岬町を終の棲家と決めてこちらにいるのですから、土地のことも少しは知っておかなければ恥ずかしいなんて殊勝な気持ちが芽生えてきて、、、なんて、ほんとかな~?
隣町に、上総の一宮である玉前神社があるのです。
疑問の一つは、なぜここに一宮があるのだろうってこと。
上代には内房よりの市原市が上総の中心だったとおもうのだけど、そこに一宮ではなく、離れた太平洋側に一宮があるという理由が分からないのです。
「大和は国のまほろば」でも書いておりますように、昔は奈良からの国道は東京あたりが湿地で通れなかったので、焼津あたりから船を仕立てて上総に入った、海の道、だから東海道なのですね。焼津という地名自体が、もともとは小野と言う名前だったのに、この中に書かれていた弟橘姫の「さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問いし君はも」と言う詩から名前が変わったのだって、、、、古事記は言っておりますな。
だから奈良に近いこちらが上総になり、今の東京に近い方が下総になるのですね。そしてその船の付く方に上総の政庁があったのですが、一宮はそこからずっと離れたところにあるのです。何か理由があるはずですよね。それを知りたい。
もう一つは、玉前神社では8月の満月のときに月見の宴が開かれる。
今年の月見の宴をご近所の方がアップされておりました。
この宴は、海から昇る月を愛でながらということになっているのですが、、、
いつ頃からこの行事が始まって、何日をその宴の日に決めるのかなってのが次の疑問。
玉前神社の祭神が海の神の娘である玉依姫尊(日本書紀、ちなみに古事記では玉依毘売命)だから、玉前神社の行事が海に関係があるものが多いのは理解できるのですけど、、、
月を愛でる宴なんてのは普通は空気がもっと澄んでくる9月以降に行われるのが普通ですよね。仲秋の名月や七夕も旧暦でやると9月以降になる。
もしかしてこれは月の出の時間と関係があるのかなとも思うのですが、はっきりしたことが分からない。
細かいことだけど、今年の月見の宴が8月3日というのも、満月であることを基準にして日をきめると、今年は8月2日だったし、(たしかこの日の満月はアップしてましたよね) 旧暦の6月15日も8月2日だった。もっとこんがらがるのは月齢の15日は8月3日だったということ。日にちを決める要素は満月であるか、旧暦の15日であるか、月齢の15日であるか、、、それによって、対応する日がそれぞれ違うのですね。
こちらでは旧暦でも、満月でもなく月齢の15日をとったと言うことなのでしょうね。確かに旧暦の15日と満月はずれることが多い(たまたま今回はずれてないけど、この次の満月である8月31日は旧暦で言えば7月14日にあたるのですね)
ちなみに仲秋の名月である旧暦の8月15日はたまたま満月(月齢は14日)になり、今年は9月30日にあたります。
このくらいになると月も綺麗になるのですけどね。