スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

東京2歳優駿牝馬&第五部定理四二備考の意味

2022-12-31 19:32:44 | 地方競馬
 北海道から2頭,岩手から1頭が遠征してきた第46回東京2歳優駿牝馬
 大外のボヌールバローズがかなり楽にハナに立ちました。外に切り返してきたエイシンレアと並んで逃げるようなレースに。2馬身差でジョリダムとマカゼ。2馬身差でメイドイットマムとサーフズアップ。2馬身差でアトカラツイテクルとラビュリントス。2馬身差でスギノプリンセス。直後にビーチアネラとフジラプンツェルとアレナル。2馬身差でフジコチャン。ウバリとコスモモカが最後尾を併走。前半の800mは50秒3のミドルペース。
 3コーナーを回ると外からマカゼが追い上げてきて,2番手のエイシンレアは騎手の手が激しく動き始めました。さらに外からスギノプリンセス。コーナーワークで少し外に出したボヌールバローズが外からの追い上げを一旦は振り切りましたが,内を回って直線だけボヌールバローズの外に出てきたメイドイットマムが2番手に上がってボヌールバローズを差すと,そのまま抜け出して快勝。マカゼは伸びを欠きその外に出てきたサーフズアップと大外を回らされたスギノプリンセスが並んでボヌールバローズを追撃。しかし2頭とも届かず,ボヌールバローズが4馬身差で2着。きわどく迫ったサーフズアップがハナ差の3着でスギノプリンセスは半馬身差で4着。
 優勝したメイドイットマムは北海道でデビュー。5着になったエーデルワイス賞まで北海道で走り,前走から船橋に転入。転入初戦は4馬身差で快勝していました。ここでも力量は遜色がない1頭。ただこのレースは逃げ馬の4コーナーでのコース取りの関係で,最終コーナーで内を回った馬が有利になりました。そこに乗じたという面がありますので,着差ほどの能力差が2着以下の馬たちとあるというようには考えない方がよいと思います。北海道時代は1200m以下のレースに出走していましたが,距離がこれくらいはあった方がよいでしょうし,さらに延びても大丈夫だと思います。母の父はゼンノロブロイ。4代母が1991年にローズステークスとエリザベス女王杯を勝ったリンデンリリー。10代母がシュリリー
 騎乗した船橋の本橋孝太騎手は平和賞以来の南関東重賞30勝目。第45回からの連覇で東京2歳優駿牝馬2勝目。管理している船橋の石井勝男調教師は開業から15年9ヶ月弱で南関東重賞初勝利。

 賢者は賢者としてみられる限りで心を乱されることがないという,第五部定理四二備考のいい方は,一読すると不自然に思えるのではないでしょうか。ある人間が賢者であるなら,その人間は賢者としてみられるでしょうから,このような持って回ったいい方はせずに,単に賢者はほとんど心を乱されることがないといえばよいように思えるからです。しかしこれはあえてそういっているのであって,逆にいえばこのようないい方をする必要があったということだと僕は考えます。
                                   
 その理由となっているのは.賢者と無知者あるいは自由の人homo liberと奴隷と分かたれるように人間は現実的に存在するのではなく,同じ人間が賢者にもなるし無知者にもなり,同様に自由の人にもなるし奴隷にもなるという点にあるのだと僕は考えます。そして同時に,無知者であることあるいは同じことですが奴隷であることを全面的に回避することができる人間は現実的には存在し得ないという点にあるのだと僕は考えるのです。よって現実的に存在する人間は,賢者としてみられるならば,いい換えれば賢者であるときには,ほとんど心を乱されることがないのであって,その人は無知者にもなり得るのであり,無知者であるときには心を乱されることもあるのです。いい換えれば現実的に存在する人間が心をほとんど乱されずにいられるのは,その人間が賢者であるときだけなのです。あるいはその人間が能動的であるときだけなのです。
 僕は備考Scholiumのこの部分は,上述のような意味に解されるべきであると思います。すなわち賢者はといわれるときの賢者とは,文字通りの賢者というよりは,単に現実的に存在する人間,少なくとも賢者であるときが多い人間のことを意味するのであり,賢者としてみられるという部分の方を,賢者であるときすなわち能動的であるときと解し,その限りにおいてその人間は心をほとんど乱されることがないと解するべきだと考えます。常に心を乱されることがない賢者が現実的に存在するということを暗黙の前提としているというようにこの部分は読解することもできますが,そうした読解は誤りerrorであると僕は考えるのです。
 それでは別の部分の探求に移ります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京シンデレラマイル&第五部定理四二備考

2022-12-30 19:29:12 | 地方競馬
 第16回東京シンデレラマイル
 ダノンレジーナ,モンサンラファータ,ジュランビル,リネンファッションの4頭が前に。先手を奪ったのはダノンレジーナで2番手にモンサンラファータ。3番手にリネンファッションとなり,向正面で引いたジュランビルが2馬身差の4番手。6馬身差でセパヌイールとレディオスター。3馬身差でスピーディキック。8番手にディアリッキー。9番手にシゲルルビー。2馬身差でトップザビル。3馬身差でロカマドール。3馬身差でカンバンムスメとマルカンセンサーが最後尾を併走。前半の800mは48秒3のハイペース。
 3コーナーから大外をスピーディキックが捲り上げてきました。直線に入ったところではダノンレジーナがまだ先頭でしたが,2番手まで上がっていたスピーディキックがすぐに前に出ました。そのまま抜け出したスピーディキックが快勝。大外から追い込んできたトップザビルが3馬身半差で2着。セパヌイールが1馬身差の3着でシゲルルビーが半馬身差で4着。ロカマドールが半馬身差の5着でした。
                                   
 優勝したスピーディキックはここがロジータ記念以来のレース。南関東重賞は6勝目。ここが古馬との初対戦でしたがおそらく通用するだろうとみていました。その期待に応えてくれる文句なしの圧勝。2歳のときに勝っていますので,来年は再度の重賞制覇が目標になるでしょう。距離はこれくらいの方がいいのではないかと思います。父はタイセイレジェンド。母の父は2003年にシンザン記念と武蔵野ステークス,2007年に佐賀記念を勝ったサイレントディール
 騎乗した御神本訓史騎手はロジータ記念以来の南関東重賞57勝目。第8回,12回に続く4年ぶりの東京シンデレラマイル3勝目。管理している浦和の藤原智行調教師は南関東重賞6勝目。東京シンデレラマイルは初勝利。

