次男が受け継ぐこともこの当時の慣習であったようです。なのでバルーフBaruchという名前を受け継いだスピノザは,次男ということになります。したがって残るガブリエルは三男ということになります。つまりスピノザにはイサークという兄がいて,ガブリエルという弟がいたということは,史実として確定させてよさそうです。
 ガブリエルがスピノザの弟であったことは,ほかの要素からもうかがうことができます。スピノザは父であるミカエルが死んだ後,店を相続して商人として活動していました。この店の名前がベントーとガブリエル・デ・スピノザ商会でした。ベントーというのはバルーフのポルトガル語です。兄弟で店を経営してその名を店舗の名称とするなら,普通は兄の名前が先で弟の名前が後になるのではないでしょうか。このことからも,スピノザが兄でガブリエルが弟だったことが推測されます。なお,兄であるイサークはこの時点ですでに死んでいたので,店を相続することは不可能でした。イサークが死んだのはスピノザが17歳のときであったと『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』では確定的に記述されています。
 残るふたりの姉妹がどういう順で産まれたのかを史実として確定させるのは難しいと吉田はいっています。まず確定できるのは,ミリアムはスピノザの姉であるということです。これは1650年6月にミリアムが結婚したときに出された婚姻届からはっきりしていて,その時点でミリアムは21歳とされています。スピノザが産まれたのは1632年ですから,このとき17歳か18歳です。つまりミリアムはスピノザよりも3つか4つ上の姉だったことになります。
 イサークとミリアムのどちらが年上かは確定できないようです。一般的にはイサークが先に産まれ,ミリアムがその後に産まれたとしている伝記が多いです。つまりイサークが兄でミリアムが妹というものです。しかし吉田は,ミリアムが姉でイサークが弟ではないかという説を呈示しています。これは5人の母の経歴と関係します。
 スピノザの母であるハンナは,父のミカエルにとって最初の妻ではありませんでした。前妻のラヘルとの死別後の再婚相手だったのです。
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印象的な将棋⑲-13&2023年10月の通院

2024-08-09 19:00:26 | ポカと妙手etc
 ⑲-12の第2図では後手は☖7八角と打ちます。
                         
 先手は☗5九玉と逃げるのですが☖7九龍と桂馬を取って追います。これで☗4八玉に☖3六桂と打てるようになります。
 ☗3七玉と逃げる方が手数としては長いのですが,それは☖3九龍として先手玉が詰みます。この変化は実戦の指し手や先手の勝ち筋とは関係ないので割愛します。
 ☗5七玉とこちらに逃げたときには☖6六金があります。
                         
 取る一手ですが角筋が通って☖5六銀で詰みです。
 先手は⑲-10の第2図で,この変化が負けであることは理解しました。なので実戦はそこで☗7四銀とは打たなかったのです。

 9月29日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。そのままО眼科に向かい,診察を受けました。白内障の進行はみられませんでしたので,点眼の治療を継続することになりました。
 10月1日,日曜日。妹をグループホームに送りました。
 10月8日,日曜日。総講でしたのでお寺に行きました。
 10月13日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
 10月14日,土曜日。午後8時半にピアノの先生から電話がありました。翌日のピアノのレッスンの開始時刻の通知でした。
 10月15日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。午後5時半の開始でした。
 10月16日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
 10月18日,水曜日。僕の歯科検診の予約を入れました。
 10月20日,金曜日。18日に予約を入れた歯科検診でした。午前10時から。クリーニングをしただけです。
 10月21日,土曜日。妹の土曜レクリエーションでした。10月の土曜レクリエーションというのは,学校でいうところの文化祭のような催しをすることに決まっています。
 10月23日,月曜日。内分泌化の通院でした。
 病院に到着したのは午後2時20分でした。中央検査室で採血を待っている患者はいませんでしたので,すぐに採血をし,採尿を済ませて注射針の処理をしました。
 診察が始まったのは午後3時20分でした。HbA1cは7.3%で,9月の通院のときよりも上昇していました。ただこうなった理由ははっきりしています。本当は持続効果型のインスリンであるトレシーバを,0.1㎎打たなければならなかったのですが,僕は0.09㎎しか打っていなかったのです。なので処方の注射の量は変更せず,僕が実際に打つ量を増やすという措置になりました。このとき,血糖値が高いときには超即効型のヒューマログを補正注射する方がよいという話がありましたが,これは将来的なことで,現時点でもまだ実施はしていません。
 この日はこれ以外にP/C比が300で,上限の150を上回るという異常が出ていました。この異常が出たのは同じ2023年の6月以来のことでした。
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印象的な将棋⑲-12&第四部定理三九

