スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

花月園メモリアル&点滴

2010-11-30 19:38:14 | 競輪
 花月園競輪場は昨年度をもって廃止となりましたが,施行組合は川崎と小田原でも開催権をもっているとのことで,今年は昨年までの花月園記念に相当するGⅢの花月園メモリアルが川崎競輪場で行われ,今日が決勝(動画)でした。並びは佐々木雄一に松尾,長塚-小橋の関東,岩本-白戸-佐々木龍也の南関東,三谷-中沢の近畿。
 前受けが三谷,3番手に長塚,5番手に岩本,8番手から佐々木雄一で周回。だれもなかなか動かず,打鐘前のバックで岩本が三谷を叩いて先頭に。三谷は引けず白戸と競り。一旦はスピードを緩めた岩本はホームから発進。番手は2コーナーで内の三谷が奪いました。バックに入ると中団に構えた長塚の捲り。小橋が離れ単騎でしたが持ち前のスピードであっさりと前を捕まえ,あとは抜け出して楽勝。番手から出た三谷が2着で三谷マークの中沢が3着。
 優勝した茨城の長塚智広選手は2001年の取手記念を優勝していて,グレードレースはこれが2勝目。政界への進出を図り競輪を休んでいる時期もありました。すぐ後にGⅠが控えているため,ここはFⅠレベルのメンバー構成で,それならば力は上位ですので,順当な優勝という見方もできるかと思います。武器はダッシュ力で,マークの小橋が離れたあたり,選手としての衰えというのはまだないようです。

 12日はの主治医であるN先生から話を聞くことになっていました。これが午後5時からの予定。妹は伯母に任せられる状況になっていましたので,僕はこの時間でも可能でした。アパートの叔父にとってはぎりぎりの時間で,それでも出席に意欲はみせていたのですが,この日は残業が入ってしまい,出ることができませんでした。では,僕だけがN先生から話を聞いたのかといえばそうではなく,この日は母本人も同席しました。今から考えますと,この話というのは,本来はこのように患者本人も交えて行われるこの日のようなあり方が通常だったようです。ただ,これまでの2回は,母はベッドを抜け出して医師のところまで行くということが不可能でしたので,僕と叔父だけが出席していたということ。なお,この時点では母はまだ歩行器を用いて歩くというところまでは回復していませんで,車椅子でした。
 この日も母の脳の写真を見せられたりしましたが,話のうちで最も重要だったのは,近いうちに母の点滴を外すということでした。すでに説明したように,母は目眩と吐き気を抑える薬物に関しては,点滴から飲み薬に変化していました。一方,車椅子に乗って移動が可能ということからも分かりますように,食事も横になったままではなく,ベッドに座って食べられるようになっていましたから,前回の話があった時点のように,おにぎりとか串刺しにされたおかずのような配慮はなくなり,通常の病院食を与えられていました。ただ,それをすべて食べきるということはできていませんでしたので,点滴で栄養補給もされていたのです。つまりこのときも,単に母だけでなく,点滴も一緒に移動していたわけです。
 一方,脳の状態は,本格的なリハビリに移行できるまで回復していました。ただ点滴をしていますとそれが物理的に不可能ですので,そのために点滴を外し,食事だけで栄養補給をするようにするということになったのです。すなわち点滴を外すということは,小脳出血の治療段階としては,最終的段階といえるリハビリに入るということを意味していたわけです。
 こうした話があり,最後に僕の方から,介護保険の意見書を書いてもらうようにお願いして,この日の主治医との面談は終りました。治療としての最終段階に入りますので,退院についても目途が立ったのかといえばこれはさにあらず。リハビリは月単位で考えなければいけないとのことでした。
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王将戦&買い物

2010-11-29 20:28:26 | 将棋
 第60期王将戦挑戦者決定リーグ戦は,初戦敗退後に4連勝した佐藤康光九段と豊島将之五段が今日の最終局で直接対局。勝った方が挑戦者という分かりやすい図式になりました。過去は去年のこのリーグでの1局のみで,それは佐藤九段の勝ち。
 あらかじめ決まっていて佐藤九段の先手。豊島五段が横歩取りに誘導しましたが,先手が取らずに▲5八玉とし,後手も△8四飛と受けたので変則的な相掛り,相浮飛車という将棋に。典型的な力将棋でこの後,後手から角交換。先手がその角を打って香得を果たしました。
                         
 このまま長引けば駒得が生きますから先手の優勢になるでしょう。ということでここからは後手の攻め,先手の受けという展開になります。端に手をつけてありますので△1六歩から食い破りにいきました。攻めの最大の焦点は,いい形で飛車を取ることができるかどうか。先手の受け方が最善であったかどうかは分かりませんが,第2図のように進みました。
                         
 ここで▲4六歩と突いていますが,これはいかにも苦しそうな一手。後手は銀を取ってからついに飛車を取り,1九に打ち込みました。後手は最大の焦点をクリアした格好で,こうなれば優勢といっていいでしょう。この後,先手の猛烈な粘りに合い,かなり手を焼くことになりましたが,逆転は許さず,後手が押し切っています。
 豊島五段が挑戦権を獲得するとともに六段に昇段。このメンバー相手に挑戦者になったのは素晴らしい結果。あるいは来年は,新たなヒーローの誕生ということもあるかもしれません。七番勝負の第一局は来年1月8日と9日です。

 哲学のスイッチはひとまずオフにして,話を百日法要後の日常に戻します。
 翌日の9日は仕事で伊勢佐木町へ。これは経済的な観点からいえば大した儲けにはならないものでしたが,過去からの繋がりというものもあり,また,日程的に合いそうなのがこの日しかありませんでしたので,本当は気は向かなかったのですが出掛けました。早めに終えてもらって区役所へ。これは前に説明した介護保険の手続きのため。その後で見舞いに行ったのですが,区役所と病院はすぐ近くということもあり,午後4時半前には帰宅できました。
 11日に妹のみなと赤十字病院での歯科の予約が入っていました。来日した伯母はこれも連れて行ってもいいと言ってくれたのですが,事前や事後の手続きなど,面倒なこともありますから,僕が同行しました。この日は予約時間が午前11時。これでは仮に妹が作業所に行ったとしても,すぐに病院に行かなければならないことになりますので,休ませました。ただ,11時というのは,以前に説明しましたバスの時間からはとても都合がよい時間でして,その点では楽だったといえます。
 この日もすぐに呼ばれました。歯周病の方に関してはまだ様子を見てみるという結論になり,それに関する主だった治療はなし。下の歯だけ歯石を除去して治療は終了。これは別に下の歯だけ歯石が付着していたからというわけではなく,上の歯は次の診察時に取るということです。11時からの診察でしたから,事後の手続きを終えると12時は回っていました。みなと赤十字病院には食堂がありますのでそこで昼食。そのまま妹を連れて母の見舞いに。さらにその帰りに買い物をして戻りました。
 この買い物というのも実に厄介。できればまとめて買っておきたいですが,そうなると荷物があまりに多くなって,持って帰るのが大変。母は週に2回位の買い物だったと思うのですが,今から考えればこれは母が車を運転できたから可能だったこと。こうしたことも実際に経験してみなければなかなか分からないことです。僕は最近は2日に1度という頻度で買い物をしていますが,それでも買うものによってはかなりの重さになってしまうことがあります。
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ジャパンカップ&身体の記憶

