スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
昨年の競輪の表彰選手 は24日に発表されました。ガールズ以外の競輪に関係する部門だけ紹介します。
最優秀選手賞は大阪の古性優作選手。グランプリ とオールスター ,福井記念 に優勝。GⅠを勝った上でグランプリを制覇すれば,ほぼ自動的にMVPに選出されます。それに即しての受賞。初受賞になります。
優秀選手賞は3人。まず広島の松浦悠士選手。日本選手権 とサマーナイトフェスティバル ,岸和田記念 ,高松記念 ,玉野記念 ,武雄記念 ,函館記念 ,千葉記念 ,広島記念 に優勝。記念競輪の制覇数から分かるように,昨年の競輪界を牽引した選手でした。2019年 ,2020年 に続く3年連続の優秀選手賞。
ふたり目は埼玉の平原康多選手。寛仁親王牌 ,立川記念 ,大宮記念 ,大垣記念 に優勝。安定した成績で競走得点は3位でした。2009年 ,2015年 ,2016年 ,2017年 に続き3年ぶり5度目の優秀選手賞。
最後は神奈川の郡司浩平選手。全日本選抜 ,川崎記念 ,平塚記念 に優勝。優勝回数は平原にも劣りますが,賞金も勝率も連対率も競走得点も平原より上で,昨年の競輪界を松浦と共に牽引した選手だったと思います。2020年に続き2年連続2度目の優秀選手賞。
優秀新人選手賞は岐阜の山口拳矢選手。共同通信社杯 に優勝。このカテゴリーの選手がヤンググランプリ以外のビッグを勝つのは快挙。文句なしでしょう。初受賞。
特別敢闘選手賞に茨城の吉田拓矢選手。競輪祭 と久留米記念 に優勝。ビッグを優勝し,優秀選手賞には入れなかった場合は,大抵はこの部門で選出されます。初受賞。
創造ということで青野が何をいわんとしているのかということは明確には分かりません。ただ青野の分節が,スピノザの哲学と一致するとみえる近藤の分節とは異なっているということには,きちんとした理由があります。ただしこのことはもう少し後で説明することにします。
棋士に対する脳波の測定により,プロの棋士が将棋を指しているときには,左脳も働いでいるけれども,右脳の方がより多く働いているということが明らかになったということは,すでにいいました。青野自身はこの実験の結果が出る以前から,プロの棋士は右脳の方が働いているであろうという予測をしていたそうです。このことから理解できるように,青野は右脳の働きと左脳の働きの差異というのを,実験が行われる前から知っていました。そして同時に,左脳の働きがどのようなものであり,また右脳の働きがどのようなものであるのかということを,おそらく自身が将棋を指している中で,あるいは自分が将棋の指し手を考えている中で,自らの体験としてリアルなものとして会得していたのです。ですから実験の結果というのは,青野にとっては当然のものであり,驚くようなものではなかったのでしょう。実際に青野がいっているのは,将棋は右脳の方が大切であるということが分かっていたということであり,右脳の方が働いているというようにいっているわけではないのですが,これが青野の体験に由来するものであることは間違いないでしょうから,ここで僕がいっていることも誤りではないと思います。
青野は将棋界における右脳派の典型として,大山康晴の名前をあげています。深く読むということや,玉が詰むか詰まないかといったことについては,晩年の大山は明らかに衰えていました。しかし大山は順位戦のA級に在籍したまま,69歳で死んでいます。それは第一感のよさと,大局観の明るさによるものだったと青野は指摘しています。これは,青野にとっては,前者が将棋における論理的思考つまり左脳で,後者が創造つまり右脳であったというように解釈することができる記述です。青野は品川教授の話として,左脳は衰えるけれども右脳は衰えないともいっています。
高松記念の決勝 。並びは古性‐山田の近畿,松浦に佐藤,小川‐香川‐池田‐原の四国で中川は単騎。
松浦がスタートを取って前受け。3番手に古性,5番手に小川,最後尾に中川という周回に。残り2周のホームの入口から小川が一気に上昇。古性も合わせて動き,松浦の前に出たので,小川が先頭,5番手に古性,7番手に松浦,動かなかった最後尾に中川という隊列に。打鐘でスローペースになりました。その後のコーナーで山田との車間を開けていた松浦が発進。バックで小川を捲って前に。さらに外から古性が捲り発進。松浦が自ら止めに行きましたが,古性が乗り越えて前に。直線はマークの山田が古性を差し切って優勝。古性が半車輪差の2着で近畿のワンツー。松浦マークから山田にスイッチするようなレースになった佐藤が1車身差で3着。
優勝した京都の山田久徳選手は前回出走の奈良のFⅠから連続優勝。記念競輪は昨年2月の奈良記念 以来の3勝目。高松記念は初優勝。このレースは小川の先行が有力。ただ,番手の香川は自力で動いていく選手ではないので,脚力からすれば松浦か古性が捲るのではないかとみていました。先に捲ったのは松浦でしたが,早い段階での後方からの捲りになりましたので一杯に。このために古性の捲り返しが成功することになりました。その意味では,小川が動いてきたときに,一緒に動いて松浦より前の位置を取った古性の判断が,山田の優勝に大きく貢献したということになりそうです。
詰将棋の例でしたが,将棋の指し手を考えているときに,右脳と左脳の両方が,いい換えれば第三種の認識 cognitio tertii generisと第二種の認識 cognitio secundi generisの両方が働く場合があるということがどのようなことであるのかということは分かってもらえたと思います。同時に,なぜその両方の認識が働くのかということ,つまり第三種の認識だけが働くというわけではないことの理由の,少なくとも一端は理解してもらえたと思います。
ただしこれは,右脳と左脳の差異を,近藤の記述に合わせた場合の解釈です。すでに示したように,近藤がいう左脳の働きは,論理的思考すなわちスピノザのいうところの理性 ratioによる認識であり,右脳の働きというのは直感つまりスピノザの哲学でいわれるところの直観scientia intuitivaです。なので,第三種の認識を右脳に,第二種の認識を左脳に置き換えることができるのです。しかし青野は,これとは別の仕方で右脳の働きと左脳の働きを分節しています。青野によれば,左脳というのは物事を理論的に考えたり記憶したりする脳です。この記憶というのが何を意味するかはっきりとはしませんが,もし想起するということを意味するのなら,スピノザの哲学では表象imaginatioの一種になるので,第一種の認識cognitio primi generisになります。しかし論理的に考えるconcipereというのはスピノザの哲学でいうところの理性による認識にほかなりませんから,これは第二種の認識です。青野の文章は物事を論理的に記憶する,というようにも読解することができ,その場合にはこの記憶memoriaも第二種の認識に含まれることになります。なので,左脳の働きが第二種の認識を意味するという点では,スピノザの哲学とも合致していますし,近藤とも一致しているとみていいでしょう。
異なるのは右脳の働きで,青野はこれを創造する脳といういい方で表現しています。この創造というのが何をいわんとしているのかも僕には分からないのですが,青野の文章の全体から,たとえば芸術家が作品を創作するというような意味での創造であると解釈しておきます。なおこの部分は,このコラムの冒頭の,阪神淡路大震災の初動に関する言及の僕による解釈と関連しています。創造がそういう意味なら,青野のいっていることは明らかに牽強付会です。
