夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

写真

2011年09月16日 08時32分34秒 |  姥捨て山は大騒ぎ


飛びものは飛んでなきゃってよく言っておりますね。
私の写真は目に触れたものの印象。

図鑑的に正確な写真を撮るのであれば、花であっても、花、それを支える額、茎、葉、そして葉のつき方、、、、盛り込まなければいけない約束事がたくさんあります。
鳥も、その種の特徴をどう現すかが問題ですよね。

でも、悲しいかな私には植物にも、動物や鳥、昆虫にもまったくの素養がありません。図鑑的な写真を撮るための準備がない。

ということで、好むと好まざるとを得ずに、「印象」ってことで逃げなければならないのです。
だから、鳥だって、花だって、面白いと思えば元の被写体が分からなくなるほどの超クローズアップだって私的には「あり」ですね。
なんせ、飛んでいる鳥の目玉の中に写している私の姿が撮れないかな~なんて思ったりするくらいですから、、、

写真を復活したのも、散歩を続けるために付加価値が欲しいということでした。
寒い時、暑い時に、健康のためとは言いながらあの苦行者みたいな散歩を続けていくためには、写真を撮るって別な楽しみが必要だったからです。
それも少し萎えてきたな~っと思い始めたときに、チビ太がやってきてくれました。チビ太を散歩させなきゃって別な意味が加わりまして、だいぶ助かったのです。

でも、チビ太には可哀想ですが、発作以来、散歩ができなくなりました。
写真を撮る意味もなくなってきているんですね。

出歩きが少なくなったということは、写真どころか、日記の題材にも事欠く始末。

知人たちからは、新しい日記は、あなたが生きている証拠って言われていますし、彼らが言うように、会えないのですからね~ 生きてますよ~ってメッセージだけでも発信し続けてないと。

メモと言っても、こんな花が咲いていました、あんな鳥がいましたっていうスナップ的なものもありますけど、私のは、花の蕊だけ撮ってみたりとか、ある意味、マスターベーションでしかありませんね。
ただ、暗闇に烏であっても、その日の日記が書けて、それに何かを付けることが私には意味があるので。

でも、何もないときに日記を続けていくというのも、難しいですね~




今日の写真は昨日の鴨川からの帰り、大原の漁港に立ち寄ってみた時のものです。