2010-11-28 19:08:42 | 中央競馬
 節目の回ということもあり,関係者も努力したのでしょう,今年の第30回ジャパンカップは8頭もの外国馬が招待に応じました。
 ジョシュアツリーとペルーサが出遅れ。ブエナビスタが1コーナーの手前あたりで躓いてしまいひやっとしましたが,大事には至らず。ただ位置取りは後ろから5番手あたりの外とやや悪くなってしまいました。
 逃げたのはシンゲン。最初の1000mは60秒7。逃げ馬ではない馬の先導ですから当然のスロー。馬群はかなり密集してのレースに。先行各馬もわりに早くから動いていくレース。直線はかなりごちゃごちゃしましたが,内を割ったヴィクトワールピサが先頭に立ったところを外からブエナビスタが楽に交わし,そのまま先頭でゴール。ただしその過程で内に切れ込み,ローズキングダムの進路を妨害したために降着。立て直されてからよく伸び,ゴール寸前でヴィクトワールピサを捕えて2着入線のローズキングダムが繰り上がって優勝。ブエナビスタが2着,ヴィクトワールピサが3着で確定。
 優勝したローズキングダムは昨年の朝日杯フューチュリティステークス以来の大レース2勝目。仮に不利がなかったとしたら,ブエナビスタに先着できていたかどうかは大いに疑問が残るところで幸運といえば幸運。スローの決め手勝負というレースになったのも幸いしましたし,諦めずに追われ,ヴィクトワールピサを捕えていたのが優勝につながりました。父はキングカメハメハ,母は重賞2勝のローズバド,祖母も重賞勝ち馬のロゼカラー。叔父には重賞3勝のローゼンクロイツがいて,母の叔父には重賞5勝のロサードと重賞3勝のヴィータローザ
 騎乗した武豊騎手は3日のJBCクラシックに続く大レース制覇。ジャパンカップは1999年のスペシャルウィーク,2006年ディープインパクトで勝っていてこれが3勝目。管理している橋口弘二郎調教師は昨年の朝日杯フューチュリティステークス以来の大レース制覇でジャパンカップ初勝利。
                         
 ブエナビスタは昨年の秋華賞に続いて2度目の降着。クラブ法人とはいえ同馬主相手の降着は微妙な裁定。力は文句なくトップなのですが,運にはあまり恵まれていないような気がします。

 これらの哲学的考察をに当てはめて考えてみます。
 すでに説明したように,母は体育大学を卒業し,その後は中学校の保健体育教師として勤務していました。単純にこのことだけをもってしても,運動していた量というのは,ごく平均的な人間と比べればずっと多かった筈です。もちろん,身体の可塑性という観点から説明したように,人間の身体がなし得る,というか現実的になしている運動の多くは後天的に獲得されるものですから,実在性ないしは完全性という観点からいうなら,だから母の身体というものがごく平均的な身体よりもより完全な身体であったということはできません。これはすでに考察したことでいうなら,たとえば排尿を我慢することをなし得る身体が,それをなし得ない身体よりも完全であるということはできないということと同じです。確かに母の身体は,ごく平均的な身体よりもなし得ること,あるいはなし得ていたことも多かったと思いますが,だから母の身体がそれだけ完全であったというなら,結局のところ完全の意味は何も指示しなくなってしまうからです。
 しかし,運動の確定化という観点から考える限りでは,母の身体が,リハビリを行うことによってその機能を取り戻しやすい身体であったか取り戻しにくい身体であったかといえば,これは間違いなく取り戻しやすい身体であったと僕は思っていました。だから僕は,このことについては母に対して,あるいはもっと限定的にいうなら母の身体に対して,希望を持つことができたのです。僕はこの希望には何の根拠もなかったというわけではないといいましたが,その根拠こそ,スピノザ主義者であらんとする僕自身から,いわば自然発生的に生じたといえるでしょう。
 俗に,身体が覚えているという表現が,慣用句的になされることがあります。しかし,人間の身体の運動に関する限り,その原因は確かにその人間の身体なのであって,その人間の精神はスピノザ哲学でいうところの唯一の原因である起成原因とはなり得ません。つまり,運動に関しては,覚えているのは文字通りに身体なのであって,精神ではないのです。つまりこれは慣用句としてではなく,スピノザ哲学の立場としては文字通りの意味を有します。そして母の身体は,多くの運動を,よく覚えている身体であったと思うのです。
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JT将棋日本シリーズ&運動の確定化

2010-11-27 20:11:00 | 将棋
 第31回JT将棋日本シリーズ。決勝は23日。今年はさすがに観戦には行かれませんでした。
 対戦したのは羽生善治名人と山崎隆之七段で,ここまで羽生名人が13勝,山崎七段が2勝。山崎七段の先手で相掛り。先手が棒銀から横歩を取らせるという意表の指し回し。序盤については勝又六段の解説を参照してください。
 この将棋は中盤に先手のポカが出て一気に決まってしまいました。
                         
 ここで▲8四歩と打ち,と金を作りにいったのがポカ。△4八馬▲同玉△9ニ金で龍が取られてしまいました。
 このように8二の地点に大駒がいるとき,金を香車の上に打たれて取られる手があるということは,手筋としてはおそらくアマ初段もあれば知っていると思われるもの。しかしごくまれには,プロでもそれをまともに食らってしまうことがあります。この玉形で飛車を取られては粘れず,後手の勝ちになりました。
 羽生名人は7年ぶり,4度目の日本シリーズ優勝となりました。

