● 川田文子 「鳥になって故郷に帰りなさい」を読んで
『世界』9月号 須山敦行
※ 『刻銘なき犠牲 沖縄にみる軍隊と性暴力』という連載の第一回目である。沖縄、慶良間の朝鮮人慰安婦の跡を巡るルポルタージュで、リアルで深く心に迫る内容である。
◎ 当時六歳だった吉川(喜勝)さんは、慰安所の朝鮮女性を見て
楊貴妃はきっとこんな女性だと白い肌の朝鮮女性の美しさに息をのんだ。
島の唐辛子を差し出すと喜ばれ、金平糖をもらった。
◎ 知念嘉子さんは、こう聞いた。
「女の人たちはいつでも泣いてるよ。お風呂に入る時も泣いてるよって、(新里さんの家の、同じ名前の)嘉ちゃんが話をするから、ああ、気の毒だなと思っていましたけれど」
◎ 知念嘉子さんの言葉。
ハルコ(日本人の源氏名を持たされた朝鮮人慰安婦の一人)の遺骨はその近くから掘り出され、白玉の塔に移された。その時、母はハルコに詫び、神ウマイを唱えた。
「ごめんなさいね。日本のためにこんな遠いところに連れて来られてこんなになって、鳥になって空を飛んで、故郷を探して帰りなさいね。お父さん、お母さん、待ってるから」と。
ハルコは親に五歳の女の子を預けてきていた。
※ どうしても涙してしまう。
ハルコの不幸に。悲運に。
そして、知念さんの母の心に。沖縄の人々の心に。
◎ 《平和の礎にも「慰安婦」の名は無い》
軍の機密保持のため行き先も知らされず慰安所に連行された多くの女性は、読み書きもできず、音信不通になっていたからだ。
ハルコの名は白玉の塔に刻銘されていない。本名不明のためだ。
糸満市摩文仁の丘の平和の礎にも「慰安婦」の刻銘はない。
※ 敵も味方も沖縄戦で死んだ人は全て刻銘されている、平和の礎に、朝鮮人慰安婦の名は刻銘されていないというのだ。初めて知った。
平和の礎の礎を何故、そう読むのかもハッキリ知らなかった不勉強なので、仕方がないか?(「いしじ」は「いしずえ」の沖縄方言)
ネットで、この問題を調べてみると、朝鮮人の側では「恥辱の証になる」ということで拒否しているということもあるようだ。沖縄の行政として、平和の為に、真摯に取り組む姿勢が、県政の転換などで、回り道した事情もあるようだ。あの戦争の加害、被害をどう捉え乗り越えてゆくのか、大切な課題を、まだ残しているということだ。何よりも加害者の国、日本、そして被害者である、中で、明日の揺るがぬ平和の為に、取り組む課題は多く残されているのだ。
『世界』で、学び続けることが必要だ。
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