スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
昨日の向日町記念の決勝。並びは菅田-佐藤-阿部-鈴木の北日本,郡司-田中の南関東,松浦-岩津の中国で井上は単騎。
鈴木がスタートを取って菅田の前受け。5番手に郡司,7番手に松浦,最後尾に井上で周回。残り3周のバックの出口から松浦が上昇。井上も続きました。しかしホームで菅田に並び掛けたところで菅田が突っ張り,誘導は退避。松浦は引いて5番手に内で郡司,外に松浦の併走。スローペースのまま打鐘。ホームの入口から菅田が発進しました。松浦は郡司を内に封じ込めるような形で発進。しかし最終コーナーで佐藤に牽制されて失速。踏むところがなかった郡司が内を突いて菅田と佐藤の間に割り込もうとしましたが,これも佐藤が阻止。佐藤はそこから踏み込ましたが,佐藤マークの阿部が佐藤の外から鋭く伸び,佐藤を差して優勝。佐藤が4分の3車輪差で2着となり,北日本のワンツー。佐藤に阻止された郡司が1車身差で3着。
優勝した宮城の阿部力也選手は記念競輪初優勝。FⅠでも一昨年に2度の優勝があるだけの選手ですから,このメンバーの中では伏兵。このレースは郡司と松浦の脚力が上位ですが,北日本勢が4人で結束しましたので,その展開の利を生かして佐藤の優勝はあり得るとみていました。しかし阿部が突き抜けての優勝は予測できませんでした。郡司と松浦が牽制し合うようなレースになったのは,北日本の作戦が上手だったからで,そういう展開に持ち込んだところで北日本には有利な展開に。佐藤の優勝かと思いましたが,直線の阿部の伸びが素晴らしかったです。
ここでは翼のある馬のことをペガサスということにします。
第二部定理四九備考がいっているのは,ペガサスを知覚するということと,馬に対して翼を肯定するのは同じことであるということです。これは,ペガサスの観念ideaと,馬に対して翼を肯定する意志作用volitioは同じだという意味です。他面からいうと,馬に対して翼を肯定する意志作用があるのでなければ,ペガサスの観念がある知性intellectusのうちにあることはできず,逆にペガサスの観念がある知性のうちにあるのであれば,この知性は馬に対して翼を肯定しているのでなければならないという意味です。よってこれは,ペガサスの観念は馬に対して翼を肯定する意志作用なしにはあることはできないし,馬に対して翼を肯定する意志作用はペガサスの観念があるのでなければあることができないという関係にあることを意味することになります。第二部定義二から分かるように,ペガサスの観念と馬に対して翼を肯定する意志作用は,事物と本性essentiaの間の関係に類する関係にあるとスピノザはいっているのです。
十全な観念idea adaequataの場合,観念とそれを肯定する意志作用が,事物と本性の間にあるのに類する関係にあるということはもっと分かりやすいでしょう。十全adaequatumなるものを十全なるものとして肯定する意志作用が,十全な観念なしにはあることができないのは当然であり,そうであるなら十全な観念が十全なるものを十全なるものとして肯定する意志作用なしにあることはできないということも帰結するからです。そしてスピノザは,こうした関係は十全な観念だけに特有にいえるような性質であるわけではなく,混乱した観念idea inadaequataの場合にも同じように妥当するとみていることになります。つまり混乱した観念にも意志作用が含まれているのであって,その意志作用という力potentiaの性質は,十全な観念に含まれてる意志作用が有する力の性質と同等であるといっていることになるのです。
これによって,意志作用が観念を,一般的にいえば意志voluntasが知性を超越し得ないという結論は導き出せます。ところが,このように,十全な観念であれ混乱した観念であれ,それを肯定する意志作用という力を同等の力とみなすと,今度は別の疑問が生じます。
第53回スプリンターズステークス。
ハッピーアワーは発馬後にすぐ控えました。先手を奪ったのはモズスーパーフレア。2番手はマルターズアポジー,イベリス,ファンタジストの3頭で5番手にセイウンコウセイ。6番手はディアンドル,ラブカンプー,ミスターメロディの3頭。9番手にダノンスマッシュ,タワーオブロンドン,ダイメイプリンセスの3頭でここまでは一団。12番手がリナーテとノーワン。14番手にアレスバローズとレッツゴードンキ。最後尾にハッピーアワー。前半の600mは32秒8のハイペース。
直線に入るところでモズスーパーフレアはついてきた先行勢を振り切りました。2番手になったのはミスターメロディでしたが,こちらもそこまでで一杯に。外から脚を伸ばしたタワーオブロンドンが粘るモズスーパーフレアを差して優勝。モズスーパーフレアが半馬身差で2着。タワーオブロンドンの後を追う形になったダノンスマッシュがクビ差で3着。
優勝したタワーオブロンドンは前走のセントウルステークスから連勝。重賞は5勝目で大レースは初制覇。この夏からスプリント路線に転じ,3着,2着,1着と,この距離に徐々に慣れてきていると思えるような成績を残していました。前々走で3着馬に負けていたのですが,前走は圧勝といえる内容で,能力的には差がなかったようです。今日は進路の選択などでこちらの方に利がありましたから,この2頭はレースの展開次第によって着順が入れ替わるような能力関係にあると考えておいてよいのではないかと思います。祖母のふたつ上の半兄に1997年にマイラーズカップとセントウルステークスを勝ったオースミタイクーン。
騎乗したクリストフ・ルメール騎手はかしわ記念以来の大レース制覇。スプリンターズステークスは初勝利。管理している藤沢和雄調教師は桜花賞以来の大レース制覇。第31回以来22年ぶりのスプリンターズステークス2勝目。
スピノザの哲学では,意志作用volitioという力potentiaは,真verumなるもの真として,十全adaequatumなるものを十全として肯定する力ではないと規定することによって,意志作用の総体である意志voluntasは,観念ideaの総体である知性を超越しないという結論を導きます。いい換えれば,混乱した観念idea inadaequataも意志作用を含んでいて,意志作用という力そのものとしてあると考えるのです。
スピノザがこのことをはっきりと明言しているのは第二部定理四九備考です。この文章は,知性というのが真の観念idea veraあるいは十全な観念idea adaequataの総体であるとするなら,意志voluntasは知性より広くわたる,すなわち意志は知性を超越するけれども,意志が知覚一般あるいは思惟する力より広くわたることすなわちそれを超越することはあり得ないというようにいっていて,それは真の観念あるいは十全な観念ではない観念すなわち誤った観念idea falsaあるいは混乱した観念にも意志作用が含まれるということを前提としないと成立しないからです。なおかつここではそれを思惟する力といっているのですから,この意志作用が力とみなされていると解さなければなりません。そして実際にはスピノザは,人間の知性という場合には,その人間の知性を構成しているすべての観念,十全な観念だけでなく混乱した観念も含めたすべての観念の総体としていうのですから,最初の部分,すなわち意志が知性よりも広くわたる,超越するということを否定していると解するべきだと僕は考えます。
