東北大学名誉教授、元公立築館病院院長などの肩書きを得たが、弔辞、遺族挨拶から、同門の血液学の先輩という近さから、自身のあり方を考えるきっかけを得た。
弔辞を読んでもらえる人がいるか?思いつかない!……簡素な葬儀で、間違いなく一族の墓にいれていただき、そこから新紀元を祝福された戒名(宗教は仏教で会派は曹洞宗に属しています)をまとい永遠の世界への旅立ちが出来たら、最も幸せな臨終と思えた。
宮森先生と同級の恩師:宇塚善郎先生は、ライフワークとして鉄代謝とか看護教育に心血を注がれ…などという弔辞を聞いて、自分が仕事を続けてきている原動力はなんだろうと考え、ライフワークとして仕事を続けてきたわけではない。患者を治したいだけから続けている、とのことであった。
患者を治したい!先生の一言は、30年におよぶ身近で研究生活を続けてきた私としては、そのことだけで、毎日患者のデータを確認し、顕微鏡で標本を確認し、回診し、外来診療を続け、名声を得たいというのとは違う、心の底から患者を治したいためだけに臨床医としての研究生活を続けているのだということが実感できる。
名声を欲していたら、評価される事柄の発表を優先させていたら、論文沢山で違った展望であっただろう。でも、先生は患者と対面しながら、ひとりひとり治すために、不明なことを毎日調べ勉強し解決する道を選んだ。
再発して長期寛解を得た患者と、診察の雑談で、
「最近はすっかり柔和になったね。再発したときは、すねて直せない医者めとおっかない顔つきだったけど。」「うらんでいたのではなく、顔が引きつって表情がなくなっただけです。」種々談笑ををまじえながら「死んだとき、極楽に向かおうと思っていると先に行っている患者から、治してくれないでと突き落とされる夢を見る。」「先生それは、うらんでではなくて、もっと助けてあげなければいけない人がいるから早く来なくていいと押し戻しているだけです」「治せなくてとうらんでいる患者なんていません。一生懸命やってくれているのはわかるんですから。もっと助けて上げてからで遅くないので早く来なくていいと思っているからです。」
別の初回寛解から2年以上経過して、いままでぶすっと感謝らしい一言もなかった人が、生きていられることをありがたいと思っていますと。
診察の合間の会話で、人間の生死の極限を見つめざるを得なかった人の真相を学びます。
全員治してあげたい、現状では治せない病気も何とかしたいといつも真剣に考えているので、治せなかった落胆は大きいのだなと、わが恩師宇塚善郎先生の日常の言動を慮ったのでした。