『世界』を読む会

寅さんの博も読んでいる『世界』を読んで、話し合おう。

これが本当の「地方創生」だ

2015-04-17 22:35:47 | 日記

● 結城登美雄 「小さなつどいとなりわいがつなぐ復興」
   『世界』4月号               須山敦行
                                                                       

◎ 政府が偉そうに上から掛け声をかけて、急げ急げとけしかけている「地方創生」とは、真逆の、未来の世界を切り拓く、地方の再生への道を紹介している、貴重な文章だ。

◎ 感動的な文章に、何度か涙した。

◎ 取り上げている、どのエピソードも、味わい深いものだ。
  筆者は、そういう仕事(地方の住民に即した生活を作る営みを応援する仕事)をしている人なのだ。

◎ 《川内村の餅つき部隊》

  自分も少々関わっている「川内村」のことが出て来て、いっそう惹かれた。
  お宅を訪ねて、お会いしたことのある、秋元ソノ子さんのこと。(秋元美誉さんの奥さん)が、紹介されている。
  「秋元ソノ子さんは、子どもたちに継いでほしいと季節ごとに一年間の行事を書き出したノートを作っていた。そのノートから、秋元家では餅を年間になんと四〇回もついていたことがわかった。」
  秋元家が、川内村で唯一、全ての農業に関わる年中行事を行っていると、井手さん(観光協会長)から聞いていたが、そして、お宅を訪ねた時も、部屋に大きな鯉のぼりが掛けられ、大事にされているお孫さんの坊やが出て来てくれたことが思い出されるが、餅を四〇回もついていたとは。そして、ソノ子さんはそれを意識的に行っているお方なのだと、知って、尊敬の思いを新たにした。

  筆者は、「これは川内の宝物だよ。」と若者たちに語り、彼らは自ら「餅つき部隊」を結成すると張り切りはじめた。
  ということだが、それは、実現したのだろうか。

◎ 《漁村のなりわいの復活とは》

  海に生きる人々は、天災、戦災に巻き込まれつつも、それに向き合って生きてきた。
  (「海難供養塔」「漁船殉職者供養塔」「海之殉難者慰霊碑」がいたるところに立つ)

  海を暮らしとなりわいの場としてきた人々は、親しい人の海での死への痛みや悲しみの記憶を抱えながら生きてきた のだ。

  「そうしたことに思いを馳せることなく、誰も反対できない『命』を盾に、海岸線に沿って巨大な防潮堤をめぐらすという案が、どのような感受性や想像力に基づいて出されているのか。私には理解しがたい。
   津波だけを絶対化するからこそ、防潮堤などというハードの整備でよしとしてしまうのではないか。」

  ※ ずるく、住民への思いやる心のない、防潮堤一途の、政府の復興策であることか。

◎ 《木の碑という提案》

  筆者の、岩手県大槌町の高校生・吉田優作君への提案は、
  「碑を石ではなく木製にしてみたらどうだ?」ということだ。
  吉田君は、それを受けて、「3・11復興木碑設置プロジェクト」立ち上げた。
   (文字が薄れ、木が朽ちるたびに、何度も何度も書き直す。記憶するために、忘れないために、後世の人に同じつらさを味わわせないために。)

 ※ 「3・11復興木碑設置プロジェクト」で検索すると、若い人たちの頼もしい取り組みが沢山見られる。
     http://www.collabo-school.net/myproject/yoshida.html
     Facebookにも「3.11復興木碑設置プロジェクト」というコミュニティがある。

◎ 《ともに食べて楽しむこと 村の自治の原点》

 「支配者への言い訳」  農民は、八百万の神仏の加護がなくては米は出来ない、と言って行事を行ってきた。
  五日に一度は餅を食べたという古老の話 もある。
  宮城県の各市町村では平均して年に三〇~四〇回も、ハレの食事である餅を食べていた ということだ。

  事あるごとに神仏を祀り、家族や仲間ともに餅を食べてきたのだ

  これが村の自治の原点 であろう。

  東北の被災地のお母ちゃんは、支援を受けてばかりで忸怩たる思いを抱いていた。

  筆者の提案で、お母ちゃんたちのごちそうをつくって、ボランティアの人たちにお返しをする場をつくろう と、取り組む。
  (※ 筆者の提案は、冴えている)
  「肩の荷がおりたような気がする」という、お母ちゃんの感想が象徴的である。

  新しいハレの日、を作ろう
  小さな集いの茶飲み話の中から、知恵を出し合おう これが、筆者の更なる提案だ。

  みんなで作り、みんなで食べ、みんなで楽しむ  これだ

◎ 《 復興 地域づくり は 日本づくり 》

 「戦後日本の教育は、企業社会に入っていくための教育ばかりだったのではないか。
  地域社会でどう生きていくか、そのやり方はまったく教えられてこなかった。」

 ※ 全くその通りだ。「地域」こそ、生徒が主人公の民主的な教育の中心課題だ。
   企業社会=資本主義社会=消費社会 を 作るための教育になっている

  「バッタリー村」 岩手県山形村木藤古集落 木藤古徳一郎さん を紹介。
   「このごろ若い人たちがここを次々に訪ねてくるが、東京や都市で何か起きているのか」

  「この村は、与えられた自然立地を生かし、
   この地に住むことに誇りを持ち、
   一人一芸何かをつくり
   都会の後を追い求めず
   独自の生活文化を伝統の中から創造し、
   集落の共同と和の精神で、
   生活を高めようとする村です。」
    (「村の目標、バッタリー宣言」)
      http://www.e-tn.jp/battari/
      http://www.e-tn.jp/battari/html/gaiyo.html
      http://www6.ocn.ne.jp/~kono/BATTARY/index.html で見られる。

  金ではままならない自然を相手に、我々に代わって食べ物を作り育ててきてくれた人々
  それを金で買うことに慣れきった人々
   との絶望的な隔たり  という問題 に 直面している のだ

  「金で買う暮らし」  か  「自ら作る暮らし」   か

  復興とは、
  「やっぱりここはいいところ」 だから、 「もう一度ここで生きていく」 そう決意した人々によってこそ担われ、実現されるものだ。

  そして、
  被災地が抱える問題は、 全国の農山漁村が抱える問題であって、
  日本全体が抱える課題なのだ。

※ つまり、日本をどうするのか、の課題に、正対することになる。
  買う暮らし による人間をこのようにしてしまう生活から、 作る暮らしを 根付かせる方向への転換のことである。

  この大災害が、なくても 直面していた問題である。
  さらに、行き詰まった資本主義から脱出する未来への道筋でもあると思う。

コメント
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