 理性ratioそのものが感情affectusを抑制したり除去したりできるというのは,基本的にデカルトRené Descartesの思想です。よってそのデカルトの思想に従っている限りでは,その人は自由の人homo liberであることはできないでしょうし,賢者であることもできないでしょう。感情を抑制したり除去したりするのはそれとは別のより強力な感情ですから,自由の人ないしは賢者であるためには,理性から何らかの感情を発生させ,なおかつその感情が,受動感情より強力であるようにする必要があるのです。
 とはいえ,受動感情そのものは,人間が現実的に生きている限りでは必ず隷属する感情なのですから,その限りではすべての人間が奴隷でありまた無知者です。ここから理解することができるように,ある人間が現実的に存在しているとして,Aは自由の人であってBは奴隷であるとか,Cは賢者であってDは無知者であるということはできません。あるいはそのように理解するのは適切ではないと僕は考えます。むしろ同じ人間が自由の人になったり奴隷になったりするのであり,同様に同じ人が賢者であったり無知者であったりするのです。各々の人間に相違が発生するのは,その人間が自由の人である機会が多いか少ないか,あるいは賢者である時間が長いか短いかという点にあるのであって,その相違だけが,ある人間と別の人間を,自由の人と奴隷に,あるいは賢者と無知者に分類するのです。いってみれば自由の人タイプの人間と奴隷タイプの人間,また賢者タイプの人間と無知者タイプの人間に分割することは可能ですが,自由の人と奴隷,賢者と無知者というように,正確に分類されるわけではありません。
 このことは,第五部定理四二備考で無知者について記述された直後の部分に反映されていると僕は考えています。
 「賢者は,賢者として見られる限り,ほとんど心を乱されることがなく,自己・神および物をある永遠の必然性によって意識し,決して存在することをやめず,常に精神の真の満足を享有している」。
 ここでは,賢者はほとんど心を乱されないといわれずに,賢者は賢者としてみられる限りで心を乱されないといわれています。これは意図があるいい方だと僕は考えます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

農林水産大臣賞典東京大賞典&抑制と除去

2022-12-29 19:03:47 | 地方競馬
 第68回東京大賞典。本田正重騎手が27日の9レースで落馬し,右鎖骨の骨折の疑いがあり,ミヤギザオウは今野騎手に変更。
 逃げたのはショウナンナデシコ。2番手にカジノフォンテン。3番手はノットゥルノとアトミックフォース。5番手にラッキードリーム。6番手にライトウォーリアとメイショウハリオ。8番手にウシュバテソーロとサンライズホープとリンゾウチャネル。11番手にゴールドホイヤーとミヤギザオウ。ドスハーツとレッドガランの2頭がやや離れた最後尾を併走という隊列。前半の1000mは63秒5のスローペース。
 向正面で大外からサンライズホープとリンゾウチャネルの2頭が上昇。このために3コーナーではショウナンナデシコ,カジノフォンテン,サンライズホープ,リンゾウチャネルの4頭が雁行に。コーナーの途中でカジノフォンテンとリンゾウチャネルは脱落し,直線の入口ではショウナンナデシコとサンライズホープの併走に。直線に入るとショウナンナデシコが一旦はサンライズホープとの差を広げたものの,またサンライズホープが追ってきて競り合い。するとその2頭の外から伸びてきたメイショウハリオが先頭に。しかしそれも束の間,サンライズホープとリンゾウチャネルが動いた段階ではじっとして,直線は大外から脚を伸ばしたウシュバテソーロの末脚が一閃。あっさりとメイショウハリオを差し切り,そのまま抜け出して優勝。外から捲られる形になったため動くことができず,大外のウシュバテソーロが抜けてからメイショウハリオのすぐ外から伸びたノットゥルノが1馬身4分の3差で2着。メイショウハリオが2馬身半差で3着。
 優勝したウシュバテソーロは重賞初挑戦での大レース制覇。今年は例年に比べて出走メンバーのレベルが低く,ここのところオープンを連勝していたこの馬にも十分に勝機があるだろうと思っていました。勝ち方は鮮やかで,つけた着差も十分ではありますが,これからもトップクラスで戦っていかれるのかどうかは,僕はこのレースだけでは判断できないのではないかと思います。父はオルフェーヴル。母の父はキングカメハメハ。母の7つ上の半兄に2003年の東京新聞杯を勝ったボールドブライアン。Ushbaはジョージアにある山の名前。
 騎乗した横山和生騎手は宝塚記念以来の大レース3勝目。東京大賞典は初勝利。管理している高木登調教師は中山大障害に続いての大レース8勝目。第61回以来7年ぶりの東京大賞典2勝目。

 第四部定理七は,感情はそれと反対のより強力な感情affectu fortiore, et contrarioによって抑制されまた除去されるといっています。ここで反対の感情といわれているのは,相反する感情を意味するのであって,同じ主体subjectumのうちに,あるいは同じ知性intellectusや同じ身体corpusのうちに,同時に存在することができない感情です。そしてそうした相反する感情が,元の感情より強力である場合だけ,元の感情は抑制されまた除去されるのです。受動感情が感情であることは当然ですから,どのような受動感情も,それが抑制されたり除去されたりするのは,この様式でしかないということになります。
                                   
 そこで自由の人homo liberあるいは賢者は,この様式に従って,受動感情を抑制したり除去したりしようとします。つまり自身のうちに,元の受動感情より強力な感情を発生させることによって,受動感情を抑制しまた除去するのです。自由の人とか賢者というのは,具体的にはある行動をなす人の総体のことですが,このような仕方で受動感情の抑制や除去に励むことは,その人が自由の人でありまた賢者であることの,必要条件のひとつを構成するといっていいでしょう。
 ただし,受動感情を抑制したり除去したりするのにそれより強力な感情を発生させるといっても,その感情がまた受動感情であったら元も子もありません。それはある受動感情から別の受動感情に隷属するという意味であって,これでは奴隷は奴隷のままですし,無知者は無知者のままであるからです。よって,受動感情を抑制するより強力な感情は,能動的な感情でなければなりません。ただ,基本感情affectus primariiのうち,能動的な感情であり得るのは第三部定理五九によって喜びlaetitiaであるか欲望cupiditasであるかのどちらかで,能動的な悲しみtristitiaはありませんから,実際に受動感情を抑制するために発生させるのは,能動的な喜びないしは能動的な欲望であって,こうした喜びまたは欲望を発生させる限りで,その人は自由の人といわれ,また賢者といわれ得ることになります。
 ここには,理性ratioそのものが感情を抑制したり除去したりすることはできないという,スピノザの思想の特徴的原理が含まれています。ただそれはここでは探求しませんので別の部分を参照してください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホープフルステークス&受動感情

2022-12-28 19:19:38 | 中央競馬
 第39回ホープフルステークス
 モンドプリュームは発馬後にたたらを踏むような形になり2馬身の不利。逃げたのはトップナイフで2番手にドゥラエレーデ。3番手にシーウィザードとフェイトとミッキーカプチーノ。2馬身差でグリューネグリーン。7番手にファントムシーフ。8番手にセレンディピティ。9番手にセブンマジシャン。10番手にハーツコンチェルトとボーンイングランデとジュンツバメガエシ。13番手にヴェルデンベルクとジェイパームスとキングズレイン。16番手にガストリック。2馬身差でモンドプリューム。最後尾にスカパラダイスという隊列。前半の1000mは61秒5のスローペース。
 3コーナーからはトップナイフとドゥラエレーデが雁行。後続も差を詰めてきましたが,直線の入口でこの2頭がまた後ろとの差を広げました。ここからフィニッシュまでこの2頭の競り合い。2頭はほとんど並んでのフィニッシュとなり写真判定。優勝は外のドゥラエレーデ。逃げ粘ったトップナイフはハナ差で2着。大外を追い込んできたキングズレインが1馬身4分の1差で3着。
 優勝したドゥラエレーデはこれが2勝目での大レース制覇。前走は東京スポーツ杯2歳ステークスに出走していて4着。一般的に2歳の大レースはずっと勝ち負けしていた馬たちが上位争いを演じるのもので,この馬のようなタイプが勝つのはレアケース。これは能力よりも展開が結果に及ぼす影響が大きかったからだと思われます。なのでこのレースの結果だけでクラシック候補とはいえないかもしれません。父はドゥラメンテ。母の父はオルフェーヴル。母のふたつ上の半兄に2016年のJRA賞の最優秀3歳牡馬のサトノダイヤモンド。Eredeはイタリア語で最高の後継者。
 騎乗したドイツのバウルジャン・ムルザバエフ騎手は日本馬に騎乗しての大レースも日本での大レースも初勝利。管理している池添学調教師は開業から7年10ヶ月弱で大レース初制覇。

