石巻や被災された方の状況はなんどか、そして3月21日、22日、24日の写真は私のブログの方で紹介していますけど
知人がニューヨークタイムズに紹介された、衛星写真による津波の前と後の写真のアドレスを紹介してきました。
これは日本ではあまり知られてはいないのじゃないかなと思いますのでこちらに紹介します。
写真の真中のグリーンのレバーを左右に動かすと、津波の前と後の状態が見られます。
津波の前・後 ミューヨークタイムズ電子版より
また、同新聞がまとめた被災地の写真はこちらに
この花、バラ科の植物のようですけど、なんじゃろな~
もっとも、バラの親戚なんて言っても、サクラ、ウメ、モモから、イチゴ、リンゴ、ビワ、アーモンド、おまけにハマナスなんかも、ご一統様だから広いんですよね。
ニコンD300にシグマ マクロ105mm DG F. 2.8
こちらは蕊の部分をトリミングしたもの
おまけ
福島原発からの放射能漏れ、いつまでつづくのでしょう。
原発の状態がこれ以上悪くなることはないのでしょうか、
あるいは、汚染がこれ以上深刻になることはないのでしょうね。
そして、その影響はいつまで残るのでしょうね。。。。
実質的な被害もあるし、とにかく「怖い」の風評被害もある意味もっと深刻かもしれませんね。
関東大震災のときにもデマによる被害が大きかったし、長崎でも100年は草や木も生えないなんて言われていたりして。
昔の長崎の原爆記念日の日記に、夾竹桃の花を載せた記事を書いたことがあります。幹が被爆して枯れてしまったように見えた夾竹桃が、翌年には芽を出し、花をつけたことをご紹介したことがありますよね。
その花を記憶に焼きつけるにはまだ幼すぎた私ですけど、なぜか夾竹桃にはその生存力よりも、「まがまがしさ」みたいなものをふと感じてしまうのです。
今は、健康に影響を及ぼす瞬間的な被ばくとか、継続的に汚染を受けていたときの安全限とかが問題にされているようですが、長崎で被爆した私が一番心配したことは、子孫への影響でした。父は被爆と新生児の心臓奇形を研究しておりましたので、余計にそうだったのかもしれません。
物心ついてから、大人になるまでには、自分は原爆症を発症して、病院のベッドで何年も苦しむのだろう。そしていずれは死ぬんだからって、私本人のことは子供心に妙に諦めてしまっておりましたので、不思議とそれほど気にならなかったのです。
ところでトップの菜の花。
チェルノブイリでは、汚染された土壌を浄化するために菜の花を植えて、汚染物質を菜の花に吸い上げさせ、油に集まったものを集めて処理するなんてプロジェクトがあるようです。
いすみ市あたりでは、大規模な菜の花畑はありませんが、いすみ鉄道は桜と菜の花が有名。菜の花が咲きだすころにはいろいろなイベントが開かれます。
厳しい冬が終わり、春を告げるあの優しい菜の花。
それが、人間の不始末の後始末をさせられているなんて、なんともやり切れませんけど。