スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

有馬記念&両立

2021-12-26 19:45:34 | 中央競馬
 グランプリの第66回有馬記念
 パンサラッサが逃げて6馬身くらいのリード。2番手にはタイトルホルダー。3馬身差でウインキートス。4番手にペルシアンナイトとシャドウディーヴァ。6番手にディープボンド。7番手にキセキ。8番手にクロノジェネシス。9番手にエフフォーリア。10番手にメロディーレーン。11番手にステラヴェローチェ。12番手にモズベッロとアカイイト。2馬身差でユーキャンスマイルとアリストテレス。3馬身差の最後尾にアサマノイタズラ。ハイペースでした。
 2周目の3コーナーにかけてパンサラッサのリードは縮まっていき,外からタイトルホルダーが並んでいきました。その後ろから追ってきたのがキセキでさらに外からエフフォーリア。直線はエフフォーリアの外からステラヴェローチェが追ってきて,この2頭の間からクロノジェネシス。さらにエフフォーリアの内からディープボンドも伸びてきてこの4頭の争い。先んじていたエフフォーリアがすべての追撃を退けて優勝。内のディープボンドが4分の3馬身差で2着。苦しいコース取りだったクロノジェネシスが半馬身差の3着でステラヴェローチェが半馬身差で4着。
                                   
 優勝したエフフォーリア天皇賞(秋)からの連勝で大レース3勝目。このレースはこの馬とクロノジェネシスの力が他に対して上で,どちらかが勝つだろうと思っていました。有馬記念は前走で掲示板を外している馬が巻き返すことは困難な傾向にあり,クロノジェネシスの前走は凱旋門賞だったとはいえ7着でしたので,今年もその傾向通りの結果になったことになります。来年は日本競馬の中心を担うことになるでしょう。父はエピファネイア。母の父は第50回を制したハーツクライ。祖母がケイティーズファースト。従兄にアドマイヤムーン。Efforiaはギリシア語で強い幸福感。
 騎乗した横山武史騎手は天皇賞(秋)以来の大レース4勝目。有馬記念は初勝利。管理している鹿戸雄一調教師は天皇賞(秋)以来の大レース4勝目。有馬記念は初勝利。

 前もっていっておきたかったことが少し長くなってしまいました。どのレベルであったとしても,ある観念ideaの秩序ordoと連結connexioは,その観念対象ideatumの秩序と連結と同一です。したがってある観念がある特定の仕方で現実的に存在する人間の精神mens humanaと関連づけられるなら,それと同じ秩序と連結で観念対象もその人間と関連付けられます。なのでどのレベルで精神が認識しているかに注目することは不要です。一方で,レベルが異なれば観念対象も異なるのですから,その観念が混乱した観念idea inadaequataであるなら,混乱の度合いに差が生じてもおかしくはないのです。これは必ず混乱の度合いに差が生じなければならないということではなく,差が生じない場合もあるでしょうが,生じる場合もあり得るということです。どのような場合に生じるかということは,個々の事例で解していくほかありませんので,一般的な解答をここで出すことはできません。
 さて,こうしたことが理解できれば,第五部定理三が論理的に成立しているということは,なお確かだといえるでしょう。しかし一方で,ある人間の精神が,自分は悲しみtristitiaを感じているという認識cognitioを有するのだとしたら,その人間が悲しみを感じていないということはそれ自体で不条理であるということもまた確かなことだといえるでしょう。つまり,このふたつのことは両立するのです。いい換えれば,自分は悲しみを感じていると認識している人間は確実に悲しみを感じているのであって,しかしそのことは第五部定理三が成立するということを排除はしないのです。もしも第五部定理三の証明が,第二部定理二一第三部定理三に訴求しているのは不備があると思えるとすれば,それはこの定理Propositioが,これらが両立するということについては何らその要因を示していないからだといえます。もう少し詳しくいえば,もしもその要因が定理のうちに示されているとすれば,それは受動感情が明瞭判然と認識されるということのうちにしかないのは明白ですが,受動感情が明瞭判然と認識されるということがいかなることであるのかということ,またそうしたことが実際に生じ得ることなのかということが,まったく明らかにされていないからだといえます。
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