 受動passioを受動感情だけに限定しても,現実的に存在するすべての人間がそこから免れることはできない,いい換えればその限りにおいて奴隷でありまた無知者であるということは,人間の現実的本性actualis essentiaから具体的に帰結します。
                                    
 第三部定理二七によれば,ある人が何らかの感情affectusに刺激されていると表象するimaginariと,それを表象した当の人も,それと同じ感情に刺激されます。いわゆる感情の模倣imitatio affectuumです。こうした感情の模倣は受動感情のひとつであって,現実的に存在する人間が他の人間と関係をもつ場合には,必ず生じます。感情の模倣は人間の現実的本性から生じるからです。
 もしもある人間が現実的に存在し,その人間が他の人間とは一切の関りをもたないとするなら感情の模倣は生じないでしょうが,その場合には第四部定理三が適用されるのであり,その人間は生きていくことができません。人間がたったひとりで全自然に対峙していくということはできないからです。よって,現実的に人間が存在するということは,その人間が他者と何らかの関係をもっているということを意味します。よってその人間には感情の模倣が生じます。なので現実的に存在する人間は,受動感情から免れるということはできないことになり,その限りにおいては奴隷であり無知者であるということになります。この点もまた重要なのであって,もしも受動感情だけに限定したとしても,自分は一切の受動感情から免れることができるような自由の人homo liberであると思っているような人や,賢者であるといったりするような人は,自分について誤っているのであり,むしろ奴隷であり無知者であるといわれなければなりません。
 ただし,たとえ受動感情から免れ得ないのが現実的に存在する人間であるとしても,その受動感情に長くまた多く刺激されている人間もいれば,受動感情に刺激されるafficiことが短くまた少ないという人間が存在することは確かです。その差異によって,奴隷または無知者に近い人間と,自由の人あるいは賢者に近い人間とに分かれていくということは僕は否定しません。少なくとも受動感情をどのように処理するべきか知っているかいないかで,その差は歴然としてくる筈だからです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アユサン&無知者

2022-12-27 19:12:22 | 名馬
 朝日杯フューチュリティステークスを勝ったドルチェモアの母はアユサンです。父はディープインパクト
 2歳10月にデビューして新馬戦を勝利。すぐにアルテミスステークスに出走して2着になりました。賞金を加算できたので阪神ジュベナイルフィリーズへ。ここは7着でした。
 3歳春のチューリップ賞で復帰。このレースは3着でしたが,出走権利を得た桜花賞で優勝。重賞初制覇を達成するとともに,大レースの勝ち馬にもなりました。オークスは4着。
 この後で故障してしまい,復帰したのは4歳3月の中山記念。ジャスタウェイの勝ったこのレースは最下位。さらにダービー卿チャレンジトロフィーも11着と大敗を喫したため,競走生活には見切りをつけて繁殖牝馬となりました。
 繁殖入りして最初の産駒は競走馬としてデビューできませんでした。2頭目は4戦して未勝利。3頭目が2勝あげて,産駒として初の勝ち馬に。この馬はまだ現役です。4頭目は6戦して1勝でこちらも現役。そして5頭目がドルチェモアです。競走馬として超一流であったかといえばそういうわけではありませんが,大レースは勝ちました。そして産駒の1頭がやはり大レースを勝ったのですから,名牝の1頭といってもいいでしょう。

 第四部定理四系は,現実的に存在する人間は常に受動passioに隷属するといっています。これでみれば,現実的に存在する人間は,常に奴隷であるあるいは同じことですが,常に無知者であることになります。これはこれで重要です。人間が完全な意味で自由の人homo liberであるとか賢者であるとかいうことはないのです。もしある人が『エチカ』を読んで,自分は賢者であると思ったり,自由の人であるといったりするとすれば,それはその人が誤っているということを示します。むしろそのような人は奴隷であり無知者であるというべきでしょう。
                                   
 しかし,自由の人とか賢者というのが何の意味も持たないというわけではありません。確かに人間は常に受動に隷属しているのですが,その隷属には程度の差があるからです。現実的に存在している人間は,受動に隷属していないのなら能動的であることになります。もっとも,常に受動に隷属しているのですから,現実的に存在している人間は,完全な意味で能動的であるということはできません。これは最も単純にいえば,人間は空気がなければ生きていくことができないというような意味です。現実的に存在している人間は理性ratioに従っている限りでは能動的ではありますが,そのときにも呼吸はしているのであり,その限りでは受動的です。人間が常に受動に隷属しているとは,単純にはこのような意味であって,人間が常に受動感情に隷属しているというようなことを意味しているわけではありません。したがって,受動感情に隷属してばかりいる人間と,理性に従っている人間とを比較すれば,後者は前者よりも賢者ですし,同様に自由の人であることになります。この点で,ある人間が自由の人であるといったり賢者であるといったりすることには意味があるのです。つまり,賢者が存在するとか自由の人が存在するということは,第四部定理四や第四部定理四系と齟齬を来すことはありません。
 なお,受動感情についても,一切の受動感情に隷属しない人間が現実的に存在するということはありません。どんな人間にも受動感情に隷属することはあるのであって,その限りでは現実的に存在するすべての人間は,無知者であり奴隷です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

椿賞争奪戦&賢者

2022-12-26 19:49:31 | 競輪
 昨日の伊東温泉記念の決勝。並びは中野に大川,野原‐村田の近畿,嘉永‐山崎‐中本‐田中の九州で渡辺は単騎。
 野原がスタートを取って前受け。3番手に嘉永,7番手に渡辺,8番手に中野で周回。残り3周のホームの入口から中野が上昇していこうとしましたが,嘉永が自転車を外に出して牽制。この間に村田と嘉永の車間が開いたので,バックで渡辺が内を突いて3番手に追い上げました。ただこれに構わず嘉永が発進。バックの出口ではマークの山崎と共に野原を叩きました。野原は引かずに中本の内で粘りました。この競り合いがバックまで続き,バックで野原が村田を浮かして3番手を奪取して打鐘。嘉永の牽制でいかれなかった中野がここから発進。しかしホームで山崎が番手から発進。山崎の後ろは近畿勢が続き,上昇してきた中野は村田に牽制されて失速。すると村田の後ろにいた渡辺が村田をどかして3番手に。直線は山崎マークのレースになった野原が山崎を差して優勝。野原の外から差し込もうとした渡辺が2着で到達しましたが,内側追い抜きがあったために失格となり,最終コーナーで内を回って山崎と野原の間を突いた大川が4分の3車輪差で繰り上がっての2着。山崎は4分の1車輪差で4着。
 優勝した福井の野原雅也選手は9月の福井のFⅠ以来の優勝。記念競輪は一昨年の広島記念以来となる2勝目。このレースは嘉永の先行が有力。すんなりと駆けられてはほかのラインは苦しくなるのが明白。そのために野原は前で受けて飛びつくとという作戦を採ったのでしょう。その作戦がものの見事に決まっての優勝ですから,作戦勝ちといえる結果だと思います。山崎は番手から出ていくのが少し早すぎたような気はしますが,中本が3番手を守れなかったのが大きな痛手となりました。