2024-07-28 18:56:50 | ポカと妙手etc
 ⑲-11で詳しく検討したように,⑲-10の第2図の後手玉には即詰みはありません。では先手玉はどうかというと,先手玉にも詰みはありません。なので先手は後手玉に詰めろを掛けることが最初の発想として浮かびます。
 ⑲-10の第2図で先手が後手玉を攻めていくとすれば,最初に思い浮かぶのは☗7四銀で,先手の第一感もこの手でした。
                                        
 この手は詰めろなので後手は☖同飛と取る一手です。
 そこで☗6三銀と打つと王手飛車取りが掛かります。逃げ場所はいくつかありますが,結論はどこでも同じなので,ここでは☖7一王と逃げておきます。
 王手飛車をかけたのですから普通は☗7四銀成と飛車を取ることになります。
                                        
 第2図は後手玉に分かりやすい詰めろが掛かっています。ところがこの図は後手の勝ちなのです。この手順中,銀を渡してしまったために,先手玉が即詰みになっているからです。次回はその詰みがどういう手順であるのかをみていきます。その手順が,実際に先手が指した手にも,先手が勝ちとなる手順にも大きく関係してきます。

 スピノザが聖書の有用性に言及したのは『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』です。それを國分は善悪を巡る政治的発想といいます。これに対して善悪を巡る倫理的発想があって,スピノザはそのふたつを分けているというのが國分の見方です。この倫理というのは自己の利益suum utilisを基礎とした倫理です。その倫理がどのように規定されているのかを探求していきます。
 スピノザは第四部定理三九で,次のようなことをいいます。
 「人間身体の諸部分における運動および静止の相互の割合が維持されるようにさせるものは善である。これに反して人間身体の諸部分が相互に運動および静止の異なった割合をとるようにさせるものは悪である」。
 ここでは運動motusと静止quiesの割合ratioということがいわれていますが,これは多数の個物res singularisによって組織される複雑なひとつの個物は,運動と静止の割合が一定であるから,そのひとつの個物の形相formaを維持することができるということです。ですから運動および静止の相互の割合が維持するように努めるconariということと,自己の有esseを維持するように努めるというのは同じことです。すなわちこの定理Propositioは,コナトゥスconatusの維持は善bonumであって阻害は悪malumであるといっているのです。ただしこの定理には真新しいところが含まれています。それはこのコナトゥスの維持および阻害が,個物の現実的本性actualis essentiaという観点からいわれているのではなく,個物を構成する諸部分という観点から言及されているという点です。第二部自然学②要請一から分かるように,人間の身体humanum corpusは多くの個体から組織されているわけですが,その個体というのもひとつの個物であって,各々のコナトゥスを有するのです。
 ここから分かるように,たとえば現実的に存在する人間の身体は各部分から構成されていて,人間の身体には運動と静止の割合というある構成関係があるのであって,この構成関係がその人間の身体のコナトゥスを支えているのです。だからここには,諸部分,諸部分の構成関係,さらに諸部分において作用するコナトゥスという,みっつの水準が含まれている,いい換えればこの定理は,これらみっつの水準から語られているのだと國分は指摘しています。これを殴打と関連付けてみましょう。
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印象的な将棋⑲-10&乖離

2024-07-06 19:18:32 | ポカと妙手etc
 ⑲-9の第1図で先手の予定は☗6四角だったのですが,読みを入れてみると後手玉が寄らず,負けになるということを理解しました。そこで予定を変更して別の手を指しました。それが40分の考慮で指された☗3一角です。
                                        