 人間の身体はきわめて複雑ではありますが,個物であることにかわりはありません。これは第二部自然学②要請一にいわれている通りです。そしてこの複雑性こそが,身体の可塑性を生じさせます。もしも人間の身体というものがもっと単純なものであったとすれば,各々の人間の身体がなし得ること,あるいはなし得ないことの差異は,現にあるほど大きくはなかった筈です。
 よって,人間の身体がある運動を回復するということは,その運動が失われる以前に,どのような運動をその身体がなしていたのか,あるいはなしていなかったのかということによって,各々の人間の身体によって差異が生じてくるのです。しかるに,運動の機能が回復するということの原因は,その回復する身体の運動のみを原因として生じるのですから,かつてより多くの運動をなしている身体であればあるほど,ある運動を回復する可能性というのはそれだけ高くなるということになります。すなわちもっとも単純にいうならば,ある運動を回復するためにリハビリを行うとき,そのリハビリが成功する可能性が高い身体というのは,リハビリ自体に真剣に励む身体であるというよりは,実はそれ以前にその身体がなしていた運動の度合いが高い身体であるということになるのです。
 なぜそうなるのかといえば,これは身体の可塑性とは別のもうひとつの人間身体の特質と関係してきます。前回,排尿の秩序付けというのがいかにして人間の身体に獲得されるのかということを説明しました。それは,たとえばトイレの表象と排尿する自分自身の身体の表象とを結びつけることによってなされるのですが,このとき,これらふたつの表象像は結び合わされれば結び合わされるほど,この人間の身体のうちでより確定的になっていくのです。スピノザは『エチカ』においては,単純な身体運動としてはこれを説明していませんが,たとえば第二部定理一八備考の表象像の連結の説明から考える限り,このようにいうことが妥当であるということは明らかだと思います。
 したがって,リハビリが成功する確率の高い人間身体というのは,より多くの,単に回数という意味でより多くの運動をなしていた身体ということになるでしょう。なぜならば,身体の運動は,そうした多くの回数の運動によって,それだけ大きくその人間の身体のうちで確定的になっていたと考えることができ,より確定的になっているほど,それは取り戻しやすいと考えられるからです。
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竜王戦&身体の可塑性

2010-11-26 19:35:17 | 将棋
 渡辺明竜王が突き放すか,羽生善治名人が追いつくか。第23期竜王戦七番勝負第四局。
 羽生名人の先手で角換り相腰掛銀。後手の手順の選択の影響で先後同型とはならず,先手が4筋に飛車を回って角を打つ将棋に。片上六段によれば専守防衛ということの後手が新手を出したところで封じ手。
                         
 先手が▲同角と取ったのに対して△4四歩と歩を打ち直して受けました。
 羽生名人が初めて名人になったのは1994年のこと。3連勝後の連敗で迎えた第六局は角換りの後手棒銀先手右玉でこの将棋とはまったく戦型が異なりますが,同じような△4六歩▲同銀△4四歩という手順があり,その好手順を生かした当時の羽生棋聖が名人を獲得しました。僕もそうですが,その将棋を思い出された方もあるいはいらっしゃったかもしれません。
 この後,3七の桂馬を攻める手順にならなかったのは後手にとって誤算だったかもしれませんが,徹底抗戦から攻め合いに持ち込み,終盤はどちらが勝つか分からない将棋になりました。
                         
 ここで後手は△7八銀打と打って詰めろをかけましたが,これでは負けでした。▲6四金△8三玉▲6三龍△8二玉と上部を手厚くされたところで▲6九金と銀を取られて万事休す。後手は詰ましにいきましたが,その過程で逆王手が掛かり,即詰みに討取った先手の勝ちとなっています。
 大熱戦を制した羽生名人が星を五分に戻しました。仕切り直しとなる第五局は来月の1日と2日です。

 この回復の哲学的基礎から理解できることは,もしもある人間の身体において,かつてなされていた運動が一旦は失われ,しかる後にそれが取り戻されるということが生じるならば,それはあくまでもその人間の身体の運動と関連してのみ,すなわちその人間の精神の状態とは関係なしに,徹頭徹尾その人間の身体の運動として考えられなければならないということになります。強い意志とか,諦めてしまう気持ちといったものが,そうした運動の回復に関係していると僕たちは考えることもありますが,実際にはそれは,第一部公理三でいわれているような意味では,人間の身体の運動機能の回復,ないしは回復しないこととの間に,因果関係があるわけではないのです。
 実際のところ,たとえばリハビリを続けようという意志というものは,リハビリをしている自分自身の身体の肯定です。あるいはそれを諦めてしまう気持ちというのは,逆にかつての運動を取り戻せないでいる自分自身の身体の肯定,ないしはかつて運動をなしていた自分自身の身体の否定です。このような意志作用というものが,何らかの意味で自分自身の身体のある状態と平行論における平行関係,すなわち同一個体にあるということは,前回の第二部定理四九系の考察で具体的に検証した通りです。こうした意志は,実際に機能を取り戻すための運動を身体がなしているときにのみ生じるのであって,そうでない場合には生じ得ないのです。よってそれが身体運動の回復の直接的原因であるということはあり得ません。
 ところで,人間の身体の運動のほとんど,別のいい方をするなら,僕たちの身体が実際になしている運動の大部分は,人間の本性として先天的に備わっているものではなく,むしろ一般的な人間の本性としてではなく,現実的に存在する各々の人間の現実的本性として後天的に獲得されていくものです。すなわち各々の人間の身体というのは,ある運動を獲得していくという点においては,きわめて可塑的なのです。これはたとえば「スピノザ的スピノザ」という論文で述べられていてことと一致します。しかしきわめて可塑的であるということは,逆にいうならば,各々の人間の身体が獲得している運動というものは,実はそれぞれの場合でかなり異なっているということを意味します。したがって,一口に人間の身体が運動を回復するといっても,実際には個々の身体によって,回復するということの内容が有している意味は具体的に異なってくるということになるのです。
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一宮記念&回復の哲学的基礎

2010-11-25 19:16:25 | 競輪
 地元勢が3人乗ってきた一宮記念の決勝(動画)は,23日に争われました。並びは深谷-金子-服部の愛知,小嶋-山口の中部別線,川村-村上の京都で,残った坂本に有坂。
 発走は牽制。結果的に深谷の前受けになり,小嶋が4番手,川村が6番手,坂本が8番手という周回に。残り3周のバックから川村が上昇。深谷を叩くとそのまま前に。5番手になった小嶋がホームから上昇の気配を見せると川村はそのまま発進。バックでは一列棒状に。打鐘過ぎのホームから7番手に置かれた深谷が発進。最初は車が出ない感じでしたが,徐々にスピードに乗っていき,バックでは逃げる川村を捲りきりました。しかしさすがにそれで一杯。番手から抜け出した師匠の金子が優勝。このラインにスイッチの形となった坂本が外を伸びて2着に食い込み,金子マークの服部は3着まで。
 優勝した愛知の金子貴志選手は一昨年10月の千葉記念以来となる記念競輪3勝目。抜群のダッシュ力を有する選手で,早くから僕が期待していた選手だったのですが,残念ながら最近は落ち込んでしまっていました。年齢的にもうこれ以上の上積みを望むというのも少し酷なことかもしれませんが,これをきっかけに復調し,もう少し第一線で活躍してほしいと思っています。