 『エチカ』の中で,賢者というのに最も相応しいのは,第四部定理六六備考で示されている自由の人homo liberです。これは異論がないところでしょう。
                                   
 この備考Scholiumの中では,自由の人に対しては奴隷servusが対置されています。したがって,自由の人が賢者であるとみなされるなら,ここで奴隷といわれているのが無知者に該当することになります。はっきりとした形ではありませんが,スピノザは自由の人を無知者と対比的に使用している場合もあります。たとえば第四部定理七〇は,それ自体では無知の人びとと自由の人を対置しているとはいえないかもしれませんが,明らかに対比はしているのであって,したがってこの定理Propositioで無知の人びとといわれている人びとのことを,第四部定理六六備考でいわれている奴隷と同じ意味に解しても,問題はないでしょう。というか,この定理は,自由の人は奴隷たちの親切を避けようとするというように解して間違いないのであって,それはつまり,無知の人びとと奴隷は同じ意味であるということにほかなりません。一方,第五部定理四二備考の無知者と第四部定理七〇の無知の人びとを異なった意味に解するのは無理があります。よって第五部定理四二備考の無知者と,第四部定理六六備考の奴隷は,同じ意味であるとして問題ありません。というより同じ意味であると解するべきでしょう。
 次に,第五部定理四二備考では,無知者が外部の諸々の原因causaから様ざまな仕方で揺り動かされるといっています。これは無知者の受動passioを意味します。このことはそれ自体で明白でしょう。しかしこのことから重要なことが帰結します。というのは,第四部定理四から理解できるように,現実的に存在する人間が働きを受けないでいるということはできないことになっているからです。これでみれば分かるように,現実的に存在するすべての人間は無知者であり奴隷です。他面からいえば,無知者にならずに現実的に存在する人間は存在しません。同じことですが,奴隷にならず現実的に存在し続けられる人間はいません。
 しかしこれでは,賢者とか自由の人ということに,何か意味があるのかが疑問になってくるでしょう。この疑問を解消することにします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

有馬記念&第五部定理四二備考

2022-12-25 20:03:36 | 中央競馬
 グランプリの第67回有馬記念
 タイトルホルダーが先手を奪いました。2番手との差が最も広がったのが2コーナー付近で3馬身くらい。2番手にはブレークアップ。3番手はジャスティンパレスとボッケリーニとディープボンド。6番手にイズジョーノキセキとエフフォーリア。8番手にポタジェ。9番手にイクイノックス。10番手にウインマイティーとアリストテレスとヴェラアズールとラストドラフト。14番手にジェラルディーナ。15番手にボルドグフーシュ。3馬身差の最後尾にアカイイトという隊列。ミドルペースでした。
 3コーナーからは後続がタイトルホルダーとの差を詰めにいきました。直線の手前ではタイトルホルダー,ディープボンド,エフフォーリア,イクイノックスの4頭が雁行。一番外のイクイノックスはとても手応えがよく,直線に入って先頭に立つとそのまま抜け出して快勝。その後から追い上げてきたボルドグフーシュが2馬身半差で2着。直線の入口でもまだ後方だったジェラルディーナがボルドグフーシュを追って1馬身半差の3着。
 優勝したイクイノックス天皇賞(秋)からの連勝で大レース2勝目。少ないキャリアで天皇賞を勝った馬ですから強いことは分かっていて,ここでも有力候補でしたから,優勝自体は驚くような結果ではありませんが,こんなに楽勝することができるとは僕には予想外でした。この勝ち方ですからこの路線ではトップに立ったとみていいのではないでしょうか。父は第62回を勝ったキタサンブラックで父仔制覇。母は2015年にマーメイドステークスを勝ったシャトーブランシュでその父がキングヘイロー。4代母がブランシュレイン。ひとつ上の半兄に昨年のラジオNIKKEI賞を勝ったヴァイスメテオール
                                        
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手は天皇賞(秋)以来の大レース制覇。第50回,61回を制していて6年ぶりの有馬記念3勝目。管理している木村哲也調教師は天皇賞(秋)以来の大レース4勝目。有馬記念は初勝利。

 入門書を読むことの意義についての概説はここまでにします。ここからは『はじめてのスピノザ』の内容に関係する考察に移ります。これも前もっていっておいたことですが,ここからの考察は,入門書に見合った考察,いい換えれば入門者向けの考察というわけではなく,スピノザの思想の中身に深く入っていく場合が生じます。
 『はじめてのスピノザ』の第一章の二節で,國分は第五部定理四二備考の一部を抜粋しています。この節は哲学する自由libertas philosophandiという表題となっています。
 「無知者は,外部の諸原因からさまざまな仕方で揺り動かされて決して精神の真の満足を享有しないばかりでなく,その上自己・神および物をほとんど意識せずに生活し,そして彼は働きを受けることをやめるや否や同時にまた存在することをもやめる」。
 これが國分が抜粋している部分です。國分はこれが具体的に何を意味しているのかということを解説しています。僕もここでこの部分の意味というのを考察していきます。
 まず最初に,ここでは無知者といういわれ方をしています。この備考Scholiumでは賢者といういわれ方をしている部分がこの部分の前後にあり,この無知者というのは賢者と比較されているということは,備考の全体を読めば理解することができます。ただ,具体的に無知者がどういう人のことを意味して,賢者がどういう人のことを意味するのかということが明らかでないと,この部分は,外部の諸々の原因causaから多くの仕方で揺り動かされる人のことを無知者というのだというようにしか理解できません。そして同様に,そのようには精神mensを揺り動かされない人のことを賢者というのだというふうにしか理解できないでしょう。もちろんそれらの説明は,確かに無知者および賢者の特性,存在しているあり方というのを正しく説明しているので,そのように理解して問題があるというわけではありませんが,『エチカ』の他の個所との比較で,この備考でいわれている無知者が何を意味して,また逆に賢者がどういった人のことを意味しているのかということが分かれば,この備考でスピノザがいわんとしていることもより容易に理解できるようになるだろうと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

