スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

水戸黄門賞&様態化

2014-06-30 18:58:23 | 競輪
 昨日の取手記念の決勝。並びは芦沢-浦川の茨城,吉田-金子の愛知,脇本-伊藤の近畿に成清,九州の野田と井上は連携せずそれぞれ単騎。
 スタートは金子が取って吉田が前受け。芦沢が3番手,野田,井上と続いて7番手から脇本で周回。残り2周のホームで野田が単騎で上昇。バックで前を斬ると外を上昇した脇本が叩いて打鐘。野田が4番手,追い上げた芦沢が5番手,7番手に井上,8番手に吉田の一列棒状に。残り1周から吉田が動きましたが浦川の横で早くも一杯。バックから芦沢が捲るも野田が対応して道を失いました。これを見て浦川がコーナーからインに。直線では番手有利に差し込んだ伊藤の優勝。逃げた脇本が4分の1車輪差で2着に残り近畿のワンツー。この両者の中を割って迫った浦川が半車身差で3着。
 優勝した京都の伊藤保文選手は2002年の向日町記念以来,およそ11年半ぶりの記念競輪10勝目。取手記念は初優勝。1990年代半ばに頭角を現し,自力型として活躍。2001年頃から3年くらいがおそらく選手として2度目のピークの時期であったと思われ,その後は目立った成績を残せていませんでした。このレースは脇本の先行1車のようなメンバーになったので,無風の番手となればチャンスありとみていましたが,競られることなく,絶好の展開に。それをうまく生かしての久々の美酒になりました。自力でビッグを勝っているような選手は,やはり一定の地力を有しているということの証明であったように思います。

 第一部定理八備考二の区分を,実体自身様態的変状modificatioになった実体substantiaとの区分であると解釈することは成立し得ます。成立し得るどころか,そのように解するのがスピノザのいわんとしたところをより正確に把握していると僕は考えます。そしてこのとき,実体が様態的変状になるという事態について,『エチカ』では特有の言い回しがされます。それは,実体が様態的変状に様態化するといういい方です。ラテン語だとmodificatum est modificationeです。これが様態的変状に様態化すると訳されるのは,自然なことだと思えます。
 畠中は,様態modiと様態的変状は意味が同一であるということを根拠のひとつに据えて,様態的変状に様態化するというのは,様態に変状すると変換が可能であると訳注に付記しています。しかしこの畠中説には疑義を感じない方がおかしいといえます。なぜなら,この説に依拠するなら,スピノザがmodificatum est modificationeと記述したこと,かつそれが様態的変状に様態化すると訳されなければならない理由がまったく欠けてしまうからです。
 ごく一般的に考えましょう。もしもXは実体が様態に変状したものであるというなら,このXは様態でなければなりません。この記述はそれ以外の解釈を許容しないからです。しかしXは実体が様態化したものであるというなら,Xは様態であるかもしれませんが,そうと断言できるわけではありません。なぜなら,様態化したものというのは,様態になったものと解釈することも可能ですが,様態のようなものと解釈することも可能だからです。様態のようなものというのは,様態に近似しているけれども様態ではないものという意味にほかなりません。したがってXは実体が様態化したものであるという言明には,むしろXは様態ではないと解する余地が残っていることになります。
 スピノザは,様態に様態化するといっているのではありません。様態的変状に様態化するといっているのです。したがって様態あるいは実体の変状substantiae affectioと様態的変状にニュアンスの違いがあるなら,ここにも同じだけの相違がある筈です。
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JRA60周年記念宝塚記念&実体自身

2014-06-29 18:32:13 | 中央競馬
 上半期を締め括る第55回宝塚記念
 逃げたのはヴィルシーナ。珍しく行きたがったフェイムゲームが何とか抑えながらの2番手。少し離れた3番手にカレンミロティック。その後ろにジェンティルドンナと,ダッシュは悪かったものの正面で外を追い上げたゴールドシップの2頭。最初の1000mは62秒4でこれは超スローペース。
 残り1200mからラップが上がり始めたので,後方から外を回って追い上げようとした馬たちは,先行馬より先に苦しくなることに。前の2頭もそれなりの粘りをみせましたが,馬場の中央からゴールドシップが突き抜けて3馬身差の楽勝。内から3頭目のカレンミロティックが2着。逃げ粘ったヴィルシーナが1馬身4分の1の差で3着。
 優勝したゴールドシップは3月の阪神大賞典以来の勝利。大レースは昨年の宝塚記念以来の5勝目。宝塚記念の連覇は史上初。自己主張が強い馬で,阪神と中山では頑張るけれども京都と東京は嫌い。今日は得意コースで能力を十全に発揮しました。着差が開いたのはライバルと目された馬たちが力を出せなかったためでしょう。普通に使っていけば,秋の天皇賞とジャパンカップは苦戦し,有馬記念で好走ということになると思われます。父はステイゴールド。母の父は第34回の覇者であるメジロマックイーン星旗風玲の分枝。
 騎乗した横山典弘騎手は日本ダービーに続いての大レース制覇。第32回をメジロライアンで制して以来,23年ぶりの宝塚記念2勝目。管理している須貝尚介調教師は安田記念に続いての大レース制覇。宝塚記念は連覇で2勝目。

 第一部定理二九備考が,第一部定理八備考二と関連性を有するということは疑い得ません。しかし後者のテクストの特徴は,単にこのことだけにとどまるものではないと僕は考えています。もしも能産的自然所産的自然の区分だけに注目するなら,実体と様態ないしは様態的変状を区別しないと記述すれば十分です。ところがスピノザによる記述はそうなってはいません。スピノザは実体とはいわずに実体自身といっています。そして様態的変状とはいわずに,実体の様態的変状といっています。僕はここの部分に,このテクストの特有の意味があるのではないかと思うのです。
 とりわけ,単に実体というのではなく,実体自身と,わざわざ自身という語句を付け加えてある点に注目してみましょう。もしもあるものXが実体と区別されていないといわれるのであれば,このXは実体ではないあるものです。しかしXが実体自身と区別されないといわれるのなら,このXは必ずしも実体ではないといいきることはできません。実体自身とほかのものの区別というのは,それを区別する知性のうちに客観的に存在するものと考える限り,それ自身としてみられる限りでの実体と,それ自身としてはみられない限りでの実体の区別であるという可能性が残るからです。そして実際にスピノザがこのテクストで意味したかったのは,そのことであったと僕は考えています。すなわちテクストの語句に忠実に表現すれば,人びとが区別していないもの,しかし本当は区別されなければならないのは,それ自身としての実体と様態的変状としての実体,あるいは様態的変状になったとみられる限りでの実体なのではないでしょうか。
 実体が様態的変状になるという解釈は,『エチカ』の中では成立し得ると僕は考えます。端的にいって,第一部定義五というのは,様態とは実体の変状であるといっています。いい換えればそれは,様態に変状した実体であるといっているのと同じことだと理解できるからです。そもそもスピノザの哲学が汎神論とみなされたのは,第一部定理一四第一部公理一の意味に依拠すると考えれます。つまりこの見方は,ごく一般的なものだといって差し支えないでしょう。
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漱石と「露西亜の小説」&第一部定理二九備考