 の日毎の回復ぶりは,僕にとっても驚きではありました。しかし一方で,僕はそういうことが生じる可能性については,それが少ないであろうと考えていたわけではありません。もちろんそれは期待とか,あるいは第三部諸感情の定義一二にいう希望のようなものであったという方が正しいのかもしれませんが,しかし僕がそのような希望を抱いたのだとしても,それには何の理由もなかったわけではなくて,ひとつの哲学的立場でもあったのです。
 第三部定理ニ,ないしは第二部定理六が示していることは,人間の身体がある運動に決定されるならば,それはあくまでも運動と静止,すなわち延長の属性の直接無限様態によって説明されなければならないということです。ところで,人間の身体というのはある物体,すなわち延長の属性の個物であるわけですから,これは第一部定理二八の仕方で発生することになります。このことは人間の身体というものを,ひとつの全体として考えた場合も,あるいは人間の身体を構成しているある部分,たとえば手とか足といったように部分的に考えた場合にも同様に当てはまらなければなりません。
 第四部定理三,あるいは第四部定理四に示されている通り,人間は受動から逃れるということは不可能です。これは人間を精神としてみても身体としてみても同様でなくてはなりませんから,ある人間の身体の運動の全体というものを,その人間の身体だけで完結して説明するということは本来はできません。しかしその上で,仮にこれが完結できると考えてみたとします。
 この場合,人間身体のある部分が運動ないしは静止に決定される場合,その原因はその人間の身体の別の部分にあるということになるでしょう。そこで前者をA,後者をBとしてみます。しかしBもまた個物ですから,この運動あるいは静止は,やはりこの同じ人間の身体の一部を構成しているCを原因として生じることになり,さらにそのCもやはり同じ人間の別の部分であるDを原因として運動あるいは静止に決定され,という具合にこの因果関係が無限に連鎖していくということになります。第一部定理二八というのは,全自然の因果関係の記述として具体的には成立しますが,この全自然を一身体に限定するなら,やはり具体的にはこういったことを示しているのだと考えていいのだと思います。
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浦和記念&投薬方法の変化

2010-11-24 18:43:30 | 地方競馬
 大レースのはざまに位置する関係で,あまり有力馬が集まらない傾向にある第31回浦和記念
 スマートファルコンが今日も逃げの手に出ました。ただし,前走の猛烈なラップに対して今日は前半の1000mが63秒9と一転してスローペース。このペースで逃げられてはすでに勝負ありといったところ。
 2番手で追っていたディアーウィッシュも直線に入るところでは苦しくなり,あとは独走となったスマートファルコンが6馬身差をつけての圧勝。途中から動いていったボランタスが2着に入り,外から追ってきたブルーラッドとドリームトレジャーの追撃を凌ぎきったディアーウィッシュが3着。
 優勝したスマートファルコンJBCクラシックから連勝で重賞12勝目。浦和記念は一昨年も優勝していて2勝目。距離適性という面からは,本当はもう少し短い方がいいのだろうと思いますが,どうやらすんなり行けた場合に最も力を発揮できるということがここにきて明らかになってきました。そういう意味では主導権を奪いやすいこのくらいの距離が,今後も活躍の舞台となってくるかもしれません。父はゴールドアリュール,兄に1999年の東京大賞典を勝ったワールドクリーク
 前走に引き続いての騎乗となった武豊騎手2007年以来の浦和記念2勝目。管理している小崎憲調教師は一昨年以来の浦和記念2勝目です。
                         

 一般的にいって,ある事物を常に見続けている場合と,ある程度の間隔を開けて見ている場合とを比較するなら,もしも対象となっている事物に何らかの変化が生じているときには,後者の場合の方がその変化に気付きやすくなります。これは僕たちの経験から確かなことだといえるでしょう。たとえば僕のの場合,母と妹が渡米している間にも体調は悪くなっていったのですが,一緒に生活していてずっと父を見続けていた僕と,渡米している間は父の様子を見ることがなかった母とでは,やはり母の方が父の変化というものをより敏感に察知したといえるでしょう。
 僕は連日にわたって磯子中央病院に通い,見舞いをしていました。もちろん家で一緒に生活をしていたときと比べれば,母の様子を見ている時間というものは間違いなく減少していた筈ですが,それでも看護師をはじめとする病院の職員というのを別にすれば,だれよりも母のことを見ていたということになります。したがって,母の変化にはむしろ気付きにくい立場にあったということができるのではないかと思います。実際にもしも母の変化というものが,それこそ薄皮を1枚ずつ剥いていくような,ごく些細なものであったとしたら,僕はそれには気が付かなかったかもしれません。
 しかし実際には,この父の百日法要の前後における母の変化,その回復ぶりというのは,僕の目にもはっきりと顕著であり,驚くほどであったのです。まさにこの頃の母は,昨日よりも今日,今日よりも明日といった具合に,1日という単位で明らかに前進していました。
 この点について,母自身は,薬の変化がよかったかもしれないと言っています。入院した後の母は,手術はしませんで投薬治療を続けていたのですが,この投薬は2種類あり,ひとつは出血を止めるもので,もうひとつは吐き気と目眩を抑制するものでした。これを栄養剤と一緒に点滴で投与されていたのです。
 しかしこの吐き気と目眩を抑制する薬が,飲み薬に変化してから,回復が顕著になったようなのです。ただし,それはたまたま回復の時期と薬の投与方法の変化とが重なったというだけであって,このふたつの事柄の間に,本当に第一部公理三でいわれるような因果関係があったかどうかは分かりません。
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兵庫ジュニアグランプリ&排泄状況

2010-11-23 18:50:25 | 地方競馬
 全日本2歳優駿のステップレース,兵庫ジュニアグランプリ(動画)。
 逃げたのはケイアイカイト。リアライズノユメは3番手,カネマサコンコルドは7番手を追走。スローペースだったのではないかと思います。
 カネマサコンコルドが向正面で外を上昇,リアライズノユメもこれに呼応。2番手にいたイチバンボシは後退し,ケイアイカイトを2頭が追って直線。コーナーワークで一旦は差が広がったように見えましたが,リアライズノユメは直線半ばでケイアイカイトを捕えると,あとは危なげなく抜け出して優勝。カネマサコンコルドもしぶとく伸びて2着。3着は逃げたケイアイカイトと外を追ってきた3頭の計4頭で大接戦。ケイアイカイトと地元のエルウェーオージャの同着という判定でした。
 優勝したリアライズノユメエーデルワイス賞に続いて連勝。内容的にも完勝といっていいでしょう。ただ,距離が延びていくことについてはまだ今後の課題として残っているのではないかと思います。
 騎乗した福永祐一騎手は2006年以来の兵庫ジュニアグランプリ2勝目。管理している森秀行調教師は初勝利です。

