19日に白楽天の楊柳枝 其三を紹介していたけど陶淵明や白楽天だけでなく中国の詩には早春の情景として柳がよく出てくる。
柳の芽吹きを金色と表現しているものがあるのだけど、どうみても緑が強くなるんだよね~なんて思っていた。
でも今日、陽光の元でその芽吹いている柳の枝が本当に金色に見えて初めて中国の詩人たちの言っていることがわかった気がした。
暖かい春の風が頬をなで、
ふっと通り過ぎて柳の枝を揺らす、
中国の冬は一晩で春の日に変わるってよく言われる。
白楽天の府西池も
春風春水一時來で終わっている。
これは韓国でも同じことらしいけど、春を待つ中国の人には
目覚めたら春だったというのは嬉しいことなのだろう。
どちらがいいのかな、
一日、一日薄い水彩で一刷毛一刷毛、灰色のキャンバスが、茶色それから赤、そして緑を含ませていき、命が再生しているような風景を見ているのと。
私は日本の芽吹きのころしか知らないけど、毎朝山を見て、そのわずかな変化を知ることが心弾む経験であることもまた事実だから。
柳の芽吹きを金色と表現しているものがあるのだけど、どうみても緑が強くなるんだよね~なんて思っていた。
でも今日、陽光の元でその芽吹いている柳の枝が本当に金色に見えて初めて中国の詩人たちの言っていることがわかった気がした。
暖かい春の風が頬をなで、
ふっと通り過ぎて柳の枝を揺らす、
中国の冬は一晩で春の日に変わるってよく言われる。
白楽天の府西池も
春風春水一時來で終わっている。
これは韓国でも同じことらしいけど、春を待つ中国の人には
目覚めたら春だったというのは嬉しいことなのだろう。
どちらがいいのかな、
一日、一日薄い水彩で一刷毛一刷毛、灰色のキャンバスが、茶色それから赤、そして緑を含ませていき、命が再生しているような風景を見ているのと。
私は日本の芽吹きのころしか知らないけど、毎朝山を見て、そのわずかな変化を知ることが心弾む経験であることもまた事実だから。