 この時点で残り時間は先手が4分で後手が3分。ここから最善の手順が続きます。長いので今回は実戦の手順だけを追います。
 飛車取りなのでこれは☖5三歩と受ける一手。
 ☗4四金と☗6四金のふたつの手が有力ですが☗6四金は☖4六歩☗5三金☖6一王☗2二角成と進むのですが,これは後手が受け切れます。なので☗4四金。
 同じようですがこれは後で☗6四桂と打つことができますので,☖4六歩は後手の負け。なので☖7三飛と引いて5三の地点を受けました。
 これにも先手は☗6四桂。5三の地点を受けておかなければならないので☖6二王はこの一手。先手は☗5四金と銀を取りました。
 ここで後手は反撃に出ます。☖8九飛の王手。合駒するほかないのですが,銀を打ってしまうと後手玉が寄らないので☖4六歩で先手の負けです。なのでここも☗7九桂の一手。
 後手が☖7七歩成と成り捨てるのはタイミングで,もし☗2二角成の後だと☗同馬の余地を与えてしまいます。
 ☗同金は☖8八銀がありますから☗同歩もこの一手。そこで後手は1分将棋なるまで考え,☖8八銀と打っていきました。
 先手もここで1分将棋まで考えます。とはいえ詰めろなのですから指す手は☗8八同金しかありません。後手の☖同飛成もこれ以外にないところ。
                                        
 第2図がこの将棋のクライマックスとなりました。

 理性的に結論付けられる政治理論と,現実的に存在する人間が行う政治的実践の間には乖離があります。國分がいう社会契約の弁証法的展開が,その乖離を埋めることに役立っていることも僕は認めます。具体化は,現に契約pactumが履行されている場合に社会契約が成立しているとみなすのですが,それは逆にいえば,社会契約が履行されなくなったらその社会契約は消滅したという意味です。したがってそこでいわれる社会契約は,絶対的なもの,國分のいい方に倣えば神話的なものではないのであって,履行されたり履行されなかったりすることで,締結と解除を繰り返していくものです。これは政治を実践していくにあたっては根幹をなすべき事柄であって,社会societasがあるいは国家Imperiumが市民Civesに対して絶対的な権限を有することを否定するnegareことに役立つでしょう。
 一方,二重化は,社会契約と別の価値の内面化を個人に託すものですが,その別の価値,たとえば神Deusとの契約を内面化することによって,諸個人は社会に有益な道義心pietasをもつことになります。ここでいう道義心とは,敬虔pietasのことです。すなわちそれはある思想信条を意味するのではなく,その思想信条から発生する行為行動を意味します。この契約によって諸個人は,自然権jus naturaeを全面的に行使することを受動的に抑制することになるのですから,その結果effectusはその諸個人が理性ratioに従っているのと同じことになるでしょう。よって社会はそれにより,諸個人が社会契約を履行している状態になることになるのであって,政治的実践が政治理論に合致していくことになります。
 ただこれはあくまでも,理論と実践との間にある乖離を埋めるのに役立っているということであって,社会契約を概念notioとして用いる政治理論そのものに限界があるというのが僕の考えです。つまり,『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』においても,スピノザは理論と実践との間にある乖離を埋めることを目指していて,それは成功していると思うのですが,そもそもこの政治理論には無理があるのであって,その無理を埋めるためにスピノザは苦労していると僕はみます。人間が常に理性に従うわけではないということを前提に,政治理論も組み立てられるべきだと僕は考えます。
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印象的な将棋⑲-9&二重化

2024-06-29 19:25:36 | ポカと妙手etc
 ⑲-8までの検討から明らかになったように,⑲-2の第2図で後手が☖4六歩と銀を取れば,細い道筋ではありますが後手に勝ちがあるということは分かりました。ただ実戦は後手はこの勝ち筋に進むことができず,☖5四同銀と取っています。
                                        
 この手を境に局面は先手の勝ちになりました。ただこれも難しい手順です。
 まず第1図では,☗6四角と打つ手が目につきます。これは飛車取りなので☖7二飛と逃げる一手。そこで☗3一角成と金取りに成っておきます。
 その局面で後手が窮しているようなのですが,☖4三玉と逃げる手があります。
                                        