辞任した谷川に後継者として指名される形で新会長 の地位に就いた佐藤が,まず対処しなければならない課題ははっきりとしていました。それはいうまでもなく,三浦に対してなされた不合理な処分 によって三浦が被った損害を,いかなる形で回復するのかということです。これには主に3つの観点がありました。
処分は,三浦が確約した休場届の提出を拒んだことに対するものと解せるものになっていましたが,第三者委員会の調査の中心となったのが,三浦九段がコンピュータから指し手の援助を受けていたのか否かであったということから分かるように,最大の焦点はそこにありました。したがって処分を下したということは,実際には無罪の三浦を有罪と誤審したのに等しく,これによって三浦の名誉は著しく傷つけられました。これは三浦自身のプライドという観点からもそうですし,ファンなども含めた周囲の人間の三浦に対する目という観点からも同様です。これに対しては慰謝料に類するような,何らかの対処が必要なのは明白でした。
次に,三浦は竜王戦の挑戦権を獲得したにも関わらず,交替 という措置を受けました。つまり指せる筈であった対局が指せなくなったのであり,その分の対局料の収入を得られませんでした。またもしも指していれば竜王を獲得したかもしれず,その賞金を得ることができなかったという可能性もあります。それからもうひとつ,王位戦で予選の3回戦まで進出していましたが,その対局機会も剝奪されました。これもリーグに入るとか挑戦者になって王位を獲得するという可能性が皆無だったわけではありません。こうしたことから分かるように,明確な経済的損失がありました。
この部分は,後に将棋連盟と三浦九段との間で和解が成立しました。和解の内容がどうであったかは不明ですが,当事者間で納得することができたのならそれでいいでしょう。僕はこのふたつの点に関しては,とくにいうことはありません。
続いて,この詰将棋を☗2四桂までは直観scientia intuitivaで解けるのに,それ以降は論理的な思考に僕が頼らなければならない理由を説明します。
この詰将棋は初手に☗3一金と打ったとき,正解の☖3一同銀のほかに,☖1一玉と逃げる手と☖1二玉と逃げる手はあり得ます。あり得るというのは,ルールには違反しないということです。ですがここは☖同銀と取ると僕の知性intellectusは直観的に認識するcognoscereのです。次に,☗1二飛成とした局面は☖同玉と取る一手であり,それ以外の手はルール違反になります。そこで☗2四桂と打つと,正解の☖2二玉のほか,☖1一玉と逃げる手および☖2一玉と逃げる手が,ルールに反さずに成立します。このとき,どこに逃げる手が正解であるかが,僕は出題図を一瞥しただけでは直観的に認識することができないのです。
そこで論理的思考に頼ります。すると,☖1一玉と逃げる手と☖2一玉と逃げる手は,☗1二金と打って詰むということが分かります。なので一旦は☖2二玉と逃げ,☗1一角☖同玉に☗1二金が正解手順であると理解します。なお,☗1一角と打ったときには☖2一玉と逃げる手も成立し,それも☗1二金と打って詰みます。これもこの詰将棋の正解ではあります。
詰将棋というのは,最初にいっておいたように,攻め方が玉方の玉を王手の連続で詰みに持ち込むパズルです。ただそこにはいくつかの制約があって,玉方は最善を尽くす,つまりなるべく手順が長くなるように対応しなければならないということはそのひとつです。ここから分かるように,詰将棋というのは単にどの王手を掛ければよいかということだけが理解できればよいというわけではなく,玉方がどのように対応するのが最善かということも理解できなければならないのです。僕がこの詰将棋を直観的には途中までしか進められないのは,玉方の最善の対応を直観的には理解できないということと関係します。つまり僕の直観は,これはこの詰将棋の場合ですが,攻め方の王手に対しては働くのですが,玉方の最善の応手に対しては働かないのです。そしてそれが働かないのは,おそらくそれが働くための第二種の認識cognitio secundi generisの蓄積が,僕の知性のうちにはないからです。
僕は受動的な自己満足 という感情affectusが存在するということ,他面からいえば,自己満足acquiescentia in se ipsoという喜びlaetitiaは必ず能動actioであるというわけではなく,受動passioである場合もあると考えています。このことはスピノザ自身も『エチカ』の中で明言しています。それは第三部定理五五備考に示されています。この部分は,まず第三部定理五五 があり,次にその証明Demonstratioがあって系Corollariumに続きます。この系の後に備考Scholiumがあって,備考が終わるとまた系があります。さらにその系の後にまた備考があるという複雑な構成になっています。僕がここでいう備考は最初の系の後の備考です。僕はふたつ目の系は第三部定理五五備考系といい,その系の後の備考は,第三部定理五五系備考ないしは第三部定理五五備考系備考ということにします。
備考の冒頭では自己嫌悪humilitasについて語られます。それから自己満足へと続きます。
「我々自身を観想することから生ずる喜び (Laetitia )は自己愛または自己満足 (Philautia, vel Acquiescentia in se ipso )と称される 」。
ここからも分かるように,現実的に存在するある人間が自分自身のことを表象し,そのことによって喜びを感じるなら,それは自己満足です。しかるに人間が何らかのものを表象するimaginariというのは,その人間の受動を意味します。表象像imaginesというのは常に混乱した観念idea inadaequataなので,第三部定理三 によってそれは受動だからです。この備考では表象する,とはいわれずに,観想するcontemplari,といわれていますが,観想するというのは,能動と受動の両方を含意しますので,現実的に存在する人間が自分自身のことを表象する場合も,僕たちが僕たち自身を観想する場合に含まれます。
一方,この備考ではこうした喜びは自己満足であると単にいわれているのではなく,自己愛または自己満足と称されるといわれています。単に自己満足といわず,自己愛または自己満足とスピノザがいったことについては,明確な理由があったと僕は考えています。そのことについてはいずれその考えを説明することにします。
ある人間が第三種の認識 cognitio tertii generisである事柄を認識するcognoscereとき,その直観scientia intuitivaのための蓄積となっている観念ideaが何であるのかということが分からないということがあり得るのがなぜかということを簡単に説明しておきます。
まず,直観は論理的思考を経ずにある人間の知性intellectusのうちに生じます。ですからなぜその直観が正しいのか,いい換えればそれが十全な観念idea adaequataであるのかということを確認するためには,論理的な思考が必要になります。つまりこの場合は論理的な思考が直観の補完にしかなっていません。なので直観それ自体は論理的な思考を必要とはしないのです。他面からいえば,直観である事柄が正しく認識できるのであれば,論理的思考は不要です。直観によって導かれた観念は十全な観念ですから,それが十全であるということについては,第二部定理四三 によって,その観念だけでその人間の知性のうちで確証されるからです。
