私達調停員が参加する家事調停制度は昭和23年に発足し64年の歴史を重ねて参りました。
民間人が裁判所で紛争解決に関わる画期的な制度と言えます。
裁判員裁判で民間人が関わることに様々な課題が浮き出て来ましたが調停委員制度は、長期間の葛藤で磨きをかけ今に至ります。
今日は原爆ドームの見える広島平和記念公園内の広島国際会議場で表題の広島大会に参加いたしました。今日の大会テーマは、子供を持つ「夫婦関係調整事件」における、「子どもの笑顔をとりもどすために」でした。最初の基調講演は離婚した後、親と離れて暮らす状態になった子供のその後を調査研究している大学教授の講話でした。(写真は資料)
家事調停委員として何百件もの夫婦関係調整事件に携わって来ました。
特に昨今は、3組に1組が離婚する確率となっているようです。インフラ整備やネット環境などで合理化社会が浸透し、価値観の多様性が要因のひとつとも思えます。
惚れた晴れたのラブラブで結婚し、子供までいる夫婦に離婚の危機が訪れた時の修羅場が。「可愛さ余って難さ百倍」の格言がありますが、愛し合った時期があった家族だからこそ、他人になる際の葛藤は、筆舌で表せない状況となります。しかしながら夫婦の離婚は、少なからず、何の責任もない子供を巻き込むことになります。
家庭裁判所では、あくまでも「子の福祉に供すること」が前提です。
今日の懇談会で過去事例の紹介ありました。
4歳の娘を引き取って離婚した母親に、物心がついた頃に娘は、父親のことを尋ねました。
母親は娘に「お父さんは再婚して別な家庭があるのだから」と伝え、暗に父親との合わないことが最善だとする意志を伝えます。
娘もそれを忖度して以後は父親のことを心の中からすっぽりと抜き取れていたそうです。
その娘も結婚し、二人の子供に恵まれて幸せな家庭を築いていた矢先に、実父の弟と言う人から「父親が亡くなった」と知らされます。
しかもその亡くなった父は、常に娘の写真を胸にあて、片時も娘を忘れることは無かったと聞きます。たった一人の自分の実父を自分は、母から「再婚している」の言葉がインプットされた以後、父を思ったことは一度もなかったと。その自分自身を、何とも非情な人間だと思って号泣するに至ったと言います。
「子の福祉に供すること」との原則を逸してしまったケースと言えそうです。
この娘さんは、憔悴しきった心情も、自分の夫や子供に励まされ、しだいに亡くなった父を遺影の中で大切して行こうと誓って立ち直ります。しかし、マインド環境が整備されていないままだったら心の傷は広がっていたことでしょう。
大人は離婚でも何でもすればよい、しかし将来を担う子供の心を傷付けない配慮が絶対条件なのでしょう。平和都市宣言をしている広島で多くを学びました。
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裁判員裁判で民間人が関わることに様々な課題が浮き出て来ましたが調停委員制度は、長期間の葛藤で磨きをかけ今に至ります。
今日は原爆ドームの見える広島平和記念公園内の広島国際会議場で表題の広島大会に参加いたしました。今日の大会テーマは、子供を持つ「夫婦関係調整事件」における、「子どもの笑顔をとりもどすために」でした。最初の基調講演は離婚した後、親と離れて暮らす状態になった子供のその後を調査研究している大学教授の講話でした。(写真は資料)
家事調停委員として何百件もの夫婦関係調整事件に携わって来ました。
特に昨今は、3組に1組が離婚する確率となっているようです。インフラ整備やネット環境などで合理化社会が浸透し、価値観の多様性が要因のひとつとも思えます。
惚れた晴れたのラブラブで結婚し、子供までいる夫婦に離婚の危機が訪れた時の修羅場が。「可愛さ余って難さ百倍」の格言がありますが、愛し合った時期があった家族だからこそ、他人になる際の葛藤は、筆舌で表せない状況となります。しかしながら夫婦の離婚は、少なからず、何の責任もない子供を巻き込むことになります。
家庭裁判所では、あくまでも「子の福祉に供すること」が前提です。
今日の懇談会で過去事例の紹介ありました。
4歳の娘を引き取って離婚した母親に、物心がついた頃に娘は、父親のことを尋ねました。
母親は娘に「お父さんは再婚して別な家庭があるのだから」と伝え、暗に父親との合わないことが最善だとする意志を伝えます。
娘もそれを忖度して以後は父親のことを心の中からすっぽりと抜き取れていたそうです。
その娘も結婚し、二人の子供に恵まれて幸せな家庭を築いていた矢先に、実父の弟と言う人から「父親が亡くなった」と知らされます。
しかもその亡くなった父は、常に娘の写真を胸にあて、片時も娘を忘れることは無かったと聞きます。たった一人の自分の実父を自分は、母から「再婚している」の言葉がインプットされた以後、父を思ったことは一度もなかったと。その自分自身を、何とも非情な人間だと思って号泣するに至ったと言います。
「子の福祉に供すること」との原則を逸してしまったケースと言えそうです。
この娘さんは、憔悴しきった心情も、自分の夫や子供に励まされ、しだいに亡くなった父を遺影の中で大切して行こうと誓って立ち直ります。しかし、マインド環境が整備されていないままだったら心の傷は広がっていたことでしょう。
大人は離婚でも何でもすればよい、しかし将来を担う子供の心を傷付けない配慮が絶対条件なのでしょう。平和都市宣言をしている広島で多くを学びました。
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