 第2図になると後手玉がどうしても寄らないのです。先手は最初はこの手順を読んでいたようですが,第2図に進むと勝てないと判断し,修正手順に進めました。それが正しい修正だったので,局面は先手の勝ちが続くことになります。

 國分が指摘しているふたつのポイントとは,社会契約の二重化と社会契約の具体化です。それぞれ何を意味しているのかをみていきます。
 まず,社会契約の二重化というのは,宗教的な観点からなされています。たとえば現実的に存在する人間が神Deusの法lexに服従するというとき,神の法に服従しなければならないことをその人間は生まれついて知っていたわけではありません。そもそも自然状態status naturalisというのを想定するなら,そこには単に法がないというだけでなく,宗教religioもまたないといわなければならないからです。つまり,何らかの宗教状態というのを僕たちに想定するのであれば,自然状態はその宗教状態に先行することになります。したがって,もし宗教状態において人間が神に服従するというなら,それは神との契約pactumによって服従するといわれなければならないことになります。ホッブズThomas Hobbesの社会契約論はこうしたことまで想定しているとはいえないと僕は考えますが,もしも社会契約という概念notioを導入するのであれば,自然権jus naturaeを放棄することが契約であるというのと同じように,神に対する服従obedientiaも契約でなければならないとスピノザは主張するのです。よってこの契約によって,人びとは自らの自由libertasを譲渡する,あるいは同じことですが,自身の権利を神に譲渡することによって,宗教状態が成立することになります。これは『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』では第十六章の十九節で探求されています。
 ただし,スピノザは自然権を放棄することはできないと考えているのですから,この場合もそれと同じように考えなければなりません。そうではなく単に神と契約を結んだ人間が,道義心pietasに従うようになったということを意味します。あるいは,自然権を発揮する力potentiaを自制するべき場面があることを理解したというほどの意味です。スピノザにとっての宗教というのは神への服従を意味し,具体的には神を愛するということと隣人を愛するということを意味するということは,すでに別の考察で何度もいってきたことです。したがって,現実的に存在する人間が宗教状態において神と契約するとは,神を愛するということと隣人を愛するということをその人間が内面化するという意味です。
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印象的な将棋⑲-8&第四部定理四七備考

2024-06-15 19:07:22 | ポカと妙手etc
 ⑲-7の第2図は,先手玉は詰まないのですが局面は後手の勝ちです。なぜならここで☖5八とと金を取る手が成立するからです。
                                        
 ここまできてしまうと盤上の駒の数に違いがありますから,先手が受け切るということはできません。受け続けていけばいわゆる一手一手の寄りになります。なので先手が勝つためにはここで後手玉を詰ますほかないのですが,この局面は2六に打った角と4九に打った飛車という2枚の大駒が,先手玉に対する寄せだけでなく後手玉の受けにもよく働いています。なのでここから先手が攻めていっても後手玉は寄らず,後手の勝ちになります。要するに第1図は先手が攻めても受けても勝てないので,後手の勝ちなのです。
 とても長くなりましたが,⑲-2の第2図で,後手が☖4六歩と銀を取れば,とても難解な変化ですが後手が勝ちであったということは分かりました。