このために,直観によって解答が導かれる場合は,どのような論理過程が敷かれているのかということは,その人間の知性のうちには生じません。だからその論理過程が分かるという場合もあれば,分からないという場合もあるでしょう。観念と別の観念はある秩序 ordoと連結connexioを保って知性のうちに存在しますが,僕たちは僕たちの精神mensのうちにあるすべての観念について,その秩序と連結がどうなっているのかということを常に意識しているわけではないからです。なのでそれを自分自身のうちで論理づけようとする場合に,もしも秩序と連結を直観による結論そのものと連結させて考えるconcipereことができるなら,その論理づけはできます。これは絶対にできるのです。しかし直観による結論に対して連結されている観念がどの観念であるのかが分からないという場合はあり得ます。とくにすぐには分からないという場合は多くあるでしょう。するとこの場合は自分の知性のうちでも論理づけることができないのですから,それを他者に対して説明することなどできる筈もありません。つまり観念の意識化というのは,同時に秩序と連結の意識化ということも意味しているのであり,それができないということがある人間に生じたとしても,何の不思議もないのです。
23日に出雲文化伝承館 で指された第48期女流名人戦 五番勝負第二局。
里見香奈女流名人の先手で中飛車。後手の伊藤沙恵女流三段が向飛車にしたことで,先手は左玉 になりました。この将棋は先手玉が薄い状態で戦いに突入したことが影響して後手が優位に立ち,そのまま終盤戦に。ところが決め手を逃してしまったために互いに1分将棋の泥試合に突入しました。
これは1八で角の交換が行われたところ。先手は☗3八王と早逃げしましたが,これが最終的な敗着となったようです。
☖5六歩☗同銀☖2九角☗4九王☖5六角成と進展。
第2図となってはっきりしますが,早逃げは効果的どころかお手伝いでした。戻って第1図では☗7五桂と打って攻め合うのが有力。銀は逃げられないのでこの場合も受けも含みに☖2九角と打つことになりそうですが,☗6五角と打ち返すことができますので,先手が優勢だったでしょう。
伊藤三段が連勝 。第三局は来月6日に指される予定です。
詰将棋は王手の連続で詰みに持ち込むというのは詰将棋に一般のルールです。これに対して☖3二玉とされたら絶対に詰まないというのは,この問題に特有の事柄です。しかし問題図を一瞥しただけで,僕はそれを理解するだけの棋力はあります。したがって,玉を3二に逃がさないように有効な王手を掛けるのでなければ,この問題に正解することはできないということも,僕はたちどころに理解します。その場合は初手は☗3一金と打つほかなく,☖同銀にも☗1二飛成しかありません。そしてそれを☖同玉と取った局面は,先手の駒が盤上に一枚もありませんから,やはり有効な手掛かりを作るほかなく,その手は☗2四桂しかありません。ここまでのことを僕は問題の図をみたときに直観scientia intuitivaで理解するのです。そして直観すなわち第三種の認識cognitio tertii generisは,第二種の認識cognitio secundi generisの蓄積によるものですから,それを第二種の認識で,つまり論理的な思考の過程として示すことができるのです。
麻雀のプレイにおいて飯田ができなかったのはこの最後の部分,つまり思考の過程を論理的に言語として示すということです。たとえば飯田が僕と同じようにこの詰将棋を理解したとすると,僕が説明した部分の認識は飯田の知性intellectusのうちにあるのです。しかし飯田は僕がここに記述したような仕方でそれを記述することができないのです。僕はそれをことばと観念 の相違として説明しましたが,それを観念ideaの意識化として理解することもできます。つまり飯田の知性のうちに詰将棋一般あるいはこの詰将棋に特有の認識があるということと,飯田がそれを意識することができるということは別であるという観点です。これは一般的な仕方で説明しますが,もしも現実的に存在するある人間が直観によって何らかの正解を認識するcognoscereことがあるとしたら,その人間の精神mens humanaのうちにはそのために蓄積されている観念もあるのです。しかしその観念がどのような観念であるかということが分からないなら,その人間は直観で正解を出せる理由を論理的に説明することができないでしょう。直観は論理的な説明を必要としない認識なので,このようなケースが生じることもないとはいえませんし,むしろあり得るでしょう。
第25回TCK女王盃 。
ケラススヴィアがすぐにハナに立ちました。2番手にダノンレジーナ。3番手はショウナンナデシコとリネンファッション。5番手にレーヌブランシュ。6番手にアルコレーヌ。7番手にメモリーコウとブランクチェック。ここまでは一団。2馬身差でダイアナブライトとテオレーマ。2馬身差でサルサレイアとマルカンセンサーという隊列。最初の800mは51秒3の超スローペース。
3コーナーを回るとケラススヴィア,ダノンレジーナ,リネンファッションの3頭は雁行に。さらにその外からアルコレーヌも追い上げてきて,直線に入るとこの4頭が横一列に。4頭の競り合いの外から脚を伸ばしたテオレーマがあっさりと4頭を差し切って先頭。内を回ったために一旦は位置取りを下げたショウナンナデシコが,ダノンレジーナの内から伸びてテオレーマに迫り,2頭が離れての接戦。先んじていたテオレーマがショウナンナデシコの追撃を凌いで優勝。ショウナンナデシコがクビ差で2着。最後に外から追い上げたブランクチェックが2馬身差で3着。
優勝したテオレーマ はここがJBCレディスクラシック 以来の出走。重賞連勝での3勝目。このレースは上位拮抗のメンバー構成で,各馬に一長一短がありました。テオレーマの場合,能力はおそらくメンバーの中で最上位。ただ距離が延びることはマイナスに作用しそうでした。ペースがかなり遅くなったことは,距離にやや不安があったこの馬には幸いしたのではないかと思います。ベストはもう少し短い距離でしょう。父はジャスタウェイ 。Teoremaはスペイン語で定理。
騎乗した川田将雅騎手は第24回 からの連覇でTCK女王盃2勝目。管理している石坂公一調教師はTCK女王盃初勝利。
ここからは将棋のルールが分からない人には,具体的な内容は理解できないでしょうが,僕がいわんとするニュアンスは伝わるでしょう。
上の図のような詰将棋が出題されたとします。これは実際に僕が見かけた問題ですが,どこで見たかや出題者がだれであったかは忘れてしまいました。もし判明すれば後に追記します。
この詰将棋が出題されると,僕はさして考えずに☗3一金☖同銀☗1二飛成☖同玉☗2四桂として,その局面で詰むかどうかを考え始めます。そして☖2二玉☗1一角☖同玉☗1二金で詰むことを理解します。それはつまり解答を出したということです。これをスピノザの哲学で説明すると,☗2四桂までは直観scientia intuitivaで理解し,それ以降は理性ratioで理解するということです。これは詰将棋ですが,実戦の将棋の場合でもこういうケースはあるのであって,だから僕は将棋を指しているときに第三種の認識cognitio tertii generisと第二種の認識cognitio secundi generisの両方が働いているということを,リアルなものとして理解することができるのです。