真の観念あるいは十全な観念が含んでいる意志作用というのは,真なるものを真なるものとして,また十全なるものを十全なるものとして肯定する意志作用のことです。ですからそれがどのような意志作用であるのかということはそれ以上は問う必要がありません。では,混乱した観念が含んでいる意志作用というのはどのようなものなのでしょうか。いい換えればそれはどのように説明されるべき意志作用なのでしょうか。
スピノザはこの備考Scholiumのもう少し後の部分で,ひとつの事例をもってこれを簡潔に説明しています。
「翼ある馬を知覚するとは馬について翼を肯定するというのと何の異なるところがあろうか」。
知覚されるのは観念で,肯定するのが意志作用です。
25日と26日に平河町で指された第60期王位戦七番勝負第七局。
振駒で豊島将之王位の先手となり角換り相腰掛銀。木村一基九段の仕掛けに対して先手が大胆に応じましたが,そのあたりは均衡が保たれていたようです。
後手が歩を取り込んで王手を掛けた局面。ここで☗6八王と引いたのですが,後の手順から察すると☗6七王の方が優っていたと思われます。
後手は☖7二金と逃げ,☗7三銀成に☖5二飛と受けました。これは☗8二桂成があるだけにやや意外な受け方で,実際に☗8二桂成と指しておけば,先手に有望な変化も多かったようです。
実戦は☗2四歩☖同歩と突き捨てました。
ここで☗6二歩と打ちましたが,☖7七銀と王手に打たれて後手の攻め合い勝ちの順に進んでいます。☗6二歩は確実な手ですがこの局面では遅く,☗6二桂成から攻め合って勝てないと,すでに先手が悪くなっているのではないでしょうか。
木村九段が勝って4勝3敗とし,王位を奪取。初めてのタイトル獲得になりました。
意志作用volitioが観念ideaを超越することはないということを考えておかなければならない理由は,ここでは僕の妹の意志作用あるいは能力potentiaといったように,意志作用というのがある人間の精神mens humanaのうちにあるとみられる場合について語っているからです。他面からいえば,意志作用や観念がある現実的に存在する人間の精神mens humanaの一部を構成するとみられる場合には,意志作用が観念を超越するか否かということは,問題となり得るのです。
第二部定理七系の意味から分かるように,神Deusのうちにある観念はそのすべてが十全な観念idea adaequataです。よって,観念は必ず意志作用という力potentiaを含んで,あるいは意志作用という力そのものとして実在するのですから,神のうちにある観念があるとみられる限りにおいては,意志作用が観念を超越するということはありません。ある意志作用は必ず何らかの十全な観念を肯定する意志作用であるからです。ところが,ある観念が人間の精神のうちにあるという場合はこれとは異なります。人間の精神のうちには十全な観念だけがあるというわけではなく,混乱した観念idea inadaequataもあるからです。より正確性を期していうなら,人間は必ず事物を十全に認識するcognoscereというわけではなく,事物を混乱して認識する場合があるからです。
このとき,もしも意志作用というのが,真verumなるものを真として肯定する力である,あるいは同じことですが十全adaequatumなるものを十全であると肯定する力であると仮定するなら,意志作用は観念を超越するといわなければならないでしょう。なぜなら混乱した観念が含むような意志作用は,少なくとも真なるものを真として,十全なものを十全と肯定するような意志作用ではあり得ないからです。むしろこのいい方に則していうなら,混乱した観念が含む意志作用は,誤ったものを真として,混乱したものを十全なものとして肯定するような意志作用であるといわなければなりません。
したがって,もしも一切の意志作用は観念を超越しないと主張する場合には,混乱した観念は意志作用すなわち力を含まないというか,意志作用とは真なるものを真と,十全なものを十全と肯定する力だけではないというかのどちらかでなければならないことになります。
24日に囲碁将棋チャンネルで放映された第27回銀河戦の決勝。対局日は8月16日。その時点での対戦成績は豊島将之名人が8勝,渡辺明三冠が15勝。
渡辺明三冠の先手で相雁木。先手が早繰り銀から先攻しましたが,1筋を突き捨てたのがやり過ぎだったようで,うまく咎めた後手が優位に立ちました。ただ,後手がその1筋方面に逃げられたところ,反対側に逃げ出そうとしたため混戦の終盤に。
後手が銀を打った局面。ここは☗5二金と☗5三とのふたつの攻め筋がある上,☗同金☖同銀成☗同玉としてからそれらの攻めをみせる順があり,手が広いところ。この後の展開からすると,ここで☗同金と清算しておくのは有力だったようにも思え,この☖7八銀打は危険な手だったのかもしれません。
実戦は単に☗5三とでした。この香車はもしかしたら攻めに働いてくるかもしれず,それを取り除いておくという意味では有力ですが,☖同王で4二の金が浮いてしまったので,先手も細心の注意が必要に。☗5二金から俗に8筋方面に後手玉を追いやっておく指し方もあったかもしれません。
先手はそこで☗7八金☖同銀成☗同玉と清算。後手は☖6九馬☗8八玉☖7八金☗9七玉と端に追い詰め☖9五歩と突きました。
ここが最後の勝負所で,☗4四角以下力づくで後手玉を8筋まで追い,それから☗8五歩と逃げ道を開けておけば,まだ難しかったようです。実戦は単に☗8五歩としたため,☖4二王と金を取る手が生じ後手の勝ちになりました。
豊島名人が優勝。2016年の日本シリーズ以来となる2度目の棋戦優勝です。
ここまでのことから,スピノザの哲学における個々の意志作用volitioと個々の観念ideaの関係,一般的にいえば,個々の意志作用の総体としての意志voluntasと個々の観念の総体としての知性intellectusとの関係を僕たちは的確に把握することができます。すなわち意志作用という思惟の様態cogitandi modiは,あるいは意志という思惟の様態は,観念あるいは知性という思惟の様態を,力potentiaという観点からみたような思惟の様態なのです。つまり,観念というのが思惟の様態として実在するといわれるとき,その実在する観念は意志作用という力を有しているということになるのです。実在するということは力であり,実在しないあるいは実在し得ないということは,力と反対の意味で無能impotentiaです。このこと自体は明白でしょう。よって実在するものは何であれある力を含みつつ,というか力そのものとして実在するのです。このとき,とくに観念は意志作用という力を含みつつ,あるいは意志作用という力そのものとして実在するのです。よって僕たちはある思惟の様態を,単に客観的有esse objectivumとして把握するときにはそれを観念とみなしますが,客観的有という力という観点から把握するときにはそれを意志作用として把握するのです。ですから僕たちは意志作用というのを力として把握するので,意志があるとかないとかいうときには,それが実在するということを暗黙の前提とします。なのでXについてそれを肯定する場合にはXという意志があるとみなしますし,否定する場合にはXという意志はないというのです。一方,そもそもそうした力がない,つまりそれが思惟の様態として実在しないという場合には,意志がないといういい方はせずに,その力がない,能力が欠如しているといういい方をするのです。