2014-06-28 19:06:32 | 歌・小説
 権藤三鉉の『夏目漱石論』は,分量が少ない,あたかもパンフレットとか小冊子といった体裁のものです。これと同じような体裁の著作に,大木昭男の『漱石と「露西亜の小説」』という本があります。
                         
 権藤の著作は110ページ強。こちらは60ページ強しかありません。文字がこちらの方が小さいので,半分とまではいきませんが,さらに分量としては少ないのは間違いありません。
 序章が日本の近代文学とロシア文学について。第一章が漱石とロシア文学について。第二章は,漱石が残した日記の断片に関する研究。第三章は『明暗』とトルストイの『アンナ・カレーニナ』の関係についての研究。あと終章とおわりにと題された短文からなっています。
 第二章の日記の断片というのは,1916年のもので,露西亜の小説を読んで自分と同じことを書いていて驚いたという主旨のもの。『漱石日記』から考えて,これは僕が糖尿病の治療記とした部分に該当する筈。ただし僕がもっている『漱石日記』にはその記述はありません。大木は断片といっているので,本文とは別に書かれたものなのでしょう。
 僕がこの本を手に取ったのは,漱石とドストエフスキーの関係について,何か得るところがあるのではないかと考えたからでした。しかし大木の分析の多くは,漱石とドストエフスキーとの関連より,漱石とトルストイの関連に費やされています。それは第三章からも明らかでしょうし,第二章でいわれている露西亜の小説というのは,ドストエフスキーの小説の何かと考えられているけれども,それはトルストイのものであると大木は考えています。これに関する論述がおそらく大木の関心の大部分であったというのが,僕の読後の感想です。ですから第二章と第三章が,この小さな本の中心であるといえるでしょう。

 スピノザの哲学の主張を十全に把握したことを前提とするなら,第一部定理八備考二のテクストというのは,能産的自然所産的自然の分類であると理解しておくのが最も適切であるといえるかもしれません。いうまでもなく能産的自然に該当するのがテクストでは実体自身で,所産的自然に該当するのが実体の様態的変状です。
 もっとも,スピノザがここでそのように主張できなかったのは当然です。何が能産的自然であり,何が所産的自然であるのかが『エチカ』で明かされるのはもっと後,第一部定理二九備考だからです。
 「我々は能産的自然を,それ自身のうちに在りかつそれ自身によって考えられるもの,あるいは永遠・無限の本質を表現する実体の属性(中略)と解さなければならぬ。これにたいして所産的自然を私は,神の本性あるいは神の各属性の必然性から生起する一切のもの,言いかえれば神のうちに在りかつ神なしには在ることも考えられることもできない物と見られる限りにおいての神の属性のすべての様態,と解する」。
 能産的自然と所産的自然は,概念としてはスコラ哲学のうちにも存在しました。ですから第一部定理八備考二でスピノザが標的としているであろう思想家たちも,能産的自然と所産的自然が区別されなければならないということは承知していた筈だと考えられます。ですからそのテクストがこのことに関連して実際にいっているのは,能産的自然と所産的自然の区別をしないということであるよりは,能産的自然に属するものが何であり,所産的自然に属するものが何であるかを知らないということだと解する方が,意味の上では正確だといえます。とりわけスピノザにとって問題となるのは,所産的自然が生起する原因から,能産的自然が生起する原因を推測するという態度であったことも間違いないと思います。そしてそのことは,自己原因と起成原因は,原因として明確に区分されなければならないというスピノザの考え方と,深く関係しているといえるのではないでしょうか。
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第三部定理三五&自己原因と起成原因

2014-06-27 19:20:33 | 哲学
 第三部定理三二は,『こころ』の先生がKに対してとった行動の理由をうまく説明しているといえます。『エチカ』には手記に書かれた先生の行動をうまく説明し得る定理がほかにもあります。そのひとつが第三部定理三五です。
 「人はもし自分の愛するものが自分のこれまで独り占めにしていたと同じの,あるいはより堅密な愛情の絆によって他人と結合することを表象するならば,愛するもの自身に対しては憎しみを感じ,またその他人をねたむであろう」。
 この心情のダイナミズムは,先生のお嬢さんに対する心の揺れと,Kに対する心の動きの両方を説明します。確かに『こころ』のテクストを読む限り,先生がお嬢さんを憎むに至ったとはいえないと思うかもしれません。しかしスピノザのいう憎しみは,第三部諸感情の定義七に説明される受動です。したがって先生がお嬢さんを表象することによって悲しみに刺激されるなら,先生はお嬢さんを憎んでいることになります。これでみれば先生がお嬢さんを憎んだということは,『こころ』のテクストからも明らかだといえると思います。
 一方,ねたみは第三部諸感情の定義二三で示されている通り,憎しみの一種です。そしてこの種の心情を先生がKに対して抱いたということは,否定のしようがない事実であったといえるでしょう。
 スピノザはねたみと嫉妬を分けます。ねたみがinvidiaで,嫉妬はzelotypiaです。invidiaが感情であるのに対し,zelotypiaは心情の動揺のひとつであるとされています。そしてそのスピノザの説明からする限り,僕はzelotypiaというのは嫉妬というよりやきもちということばでイメージされる心情により近いと考えています。Kの観念を伴ったお嬢さんに対する愛と憎しみの間の心情の動揺が先生に生じたことも,また間違いないといえるでしょう。
 スピノザの哲学によって夏目漱石の小説がうまく説明できるといえます。しかし他面からいえばこれは,夏目漱石には,スピノザが示したような定理がよく分かっていたということでもあります。

 第一部定理七は実体が自己原因であることへの言及です。第一部定理八備考二のテクストは,そのことを受けています。したがってそこでスピノザが実体の様態的変状modificatioで示そうと意図していたのは,それが存在するためにそれ自身の外部に起成原因を要するもののことであり,実体自身によって示そうと企てていたのは,それが存在するためにそれ自身の外部に依拠しないもの,すなわち自己原因のことであると解するのが妥当です。第一部公理一の意味から,前者は様態を意味し,後者は実体を意味するのですから,確かに様態と実体の相違の言及であるとみるのは間違っているとはいえませんが,それはあくまでも第一部公理一の意味を前提とした上でです。だから僕はこれを実体と様態の相違と解釈するのは,半分しか正確ではないといったのです。
 このテクストは,僕が同じcausa efficiensの訳語である作出原因と起成原因を概念として分けることの根拠にもなります。なぜならここでスピノザがいっていることを正確に理解する限り,自己原因は起成原因の一種ではなく,自己原因と起成原因が作出原因の種類であるということが含まれていると考えられるからです。
 このことはとりわけテクストの後半部分から明らかです。そこでは要するに,実体のmodificatioに起成原因があるのを見て,実体にも起成原因が必要であると考えるようになるという主旨のことがいわれていると理解できるからです。それに対してスピノザは,実体は起成原因を必要とはしない自己原因であると主張しているのです。これでみれば分かるように,スピノザはcausa efficiensと自己原因causa suiとを,原因として明確に分類していることになります。したがってそれら各々がどのような原因であるのかということを考慮に入れなかったとしても,これらふたつの概念は,スピノザの哲学を理解する上では分けておくこと,とくにcausa suiをcausa efficiensの一種として理解しないようにする注意が必要とされるのです。
 なおかつ自己原因と原因の関係は,causa efficiensこそcausa suiの一種として認識する方が正確な理解なのですが,これについてはすでに説明してありますから,ここでは繰り返しません。
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農林水産大臣賞典帝王賞&第一部定理八備考二