 第四部定理四七備考でいわれていることのうち,何か特筆しておくべきことがあるとすれば,これはスピノザ自身も指摘していることではありますが,安堵securitasと歓喜gaudiumが認識cognitioの欠乏privatioと精神mensの無能力impotentiaを表示しているといわれている点でしょう。これらふたつの感情affectusは喜びlaetitiaなのですが,それでも希望spesと同様の評価が下されているのです。なぜそのような評価が下されなければならないかといえば,このふたつの感情は,希望および不安metusの先行を前提としているからであって,第四部定理四七でいわれているように,それ自体では善bonumであり得ない感情なのであり,認識の欠乏および精神の無能力を表示しているのです。
 ただ,僕がいっておいたように,現実的に存在する人間というのは,未来の事柄に対しては確実ではあり得ないのであり,すべての人間の精神mens humanaが等しく無能力であるといわなければなりません。ではその無能力を表示しないようにはどうすればいいのでしょうか。それは,同じ備考Scholiumの中で,スピノザがいっていることが指標となります。
 「我々が理性の導きに従って生活することにより多くつとめるにつれて我々は希望にあまり依存しないように,また恐怖から解放されるように,またできるだけ運命を支配し・我々の行動を理性の確実な指示に従って律するようにそれだけ多く努める」。
 僕たちは理性ratioに従ったからといって,未来のことを確実に見通せるといういうわけではありません。しかし理性に従うことによって,希望に依存したり不安に苛まれないようにすることはできるのです。できるというのは,完全にそうできるということではなく,より少なくすることができるという意味です。これはこの備考の中で,あまり依存しないように,とか,できるだけ努めるconari,といったいい方がなされていることから明らかでしょう。これはもちろん,第四部定理四系にあるように,僕たちが受動passioから完全に解放されるということは不可能なことであって,そのために希望や不安を感じることから完全に逃れることは不可能であるからです。ただ,僕たちは,希望や不安といった受動感情が表示するpotentiaよりも多く自分の理性という能動actioの力を多く表示することはできるのです。
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印象的な将棋⑲-7&自伝的要素

2024-03-13 18:49:40 | ポカと妙手etc
 ⑲-6で示したように,⑲-5の第2図の☖4九飛に☗5九桂と合駒をすると先手玉が詰んでしまいます。なのでこの王手に対する正しい応接は☗6八玉と逃げる手です。
                                        
 これに対して後手は☖7九銀☗5七玉☖4七歩成と後手玉を追っていきます。
 ここで☗同金と取ると☖5九飛成として,これはさほど難しい手を必要とせずに先手玉が詰みます。なので先手は☗5六玉と逃げる一手。
 後手はさらに☖4五銀打☗6五玉☖5四銀引の順で先手玉に王手を掛け続けます。先手は☗6六玉。
                                        
 第2図まで,後手は最善の手順で先手玉を追いましたが,ここまで進めば分かるように先手玉に詰みはありません。なので先手の勝ちのように思えるのですが,そうではなく,第2図は後手の勝ちなのです。

 僕はボエティウスAnicius Manlius Torquatus Severinus Boethiusのことは知りませんでしたから分からない部分はあります。しかしトマス・アクィナスThomas Aquinasが偶然というのについて,何も連絡関係がない複数の因果関係の系列が出会うときに発生するというとき,ある因果関係と別の因果関係の間に空虚vacuumがあるとみなしたかどうかすら僕には疑問ですし,そうみなしていたとしてもその空虚を物理学的な意味で解していたということはあり得ないと思います。ですから,ここで國分がなしている説明自体から,空虚を物理学的な意味で,そして偶然あるいは必然を哲学的な意味で,それぞれを分けて考える必要はないといえるのではないでしょうか。
 この部分の考察はこれで終わりとします。
 『スピノザー読む人の肖像』の第二章で次のようなことがいわれています。これは考察の対象というのとは違うのですが,興味深い指摘であったので,ここで紹介しておきます。
 デカルトRené Descartesは『方法序説Discours de la méthode』で自身の方法論を著したのですが,この本には自伝的な要素が含まれています。これはすでに説明したように,正しい事柄を発見するためにとりあえずあらゆる事柄を疑ってみるというのは,単に方法論としてそのようにいわれているわけではなく,実際にデカルトがそのようになしたことなのですから,『方法序説』に自伝的な要素が含まれているということは明白でしょう。
 スピノザの『知性改善論Tractatus de Intellectus Emendatione』というのは,この点で『方法序説』と酷似しています。『知性改善論』は未完のまま終わってしまったのですが,そこでスピノザが示そうとしたことは方法論であったということは明白ですし,その中には自伝的な要素もまた含まれているからです。さらにその内容として,真理veritasを探究するという決意decretumをデカルトもスピノザも語っています。さらにそのために日常生活を疎かにしないため,日常的な当面の規則を打ち立てているところも共通しています。もっともこの二点が共通しているというのは,スピノザが『方法序説』を読んでいたからであって,スピノザがデカルトに倣ったからでしょう。他面からいえば,『知性改善論』を書き始めた頃のスピノザは,それだけデカルトから大きな影響を受けていたいえるかもしれません。
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印象的な将棋⑲-6&疑問点