農林水産省賞典中山大障害&國分の志向

2022-12-24 19:34:04 | 中央競馬
 第145回中山大障害
 逃げたのはビレッジイーグル。2番手にアサクサゲンキとケンホファヴァルト。4番手にオジュウチョウサン。5番手にテイエムタツマキとテイエムチューハイとゼノヴァース。8番手にニシノデイジー。9番手にマッスルビーチ。10番手にマイネルレオーネ。最後尾のブラゾンダムールだけが離されて最初の正面に。前の並びはビレッジイーグル,ケンホファヴァルト,ゼノヴァースの順になり,その後ろにアサクサゲンキとオジュウチョウサンに。この後,離されていたブラゾンダムール中団まで漸進し,11頭が一団でのレースになりました。
 レースが動いたのは各馬が大生垣を飛越してから。内の方からケンホファヴァルトが上がってくると,さらにその内からニシノデイジーも進出。3頭が横並びになるとビレッジイーグルは下がりました。コーナーワークでニシノデイジーが単独の先頭に立って向正面に。2番手にケンホファヴァルト。この時点でビレッジイーグルがまだ3馬身差の3番手。その後ろは4馬身差でゼノヴァース。さらにオジュウチョウサン,マイネルレオーネの順になりました。3コーナーを回るとケンホファヴァルトが一杯に。ゼノヴァースが2番手に上がりましたが,この時点で前のニシノデイジーとの差が大きく,直線に入っても追いつくことができず,優勝はニシノデイジー。ゼノヴァースが3馬身差で2着。直線で内から追い込んできたマイネルレオーネが1馬身4分の3差で3着。
 優勝したニシノデイジーは2歳のときに札幌2歳ステークスと東京スポーツ杯2歳ステークスを勝った馬。しかしそれ以降は勝ち星をあげることはできませんでした。障害を走り始めたのは今年の5月。初戦は3着で2戦目に初勝利。前走はオープン特別で2着になってここに出走してきましたので,格下の伏兵。障害重賞初挑戦での大レース制覇となりました。このレースは前半は後ろ目に待機していた馬が上位に入りましたが,ペースが速いタフなレースだったというわけではありません。早めにスパートしたことが,ほかの馬との差になったと考えられます。障害の王者として君臨できるのかはまた分かりませんが,このキャリアでの大障害制覇は立派だと思います。母の父はアグネスタキオン。祖母の父が1998年に皐月賞と京都大賞典と菊花賞,1999年に日経賞と札幌記念を勝ったセイウンスカイ。曾祖母がJRA賞で1991年の最優秀2歳牝馬,1992年の最優秀3歳牝馬と最優秀スプリンターに選出されたニシノフラワー
 騎乗した五十嵐雄祐騎手は2014年の中山グランドジャンプ以来の大レース3勝目。第136回以来となる9年ぶりの中山大障害2勝目。管理している高木登調教師は2017年のJBCクラシック以来の大レース7勝目。中山大障害は初制覇。

 『はじめてのスピノザ』を詳しく紹介することもできますので,著者である國分の志向がどのあたりにあるのかということを考えておきましょう。サブタイトルが「自由へのエチカ」であることからも分かるように,國分のスピノザの思想全体の中での志向が,とくに『エチカ』の中にあるということはすでに明らかになっています。
                                        
 この本は,最初と最後,つまりこの種の本によくある「はじめに」という部分と「おわりに」という部分を除外すると,五章から構成されています。各々の部分の主題となっているのは,第一章が善bonumと悪malum,第二章がコナトゥスconatus,第三章が自由libertas,第四章が真理veritas,第五章が神DeusおよびデカルトRené Descartesです。こうした章の割り振りによって,國分が『エチカ』のどの部分に強い関心を抱いているのかということは朧気ながらでもみえてくるでしょう。國分はスピノザ関連の入門書ではない著作として,『スピノザの方法』を出版していますが,これは『はじめてのスピノザ』でいえば,第四章と第五章に明らかに関連しているといえますから,確かに國分は自分の志向に基づいて入門書を著しているといえるのです。
 ここではスピノザの思想の入門書を具体例として示しましたが,このことはあらゆる技術の習得および知識の習得に応用が可能であるといえます。ごく一般的にいえば,どのような入門書であれ基礎的指導であれ,その著者なり指導者なりの志向というのが含まれているのであって,その志向を見抜くことができれば,自身の技術や知識を向上させていく際に効果を発揮します。ただし,著者なり指導者なりの志向を見抜くということ自体が,それぞれに差があるにせよ,それを見抜くための一定程度のレベルアップが必要なのであって,したがってある程度のレベルアップが果たされた後に,入門書や基礎的な指導に立ち返っていくということが大切なのです。入門書というのは入門者のために書かれたものであり,また基礎的指導というのは,その技術や知識を習得していくのに必要な部分の指導です。しかし一定程度のレベルアップが果たされると,その入門書や基礎的指導の中に,それまではみえなかったものがみえてくるようになるのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リコー杯女流王座戦&工藤の志向

2022-12-23 19:38:58 | 将棋
 20日に指された第12期女流王座戦五番勝負第四局。
 加藤桃子女流三段の先手で後手の里見香奈女流王座のごきげん中飛車。9筋を突き合ってから①-Aに進み,4筋で銀が向かい合う形。先手はその後に居飛車穴熊に組みました。
                                        
 後手はここで☖2一飛と指しましたが,この手が不用意だったかもしれません。先手は☗4四角☖同歩と切って☗4三銀と打ちました。☖5三角と逃げたときに☗3二銀成が飛車取り。☖5一飛に☗3三成銀で,先手が二枚換えの駒得になりました。
                                        
 第2図は後手の手番なので条件はさほど悪くなさそうですが,大駒を働かせるのが難しく,後手がバランスを保つのが難しい局面になっているようです。
 加藤女流三段が勝って2勝2敗。第五局は今日指されました。

 『人と思想 スピノザ』は,『哲学書概説シリーズ スピノザ『エチカ』』とは異なり,題名からも分かるように,『エチカ』の入門書ではなく,スピノザの思想全般の入門書です。しかしこの点は置いておきましょう。内容だけでいえば,『人と思想 スピノザ』は際立った特徴を有するわけではありません。とくに『哲学書概説シリーズ スピノザ『エチカ』』と比べたときには,どのような特徴があるのか理解しにくいと思われます。しかし実際にはそこには著者である工藤喜作の志向が現れています。その志向とは,ひとつは工藤はスピノザの思想そのものを理解するということより,その思想を現実化するということ,いってみれば思想の解明よりその実践に重きを置いています。そしてそれといくらかの関連性を有しているともいえますが,スピノザの哲学の形而上学的部分については,最低限のことを理解しておけば十分であり,それ以上に深く追求する必要はないというように考えています。実際に工藤は後に『スピノザーナ15号』のインタビュー記事で,それに類することを発言していますが,こうしたことは『人と思想 スピノザ』にも表出はしているのであって,そのことは,スピノザの思想全般について一定のレベルに達している読者であれば理解できることなのです。ですから工藤自身の発言を待つまでもなく,スピノザの哲学の形而上学的部分を深く探求しようというう場合には工藤の論考はあまり参考にならないであろうということ,一方でスピノザの思想を実践として活用するというのが具体的にどのようなことであるのかを知りたいという場合には,工藤の論考には役立つところが含まれているであろうということは,この入門書を読めば理解することができます。ですから,スピノザの思想の習得の段階がかなり上がってきたからといって,入門書を読むという営為,あるいは部分的にでも読み返してみるという試みは,意味をもたないわけではないのです。
 『はじめてのスピノザ』は,表題だけでいえばスピノザの入門書ですが,すでにいったように副題は「自由へのエチカ」ですから,『エチカ』の入門書という色合いが濃くなっています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴールドカップ&著者の意図