 この百日法要の前後から,は目に見えて回復してきました。ここではその一例として,母の排泄の状況からその回復具合を説明してみましょう。
 母はまずHCUに入院したわけですが,そのときは大人用のおむつを使っていました。実際には意識は確かで,目眩と吐き気で身体を動かすのに不自由していただけですので,必要性という観点から考えれば不要ではあったのですが,HCUはベッド上安静ですから,トイレに行くということは許されません。したがって尿瓶を用いるかおむつをするかの二者択一となるのですが,母の希望でおむつの方を使いました。おむつは使い捨てなので,洗濯の手間が省けるということでそうした意味もあったようです。
 一般病棟に移動になると,上述の理由からおむつはまだ使いましたが,カテーテルを同時に用いました。よっておむつの中に排尿するということはなくなったのですが,まだこの時点ではベッドから降りるということができない状況であったということになります。
 次にベッドの横に簡易便器が設置され,そこで排泄全般をするようになりました。つまりその程度の移動であれば可能な状態まで回復したということ。この時点でおむつは完全に不要になりましたので,下着をつけるようになりました。これは2度目の主治医の話があった頃のことです。
 それが,この百日法要の頃になると,車椅子に乗って,看護師にトイレまで連れて行ってもらうようになりました。つまり車椅子に乗って移動しても,吐き気や目眩というのがそうもひどくは襲わないような状態にまでなっていたのです。そしてこのように排泄をしていたのはごく僅かな期間で,今度は自分で車椅子を動かしてトイレに行くようになりました。これは,自分が乗った車椅子を動かすことができるほどまで,筋力が回復してきたということを示しています。
 しかしこの方法も僅かな期間で終了。今度は車椅子ではなく歩行器が用意され,それに捕まって歩いてトイレまで行くことができるようになりました。これもまた,脚をはじめ,人間が歩行のために用いる筋肉というものが,そこまで回復してきたことの証明といえるのではないでしょうか。
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女流王将戦&百日法要

2010-11-22 18:35:43 | 将棋
 先週の土曜日に放映された第32期女流王将戦三番勝負第二局。対局日は10月28日。
 清水市代女流王将の先手で▲7六歩△3四歩に▲6八玉の中飛車封じ。里見香奈女流名人は△4二飛。さらに3筋の位を取ってから振り直し,浮飛車から石田流のような構え。この手損を咎めるべく先手は抑え込みにいきました。
                         
 ここから後手が捌きに出ます。角交換して飛車を2筋に。先手は▲2六角と打って方針を貫こうとしますが△4四歩▲3五歩△4五歩▲同歩△6四角▲1八飛△1四歩(第2図)。
                         
 もう半分くらいは捌けた感じで,それなら玉の堅さが違いますからもう後手の方が勝ちやすそうに思えます。ここで▲3六金と上がりましたがこれが疑問。△1五歩▲5六銀に△1六歩と薄くなった端から来られ,一遍に収拾がつかなくなってしまいました。
 これ以降も手数こそ伸びましたが,後手がどんどんと優勢を拡大していくばかり。典型的な振飛車完勝といえる一局になりました。
 これで1勝1敗。第三局は今週の土曜に放映されます。
 
 伯母の来日の翌日にあたる11月4日は,僕が外出しなければならなかったので,妹を送り,そのまま出掛けました。実際に伯母に妹を送ってもらうようになったのは5日からですが,僕が個人的に最も負担に感じていたのがこのことでしたので,単に肉体的に楽になったというよりも,精神的にかなり余裕が生まれました。
 11月8日は父の百日法要。お寺の話ですと,法要はお寺で行うこともできるし,自宅で行うこともできるということでした。ただ,お寺でやるとなると,やはり大がかりなものとなり,その後の精進落としなどもしなければなりません。このときの状況からそれはやればできないことはありませんでしたけれども,やはりなるべく負担を減らしたいということもあり,月曜日に自宅で行うということを選択しました。出席したのは僕のほかには来日した伯母,それから父の最も下の姉,父の次兄夫婦,それから3番目の姉とその長女。あとはお寺の方が3名ほど。したがって住職を含めて11人ということになります。午後1時から1時間ほどをかけ,つつがなく終了しました。なお,この1時間というのはほぼ読経の時間です。僕の経験は拙いものではありますが,仏教というのは宗派によってこういうときの読経時間の長さというのがだいぶ異なるように思います。その中では本門仏立宗は仏教の中ではこれがかなり長い方なのではないでしょうか。
 四九日法要が彼岸の最中ということで,納骨をこの百日法要の日に延期してはどうかという話もあったのですが,その日にすませておきました。もちろんそのときは,母の異変が起こるなどということはだれも想像していなかったことであり,単に家庭の都合でそうしたまでです。しかしこの日になってみると,四九日の日に納骨まですませておいて本当によかった。もしもこの日が納骨ということになっていたら,こんなに慎ましくすませるというわけにはいかなかったでしょうし,納骨に母が参加できないところでした。
 1時間ほどですので2時頃に法要は終了しました。父の次兄夫婦と姉は,次兄の自動車で墓参りに。僕はそのまま磯子中央病院に母の見舞いに向いました。母もこの百日法要のことはだいぶ気にかけていましたので,無事に終わって少し安心したようです。
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マイルチャンピオンシップ&伯母の来日

2010-11-21 19:07:45 | 中央競馬
 今年もフランスから1頭が遠征してきた第27回マイルチャンピオンシップ
 ジョーカプチーノの逃げは僕の予想通り。絡んでいった馬はいなかったものの前半の800mが45秒3。ラップ的にはミドルより少し早いといったところのハイペースなのですが,京都の1600mという条件でいえばかなりのペースになりました。人気のダノンヨーヨー,サプレザ,トゥザグローリーといったあたりはいずれも後方待機。キンシャサノキセキはこれだけのペースでも掛かりました。
 直線に向くと3番手にいたスマイルジャックが最内に進路を取って一旦先頭。しかしこの馬とジョーカプチーノの間を,中団の内にいたエーシンフォワードが突いて一気に抜け出しました。そこへ外からダノンヨーヨー,ゴールスキー,サプレザの3頭が並ぶように襲いかかってゴール。僅かに凌いだエーシンフォワードがコースレコードでの優勝。2着にダノンヨーヨーで3着はゴールスキー。
 優勝したエーシンフォワードは2月の阪急杯以来となる重賞2勝目で大レース初勝利。結果は出ていなかったものの,この路線の根幹レースを走り続け,そう大きな着差はつけられていませんでした。そういう意味では乗り方次第では何とかなってもおかしくはないという馬で,今日はこの着差ですから,やはり鞍上の進路の取り方が巧みだったことが最大の勝因になったのではないでしょうか。
 騎乗していたのは2ヶ月ほど前の大怪我から先週に復帰したばかりの岩田康誠[やすなり]騎手で皐月賞以来の大レース制覇。管理しているのは西園正都調教師で一昨年の川崎記念以来の大レース制覇。マイルチャンピオンシップは揃って初勝利です。

