夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

怖~い

2012年10月12日 18時39分50秒 |  岬な日々


今日の夕方のチビ散歩。
チビ太は近くの犬に噛みつかれそうになってしょんぼり。
そして私は、帰りしなに、ほんの4,5メートルの所でうっ、ふ~って言う猪の威嚇の声に驚かされ、、
先日、お姿を身近に拝見させていただいているので、余計に怖かった。
親子ともども、散々でした。

ところで、チビ太。
猪があんなに近いところにいたのに、おまえはなぜ気がつかなかったんだ。
柴犬、失格だよ!

柿酢

2012年10月12日 18時11分51秒 |  食べるために生きる


柿酢を作ろうと思い立ちました。
私の育った家には子供の背丈ほどの甕がずらっと並んでいて、一方には梅干し。もう一方には柿酢が入っていました。
私はそれで育ったので、どうも売っている酢が駄目なんです。
特に関東のきつい酢はだめ。

なら作ってみればっていつも思っていたのですけど、柿の木がたくさんあるわけじゃないし、諦めておりました。

岬の家も柿の木はない。
でも、チビ散歩の途中の持ち主が来なくなった別荘には柿がたわわになっている。いくつかの持ち主には庭になっている花や果実はご自由にって言われているのですよ。だから散歩のおりに少しづつ採って来れば作れるじゃない。。。
なのです。

今日はまだ4個だけ。毎日この瓶がいっぱいになるまで、柿をもいできましょう。作り方? そんなもん、上手くできましたらご紹介しますよ。
出来上がりは来年か再来年か、、、

それよりも、ついでに柿の枝も少し折って来て、柿で染めてみましょうか。
柿は媒染はいらないって聞いています。日に当てるだけ。なら簡単じゃん。なんちゃって。

それがうまく行ったら、一面に生えているヨモギとか、セイタカアワダチソウとか。少しは草刈りの一助になるでしょうし、、、、

なんて、、、
予定を立てはじめると言うのは、先がないと言うことかしらね~

D7000 キタ~

2012年10月12日 13時31分35秒 |  デジカメ練習帖


先日来、D300の後継が欲しいって騒いでおりました。
D300、シャッターを切った回数が10万回を越えて数万回は行っているはず。
そろそろ耐久期限なんです。

D300のDXサイズというのは、レンズをつけた時に焦点距離が1.5倍になる。そんなこともあってDXサイズの後継と言うのを考えていたのですが、D300やその後のD300sには結局後継機種が出ませんでした。その代わり、ワンランク下のD7000というのが数値的にはD300を越えた形で出ていたのですね。

ランク落として、D7000を買うのか、この際フルサイズにステップアップして噂のD700の後継機種を狙うか。D300のユーザーたちは楽しい苦渋の選択を迫られていたんです。

D800は、311とその後のタイの大水害で工場が稼働しなくって、噂よりも1年半以上遅れてやっと出てきたのですが、これがまた、今までのD700とは全く異質な物。異常にに大きな画素数になっておりました。これまた嬉しい驚き。でも、そこまでの画素数がいるのかって疑問の方には、すぐにD600という機種が新しく出てまいりました。フルサイズの入門機ということなのでしょうね。

さぁ、どうしましょう。D7000? D800あるいはD800E? それともD600?
なんて皆、夜も眠られないほどに悩んだと思います。

ところがところが、DXサイズの新型が発売になりました。D300の後継と言うこと、DXサイズの利点なんてことを考えると、やはりこのサイズは一台抑えなければ。。。
新型は数値だけを比べればD7000よりも優れているのです。ただこれは入門機。数値には表れない様々な面でD7000よりは落ちるはずなんですね。
大きくなった画素数や最新の処理エンジンをとるか、値段的には変わらなくなったD7000にするのか、、、、
おいちゃんは夜も昼も悩んで悩んで、、、、楽しい日々でした。

そんな時にアマゾンからD7000の特典販売のお知らせ。
気がつけば、右手はなんだか分からすポチッってしてしまいました。

さて、D7000の初陣が迫っています。(いやこれで急いでいたのも事実なんです)
今回は、いつもの私の撮影スタイルとは違うやり方がこのカメラでは可能なんじゃないだろうか、、、、って欲を出しています。

