スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王将戦&量と質

2015-03-13 19:48:53 | 将棋
 悪天候の影響で予定日に佐渡に到着できなかったため,持ち時間を短縮して指された第64期王将戦七番勝負第五局。
 渡辺明王将の先手で角換り相腰掛銀。後手が△6五歩と突いたところで先手が▲6四角と打つ将棋から,郷田真隆九段が新手を出し,中盤が長い一局になりました。
                         
 2七から角が成った局面。先手はこのまま桂馬を取られてはいけませんので何かする必要があるでしょう。▲5二角と打ちました。
 ここでは桂馬は取れないので△4二歩は仕方がないと思えるのですが,35分も使っているのは意外で,何らかの誤算があったのかもしれません。
 ▲3四桂は取られそうな駒を使う攻めで,継続手ともいえそう。後手はこれを△同金と取り▲同角成に△4三銀と打ちました。粘りに出たという感じで,第1図で角が成ったときには想定していなかった展開だったのではないかと推測します。
 先手は▲6七馬と引きつけました。後手は△4五馬▲同馬△同桂でその馬を消しにいくことに。
                         
 ここは先に飛車を打っていて,なおかつ手番になっていますから,先手が有利になっていると思います。第1図がまだ難しい局面であったのだとすれば,後手はここの手順が拙かったのではないでしょうか。
 渡辺王将が先に3勝目。第六局は来週の木曜と金曜です。

 一般的に人間の本性から帰結する事柄を,今の考察の根拠に据えないのは,ここではライプニッツがスピノザを訪問するという具体的な運動に的を絞っているからです。ですからここで考えなければならないのは,この運動と,現実的に存在するライプニッツの本性の変化が,どういう関係にあるのかということです。そしてそれは,その運動と,ライプニッツの完全性の変化の関係を探求することと同じです。
 完全性の変化を完全性の移行から解するのですから,まず,この移行をどのように解するべきなのかを復習しておく必要があるでしょう。喜びと悲しみのどちらで考えても同じですので,ここでは悲しみの方に焦点を当て,第三部諸感情の定義三だけを考察の課題に据えます。
 ここでいわれている移行は,ふたつの仕方で解釈することが可能であると僕は思っています。単純にいうと,移行というのを量的な意味で把握する解釈と,質的な意味で把握する解釈です。
 もしも量的に解釈するなら,悲しみにおける完全性の移行とは,より多くの完全性が,より少ない完全性へと変化するという意味です。たとえばライプニッツの精神として考えれば,比喩的な意味でこの精神には完全性を蓄える箱のようなものがあって,その箱の中に入っている完全性の量が減ったならば,ライプニッツは悲しみを感じるというのがこの場合の解釈になります。箱とか量とかは比喩としていっているのであり,そのままの意味では受け取らないでください。
 もしも質的に解釈するなら,悲しみにおける完全性の移行は,より大きな完全性を有している何かが,より小さな完全性を有する何かへと変化するというように解釈されることになります。つまり単に量が変化するのではなく,その量を有していると仮定される,比喩的な意味での箱自体が変化するという意味だといえます。したがって同じようにライプニッツの精神で考えるならば,より大きな完全性を有するライプニッツの精神が,より小さな完全性を有するライプニッツの精神へと変化するという意味になります。極端にいうなら,ここには様態的に区別できるふたつのライプニッツの精神があるということになります。
コメント
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