詰将棋というのは一般に手数が長くなるほど難しくなります。この詰将棋は9手詰めですが,9手詰めの詰将棋としてはかなり容易な部類に入るでしょう。プロの棋士は当然ですが,そこまでの棋力がない将棋の愛好家でも,最後まで直観で解答できる,つまり出題図を見た瞬間に答えを発見できるという人がそれなりにいるでしょう。青野がプロの棋士が将棋を指しているときは,左脳より右脳の方が多く働いているというのは,そういうことだと理解してください。分かりやすくいうなら,プロ棋士ならこの詰将棋は右脳の働きだけで答えが出ます。僕は右脳だけでは途中までしか分からず,左脳も働かないと正解手順の最後まで辿り着けないのです。
次に,なぜ僕が途中までは直観で答えを出すことができて,それ以降は理性の働きを必要とするのかということの理由も,僕は概ね理解しています。まず第一に,詰将棋は王手を掛け続けて最後に詰みに導く一種のパズルです。このことは,どの詰将棋を解く場合にも,僕の知性intellectusのうちにあります。次にこの出題図は,仮に玉方の手番であれば,☖3二玉と飛車を取って絶対に詰むことはありません。
22日と23日に花の里温泉で指された第71期王将戦 七番勝負第二局。
渡辺明王将 の先手で角換わり早繰り銀。後手の藤井聡太竜王も早繰り銀にしての相早繰り銀 。この将棋は1日目の午後に先手に大きな誤算があり,封じ手の時点で後手がよくなっていたようです。2日制の将棋は持ち時間が長いですからこれは致命的で,そのまま後手が押し切ることになりました。
1日目の午後,52手目に後手は大長考しています。囲碁将棋チャンネルのAIは,最初は☖3六歩を最善と評価していましたが,時間の経過とともに☖8八歩を推奨するようになりました。実戦の指し手もその☖8八歩 です。長考後には好手が指せないといわれることがあるのですが,藤井竜王の場合は,長考することによって好手を指すケースが多く見受けられる印象があります。時間を使って深く考えて比較検討の末に結論を出すことが,とても得意なタイプの棋士なのだと思います。
封じ手 の局面 ではすぐに封じず,封じ手の時刻から22分が経過してから封じる意志を示しました。藤井竜王は2020年度の王位戦の第四局 ,同飛車大学で有名になった☖8七同飛成を封じるときにも,封じ手の時刻から20分ほど考えています。このように,自分が指している将棋について考えることを中心にすることができるのは,藤井竜王の才能のひとつであると僕は考えています。時刻を過ぎても考えることは,周囲の人間を待たせることになり,そうした人たちに気を使ってしまい,考えることを打ち切ってしまうということは,人間であれば生じ得ると僕は考えるからです。ましてこの将棋の立会人は谷川浩司九段というビッグネームですから,なおさら気を使ってしまうということが生じやすいのではないでしょうか。ですから周囲を気にせず,自分が納得のいくまで考えることができるというのは,大きな才能であると僕は考えるのです。
藤井竜王が連勝 。第三局は29日と30日に指される予定です。
青野がいっていることについては,ふたつほど注意しておいてください。
まず青野は,右脳の方が左脳より多く働いているといっているのであって,右脳が働き左脳が働いていないといっているのではありません。要するにプロの棋士が将棋を指しているときに,左脳も働いているのです。ただ右脳との比較でいうと,右脳ほど左脳は働いていないということです。なおこの点は,近藤が麻雀におけるあるプレイにおいて,そのプレイが直感によるものか理論によるものなのかは決定することができないし,決定しようとすること自体が無意味であるという意味のことをいっていることと相通じるところがあるかもしれません。近藤にとっては右脳が直感で左脳が理論を意味するのですから,麻雀をプレイするときには右脳も左脳も働いているといっているのと同じだといえるからです。麻雀のプロが麻雀をプレイしているときの脳の働きがどのようなものであるのかということも,研究の対象になり得るかもしれません。
もうひとつ,青野が語っているのは,あくまでもプロの棋士が将棋を指しているときの脳の働きのことなのであって,一般に人が将棋を指しているときの脳の働きとは異なるということです。プロの棋士は左脳よりも右脳を多く働かせて将棋を指しているわけですが,そうでない人,たとえば僕が将棋を指しているとすれば,右脳よりも左脳の方が多く働いているとか,あるいは右脳はまったくあるいはほとんど働いていないという脳波の測定結果が出るかもしれないのです。他面からいえば,将棋を指しているときに,右脳の方が多く働くようでないと,プロの棋士になるのは難しいということだというように解さなければなりません。
スピノザの哲学では右脳が直観scientia intuitivaすなわち第三種の認識cognitio tertii generis,左脳が理性ratioすなわち第二種の認識cognitio secundi generisに該当するというのが,近藤の著書からの結論です。このように解した場合は,将棋を指しているとき,あるいは指し手を考えているときに,第三種の認識と第二種の認識の両方が働く場合があるということは,大した棋力がない僕でも感じることがないわけではありません。そしてそれは,詰将棋に接したときに多くある体験です。
昨年のNARグランプリ は17日に発表されました。ばんえいを除く競走馬部門を紹介します。
年度代表馬は船橋のミューチャリー 。大井記念 とJBCクラシック に優勝。大レースの勝利数ではミューチャリーを上回る馬がいましたが,年間を通して強い馬を相手に大きく崩れなかったという点から,僕は納得できる選出です。部門別では4歳以上最優秀牡馬。
2歳最優秀牡馬は北海道のナッジ 。北海道重賞のサンライズカップに優勝。昨年はこの部門では重賞の勝ち馬が出ませんでしたので,レベルの最も高い北海道で,能力が最上位と思われるこの馬の選出に至ったというところでしょう。大井に転入しています。
2歳最優秀牝馬は北海道のスピーディキック 。北海道重賞のリリーカップ,エーデルワイス賞 ,東京2歳優駿牝馬 に優勝。この部門はこの馬以外には考えられません。東京2歳優駿牝馬は浦和に転入しての勝利でした。
3歳最優秀牡馬は船橋のキャッスルトップ 。ジャパンダートダービー に優勝。大レースを勝ったのですから文句なしでしょう。ただ昨年のジャパンダートダービーの上位馬は,この馬も含め,秋以降はいまひとつ奮いませんでした。レースのレベルがあまり高くなかったのかもしれません。
3歳最優秀牝馬は浦和のケラススヴィア 。桜花賞 と東京プリンセス賞 に優勝。関東オークスも2着でしたので当然の選出。秋の3戦をみると1600m前後の距離がよいようです。
4歳以上最優秀牝馬は大井のサルサディオーネ 。スパーキングレディーカップ ,スパーキングサマーカップ ,日本テレビ盃 に優勝。牡馬を相手の重賞も勝ちましたのでこれも当然でしょう。2020年 の4歳以上最優秀牝馬で2年連続の受賞。
最優秀短距離馬と最優秀ターフ馬は該当馬なしとされました。