2022-12-22 19:02:22 | 地方競馬
 第60回ゴールドカップ
 好発はスマイルウィ。それを外から追い抜いていったサルサディオーネの逃げ。控えたスマイルウィが2番手。3番手はアマネラクーン,ティーズダンク,キャッスルトップの3頭でここまでが先行集団。4馬身差でブラックストームとモリデンアローとルーチェドーロ。4馬身差でアポロビビ。差のない最後尾にジョーグランツという隊列。最初の600mは36秒3のミドルペース。
 3コーナーからスマイルウィがサルサディオーネに並び掛けていきました。その後ろは内がアマネラクーンで外にティーズダンク。直線は逃げたサルサディオーネと並び掛けていったスマイルウィ,さらにその外に出てきたティーズダンクの争い。ティーズダンクは直線の途中で一杯。懸命に粘るサルサディオーネをスマイルウィが差して優勝。逃げ粘ったサルサディオーネが4分の3馬身差で2着。ティーズダンクが1馬身差で3着。
 優勝したスマイルウィサンタアニタトロフィーからの連勝で南関東重賞3勝目。このレースは力量上位と目された3頭が上位を独占するという順当な結果に。それぞれに一長一短あったのですが,スマイルウィの場合は距離が1400mになってどうかという点。スピード負けすることはありませんでしたが,これは発馬が抜群であったことが大きかったように思います。それでも小回りの1400mで勝ったのは収穫でしょう。適性のあるレースに出走していけば,大きく崩れるということはないように思います。父はエスポワールシチー
 騎乗した大井の矢野貴之騎手は勝島王冠に続く南関東重賞33勝目。ゴールドカップは初勝利。管理している船橋の張田京調教師は南関東重賞9勝目。ゴールドカップは初勝利。

 入門書を読むことによって著者の志向を知り,それを自身のステップアップに生かすということは,ある程度まで熟練した上で可能になることです。それは,ステップアップをする段階まで熟練している必要があるということではなく,著者の志向を比較する作業をするために,一定程度の熟練を要するという意味です。したがって,ある程度のスキルアップをした後に,入門書を読み返すという作業に意味があることになるのです。いい換えれば,入門の段階では理解できなかったことが,スキルをアップさせたことによって理解することができるということが,入門書にも含まれているのです。入門書の目的は,文字通りに入門者にそれをやさしく解説することですし,著者もそのような意図の下に入門書を著すのですが,その意図を超えた部分が必ず入門書には含まれています。そしてその部分はある程度のスキルをものにした上で理解できることなのですから,ある程度のスキルを得た上で改めて入門書を読むということには意義があるのです。
 この比較は,さらに熟練の段階によって理解の度合いに差が生じてきます。これはスピノザの思想の入門書を例示して具体的に説明します。
                                        
 『哲学書概説シリーズ スピノザ『エチカ』』は,スピノザの入門書というよりは『エチカ』の入門書といえます。ただ,『エチカ』はそれなりの分量があるものですから,そのすべてを同じ程度に紹介していくということは,入門書の性質からしてできません。そこで『エチカ』の入門書としてこの本を読んだときに,僕が書評で紹介したような際立った特徴があるということは,スピノザの思想についてあるいは『エチカ』について,さほどの知識を有していなくても理解することができると思います。もっといえば,たぶんいくつかの入門書を読み比べるというだけで,この本はほかの入門書にはない特徴を有しているということを理解できるでしょう。よってこの本の著者である河井徳治の志向が,どういう方面にあるのかということは,スピノザの哲学や『エチカ』についての知識をさほど持っていなくても理解できる筈です。
 では『人と思想 スピノザ』はどうでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

農林水産大臣賞典兵庫ゴールドトロフィー&著者の志向

2022-12-21 19:48:53 | 地方競馬
 第22回兵庫ゴールドトロフィー
 オーロラテソーロが逃げました。2番手にオヌシナニモノで3番手にラプタス。4番手にサクセスエナジーと発馬後に躓いたイグナイター。6番手のシャマルまでは差がなく続きました。3馬身差でナラ。8番手にイルティモーネ。4馬身差でハナブサ。4馬身差でミスティネイルとクレールアドレ。2馬身差の最後尾にマイネルサーパスで発馬後の正面を通過。ミドルペースでした。
 向正面に入るとオーロラテソーロ,オヌシナニモノ,イグナイターの3頭が横並びになり,2馬身差でラプタスとシャマルが併走。ここからオヌシナニモノが脱落し,3コーナーからはオーロラテソーロとイグナイターが雁行し,直後をラプタスとシャマルが併走。直線に入るとイグナイターが脱落。内を回ってオーロラテソーロの外に出てきたラプタスがオーロラテソーロを差して先頭に。外を回ったシャマルが追ってきましたが届かず,優勝はラプタス。シャマルが1馬身差で2着。向正面で一旦は離されたものの大外から猛然と追い込んできたサクセスエナジーが1馬身4分の1差の3着。一杯になったオーロラテソーロはハナ差で4着。
 優勝したラプタスは昨年のサマーチャンピオン以来の勝利で重賞5勝目。このレースは力関係がはっきりとしていて,上位の5頭とそれ以外は差がありましたから,その5頭の争いになるだろうと思っていました。斤量がやや不利になっていたのですが,それをコース取りでカバーしての優勝。今年はあまり多くのレースを使うことができなかったのですが,能力が衰えたわけではないということを証明しました。順調に使っていかれれば,まだ勝ち星を積み重ねることができるだろうと思います。父はディープブリランテ。5代母がファーストアクトとバウンドトゥダンスの祖母にあたる同一牝系。Raptusは衝動。
 騎乗した幸英明騎手と管理している松永昌博調教師は兵庫ゴールドトロフィー初勝利。

 スピノザの思想というのはその全体は多岐にわたります。したがって,入門書でそのすべての部分を詳しく紹介していくことはできません。しかしスピノザの入門書である以上は,紹介から漏れてしまう部分があっては好ましくありません。したがって,簡単に紹介する部分と重点的に紹介される部分というのが出てきます。入門書というのは多くの分量があること自体が不適切だといえますから,これは致し方ないところでしょう。他面からいえば,スピノザの思想を全般的に細かく紹介する入門書というのは,書いて書けないことはありませんが,紙幅の都合ということを考慮に入れれば,実在しませんし,今後も実在することはないでしょう。
                                        
 このときに,どの部分を重点的に紹介するのかということは,当然ながら著者に委ねられることになります。著者に委ねられるということは,どの著者によって入門書が書かれるのかということによって,どの部分が重点的に紹介され,どの部分が省略されるのかということが変じてきます。このとき,それがどのように変じているのかを比較することによって,著者が何を重視しているのかということが分かります。入門書を書くにあたってある著者がある特定の部分を重点的に説明しているとすれば,それがその著者に委ねられている以上,その著者にとってスピノザの思想の重要な部分はそこにあるというように解しているということの表出であるからです。
 このことは,スピノザの思想の理解をステップアップしていくときに有効です。たとえばAという著者はXを重点的に紹介し,Bという著者はYを重点的に紹介しているなら,AはXを,BはYを重視しているということの現れです。そこでもしもXの部分についてステップアップすることを目指そうとするならば,Aの考えを参考にする方が,Bの思考を参考にするよりも有効でしょう。もちろんここでいう考えというのは,入門書を意味するのではなく,もっとレベルが高い段階にある学術書のことを意味します。つまり,入門書を読むことによってその著者の志向というのを理解することができ,後に自身がステップアップしたいときに役立てることができるのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

