● 小熊英二 「『父と私』韓国シベリア抑留者たちとの対話」を読んで (『世界』10月号)
須山敦行
※ 感情に溺れない、筆者の淡々とした書きぶりに好感を持つ。
『生きて帰ってきた男』の連載の時から感じていることだ。
他の執筆者も、このように分かりやすい文章を書いて欲しい。
韓国で制作された番組の為の、3人の韓国人抑留者と1人の抑留者の息子とのインタビューの記録である。
静かな、淡々として昂ぶりを抑えた文体が、現実をリアルに伝えてくれる。
そして、終わりに近く、インタビューを受けた韓国人、文龍植さんの「国家というのは何なのでしょうね」という問いに答えた、筆者の言葉は胸を打った。
●(本文より)
「国家というのは、人の集まりです。政治家だけでなく、あなたや私も、国家を作っている。あなたは、状況を少しでもよくしようと努めてきた。そういう行為が集まって、韓国や日本を含めた世界ができているし、一人一人の行為によって、それは変わっていくと思います」
それほど確認があって言ったわけではない。しかし、言葉が口をついて出た。文氏は、「いい言葉ですね。はげまされます」と答えた。
※ 私も励まされた。大切なことを飾らずにシンプルに語る、目の前の普通の人に向けて語るその語り口に、信頼を感じ、こうありたいと思う。
彼と共に、「状況を少しでもよくしようと努める」ように、生きていたいと思う。
私も「はげまされ」た。
●(本文より)
別れ際に、私はこう述べた。「私はこれから、父がいたシベリアの街を訪ねます。あなたは、お父様のいた場所を訪ねたいですか」。彼は「行ってみたいです。でも私は、仕事があって行けない」と答えた。私は、「人間の人生に意味を与えるのは、結局は人間です。あなたは、あなたの行為によって、お父さんの人生に意味を与えたと思います」と述べ、握手して別れた。
※ そして、筆者は、父の「人生に意味を与える」ために、シベリヤを訪ねる。
ラストは次のように締めくくられる。
●(本文より)
私には、父の声が聞こえるような気がした。「いまお前がいるところに、七〇年前に立っていたら、収容所が見える。俺たちが見えるはずだ」という声がだ。