ダートグレード競走特別賞馬は船橋のカジノフォンテン 。川崎記念 ,京成盃グランドマイラーズ ,かしわ記念 に優勝。このカテゴリーは例年はJRAの馬から選出されるのですが,大レースを2勝した地方馬が受賞なしというのを避けるために地方馬の選出になりました。例年であれば間違いなく年度代表馬ですから,悪い選択ではなかったと思います。
JRAのマルシュロレーヌ が特別表彰馬に選出されました。TCK女王盃 ,エンプレス杯 ,ブリーダーズゴールドカップ ,ブリーダーズカップディスタフ に優勝。アメリカのダートGⅠを勝つという快挙を達成しましたが,JRA賞では選出の対象になれませんでした。地方の交流重賞でも大活躍でしたので,ここで選出になった模様。賞に名を残すことがことができてよかったと思います。
近藤は読書をする習慣はなかったと告白しています。ですから左脳と右脳の働きの差異を,『脳内革命』を読むことによって知ったわけです。よって近藤を規準として,左脳と右脳の働きの差異が,広く一般に知られていたかどうかを結論することはできません。ただ,近藤のように,青野が「右脳が左脳に勝つ日」というコラムを書いた時点で,その差異を知らなかった人がいたということは事実です。同時に,『脳内革命』はベストセラーになったのですから,そのことによってその差異を知ったという人が,日本にはそれなりにいたのではないかという推測は成り立ちます。もしよく知られていたことが書かれているだけの書籍であるとしたら,それがベストセラーになるほど売れるということは想像しにくいからです。なので,青野が記述しているほど,いい換えれば青野がそのように思っているほど,青野がコラムを書いた時点では,右脳と左脳の働きの差異については,広くは知られていなかったのではないかと僕は思います。
ただし,青野は知っていたわけです。そして青野は棋士なのであって,脳の専門家というわけではありません。ですから,右脳と左脳の働きの差異というのを知っている人というのがそれなりに存在していたということも確かだと思います。青野は日本医科大学の品川嘉也という教授の名前を出し,その関係の本を多く出していると指摘しています。ただ僕はこの教授の名前を知りませんから,書籍が多く出ていたのは事実でしょうが,それが幅広い層に読まれていたということはないのではないかと思います。
青野は,将棋界でもかなり多くの棋士が将棋を指しているときの脳波を採ってもらっていると書いています。この一文はだれが採っているという部分の主語がないのですが,もしかしたらそれが品川教授であったかもしれません。棋士の方から率先して脳波を採ってもらうということは考えられませんから,研究の一環として棋士に協力が求められ,棋士の側でそれに応じたということだったと思われます。そしてその結果として,棋士が将棋を指しているときは,左脳よりも右脳の方が多く働いているということが確認されました。
豊橋記念の決勝 。並びは郡司‐佐藤‐和田の東日本,吉田‐岡本の愛知,取鳥‐清水‐原田‐中本の西国。
郡司がスタートを取って前受け。4番手に取鳥,8番手に吉田で周回。残り3周のバックの出口から吉田が上昇開始。ホームで郡司に並び掛けていきましたが,中途半端な抑え方となってしまい,郡司が突っ張りました。バックに入って取鳥が発進。郡司を叩いて打鐘。郡司はどこにも飛びつくことができず,5番手に。8番手に吉田の一列棒状でホームを通過。バックに入ると清水が取鳥との車間を開け,そのまま番手から発進。郡司はその外から追い上げてきましたが,原田の横あたりで一杯。直線は踏み込んだ原田が清水を差し切って優勝。番手捲りの清水が半車輪差の2着で西国のワンツー。郡司マークから原田と郡司の間に進路を取った佐藤が1車輪差で3着。
優勝した徳島の原田研太朗選手は防府,高松,松山とFⅠを3連勝中で,これで4連続優勝。記念競輪は一昨年7月の小松島記念 以来となる5勝目。豊橋記念は初優勝。このレースは取鳥の先行が有力。郡司が飛びつくことができなかったので,西国ラインにはとても有利な展開になりました。清水はあれほど取鳥との車間を開ける必要はなかったかもしれませんが,番手捲りの清水を差し切ったのですから,最近の原田の調子はそれほどよいということなのでしょう。もう少し上を目指すことができる選手だと思っています。
『勝負の視点』に収録されている「右脳が左脳に勝つ日」というコラムが週刊将棋に掲載されたのは,1995年の2月15日号です。前述したように,『脳内革命』が出版されたのがこの1995年です。『脳内革命』の出版が何月何日であったかは不明ですし,週刊将棋の2月15日号が実際に発売されたのがいつであったのかも不明ですが,同年の2月3日の対局のことが書かれています。青野は当然ながらその発行の前に原稿を執筆するわけですから,週刊将棋の2月15日号の発行は,2月15日かその1週前の2月8日だったと推定されます。そのときにすでに『脳内革命』は発売されていた可能性はありますが,状況的にみると,おそらく青野がこのコラムを書いたのが,たとえ『脳内革命』が出版された以後のことであったとしても,『脳内革命』だけに影響されてこのコラムを執筆したわけではないということは間違いないでしょう。近藤は脳には関心があったから『脳内革命』を読み,それで右脳と左脳の働きの差異が自身の算数や数学の経験,あるいは飯田の麻雀のプレイに対して腑に落ちる内容だと感じたわけです。ですから近藤が右脳と左脳の差異に着目する以前から,青野はそれに注目していたということになります。
これは考察とは無関係ですが,1995年というのは阪神淡路大震災があった年です。それが1月17日のことです。青野の2月3日の対局は,関西将棋会館でのものでした。青野はその1ヶ月半ほど前,つまり阪神淡路大震災以前にも関西将棋会館での対局があり,雰囲気の違いを感じたという主旨のことを記しています。このときの政府の初動などが,右脳と左脳に関する青野の記述と関係しているのですが,この部分は正確な解釈であるものとして紹介できる自信が僕にありませんので,それは割愛します。
青野はコラムの中で,人間の脳には左脳と右脳があり,それぞれが独自の働きをしていることはよく知られていると書いています。つまりそのことは,『脳内革命』がベストセラーとなる以前から知られていたことになります。少なくとも青野は,そのことは世間一般に広く知られていると認識していたことになります。
動議と解任によって日本将棋連盟が自浄能力 があるということを示した時期より前のことになりますが,会長である谷川は辞任していました。このために新しい会長を選出する必要がありました。
将棋連盟の会長は,会社に喩えれば社長です。その観点からは経営能力や実務能力が問われるのであり,棋力は無関係です。ですが将棋連盟は会社ではなく,社団法人ですので,会長は将棋界の顔,少なくともプロの将棋棋士の顔という面を合わせもちます。この面からは棋力や実績というものが求められます。たとえば会長がスポンサーなど,外部の組織の実力者と対面するとき,会長に将棋そのものの実力や実績があるかないかということは,おそらく重視される要素になり得るからです。このために将棋連盟の会長というのは,棋士としての実績を持つ者がずっと務めてきたという歴史があるのです。
しかしこのときは,単に実力や実績があればよいというものではありませんでした。それはいうまでもなく,谷川が辞任した理由というのが,三浦九段に対する処分 の不適切さにあったからです。したがって,次の会長は,ただ棋力や実績があるというだけでは不十分で,三浦九段本人や三浦九段の無実を支持して支援した棋士たちが納得することができる人材でなければならなかったからです。辞任する谷川が白羽の矢を立てたのは佐藤康光で,佐藤は谷川が辞任した後の理事選挙に立候補し,会長を務めることになりました。