被写体は全体に明るくはあるけど、強いスポットライトが当たった物で、コントラストが非常に強いもの。
例えば ISOのセッティング。今まではせいぜい400。緊急時に800くらいしか使っておりませんが、このカメラには1600.もしかしたら3200を使う。
アクティブDライティングもほとんど使ったことがないですが、今回は強にセット。
フォーカスも今まではマニュアルだったのを、今回は3Dのトラッキングでオートフォーカスでやろう。

試し撮りをしたいのですが、似たような被写体がない。これで大丈夫とは思いますが、さてどうなりますやら。新しい可能性があると言うことは、楽しいですね。





「灰を篩う」の何番目か でも篩わないのだ、、そして中島デコさんと、カフェ923、、因果は巡るのだ、、

2012年10月12日 09時24分24秒 |  岬な日々


昨日のアクセス解析でこちらへ来られた人の検索ワードのトップが「土楽の里」 ヒットしたのはここの豆腐を紹介したものですが、その豆腐の紹介のきっかけは中島 デコさんの「生きてるだけで、いいんじゃない」(近代映画社)の紹介だったんですね。
(ちなみに私は現在、こちらのではなくって近くのスーパーで買っております。なんせ一丁 28円だもん。貧乏な年金生活者にはありがたいのですよ)

中島デコさん、家の近くでライステラスというマクロビオティックの料理のレストランを開かれていて、旦那さんのエバレット・ブラウンさんは写真家、(写真のエージェント、民俗学研究家、、、 ここの家族はよく分からない。デコさんだって料理研究家って呼ぶにはだいぶ躊躇する、いろんなことをやってらっしゃるし、エッセイストでもあるしね~) 
この人たち、家の傍でブラウンズフィールドというコミュニティ(?)を作ってスタッフと一緒に活動されている。(元のHPも綺麗ですよ)

だいたい、この日記のイントロが熊本マリさんの「人生を幸福にしてくれるピアノの話」で同じ日に作家のサイン入り本を2冊ゲットしたって話で始まるものだったんですね。

中島さん紹介の日記の最後に、この日記の前の日記へのリンクが自動的に貼られるのですよね。それがこの「灰を篩う  その、、、、何番目だっけ? 強盗返のその後、、、」だったんです。ちょうど「金返せ~」あたりでちらっと似たようなことを思い出していたので、、(どっかに灰の中に百足がいたなんて書いてましたよね) 私の妙にいろんなことが絡まってしまう癖(でもないな~ 自分がやっているわけじゃないのだから) しがらみ発生症がでているんですよね。

ちなみに最近、中島デコさんの話をしたのは、Cafe923にお伺いした時。
このオーナーがブラウンズフィールド近くにお住まいとのこと。オーナーの旦那さんが写真家だったので、ブラウン氏にも当然話が行き、なんてしていたら、急に旦那さんがサントリーの山崎なんかの写真をお撮りになっていたと言う話で、佐治さんの話へ、あれは学生の頃の行きつけのレストランの常連仲間で、、、なんて話から、なぜか私の出身の長崎の話に飛んで、旦那さんのお父さんは長崎大学の医学部の教授だったという話。私の父と同僚だったんですね。そして更に先輩同僚の齊藤茂吉にまで話が行って、知人の仲人が茂太氏だったし、このブログの由香さんのことを書いたところには未だにいろんな人が検索して来てますって話になって、、、

あぁ、思い出した。
家の傍のチビ太の散歩道近く(たぶん)の友禅の作家さん。この方も山形生まれで、村山市と仕事をしていた時の話をしていたらそのそばで育ったんだと。茂吉は山形、上の山だったかなの生まれで、記念館もありますよね。

私の背後霊さん、水の神様。(えっ、火の神様じゃないかって、、そうなんですけど、火の神でもあるけど、水の神でもあるんですよ。富士山の神様としてはすっきりとした単純なお姿だけど、水の神は複雑なんです。平野を流れる川をイメージしてね。大嫌いな蛇の親玉の九頭竜なんてもの水の神様に関係あるんだからね、この8月以来妙に毎日蛇を見る。今までなかったことなんだけど、なにかのお告げかね~なんてことも言ってましたっけ) 
だからいろいろと話がこんがらがることが多いのかね~

昔はその謎解き、相関図なんてのが面白かったけど、いまやね~ この頭では、なぞ解きは無理ですよ。
なんせどこを見ても霧だらけなんだからして、、、




蛇の足、、、文字通りの
この日記を書いて、チビ散歩に出ました。途中、2匹の蛇さんと遭遇。
どちらも赤い胴体に黒の横線。昨日会ったのと同じユニフォームですな。
よく見ると頭から顔は緑のどーらん。蛇の話なんか書くんじゃなかった。