棋王戦コナミグループ杯&有用性

2022-12-20 19:07:58 | 将棋
 昨日の第48期棋王戦挑戦者決定戦変則二番勝負第一局。対戦成績は藤井聡太竜王が3勝,佐藤天彦九段が1勝。
 振駒で藤井竜王の先手となって佐藤九段の横歩取り
                                        
 第1図から☖6五歩☗4六銀☖6六歩☗3五銀と一直線の攻め合いになりました。後手の手順が最善であったかどうかは分かりませんが,むしろこの順に踏み込んでいった先手の判断が素晴らしかったように思います。というのも☖6七歩成☗同玉☖8八角成☗同銀と進んだ局面は,玉が露出して危険に思えるからです。
                                        
 実際は第2図で後手に思わしい順がなく,先手が優位に立っています。危険にみえるけれども大丈夫と判断できれば踏み込んでいくという,藤井竜王のよさが発揮された一局だったと思います。
 藤井竜王が勝利。藤井竜王は本戦の敗者組なので,第二局で挑戦者が決定することに。その第二局は27日に指される予定です。

 野球選手にとってのキャッチボール,将棋のプロ棋士にとっての簡単な詰将棋のように,それを繰り返すことに意味がある基本的事項が,『エチカ』をあるいはスピノザの思想を学習していく場合にもあります。たとえば第一部定義一は,その定義Definitioの内容自体についてはそれを覚えてしまえば,復習する必要はないでしょう。スピノザが自己原因causa suiというとき,それが何を意味するのかということについては,覚えていさえすればそれだけで十分であり,それを繰り返す必要はないからです。ただ,スピノザがこの定義を『エチカ』の冒頭に設置したことには意味があるのであって,その意味について復習することは意義があります。これはただ覚えておけばよいというものではなくて,スピノザが自己原因というとき,その自己原因の意味というのを,単にそこで定義されている内容よりも深めて理解することができるからです。そしてその深まった理解が,習得の段階をアップさせていくことに有用になる場合があるのです。
 ここまでが,基本的事項の復習は,どのような知識や技術を習得していこうとする場合にも重要であるということの理由です。基礎的事項の中には,復習することが不要であるような基本的事項もあるのであって,そうしたことについて復習するというのは,自分自身のレベルアップを目指すという場合には単に時間の無駄といわなければなりません。しかし一方には,復習することが重要である基本事項というのもあるのであって,そうした基本事項に関しての復習は,時間の無駄であるどころか,自身のレベルをアップさせていく際に有用であるといえるでしょう。とくに知識の学習に関しては,基本的事項を繰り返して復習していくことによって,第三種の認識cognitio tertii generisが働きやすくなるという効果もありますので,それはむしろレベルアップするための時間の短縮に役立つ筈です。
 ここからは,個別の事情について説明していきます。前もっていっておいたように,これはスピノザの哲学を個別の事例として説明していきますが,入門書を読むことの重要性という点では,ほかの事例にも応用は利きます。もちろんそれは知的学習に限ったことではありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひろしまピースカップ&伝達

2022-12-19 19:22:10 | 競輪
 昨日の広島記念の決勝。並びは坂井‐田中の東日本,寺崎‐石塚の近畿,松浦に山田,犬伏‐久米の徳島で原田は単騎。
 寺崎の前受け。3番手に松浦,5番手に坂井,7番手に原田,8番手に犬伏で周回。残り3周のバックを過ぎて犬伏が上昇を開始。ホームの出口で寺崎を叩きました。久米の後ろにスイッチしたのが原田。松浦がうまく4番手に入り,6番手に坂井,引いた寺崎が8番手の一列棒状になって打鐘。動きがあったのはバックに入ってからで,3番手に入った単騎の原田が発進。原田の後ろの松浦がそれに続きました。さらにその後ろからは坂井の追い上げ。原田が先頭で直線に入りましたが,直線では一杯。原田との車間を少し開けていた松浦が,外から迫る坂井をうまく牽制し,抜かせずに優勝。坂井が4分の1車輪差で2着。原田が1車輪差で3着。
 優勝した広島の松浦悠士選手は9月の岐阜記念以来の優勝で記念競輪18勝目。広島記念は2018年2021年に優勝していて連覇となる3勝目。ここはグランプリに出走する選手は地元の松浦以外は出走しませんでしたので,脚力は上位で順当な優勝。スピードは坂井の方が上だったのですが,うまく牽制して抜かせませんでした。道中で坂井の前に位置した立ち回りと,坂井のスピードを殺した牽制が勝因で,競走の巧みさによる優勝だといえそうです。結果的にラインは関係なく,脚力で優位に立つ選手が上位を独占したレースでした。

 自分が知識なり技術なりを習得していく場合は,振り返る必要がない基本的事項というのが,どのようなジャンルであってもあります。ただ,自分が身につけた技術や知識を他に伝達するという場合にはこれは成立しません。その場合にはどんな基礎的事項であったとしても.そこから振り返る必要があります。とくに,伝達する相手が何の技術も知識も有していないという場合には,そのような基本的な事項から始めていくというのが必須です。これは,あるゲームを他人に説明するときに,その人がそのゲームのルールの基本的知識を知らないのであれば,その部分から伝達する必要があるということから明白でしょう。野球のルールを知らない人に技術を伝達してもその技術は用いようがありません。同様に,駒の動かし方を知らない人に将棋の基本手筋を伝えることはできません。したがって,第一部定義六でいわれていることを理解していない人間には,Deusは存在するということを説明しても,その神が何を意味するのかということは分かってもらえませんから,結局のところその説明自体が無意味に帰すことになります。よって,スピノザの哲学のような,國分のいい方に倣えば僕たちが物事を考える場合にその影響を受けているオペレーションシステムとは別のオペレーションシステムについて考えていることを伝達するというときには,伝達する当の人間には不要であるような復習を繰り返さなければならない機会がそれなりに増加していくのは当然です。いい換えれば,自身が知識や技術を身につけていくことにはそれぞれに難易度の差があるのは当然ですが,それと同じように,それを伝達する場合にも,何を伝達するのかということによって,難易度に差があるのです。
                                    
 一方,自身にとって不要な基本的事項の復習というのがあるにしても,不要とはいえないような,いい換えれば必要とまではいえないにしても有用な復習というのもあります。たとえばプロの野球選手がキャッチボールをするということは,単にウォーミングアップ以上の意味があると僕は考えます。同様に将棋のプロ棋士が,ごく簡単な詰将棋を解くということも,有用なことだと僕は考えます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝日杯フューチュリティステークス&例外