棋士としての実績でいうと佐藤は谷川には劣りますが,永世称号を獲得している棋士であり,将棋連盟の顔になるには十分です。一方で,処分が明けて復帰することになった三浦は,それに先立つ記者会見の中で,佐藤は十分に信頼に値する人物であるという主旨の発言をしていて,こちらの面でも問題は生じることがありませんでした。
このとき,佐藤のような,棋士としての実績が十分でかつ三浦からも信頼されている人材が将棋連盟の中に存在したことは,まことに幸運だったと僕は思います。もし佐藤が存在しなければ,その後の将棋連盟の進路は大きく変わってたかもしれません。
ことばと観念 というのが異なったものであるということ,そしてそれがどのように異なっているのかということは理解できたと思います。そしてこのために,自身の精神 mensのうちにある観念ideaがあるからといって,だれであってもそれをうまく言語化することができるわけではないのです。もちろんそこには得手不得手というものがあるのですが,飯田はおそらくそれがきわめて不得手な人物であったのだろうと推測されます。飯田は確かに第三種の認識cognitio tertii generisに依拠して麻雀をプレイしていて,その第三種の認識を発揮するだけの第二種の認識cognitio secundi generisが知性intellectusのうちに蓄積されていたのですが,その第二種の認識によって形成された観念がいかなる観念であるのかということを,他者に伝わるような仕方で言語化することはできなかったのだろうということです。
近藤は,僕のようにスピノザの哲学に依拠した理解ではなく,右脳と左脳の働きの差異によって飯田のことを理解していますので,記述上の説明は異なります。すなわち飯田は,右脳の働きのあり方を,左脳によって言語化することができなかったというように理解しています。ただこれは手法の違いであって,それを脳の働きで説明するか哲学で説明するかの相違だと僕は解します。近藤がなそうとしているのは,飯田が言語化することができなかったことを,自ら言語化しようということだともいえます。最初に紹介したように,飯田は最強のプロの麻雀のプレイヤーであった可能性があると僕は思っていますが,飯田のどこが強かったのかとか,飯田がなぜ強かったのかということは,飯田自身が言語化して説明できなかったので,よく知られていないというのが実際のところです。近藤の著書は自身のプレイの解説に終始していますが,近藤は飯田の強さを言語化して広く伝えようという意図はおそらくもっていて,著書はそのような試みのひとつであるという見方もできるかと思います。
この右脳と左脳の働きの相違については,同じようにそれに着目していた将棋の棋士がいます。青野照市です。青野に『勝負の視点』という著書があるのですが,その中に週刊将棋に寄せた「右脳が左脳に勝つ日」という文章が含まれています。
先週の船橋記念 を勝ったキモンルビー の父はコパノリチャード です。父はダイワメジャー 。
2歳の11月にデビューして新馬を勝利。12月の特別戦は2着でしたが1月の特別戦で2勝目。アーリントンカップで2戦目に負けていた馬を逆転して重賞制覇を達成しました。賞金を加算したので皐月賞 に出走するも13着。距離適性からNHKマイルカップ に進みましたが8着でした。
復帰戦となったオープンは16着と大敗でしたが続くスワンステークスを勝って重賞2勝目。マイルチャンピオンシップ は4着,阪神カップはリアルインパクト の10着でこの年のキャンペーンを終了しました。
4歳の初戦となった阪急杯で重賞3勝目。続く高松宮記念 で大レース制覇を達成しました。続く京王杯スプリングカップは7着。
秋はスプリンターズステークス で復帰し12着。JBCスプリント に出走して16着。阪神カップはリアルインパクトの3着でした。
5歳初戦の阪急杯は6着。連覇を狙った高松宮記念 は5着。休養して出走した函館スプリントステークスで14着に大敗すると,スプリンターズステークス が13着,スワンステークスが12着,京阪杯が14着と,大敗が続いて引退となりました。
4歳の春がピークで,5歳の夏以降は大敗続きでしたから,種牡馬になる時点での印象は悪くなってしまいました。キモンルビーが出世頭になりそうです。
それが神Deusといわれる理由があるわけではないというのは,絶対に無限な実体substantiaのことが神という記号で示されなければならない理由はないということです。つまりそれは神と別の記号であっても構わないのです。このあたりはスピノザの哲学が唯名論であるということと関係しています。スピノザはシモン・ド・フリース Simon Josten de Vriesに宛てた書簡九 の中で,それ自身が吟味されるために立てられる定義 Definitioは,真verumである必要はなく,十分に理解されさえすればよいのだといっていますが,このことは唯名論と関係しています。なぜなら,図形とは一定の空間を囲むふたつの直線である,という言明があったとして,これは図形とか直線といわれているものを僕たちが普通に解しているところのものとすれば,意味が不明であるとしかいいようがありませんが,この言明をしている人が,直線というのを僕たちがいうところの曲線と解し,図形というのをそうした曲線によって構成されるものであると解しているなら,意味は理解することができますから,定義として成立するのです。ただこうした定義によって成立する公理系の内部においては,たとえば四角形を図形ということはできないというだけです。
したがってこうした定義は,私は一定の空間を囲むふたつの直線のことを図形という,というような仕方で言明されるなら,意味は滞りなく通じますから,定義として成立するのです。したがって,どのようなものが図形と記号化され,またどういったものが直線と記号化されるかということには,大した意味があるわけではありません。このことは,私はXであるものをAという,という命題においては,Aが何であっても,意味が通じさえすればいいわけですから,Aの部分がどのように記号化あるいは言語化されていても構わないということから理解することができるでしょう。
第一部定義六 は,神は無限に多くの属性から成っている実体substantiam constantem infinitis attributisと解する intelligereという形式で定義されています。よってここまでに検討したことから明白なように,神という部分はどのように記号化されていてもよいのです。無限に多くの属性から成っているということが十全に認識されるということだけがすべてであるといえます。
うらなり,坊っちゃん,山嵐の3人の出自と出身 の規定や,職員会議における山嵐の発言 などを見てみると,確かに『坊っちゃん 』という小説は,徳川幕府に仕えた側が,明治維新によって権力を握ることになった人びと,それは維新の志士たちが中心でしょうから,維新の志士たちに対して,復讐をする物語であると読むことが可能です。もちろん『坊っちゃん』は,単純な勧善懲悪 の小説ではないので,復讐するといっても,社会的成功 を収めるのは維新の志士たちの方であるという側面はありますが,その場合でも,幕臣と維新の志士 の対立という構図が描かれていることには変わりはありません。