2014-06-26 19:13:42 | 地方競馬
 昨晩の第37回帝王賞
 スピードで勝ると思っていたコパノリッキーの逃げを予想していたのですが,ハナを奪ったのはニホンピロアワーズ。コパノリッキー,ワンダーアキュートの3頭が雁行するように先行。好位にソリタリーキングとオオエライジンが続きました。前半の1000mは62秒3のスローペース。
 3コーナー手前でコパノリッキーがニホンピロアワーズを交わして前に。ニホンピロアワーズも後退はせず,切り返してコパノリッキーの外の2番手。さらに外の3番手にワンダーアキュートとなり,この3頭が4番手のソリタリーキングに少し差をつけて直線に。3頭の叩き合いからニホンピロアワーズがまず脱落。2頭に絞られましたが,外のワンダーアキュートが抜け,2馬身差で優勝。コパノリッキーが2着。一杯になったニホンピロアワーズを交わしたソリタリーキングが2馬身差で3着に浮上。
 優勝したワンダーアキュートは昨年9月の日本テレビ盃以来の勝利。大レースは2012年のJBCクラシック以来,およそ1年半ぶりの2勝目。その後もずっとコンスタントに走り続けていて,必ずどこかでチャンスはあると思っていましたが,ここでものにしました。強力な決め手を有する馬ではないので,連戦連勝とはいきませんが,これからも大きく崩れるようなことはなく,走り続けるだろうと思われます。半兄に2008年のアンタレスステークス,名古屋グランプリ,2009年の平安ステークス,東海ステークス,2010年の名古屋グランプリと重賞5勝のワンダースピード。Acuteは鋭い。
                         
 騎乗した武豊騎手は昨年のマイルチャンピオンシップ以来の大レース制覇。第28回,32回,34回と制していて3年ぶりの帝王賞4勝目。管理している佐藤正雄調教師は大レース2勝目。帝王賞は初勝利。
 最後の直線で競走を中止した兵庫の宝物,オオエライジンは回復が見込めない重度の怪我で殺処分となりました。競馬を続けていればこうしたアクシデントとの遭遇は避けられないこととはいえ残念でなりません。

 様態modi,modusと様態的変状modificatioとの間にある,畠中がいうところのニュアンスの違い,僕が解するところの理性的区別に注目するのは,その部分にこそ,僕が対義語的関係を構築するべきであるといった,表現されるものと表現するもの,あるいは原因としての本性とその本性を原因として生起する結果,要するに属性と様態との関係が反映されているのではないかと考えているからです。そこでまずはmodificatioという語句が,『エチカ』ではどのような文脈において用いられているのかを検討します。
 この語句が『エチカ』に最初に登場するのは第一部定理八備考二です。畠中の訳注はその部分に付されているものです。そこでは,第一部定理七について,事物に混乱した判断を下す人びと,また事物をその第一原因から認識する習慣のない人びとにとっては,それを理解することはきわめて困難であるとスピノザは推測し,続いてその理由を説明しています。
 「なぜなら彼らは実体の様態的変状modificatioと実体自身とを区別せず,また事物がいかにして生ずるかを知らないからである。この結果として彼らは,自然の事物に始めがあるのを見て実体にも始めがあると思うようになっているのである」。
 ここで彼らといわれているのが,事物に混乱した判断をする人,事物を第一原因から演繹的に認識しない人のことです。
 modificatioと様態との間に意味の相違がないという点を重視するなら,この部分の冒頭は,そうした人びとは様態と実体を区別しないといっていることになります。この理解は間違っているとはいいませんが,スピノザがここでいわんとしたことに関しては,その半分くらいしか理解していないと僕は思います。そのことは後続の文章からも明らかだと思いますし,何よりこれが第一部定理七に関連付けていわれているということからより明らかだと思います。仮にここでmodificatioではなく,スピノザが単に様態modi,modusと記述していたとしても,それと実体とを区別しないというだけのことが,ここに含まれているわけではないでしょう。
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サンケイスポーツ盃優駿スプリント&ニュアンスの違い

2014-06-25 19:16:41 | 地方競馬
 昨晩の第4回優駿スプリント。柏木騎手が病気のためタケノローマンは的場文男騎手に変更。
 逃げの手に出たのはヴァカンス。タントタントが2番手で3番手のアピアまでが先行。ブセナ,ツルオカボルト,クロスクランチ,ディチュウの4頭が好位から。この後ろは少し離れ,タケノローマン,バーンザワールド,ジュリエットレター,マルモリロイヤル,シャークファング,コマンドゥールキイまでが中団を形成。前半の600mは34秒4のハイペース。
 3コーナーを回るとタントタントは苦しくなりアピアが2番手。後続からディチュウが離れず追い掛けてきて3番手に。直線入口では逃げたヴァカンスにほとんど並んでいたアピアが,すぐに先頭に立ち,あとは抜け出してノーステッキながら突き放す一方。最後は4馬身差の圧勝。焦点の2着争いはディチュウの内からブセナで外からツルオカボルト。しかしさらに内からマルモリロイヤルが脚を伸ばし,大外をコマンドゥールキイとバーンザワールド。熾烈な争いを制したのはバーンザワールド。クビ差でマルモリロイヤルが3着。アタマ差でコマンドゥールキイが4着。
 優勝したアピアはここまで7戦6勝2着1回。その2着がマイル戦で1400m以下は全勝。最も着差の小さいレースで2馬身でしたから,スピード能力最上位は疑い得ず,アクシデントなく走ってこられればまず勝つだろうとみていました。その通りの圧勝。距離が延びるのは絶対的なマイナスでしょうが,スプリント路線では相当の活躍を期待してよいのではないかと思います。母の父はアグネスタキオンビューチフルドリーマーオーマツカゼの分枝。母のはとこに2011年の目黒記念と函館記念を勝ったキングトップガン。Appearは現れる。
 騎乗した大井の御神本訓史騎手は昨年11月のローレル賞以来の南関東重賞制覇。第2回以来2年ぶりの優駿スプリント2勝目。管理している大井の佐々木洋一調教師は優駿スプリント初勝利。