ただ,このように意志作用を力としての観念,意志を力としての知性であるとみなす場合には,いくつかの疑問を呈されるおそれがあります。なのでここではそれについても弁明しておきます。
まずスピノザは,意志あるいは意志作用を力という観点から把握していると僕は解しますが,だからといってそれが個々の観念なり知性なりを超越するものであるとはみなしません。観念を超越する意志の力というのはないのです。
24日の第27期倉敷藤花戦挑戦者決定戦。対戦成績は伊藤沙恵女流三段が1勝,加藤結李愛女流初段が0勝。
振駒で加藤初段の先手となり,伊藤三段のうそ矢倉。先手の仕掛けがやや中途半端で,戦いになったあたりですでに後手の方が指しやすくなっているように僕には思えました。
後手が5三の銀を上がって攻めに厚みを加えた局面。ここで先手は☗2四歩☖同歩と指しました。
☗同飛が普通ですが先手は☗2二歩と打ちました。☖同金なら先手の得ですが後手は☖3三桂と逃げました。こうされれば☗2一歩成は仕方ないところ。ただ,先手のと金と後手の桂馬は,後手の桂馬の方が働く展開になったので,このやり取りは明らかに先手の損でした。
後手は☖4六銀☗同歩と銀を交換して☖4五桂。これが☖5七桂不成をみた厳しい手。先手はそれを避けて☗7九玉と寄りましたが☖7七歩と打たれて痺れてしまいました。
☗同桂や☗同金は☖5七歩成が厳しすぎるので☗同角と取りましたが,☖4六角の王手飛車が決まり,大差となってしまいました。
伊藤三段が挑戦者に。第25期以来2年ぶり2度目の三番勝負出場。第一局は11月10日です。
ある事柄について意志voluntasがない,より正確にいうなら意志作用volitioがないということは,スピノザの哲学ではふたつの観点からいうことができるわけです。しかし,一般的にいうなら,前者の場合,すなわちある事柄についてそれを肯定する意志作用がない,他面からいえばある事柄についてそれを否定する意志作用があるという場合に,僕たちは意志があるとかないとかいうのであって,後者の場合,すなわちある事柄についてその観念ideaがないという場合には,意志がないとはいいません。僕たちは一般的にはこういう場合のことは,能力potentiaがない,とりわけ思惟的能力がない,あるいは欠如しているというように解します。
このことは僕が妹には保険金を請求する意志がないといった場合について考えれば分かりやすいでしょう。一般的にいうなら,妹には保険金を請求する意志がないというよりは,保険金を請求する能力がないのです。ですから僕は保険会社の社員と電話で話したときには,実際には妹には保険金を請求する意志がないというよりも,そういう能力がないといういい方をしました。そしてそのような場合,つまりそのような能力がないという場合にも,その人を生命保険の受取人として指定することはできないという回答を得ています。
スピノザの哲学における意志がないということのふたつの意味のうち,後者についてはそれを意志はないといわずに能力がないということは,実はスピノザの哲学における意志についての考え方としてさほど間違ったものではありません。というのは,ある事柄についてそれを肯定したり否定したりするのは,精神mensの力potentiaの一種であるとみなすことができるからです。すでに示したように,ある事柄について精神のうちにその観念があるのであれば,意志作用もまたあります。したがってその事柄についての観念がない場合に意志作用もないというふたつめの意味が出てくるのですが,意志作用をひとつの力であるとみる限り,意志作用があれば観念もあるのですから,観念があること自体がひとつの力だといえます。よってある事柄について観念がないというのは,それを肯定あるいは否定する力,すなわち能力がないという意味なのです。
⑯-3の第2図の☗4五歩がなぜ意外な手であるかというと,この局面では先手の7六の歩が浮いているからです。先手が研究してきていることは後手も承知だったでしょうが,それでも☖7六銀と歩を取りました。
これは角取りですし,先に☗4五歩と突いておいた関連から先手の☗4四角は必然手といえるでしょう。
角を交換すると後手の歩が伸びてきて,これは先手の言い分が通る形。なので☖3三桂で交換を拒否するのも当然といえます。
先手はここで☗3六歩と突いて跳ねた桂馬の頭を狙いにいきました。これを受けるには☖1三角しかありません。先手は☗3五歩。
すぐに☖同角は角交換になって☗3四歩と打たれます。ですから☖4三歩☗5五角としてから☖3五角と取るのも当然の進行でしょう。飛車取りなので先手は☗3六飛と逃げました。
ここで一段落したかのようですが,この将棋はここからさらに激しい変化に進みます。
ここまでの説明から分かるように,Xに関してその意志voluntasがないというのは,Xに関してそれを肯定する意志作用volitioが存在しないという意味です。あるいはXに関して,それを否定する意志作用があるという意味です。そして僕たちが一般的に意志の有無について言及する場合は,スピノザの哲学で説明すればこのような意味を帯びているのです。僕は今回の件については,保険会社の社員とも話をしましたが,保険金を請求する意志がない人を受取人として指名することはできないと言ったとき,このような意味を帯びていた筈です。つまり,妹に保険金を請求することに否定する意志作用があるなら,いい換えれば保険金を請求することを肯定する意志作用がないなら,僕の保険金の受取人として妹を指定することはできないという意味であった筈です。
僕は,保険金を請求する意志が妹には存在しないといいました。ですが,それはこのような意味ではないのです。僕の判断では,保険金を請求することを肯定する意志作用もないし,保険金を請求しないことを肯定する意志作用もないという意味で,妹には保険金を請求する意志はないと解するのです。
第二部定理四九および第二部定理四九系から分かるのは,Xを肯定するのであれ否定するのであれ,そういう意志作用が存在するならXの観念ideaが存在するということです。したがって,Xに関してそれを肯定する意志作用はないしそれを否定する意志作用もないということは,Xに関する観念がないという意味なのです。僕はこのような意味で,妹には保険金を請求する意志はないといったのです。そもそも妹には僕の生命保険金の観念を有していないばかりでなく,一般的に生命保険という観念も存在しないのです。個々の観念と個々の意志作用は同じものなのですから,観念がなければ意志作用が存在する筈はありません。