『坊っちゃん』をそのような小説として読むことができるということは,実は僕が自力で発見したことではありません。評論に教えられたことです。この説を敷衍している論評はいくつか目にしたように記憶していますが,ここでは石原千秋の『漱石と三人の読者』という書籍の中の指摘を紹介します。この書籍自体は未紹介ですから,全体の内容などは後に詳しく書くことにします。
この本の中に,『坊っちゃん』というのは佐幕派が明治の時代において再び敗れるという物語であり,同時に佐幕派への挽歌であるという主旨の指摘があります。文脈の全体でいうと,江戸と明治の対立軸があり,明治批判が近代批判に通じるという視点です。僕はこうした指摘を受けるまで,近代批判は別に,江戸と明治という対立軸があるということには気付いていませんでした。そこで『坊っちゃん』を読み直すと,確かにこの指摘は妥当だと思ったのです。
ただ,それ以上の関心は広がりませんでした。なぜそのように読むことができる物語になっているのかということがまったく分からなかったからです。ところが後に『漱石追想 』の中の,「腕白時代の夏目君 」というエッセーを読むと,漱石自身に佐幕派への挽歌を書くという動機が潜んでいたのかもしれないと思うようになりました。ブログでは先にエッセーがあり,後に『坊っちゃん』の読解に移行していますが,僕の中での実際の順序は以上のようなものだったのです。
スピノザがことばと観念 は異なるということを指摘するとき,重視するのは観念ideaは思惟の様態cogitandi modiで,実在的有entia realiaであるのに対し,ことばはそのようなものではないことです。観念は観念対象ideatumを撮影した写真のようなものではないのに対し,ことばは観念対象に便宜的に命名された記号であって,観念に比較していうなら,観念対象を撮影した写真とか,観念対象をスケッチした絵画のようなものです。他面からいえば,観念は,第一部公理六 から,必ず観念対象を有するものではありますが,そうした観念対象がなくてもあることも考える concipereこともできるものであるのに対し,ことばというのはそのことばによって意味されるものがないなら,あることも解することもできないような記号なのです。
観念が実在的有であるということは,次のように考えると簡単に理解することができます。第二部定理四三 にあるように,僕たちは僕たちの精神 mensのうちに真の観念idea veraがあるなら,自分の精神のうちに真の観念があるということを知ることができます。いい換えれば,僕たちの精神のうちにあるその観念が真の観念であるということ,あるいは同じことですがその観念が十全な観念idea adaequataであるということを知ることができます。僕たちがそのように知ることができるのは,その観念が実在的有であるからなのであって,もしそれが実在的有でないとしたら,こうした事象は生じようがないことになるでしょう。
たとえば第一部定義六 を理解するために必要なことは,絶対に無限なabsolute infinitum実体substantiamというのが十全に概念されるということであり,それが神Deumであるということではありません。神ということばからこの定義 Definitioが認識されるのではないのです.この定義でいわれている神は,キリスト教神学における神とは異なるのであって,神学的立場における神ということばからこの定義を理解すること,十全に認識することはできません。このことはスピノザの哲学が無神論 とみなされたことからも明白だといえるでしょう。神ということばが何か意味をもつのではなく,絶対に無限な実体およびその観念が実在的有であるということにのみ意味があります。それが神といわれなければならない理由はないのです。
第65回ニューイヤーカップ 。
発馬と加速がよかったのはリヴィフェイスでしたが内からノブレスノアが応戦。3番手にミゲルとフレールフィーユとカイル。6番手にマルカンブロンドとエンタクノキシとナインバイパーとダイナソー。2馬身差でモンバイトとフレッシュグリーン。3馬身差でバイザウェイという隊列で発走後の正面を通過。向正面でノブレスノアが単独の先頭に立ち,2番手にリヴィフェイス。3番手にミゲルとダイナソーという隊列に変化しました。ミドルペース。
3コーナー前からノブレスノア,リヴィフェイス,ダイナソーの3頭は雁行に。少し離れてミゲルとカイル。直線に入るとノブレスノアが少し外に出たので,内を回っていたミゲルが前の3頭に追いついてきて4頭の競り合いに。ここから最も内のミゲルとノブレスノアの外のリヴィフェイスが抜け出し,ほぼ並ぶようにフィニッシュ。写真判定となり,優勝は内のミゲル。リヴィフェイスがハナ差で2着。優勝争いからは脱落したものの逃げたノブレスノアを差したダイナソーが1馬身半差で3着。逃げたノブレスノアは半馬身差の4着。
優勝したミゲル は南関東重賞初制覇。これまでに7戦して2勝,2着が3回で3着が1回,残る一戦も5着ときわめて安定した成績を残していました。このレースは最終コーナーで内を回ったら直線で内が開くという幸運があってのハナ差での勝利ですから,必ずしも能力でほかを負かしたというレースではありません。現状はまた走れば結果も変わってくるであろう力関係とみておくのがよさそうです。父はディープブリランテ 。母の父はキングカメハメハ 。4代母がクリアアンバー 。従兄に2011年に朝日チャレンジカップを勝ったミッキードリーム 。
騎乗した船橋の本田正重騎手は一昨年の平和賞 以来となる南関東重賞12勝目。ニューイヤーカップは初勝利。管理している山中尊徳調教師は開業から13年半で南関東重賞初勝利。
近藤は『脳内革命』を参考にすることによって,右脳と左脳の働きの差異によって,直感と理論を分類しています。なので右脳を駆使して麻雀をプレイしていた飯田が,左脳によってそのプレイをうまく説明することができなかったということは,論理的に受け入れることができるものでした。このことをそのままスピノザの哲学に照合させると,右脳が第三種の認識 cognitio tertii generisを担い,左脳が第二種の認識 cognitio secundi generisを担当するということになります。つまり飯田は第三種の認識を駆使して麻雀をプレイし,第二種の認識によってはそれを説明することができなかったという解釈になるのです。ところが,第五部定理二八 によって,第三種の認識は第二種の認識の蓄積によって成立する認識なので,第三種の認識を駆使したプレイを第二種の認識で説明することができないというのは,不条理ではないかという疑問が残るのではないでしょうか。この疑問は解決しておかなければなりません。
僕は飯田の知性 intellectusのうちで生じていたのは,おそらく以下のような現象であったと想定します。
飯田は確かに第三種の認識を駆使することによって麻雀をプレイしていたのです。ですからその第三種の認識を生じさせるための第二種の認識は飯田の知性のうちに蓄積されていたのです。つまり飯田自身はその第二種の認識がいかなるものであるかということは理解していたのです。ところがそれを他人に対して説明するという段になると,飯田はそれができませんでした。いい換えれば,飯田は自身の知性のうちにある十全な観念idea adaequata,あるいは諸々の十全な観念の秩序ordoや連結connexioを,言語化するということができなかったのです。こうした現象は,だれにでも生じるというわけではありませんが,それが生じてもおかしくないという場合もあります。なぜなら,ことばと観念 は異なるものだからです。