ところで、ドーランって歌舞伎なんかでも言うから日本語だって思われているでしょう。でもこれ物の本によるとDohran(ドイツの製造会社の名前)なんだそうですよ。自衛隊のお兄さんたちが夜這に行く時にもこれを使うのだそうな。



蒸し芋

2012年10月12日 09時12分03秒 |  食べるために生きる



今の方には、さつまいもというのはある種のお菓子なんでしょうね。
ただ、おいちゃんの世代になると、それだけではないものがあるのですね。

戦後、食糧難で餓死する人も出るような時代。お米だけでは生きていける量がない。だから大根を入れたり、さつま芋を入れたり、麦をたくさん入れたりして、量を増やして生き延びてきたんです。
佐賀の裁判官で、自分は罪を科す立場にあるからと、配給以外の食料を口にしなかった人が餓死したのもこの時代でした。
貧乏人は麦を食え(というのは新聞が歪曲した言葉でしたが)なんて言葉を言ったと言われる人が世の中の怨嗟の的になったのは、食糧難で国中が大変な思いをしていたから余計にそうだったのですね。
その麦だって量が足りない。さつま芋を粉にして、団子汁なんてので飢えをしのぐようなこともあったのです。
とにかく、日本中が三食食べられることが贅沢だった時代でした。

私は九州でしたから、さつま芋は周りにたくさんありました。そしてさつま芋の澱粉。それから作るパン。
田舎の田舎、、、そんなところに住んでいましたが、農家ではなかったし、周りの土地は全部取り上げられてしまっていましたので、母たちは子供たちの食料を確保するのに、着物や、いろんな物を取り替えて苦労していたみたいです。(ずっと以前にも、そんな姿を見ているので、私はマザコンなんだって書いてましたけどね)
従兄たちとふざけて蒸したさつま芋の取り合いをして、母を泣かせてしまったのも覚えています。
子供たちに十分な食べ物を与えられない。飢えて、さつま芋の取り合いをしている、、、そんな風に思えて悲しかったのでしょうね。

昨日、夕食に寄ったお店で、子供の虐待の話が出ていて、それでも子供は笑っているって、、、悲しそうな声が聞こえてきました。
どんな環境に置かれても子供はそれしか生きる世界がないし、それ以外を知らないのですね。
あの当時は、生きる(って言葉は大げさですけど)ってこんなもんだと誰もが思っていたんでしょうね。




さつま芋はけっこう好きです。蒸したのも、焼き芋も、、、
でも、さつま芋を口にしてその甘さを楽しんでいるときに、心のどこかではそんな過去のイメージがつきまとってしまうのです。
そんなことを知らないで育ってきた世代は、幸福なんでしょうけど、でも自分が幸福に育っていると言うことは自覚できないでしょうね。
不幸を知らないこと、それがどんなに幸福なのか、、、
でも幸福だから、自分の幸せを感じられない、、、、

私でもそれ以上の不幸を味わってきた人から見れば、同じことを言われるのでしょうけど。




野菜をゲット

2012年10月12日 09時05分50秒 |  岬な日々


チビ散歩。夕方版。
行きに道にでたところの農家の奥さんが草刈りをされてて、挨拶をしました。ここには凄くよく啼く犬がいるのですが、どういうわけか、最初から私の姿を見ると(それともチビ太の姿かな)もう一緒に行きたいって大暴れをするんです。私は一度も吼えられたことがない。
今日は、姿が見えないうちに奥さんとの話し声が聞こえたのか、一声だけ甘えるような声を出してましたけど。

そして帰り、別な道を通って帰って来るのですけど、お婆さんに会いました。挨拶をしましたら、この間あっちで挨拶したよね、、って声をかけられ、今とってきたピーマンだけどいるかい、、そして袋いっぱいのピーマンと、胡瓜をゲット。話を聞くと、このお婆さん、行きに挨拶した奥さんのお母さんでした。

この辺の知人の家でもよく、玄関のドアノブに野菜を入れたレジ袋がぶら下がっているって話を聞きますが、家は袋小路の一番奥。だから、ここへ入って来る人はいない。野菜にありつけるなんてそんなのはないよなって思いましたら、ありましたね~