 意味というのがどういうことであり,ニュアンスとは何のことであるのかということを,畠中は示しているわけではありません。ですから様態modi,modusと様態的変状modificatioの間には,意味の相違はなく,ニュアンスの違いだけがあるという畠中の主張は,分かったような分からないような言い回しです。しかしそのことを突きとめる必要性があるとは僕は考えていません。少なくともmodificatioとmodi,modusとの間に,ニュアンスの相違があるということまでは畠中が否定できなかったという点に,僕は注目します。むしろそのニュアンスの相違というのが何を示すのかということこそ,解明するべき事柄だと考えるのです。
 このような前提から開始すると,僕の考察がいきなり誤解されるおそれがあります。それを避ける目的から,まず最初に結論めいたことからいっておきます。僕はmodi,modusとmodificatioは,区別されるなら,理性的にのみ区別されると考えています。他面からいえば,もしそれら各々を知性intellectusが観念対象ideatumとしたときに,それが純粋に形相的なものとみなされるならば,modi,modusとmodificatioは同一であると僕は考えます。畠中の論述に当て嵌めれば,これはふたつの意味が同一であるということに一致させられます。しかし一方で,たとえ理性的にではあれ,区別すること自体は可能です。これを畠中論に当て嵌めると,そこにはニュアンスの違いがあるということに一致させることができるでしょう。
 実際には畠中が意味は同一でニュアンスに差異があるというとき,僕が解するのと完全に同じ意味でそれをいっているという保証はありませんし,それを確かめる術もありません。いい換えれば僕の考え方は,畠中論に一致させることは可能ですが,それは同じことを主張している可能性があるということにすぎません。つまり異なった主張をしている可能性があるということは否定できないのです。僕が畠中の主張について,完全に誤っているとは思わないといい,正しいと思うとはいわなかったのは,この事情からです。
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中野カップレース&様態的変状

2014-06-24 19:03:07 | 競輪
 レインボーカップのファイナルも合わせて行われた久留米記念の決勝。並びは桐山-海野の南関東,松岡-浅井-有賀の近畿中部,中川-坂本-大塚の九州で堤は単騎。
 極度の牽制の末,浅井がスタートを取って松岡の前受け。4番手に中川,7番手に桐山,最後尾に堤で周回。牽制があったため,誘導がかなり先に行っていましたので,隊列が定まったらすぐにレースが始まるような展開。残り2周のホーム手前から桐山が動き,バックでは松岡を叩いて前に。さらにバックで中川が発進。このラインを行かせて桐山が4番手,松岡が7番手,堤が最後尾の一列棒状で打鐘。松岡は内を上昇,桐山をどかして4番手に。そのまま内を進出し,浅井は外から自力。しかし大塚の牽制があり一杯。番手有利に抜け出した坂本が優勝。マークの大塚が4分の3車輪差の2着。逃げた中川も半車輪差の3着に残り,九州勢の上位独占。
                         
 優勝した福岡の坂本亮馬選手は2010年8月の小田原記念以来ほぼ4年ぶりの記念競輪6勝目。久留米記念は初優勝。2009年から2010年にかけ,神奈川4競輪場の記念競輪をすべて制覇するなど大活躍。しかしその後は信じられないほどに落ち込んでしまいました。体格に恵まれているわけではないので,仕方ない面もあったかもしれませんが,年齢から考えれば脚力が極度に衰えるということは考えにくく,やや不思議な気がしていました。今日は展開面の恩恵があったので,まだ復活というには早いかもしれません。近いうちに自力で優勝を勝ち取ったら,そのようにみてもいいのではないでしょうか。

 無限と有限ではなく属性attributumと様態modi,modusが対義語的関係を構築するということ。同じことですが実体substantiaと様態が対義語的関係を構築するということ。このことを『エチカ』のテクストから導出する場合,鍵となるのは様態的変状modificatioという語句であると僕は考えています。
 岩波文庫版で様態的変状と訳されているラテン語はmodificatioです。様態というのはmodiないしはmodusですから,ここから派生していることは一目瞭然です。一方,変状というのはaffectioで,これに最も近いのは感情affectusです。とはいえmodificatioというのはmodiとaffectioとが合体したような語句ですから,各々の訳し方からしてこれを様態的変状と訳すのは自然なことだと考えられるでしょう。僕はラテン語に造詣があるわけではありません。ですから畠中尚志が何を根拠にこう訳したのかということについて確たることはいえません。ただ,この訳に異議申し立てをしている日本人学者というのは,僕が知る限りでは不在ですので,とくに問題とする必要はないでしょう。
 畠中は訳注で,modificatioとmodiにはニュアンスに相違はあっても意味には何らの相違はないという主旨のことをいっています。ただそこでオランダ語版De Nagelate Schriftenではスピノザが様態的変状としている部分が様態となっているという点を根拠に挙げていることには疑問をぶつけることが可能です。スピノザと言語の関係で示したように,スピノザはオランダ産まれのオランダ育ちではありますが,スペイン語とかポルトガル語ほどにはオランダ語を使いこなせたわけではなかったからです。スピノザのラテン語をオランダ語に訳したのはスピノザの友人たちです。いかにスピノザと懇意にしていた人びとによる訳であるとはいえ,このオランダ語版,通称N・S・版といわれている版に依拠して『エチカ』を解するのは,危険性が伴うと思います。
 もっとも,危険性が伴うというのは,確実性が低下するとか,精度を欠くということです。必然的にnecessario誤謬errorに直結するわけではありません。僕も畠中の主張していることが,全面的に誤りだとは思っていません。
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スピノザの世界&構築

2014-06-23 18:56:28 | 哲学
 『デカルト,ホッブズ,スピノザ』の上野修が,スピノザの哲学に焦点を絞って書き下ろしたものが,『スピノザの世界』です。
                         
 あとがきの日付が2005年3月。発行は4月。講談社現代新書から出版されているもので,手に入れやすいでしょうし,値段も手頃。分量も多くはありませんから,かなり読みやすい一冊だといえるでしょう。
 もちろんそれだけの分量では,スピノザの哲学のすべてを網羅するというわけにはいきません。ただ基本的性格としては入門書といえると思いますから,その目的のためには十分であるといえますし,目的自体も達成されているといっていいと思います。
 はじめにの最後の部分で,上野はこの本の課題は,スピノザに見えた世界がどのようなものであったのかを内側から眺めることだといっています。そしてそれを6の章で説明していきます。第一章がスピノザの哲学の意図について。第二章は真理について。第三章がいわゆる汎神論として理解されるような神について。第四章は人間の身体と人間の精神について。第五章はスピノザ哲学的な倫理,すなわちエチカについて。そして第六章が永遠性についてです。なお,これらは僕がその内容から少しだけ膨らました説明であり,実際の各章の副題はもっと簡単なものです。
 性格的には入門書ですから,スピノザの哲学にさほど詳しくない,あるいはまったく知らないという人が読んだとしても,理解できないような内容ではありません。しかし,詳しい人が読んだときに,初心者向けの簡単な内容だけが示されていると思うのかといえば,そうではないと思います。むしろ詳しくなれば,それだけ深く読み込むことができるような内容になっています。ですから1度だけ読むというのではなく,時期をおいて再読していくというのも面白いと僕は思います。分量からして,再読自体も大変な作業とはいえません。

 仮に属性の一定的本性というものが考えられ得るとして,それが原因となって何らかの様態が生じるなら,それは個物res singularisでなければなりません。これは第一部定理二三から明白です。なぜなら,無限様態は属性の絶対的本性から生じなければならず,それ以外の様態としてはres singularisしかないからです。
 一方,第一部定理二五系のうちには,res singularisが一定の仕方で属性の本性を表現するということが含意されています。なのでもしも絶対的な仕方で属性の本性を表現する様態があるとするなら,それは無限様態でなければならないということも明白です。
 これらの推論からは,絶対的と一定対義語的関係を構築するなら,無限様態とres singularisも対義語的関係を構築しなければならず,したがって無限と有限は対義語的関係を構築するということが帰結すると思われるかもしれません。しかし僕はそのようには考えません。というのは,たとえば表現の方でみれば,無限様態は絶対的な仕方で属性の本性,いい換えれば無限性なり永遠性を表現するのに対し,res singularisはそれを一定の仕方で表現するということになり,また本性の方でみるならば,属性の絶対的な本性,すなわち無限性なり永遠性が原因となるなら,無限様態が生起するのに対し,一定的な無限性なり永遠性からはres singularisが生起するということになっているからです。つまり絶対的な仕方と一定の仕方というのがここでは対義語的関係を構築しているのであって,どちらの仕方であったとしても,無限性と永遠性はそこに含まれているとみるべきだからです。そしてこの線に沿って理解するならば,対義語的関係を構築すると考えられるのは,表現の方でいうなら表現されるものと表現するものであり,本性の方でいうなら,原因としての本性と,その本性を原因として生じる結果であるというべきです。いい換えれば,属性と様態,無限であるか有限であるかを問わず様態が対義語的関係を構築していると理解するのが妥当です。とりわけ後者の方で考えた場合,これは原因と結果が対義語的関係にあるといっているのと同じです。そういう関係にあるから弱い意味とか強い意味の中の弱い意味は無条件に成立するといえ,この解釈はそうした考察とも合致するといえるでしょう。
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漱石とノット&推測

2014-06-22 18:53:17 | 歌・小説
 留学に向う船に偶然に同乗し,漱石の聖書を渡すことになったノット夫人。漱石とノット夫人の関係は,イギリス到着後も継続しました。
 船がナポリに到着したのは1900年10月17日。そこから陸路でフランスを経由し,再び船でイギリスに渡った漱石がロンドンに着いたのは28日のこと。この近辺の日記はとても事務的なものが多くなっていますが,20日に公使館に行ったらノットからの書状と電信が届いていたという記述があります。さらに11月8日にも同様の記載がありますが,こちらは当時の漱石の自宅に届いたと受け取れる内容。つまり漱石はすでに住所をノットに知らせてあったといえます。
                         
 1901年になると日記の内容に,漱石自身の考えなども書かれ始めます。2月23日にノット宛ての手紙を出したこと,4月10日にはノットとその夫も含めた数人でお茶を飲みつつ四方山話をしたことが書かれています。
 また6月11日にもノットから手紙が来たと書かれていますが,これは熊本に宣教師として滞在していた,ノット夫人の娘からのものと思われます。記述がMrs.ではなくMissになっているからです。翌日に手紙を出したとあり,これはMrs.ともMissともありませんが,日本の娘に出したと理解するのが妥当だと思います。
                         
 時間を戻し1900年12月26日に,漱石は妻に宛てて手紙を書いています。この手紙の中盤部分に,ノット夫人と書状の往復をしていると書かれています。ですから日記に書かれている以上に,手紙のやり取りはあったのかもしれません。またそこには,宣教師の娘にもよろしくと伝言してくれとあります。これは夫人に直接的に頼んでいる内容ではないので,その後の動きは分かりません。ただ,翌年になってその人から手紙が届いたということは,漱石の伝言が何らかの形で伝わったからかもしれません。
 総じて漱石とノットの関係は,漱石からみる限り良好なものであったことが分かります。おそらくこれは,ノット夫人が聖書を渡したりしても,強く布教してはこなかったからだろうと思います。

 第一部定理二五系第一部定義六を合わせて理解すれば,個物res particularisが一定の仕方で自己の類において無限である属性の無限性を表現するということになります。そしてこのことのうちに個物res singularisが同じ無限性を一定の仕方で表現するということが含まれていることになります。なのでこれ以降はすべてres singularisだけに注目していくことにします。そして考えなければならないのは,一定の仕方で表現される無限性とは何かということです。
 絶対的と一定というのは,対義語的関係を構成するというのが僕の考え方です。ですから一定の仕方で表現するというのは,何を表現する場合においても,絶対的な仕方で表現しているのではないと理解されなければなりません。もっとも『エチカ』には,あるものが何かを絶対的な仕方で何事かを表現するという記述は見当たりません。ですからそれに近似した記述から考えていく必要があります。
 第一部定理二一は,直接無限様態が無限に存在しなければならないことの根拠として,神のある属性の絶対的本性というのを示しています。いい換えればそれが直接無限様態の無限性の由来とされています。するとこのようにして生起する直接無限様態は,絶対的な仕方で属性を表現するといえるのではないかという推測が成立するでしょう。第一部定理二五系は,res singularisによる属性の表現に言及しているわけですが,様態が属性を表現するという点だけに注目するなら,それは様態が有限であろうと無限であろうと,同様でなければならないと思われるからです。
 一方,属性の絶対的本性という記述がなされているなら,おかしないい方かもしれませんが,属性の一定的本性といい得るような本性が存在するのではないかという推測も成立するでしょう。第一部定理一六第二部定理六から,ある属性からはその属性に属する無限に多くのものが生起しますが,属性の絶対的本性だけが原因となるなら,無限様態だけが生じると考えられ,res singularisは生じ得ないと考えられるからです。
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棋聖戦&個別的対応

2014-06-21 19:30:43 | 将棋
 豊田市で指された第85期棋聖戦五番勝負第二局。
 羽生善治棋聖の先手で相矢倉。類例の少ない形でしたが,先手が攻めて後手が受けつつカウンターを狙うという,この戦型で最も多く生じるパターンに。この将棋は森内俊之竜王が入玉もひとつの狙いとする進展に。
                         
 たぶんひとつの分岐で,△3七歩成▲4五歩△3五玉から一直線に入りにいく順もあったかと思います。ただ金を取られるのを嫌って△同金も普通の手といえるでしょう。ただこのために角の行き場がなくなり,▲6三歩成以下の手順で角を取られることになりました。進んで第2図。
                         
 入玉しきれずに後手は中団で徹底抗戦。ここから▲4七歩△同金▲6七銀と進めたのがうまい手順で,先手が勝ちを決めたように思います。このまま▲5六銀と使われてはいけないと△5五銀と打ったのですが,▲同金△同角▲同馬△同金▲7一角で王手飛車。△4四銀に飛車を取るのではなく▲3三銀と打ったのが,最後の決め手でした。
                         
 これで6七に引いた銀が5六に出ていく目途が立ち,後手は振りほどけなくなりました。持ち駒の少ない第2図からの盤上の駒の使い方が光った一局だったと感じます。
 羽生棋聖が連勝。第三局は来月5日です。

 一般論が解決法となり得ないのであれば,個別的に対応していくほかありません。たとえばある有限である事物,『エチカ』では個物res singularisということになりますから,あるres singularisを任意に抽出し,そのres singularisのうちに何らかの意味において無限性を見出すことが可能になれば,少なくともそのres singularisについては,それを無限であるとするテーゼが成立し得るということになります。そしてこうしたテーゼが抽出されるどのような個物にも適用可能であるなら,総合的な意味において有限であるものは無限であるというテーゼが成立し得るということになるでしょう。
 まず,第一部定理二五系に注目してみましょう。そこでは個物res particularisが,神の属性を一定の仕方で表現するといわれています。このとき,ふたつの個物res particularisとres singularisに同一の訳を与えてよいか否かということは,ここでは問題にする必要がありません。仮に同一の訳を与えることを可とする僕の解釈が誤りであったとしても,その場合にはres singularisよりもres particularisの方が広きにわたる概念であり,res particularisのうちにres singularisが含まれるということになるからです。そうであるなら,res particularisが神の属性を一定の仕方で表現するということのうちに,res singularisが神の属性を一定の仕方で表現するという意味合いが含まれていることになります。今はこの条件さえ確保されていれば十分です。
 第一部定義六は,属性が無限性を表現するといっています。端的にいってこれは属性が無限であるということの表明であるといえます。ただし,第一部定義六説明のテクストからして,ある単一の属性は,絶対に無限ではないということになります。その属性は他の属性によって否定されるからです。したがって属性というのは,自己の類において無限であると解釈されることになります。
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印象的な将棋⑦-4&解決法

2014-06-20 19:06:54 | ポカと妙手etc
 ⑦-3の第2図から先手が飛車を取った後は攻め合いに。後手が逃げ切れるか否かの局面になりました。
                         
 先手玉に分かりやすい詰めろが掛かった局面。さしあたっては後手玉が詰むかどうか。追っていく手は▲1三飛しかなく,△2四王▲2二龍△3五王▲3九香まで,ほぼ一本道の展開といえそうです。
                         
 こういう王手には△3七歩と中合いし,▲同香△2六王と交わすのが手筋。ただここでそれは反則なので,△3七銀と放り込みました。
 これには▲4六銀がまず浮かぶ手で,当時の解説者だった島朗現九段は,それで後手玉は詰んでいたと言っていました。しかし先手は▲3七同香と取り,△2六王に▲2五龍。△同王▲3六銀△2六王▲2三龍△3七王▲2七龍△4八王と進めました。
                         
 結論からいうと第3図の後手玉に詰みはないようです。解説者が正しいなら,銀を取った手は疑問手だったといえるでしょう。しかしだから先手が負けになったというわけでもなく,まだ戦いが続くのです。

 無限であるものは有限ではないというテーゼは真の命題でなければなりません。しかし無限であるものが有限であるものによって限定されてはなりません。このことを前提として,『エチカ』で運用されている限定と否定の関係を参照すれば,解決法はひとつしかないといえます。すなわちそれは,有限であるものは無限ではないというテーゼを,偽の命題であるとみなすことです。なお,持続が永遠の特殊な形態であるという理解の根拠は,これから説明することと同様の訴訟過程で説明されます。テーゼとして置き直せば,僕は永遠であるものは持続しないという命題は真であり,持続するものは永遠ではないという命題は偽であると考えているというように理解してもらって構いません。おそらくこれ以上は永遠性と持続性を直接的に射程に入れることはないと思いますが,無限と有限の関係はそれとパラレルであると解釈してください。
 有限であるものは無限ではないというテーゼが偽であるとは,有限であるものは無限であるというテーゼが真であると主張するのと同じことです。そして一般的に考えるならば,これが不条理であるということは当然です。ただ,限定と否定の関係は,むしろこの不条理が成立する蓋然性が高いということを示しています。なぜなら,この不条理が成立するならば,無限と有限との間には,無限であるものが有限であるものを限定し,有限であるものは無限であるものによって限定されるという,一方的な関係だけあるということになるからです。そしてこのような関係こそ,無限であるものと有限であるものとの間に存在するべき正しい関係であると考えられるからです。
 確かに一般的には有限であるものは無限であるという命題が真であると考えることはできません。このことは単に名目的に考えるだけで結論できます。すなわち無限であるとか有限であるということがどういった事柄であるのかということをとくに考えなくても,有限であるものはそれが無限ではないから有限といわれているのであり,これだけで有限は無限ではないということが真でなければならないということが帰結するからです。逆にいうなら,もしも一般的にこれを考えようとするなら,解決法として導出させたい事柄を帰結させることは不可能であるということになります。
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心に残るプロレス名勝負&限定と否定

2014-06-19 19:13:08 | NOAH
 レイスと樋口の関係については,樋口の著書である『心に残るプロレス名勝負』を参考にしました。
                         
 僕のプロレスキャリアが始まったとき,樋口はスキンヘッドのレフェリーでした。今から思えば,選手と一緒に試合を作っていくタイプのレフェリーで,世界的にも高い評価を受けていたのも納得できます。同時に,全日本プロレスの外国人係も務めていましたが,そのことを知ったのもそう遅くはない時期であったと記憶しています。でもそれ以前の樋口に関しては,僕はこれを読むまで何も知りませんでした。この本は二部構成になっていて,第一部は樋口自身がレフェリーを務めたいくつかの試合の回顧。第二部が樋口自身の半生記になっています。第一部にも僕のキャリア開始以前の試合が多く含まれていますが,とりわけ第二部は,僕が知らなかったことがたくさん書いてありました。
 そもそもかつては樋口がレスラーであったということを,僕は知らずにいました。さらに入門したのは1954年で,それが大阪にあった全日本プロレス協会という団体であったということも僕には意外でした。日本のプロレス黎明期に,力道山の日本プロレス以外にも団体が存在したということも,僕が知らなかったことだったからです。ただ,この団体の総帥だった山口利夫は,1955年に大阪で力道山のタイトルに挑戦したそうですから,必ずしも敵対関係にあったわけではないようです。
 その後この団体は山口道場と改称。この道場所属として,樋口も1956年には日本プロレスに出場。道場のマネージャーの裏切りで団体が消滅したため,日本プロレスに移籍したそうです。
 レフェリーは協会時代にすでに務めていたとのこと。外国人の世話を始めたのは日本プロレスに移ってから。1959年のレスラー引退を機に,一度は日本プロレスを離れたものの,第二の人生がうまくいかなかったことから1963年に外国人係として復帰。1965年からはレフェリーも兼務するようになったそうです。
 もし樋口の第二の人生がうまくいっていたら,日本プロレスへの復帰もなかった筈。そうであったら,日本のプロレス史もかなり違ったものになっていたことでしょう。