このような場合も,意志作用が存在しないということができます。少なくともスピノザの哲学ではいうことができます。つまり,スピノザの哲学においてXについて意志がないというのは,単にXについてそれを肯定する意志作用がない場合のほかに,Xの観念が存在しない場合も含まれていることになります。
岐阜記念の決勝。並びは小松崎‐佐々木の福島,浅井‐志智-金子の中部,南-畑段の近畿,太田-桑原の四国中国。
スタートは取り合う形になりましたが,桑原が取って太田の前受け。3番手に浅井,6番手に南,8番手に小松崎という周回に。残り3周のバックを出ると小松崎が上昇開始。南がこのラインに続き,ホームで小松崎が太田の前に出て誘導は退避。浅井が5番手,太田が8番手の一列棒状に。引いた太田がバックから発進して打鐘。コーナーで小松崎を叩いてかまし先行に。南が位置を取りに動き,桑原の後ろは小松崎でその後ろに南。5番手は畑段と佐々木で併走になり,浅井がその後ろ。バックから浅井が発進。しかし直線の手前で小松崎が牽制する形となり失速。逃げ切った太田が優勝でマークの桑原が4分の3車身差の2着に続いて四国中国のワンツー。浅井の番手から外から二人目を差し込んできた志智が4分の1車輪差の3着。
優勝した徳島の太田竜馬選手は7月の小松島記念以来の優勝で記念競輪3勝目。岐阜記念は初優勝。このレースはメンバーを見渡したところ,太田の先行になりそうで,自身のペースで駆けられそうなので最有力ではないかと思っていました。中部は金子が番手の方が自然で,地元の志智が番手ということは,浅井の先行もありそうにも思え,その点だけは不安だったのですが,そういう展開にはなりませんでした。桑原も直線の手前でやや車間を開け,うまく援護したように思います。レース内容が以前と比べると格段に進歩していて,それが成績に結び付いているのではないでしょうか。
僕が死んだときにまだ妹が生きていたとして,妹が僕の生命保険金を受け取る手続きをする意志があるかないかといえば,僕はないと判断します。これは哲学的に説明しておきましょう。
第二部公理三の意味は,本来は思惟の様態cogitandi modiのうち第一のものは観念ideaであると同時に意志voluntasであるということでなければなりません。スピノザはここでは観念についてしか言及していませんから,『エチカ』の公理系の内部においてはこの公理は思惟の様態のうち第一のものは観念であるという意味においてのみ用いられるのですが,第二部定理四九では,観念が観念である限りにおいて含む意志作用volitio以外に意志作用は存在しないといわれていて,これは観念には必ず意志作用が含まれていることを意味するからです。これを一般的な仕方で示したのが第二部定理四九系です。ここでいわれている意志とは個々の意志作用の総体であり,知性intellectusとは個々の観念の総体です。よって意志と知性が同一であるということは,個々の意志作用と個々の観念は同一であるという意味になります。ですから観念が存在していればそこには必ず何らかの意志作用が含まれているのでなければなりませんし,意志作用が存在しているのならその意志作用によって肯定される何らかの観念が必ず存在していることになるのです。ですから観念が思惟の様態のうち第一のものであるなら,意志作用あるいはその総体としての意志もまた思惟の様態のうち第一のものでなければなりません。
これを保険金の受け取りの手続きの例で示すなら,ある保険金の請求をする意志というのはその保険金を請求する手続きを肯定する意志作用のことです。逆にそういう意志がないというのは,その保険金を請求する観念を否定する意志作用のことなのです。このように,意志作用にはそれを肯定するものと否定するものとがあるのであって,実際には観念があれば意志作用は伴われます。なので本当は保険金を請求する意志がないといういい方は適切ではないのであって,保険金を請求しない意志があるといった方がいいかもしれません。このようないい方をすれば,意志作用はたとえ否定的にみられるものであっても,肯定的に解せるからです。
第66回日本テレビ盃。コスモマイギフト,イッセイイチダイ,キタノイットウセイの3頭は馬運車の事故により競走除外となり8頭。
ロンドンタウンが先頭に。2番手にヒラボクラターシュ,3番手にハクサンルドルフとクリソベリルという順で発走後の正面を通過していきましたが,ロンドンタウンがあまり内に入れない進路を選択したため,正面後のコーナーワークで2番手に内を回ったハクサンルドルフとヒラボクラターシュとなり,クリソベリルは単独の4番手に。5番手がノンコノユメとアポロケンタッキー。7番手にキングニミッツ。離れた最後尾にツィンクルソードという隊列。最初の800mは50秒2のスローペース。
3コーナー手前からクリソベリルが上昇開始。ハクサンルドルフ,ヒラボクラターシュの順で脱落し,直線に入るところではロンドンタウンとクリソベリルの優勝争いに。残り200m過ぎにクリソベリルがロンドンタウンを差し,そこからは差を広げていく一方の快勝。ロンドンタウンが4馬身差の2着。5番手から追い上げてきたノンコノユメが4馬身差の3着。
優勝したクリソベリルはジャパンダートダービー以来の実戦。これでデビューから5連勝とし,重賞は3勝目。3歳馬の対古馬初戦はダートの場合は苦戦するケースが多いのですが,今日のメンバーでこの馬の力なら勝てるだろうと考えていましたし,そのような期待をもっていました。スローペースだったこともありますが,残り1000mからはずっと12秒台半ばのラップでこれだけの差をつけたのは,記録の面からも価値があります。早晩,ダート競馬の頂点に立つことができる馬ではないでしょうか。父はゴールドアリュール。母の父はエルコンドルパサー。祖母がキャサリーンパー。6つ上の全兄に2013年にジャパンダートダービー,2014年に日本テレビ盃,2015年にダイオライト記念,2016年にダイオライト記念,2017年にダイオライト記念を勝ったクリソライトで兄弟制覇。5つ上の半姉に2016年のJRA賞最優秀4歳以上牝馬のマリアライト。4つ上の半兄に2015年に神戸新聞杯を勝ったリアファル。Chrysoberylは金緑石。
騎乗した川田将雅騎手は日本テレビ盃初勝利。管理している音無秀孝調教師は第61回以来となる5年ぶりの日本テレビ盃2勝目。
3月29日,妹を通所施設に迎えに行きました。
僕が送迎を開始した頃,送迎場所はグループホームの利用者が集合している建物でした。これはただこの部屋だけが入っている小さな建物でした。その後,この部屋では狭すぎるということになり,施設全体の入口にほど近い,喫茶室なども入っている大きな建物の一室で送り迎えをするようになっていました。4月以降はこれがまた変更になり,事務所が入っている建物,これは最初に送迎していた小さな建物の向いにある建物ですが,その建物の玄関のところで,新施設の職員が対応するようになると,この日はまだ対応していたグループホームの職員に伝えられました。これは新施設の利用者はこの建物の中で作業をしているためです。契約のときに利用した食堂はこの建物の1階でしたし,説明会のときに使われた会議室はこの建物の2階でした。事務所が入っていることからも分かるように,この建物はこの敷地全体の中にある建物の中ではメーンにあたる建物です。説明会の質疑応答の中で,僕は出勤の時刻について質問したところ,できればそのようにしてほしいという解答であったわけですが,このときにグループホームの職員に確認したところ,これまでと同じでよいとの解答を得ました。ですから今も10時過ぎに妹を送っています。新施設の方からもそのことに関する苦情は出ていません。