 妹は重度知的障害者ですので医療費はすべて無料です。したがってお金を払う必要はありませんでしたが,清算のための手続きというのは必要で,それを済ませ,今度は妹を連れて磯子中央病院の方へ見舞いに行きました。妹の歯科の治療の時間がどのくらい掛かるのかということは僕には見当もつきませんでしたから,場合によっては夕食は外食になる可能性も考えていて,そのためにインスリンも持ってきてはいたのですが,午後5時過ぎには見舞いも終えて家に着くことができました。店屋物の場合,近所の中華料理屋に頼むのですがこの日は水曜日で定休日。というわけで自分で作ることに。ただ,外食の可能性も考慮してご飯は炊いていませんでしたので,うどんにしました。
 この週末は台風が接近するという予報。土曜と日曜は妹を連れて見舞いにいかなければなりませんので,もしかしたら大変なことになるのではないかと思っていたのですが,それほどひどい状況にならなかったのは幸いでした。30日の土曜は東京競馬の開催が中止となり,11月1日の月曜日に延期となったのですが,生活の一変がこの場合には幸いしまして,馬券を買いに行くことができました。
 11月3日に,去年も今年も母と妹が渡米した先の母の姉,僕の伯母が来日。この結果,僕の負担を少し減らすことができました。僕が伯母に頼んだのは主に2点。ひとつは妹を作業所まで送ってもらうこと。バスの定期券を僕の名前でなくて持参人式としたのは,このことをあらかじめ考慮に入れてのことだったのです。定期を購入したときには,すでに伯母が来日するということは決まっていました。
 もうひとつは妹の夕食の支度。僕の場合,熱量の調整があるので,食事の支度は普通の人よりも負担になりますが,妹はそうではありません。ということで,僕は自分の食事だけを作り,妹の夕食は伯母が作ってくれることになりました。台所を別々に使うのは馬鹿げているとお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが,伯母は来日した際には基本的には僕の家ではなく,叔父が住むアパートの方で生活します。つまり伯母はそちらで食事を作り,妹が食べに行くということになりました。
 さらにいえば,伯母がいてくれるということで,僕が必ずしも家で妹の帰りを待たなくてもいいようになったのも大きかったです。なお,伯母は30日に一旦は帰米しますが,来月の22日にはまた来日する予定となっています。
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女流王将戦&仕上げ磨き

2010-11-19 18:44:01 | 将棋
 先週の土曜に放映された第32期女流王将戦三番勝負第一局。霧島酒造杯ということで都城での対局。対局日は10月17日で,この日まで清水市代女流王将が6勝,里見香奈女流名人が5勝。
 振駒で里見名人の先手。▲7六歩△8四歩▲5六歩で中飛車かと思いましたが△8五歩▲7七角△5四歩▲8八飛で向飛車。後手が早めの△7四歩で急戦を匂わせたのに対し,先手が角道を止めたので一転して居飛車穴熊。先手が銀冠の持久戦に。
                         
 ここから後手が△6五歩と仕掛けて戦闘開始。先手の2五歩とか1八香というのはプラスになるかどうか微妙なところ。苦心の手待ちといったところで,先手でこういう手を指さなければならない駒組では,先手の作戦負けといえるでしょう。この後,先手の受け方にやや問題があったかもしれませんが,後手の仕掛けが成功する形となりました。
                         
 △6八飛の王手銀取りに▲4八角と受けたところで,ここはもうすぐ終るのではないかとも思えた局面。△4六金が有力そうですが,感想戦の感じだとそれでも意外に難しいようです。実戦は△5八金。▲3九角打と受けました。この後,後手は直接手を連発するような攻め方をしたのですが,先手の徹底抗戦の前に持て余すことになってしまいました。第2図は見た目ほどの差がないようです。
                         
 ここは先手が後手の攻めを受け止めたところで,厳密には逆転しているようです。しかしこの手番で▲6二飛と打ったのが敗着。△4二銀▲6一龍△5三角と進みました。
 手順中,自然に思える▲9一龍でなく▲6一龍だったのは,この△5三角が見えたからでしょう。ここで飛車が逃げると△2六角~△3八銀で先手玉が寄ります。なので▲1七銀と頑張ったのですが,△6二角~△6九飛と打たれ,今度は受け止めることができなくなりました。
 清水女流王将が先勝。もう結果は分かっているわけですが,分かった上で将棋を見るというのも悪くはないと感じました。第二局は明日の放映です。

 詳しい検査の結果,やはり妹の歯周病は以前よりも進行していたようです。ただ,妹は確かに歯が痛いと訴えることはあったのですが,その影響で食事の量が減ってしまうとか,あるいは痛みによる睡眠不足が生じるとか,そういった類のいわば別種の問題は何も生じていませんでした。他人の痛みというのはだれにも理解できるものではありませんから,妹の歯の痛みというのがはたしてどれほどのものであったのかということは,僕はもちろん医師や歯科衛生士にも分かりません。ただ現実的に,その痛み以外に何らかの問題が生じていたというわけではありませんでしたので,歯周病の治療はせず,もう少しだけ様子をみていくという結論になりました。結論といっても判断自体は医師が下すわけですから,おそらく歯周病自体,何らかの治療が必要なほどにまでは悪化していなかったということなのだろうと思います。
 この後,さらに歯科衛生士による歯磨きの指導というのがありました。やはり妹は自分で歯を隅々までくまなく磨くということはできていなかったようです。とくに奥歯の方には磨き残している部分が多いので,最後に仕上げとして磨き直してやるように言われました。
 実は小脳出血を生じる以前は,妹が自分で磨いた後,母が磨き直していたようなのです。僕はそれをやっていませんでした。もうこの時点で,母による仕上げ磨きがなくなってから20日ばかりが経過していましたから,この日に磨き残しが多かったのにはそういった影響があったのだろうと思います。というわけで,この日の夜から,妹が歯磨きをした後で,僕が改めて磨き直すようにしました。本当は歯磨きをした後には毎回これをやった方がいいわけですが,朝は時間的にも忙しすぎますし,昼は基本的に作業所で食べますから僕がやることは不可能。というわけで夜だけです。これは歯科での治療の際にもそうではないかと思うのですが,妹はかつて何度か顎の関節を外してしまったことがある影響で,あまり口を大きく開けるということができなくなっています。したがって少しばかりやりにくくはあります。
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ブリーダーズカップクラシック&診察

2010-11-18 19:12:52 | 海外競馬
 現地チャーチルダウンズ競馬場,11月6日の午後7時前の発走となったブリーダーズカップクラシックGⅠダート1・1/4マイル。ここには昨年のJRA賞最優秀ダート馬,またNARグランプリ特別賞のエスポワールシチーが出走しました。
 カメラ位置の加減かもしれませんが,何となくゲートがコースに対して曲がっているような感じで,12頭中11番枠のエスポワールシチーには不利ではないかと感じました。ただ,発走してしまえばとくにスピード負けするということもなくスムーズに外の3番手につけられました。前の4頭とその他が別の集団を作り,そのままほぼ1周回ってきて直線の手前では一旦先頭に。しかし直線に入ると伸びはなく,あとは交わされる一方の10着に終わりました。
 日本でのレース振りから考えると,エスポワールシチーがやるべきレースはやりましたので,完全に力負けしたというよりないだろうと思います。そもそも日本のダート馬が本場ともいえるアメリカの,それもこのクラスのレースでいい勝負をするというのは難しいことだと思われますので,この結果は仕方がないところでしょう。ただ,最悪の場合はレースにもならずに大敗してしまうのではないかとも個人的には危惧していましたので,むしろかなりいいレースをしてくれたと評価してもいいのではないかという気がします。

 乗り換えたバスが非常に混んでいたというだけで,道路の方が渋滞していたというわけではありませんでしたから,バス自体は順調に走り,予約時間であった1時半の少し前にみなと赤十字病院に到着することができました。事前にやらなければならないことは僕の総合内科の通院のときと同じ。これは同じ病院なのですから当然でしょう。ただし妹は,いわゆる保険証のほかに,重度障害者医療症というものがあり,こちらも併せて提出しました。なお,これは配分変更があった10月4日の僕の通院のときも同様だったのですが,父の死により世帯主が母に変わり,したがって保険証も新しくなっていましたので,コピーを取る手間があり,いつもよりはやや時間がかかっています。
 僕はみなと赤十字病院には何度も来たことがあるわけですが,歯科がどこにあるかは知りませんでした。妹が知っているだろうと思って案内させたら変な方に連れて行かれてしまい,結局は案内表示を見て歯科へ。確かにちょっと分かりにくい奥まった場所ではありました。事前に母から歯科は非常に時間が掛かると言われていたので覚悟していたのですが,名前というか番号は予期していたよりもすぐに呼ばれました。
 妹の診察を担当したのは歯科医と歯科衛生士のふたり。まず歯科衛生士の診察があり,歯の状態を1本1本チェックしました。次いで医師の診察。この頃,妹は左上が痛いと言っていまして,とくにその部分が重点的に診察されました。どうも元々の歯周病が進行していたようです。医師はその進行の度合いを詳しく調べたいということで,レントゲン写真を撮影してくるように命じました。
 一般的に町の歯科医ですとレントゲン写真もその場で撮影しますが,病院ではレントゲンはレントゲン技師がいる別室ということになります。みなと赤十字病院の場合は2階。僕が唾石ができたときにCT検査をしたところのちょうど向い側にありました。というわけでそちらに移動して撮影。そしてもう一度歯科の方に戻りました。写真が送られてくるのには少し時間が必要ですから,また少し待たされ,この日の2度目となる診察が開始されました。
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ロジータ記念&歯科の予約

2010-11-17 20:53:01 | 地方競馬
 今年から賞金額も上乗せされ,名実ともに南関東秋の3歳牝馬チャンピオン決定戦という色合いをさらに濃くした第21回ロジータ記念
                         
 先手を奪ったのはセンゲンコスモ。テイエムウミユキが3番手でハーミアがその直後。プリマビスティーが続いてショウリダバンザイは7番手。1周目の正面に入って隊列が定まるとペースは落ち着きました。
 ハーミアは3コーナー過ぎからあまり外を回らずに進出開始。直線入口では3番手に上がり,すぐに先頭に躍り出ようかという態勢。しかしこれをマークするように上がってきたショウリダバンザイがその外を一気に伸びると,ハーミアはついていけず,3馬身の差をつけたショウリダバンザイの優勝。ハーミアが2着で一旦は下がる形となったプリマビスティーが盛り返しての3着。
 優勝したショウリダバンザイは前走は門別に遠征して北海道重賞のノースクイーンカップに優勝。南関東重賞は3月の桜花賞以来となる2勝目。その桜花賞がかなり強い内容でしたので,ここも優勝候補の一角と思われました。距離的には少し長いのではないかという気がしないでもありませんでしたが,当面のライバルと思われたハーミアをマークするようなレースができたことと,おそらくこの馬の最大の武器と思われる一瞬の切れ味を生かすようなレースができたことが,差をつけての優勝につながったのではないでしょうか。4代母がケイティーズファーストとホワットケイティーディドの祖母になる同じ一族です。
 騎乗したのは大井の御神本訓史騎手。昨年の戸塚記念以来,その後の不祥事による騎乗停止とそれに続く騎乗自粛後は初の南関東重賞制覇となりました。管理している大井の高岩孝敏調教師とともにロジータ記念は初勝利です。

 主治医の話が午後6時からということで,この日は家に帰るのも遅くなりましたから,夕食は店屋物ですませました。妹もいますし,極力は自分で何かを作るようにしていますが,いくら生活の一変があったとはいえ,避けることができないような外出というのもありますから,そういう場合には帰りに弁当を買ってきてすませてしまうようなこともあります。もっとも,Ⅰ型糖尿病の場合には,食餌療法がこの不治の病との共生の上では欠かせません。そのためには単に熱量をコントロールするだけでなく,栄養素をバランスよく摂取しなければなりません。できあいの弁当のようなものですと,どうしても野菜は不足してしまいますので,それだけは欠かさないように調理するということになります。
 10月27日は妹にみなと赤十字病院の歯科の予約が入っていました。これが午後1時半から。作業所では給食が出ますので,その給食が終わる午後1時頃に迎えに行き,そのまま病院に向いました。
 以前にみなと赤十字病院へ行くバスの時間について説明したことがありましたが,1時半ということになると,病院の前まで行くバスに乗ることは不可能。というわけで少し離れた病院入口のバス停から歩くことになります。妹の作業所の最寄りのバス停から,そこまで行くバスはあるにはあるのですが,もう少し先のバス停まで行きますと,路線の関係でバスの本数が増えます。この日は行かない方のバスが来たのでそれに乗り,途中で降りて乗り換えました。これは別に大したことではなく,実際に僕も通院の日には,帰りにはこのような乗り換えをして帰ることもよくあります。ところがこの日は乗り換えたバスがえらく混んでいまして参りました。このバスはわりと有名な庭園で,僕自身も何度か訪れたことがある三渓園の方から来るのですが,どうもその帰りの乗客が多かったようなのです。学生時代に帰りのバスに乗ると,満員だからといって客が待っていてもバス停を通過してしまうということは何度か経験したことがありますが,この日も同じ理由で通過がありました。横浜市営バスでこういった通過を経験したのは,たぶんこの日が初めてだったのではないかと思います。
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松阪記念&介護保険

2010-11-16 18:11:48 | 競輪
 ここもまたかなり豪華なメンバー構成となった松阪記念の決勝。並びは鈴木-伏見-竹内の北日本,平原に大塚-園田の九州がつけ,小嶋-笠松の中部には三宅。
 大塚が勢いよく飛び出してSを取り,平原の前受け。小嶋が中団で鈴木が後方という周回に。残り2周から鈴木が上昇。バックで平原を叩いて前に。小嶋が続いたのですが,4番手は平原が確保し小嶋は再び下げて7番手。打鐘を過ぎてから平原が発進の構え。しかし鈴木が加速していったので,4番手に入り直しました。立て直した平原はバックから先捲り。車間を開けていた伏見の抵抗もあって苦労しましたが何とか前に。しかし直線入口で力尽き,番手から大塚が出たところ,さらに外を伸びた園田が強襲して優勝。大塚が2着で九州ワンツー。一旦は行き場をなくす感じでしたが内目を捌いて伏見が3着。
 優勝した福岡の園田匠選手は6月の四日市記念に続いて三重の記念を制して記念競輪2勝目。今回は前回と違い,大塚の後ろを回る形となりましたが,楽々と突き抜けました。これでみればかなり力がついてきていると考えてよいのではないでしょうか。冒頭にも記したように,かなり豪華なメンバーが集結しての開催となりましたから,この優勝は大きな価値があるように思います。

 この主治医の話があったとき,僕の方からひとつの質問というか相談をN先生にしました。それはの介護保険の認定を申し込むべきかどうかということでした。
 すでに何度かお話していますが,母の母は要介護4です。この要介護の段階というのは,認定してもらえるようにこちらから申請し,その上で専門の判定官の判定を受け,さらに合議によって決定されるのです。実はは最後に退院した後は,自宅でほぼベッド上で過ごしていましたから,介護保険の申請をしようかと思いました。ただ,判定は上述した通りですから,時間がかかるものであって,普通は申請してから認められるまでに1ヶ月半ほど経ってしまうようです。そのときに診断された父の余命から考えますと,これでは仮に認められても,というか度合いはともかく申請すれば絶対に認められる状況ではありましたが,まったく意味がありません。というわけで申請はしなかったのです。
 一方,このときの母は,何度か説明していますように,身体を起して座ることはもちろん,左半身を横にしたり,あるいは仰向けになるのも難しいような状態でした。しかし生命に関する危険という意味では,その危機は完全に脱していたわけです。もちろん今後の回復によっては,ほぼ元通りの,ないしはそれに近い生活を取り戻すことができるかもしれませんが,それは約束されているというわけでもありません。非常に考えにくいことではありましたが,最悪の場合はこのまま退院することになるという場合も,まったく考えられないというわけではなかったのです。なので僕としては申請しておきたいと思っていたのですが,どの段階で申請するべきであるのかということが分かりませんでした。そこでN先生に相談してみたというわけです。
 N先生はしばし考えていましたが,介護保険は早いうちに申請した方がいいというのが最終的な答えでした。実はこの申請には,主治医の意見書というものが必要だったのですが,それについても書いてくれるとのこと。ということで,11月9日に僕が区役所に出向き,申請書を出してきました。日が経過したのは,次のN先生からの説明の日時がこの時点では決定していなかったため。これが11月12日になりましたので,事前に申請に行ったわけです。なお,判定官による判定は,18日の午後2時からの予定です。
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女流王将戦&主治医の話

2010-11-15 18:40:50 | 将棋
 今月6日に放映された第32期女流王将戦挑戦者決定戦。勝ち上がってきたのは里見香奈女流名人上田初美女流二段で,収録された9月30日の時点での対戦成績は2戦して里見名人の2勝。
 上田二段の先手。上田二段は基本的に振飛車党ですが相手が振る場合は居飛車。というわけで里見名人のごきげん中飛車③の▲4八銀△5五歩から先手が早めに右銀を繰り出していく,最近では最も多く指されている形に進みました。
                         
 ここで▲6七金と上がれば穏やかですが,▲5五歩で飛車を捕獲にいったので早くものっぴきならない戦いに。△同銀▲6七金△6六飛▲同金△同銀まではほぼ一本道で先手玉は詰めろ。▲6八金と受けたのに対し△5六歩(第2図)と垂らしました。
                         
 感想戦の様子だとここで▲5三飛と打てば先手有望だったよう。4三に成る手があるのですが,先手はその順が見えていなかったようです。実戦は▲6五飛とこちらに打ちました。
 これで先手が悪くなったというわけではないと思います。後手は5七に銀が成り,▲同銀に取ってしまうと飛車が6八に回る筋があるのでこれを避けるために先に角交換して△3九角(第3図)と打ちました。
                         
 ここで▲5八飛で辛抱する手はあったよう。しかし前の▲6五飛を生かすべく▲4五角と攻め合いに。しかしこれが暴発だったようで,これを境に将棋は後手に傾きました。丹念に受けた後,反撃に転じた後手が即詰みに討取って勝っています。
 里見女流名人が挑戦者に。三番勝負は第一局がすでに放映されていますので,その将棋についても近いうちに紹介します。

 それでは10月17日の主治医の話に戻します。妹は出席しても無意味ですから母の傍らに居残り,僕と叔父のふたりだけで話を聞きました。なお,の主治医はN先生です。
 まず,出血部分の写真を見せられました。患部の大きさは最初に見たときよりもいくらかですが小さくなっていました。これが示しているのは,ひとつは小脳出血は完全に止まっているということであり,もうひとつは,出血してしまった血液が,徐々にではあるけれども吸収されていっているということでした。N先生は薄皮を1枚1枚剥いていくようにという表現で,本当にゆっくりとゆっくりとではあるけれども,母は確実に回復に向かっているといいました。
 ところで,小脳出血というのは,大体は血管の老化によって生じるのですが,まれに先に脳腫瘍ができて,その腫瘍から出血するというケースもあるのだそうです。ただ,造影剤を用いた検査では,血液も腫瘍も同じ色で映ってしまうので,この時点では母がどちらのケースで出血したかは分からないということでした。ただ,脳の他の部分の血管の様子を撮影したものも見せてもらいましたが,そこには何の異常もありませんでした。
 N先生によれば,母の最大の問題は,吐き気がひどいので,あまりものを食べることができない状況にあるという点だとのこと。母は身体を起すということがこのときはまだできませんでしたので,食事も横になったままで摂取。食べやすいようにと,ご飯は小さなおにぎり,またおかずもすべて串に刺して出してもらうなど,相当な配慮をしてもらっていたのですが,それでもすべてを食べきるということはなかったようです。病院ですから当然エネルギーなども考慮して配膳されているわけで,この量というのが,本格的なリハビリを開始するためには必要とされていました。すなわち母は,HCUから一般病棟に移動になった後,リハビリを開始はしていたのですが,本格的に取り組むためには,少なくとも食事をすべて食べることができるようにならなければなりませんでした。よってこの時点では,まだリハビリがどうこうといえるような段階にも至っていなかったので,当然ながら退院の目途などは少しも立ちませんでした。
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