2023-08-29 19:29:40 | ポカと妙手etc
 ⑲-5の第2図で,先手は合駒をするか逃げるかの二者択一です。まずは合駒をする方からみていきましょう。☗5九桂です。
                                        
 これに対しては後手から☖5九同角成と取ってしまう手があります。先手は☗同金の一手ですがさらに☖5八銀と打ちます。これも☗同玉の一手ですが☖4七歩成☗6八玉☖5九飛成です。
                                        
 第2図まで進めば分かるように先手玉は詰みです。つまり第1図のように合駒をしてしまうと,先手玉が詰んでしまい,後手の勝ちなのです。よって後手は合駒をするのではなく,玉を逃げるほかありません。

 第二部定理三二証明平行論の定理Propositioの系Corollariumを前提にしているということ,そしてそのゆえに第一部公理四に遡ることができるという河井の主張は,僕も同意することができます。しかしその後で,個々の混乱した観念idea inadaequataも,遡れば起成原因causa efficiensとしての神の観念idea Deiまで行きつくと河井がいうとき,僕は疑問に感じます。これはスピノザの哲学にそぐわない解釈と考えるからです。
 河井は,ある混乱した観念を抽出して,遡ることによって神の観念に行きつくといっていますが,これは第一部公理四を前提としているので,結果effectusから原因へと遡っていくことを意味していることになります。一方,そのように結果から原因へと遡っていくことができるのであれば,そうした観念は個物res singularisの観念であると解する必要が出てきます。ところが,第二部定理九がいっているのは,個物の観念をひとつ抽出して,それを結果としてみたときにその原因へと辿っていくなら,この結果と原因の関係が無限に連鎖していくということです。いい換えればそれは,神の観念に辿り着くということはないという意味です。したがって,河井のいっていることはスピノザの哲学では成立しないと僕は考えます。
 さらに河井は,神の観念から出発すれば,十全な観念に立ち戻ることができるといっていますが,これも僕は疑問に感じます。ここで立ち戻るというのは,遡るとは反対の意味で立ち戻るといっているのでしょう。つまり河井は,混乱した観念も結果としてみれば,原因,その原因といった具合に第一原因causa primaとしての神の観念に遡ることができて,そして今度は神の観念を第一原因としてみることで,その結果さらにその結果と立ち戻り,十全な観念に至るといっていると僕は解します。このとき,遡るということだけでなく,立ち戻るという部分も,スピノザの哲学にそぐわない解釈だと僕は考えるのです。
 もしこのような仕方で十全な観念に立ち戻るのであれば,この十全な観念に対して神は遠隔原因causa remotaであるといわなければならず,最近原因causa proximaであるとはいえなくなります。ところが第一部定理二八備考でスピノザはそれを否定しています。この観念に対して,神は絶対的な最近原因でなければなりません。
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印象的な将棋⑲-5&検査

2023-08-12 19:33:06 | ポカと妙手etc
 ⑲-4で示したように,⑲-2の第2図での☖4六歩に対して先手が☗3一角と打ったとき,☖6四角と受けると先手の勝ちになります。なので後手には別の手が要求されます。それが☖2六角です。
                                        
 ここでも先手は⑲-4と同じように,☗5三金☖5一王☗4二角成☖6一王☗6三金と進める手がないわけではありません。ただ,☖6四角と☖2六角の大きな相違は,角を2六に打っておけばそれが6二にもきいてくるということであり,さらにこの手は,受け一方の手ではなく,先手玉への攻めも狙っているということです。なので先手がこの手順で進めると,角が受けにきいてしまう上に,後手が先手玉を攻めていく変化の中で,6三の金が取られてしまうという順も生じてしまうのです。この具体的な手順は示しませんが,これ以降で示していく内容から,それがどのような手順であるのかということは理解できると思います。
 ☗5三金は先手にとってよくない変化です。☖2六角と打たれた場合は,すぐに☗7五角成と飛車を取ってしまうのが先手にとっての最善です。この飛車が先手玉への攻めに役立つのを防ぐと同時に,馬が先手玉の受けに有効になるからです。
 飛車を取られた後手は攻めに回ります。☖4九飛の王手です。
                                        