2022-12-18 19:11:43 | 中央競馬
 第74回朝日杯フューチュリティステークス
 好発はドルチェモア。オールパルフェ,バグラダス,グラニットの4頭で先行集団を形成。2馬身差でキョウエイブリッサとウメムスビ。7番手にティニアとレイべリング。9番手のスズカダブルまでの5頭が好位集団。2馬身差でダノンタッチダウンとミシェラドラータとエンファサイズ。2馬身差でドンデンガエシとコーパスクリスティ。2馬身差でオオバンブルマイ。3馬身差でフロムダスク。最後尾にニシノベストワンという隊列。前半の800mは45秒7の超ハイペース。
 最終的に先手を奪ったのはオールパルフェ。グラニットが2番手で追い,3コーナーでは2馬身差の3番手にドルチェモアとウメムスビ。直線に入るとドルチェモアがグラニットの外へ。そのまま内の2頭を差して先頭。その外からレイべリングが追い上げてきて,さらに外から伸びてきたダノンタッチダウンの3頭の優勝争い。先んじていたドルチェモアがフィニッシュまで先頭を譲らずに優勝。外のダノンタッチダウンがクビ差の2着で真中のレイべリングがクビ差で3着。
 優勝したドルチェモアは8月に新馬を勝った後,サウジアラビアロイヤルカップで重賞制覇。これで3連勝での大レース制覇となりました。このレースは前走で1番人気か2番人気に推された上で勝っている馬が勝つ傾向にあり,今年はそれに合致する馬が3頭しかいませんでした。この馬はそれに合致する馬で,かつそれが重賞だったのはこの馬だけでしたので,傾向からは勝つ可能性が最も高いと思われ,その傾向通りの決着に。ただ2着馬はいかにも未完成というように思われますし,3着馬も新馬を勝ったばかりだったことを考えると,将来的には逆転ということも大いにありそうに思えます。父はルーラーシップ。母は2013年に桜花賞を勝ったアユサンでその父はディープインパクト。Dolceはイタリア語で甘い。
 騎乗した坂井瑠星騎手は秋華賞以来の大レース3勝目。朝日杯フューチュリティステークスは初勝利。管理している須貝尚介調教師はヴィクトリアマイル以来の大レース17勝目。朝日杯フューチュリティステークスは初勝利。

 次の段階に進む場合は,それ以前の段階のすべてをクリアしているのでなければなりません。したがって,知識を習得するのであれ技術を習得するのであれ,さらに次の段階に進もうというときに,最初の段階を復習しておくことが重要になるということは理解できたと思います。これが,どのような知識であれ技術であれ,それを習得していく過程において,基本を振り返ることが重要であるということの理由です。ただし,基本を振り返るといっても,そこには例外があります。というのも,基本の中にもそれぞれの段階というものがあるのであって,それが身についているのなら,これもまた技術を身につけるということと知識を身につけるということの両方を意味しますが,もう振り返るような必要がないことというのもあるのです。
 たとえば野球の技術を身につけるためには,バットをどう持つのかとか,ボールをどう握るのかといったようなことは,身についてしまえば振り返る必要はありません。同様に,将棋の技術をさらに高い段階へと踏み出そうというときに,いくら基本を振り返らなければならないからといって,駒の動かし方から振り返る必要はないのです。こうしたことが,『エチカ』を深く探求してくという場合にも当て嵌まります。
                                   
 たとえば第一部定義六は,絶対に無限な実有ens absolute infinitumいい換えれば無限に多くの属性によってその本性を構成されている実体substantiam constantem infinitis attributisのことを神Deumといっていますが,このことは理解さえしてしまえば復習する必要はありません。スピノザが神というとき,それは一般的にいえば特殊な意味を有しているといえるでしょうが,そこに特殊な意味があるということを覚えてしまったなら,それ以上のことは不要です。
 こうしたことは,定義Definitioとか公理Axiomaに特有のことではありません。たとえば第一部定理一というのは,第一部定義三第一部定義五を知ってさえいれば,そのまま流出してくる内容ですから,これらの定義を覚えてさえいるならとくに復習の必要はありません。つまり定理Propositioの中にも基本的部分が含まれていて,かつ復習の必要がないものというのがあるのです。
 ただしこれは,自分が知識なり技術なりを身につける場合です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本性の型と善悪&高度化

2022-12-17 19:17:34 | 哲学
 第四部序言の中で人間の本性の型について述べた後,スピノザはそれを善bonumと悪malumおよび完全性perfectioと関連付けて以下のように述べています。
                                    
 僕たちが僕たちの考える人間の本性の型にますます近づく手段になると確知するcerto scimusものは,僕たちにとっての善です。また,僕たちがその人間の本性の型に一致するのに妨げになると確知するものは,僕たちにとっての悪です。そして僕たちが人間の本性の型により多く近づくとき,その人間は完全であるといわれます。そしてその逆に,人間の本性の型により少なく近づくとき,その人間は不完全であるといわれるのです。
 すでに示したように,ここでスピノザが本性の型というとき,それが何を意味するのかということは明確ではありません。ただしここではこれを,能動的である場合の人間の本性natura humanaと解しています。そこでこの解釈の下に,『エチカ』のその他の個所との整合性を考えることにします。
 善と悪については,この序言の直後に,第四部定義一で善が,そして第四部定義二で悪が定義されています。ただし悪の定義Definitioに関しては,善の所有を否定するnegareという観点からされていますので,第四部定義一の方を考察の対象とします。
 第四部定義一を解するときに重要なのは,この定義で有益といわれているのが何を意味するのかということです。このブログではこれを,第三部定理七の現実的本性actualem essentiamに基づいて解しています。したがって,ある事物が自己の有に固執するin suo esse perseverare conaturことを促進するものが有益で,それを阻害するものは有益ではないと解します。有益でないというのは有害であるということですが,第四部定義二が善の所有の否定negatioとなっているので,ここでは積極的に有害とはいわず,消極的に有益ではないといっておきます。
 人間が自己の有に固執することが促進されるなら,その人間の現実的本性が人間の本性の型に近づいていくことを意味し得るでしょう。ですから第四部序言は,第四部定義一とは一致します。ということは,第四部定義二が第四部定義一の否定である以上,第四部定義二とも一致するでしょう。

 1という段階をクリアしないで2に進むことはできません。これは自明のことでしょう。どのような知識であれ技術であれ,いきなり2から始めることはできないのであって,まず1をクリアして,その上で2に進むことができるのです。つまり,1を習得しないで2を習得することはできないのであって,逆に2を習得したということは,1も習得しているということを示します。
 段階は無際限に続きますので,2をクリアすれば3という段階に進むことになります。どんな技術であれ知識であれ,それを習得する前,つまり段階1を習得していこうとするときは,最終段階というのがあるというように錯覚しがちですが,習得していけばいくほど,さらに上の段階があることがみえてくるものです。最初は低い山だと思っていたものが,いつしか頂上は高いということに気付き,さらに頂上がどこにあるのか,他面からいえば自身が登山中の山のどのあたりに位置しているのかということさえ分からなくなってきます。技術とか知識が無際限indefinitumであるということは,実際にはそれを習得していく過程で気付いていくものだといえるでしょう。
 段階3に進むためには段階2をクリアしていなければなりません。しかし,段階2さえクリアしていれば段階3に進むために十分であるのかといえばそうではないのであって,段階2だけではなく段階1もまたクリアしている必要があります。これは,段階2を習得するためには1をクリアしていなければならないということから当然のことです。ところがこの当然のことを疎かにしてしまうというケースが往々にして生じます。そのために,1から2に進むことは容易であったのに、2から3に進むのは極めて困難になるということが生じ得るのです。同様に,3よりさらに高度な4に進むときにも,3だけをクリアしていればよいのではなく,1と2と3のすべてをクリアしている必要があります。このような関係がずっと継続していくことになります。
 これでみれば分かるように1という段階は,段階をどんどん高度化していく際に,絶対に必要となってくるものなのです。なので,ときに段階1に立ち返るということが重要なのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする