僕のプロレスキャリアが始まった頃は,黒い呪術師は新日本プロレスのマットを主戦場にしていました。当時の新日本プロレスは第1回のIWGPに向けて邁進中で,その強化の一環として,全日本プロレスのトップ外国人レスラーのひとりであったブッチャーを引き抜いたのです。これを機に全日本プロレスと新日本プロレスとの間で,興行合戦だけでなく,外国人レスラーの引き抜き合いという全面戦争が開始されたのですが,これについては別に書くことにします。『マイクは死んでも離さない』の視聴率争いの記述には,こうした背景もあったのです。

ただ,ブッチャーの新日本プロレスへの移籍に関しては,あまり成功したとはいえなかったように僕は思っています。これは新日本プロレスにとっても,そしてブッチャーにとっても,あまりよい選択ではなかったのではないでしょうか。後にブッチャーは再び全日本プロレスにカムバックすることになるのですが,その事実が,何より移籍の失敗を物語っているように思えます。
この失敗にはいくつかの理由が考えられます。そのうちのひとつは,ブッチャーのファイトスタイルというものが,当時の新日本プロレスの戦い模様にあまりそぐわなかったということ。当時の新日本プロレスのエースはいうまでもなくアントニオ猪木ですが,猪木とブッチャーは1度だけシングルで対決。ただ,当時のブッチャーのパートナーであったバッドニュース・アレンがエプロンに上がっただけでブッチャーの反則負けが宣せられるという,何とも不可解で消化不良のものでした。ブッチャーのファイトスタイルがどのようなものであり,それが自らのリングで輝くものか否かくらいは当時の新日本プロレスのフロント陣も理解していただろうと思います。それでもあえてブッチャーを引き抜いたのは,もしかしたら単に全日本プロレスにダメージを与えることを主目的としていたからなのかもしれません。
これとは別にもうひとつ,ブッチャーが新日本では輝けなかった理由があると僕は思っています。ブッチャーは非常にキャラクターとしての存在が際立ったプロレスラーなのですが,それを新日本プロレスが戦術として生かし切れなかったと思うのです。
大地震以後の状況についていくつか記しておきます。
まず,最も大きな変化があったのは妹に関して。作業所というか施設全体は3月14日の月曜日は臨時の休みとなり,15日から再開。この15日と16日は作業所の方は休業ということで施設の方へ出勤となりましたが,17日の木曜からは作業所の方も再開して,現在はそちらに勤務しています。ただし,妹の支援とその後に追加された新たなる支援に関しては大きく変化しました。
まず,母の入院後から行われていた支援のうち,入浴のサービスは母が退院してからはもう行っていません。一方,帰りの送りと行きの迎えですが,これは燃料の入手が困難であるという理由から一時的に休止となりました。したがって現在は母ないしは伯母が毎日送っていくようになっています。一方,帰りについても,当面の間は保護者の同行が必須ということになりました。よって帰りも母か伯母が作業所ないしは施設まで迎えに行っています。大概は作業所ですが,先方の都合により,日によっては施設の方になります。これは前日のうちに連絡帳で連絡されます。このためにバスの定期券の使用頻度が以前より高まりましたので,僕がオフとなった3月17日に,また磯子駅まで出向いて更新してきました。

それから僕は部屋では昨年から電波時計を使っているのですが,この時計が電波を受信しなくなりました。これは14日の午後に気付いたもの。実際に受信しなくなったのはそれ以前からだったかもしれませんが,少なくともそれ以来は,いくら受信するように設定しても受信しません。送信できなくなっている電波塔があるというニュースが後にあったのですが,おそらくはその影響を受けているのではないかと思います。もっとも,電波は受信できなくても,この場合はクォーツ時計として機能しますので,現実的に困っているというわけではありません。
それから計画停電ですが,これはたぶん送電線の配置の仕方というのが関係しているのだろうと思いますが,僕の家は実施地域から外れていますので,停電にはなっていません。ただ家の近辺,たとえば川の対岸は実施されています。もちろん節電は心がけています。あまり伝えられていませんが,早寝するというのも節電のためには効果的だと思います。もっともその時間帯の節電がどれほど効果的かは疑問の余地もあるでしょう。それから,全体的な停電の防止のために一部を停電させるというのは,僕は神業のように感じています。