3月31日,日曜日。父のきょうだいの三女,僕の伯母が勤めていた生命保険会社の僕の生命保険についてはずっと考えていたのですが,この日までに結論を出し,先方に手紙で伝達しました。
僕の生命保険の受取人が母になっていたため,新たな受取人を指定してほしいということでした。もし適切な受取人がいるとすれば,それは妹以外にあり得ません。というのは,僕の生命保険の受取金が何かの意味を有するとすれば,そのときにまだ妹が生きていた場合,妹がグループホームに入居し続けるための費用とする以外には使い道がないからです。ですが妹は知的障害者です。生命保険会社によれば,僕の死後に保険の受取の手続きをする意志のない人は,三親等以内でも受取人には指定できないということだったのです。
『悪霊』の第二部第一章5節のキリーロフのスタヴローギンとの会話のうち,『謎とき『悪霊』』では赤ん坊の頭の箇所と別の箇所にも触れられています。
これはもう別れ際に近いところなのですが,スタヴローギンはキリーロフに対して,次にキリーロフがスタヴローギンと会うときには,キリーロフは神を信じているだろうと言うのです。いうまでもなくこの神は,キリストのことです。
キリーロフは赤ん坊の頭をぐしゃぐしゃに叩き潰す人がいたとしても素晴らしいと言った後で,人間がよくないのは,自分たちがよい人間であることを知らないからだと言います。スタヴローギンは,次にキリーロフと会ったとき,キリーロフはキリストを信じているだろうと言った後で,キリーロフが神を信じていると知ったら信仰を持つことになるのだが,今は神を信じていると知らないから信仰を持てないのだと言います。このふたつの言い回しがよく似ていることは明白でしょう。ですから僕はこの部分は,キリーロフは自分がいい人間であるということは知っているけれども,自分が神を信じているということは知らないのであると,スタヴローギンがキリーロフに言った,ある程度の皮肉を込めて言ったのだと解釈しています。
ですが『謎とき『悪霊』』ではこの部分が,キリーロフの思想である人神哲学と関連して説明されています。この会話の部分でも,キリーロフは,すべての人間がいい人間であることを教える人が世界を完成させると言い,その人の名は人神であると言います。スタヴローギンが神人かと尋ねると,神人ではなく人神であり,その相違が重要なのだと言っているのです。
この相違のゆえに,キリーロフはあくまでも無神論者なのであると『謎とき『悪霊』』ではされています。つまり,もし神人思想をキリーロフが有していれば,キリーロフは無神論者ではないかもしれないが,人神思想を有するキリーロフは無神論者なのだと解釈されているのです。よってここにはキリーロフの反キリストが前面に出ているというのが,この部分の論旨の結論となっています。
新施設の保護者会の会長の挨拶で説明会のすべてが終了しました。20日にグループホームの妹の担当者であるKさんからの電話で,妹の給料の支払いのために必要であると言われていた印鑑は,このときに持参し,説明会の終了後に説明を担当したふたりのうちのひとりである,支援課長のNさんに渡し,グループホームに届けてもらうように依頼しました。
21日に彼岸会があり,その折に先祖代々の塔婆と父の塔婆は家に持ち帰っていました。その2本の塔婆をこの日の説明会に持参していました。というのは,この説明会が行われた施設と墓がある日野公園墓地は近いので,帰りに墓参りを済ませてしまおうと考えていたからです。
通所施設の最寄りのバス停の近辺に,日野公園墓地への入口があります。日野公園墓地はとても広い墓地で,この入口から入るとうちの墓にはとても遠いのですが,僕はウォーキングを日課としているくらいですから,歩くのに問題があるような距離ではありません。ということで墓地の中を長く歩くことにはなりましたが,予定通りに墓参りをしました。帰りは入ったところとは別の出口から出て,バスで上大岡に。昼になっていましたので昼食を摂ってから帰りました。なお,これは前にもいった通り,妹はこの日は日帰り旅行でしたので,午後にまた迎えに行くということはしていません。この日の旅行は三崎で,午前中が農園でいちご狩り,昼に産直センターで昼食,帰途に葉山に立ち寄りお土産の購入という日程でした。
3月28日,木曜日。10日に壊れてしまった眼鏡を修理するため,眼鏡屋に行きました。その直前に鼻あての修理をしたのと同じ,ショッピングモール内にある大手のチェーン店です。破損したフレームを修理するということも可能であるとのことでしたが,だいぶ古くなっているものですから,またほかの箇所が壊れるおそれがあると思われましたので,フレーム自体を交換することとしました。この眼鏡店で作製した眼鏡ではなかった関係から,すぐに新しいフレームを入手することは難しく,完成するのは4月3日になるとのことでした。ですので代金だけ支払い,引換券を受け取って帰りました。
怜子④で挙げた3つの心情について,僕が哲学的に厳密な意味でこれを使用する場合,嫉妬とねたみinvidiaは同じ意味で第三部諸感情の定義二三に倣い,やきもちzelotypiaについては岩波文庫版では嫉妬と訳されていますが僕はその訳は用いずに第三部定理三五備考で説明されている心情の動揺animi fluctuatioとして使います。残るひとつの羨みあるいは羨望については『エチカ』の中では適切な説明が与えられていません。そこでこれについては僕自身がここで定義しておきます。羨望といおうと羨みといおうと,同じ意味であると解してください。
僕は羨望あるいは羨みを,基本感情affectus primariiでいえば欲望cupiditasの一種と解します。僕たちが他人の喜びlaetitiaを表象したとき,その喜びを自身が手に入れていないがためにその喜びを手に入れたいと欲望するとき,僕はその人間が羨みあるいは羨望を感じているといいます。いい換えればこれは,他者の喜びを原因causaの観念ideaとして伴った欲望です。ただし前述の説明から容易に理解できるように,僕たちは自身が入手している他者の喜びを表象したとしても羨望は感じません。ですからより正確に定義づければ,自分が感じていない他者の喜びの観念を原因として伴った欲望であるということになるでしょう。ここから僕たちは羨望ないしは羨みを感じる場合には,必ず他者に対してそれを感じるということになりますが,このことは僕たちが一般的に羨みや羨望をイメージする場合と齟齬はないと思います。