 これに対しては合駒をする手と逃げる手のふたつが考えられます。次回から順にそれぞれどのように進むのかをみていきます。

 3月2日,木曜日。総講の日でしたのでお寺に行きました。このときに今春の彼岸会の日程を教えてもらいました。
 3月4日,土曜日。妹の土曜レクリエーションがありました。
 3月6日,月曜日。2月の通院のときに,動脈硬化の検査の予約を入れてもらいましたが,この日がその検査の当日でした。
 病院に到着したのは午後2時20分でした。動脈硬化の検査というのはふたつあって,ひとつが血圧脈波の検査で,もうひとつが超音波の検査です。予約は血圧脈波の方が午後2時30分で,超音波が午後3時です。ただ,僕はこの検査は何度か受けていて,ふたつめの検査は予約時間よりも早く始まることが多いということを知っていました。ひとつめの血圧脈波の検査の予約時間はもう近かったので,保険証の確認をして予約票を出した後,すぐに中央検査室の受付に向かいました。使用済みの注射針を持参していましたので,それを処理して待機していました。
 呼び出されたのは予約の午後2時半よりも少し前でした。これは血圧脈波の検査で,両手首と両足首,それから二の腕と喉の下部に器具を装着され,それぞれの血圧脈波を計測する検査です。検査の用意ができたらすぐに検査が開始になるわけではなく,5分ほど安静にしてから計測が開始されます。この安静にしている時間も含めて,15分ほどでこの検査は終了しました。
 一旦は廊下に出て,隣の部屋の前のソファーに座って待機していると,午後2時50分くらいに中の技師から呼ばれて,喉のエコー検査が始まりました。この検査は喉の周辺に薬剤を塗布し,その部分に技師が器具を当てるという検査です。これは20分ほどで終了しました。これでこの日の検査はすべて終了しましたので,会計を済ませて帰りました。帰宅したのは午後4時10分でした。
 3月7日,火曜日。個別支援計画の実施状況の報告書がグループホームから送付されてきました。これは本来であれば三者面談で渡される書類です。僕は書面で済ませましたので,送付されてきたということです。これはサインを入れて送り返す必要がある書類でしたから,この日のうちにサインして郵送しました。
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印象的な将棋⑲-4&ウイルスと宿主

2023-07-24 19:29:56 | ポカと妙手etc
 ⑲-3で示したように,⑲-2の第2図で☖4六歩と指した場合に,☗4四角と打っていくのは先手の負けです。もうひとつの手段である☗3一角をみていきます。この変化が先手にとっては本命で,かつ変化手順が複雑ですので,これは何回かに分けて検討します。
                                         
 この手も詰めろですので受ける一手。☗4四角と同様に☖6四角と打って受けたとします。
 この場合は☗5三金が成立します。今度は☖5一王に対して☗4二角成と王手することができ,☖6一王に☗6三金と銀を取れるからです。
                                         
