豊かさを求める 会長日誌

家づくりと言う事業を通じ、多くの人々の人間模様を綴ります。

三木露風の赤トンボ…北斗市

2010-10-26 17:20:24 | ファース本部
夕焼け、小焼の、赤とんぼ、負われて見たのは、いつの日か。
山の畑の、桑の實を、小籠に摘んだは、まぼろしか。
十五で姐やは、嫁に行き、お里のたよりも、絶えはてた。
夕焼け、小焼の、赤とんぼ、とまっているよ、竿の先。(作詞 三木露風)

次は三木露風の随筆(一部略)です。


これは、私の小さい時のおもいでである。「赤とんぼ」を、作ったのは大正十年で、處は、北海道函館附近のトラピスト修道院に於いてであった。
或日午後四時頃に、窓の外を見て、ふと眼についたのは、赤とんぼであった。
静かな空気と光の中に、竿の先に、じっととまっているのであった。
それが、かなり長い間、飛び去ろうとしない。
私は、それを見ていた。後に、「赤とんぼ」を作ったのである。
家で頼んだ子守娘がいた。その娘が、私を負うていた。西の山の上に、夕焼していた。
草の廣場に、赤とんぼが飛んでいた。それを負われてゐる私は見た。
そのことをおぼえている。北海道で、赤とんぼを見て、思いだしたことである。
子守娘は、里へ歸った。ちらと聞いたのは、嫁に行ったということである。


三木露風が幼い頃に、お手伝いさんの背中におんぶされ、その背中から見た夕焼けの空に舞う赤トンボの姿だったのでしょう。
そして背負ってくれたお姉ちゃんを慕っている想いが込められているようです。
三木露風はこの随筆から、かなりのお金持ちの息子でありながら、決して幸福感に浸ってはいない悲哀を謳ったように思います。

この想い出を創ったのがファース本部の在る北斗市、西端に位置するトラピスト修道院です。
写真は、孫の穣太郎ですが三木露風の「赤トンボ」作詞記念碑の前で撮りました。
幼年期のふとした想い出が歴史に残る童謡となるのですね。

三木露風は赤トンボとの一期一会を詩にしました。
今日は何組かの方々の来訪がありました。
人との出会いはものまた大きな可能性に繋げる機会なのでしょう。
今日は初雪が降った北斗市でした。
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