第四部定理八は,善悪は意識される限りにおける喜びないしは悲しみtristitiaだといっています。このことから羨みあるいは羨望の定義Definitioをいい換えることもできます。すなわち,自分が得ていない他者の善bonumの観念を原因として伴った欲望が羨望ないしは羨みであるということもできます。第三部定理五九は,能動的な欲望があることを認めます。そして僕は能動的な羨望あるいは羨みがあることを肯定します。このこととの関係からは,こちらの定義の方がよりいいかもしれません。
これら3点のうち,秋の祭りとクリスマス会に関してはまだその時期になっていませんから,現時点では何も書くことはありません。保護者会については少し説明しておきます。
この説明会は,グループホームの利用者に対しての説明会です。新施設とはいってもそれは僕たちにとっての新施設なのであり,新たに組織される施設ではありません。ですから4月以前の利用者,つまり自宅からの通所でこの施設を利用していた利用者は,それ以前にこの施設との契約をしています。グループホームの利用者は新たに利用を開始することになったので,新たな契約が必要となり,このような説明会が催されることになったのです。
ですから,グループホームの保護者会というのは従来からあったのです。僕はその保護者会には参加したことはありませんでしたが,会合は開かれていて,事後にどのような内容が議題に上り,どういった結論が出されたかといった報告は受けていました。一方で新施設にもそれまでの利用者の保護者による保護者会というものがありました。このときに挨拶をしたのは,その保護者会の会長だったわけです。そして4月からこの新施設を利用するグループホームの利用者の保護者は,こちらの保護者会には加わらないということになりました。なりましたというとこのときに話し合いがされてそうなったかのようですが,加わらないということは事前に決定されていました。このときの会長の挨拶の内容の中心も,その点にあったのです。
これは別に排除の論理のようなものが働いたというわけではありません。保護者会というのは活動のために資金を必要とします。それを保護者会費という名目で徴収します。これは自然なことでしょう。ところがグループホームの利用者の保護者が,通所施設の保護者会に会費を支払うということは,法的に問題を生じさせるようなのです。僕は法律には詳しくないので正確なところは分からないのですが,こうした行為が寄付に該当し,それは制度の上で許されていないというのが,このときの説明によって僕が理解した内容でした。ですので僕は新施設の保護者会費は支払っていませんし,保護者会にも入会していません。
天龍の雑感①の続きです。
ジャンボ・鶴田のボディスラムにうまく受け身が取れなかったときに開催されていたシリーズの最終戦で,天龍はリング上からファンに向けて挨拶をしました。この日のメーンは馬場と鶴田のインタータッグに大木金太郎とタイガー・戸口が挑戦した試合で,タイトルが馬場組から大木組に移動しました。鶴田はこの試合後に負けちゃったと天龍に抱きついてきたそうですが,試合中に出血して血みどろでした。天龍は挨拶のために大島紬の高級な着物を着用していたそうで,それに血をつけられてしまい腹が立ったと言っています。
シリーズの終了後に馬場らと共にハワイ経由で渡米。ただ12月に妹の結婚式があったために一時帰国しました。この最中,12月9日にリング上で断髪式を行っています。天龍クラスの関取であれば土俵上で断髪式を行える筈ですが,相撲協会主催ではなく全日本プロレスの主催となったのは,天龍の希望によるものであったのか,あるいは相撲協会と悶着があったためなのかは分かりません。ただリング上とはいえ,場所は蔵前国技館ですから,全日本プロレスと相撲協会との間には,このときには決定的な亀裂は入っていなかったことになります。後に全日本プロレスは両国国技館を会場として借りられなくなるという事態に陥りますが,それはもっとずっと後のことです。もっともこのために全日本プロレスは都内の大会場での開催を日本武道館に絞るようになり,最良の時代は武道館大会なしには考えられませんでしたので,国技館を借りられなくなったことがマイナスになってしまったわけではありません。
天龍は1976年が暮れないうちに再び渡米しました。そして翌1977年の3月に馬場と鶴田が渡米。3月18日のアトランタでの試合で,鶴田と天龍は初めてのタッグを結成しました。つまり後に鶴龍コンビといわれるようになるチームの初試合はアメリカだったことになります。ただ天龍はこの試合のことはあまり覚えていないそうです。
TさんとNさんによる説明はここまでで,この後に参加した保護者との間での質疑応答がありました。僕もひとつだけ質問をしました。これは出勤する時間に関するものです。
新施設は出勤時間が午前9時半になっていました。僕はこれまでは出勤時間を10時に設定し,実際にはそれより少し遅い時刻に妹を送っていたのです。4月以降は9時半に間に合うように送らなければならないのかということが僕の質問の主旨でした。答えてくれたのはTさんで,なるべくそのようにしてほしいとのことでした。なるべくということのニュアンスが僕には十分には伝わらなかったのですが,これについては後にグループホームの職員に質問して,解決しています。
最後に,新施設の保護者会の会長の挨拶がありました。
すでに説明したように,この施設はこれまで定員が50人で,実際には45人が利用していました。いうまでもなくこの45人は自宅からの通所です。つまり毎日,自宅からこの施設に通い,作業が終了すれば自宅に帰っていたのです。妹もグループホームに入所する前は,こことは別の施設ですが,これと同じように出勤しまた帰宅していました。妹の場合,朝は送っていたのですが,帰りはひとりで帰っていたわけです。45人の利用者がどのようにしていたのかは定かではありませんが,基本的には通所施設の利用者というのはこのような能力がある人が多いのです。
これに対してグループホームの利用者は,平均的な比較でいうとより多くの介助を必要とする人が多いというのが事実です。これは他面からいえば,障害の度合がそれだけ重い人が多いという意味です。ですからそういう利用者を新たに受け入れるということについては,おそらく賛否があったものと思われます。挨拶の中でそのようなことに触れられたわけではありませんが,これまでこの施設を利用していた利用者の保護者の中には,おそらく今回の決定について苦々しく感じている方も存在していただろうと思われます。
会長は3点の話をしました。新施設の保護者会についての確認事項,秋の祭りでのバザーやボランティアの件について,そしてクリスマス会に関連した事柄でした。
大阪で指された昨日の第67期王座戦五番勝負第二局。
斎藤慎太郎王座の先手で角換り相腰掛銀。後手の永瀬拓矢叡王が6筋から仕掛けていく将棋になりましたが,先手がうまく逆用してリードを奪いました。ですが何度か最善手を逃してしまい混戦の最終盤に。
後手が龍を取って桂馬を跳ねた局面。ここで☗2五桂と攻め合えばまだ難解で,先手にもチャンスがありそうな将棋でした。