 限定と否定命題の関係は一般的原則です。各々の公理系はこの一般原則を基礎にして運用されます。『エチカ』の公理系の運用基準は以下のようなものです。
 第一部定義二は,もしもあるものは自己の類の他のものに限定されないなら,そのものは有限finitumではない,いい換えれば無限infinitumであるということを含意します。しかしそのあるものは,一切の否定negatioを被らないというわけではありません。他の類のものによって否定されるという場合が,ここからは排除されているからです。そしてあるものが他の類のものを否定し得るということを,スピノザは認めています。第一部定義六説明のテクストはその証明であるといえます。ただ,たとえばAとBが異なった類であるなら,他面からいえばAとBが異なった属性attributumに属する共通点を有しないものであったら,AがBを否定してもそれは限定determinatioではないし,BがAを否定しても限定ではありません。要するに共通点を有さないものは,互いに互いを限定することはないのです。
 具体的にいうなら,延長Extensioは思惟Cogitatioではないは真の命題です。思惟は延長ではないも真の命題です。したがって延長と思惟は互いに互いを否定し合いはしますが,限定し合うことはありません。よって『エチカ』の限定と否定の相関関係は,次のように示されなければなりません。
 もしもAとBに共通点がないなら,AとBはどのような関係にあっても,つまり互いが互いを肯定しようと否定しようと,一方が他方を,また他方が一方を限定することはありません。つまりこの限りにおいて,否定は限定より広きにわたることになります。
 AとBに共通点がある場合,AはBではないとBがAではないが共に真の命題であるとき,AはBをBはAを,否定しかつ限定します。この場合,限定と否定は同一です。
 同じ条件のもと,AはBではないが真で,BはAではないが偽であるなら,AはBを限定し,BはAに限定されます。この場合にも限定と否定は同一であるということになります。ただし,テーゼにおいて主語が述語を限定するのであって,述語が主語を限定するのではないという点には注意が必要でしょう。
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京成盃グランドマイラーズ&限定と否定命題

2014-06-18 19:12:45 | 地方競馬
 古馬によるマイル南関東重賞,第17回京成盃グランドマイラーズ
 発走直後にケイアイサンダーが外側によれ,数頭が影響を受けたように思われます。内だったので被害を受けなかったセイントメモリーの逃げ。逆に外だったために被害を免れたトーセンアドミラルが並ぶようにぴったりとマーク。その後ろは少し離れてガンマーバーストとアーリーロブストで併走。また少し離れてトラバージョ。ソルテがその後ろ。前半の800mは49秒1のミドルペース。
 前の2頭は後ろと一定の距離を保ったまま4コーナーに。ここではトーセンアドミラルの方が手応えがよく,直線に入ると先頭に。そのまま抜け出して1馬身半差で快勝。外から脚を伸ばしたソルテが2着。逃げたセイントメモリーがクビ差で3着。
 優勝したトーセンアドミラルは昨年11月のマイルグランプリ以来の南関東重賞3勝目。コースこそ違えすべてこの距離でマークしているように,マイルの適性が高いようです。マイルグランプリを勝った後,半年の休養があり,前走を叩いて状態面もアップしていたのでしょう。この距離では今後も目を離せない存在だといえそうです。父はキングカメハメハ。半兄に2007年のアーリントンカップと2008年の函館記念を勝ったトーセンキャプテン。Admiralは提督。
 騎乗した船橋の川島正太郎騎手は1月の船橋記念以来の南関東重賞制覇。グランドマイラーズは初勝利。管理している船橋の川島正行調教師は第6回,10回,15回を制していて,2年ぶりのグランドマイラーズ4勝目。

 動物と馬との関係からして,動物がひとつの種となる場合には,その種を構成する類によって限定されるということは目に見えています。たとえば生物という概念がそれで,確かに動物は生物によって限定されるでしょう。ただ,この関係は,類例としてはもう不要です。
 生物という種の概念を,動物のように類として構成する別の概念,たとえば植物だったらどうでしょうか。動物は植物によって限定されます。そしてこのことは,一般的に該当します。たとえば動物という類をひとつの種として構成する馬は,馬と同じように動物という類を構成する別の種,たとえば猫によって限定されるといえるからです。
 そこで今度はこの場合の命題がどのように構築されているかを確認します。動物は植物ではないという命題は真の命題です。馬は猫ではないという命題も真の命題です。それでは各々の命題の主語と述語を入れ替えたらどうなるでしょう。植物は動物ではない。これは真の命題です。同様に猫は馬ではないも真の命題です。
 次に,動物は植物によって限定されますが,植物もまた動物によって限定されていると考えなければなりません。同様に馬は猫によって限定されていますが,猫も馬によって限定されているのです。
 これらの条件から,限定と否定命題の相関関係のありようが理解できます。
 まず,AはBではないという命題が真の命題であり,BはAではないという命題が真の命題であるなら,AはBによって限定されますし,BもAによって限定されます。いい換えればAとBは相互に限定し合います。
 しかし,AはBではないという命題が真の命題でも,BはAではないという命題が偽の命題であるならば,AとBは相互に限定し合うことはありません。AがBを限定し,BはAに限定されるという,一方的な関係が存在するだけです。
 なお,AはBではないもBはAではないも偽の命題であるなら,AはBであるもBはAであるも真の命題です。この場合,AとBは同一であるか,概念として分けられるかのどちらかです。第二部定義二の事物とその事物の本性とか,第二部定理四九系の知性と意志がそれに該当します。
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ニーチェと哲学&動物と馬

2014-06-17 19:12:08 | 哲学
 『スピノザと表現の問題』がドゥルーズの徒弟時代のスピノザ研究集成であるとするなら,そのニーチェ版が『ニーチェと哲学』であることになります。出版は1962年。ドゥルーズにとっては2冊目の著書で,『スピノザと表現の問題』に先立つこと7年です。
                         