ただ,ブッチャーの新日本プロレスへの移籍に関しては,あまり成功したとはいえなかったように僕は思っています。これは新日本プロレスにとっても,そしてブッチャーにとっても,あまりよい選択ではなかったのではないでしょうか。後にブッチャーは再び全日本プロレスにカムバックすることになるのですが,その事実が,何より移籍の失敗を物語っているように思えます。
この失敗にはいくつかの理由が考えられます。そのうちのひとつは,ブッチャーのファイトスタイルというものが,当時の新日本プロレスの戦い模様にあまりそぐわなかったということ。当時の新日本プロレスのエースはいうまでもなくアントニオ猪木ですが,猪木とブッチャーは1度だけシングルで対決。ただ,当時のブッチャーのパートナーであったバッドニュース・アレンがエプロンに上がっただけでブッチャーの反則負けが宣せられるという,何とも不可解で消化不良のものでした。ブッチャーのファイトスタイルがどのようなものであり,それが自らのリングで輝くものか否かくらいは当時の新日本プロレスのフロント陣も理解していただろうと思います。それでもあえてブッチャーを引き抜いたのは,もしかしたら単に全日本プロレスにダメージを与えることを主目的としていたからなのかもしれません。
これとは別にもうひとつ,ブッチャーが新日本では輝けなかった理由があると僕は思っています。ブッチャーは非常にキャラクターとしての存在が際立ったプロレスラーなのですが,それを新日本プロレスが戦術として生かし切れなかったと思うのです。
大地震以後の状況についていくつか記しておきます。
まず,最も大きな変化があったのは妹に関して。作業所というか施設全体は3月14日の月曜日は臨時の休みとなり,15日から再開。この15日と16日は作業所の方は休業ということで施設の方へ出勤となりましたが,17日の木曜からは作業所の方も再開して,現在はそちらに勤務しています。ただし,妹の支援とその後に追加された新たなる支援に関しては大きく変化しました。
まず,母の入院後から行われていた支援のうち,入浴のサービスは母が退院してからはもう行っていません。一方,帰りの送りと行きの迎えですが,これは燃料の入手が困難であるという理由から一時的に休止となりました。したがって現在は母ないしは伯母が毎日送っていくようになっています。一方,帰りについても,当面の間は保護者の同行が必須ということになりました。よって帰りも母か伯母が作業所ないしは施設まで迎えに行っています。大概は作業所ですが,先方の都合により,日によっては施設の方になります。これは前日のうちに連絡帳で連絡されます。このためにバスの定期券の使用頻度が以前より高まりましたので,僕がオフとなった3月17日に,また磯子駅まで出向いて更新してきました。

それから僕は部屋では昨年から電波時計を使っているのですが,この時計が電波を受信しなくなりました。これは14日の午後に気付いたもの。実際に受信しなくなったのはそれ以前からだったかもしれませんが,少なくともそれ以来は,いくら受信するように設定しても受信しません。送信できなくなっている電波塔があるというニュースが後にあったのですが,おそらくはその影響を受けているのではないかと思います。もっとも,電波は受信できなくても,この場合はクォーツ時計として機能しますので,現実的に困っているというわけではありません。
それから計画停電ですが,これはたぶん送電線の配置の仕方というのが関係しているのだろうと思いますが,僕の家は実施地域から外れていますので,停電にはなっていません。ただ家の近辺,たとえば川の対岸は実施されています。もちろん節電は心がけています。あまり伝えられていませんが,早寝するというのも節電のためには効果的だと思います。もっともその時間帯の節電がどれほど効果的かは疑問の余地もあるでしょう。それから,全体的な停電の防止のために一部を停電させるというのは,僕は神業のように感じています。