実戦は☗6九歩とすぐに受けに回りました。これに対して☖9七桂成と捨てるのが好手で,この手を先手は見落としていたようです。☗同王は☖7八龍で論外。☗同香としたいところですがこれは☖9九飛と打たれて先手玉が寄ります。なので☗同桂と取ったのですが☖9九龍と回られました。ここで香車を入手したのが後手の大きな戦果。
先手は☗8九金で龍を召し取りましたが☗同龍☖同銀に☗7九飛が銀取りの先手。☗9八銀と逃げるのは仕方がないところですが☖7八角の王手金取り。☗7六王も仕方のない手ですが☖7一香と打たれました。
歩も桂馬も打てませんから先手は馬を逃げるほかありませんが,7六の銀を取れる形になり,はっきりと後手が勝ちの局面になっています。
永瀬叡王が連勝。第三局は来月1日です。
グループホームというのは基本的に利用者の居住施設です。ですからグループホームの職員というのは基本的には夜勤です。それに,利用者が日中もグループホームに滞在する場合,たとえば土曜や日曜と祝日,年末年始やお盆などで通所施設が休みの日には日勤も加わることになります。これだけでもどれほど大変な仕事であるのかは理解できると思います。それがこれ以外に,日中の通所施設での補助や,日中の支援計画書の作成などといった仕事が加われば,なお大変です。これではよほど意欲がある,他面からいえばそれが好きであるというのでなければ続けていくことが難しいでしょうし,新たに人材を確保するというのも非常に困難だといえるでしょう。ですから僕は,グループホームの利用者の各々の特性をより生かすための通所施設の変更という説明でしたが,主目的はグループホームの職員の負担の軽減にあったのだと推測しているのですが,グループホームの職員の負担を軽減するということ自体には賛成しますので,この変更の目的は実際にはその点にあったのだとしても,それは妥当な変更であったのだと思っています。
日中の活動の説明の後に,グループホームでの支援態勢についての説明がありました。これはすでに書いた通りです。グループホームの管理者には施設長であるTさんが就任し,サービス管理の責任者は支援課長のNさんが兼任するという発表がありました。そしてこれまで男女それぞれの責任者であったふたりが,地域担当支援主任という名称で,通所施設とグループホーム間での調整にあたることになりました。したがって妹が入所したときの担当者であったSさんは,4月以降は地域担当支援主任という役職で業務にあたっていることになります。日中にグループホームの利用者に何か問題が起こった場合,具体的には体調を崩したというようなことですが,その場合には,地域担当支援主任がその利用者の支援にあたります。このために妹は,そしてそれは同時に僕はという意味でもありますが,4月以降はSさんにお世話になることが多くなりました。その具体的な事例については,時系列で実際の事例が起きたときに説明していきます。
第56回東京記念。
ピアシングステアはダッシュが鈍く3馬身の不利。すぐにシュテルングランツが先頭に立ち,2番手にヤマノファイト。3番手はクラウンシャインとスギノグローアップ。5番手にハセノパイロ,サブノクロヒョウ,マルカンセンサー,ストライクイーグルの4頭。9番手にセンチュリオンで10番手にディアドムスとトーセンデューク。ここまでの11頭は一団。ここから2馬身差でウマノジョーとピアシングステア。4馬身差でキャッスルクラウン。3馬身差の最後尾にワンフォーオールという隊列で1周目の正面を通過。2周目の向正面に入ると,2番手のヤマノファイトにスギノグローアップが並び掛け,ハセノパイロ,マルカンセンサー,ストライクイーグルの順で6頭が抜け出す形になりました。最初の1000mは64秒9のミドルペース。
3コーナーでシュテルングランツが一杯になり,ヤマノファイトが先頭に立つと,スギノグローアップも離されずについていって雁行。ストライクイーグルが3番手に上がり,マルカンセンサーと追い上げてきたセンチュリオンが前を追う形に。直線に入るところでヤマノファイト,スギノグローアップ,ストライクイーグルの3頭は横並び。この競り合いからストライクイーグルが抜け出すと,そのまま後ろからの追い上げを許さずに優勝。大外から伸びたセンチュリオンが1馬身半差で2着。スギノグローアップが4馬身差の3着に粘り,マルカンセンサーは詰め寄ったもののハナ差で4着。
優勝したストライクイーグルは今年の6月までJRAで走っていた馬。昨年の5月に準オープンを勝ってオープン入り。オープンでは3馬身差くらいのレースが最高の実績で大井に転入。転入初戦となった前走がこのレースのトライアルで,2馬身半差の2着でした。JRAで準オープンを勝つくらいの馬は南関東重賞では通用しますが,1年以上前のことですし,前走の内容からここは入着はあっても勝つのは難しいのではないかと僕は思っていました。前走は2番手からのレースだったのですが,今日は好位で前を見ながらのレースで,この形の方がいいのかもしれません。能力上位と思われた馬たちが上位着順を占めたレースですので,JRA時代の実績の通り,南関東重賞で通用する馬と評価しなければならないようです。父はキンシャサノキセキ。
騎乗した金沢の吉原寛人騎手はしらさぎ賞以来の南関東重賞26勝目。第53回以来3年ぶりの東京記念2勝目。管理している大井の藤田輝信調教師は南関東重賞13勝目。東京記念は初勝利。
3月22日,金曜日。妹が通う通所施設での説明会がありました。契約のときは食堂でしたが,この日は会議室で開催されました。時間は午前10時から。僕は妹を送るときには午前10時に通所施設という形にしています。ですが実際にはバスの時間の関係で,10時には間に合いません。しかしこの日は午前10時が開始時刻なのですから,同じようにしたのでは遅刻してしまいます。妹の送迎の往復にはバスを乗り継いでいますが,この日は午前10時に間に合わせるため,根岸駅まで出てから電車で洋光台に向い,洋光台駅からバスを使うという方法で行きました。
説明を担当したのは契約のときと同じで,施設長であるTさんと支援課長であるNさんでした。まずそれぞれが自己紹介をした後,グループホームの利用者の日中の活動についての説明がありました。この説明のニュアンスからすると,新施設は活動内容が多くあり,グループホームの利用者のそれぞれが特性を生かしやすくするためというのが,支援施設を変更する最大の理由となったようでした。現在はこの施設を利用している通所の利用者が45人いて,そこにグループホームの利用者が20人,これは男女合わせてですが,加わることになります。これまで,この施設の定員は50人でしたが,それを65人に変更するという報告がありました。なお,これはこれまでもそうですが,日中の活動というのは男女混合です。したがって職員も男女混合になっています。そしてそれぞれがグループに分けられ,分けられた各々のグループの担当者が,日中の活動の支援計画を作成することになりました。したがってこれまでも支援計画は,通所施設関連のものとグループホーム関連のものの2本立てでしたが,これまではその両方をグループホームの担当者が作成していたのに対し,これからは日中のものは支援施設の担当者が作成し,グループホームの担当者はグループホームの支援計画だけを作成することになりました。
