いつもと違い、今日はMixiの日記からの転載です。
Mixiに「、、、や。。。 使うのはアリ?」ってことで、
教えてGooの中に投稿された疑問とその回答を紹介していました。
そういう意味じゃ、私の文章なんて、国語の先生が見たら目を三角にして怒るような代物。
だって「、 、、、」や「 。。。」どころか、「、」や「。」が五つも六つも続いていたり、文章をわざとスペースだけで区切ったりすることもあるし。
文章は「~ね」で終わっていたり、{~~~~」で終わったり、文章を閉じないままにしてみたり。
もちろん、仕事をしている時の文章はそうじゃなかった。
「ですます」にぱっちりと「。」
そんなときの文章は、どっかの政府が出す公文書であったり、報告書であるわけで、あいまいさを一番嫌う文書、もし使ったとしても、印刷屋さんから校正で突っ返されてきたでしょうね。
逆に、そのようなきっちりとした、格調高い(?)文章の中にあえて含みを持たせることに気を使うことが多かったんですよ。

世の中は規則通りにはいきませんって。。。
でもね~ 仕事は別にして、人として何かを表現しようとするときに、常に「ですます。」で区切れるのかな? それにそんな時のために用意されているのがこの記事にもある三点リーダーだけど、あれ使ったら、話がお約束事になってしまう。 そんな約束事を嫌うから 退職してからの、ブログなんかは「、、、」だとか「。。。」のオンパレードになっちゃったんですよね。
それにね、今では大和詩でも、漢詩でも、句点が打ってあったりする。
読んでいて、その句点のあるなしでは、その句から受ける感じが全く違うんです。
人の心の機微を詠うものに、「はい、フレーズの終わりは点ね。文章が終わっているから丸ね」ってことしか浮かばないなんて、言葉を扱う専門家にはあるまじきこととしか私には思えないけど。
考えても見てくださいな。
「あのね」
園子は、一度、下を向いて、そっと私の膝に手を載せて、ひっそりと、でも内に秘めた力で自分の何かを突き壊すような、
なんてときに、「あのね、、、、、」ってやると楽なんですよね。
それも、「あのね、、、」よりも「あのね、、、、」の方が、私には相応しく思えちゃうんですよ。
言葉って道具。
だから、仕事上のこと、公のもので「、、、」や「。。。」を使っていたら、私だって不適切、不正確な表現として校正しちゃうでしょうね。
でも、人間としての機微を表す時に、「。」か「、」しかなく、「ですます」しかなかったら、その道具は不完全なもの。 それに三点リーダーみたいに、最初から「ここは含みのある表現です」なんて看板立てるのも、ほんとうは変。
だって人間の感情の含みなんて、そんな決まり事では表せないのだから。
言葉では表現できないこと、直截に表現したくないことだって身の回りにはいっぱいあるんですよ。
あと、気になったのは、それがギャル言葉だから嫌いって表現。
でも、それは表現力がないから「、、、」や「。。。」に逃れるってことでしょうね。
お仕着せの、、、つまり、最初から内容の決まってしまっている言葉や表現を嫌うってのもギャル言葉の発生した一つの原因だと思うのですよね。
その辺も含むのなら、私のブログはギャル言葉のレベルだっていわれても、むしろ嬉しく感じるかもね。