観念というのは思惟の様態cogitandi modiであって,それが十全な観念,いい換えれば第二種の認識や第三種の認識の産物としてある人間の知性のうちに存在するのであれば,それ自体で実在的有entia realiaです。ところがことばというのは記号にすぎず,実在的有ではありません。むしろそれは第一種の認識cognitio primi generisに依存あるいは依拠したものです。
大宮記念の決勝 。並びは黒沢‐宿口‐平原‐武藤の埼玉,深谷‐和田の南関東,山田‐原口の九州で成田は単騎。
武藤がスタートを取って黒沢の前受け。5番手に成田,6番手に山田,8番手に深谷で周回。残り2周のホームから深谷が上昇。誘導を斬った黒沢は深谷を前に出させないまま打鐘から突っ張り先行。深谷は引かざるを得なくなり,周回中と同じ並びの一列棒状になりましたが,5番手の成田と6番手の山田の間に差がついてしまいました。バックに入ると宿口が番手から発進。山田と深谷は不発に終わり,前の4人が抜け出しました。宿口との車間を開けていた平原が直線から踏み込んで優勝。直線の手前から踏み出した成田が大外から伸びて1車身半差で2着。平原マークの武藤は4分の3車輪差の3着までで番手捲りの宿口が4分の3車身差で4着。
優勝した埼玉の平原康多選手は10月の寛仁親王杯 以来の優勝。記念競輪は3月の大垣記念 以来で記念競輪28勝目。大宮記念は2008年 ,2010年 ,2011年 ,2013年 ,2015年 ,2017年 ,2020年 ,2021年 と優勝していて三連覇となる9勝目。このレースは自力がある4人でラインを組んだ埼玉勢が圧倒的に有利。前受けすることができた時点で,ラインから優勝者が出ることがほぼ確実に見込めました。山田と深谷は何としてもスタートを取らなければいけなかったと思います。着差からは余裕があったようですので,平原はもっと宿口との車間を開けてもよかったかもしれません。
『脳内革命』が出版されたのは1995年です。近藤が麻雀のプロになったのは33歳のときで,近藤の生年は1963年ですから,それは1996年になります。もちろん近藤はプロになる以前から麻雀をプレイしていたわけですから,これだけで麻雀に関連する事柄を『脳内革命』と関連付けて腑に落ちたといっていることを後付けだということはできません。ただし近藤は,基本的に麻雀は理論に基づいてプレイしていて,直感を用いるようにしたのにはある契機がありました。それはプロとして近藤が師事していた,あるいは私淑していた,飯田正人の死です。飯田は最強の麻雀プロであった可能性がある人物です。
近藤は飯田に師事していたので,飯田のプレイについて,なぜそのプレイをしたのかを何度か尋ねたことがあるのですが,飯田はまともに答えることができなかったので,尋ねることを諦めたという意味のことをいっています。ただしそれは,飯田のプレイを理解することを諦めたというのとはちょっと違います。なぜそのプレイが発生するのかを,当人に尋ねるのではなく,自分で考えるようにしたということです。
これは近藤がプロになった後のことです。すなわち『脳内革命』が出版された後のことです。ですから右脳と左脳の働きの違いということは理解していたことになります。近藤は著書でそのように明言しているわけではありませんが,飯田は左脳ではなく右脳を駆使して麻雀をプレイしているのであり,それを左脳の働きによって説明することができないのであるというように解し,それを自身の左脳によって言語化することを試みたわけです。飯田のプレイが発生する理由を近藤が自分で考えるということを,『脳内革命』と関連付けて説明するなら,そういうことになるでしょう。
飯田の死後に近藤は急速に力を発揮するようになり,プロの中でもトッププロといえる存在になりました。そのことと,近藤が左脳より右脳を駆使してプレイすることを心掛けるようになったことの間には,はっきりとした因果関係があると思われます。飯田が死んだことによって近藤は師匠の真似をするようになり,それが強くなる契機となったのです。
岡田美術館 で指された昨日の第48期女流名人戦 五番勝負第一局。対戦成績は里見香奈女流名人が21勝,伊藤沙恵女流三段が6勝。
岡田美術館の館長による振駒 で伊藤三段の先手。初手から居飛車を明示すると,後手が居玉のまま急戦を目指し,先手が応じたのですぐに乱戦になりました。厳密にいうと後手の仕掛けはやや無理だったかもしれません。
第1図まで進むと☖6五同飛☗5五歩☖同飛☗5六歩までは一本道。
その局面は分岐で,実戦は☖7七角 と激しく攻め込みました。☗同金☖同歩成☗同玉まで先手は避けようがありません。☖5六飛と取って攻めが繋がると後手は読んでいたようですが,☗5八歩と受けられて苦慮することになりました。
攻めきれないと駒損の後手が不利ですが,それは困難だったようです。☖7七角がやりすぎで,☖4五飛と緩めておくべきでした。
伊藤三段が先勝 。第二局は23日に指される予定です。
僕は『脳内革命』を読んだことがないのですから,近藤の解釈が正しいのかどうかということは分かりません。確かなのはこれを読んだ近藤は,自身の経験を照らし合わせるときに,科学的なあるいは生理学的な説明として腑に落ちたということです。近藤がなぜ脳に興味があったのかということは著書の中に説明がないので不明ですが,もしかしたら自身の経験は,脳の働きと関係しているのではないかと漠然とであれ考えていたからだったかもしれません。そして同時に,この僕の推測が誤りであったとしても,おそらく近藤はそのようなベクトルで物事に興味を持つ人物であるということは間違いないと思います。だから近藤は自身のことを哲学的に説明しようとは思っていないし,そのような説明を必要としていないでしょう。他面からいえば,仮にスピノザの哲学を近藤が知ったとして,第二種の認識cognitio secundi generisと第三種の認識cognitio tertii generisという概念notioを理解したとしても,それで腑に落ちるということはなかったろうと僕は思います。
哲学というのはどのような学問に対しても,形而上学的な基礎付けとなり得ると僕は考えています。近藤の解釈が正しいとすれば,左脳は第二種の認識を担い,右脳が第三種の認識を担当するという仕方で,『脳内革命』を形而上学的に基礎づけることができると思います。そして僕自身の関心はスピノザの哲学に向かっているわけですから,近藤とは逆に,近藤の経験がスピノザの哲学に妥当しているという方向で腑に落ちることになるのです。これは志向性の違いであって,何を志向しているかに相違はあったとしても,結論となるベースの部分は一致することになります。なぜなら真理veritasは唯一であって,どのような方向からそこに向かっても,最終地点は同じになるからです。単純にいえば,科学者は科学者として真理に到達し,哲学者は哲学者として真理に到達するのであり,それが同じ事柄の真理であるなら,到達地点は同じになるのです。
近藤が腑に落ちたというのは,算数や数学の問題に特化していたわけではありません。自身の麻雀のプレイとも関連した記述にはなっています。ただしこのことは『脳内革命』の出版時期から,後付けの説明です。