日中は通所施設に滞在しなくてよくなったことも含め,グループホームの職員の負担は軽減されることになります。僕は実際にはこの点が変更の主だった理由だったと思っています。
松阪競輪場で行われた昨日の第35回共同通信社杯の決勝。並びは渡辺‐佐藤の福島,平原‐諸橋の関東,柴崎‐金子の中部,山崎‐稲川の西日本で郡司は単騎。
渡辺がスタートを取って前受け。3番手に柴崎,5番手に平原,7番手に山崎,最後尾に郡司で周回。残り2周のホームに入るところで山崎が動いていこうとしたのを見て,平原が先に動き,平原が渡辺を叩いて誘導は退避。山崎はその後で平原を叩きました。続いた郡司が3番手,平原が4番手,渡辺が6番手,動かなかった柴崎が8番手の一列棒状となって打鐘。山崎は残り1周のホームに入ってから踏んでいきました。バックに入ると3番手の郡司が稲川との車間を開け,再び詰めていく勢いを利用して発進。これがいいスピードで前は抵抗できず。郡司に続いていた平原が稲川の牽制を受ける形になりました。内が開いたのでその後ろから発進していた渡辺マークの佐藤が開いたところを突き,直線に入るところでは2番手に。しかし郡司に追いつくことはできず,優勝は郡司。佐藤が4分の3車身差で2着。立て直した平原が1車身半差で3着。
優勝した神奈川の郡司浩平選手は前回出走の小田原記念からの連続優勝。ビッグは一昨年3月のウィナーズカップ以来の2勝目。このレースは山崎の先行が濃厚。単騎というのは難しいことが多いのですが,山崎が先行すると読み,最初からこのラインを追走したことが功を奏しました。その意味では単騎であったことがむしろ幸いだったといえるかもしれません。平原は郡司マークのようなレースになったのですが,稲川の牽制がありましたから,それも展開の上では郡司に味方しました。
3月17日,日曜日。妹のピアノのレッスンでした。この週は先生からの電話連絡がありませんでした。連絡がない場合は午後5時半の開始と決まっています。
3月18日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
この日から,上大岡に向うバスの時刻に変更がありました。僕たちが乗るバス停の発車時刻は2分だけ遅くなったのです。上大岡から通所施設の最寄りのバス停に向かうバスの時刻には変更はありませんでした。上大岡では乗り換えるためバスを待つ時間があるのですが,その時間が少し短くなりました。
3月19日,火曜日。11時40分に導師から電話がありました。回向のときには次回の回向の日程を決定します。3月は14日でしたから,そのときに4月は11日の午前11時からと決定しておきました。ですがその時間は都合が悪くなったので,同じ日の午後1時半に変更してほしいという依頼でした。
3月20日,水曜日。午後6時半にグループホームのこの時点での妹の担当者であったKさんから電話がありました。29日が年度の終了日で,その日に妹には給料が出ます。その給料を受け取るために印鑑が必要なので,29日までに印鑑をグループホームに用意してほしいという依頼でした。この週の金曜日は妹は日帰り旅行が予定されていましたので,僕は迎えには行かないことになっていました。ですがそれとは別件で,午前中に通所施設に行くことになっていました。これは15日に契約した新施設での活動の内容に関する説明会でした。なのでこの日に施設の職員のだれかに印鑑を渡し,それをグループホームに届けてもらうように依頼するということはできました。Kさんはそれでよいということでしたので,そのようにすることにしました。
3月21日,木曜日。午前中にお寺に行きました。彼岸会がありまして,そこで出る塔婆を取りに行くためです。塔婆は3本で,父のものと母のもの,そして先祖代々という名称の,祖父母,父の両親のものです。これは今後も変わらないでしょう。ただ,母の遺骨はお寺の納骨堂に,一時的にではありますが納めてありますので,母の塔婆はもらってすぐお寺に立て,残りの2本を持って帰りました。
日本時間で昨夜にフランスのパリロンシャン競馬場で行われたフォワ賞GⅡ芝2400m。
キセキは逃げるレースになりました。出走した4頭が縦一列に並ぶ形でレースが進展。各々の差は短くて1馬身,長くて2馬身と,広がったり縮んだりはしましたが,隊列は変わらないまま直線に。後ろの馬が並び掛けてくると手が動き出し,あっさりと差されて2番手に。さらに発馬で遅れて最後尾の位置取りになり,大外を伸びてきた馬にも差され,勝ち馬から3馬身差の3着でした。
この馬はスピードの持続力は高いのですが,瞬間的な瞬発力にはやや劣るというタイプなので,集団でのレースになりやすいヨーロッパの競馬に対する適性はやや疑問視されましたし,まして4頭という少頭数では余計にレースが難しいのではないかと思えました。このレースはそうした不安要素が的中してしまったような内容。ただ,勝ち馬は強い馬ですからそれに負けるのは仕方がないにしても,2着にはならなければならない相手関係であったと思いますので,凱旋門賞に向けてはさらに不安が増すような結果になってしまった感があります。
グループホームの支援態勢についてはこれまで詳しく記述したことがありませんので,ここで説明しておきます。
妹が入所しているグループホームは,建物自体は1階と2階に分かれているだけですが,1階と2階が別の組織です。1階が男の利用者で2階が女の利用者ですので,妹が入所しているのは2階の組織です。当然ですが職員は利用者と同性です。
妹が入所している組織は,この時点での責任者,4月以降はホームと施設の連絡係となっているSさんのほかに,4人の正規職員がいます。利用者がグループホームに滞在している間は,この5人のうち最低でもひとりがホームに滞在します。これ以外にパートの職員がいて,たとえば休日の日中などは利用者がホームに残っていますから,正規の職員のヘルプをします。この態勢は3月までもまた4月以降も変化がありません。
3月までは,正規の職員のうちひとりは,施設に来ていたのです。なので僕が妹を送迎したとき,対応するのはグループホームの職員でした。連絡帳なども僕とホームの間で交わしていました。また必要なもの,たとえば保険証とか妹の薬などの受け渡しもしていました。ですが4月以降は,日中は新施設が対応することになりましたので,これらのやり取りを施設の職員,主に施設での妹の担当者と交わすことになりました。連絡帳も施設と僕の間でやり取りするようになっています。必要なものに関する連絡も,新施設を通してグループホームに伝達しまた伝達されるという形になっています。
なのでこの変更点は僕にも大いに関係したのです。最も大きな変化は,僕が施設に送迎をしている関係から,僕がグループホームの職員と顔を合わせる機会というのがほとんどなくなったということです。Sさんは連絡係のため日中は施設に滞在していますので顔を合わせることがありますが,それ以外の職員についていえば,4月以降は2度,そのうちの1度はふたりでしたので延べ3人としか顔を合わせていないのです。
契約については,契約書の中身に沿っての説明があり,最後に僕と妹がサインをして午後2時半ごろに終了しました。妹は作業には戻らず,そのまま僕と一緒に帰りました。