夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

カテゴリー 「求める魂と与える心」を追加しました

2010年08月29日 10時32分59秒 |  求める魂と与える心


今まで、小さな仲間のことに触れたカテゴリーとして「私の小さな恋人達」と「ボクと おいちゃんとときどきおねえ」を作っておりました。

「私の小さな恋人達」は子供のころから実際に私の周りにいた子供達。山羊や猫、犬達の話。みんなあっちの世界に行って、追憶の話です。
写真も最近の写真を当て込んでおりますので、当時の彼女達の写真ではありません。
もう、過去の話。これからこのカテゴリーがどんどん増えていくとは思われません。
たぶん少し手を入れて、完結と言うことになると思います。

「ボクと おいちゃんとときどきおねえ」は、今、私のそばにいるチビ太の話。2010年の5月に縁があって一緒に生活するようになった子の話です。
こちらは追憶ではなく、現実の毎日のどたばた。「小さな恋人達」とは違った視点からのお話です。

でも、私の周りにはたくさんの猫好き、犬好き、そしてそのほかのもろもろの動物好きがたくさんいて、いろんなお話を聞いております。家の子達ではないけれども、その子たちの、心温まる、愛しい、悲しい話、そんな話も紹介したいと「求める魂と与える心」などという堅苦しい名前のカテゴリーを作りました。
今までカテゴリーがなかったので、「小さな恋人達」の中に入れていたいくつかの話は順次こちらに移動いたします。



犬にしても、猫にしても、野良で育ったものは人間が怖いはずなのです。
それがお腹が空いて死にそうになったり、病気で苦しくなって、必死の思いで その恐ろしい人間に救いを求めてくる。

チビ太も一番最初に会ったときはお腹が空いて、よろよろして、私の差し出す猫の餌をぱくついておりました。今ではドッグフードさえ、不味いって文句を言っておりますけど。

小さな恋人に出てくる、最初の猫。まだ乳離れも済んでいないような子猫でしたが、冷たい雨の降る日にずぶぬれになりながら、私の後をよたよたと、必死でついてきました。抱き上げるとしっかりとしがみついてくる。下宿している学生の身としては、どうしたら救えるのか、難問が一杯ありましたが、目の前の子を見ていると、どうしても放置できませんでした。

でも、求める魂が救いを待つ犬や猫だとは限りません。与える心が彼ら、彼女らであることも、一緒に住んでみるとよくわかること。
チビ太の日記にも書いています。引きこもり防止のため、体力を保持するための散歩を続けるために、写真を撮り、日記をアップしておりますけど、それもだんだん限度かな~って思い始めたころにチビ太に会いました。
それからというもの多少不調でもチビ太のために、朝夕の散歩は欠かせなくなりました。
運転にだんだん自信がなくなってきたこのごろ、チビ太を後ろに乗せた東京といすみへの往復。運転が目に見えておとなしくなってきました。急ハンドル、急加速、急ブレーキ、、、そんな運転では、チビ太が後ろでこけちゃうのでね。
「ときどきおねえ」のおねえも、犬は飼ってみたかった。飼うならゴールデンか柴。でもゴールデンは大きすぎる、、、、ってことで、芝を飼ってみたいけど、経験がないから不安ということで躊躇しておりました。
強引に押し付けた形になって、申し訳なかったのですけど、柴なら最悪よりもいくらかましな条件でした。なんせ、多摩川で柴を散歩させている人たちや、ドッグカフェのママ、そして獣医さんも、血統書つきの犬だったはずって太鼓判を押してくれるくらいの、私にも純血種にみえる柴ですのでね。
フィラリア、強陽性ってことで、ずいぶん心配をさせてくれました。最初のアナフィラキシーの危機は回避できましたが、これからフィラリアの屍骸が血管にたまると急を要する事態になるという警告を受けていますので、まだまだ心配は絶えません。
でも、単調な日々に、一つの刺激を与えてくれたことは事実ですよね。
そして、いすみの我が家ではチビ太は、忠実に番犬の役を買って出てくれています。
もっとも、私の方は、獣医さんや、犬舎、リードや餌、、、目減りしていく財布を見ながら、暑い夏を、ひんやりと涼しく過ごしておりますけど。

でも、このような子達を見て、その親達を見ると、その間の強い絆がとても美しいものに見えるし、
人間が弱い動物を一方的に助けてあげているのではなくって、助け、助けられているんだって思います。

そんな話ができるといいですけど。




                    2010年8月29日