夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

いすみ風景   080309

2008年03月10日 13時25分02秒 |  岬な日々


山のはを出づる朝日のかすむより 
   春の光は世にみちにけり
         西園寺実兼


朝日が顔を出し、あたりを照らし出す
眠りから覚めたビーナスが
春風に乗って物憂げに天空へと戻っていく
薄絹の裾裳がさ~っと目の前から消えていき
野原がおずおずと顔を出す



この時期、春霞に満ちた日の出の一瞬
野原では冬と春の花々の交代がひっそりと繰り広げられています。
急ぎ散り落ちるものもあれば



まだ、ひっそりと存在を示しているものもあります



本来なら、もう終わりになってもいいはずのものが、その盛りを誇示しているのも



私みたい?
いえ、私はもうそれほどのエネルギーは持ち合わせていませんよ、



彼女らはあきれるほどに元気よく



次へ来るものに、まだ自分の存在を主張していました。
でも、確実に時の歯車は回っています。



次へ来る世代へと



これは生き物にはどうにもならない自然の摂理なのでしょう





修理に出していたカメラとレンズが帰ってきました。
サポートの受付では、ピントがおかしい、露出レバーもおかしいかもということでしたけど、工場では異常なしとのことでした。
千葉県いすみ市でカメラテストです。


何とかしてあげたいよね~ 原爆症、認定待ちが2000人超す

2008年03月10日 09時13分07秒 |  これがまあつひのすみかか我が日本
原爆症:認定待ちが2000人超すという記事が毎日に出ていた。


原爆の翌日に父親の遺骨を探しに爆心地に入ったから、新しい審査基準は満たしているのだろうけど、私は幸いなことに症状が現れていないので、原爆症の審査を申請したり、健康手当てを申請したりしたことはない。
今までかかった幾つかの病気も、場合によっては原爆の影響ということで区分されるのだろうけど、自分としてはあくまで原爆症ではないと思いたいという気持が強い。

だから隠れていた原爆症が見つかるなどということが恐くて、被爆者検診に行ったことがないし、職場の健康診断にも行かなかった。
もし発症したらもう打つ手がないのだから、それならその段階で諦めればいいって感じが強かったのかな。

でも、子供のときから、身の回りで、ある日突然原爆症と診断され専門病院(原爆病院)に入院となり、治らないままに長い人は何年もただひたすらに苦しみながら死を待つ人々を見てきている。自分もある日突然にこのような人の仲間になるのかもしれないと思いながらの一生だった。

これらの人々は原爆症と診断を受ける前から、体の不調を訴え、人と伍して社会生活ができないなど、健康でも、経済的にもそして精神的にも、苦しみ、ハンディを持っている人たちなのだから、同じ被爆者としてはなんとかこの人たちに救済の手が差し伸べられないかなと切実に思う。