スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
昨日の第42期女流王将戦三番勝負第三局。
振駒は歩が3枚で西山朋佳女流王将の先手。後手となった室谷由紀女流三段のいきなり三間飛車に先手も三間飛車にしての相振飛車。終盤は先手の攻めが続くか後手が受け切るかという展開に。
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第1図は先手の攻めが切れています。局面だけでいえばここでもそうですし,これ以前に投了していてもさほど驚きはしません。ただこの一局でタイトルの行方が決まる上に,先手玉がすぐに寄せられるという状況でもありませんから,指し続けるのが普通でしょう。☗6六飛と浮きました。
後手は入玉さえしてしまえば負けることはなく,どんなに悪くても持将棋にはできるでしょう。ですからここでは☖7六歩と打つのが安全だったと思います。☖9七角も悪い手ではないと思いますが,☗8六銀に☖8八角成とせざるを得ないのでは,後手玉は少しだけ嫌な形になりました。先手は☗3三桂成。
これを☖同銀と取ったのは,後の指し手からすると攻め合いを目指したものと思います。だとすればこの方針が敗因となりました。ここは☖8五香としてあくまでも受け切り勝ちを狙うのが優りました。
☗同馬のときに☖5四桂と方針通りに攻め合いにいったのが直接的な敗着。ここは☖7四金とするか☖9五歩と打てば,まだ戦いが続きました。
先手には狙いの一手があります。それが☗1一馬。
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これが詰めろ飛車取りとなって逆転しました。
2勝1敗で西山王将が防衛。第41期からの連覇で通算2期目の女流王将です。
叔父は聖マリアンナ医科大病院の病室の番号は僕に教えたのですが,それが緩和ケア病棟であるということは伝えませんでした。もちろん叔父自身がそのことを知らなかったという可能性もあるでしょう。しかしもしも従妹の転院先が緩和ケア病棟であるということを知らされていたら,僕は従妹に会いに行ったかもしれません。僕の両親はともに緩和病棟で最期を迎えたのですが,父はわりとすぐに死を迎えましたし,母も1ヶ月強で死んだからです。もちろんこれは僕の両親が共になるべく長く自宅で生活することを望んだからなのであって,すべての人が緩和ケア病棟に入ったからといって,ほどなくして亡くなってしまうというものではありません。しかし従妹の場合にも僕の両親と同じような状況である可能性は,もし従妹が緩和ケア病棟に入ったということを僕が知ったなら,容易に推測はできることです。ですからおそらくそれが最後になるかもしれないという予測と共に,見舞いに行ったでしょう。ですがそのことは後から分かったことであり,叔父の話ではあと半年くらいは大丈夫ということでしたから,すぐに行くことはしなかったのです。
1月9日,木曜日。妹の支援計画書を作成してもらっているKさんに電話をしました。これは妹の新しい受給者証についての相談でした。
この受給者証というのは,市から発行される書類です。書類といっても,形状でいえばかつての健康保険証や介護保険証のようなものだと思ってください。これが発行されることによって,公的な支援のサービスを受けることができるというものです。たとえば妹はグループホームに入所していますが,そこで暮らすために必要な金銭をすべて負担しているのかといえばそうではなく,一定の補助を受けています。この種の支援サービスを受けるための書類が,受給者証であるということです。したがって,何らかのサービスを受けようとする場合には,この受給者証が必要となります。妹はグループホームで暮らしている時間が長いですから,受給者証はグループホームで必要になる可能性の方が高くなります。このために僕は新しい受給者証が市から郵送されると,それをグループホームに預けることにしています。
28日に文京区で指された第10期女流王座戦五番勝負第一局。対戦成績は西山朋佳女流王座が10勝,里見香奈女流名人が8勝。これはNHK杯の予選を含んでいます。
リコーのCEOによる振駒で里見名人の先手になり中飛車。後手も中飛車の相中飛車。その後,先手が飛車を2筋に戻したので,先手の居飛車に後手の中飛車のような戦型に進みました。中盤に入る前の先手の方針がちぐはぐであったために,先に仕掛けた後手が有利に。しかし終盤の寄せ合いの段階で手順前後のミスがあり,局面自体は逆転して先手の勝ちになりました。ですが終局の直前でもう一波乱。
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6七の馬が移動して王手が掛かった局面。合駒を打たなければ簡単な詰みです。よって銀を打つか桂馬を打つかの二者択一。実戦は☗4六桂と打ったために☖同馬☗同玉☖3五銀で先手の投了となりました。桂馬を渡さなければ先手玉は詰みませんので,☗4六銀打と打っておけば先手が有望で,おそらく勝ちだったでしょう。
西山王座が先勝。第二局は来月10日です。
聖路加国際病院というのは東京メトロの日比谷線の築地駅の近くです。僕の家から日比谷線に乗るのはそんなに簡単ではありませんが,京浜急行から直通している都営浅草線の東銀座駅からでも歩くことができます。これに対して聖マリアンナ医科大病院というのは,川崎市内とはいえ,どこかの駅から歩いていかれるような場所にはありません。僕の家から行くとすれば,横浜市営地下鉄のあざみ野駅からバスが出ていましたので,そのように行くのが最短ルートです。僕の家は横浜市内でいえば海に近い場所です。あざみ野というのは横浜市の青葉区内で,これは横浜市内でいえば最も海からは遠いところで,聖マリアンナ医科大学病院がある川崎市や東京都の町田市と接している地域です。築地というのは海の近くですから,単純に直線距離だけでいってもふたつの病院はさほど変わりません。ですから駅からの利便性というのを考慮すれば,僕にとっては明らかに聖路加国際病院に行く方が楽でした。あざみ野駅から聖マリアンナ医科大病院までのバスの所要時間がどれほどであるのかは分かりませんでしたが,もし見舞いに行くとすれば半日を潰すことを覚悟しなければなりませんでした。ですから叔父は従妹が入っている病室まで教えてくれましたが,僕はすぐには見舞いには行かなかったのです。
これは後から分かったことですが,このとき従妹が入った病室は,緩和ケア病棟でした。叔父は病室の番号は教えてくれたのですが,それが緩和ケア病棟であるということは僕には言わなかったのです。あるいは叔父もこのときにはそのことを知らされていなかったのかもしれません。
12月10日の従妹との電話の中では,僕は両親が共に緩和病棟で最期を迎えたということを伝えました。従妹は脳腫瘍のために放射線治療を行っていたのですが,母はその放射線治療が辛かったためにそれを断念し,最後は自分の希望で緩和ケア病棟に入りましたので,この話は自然な流れの中で出てきたのです。緩和病棟というのは本人が希望しなければ入ることができませんから,従妹はそれを希望したのでしょう。ただ,それに僕の話が影響を与えたのか否かは分かりません。
北海道から2頭が遠征してきた昨晩の第66回平和賞。
前にいく姿勢を見せたのはワールドリング,ハートプレイス,ジョーロノ,サウスワールドの4頭。先手を奪ったのはジョーロノでサウスワールドが2番手に。最初のコーナーから向正面の入口にかけてフォルメッシが外から上昇していき3番手に。4番手にコンモートフーガとハートプレイス。6番手にマカベウスとワールドリングという隊列に落ち着きました。ここから4馬身差でツエンダー。2馬身差でジェネシスムーンとセルクルクルミが最後尾を併走。前半の800mは51秒0のミドルペース。
3コーナーの手前から前の3頭は雁行。2馬身差でハートプレイスでその内からマカベウス。直後にワールドリングが追走。直線の入口のところでフォルメッシが外に膨れてしまい脱落。ジョーロノは追ってきたサウスワールドは振り切りました。外に膨れたフォルメッシとサウスワールドの間を突いて伸びたのがマカベウス。抜け出したジョーロノにぐんぐんと迫ると差し切って優勝。ジョーロノが1馬身半差で2着。ハートプレイスが1馬身半差で3着。
優勝したマカベウスは南関東重賞初制覇。7月のデビュー戦と8月の特別戦を連勝。ゴールドジュニアは離されたもののよく追い込んで2着と,南関東勢の中では実績最上位。ここはその力を見せつける形での優勝となりました。ここまではデビュー戦が1500mで,その後の2戦は1400mでしたが,距離が伸びたことがプラスに働いたように思えます。ですから距離がさらに長くなることは心配なさそうですし,むしろ本来はもっと長い距離に適性があるという可能性もありそうです。父はゼンノロブロイ。母は2010年に桜花賞とロジータ記念を勝ったショウリダバンザイ。5代母はケイティーズファーストとホワットケイティーディドの祖母。
騎乗した船橋の本田正重騎手は鎌倉記念以来の南関東重賞11勝目。第59回以来7年ぶりの平和賞2勝目。管理している米谷康秀調教師は開業から2年3ヶ月で南関東重賞初制覇。
1月6日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
暮れに帰宅したとき,妹の体調は思わしくありませんでしたから,それが長引くようなら,予定通りに送っていくことはできないと思っていましたが,年末年始の休みの間に回復しましたので,当初の予定通りに妹を送ることができました。例年ですと妹は12月28日が最後の就業日で,1月4日が最初の就業日になります。つまり年末年始の休みは12月29日から1月3日までとなります。しかし昨年は12月28日が土曜日のために休みで,今年は1月4日が土曜,5日が日曜で共に休みとなっていて,例年よりも長い休みになりました。とはいえ,年末はほとんどをベッドの中で過ごすような状況であったわけですから,妹にとっては例年よりも長かったとはいえ,楽しい休みではなかったかもしれません。
1月7日,火曜日。ガスに異常があったときにガス会社にそれを伝えるための無線の装置の変更がありました。通信装置自体を新しいものに変え,その関係で無線も変わりました。
夜の10時に,福江島に帰った叔父から電話がありました。内容の中心は,従妹が転院したということで,もう余命が半年ほどのようなので,行かれるときに会いにいっておいた方がよいというものでした。12月10日に従妹と話した内容からは齟齬がありましたが,このときに僕は,あの時点で従妹はすでに自分の余命が残り少ないということに気付いていたので,わざわざ僕に電話をしてきたのだということに気が付きました。
従妹が転院したのは聖マリアンナ医科大病院でした。この大学は,入学試験のときに明らかに差別をしているのに,この選別は大学の裁量であるとし,差別であることを認めないということで最近のニュースになっていますから,ご存じの方も多いかもしれません。そうしたニュースで紹介されることがあるように,大学は川崎市にあり,病院は大学に併設されています。転院する前の聖路加国際病院は築地すなわち東京都にあって,川崎市は横浜市と東京都の中間にあるわけですから,僕にとっては会いにいくことが楽になったように思われるかもしれませんが,これがそうではなく,むしろ大変だったのです。
14日の鎌倉記念を勝った北海道のリーチの父はグランプリボスです。父はサクラバクシンオー。
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2歳8月にデビューし新馬を勝利。デイリー杯2歳ステークスは7着でしたが京王杯2歳ステークスで重賞初制覇。さらに朝日杯フューチュリティステークスを勝って大レースを制覇。JRA賞の最優秀2歳牡馬に選出されました。この連勝のときの2着はともにリアルインパクト。
クラシックも視野に入れてスプリングステークスに出走するとオルフェーヴルの4着。血統面からマイル戦にシフトチェンジしてニュージーランドトロフィーは3着でしたがNHKマイルカップで大レース2勝目をあげました。その後,イギリスに遠征してセントジェームズパレスステークスに挑戦。これは8着でした。
帰国して秋初戦のスワンステークスは8着。マイルチャンピオンシップも13着と連続の大敗になりましたが阪神カップは2着。
4歳初戦はフェブラリーステークスで12着。さらにマイラーズカップが13着で京王杯スプリングカップが7着と大敗が続きましたが安田記念は2着になりました。
秋は毎日王冠で復帰して6着、スワンステークスで重賞4勝目。マイルチャンピオンシップは2着で遠征した香港マイルは12着でした。
5歳初戦のマイラーズカップで重賞5勝目。安田記念はロードカナロアの10着。秋はスプリンターズステークスがロードカナロアの7着,スワンステークスが7着,マイルチャンピオンシップが9着と結果を残せませんでした。
6歳初戦は安田記念でジャスタウェイとハナ差の2着。秋はスプリンターズステークスが4着,マイルチャンピオンシップが6着,香港マイルが3着で競走生活を終えました。
浮き沈みの激しい競走生活でしたが,2歳から6歳まで,マイルの大レースで活躍し続けました。こういう傾向が種牡馬としても発揮できれば,汎用性はあるように思います。
入院中の従妹を見舞った叔父の話の中で,僕にとって最も驚きが大きかったのは,彼女の意識が朦朧としている時間が長く,十分にコミュニケーションが計れる状況にはないという点でした。12月10日に彼女から僕に電話があったとき,僕たちは小一時間に渡って話をしたのですが,その間の会話には不自然なところはまったくなかったからです。別のいい方をすれば,話をするということに対する不自由さの欠片も彼女にはなかったからです。2週間か3週間の後に,そこまで彼女の症状が悪化してしまうということは,単純にいっても信じられないことでしたし,まして彼女が僕に語った内容を加味すれば,僕にはなおさらそのように思えたのです。
彼女は脳腫瘍だったわけで,この意識の混濁あるいは朦朧というのは,その病気それ自体が原因で引き起こされたのかもしれません。脳腫瘍の末期に人間が一般的にどのような症状を示すのかということは僕には分かりませんが,病気の部位が脳にあるのであれば,そういう事態が発生するとしても,僕には不思議ではないように思えます。しかし一方でこのことは,治療の副作用として生じたということも考えられるでしょう。僕の父と母は大腸の癌であって,脳腫瘍とは異なりますが,ふたりとも癌に由来する痛みを緩和するために,麻薬を処方され,実際に使用していました。脳腫瘍の場合にも,同じような処方があり得るように思えます。僕の母は麻薬を使用しても,それによって意識が朦朧として会話が成立しなくなってしまうというような事態はほとんど生じませんでしたが,父の場合にはまったくなかったわけではありません。もちろんそれには,使用した麻薬の強度の違いがあったからでしょうし,個人的な体質の差異というものも影響したに違いありません。僕は従妹がどのような治療を受けていたのかを詳しく知りませんが,その後の状況から勘案すると,もし脳腫瘍に由来する痛みというのがあったのだとすれば,その痛みを緩和するための薬を使っていたことは間違いないと思います。ですからそうしたものの影響によって,彼女は叔父と十全にコミュニケーションをとることができなくなっていたのかもしれません。
京王閣記念の決勝。並びは平原‐佐藤‐成田の東日本,古性‐山田‐村上の近畿,松浦‐池田の瀬戸内で東矢は単騎。
佐藤と村上がスタートを取りにいき,外の村上が制して古性の前受け。4番手に平原,7番手に松浦,最後尾に東矢で周回。残り3周のバックから松浦がゆっくりと上昇。東矢は続きませんでした。松浦が残り2周のホームの入口で古性に並び掛けると,池田の後ろに平原がスイッチ。誘導が退避したところで松浦が古性を叩くと,その後のコーナーですぐに平原が松浦を叩いて前に。さらに引いた古性がバックから発進。打鐘で平原を叩いて先行。東矢は打鐘後のコーナーで内から成田の後ろへ。8番手になった松浦がホームから巻き返し。バックで山田は古性との車間を開けて待ち構え,牽制したのですが,松浦はそれをあっさりと乗り越え,最終コーナー手前で古性の前に出ました。松浦マークの池田をどかして松浦の後ろを追った平原が直線の手前から発進。松浦は余力が残ってなかったようで,楽に松浦の前に。そのままマークの佐藤の追い込みも凌いで平原が優勝。佐藤が4分の3車身差の2着で東日本のワンツー。松浦は1車身半差で3着。
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優勝した埼玉の平原康多選手は7月の弥彦記念以来の優勝で記念競輪24勝目。京王閣記念は一昨年以来2年ぶりの2勝目。このレースは脚力の松浦と,レース運びが巧みな平原の対決という構図。うまく古性が逃げる流れにして,松浦を後方に置く形に。さらに捲った松浦の番手を奪ったように,平原の巧みさが光るレースになりました。とはいえ8番手から発進して山田の牽制をいとも簡単に乗り越えた松浦も強いところをみせたといえるのではないでしょうか。
僕は前年の12月10日に,従妹からの直接の電話で,彼女が脳腫瘍であるということを知りました。その時点で彼女は,すでに脳腫瘍の手術を2回していましたし,放射線治療のために月に1度の通院をしていました。ですからどういう経緯で彼女が聖路加国際病院に入院したのかということは僕には不明です。ただ普通に考えれば,彼女が手術をし,治療のために通っていたのが聖路加国際病院であったということになるでしょう。彼女は内縁の夫と大和市内に暮らしていました。ですから築地の病院まで通うということはそんなに楽なことではなかった筈ですが,その程度の体力はあったということなのだと思います。逆にいえば,それができなくなるほどに病状が悪化したので,入院したということではなかったのでしょうか。
僕に電話を掛けてきたとき,僕は彼女が自宅にいると思っていました。彼女は自分がどこにいるのかは口にしなかったので,これは僕の推測にすぎないのですが,この推測にはそれなりの合理性があります。まず,この電話の間に,たとえば病院から電話をしたのであったとすれば入るであろうノイズのようなものは一切ありませんでした。僕と彼女は小一時間は話したのですから,それがないということは普通なら考えられないでしょう。もっといえば,屋外とか,室内であっても周囲に人がいるという状況での電話であれば,必ずそうしたノイズが入るのですから,少なくとも彼女の電話は,周囲に人がいない室内であったと思われます。そうであればそれは自宅からだったという可能性が最も高いでしょう。もちろん一時的に帰宅していたという可能性はありますが,僕はその時点では彼女はまだ入院はしていなかった,つまり,そこまで体調が悪化はしていなかったのだと思っています。
また,叔父が前年の暮れに来訪したのは,急遽のことであって,その直前に従妹が脳腫瘍であるということを知らされたのだと思います。これは彼女の周囲の人びと,具体的にいえば彼女の夫とか母親とかの配慮からなされたのだと思われますが,そうした配慮が働いたことには,彼女の入院が影響したと考えられます。つまり入院はその直前だったと思われるのです。
8日のレディスプレリュードを勝ったマルシュロレーヌの祖母はキョウエイマーチです。
2歳11月にデビュー戦を勝利。暮れの特別戦を3着になった後,年明けの特別戦で2勝目。さらにオープンを勝って報知杯4歳牝馬特別で重賞初制覇。さらに桜花賞も2番手から抜け出し4馬身差の快勝。大レースを制覇しました。オークスは距離が長く11着に大敗。
秋初戦のローズステークスで重賞3勝目。秋華賞は2着。距離適性からマイルチャンピオンシップに出走。逃げて一旦は突き放したのですがタイキシャトルに差し切られて2着。スプリンターズステークスはタイキシャトルの11着と大敗でした。
4歳初戦のマイラーズカップは3着。シルクロードステークスでシーキングザパールの11着と大敗し,このシーズンはこれでキャンペーンを終了。
秋はスワンステークスが6着。マイルチャンピオンシップもタイキシャトルの6着。阪神牝馬特別は4着でした。
5歳初戦はフェブラリーステークス。これはメイセイオペラの5着。マイラーズカップで2着になった後,阪急杯で久々の勝利をあげ重賞4勝目。高松宮記念は4着で安田記念は9着でした。
秋の初戦は南部杯で2着。マイルチャンピオンシップは5着でスプリンターズステークスはブラックホークの13着。
年明けの京都金杯で重賞5勝目。フェブラリーステークスはウイングアローの11着。黒船賞は3着,マイラーズカップで6着となり競走生活を退きました。
産駒のトライアンフマーチは皐月賞トライアルのオープンを2着になって出走した皐月賞で2着。その後も重賞2着が4回もあったのですが,重賞には手が届きませんでした。子孫から初めて出た重賞の勝ち馬がマルシュロレーヌ。キョウエイマーチは4頭の産駒しかなく,そのうち牝馬はマルシュロレーヌの母の1頭だけ。この一族のみが牝系を伸ばしていくことになります。
12月31日,火曜日。妹は午後1時に起きてきました。この日は午前中に僕が買い物に出掛け,弁当を購入しておきました。それでその弁当を出したのですが,おかずは完食したもののご飯は半分ほどしか食べられず,残しました。そして食べた後でまたベッドに入りました。ベッドに入ったといっても横になっているだけで,眠っているわけではありません。おやつにまたアイスクリームを食べました。
この日は大晦日だったこともあり,叔父はどこにも出掛けず,ずっと家にいました。それで夕食にカレーライスを作ってくれるとのことでしたので,頼みました。事前に言われていれば午前中の買い物のときに食材を買っておいたのですが,これを言われたのが昼食の後だったので,カレーライスのための十分な食材はありませんでした。これについても叔父が午後に自身で買い物に行きました。このカレーライスは妹も完食しました。また,これは例年のことですが,妹は大みそかには蕎麦を食べたがります。年越し蕎麦という風習があるということは知っているからです。なので夜食に蕎麦を出しましたが,これも食べました。もっとも僕は食餌療法の関係でおやつと同様に夜食も摂りません。この蕎麦というのは自宅で茹でたものではなく,インスタントのカップ麺です。
1月1日,水曜日。この日も妹は昼に起きました。僕は正月だからといって特別なことをしたりはしませんが,雑煮は作りました。妹はこれを食べました。また,前日に叔父がカレーライスの食材を買い出しに行ったときに,出来合いのお節料理をいくらか買ってきてくれたのですが,これも食べました。夕食も完食し,その後,元気なときと同様に就寝する時間までベッドに入らず,リビングで過ごしました。妹の健康状態はこの日になって完全に回復したといっていいでしょう。
1月4日,土曜日。事前の予定の通り,叔父はこの日に福江島に帰りました。
叔父の来訪は,従妹の具合が悪いためでした。ですから滞在の期間中,叔父は何度か従妹,叔父からみれば娘に会いに行っています。実はこのとき従妹は自宅にいたのではなく,入院していました。築地にある聖路加国際病院です。
第81回菊花賞。三浦皇成騎手が病気のためヴァルコスは岩田康誠騎手に変更。
好発はガロアクリーク。逃げて重賞を連勝中のバビットが外から前に出るとさらに外から押していったキメラヴェリテが追い抜き,後ろを離していく形に。控えたバビットが2番手で3番手にレクセランス。4番手にガロアクリーク。5番手はダノングロワールとディープボンド。7番手にコントレイル。8番手にヴァルコスとアリストテレス。10番手にブラックホールとヴェルトライゼンデ。12番手はロバートソンキーとディアマンミノルとサトノインプレッサ。あとはビターエンダー,ターキッシュパレス,マンオブスピリット,サトノフラッグの順。先頭と2番手,2番手と3番手以外はそれほど差のない展開でした。最初の1000mは62秒2のスローペース。
キメラヴェリテのリードは2周目の3コーナーでは3馬身くらい。ここから差は縮まっていき,コーナーの途中で先頭はバビットに。ガロアクリーク,ディープボンド,コントレイル,アリストテレスの順でこれを追う隊列に。直線に入るとここからコントレイルとアリストテレスの2頭が抜け出し,フィニッシュに向けてマッチレース。内のコントレイルが抜かせることなく優勝。アリストテレスがクビ差で2着。一旦は3番手に上がったディープボンドを外から差したサトノフラッグが3馬身半差で3着。ディープボンドがクビ差の4着で,サトノフラッグの外から伸びたブラックホールがクビ差で5着。
優勝したコントレイルは前哨戦の神戸新聞杯を勝っていてデビューからの連勝を7まで伸ばしました。大レースは前々走の日本ダービー以来の4勝目。この距離が向くというようには思えませんでしたが,能力で十分にカバーできる範囲なので,よほどのアクシデントがない限りは勝つだろうと予想していました。接戦になったのは2着馬の長距離レースに対する適性が高かったからだと思われます。競り合っても抜かせないというのは競走馬の能力の重要な要素だと僕は考えますので,それを示すことができたというのはこの馬の今後にとってもとても大きかったのではないかと思います。父は第66回を制したディープインパクトで父仔制覇。Contrailは飛行機雲。
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騎乗した福永祐一騎手は日本ダービー以来の大レース37勝目。第74回以来7年ぶりの菊花賞2勝目。管理している矢作芳人調教師はジャパンダートダービー以来の大レース18勝目。菊花賞は初勝利。
12月29日,日曜日。妹は午後1時に起きてきました。お粥を用意していたのですが,それは食べるとのことでしたので,出すと残さずに食べました。このときは平熱に戻っていました。食べた後でベッドに戻り,午後3時すぎに様子を見に行くと,おやつを食べるということでしたから,饅頭を食べさせました。僕は食餌療法の関係でおやつは食べませんが,妹は家にいる場合は必ず食べますので,何かしらのものは用意してあります。このときの饅頭もそれでした。午後6時には夕食で,これはスパゲッティとコーンスープ。それから野菜の煮物を出された分は完食しました。高熱というほどではありませんでしたが,昼に計測したときよりは上がっていました。なのでこの日もカロナールを飲ませました。
12月30日,月曜日。妹は午前11時に起きてきて,この日はラーメンを食べました。食べた後でまた自主的にベッドで横になりました。前日と同様に午後3時ごろに様子を窺うと,おやつを食べたいということでしたので,この日はストロベリーのアイスクリームを食べさせました。これは来訪していた叔父が買ってきてくれたものです。真冬にアイスクリームというのもどうかと思いますが,少し熱があるという場合にはかえってよかったのかもしれません。午後5時50分ごろにベットから出てきましたので,夕食にしました。この日は残っていたお粥と,野菜炒めを完食しました。
妹は就寝の前に日記を書きます。これはおそらく30年くらいは続けている習慣ではないかと思います。グループホームに滞在しているときもそうしていて,日記帳と筆記用具は家とグループホームを往復するときに必ずカバンの中に入れています。しかしこの前日まで,というのは帰宅した27日から29日までという意味ですが,体調の関係で書くことができませんでした。しかしこの日は日記を書いてから寝ると言ってきましたので,そのようにさせました。こういう場合,妹は書いていない日の分もまとめて書くので,いつもより時間は掛かるのですが,すべてを書き終えました。これは体調が明らかな回復傾向に入っている証であるように僕には思えました。
一昨日と昨日,万松寺で指された第33期竜王戦七番勝負第二局。
豊島将之竜王の先手で角換り。後手の羽生善治九段が序盤で工夫をして,先手の早繰り銀に後手の腰掛銀という戦型に。この将棋は終盤戦に入ったところですぐに差がついてしまったように思います。
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後手が飛車の横利きを消すために歩を打った局面。ここから先手は☗5三歩成☖同金☗3四桂☖同銀直☗同歩という手順で攻めていきました。後手はこの間は変化の手段がありません。
第1図で☖3六歩と打っておいたのですからここも☖7六歩と取って攻め合いにいくのは必然でしょう。先手は☗3三銀と打ち込んだので☖同桂☗同歩成☖同玉とまた必然の手順が続きました。
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先手はここから☗3六飛と王手で歩を払い☖3四歩に☗7六飛と回ったのですが,そこで☖8九銀と打つ手が厳しく,劣勢になってしまいました。先手は第1図以降の攻め方には変化の余地があります。たとえば第1図ですぐに☗3四桂と打つとか,☗3三銀と打ち込むのではなく☗2四歩と突くといった手です。そうした手順を選択しなければいけなかったということになるでしょう。
羽生九段が勝って1勝1敗。第三局は来月7日と8日に指される予定です。
12月27日,金曜日。妹をグループホームへ迎えに行きました。
グループホームに迎えに行ったのは,25日に電話があり,グループホームの利用者の中からインフルエンザの罹患者が出たために,年内は作業所には行かず,グループホームに待機することになったという連絡を受けたからでした。罹患者というのは妹のことではありません。ただ,僕が迎えに行ったときには,妹も具合が悪そうでした。同じ施設の中で暮らしている人がインフルエンザになったわけですから,その感染力というものを考えれば,妹にうつったとしてもそれは不思議なことではありません。インフルエンザであるか否かということは,厳密には医学的な検査をしなければ確定させられず,妹は医師には診せていないので,はっきりとしたことはいえませんが,普通に考えればこのときの妹はインフルエンザだったのだと思います。発熱があり,鼻水も多く出ていました。無事に帰宅することはできましたが,夕食は摂ることができず,そのまま眠りました。以前に医師から処方されていた解熱剤のカロナールが残っていましたので,それを飲ませました。
医師に診せることがなかったというのは,病院には連れて行かなかったということです。そもそもこのときの妹の状況からすれば,病院に連れて行くということ自体が大変だった上に,すでに年末年始のために休業している病院も多く,余計に妹に負担を強いることは間違いなかったからです。
12月28日,土曜日。妹が午前11時ごろに起きてきました。何か食べたいとのことでしたから,スパゲッティを出すと,それは食べました。しかしそれ以降はこの日はベッドから起きることができず,前日と同様に夕食を摂るということはできませんでした。この日は熱は下がっていましたが,これは前夜にカロナールを飲ませておいたからだという可能性がありましたので,この日もカロナールは飲ませました。インフルエンザの可能性がありましたから,基本的に妹は自宅の2階の一室に隔離してありました。
午後4時10分に,予定通りに叔父が来訪しました。ただしこの日は友人と食事をするとのことでしたので,荷物を置いてすぐに出掛けました。
9月30日の日本テレビ盃を勝ったロードブレスの母の父はナリタトップロードです。父はサッカーボーイ。母はフローラルマジック。
2歳12月にデビューし2着。当時は同じ開催であれば何度でも新馬に出走できる制度で,折り返しの新馬で初勝利をあげました。
3歳になり初戦の特別は3着。そのままきさらぎ賞に挑戦するとこれを勝って重賞初勝利。さらに弥生賞も勝ちました。皐月賞はテイエムオペラオーの3着。ダービーはアドマイヤベガの2着。
秋は京都新聞杯で復帰しアドマイヤベガの2着。菊花賞は早めに抜け出して勝ち,重賞3勝目で大レースを制覇。有馬記念はグラスワンダーの7着と,生涯で初の大敗。
4歳春は京都記念が2着,阪神大賞典が3着で天皇賞(春)も3着。勝ったのはいずれもテイエムオペラオー。
秋初戦の京都大賞典は2着で天皇賞(秋)が5着。この2戦も勝ったのはテイエムオペラオー。この後,ステイヤーズステークスに出走。メンバー的には負けられないところでしたが4着。有馬記念はテイエムオペラオーの9着と2度目の大敗。
5歳春はこれもメンバー的に負けられないところだった京都記念で3着。しかし阪神大賞典はレコードで重賞4勝目。天皇賞(春)はまたしてもテイエムオペラオーに及ばず3着。
秋初戦の京都大賞典はフィニッシュ前で1着入線の馬が斜行したあおりで落馬。繰り上がって優勝したのはテイエムオペラオー。ジャパンカップはジャングルポケットの3着。有馬記念はマンハッタンカフェの10着と3度目の大敗。
同期のテイエムオペラオーが引退した6歳も現役を続行。京都記念で重賞5勝目をあげると阪神大賞典も連覇して重賞6勝目。しかし天皇賞(春)はマンハッタンカフェの3着でした。
秋初戦の京都大賞典は勝って重賞7勝目。天皇賞(秋)は惜しい競馬でしたがシンボリクリスエスの2着。ジャパンカップは10着と4度目の大敗。有馬記念はシンボリクリスエスの4着。ここで競走馬生活を終えました。
何度かの大敗はあったものの,きわめて安定して走った馬。負けた相手は最強クラスの馬ばかりで,逆にいえば菊花賞こそ勝ったものの,最強クラスには少しだけ足りなかった馬という評価になるでしょう。
種牡馬として活動したのは3年間。代表産駒は2007年にフローラステークスを勝ったベッラレイアになります。
その電話が終わった直後,午後8時45分に,23日に薬局で足りなかった分のインスリンが配達されました。
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12月26日,木曜日。午後9時50分に,福江島の叔父,母の弟から電話がありました。年末年始はそちらに行くので,宿泊させてほしいという依頼でした。具体的には12月28日に来て,1月4日に帰るとのことでした。もう翌々日には来るのに突然の電話のように思われるかもしれませんが,叔父にも事情があったようです。
叔父が来るのは,従妹,すなわち叔父の娘の具合が悪いからだということでした。すでに書いたように,僕は12月10日に従妹本人から電話があり,彼女が脳腫瘍であるということは知っていましたから,具合が悪いというのがそのことを意味していることはすぐに分かりました。従妹は叔父の娘ではありましたが,叔父夫婦は離婚していた関係から,親子の仲は必ずしも良いとはいえず,そのことは僕も承知していました。そもそも僕と従妹の関係が疎遠になったことには,叔父夫婦の離婚が理由としてあったといって過言ではありません。ですから,おそらく叔父は,従妹が脳腫瘍であるということは知らされてなく,この電話の少し前,つまり僕が知った後に知ることになったのだと思います。要するに従妹の症状があまりに悪いので,最後に実父にも会わせておこうという配慮が発生し,それが叔父に伝えられたということなのだと思います。もっとも僕自身は,10日の電話の内容から,従妹がそこまで重篤であるとは知りませんでしたから,ここで書いたことは,あくまでも現時点でこういうことだったのであろうと推測していることです。ただ,脳腫瘍というのが重病であることには違いがありませんから,叔父がわざわざこちらに来るということが不自然であるというようには,この時点でも感じていませんでした。
おそらく叔父は急にこちらに来ることにしたのであって,こちらでの宿泊の手配が整わなかったのだろうと思われます。それで僕に依頼したということだったのでしょう。年末年始は妹は帰ってきますが,多いときでは5人が住んでいた家ですから,叔父ひとりを泊めることには何の問題もありませんから,了承しました。
19日に指された第51回新人王戦決勝三番勝負第二局。
池永天志四段が先手で矢倉を目指すと後手の齊藤優希奨励会三段が超急戦。先手が受けて立ち序盤から大乱戦になりましたが,駒得をした先手が優勢になりました。先手は駒得を生かして一旦は受けに回る展開に。その間に差は少し詰まったのかもしれません。
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先手が桂馬を打った局面。ここで後手は☖7二銀と銀を逃げながら龍に当てました。先手は☗8四龍。後手は☖6三歩と打ち先手が☗7四龍と取ったところで☖7七歩と反撃。☗7九金はこの一手。
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第2図となって後手は飛車1枚で先手を攻略するのが難しく,先手がまたはっきりと優位に立ちました。第1図では☖5三飛と間接的に銀を受ける手があり,その方がよかったかもしれません。また手順中,☖6三歩と打った局面でも☖5三飛はありましたし,その局面は☖5四歩という手もあるように思います。先手も本当はその順を避けるために☗8四龍ではなく☗8五龍と逃げておくべきだったのかもしれません。
連勝で池永四段が優勝。昨年度の加古川青流戦以来の2度目の棋戦優勝です。
僕が『〈内在の哲学〉へ』を読了したのは,昨年の12月18日のことでした。それ以降の日記です。
12月20日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
12月23日,月曜日。妹を通所施設に送りました。午後からは内分泌科の通院でした。
病院に到着したのは午後2時10分でした。中央検査室ではだれも待機していませんでしたので,すぐに採血をして,採尿してから注射針の処理を済ませました。
診察が開始されたのは午後3時40分でした。HbA1cは7.3%で,11月と同じだったのですが,12月は前半と後半で,血糖値の推移に変化がみられました。朝は前半も後半も高めでした。前半は時間が経つにつれて下がっていたのですが,後半は高いままで下がりにくくなっていたのです。これは気温が低下していた影響だと思います。ただし,低血糖がなかったのかといえば必ずしもそうではなく,昼食前や夕食前には低血糖を発症しているケースもあったのです。ということで,現状は血糖値が下がりにくくなっているけれども,持続効果型のインスリンであるトレシーバについては,注射する量を0,01㎎減らして,低血糖の症状が出ないようにするという措置が採られました。ほかの検査では何の異常も出ていませんでした。これも11月と同様でした。また,これはその年の最後の通院のときにはいつも同じですが,自己管理ノートをもらいました。
帰途に薬局に寄りました。この日は処方された超即効型のインスリンであるヒューマログが1本だけ足りませんでした。ですので配達を依頼して帰りました。帰宅したのは午後5時10分でした。
12月25日,水曜日。午後8時半にグループホームの職員から電話がありました。3月まで妹を担当していたKさんと,4月から妹の担当になったSさんのふたりです。内容は,グループホームの利用者の中からインフルエンザの罹患者が出たために,グループホームの利用者はこの日から通所施設には行かずに,グループホームで待機しているということでした。この措置がまだ続くことになるので,27日は通所施設ではなくグループホームに迎えにくるようにとの依頼も受けました。
第30回埼玉新聞栄冠賞。ミキノトランペットは感冒のため出走取消となり10頭。
リンゾウチャネルは少しばかりタイミングが合わず1馬身弱の不利。すぐにファルコンウィングがハナに立つと,1周目の正面にかけて4馬身ほどのリードをとる形。2番手はホーリーブレイズとタービランス。4番手にトーセンガーネット。5番手にマイネルバサラ。6番手にリンゾウチャネルとリッカルド。8番手にオールブラッシュ。ここから2馬身差でチェスナットコート。さらに2馬身差の最後尾にロードアルペジオという隊列で1周目の向正面を通過。1周目の正面でオールブラッシュが外から上昇して単独の2番手に。これに連れてリッカルドも上昇して3番手。4番手にタービランスで5番手にマイネルバサラとホーリーブレイズという隊列に変化。ハイペースでした。
2周目の向正面でファルコンウィングのリードは3馬身くらい。先に動いたオールブラッシュは後退し,リッカルドが2番手に上がり,それをタービランスが追う形に。直線の入口にかけてこの3頭は一団になっていき,直線は3頭の争い。ファルコンウィングとリッカルドの間の狭いところを突いたタービランスが何とか抜け出して優勝。タービランスに道を譲るような格好になったリッカルドが半馬身差で2着。一杯になったファルコンウィングは1馬身差の3着。一番外から追い込んできたホーリーブレイズが半馬身差の4着。
優勝したタービランスは3月の川崎でのオープン以来の勝利。南関東重賞は昨年の報知グランプリカップ以来となる4勝目。この馬は常に安定して力を出すけれども,なかなか勝ちきるというところまではいかないというタイプ。今日もこのメンバーであれば上位争いは必至と思えました。一旦控えて2着馬を先に行かせ,直線では狭いところを割った騎手の技量が光りました。ただ2着馬も現状はこの馬と同じようなタイプになっていますから,それとの比較ではこちらの方が上位であったという見方も可能かと思います。Turbulenceは乱流。
騎乗した大井の笹川翼騎手は戸塚記念以来の南関東重賞8勝目。埼玉新聞栄冠賞は初勝利。管理している浦和の水野貴史調教師は南関東重賞5勝目。埼玉新聞栄冠賞は初勝利。
僕の推測の前提となるのは次の点です。
僕は絶対に無限な実体substantiaとしての神Deusを人間は十全に認識するcognoscereことはできないと考えています。そして無限知性intellectus infinitusというのは,神の働く力agendi potentiaから生じるものの観念ideaの総体を意味すると考えます。このために人間は無限知性を十全に認識することはできないというのが僕の結論です。ただ,第二種の認識cognitio secundi generisによる推論から,思惟の属性Cogitationis attributumの直接無限様態が無限知性であるということは理解するのです。思惟の属性の間接無限様態は,無限知性を原因causaとして発生します。このために,第一部公理四により,人間は思惟の属性の間接無限様態を十全に認識することはできないというのが僕の結論になります。
次に,これは今回の考察の中で何度もいったことですが,思惟の属性の間接無限様態は思惟の様態cogitandi modiです。スピノザが第二部公理三でいわんとしたことは,思惟の様態のうち第一のものは観念であるということです。したがって,思惟の属性の間接無限様態は観念でなければなりません。いい換えればそれはXの観念であることになります。
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このXが何であるかという予測が僕にはあります。実はこれは『スピノザ哲学論攷』の当該部分の中で河合も示唆しているのですが,Xというのは神です。つまり,思惟の属性の間接無限様態は,神の観念idea Deiであるというのが僕の推測です。というか,思惟の属性の間接無限様態がXの観念であるなら,Xすなわちその観念の対象ideatumとなるのは神以外にはないだろうというのは,僕に限らずごく自然な推測だといえるでしょう。
ただしこの神の観念は,絶対に無限な実体としての神の観念です。つまり人間には十全に認識することができない神の観念です。そしてこうした神の観念が,思惟の属性の間接無限様態であるという予測も,ごく自然なものであると思います。
ここで注意してほしいのは,神の観念というのは,スピノザの哲学の中では様ざまな意味合いに解することができるものであるという点です。ただそのことについては,別の機会に詳しく説明することにします。これはもっと別の観点から考察したいからです。
これで『〈内在の哲学〉へ』を巡る考察は終了です。明日から日記に戻ります。
14日に甲府で指された第68期王座戦五番勝負第五局。
振駒で久保九段の先手となり5筋位取り中飛車。後手の永瀬拓矢王座は急戦も含みに入れた駒組。
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先手が歩を突いた局面。後手は少し考えて☖5四歩と突きました。もちろん先手としてもこの仕掛けがあるということは分かっていたでしょう。
☗同歩はこの一手なので☖8八角成☗同銀☖4五角までは一直線。
ここは分岐ですが☗3八玉と寄り☖6七角成を許して☗7七桂と跳ねました。
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この手順は振飛車党らしい捌きを狙った手順といえそうです。ただ,振飛車の捌きは玉を美濃囲いに固く囲ってこそという一面があります。実戦の展開と感想戦の内容からすると,先手は玉を固くするのが難しく,すでにここで後手がリードしているのではないでしょうか。したがって分岐のところでは☗6八金として,☖2七角成の方を許すべきだったかもしれません。もしそれでもダメなら,第1図の☗7五歩がそもそも無理だったということになるでしょう。
3勝2敗で永瀬王座が防衛。第67期からの連覇で2期目の王座獲得。同時に九段への昇段を決めました。
僕たちには認識するcognoscereことができない無限知性ntellectus infinitusがあることを,僕たちは少なくとも絶対に無限な実体substantiaである神の観念idea Deiから導出するのです。もちろんそのとき,僕たちは絶対に無限な実体としての神を十全に認識することができるといえるのかということが問題としては残りますが,神あるいは神の思惟の属性Cogitationis attributumが,思惟の属性の直接無限様態である無限知性の原因causaであることには間違いないのですから,この種の無限知性についての認識cognitioが,原因から抽象された認識であるということはできないように思えます。同様に,神は自己原因causa suiですから,たとえ絶対に無限な実体としての神を十全に認識することが僕たちにはできないのだとしても,その神の認識が,自己原因から抽象されているということもできないのではないでしょうか。確かにいえるのは,それは神の本性essentiaの十全な観念idea adaequataであるとはいえないし,無限知性の本性の十全な観念であるとはいえないということだけだと思うのです。いい換えれば,僕たちは確かに第二種の認識cognitio secundi generisすなわち理性ratioによる認識によって,無限知性について確実に知り得ることがあるのであって,ただその本性を十全に認識することはできないというだけなのではないでしょうか。もっといえば,僕たちは無限知性の本性を十全に認識することはできないということも,第二種の認識によって確実に知り得るのだといっていいのだと思います。
ある点では,これは共通概念notiones communesの認識に類似しているといえます。人間は共通概念を十全に認識するのですが,それは第二部定理三七にあるように,個物res singularisの本性を構成することはないがゆえに共通概念といわれるのです。つまり僕たちの知性のうちには,それはある事物の本性の十全な観念ではないけれども,十全である思惟の様態cogitandi modiというのが存在するのです。僕たちによる無限知性の認識というのはこれと似たところがあるのであって,僕たちは無限知性について,ある種の事柄は十全に認識し得るのだけれども,その本性を十全に認識することはできないということなのだと僕は考えます。
これで僕の結論はすべてです。ただ,思惟の属性の間接無限様態については,ある予測があるので,それを最後に説明します。
前橋競輪場で行われた昨日の第29回寛仁親王牌の決勝。並びは新田‐守沢の北日本,脇本‐東口の近畿,松浦‐橋本の中四国,山田英明‐山田庸平の兄弟で,郡司は単騎。
発走後はやや牽制になりましたが,まず脇本がスタートを取りにいきました。脇本に取られてはいけないとみたか松浦が外から追い抜いていき,松浦の前受けに。松浦を追って上がった新田が3番手に入り,5番手に郡司。6番手に脇本で8番手に山田英明という隊列に。残り3周のホームの入口から山田英明が上昇。郡司が山田庸平の後ろにスイッチ。バックで松浦が誘導との車間を開けて引いたので,山田英明以下の3人が誘導の後ろに。残り2周のホームで4番手まで引いた松浦が上昇。山田英明を叩き返して前に。ここで松浦がスピードをやや落としたところ,脇本が発進。バックで松浦を叩いて先頭に立ち,打鐘からかまし先行の形に。このラインを追った新田が松浦の前に出て,東口とは少し差のある3番手。守沢はマークしきれず,松浦がまた少し離れた4番手という隊列に。バックから新田が発進。東口は牽制することができず,脇本に迫りはしたものの,粘り切った脇本が優勝。新田が4分の3車身差で2着。東口はつきバテのレースでしたが2車身差の3着は守りました。
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優勝した福井の脇本雄太選手は7月の福井記念以来の優勝。ビッグは6月の高松宮記念杯以来の6勝目でGⅠは5勝目。寛仁親王牌は2018年以来2年ぶりの2勝目。このレースは,松浦が先頭に立ったときに少し減速しすぎたように思います。そのために,脇本にかまされるのは仕方がないものの,新田にも前に出られてしまいました。脇本と新田は松浦や郡司よりは脚力で上なので,この形になってしまうと脇本と新田の争いになってしまいます。新田はかなりいい位置を取ったといえますので,その追い上げを封じた脇本はやっぱり強かったとしかいいようがありません。
本来的に無限知性intellectus infinitusと把握されるべきものの中に,僕たちには認識するcognoscereことができない思惟の様態cogitandi modiが含まれているとするなら,僕たちがそれを十全に認識するということはできません。人間には思惟の属性Cogitationis attributumの直接無限様態である無限知性を十全には認識することができないという結論を僕が出す理由の中心は,この点にあります。そして間接無限様態が一般的に直接無限様態を原因causaとして発生する思惟の様態である以上,思惟の属性の間接無限様態を人間が認識することはできないと僕は結論づけます。第二部定理四〇から,ある観念ideaが十全な観念idea adaequataとして人間の精神mens humanaのうちに発生するためには,その人間の精神のうちにその十全な観念の原因の十全な観念があるのでなければなりませんが,そうした十全な観念は人間の精神のうちには存在することができないということが僕の結論だからです。
ところで,総体としての無限知性というのを,僕たちは必ずしも第二部定理一一系で示されたような仕方,すなわち人間の精神が無限知性の一部であるように,すべての観念は無限知性の一部を構成しなければならないという仕方で認識するかといえば,僕は必ずしもそうとはいえないのではないかと思います。いい換えれば,書簡十二でいわれているような,原因から抽象されるような仕方でのみ僕たちは認識するかといえば,必ずしもそうではないと思うのです。実際に,神Deusの本性essentiaは無限に多くのinfinita属性attributumによって構成されていなければならず,神の思惟する力potentiaは神の働く力agendi potentiaと同じであり,そうであるがゆえに,実在的に区別される無限に多くの思惟の属性の直接無限様態である無限知性が存在しなければならないということは,思惟の属性の直接無限様態についてそれを無限知性という名称で呼ぶかどうかという点さえ除くなら,僕たちは十全に認識するのです。他面からいえば,もしも思惟の属性の直接無限様態について,それを無限知性というという定義Definitioさえ与えられるなら,僕たちは僕たちには認識することができない無限知性が実在するということを,十全に認識するのです。この認識cognitioのあり方は,必ずしも原因から抽象された認識というあり方であるとはいえないのではないでしょうか。
第25回秋華賞。
ムジカとソフトフルートは立ち上がってしまい2馬身の不利。すぐに先頭に立ったマルターズディオサの逃げ。行きたがるのを宥められつつホウオウピースフルが2番手。3番手がウインマリリン。4番手にミヤマザクラ。5番手のリアアメリアまでは差がなく続きました。2馬身差でサンクテュエールとフィオリキアリが好位を追走。2馬身差でミスニューヨーク。3馬身差でクラヴァシュドールが後方集団の一番前。アブレイズがその後ろで,ウインマイティー,マジックキャッスル,デアリングタクトの3頭は集団。さらにムジカ,パラスアテナ,オーマイダーリンの3頭も集団で続き,後方2番手にダンツエリーゼ。最後尾にソフトフルートという隊列に。前半の1000mは59秒4のハイペース。
3コーナーを回るとホウオウピースフルは苦しくなってウインマリリンが2番手に。リアアメリアはその外まで追い上げ,デアリングタクトもその直後まで位置を上げてきました。直線に入ってウインマリリンが粘るところ,馬場の三分どころまで出されたデアリングタクトが伸び,残り200mを過ぎたあたりで先頭に立つと,そのまま抜け出して快勝。向正面でデアリングタクトの内に位置し,直線もそのままデアリングタクトの内から伸びてきたマジックキャッスルが1馬身4分の1差で2着。3着はデアリングタクトの外から並んで追い込んできたパラスアテナとソフトフルートの接戦。写真判定となりソフトフルートが4分の3馬身差で3着。パラスアテナはハナ差で4着。
優勝したデアリングタクトはここがオークス以来の実戦。デビューからの連勝を5まで伸ばし,牝馬三冠を達成する大レース3勝目。京都の2000mというのは,追い込むタイプの馬にとってはあまり有利な舞台設定ではありませんが.この馬は前が残る競馬だった桜花賞で1頭だけ追い込んできて抜け出したように,3歳牝馬の中では能力に違いがあります。ここはわりと早い段階から動くことで実力をみせつけました。この馬がハイペースにも関わらず早めに動くレースをしたことによって,後方に位置していた馬が上位を独占することになったといえるでしょう。父はエピファネイア。母の父はキングカメハメハ。祖母は2006年にクイーンステークスと府中牝馬ステークス,2007年に府中牝馬ステークスを勝ったデアリングハート。
騎乗した松山弘平騎手はオークス以来の大レース5勝目。秋華賞は初勝利。管理している杉山晴紀調教師はオークス以来の大レース4勝目。秋華賞は初勝利。
人間が無限知性intellectus infinitusを十全に認識するcognoscereことができるかどうかということが,人間の精神mens humanaのうちにある神の観念idea Deiが,どのように関連付けられる神の観念であるのかということに還元することができるということは,もしもそれが絶対に無限な実体substantiaであるとするなら,人間は無限知性を十全に認識することができないということであり,もしも神を延長の属性Extensionis attributumで説明される限りでの神,あるいは延長の属性を対象ideatumとした思惟の属性Cogitationis attributumによって説明される限りでの神とみるなら,人間はそれを十全に認識することができるということである意味になります。ですから,どちらの考え方を採用するのかによって,人間は無限知性を十全に認識することができるということもできるし,できないということもできるのです。そしてもしもできるとしたなら,人間は思惟の属性の間接無限様態についても十全に認識することができるということになるでしょう。逆にできないというなら,思惟の属性の間接無限様態を人間が十全に認識することは不可能であるということになります。
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僕自身の見解opinioについて示すなら,僕は絶対に無限な実体としての神を人間は十全に認識することはできないという点を重視します。すなわち,人間が思惟の属性の直接無限様態である無限知性を十全に認識することは不可能であり,よって思惟の属性の間接無限様態を認識することはできないと結論します。これはあくまでも僕の結論であり,異なった結論を出すことにも合理性はあるということは認めますので,そうした結論に対して強く反対するということはしません。ただ,僕自身が結論を出すのにはそれなりの理由がありますから,それについては説明しておきましょう。
まず,神が絶対に無限な実体であるということは僕たちは理解します。同時に,それら各々の属性に対応する思惟の属性に直接無限様態である無限知性があるのでなければならないということも理解します。そうであるならば実在的に区別される各々の無限知性の総体が,真の意味で無限知性といわれなければならない筈だと僕は考えるのです。この場合は人間には認識することができない無限知性が全体の無限知性に含まれることになります。
13日に指された第42期女流王将戦三番勝負第二局。
室谷由紀女流三段の先手で三間飛車。後手の西山朋佳女流王将も三間飛車に振っての相振飛車。先手の美濃囲いに後手の矢倉という戦型になりました。
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先手が飛車取りに銀を打った局面。後手は飛車を逃げずに☖5八ととしました。
先手は熟考して☗1四銀不成と飛車を取りました。これだと後手も☖4九とと取る一手。先手は☗6一飛と打ちました。これは詰めろなので☖7一歩と受けたところで☗6四飛成。後手は☖1四香と銀を取って詰めろをかけ,先手は☗7五角と出ました。
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この手が攻守兼用の一手で,局面は先手の勝ちになっています。第1図から後手は飛車を取らせては負けでしたので,☖1三飛と逃げておくべきだったことになりそうです。
室谷三段が勝って1勝1敗。第三局は30日に指される予定です。
僕たちが認識している神Deusは,延長の属性Extensionis attributumおよびそれに対応する思惟の属性Cogitationis attributumによって説明される限りでの神であって,絶対に無限な実体substantiaとしての神ではないという僕の見解opinioは,『エチカ』の理解に対してもある程度の影響を与えます。ここでそういった部分のひとつをあげておくことも徒労ではないでしょう。
スピノザは第五部定理一五の証明Demonstratioを,次のような手続きで進めています。
まず第三部定理五三により,僕たちの精神mensは僕たちの働く力agendi potentiaを観想するcontemplariときに喜びlaetitiaを感じます。次に,第五部定理一四により,その喜びには神の観念idea Deiが伴っています。しかるに第三部諸感情の定義六により,外部の観念を伴った喜びLaetitia, concomitante idea causae externaeが愛amorといわれるのです。よってこれらのことから,僕たちは自分自身のことを明瞭判然と認識するcognoscereときに,神を愛することになるのです。
ところで,この証明の中でいわれている神の観念は,第一部定義六でいわれているような,絶対に無限なabsolute infinitum実体としての神の観念であるかといえば,そうではないのです。このことはこの定理Propositioの訴訟過程から明らかにすることができます。どういうことかというと,まずスピノザは,第五部定理一四の証明では,第五部定理四を援用します。第五部定理四の意味のうちには,この定理でいわれている何らかの明瞭判然たる概念notioというのが,共通概念notiones communesであるということが含まれています。このことはスピノザがこの定理を論証する中で,第二部定理三八を援用していることから明白です。ところで,僕たちの精神のうちに共通概念が発生するのは,僕たちの身体corpusが何らかの外部の物体corpusに刺激されるaffici限りにおいてです。したがってこの共通概念というのは,神が延長の属性Extensionis attributumおよび延長の属性に対応する思惟の属性Cogitationis attributumによって説明される限りでの神と関連付けられる概念といわなければなりません。したがって,第五部定理一五で神を愛するといわれているとき,愛されている神は,絶対に無限な実体としての神ではなく,延長の属性によって説明される限りでの神であり,延長の属性を対象ideatumとした思惟の属性によって説明される限りでの神であると解するべきだというのが僕の結論になります。こういう例が,ほかにもあると考えてください。