 ニーチェ哲学の研究ですから,ここでドゥルーズがいっていることは,ニーチェの主張に応じたものと理解されるべきでしょう。もっとも,スピノザの哲学がそうであるように,ニーチェの哲学も様ざまな仕方で解釈されます。その解釈の多様さという点では,おそらくニーチェはスピノザ以上でしょう。手垢のついたことばを用いれば,ニーチェの哲学に傾倒する学者には,右派から左派まで幅広く存在し,これはスピノザの哲学には見られないような傾向であるといえるからです。
 ニーチェにとってスピノザとの出会い,もちろんそれはスピノザの著書を通じての出会いですが,とても鮮烈なものでした。しかし後にニーチェがスピノザの哲学を反動的なものとみなすようになったのは,たとえば第三部定理三八について書いたときの通り。そしてこの本は,ニーチェの主張に合致するものですから,そうした見解が表明されています。僕はドゥルーズ自身の哲学にはさほど詳しいわけではありませんが,少なくとも徒弟時代とか哲学者としての前半は,スピノザよりもニーチェを重視していた,いい換えればスピノザの哲学よりもニーチェの哲学の方に親近感を覚えていたふしがあるのは否定できないように思います。この本におけるスピノザの反動性の主張には,そうしたフィルターを通す必要があると僕は思います。というのも少なくとも後年のドゥルーズは,ニーチェが反道徳の哲学者と規定されるのと同じ意味で,スピノザを規定しているからです。これは『スピノザ 実践の哲学』の第二章や第三章から明らかですが,この反道徳という点は,ドゥルーズがニーチェを重視する理由のひとつを形成しています。
 訳者によれば,ドゥルーズがニーチェのドイツ語をフランス語に翻訳する際,明らかな誤訳があるようです。その部分は大きな注意が必要です。

 無限であるものは有限ではないというのは,少なくともスピノザの哲学においては真の命題と解さなくてはなりません。なぜなら第一部定義二の有限の定義は,無限であるものには該当しないからです。
 したがって,限定と否定の間に相関関係があるとしても,それを最も素朴な形で理解することはできません。いい換えればAはBではないという命題が真であるということと,AがBに限定されるということを,直ちに等置するということはできないのです。
 そこで,AはBではないというのが真の命題である場合に,AがBによって限定され得ない場合というのがあるのかどうかを探求する必要があります。そしてそれは実際にあります。たとえば,動物は馬ではないという命題は明らかに真の命題であると考えられますが,だからといって動物が馬によって限定されているとはいえないからです。
 動物が馬によっては限定され得ない理由はとくに説明するまでもないでしょう。馬というのは動物の一種だからです。一般的にいい換えるなら,ある類を構成するような概念が,その類の中の種の概念によって限定されるということはあり得ません。むしろ種の概念の方が,類の概念によって限定されなければならないのです。
 この動物と馬との関係において重要なのは,動物は馬ではないという命題が真の命題であるのに対し,その主語と述語とを交換した,馬は動物ではないという命題が偽の命題であるということです。そしてこの主語と述語の入れ替えによって,限定と否定の相関関係のありようは,別の仕方で構築されることになります。すなわち,AはBではないという命題が真であるというだけでは,BがAによって限定されるとはいいきれません。仮にこの命題が真であったとしても,主語と述語が入れ替わった同形命題であるBはAではないという命題が偽の命題であるのならば,これはむしろAがBによって限定されるという関係を示しているのではなくて,BがAによって限定されているということを示していると理解されるからです。
 しかし,このことは,動物という概念は一切の限定を受けない概念であるということを意味しているわけではありません。動物は,動物という種を構成する一切の類によって限定され得ないというだけのことです。ですからまだ論を進めていく必要があるでしょう。
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漱石日記&おさらい

2014-06-16 19:26:40 | 歌・小説
 船中の日記について書いたときに触れましたが,漱石には日記をつけている期間というのが断続的にありました。それらはすべて全集に収録されているとのこと。ただ,僕は全集は所有していません。日記を読むためだけに所有する気はないので,おそらく入手することはないと思います。僕が使用した『漱石日記』は,岩波文庫版で,その一部が収録されているものです。
                         
 編者である平岡敏夫によれば,漱石の日記として残っているものは,期間別に12に分類できるとのこと。
 ①1900年9月から1901年11月までで,これは留学日記。僕が抜粋したのはこの部分。
 ②1907年の3月と4月に京都を旅行したおりの日記で,これは漱石が朝日新聞社に入社した頃のもの。
 ③1909年3月から8月まで。これは『それから』が書かれていた頃。
 ④同年9月と10月。これは満州,朝鮮の旅行記。
 ⑤1910年6月と7月。これは都内の胃腸病院に入院中のもの。
 ⑥同年8月から1911年1月まで。退院後に修善寺で療養中のもの。いわゆる大患を挟む日記です。
 ⑦1911年5月から12月。これは『彼岸過迄』の材料。ただし中途に3ヶ月の中断があるようです。
 ⑧1912年5月から10月。明治から大正への移行を挟みます。
 ⑨1914年10月から12月。これは家庭問題が中心で,漱石自身の心情が綴られています。
 ⑩1915年3月と4月。これは京都への旅行記。
 ⑪同年11月。こちらは熱海と箱根への旅行記。
 ⑫1916年。これは断続的なもの。糖尿病の治療記録のような内容です。
 文庫版では①③④⑥⑧⑨⑫が収録されています。ただし③の前半部,④の終末部,⑧の5月末の部分は省略されています。これらのカットはすべて紙数の関係によるものです。
 1916年7月27日が⑫の最後。つまり漱石が書いた最後の日記。漱石が死んだのはこの年の12月9日のことでした。

 スピノザの哲学における無限と有限の関係は,どのように把握されるべきであるのかということについて,かつてテーマとして設定し,詳しい分析を試みたことがありました。これが無限の一義性の僕の把握の仕方と大いに関係してきます。そこでまず,どういう観点からそのことを問題として設定し,その問題はどのように解決されたのかということを,おさらいしておくことにします。
 スピノザの哲学では,限定と否定の間に,何らかの相関関係があると推測されます。これは第一部定義六説明のテクストに依拠した解釈です。そこでは,神が絶対に無限と定義されなければならない理由について,それは神の本性には,一切の否定を含まないあらゆるものが属さなければならないからであるという主旨のことが表明されています。すなわち,絶対に無限であるということと,一切の否定が含まれないということが等置されています。このことから,限定と否定の間に,相関関係があるということだけは明白です。なぜなら,あるものが絶対に無限であるなら,他のものから限定されるということはあり得ない筈で,これが一切の否定を含まないということに等置されているのだからです。
 そこでこの相関関係を,最も素朴なものとして理解してみましょう。つまりAがBではないという否定と,AがBに限定されるということを,何の前提なしに等置してしまうのです。いい換えれば,一般的命題として,AがBではないという言明が真の命題であるならば,AはBによって限定される,他面からいうならBはAを限定するとみなすのです。
 このように理解した場合に,設定されるべき問題というのが生じます。無限であるものは有限なものではないという命題は,真の命題らしく思われます。しかし上述の仮定からすれば,これが真の命題であるなら,無限であるものが有限なものによって限定されるということを認める必要が出てきます。しかしこんなことをいうのは不条理であるに決まっているようにも思えます。この矛盾をどのように解決するべきであるのかということが,当時のテーマの中心を構成していました。
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