 第2図は詰めろの上に角取りになっていますから先手の勝ちです。なので後手は☗3一角に対しては別の手段が要求されます。

 このことから理解できるのは,ウイルスは現実的に存在するためには宿主が現実的に存在することを必要とするということです。この場合でいえば,XはX自身が現実的に存在し,かつその現実的存在を継続していくために,宿主である人間が現実的に存在することを必要とするということです。したがって,第三部定理七にあるように,Xが自己の有に固執するin suo esse perseverareことがXの現実的本性actualem essentiamであることのうちに,Xは宿主である人間の現実的有に固執するということが含まれていなければなりません。あるいは,人間の現実的有に固執するということがXの現実的本性そのもののうちに含まれるのではないとしても,Xの現実的本性から帰結する特質proprietasのうちには含まれていなければなりません。
 したがって,もしもXが自己の力potentia,これは人間に対する毒性という力のことですが,こうしたことによって人間の現実的有を消滅させてしまうなら,いい換えればXに感染することによって人間が死んでしまうのであれば,それはXの現実的本性には適合しないのです。適合しないというよりも,Xの現実的本性に反するといっていいでしょう。宿主である人間の死は,Xにとっては自己の有の持続duratioの停止を意味するからです。よって,Xが人間に対して強毒性を発揮することは,人間にとって好ましくないことであるのと同時に,Xにとっても好ましくないことなのです。よって,Xは何らかの仕方で変異することによって,人間に対しては弱毒化するようになるのであれば,そうした変異をしたXは,変異をしていないXよりも,自己の有に固執していることになります。ですからこのふたつを比較したら,変異をしたXの方が,変異をしていないXよりも,優勢になってくるでしょう。これは,自己の有に固執する力が大きいものの方が,その力が小さいものよりもより自己の有を維持することができるのでなければならないということから明白であるといえます。
 ここで示した例はごく単純なものであって,ウイルスとそのウイルスの宿主との関係は,このことだけで説明することができるわけではありません。しかし第三部定理七は,現実的に存在する個物res singularisの基本的な原理です。
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印象的な将棋⑲-3&隣家

2023-07-07 19:29:42 | ポカと妙手etc
 ⑲-2の第2図は,強く☖4六歩と取って後手の勝ちでした。先手には☗4四角と☗3一角のふたつの手段がありますから,まず☗4四角の方からみていきます。
                                        
 第2図の後手玉は詰めろですからここは受ける一手。その一手が☖6四角です。
 先手は攻めを続けるなら☗5三金と打つほかありません。これは王手なので逃げるほかありませんが,☖5一王と引きます。
                                        
 第2図で先手に残された手段はふたつで,☗2二角成か☗6三金です。ところがこのふたつの手はどちらも後手玉に対する詰めろになっていません。つまり第2図は後手玉への詰めろが続かない形になっているので,後手の勝ちなのです。
 ☖6四角も☖5一王も限定の応手なので難しいですが,☖4六歩☗4四角の変化は後手が勝ちだとわかりました。

 僕の家は東側が細い路地になっていて,この路地に向かって玄関があります。よって東側の家は隣家というよりは向かいの家といういい方になります。西側にも家がありますが,この家の玄関は西側の道路に向かっていますから,この家も隣家といういい方は普通はしません。よって僕の家の隣家というのは北側と南側にあたります。
 南側の隣家は,僕が子どものころはTさんという老夫婦が住んでいました。僕が子どものころにすでに老夫婦だったわけですから,現在はもう亡くなっています。この老夫婦が亡くなってからは空き家になっています。老夫婦には子どもがありましたから,たまにその方が来て家や家の周囲の清掃をしていますが,それも年に1回とか2回のことです。ですからこの時点で僕の隣家として実際に人が住んでいたのは,家の北側のSさんだけでした。
 これも僕が子どもの頃ですが,Sさんの家には老夫婦が住んでいました。老夫婦には3人の娘がいて,その3人の娘も含めて5人で住んでいたのです。老夫婦の方は亡くなりましたが,3人の娘は健在です。ただ3人のうちのひとりは結婚したことで別のところに住むようになりましたから,この時点で実際に住んでいたのはふたりです。長女と次女か,長女と三女のどちらかです。次女と三女というのは双子なので,どちらが次女でどちらが三女なのかは僕には分かりません。このときに訪ねてきたのは長女の方です。これは自宅と土地を売って引っ越すことになったということを伝えるためでした。
 Sさんの家はこの時点で住んでいるふたりがいなくなれば相続をする人がいません。そうであるなら,家と土地を売っておいた方が将来的によいだろうと考えたようです。引っ越し先というのは根岸駅の近辺にあるマンションであって,そこに一室を借りてふたりで住むとのことでした。その引っ越しがこの月,つまり2022年10月の26日になるということでした。
 家と土地を売ったわけですから,これはだれかが買ったわけです。この時点ではだれが買ったのかということまでは分かりませんでした。
 10月11日,火曜日。妹を通所施設に送りました。10日が祝日だったからです。
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