● 内田雅敏 「浅薄な歴史認識は何をもたらすか」を読んで
『世界』3月号
須山敦行
◎ 安倍首相に対して、また安倍の代理人として、知恵袋として、チラチラとその顔を、時々マスコミに出す萩生田氏に対して、実に鋭く本質的な批判を突き付けた、切れ味鋭い論考である。
◎ この浅薄な歴史認識の問題は、安倍寄りの人以外にも、多くの日本人の中にある重大な問題でもある。
だからこそ、安倍が首相なのだ。
◎ 大切な既定の事実として、筆者は、まず
歴代日本政府の戦争に対する公式見解を並べる。
「軍国主義の反省」
「植民地支配」「侵略」への痛切な反省
が、そこにははっきりと提示されている。
習近平に「歴代内閣の歴史認識を引き継いでいる」と述べた安倍首相は、本当に歴史問題に関する歴代日本政府の公式見解を知っているのだろうか。
安倍政権は、歴代の政権とは全く違った歴史認識を持つ、異形の政権だ。
◎《 シャングリラ・ダイアローグ(アジア安全保障会議)での安倍演説 14.5.30》
この演説には驚かされる。この演説から、安倍という存在を考えなくてはならない。
「『積極的平和主義』のバナーを掲げたい……
自由と人権を愛し、法と秩序を重んじて、戦争を憎み、ひたぶるに、ただひたぶるに平和を追求する一本の道を、日本は一度としてぶれることなく、何世代にもわたって歩んできました。」(安倍演説)
※ 安倍は、今国会の議論でも質問に答える中で、このような物言いを自分の言葉として繰り返している。彼の常套句になっているようだ。
※ これは、戦後の、九条の会のメンバーのことを言っているのではない。
何世代にもというと、あの戦争の時代にも絡んでくる。
そして、この演説の言葉の前後に、先の大戦に対する何らかの説明が無いならば、それは非常に問題である。
そして、それは、無い。
安倍は、彼ら自身が、「ひたぶるに、ただひたぶるに平和を追求する一本の道を」歩んできたんだと、誇らしげに語っているのだ。
そして、安倍演説の続きである
「新しい日本人は、どんな日本人か。昔ながらの良さを一つとして失わない日本人です。貧困を憎み、勤労の喜びに、普遍的価値があると信ずる日本人は、まだアジアが貧しさの代名詞であるかのように言われていた頃から、自分たちにできることが、アジアの他の国々で同じようにできないはずはないと信じ、経済の建設に孜々として協力を続けました。新しい日本人は、こうした無私、無欲の貢献をおのがじし、喜びとする点において父、祖父たちと変わりはないのです。」
アジアが貧困なのは、日本人のように、勤勉でないからだ。
アジアを開放してあげるのだ、 これは、先の大戦を為さしめた思想だ。
そして、日本人の中にある俗論だ。
そして、これは、靖国神社の 、
「日本の独立をしっかりと守り、平和な国として、まわりのアジアの国々と共に栄えていくためには、戦わなければならなかったのです。」
という 「聖戦」史観 に続いていく。
◎ 筆者は、続いて、特攻隊の始祖・大西瀧治郎像を巡って、萩生田氏の歴史認識の歪みを衝く。
◎ 安倍首相は
過去と向き合うことが出来ない
戦争の悲惨さに向き合わず
自国の加害の事実に向き合わない
それで、自らが破壊しようとしている戦後の平和主義を称揚してみせる
恥ずかしい限りである。(筆者)
「いとしい我が子や妻を思い、残してゆく父、母に幸多かれ、ふるさとの山河よ、緑なせと念じつつ、貴い命を捧げられた、あなた方の犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを片時たりとも忘れません」 (戦没者追悼式の式辞)
彼らは、なぜ、ふるさとを遠く離れたニューギニアの地で餓死しなければならなかったのか。彼らの餓死がなければ戦後の平和はなかったのか。
戦後の「平和と繁栄」は、若者たちの命が無駄に散らされたことを乗り越えて、なし得たものであり、彼らの死の故ではない。
安倍首相はこのような悲惨と無念の事実と向き合わず、「美しい日本の兵士」像を作り上げる。
イスラエルを訪問した安倍首相は、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺を記憶するためのホロコースト記念館を訪れた。
しかし、安倍首相は、中国を訪れても、南京はもとより、北京郊外にある盧溝橋には決して行かない。
シンガポールに行っても、「日本占領時期死難人民記念碑」を訪れない。
歴代日本政府の公式見解の意味を理解していれば、当然考え、言及すべきはずの、自国の過去を思い出すことが、安倍首相にはできない。
※ その安倍を首相に選んでいる日本人というものは、いかがなものか。