以前,僕が頻繁に利用する競馬サイトと,チェックしている騎手のブログを紹介しました。今日はこれ以外で,僕がチェックしている中央競馬関係の主なブログ・コラムを紹介します。
河村清明さんの“競馬場通り”の住人。基本的に日常を綴るものですが,ときに鋭い問題提起があります。競馬とは関係ないですが,朝青龍関の問題に関するこの意見は,僕の考え方に近いものがありました。
須田鷹雄さんの須田鷹雄の日常・非日常。これはまとめて更新されるケースが多いです。
ブックログ。これは競馬ブックのトラックマンによる公式ブログ。僕は週刊競馬ブックを読んでいますし,中央では専門紙も競馬ブックを使っています。
坂井千明さんのチアキのトレセン便り。坂井千明さんは元JRAの騎手で,後進の指導にもあたっている方です。
丹下日出夫さんらによる丹下の懺悔。残念ながらホースニュース馬は廃刊になってしまいましたが,これはまだ続くようです。
島田明宏さんの日記。内容は確かに日記ですが,不定期更新です。
日刊競馬の柏木集保さんの重賞レース回顧。これはコラムで毎週月曜の更新。ほかに土曜メインレース展望,日曜メインレース展望もあり,これらはそれぞれ金曜と土曜に更新されます。
先日のフェブラリーステークスでは場内実況も担当した山本直也アナウンサーのデジタル万馬券。これは予想で,タイトル通りの穴狙いです。
僕の場合はこれくらい。なお,田中勝春騎手のブログと,中村将之騎手のブログを追記しておきます。
明日からは名古屋記念が開催されます。地元地区ですし,小嶋選手が中心になるでしょう。
第二部定理四九でスピノザが精神というとき,これは明らかに人間の精神のことを意味していると考えられます。そこでこの定理が,とくに人間の精神に限定しないで,一般に意志と観念との間に成立するというなら,その根拠を示しておくことが必要でしょう。
これにはふたつの方法があって,ひとつは,この精神というのを,人間の精神に限定せず,どんな精神であっても妥当することを示す方法です。もうひとつは,精神という枠組みを取り払って,一般に意志と観念について考えても,この定理の内容が妥当であることを示す方法です。そしてここでは後者の方法を採用することにします。というのは,第一部定理三二についての考察から,ここでは意志が思惟の様態であるということ,すなわち,とくにある精神のうちにあると考えられなくとも,もしも意志というものがあるなら,それは思惟の様態であるということが明らかになっていると前提しているからです。
今,第二部定理四九系から導き出したい事柄は,一般的な意味で意志なるものと観念なるものが同一のものであるということです。そこでもしも意志が一般的に思惟の様態であると考えることができるならば,それと同一のものも当然ながら思惟の様態であるということになるでしょう。これだけで現在の目的というのは達成することができます。したがって,第四部定理四九が正しいならば,意志は必ず思惟の様態としてありますから,このことは単に人間の精神のうちにある意志にのみ妥当するわけではなく,一般に意志であるものすべてに妥当することになり,このことが観念の場合にも妥当するということになるわけです。
河村清明さんの“競馬場通り”の住人。基本的に日常を綴るものですが,ときに鋭い問題提起があります。競馬とは関係ないですが,朝青龍関の問題に関するこの意見は,僕の考え方に近いものがありました。
須田鷹雄さんの須田鷹雄の日常・非日常。これはまとめて更新されるケースが多いです。
ブックログ。これは競馬ブックのトラックマンによる公式ブログ。僕は週刊競馬ブックを読んでいますし,中央では専門紙も競馬ブックを使っています。
坂井千明さんのチアキのトレセン便り。坂井千明さんは元JRAの騎手で,後進の指導にもあたっている方です。
丹下日出夫さんらによる丹下の懺悔。残念ながらホースニュース馬は廃刊になってしまいましたが,これはまだ続くようです。
島田明宏さんの日記。内容は確かに日記ですが,不定期更新です。
日刊競馬の柏木集保さんの重賞レース回顧。これはコラムで毎週月曜の更新。ほかに土曜メインレース展望,日曜メインレース展望もあり,これらはそれぞれ金曜と土曜に更新されます。
先日のフェブラリーステークスでは場内実況も担当した山本直也アナウンサーのデジタル万馬券。これは予想で,タイトル通りの穴狙いです。
僕の場合はこれくらい。なお,田中勝春騎手のブログと,中村将之騎手のブログを追記しておきます。
明日からは名古屋記念が開催されます。地元地区ですし,小嶋選手が中心になるでしょう。
第二部定理四九でスピノザが精神というとき,これは明らかに人間の精神のことを意味していると考えられます。そこでこの定理が,とくに人間の精神に限定しないで,一般に意志と観念との間に成立するというなら,その根拠を示しておくことが必要でしょう。
これにはふたつの方法があって,ひとつは,この精神というのを,人間の精神に限定せず,どんな精神であっても妥当することを示す方法です。もうひとつは,精神という枠組みを取り払って,一般に意志と観念について考えても,この定理の内容が妥当であることを示す方法です。そしてここでは後者の方法を採用することにします。というのは,第一部定理三二についての考察から,ここでは意志が思惟の様態であるということ,すなわち,とくにある精神のうちにあると考えられなくとも,もしも意志というものがあるなら,それは思惟の様態であるということが明らかになっていると前提しているからです。
今,第二部定理四九系から導き出したい事柄は,一般的な意味で意志なるものと観念なるものが同一のものであるということです。そこでもしも意志が一般的に思惟の様態であると考えることができるならば,それと同一のものも当然ながら思惟の様態であるということになるでしょう。これだけで現在の目的というのは達成することができます。したがって,第四部定理四九が正しいならば,意志は必ず思惟の様態としてありますから,このことは単に人間の精神のうちにある意志にのみ妥当するわけではなく,一般に意志であるものすべてに妥当することになり,このことが観念の場合にも妥当するということになるわけです。