豊かさを求める 会長日誌

家づくりと言う事業を通じ、多くの人々の人間模様を綴ります。

私達が戴いた時間は命です…函館市~北斗市

2014-10-06 17:43:46 | ファース本部
昭和42年、私が21歳の時でした。
函館から連絡船に乗り青森に渡り、夜行列車と18時間を掛けて上野に着いたときのことが思い浮かべられます。
中卒で飯場暮らしのトビ職となり、この年に東京で今の福地建装をつくりました。
親戚で親友でもあった小川徹雄君が春休みを利用して東京から迎えに来てくれたのです。
私より一歳年上で彼は東京外国語大学の学生でした。

彼と一緒に上京し、千葉県市川市本八幡駅の近くに、4畳半一間の4つ連続きのアパートを借りることが出来ました。
それから5人の仲間を呼び寄せ、仲間が上京するまでの一週間、小川君と一緒にそのアパートで自炊や自立をする準備を行ったのでした。

小川君は、外語大学卒業後、建設機械メーカーに就職し、その語学を生かしてアメリカ支社に駐在するため渡米し、十年近くの期間、アメリカに住んでおりました。
その後、国内の乳幼児用品メーカーからヘットハンティングされて受け帰国します。
努力家だった彼は、途中採用のハンデを乗り越え、順調に成果を残して取締役になり、一部上場企業の専務にまで登り詰めました。

順調に人生をステップアップする彼と異なり当方は、トビ職の家業から建築の仕事にシフトしたものの、一進一退の苦難を辿っておりました。
何とか企業としての形は為してきたのですが、小川徹雄君とは何度も企業経営について議論を交わした事があります。
現在に至るまで彼の影響はとても大きいものがありました。

彼は還暦を過ぎて間もなく、専務のまま後進に道を譲ると言ってリタイヤし、月に数回の出社で顧問役、残りの日々を、ゴルフ三昧の日々を楽しんでおりました。
彼とは、語学堪能な彼と一緒にインドとエジプト旅行を挙行しようと話をしておりました。
その彼が健康診断で自覚症状もないまま、膵臓ガンの末期だと告げられ入院し、あっと言う間に逝ってしまったのです。

末期ガンを宣告され、家族に対しては、早く逝く事になった無念さを語っていたそうです。
人の寿命は年齢どおりなどでありません。
今日は長い会議の合間に資料を取りに戻り自分の机の袖に入っていた小川君と一緒に撮った写真が。
「毎日を悔いなく充実した日々を送りなさい」と彼から言われているように思います。


今日は全社員ミーティングでしたが、彼らにも一秒一分の大切さを伝えて行きます。
台風が通り過ぎ、青空も見えてきたようです。
写真はかなりむかし撮った撮ったものです。
さて、今夜はこれから懇親会です。

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2014-10-06 17:43:46 | ファース本部
昭和42年、私が21歳の時でした。函館から連絡船に乗り青森に渡り、夜行列車と18時間を掛けて上野に着いたときのことが思い浮かべられます。
中卒で飯場暮らしのトビ職となり、この年に東京で今の福地建装をつくりました。
親戚で親友でもあった小川徹雄君が春休みを利用して東京から迎えに来てくれました。
私より一歳年上で彼は東京外国語大学の学生でした。

彼と上京して千葉県市川市本八幡駅の近くに4畳半一間の4連続きのアパートを借りることが出来ました。それから5人の仲間を呼び寄せ、仲間が上京するまでの一週間、小川君と一緒にそのアパートで自炊や自立する準備を行ったのです。

小川君は、外語大学卒業後、建設機械メーカーに就職し、その語学を生かしてアメリカ支社に駐在するため渡米しました。十年近くの期間、アメリカに住んでおりました。
その後、国内の乳幼児用品メーカーから管理職待遇での入社要請を受け帰国しました。
努力家だった彼は、途中採用のハンデを乗り越えて順調に成果を残し、管理職から取締役になり一部上場企業の専務にまで登り詰めました。

順調に人生をステップアップする彼と異なり当方は、トビ職の家業から建築の仕事にシフトしたものの、一進一退の苦難を辿っておりました。
何とか企業としての形を為してきたのですが、小川徹雄君とは何度も企業経営について議論を交わした事があり、現在に至るまでに彼の影響はとても大きいものがありました。

彼は還暦を過ぎて間もなく、専務のまま後進に道を譲ると言ってリタイヤし、月に数回の出社で顧問役、残りの日々を、ゴルフ三昧を楽しんでおりました。
彼とは、得意な語学堪能な彼と一緒にインドとエジプト旅行を挙行しようと話をしておりました。その彼が健康診断で自覚症状もないままに膵臓ガンの末期だと告げられ、今月になって入院し、あっと言う間に亡くなったと言う事です。

直接、医師から末期ガンを宣告され、ホスピスに入り、死の寸前まで家族に対して早く逝く事の無念さを語っていたそうです。人の寿命は年齢どおりなどでありません。
「毎日を悔いなく充実した日々を送りなさい」と彼から言われているように思います。
自分の机の袖に入っていた小川君と一緒に撮った写真が、そのように言っているようです。

さて、今日は全社員ミーティングでしたが、彼らにも一秒一分の大切さを伝えて行きます。
台風が通り過ぎ、青空も見えてきたようです。写真は昨日撮ったものです。
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