夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

今朝のお客様

2012年01月17日 08時58分11秒 |  岬な日々


電線保安係のノスリさんの仕事場とは別な方向にでますと、やはり電線保安係の仕事をしている子がいてちょっと気になっていました。大きさから見てチョウゲンボウさんか、ハヤブサちゃんなんですね。
日曜日の朝、やっと目鼻だちが見えるくらいにまで近くに寄ってくれましたのでメモメモとばかりにパチリ。
多摩川のチョウゲンボウちゃんほど綺麗には撮れていませんし、お見せするほどのメモでもありませんでしたので、そのままにして2,3日したら廃棄処分の予定でした。
チョウゲンボウの写真、夢幻泡影とチョウゲンボウで検索をかけるといろいろ出てきます。気がつかなかったけど、私、けっこう撮っているんですね。



今朝、ベランダの周りに潜んでいたヒヨドリ君たちが、わ~っと飛び立っていきます。何だろうと思って窓の傍に立ちますと、いつもの渋皮煮を作る栗の木(ベランダの上まで枝を伸ばしている木なんですけど)の枝にノスリさんが停まって、朝のご挨拶を送られておりました。

ほんの束の間のアイコンタクトで、お仕事に戻られましたので、写真も撮れませんでしたので、日曜日の気になる子の写真を代わりにご紹介します。
ノスリはまたまた、よく撮っているんですよ。これまた夢幻泡影とノスリで出てきます。ちなみにこれはググった時の最初に出てくるノスリちゃん。電線保安係さんです。
ハヤブサちゃんは載せていませんので、ハヤブサちゃんならいいのにと思いましたが、チョウゲンボウちゃんみたいですね。


ふてくさりチビ太

2012年01月16日 12時09分56秒 |   ボクとおいちゃんと ときどきおねえ


この二、三日、おいちゃんは夜寝るときに寝室のドアを閉めて寝ています。
だから、チビ太の大切なお仕事、「目覚まし犬」ができなくなっちゃいました。
毎朝、そのお役目をやってから、チビ太はもう一眠りするんですけど。


おまけに、昨日は、いつものレストランに行ったのはいいけど、暗い庭に繋がれっぱなし。いつものようにドアを前足でがりがりってやるのも、ロープが邪魔をしてできません。「いくらまま子だって、いじめが過ぎるよ」ってDVを月に訴えようとしましたが、昨夜は曇り。お月さまも顔を出してくれませんでした。「ワ~ウォ~~ン」なんて久しぶりに吼えてみたかったんですけど。
可愛いウエイトレスのお姉ちゃんがやってきて、チビ太をかまってくれましたので、とっても嬉しくなって、吼えるのを忘れちゃいました。


チビ太はもう完全に拗ねて、もとい、おいちゃん不信になりました。
だから、今朝からおいちゃんが起きてきても、そっぽを向いてソファーに寝たまま。
おいちゃんが餌をくれても動きません。
おいちゃんが、なんか美味しそうなものを食べ始めても、いつもならすぐに飛んで行くけど、今日は止めました。そっぽを向いて知らん顔。
おいちゃん、心配してチビ太のそばに来ました。
猫なで声で「どうしたの?」って聞いていますけど、
チビ太、「知らん!」

有朋自遠方來 その2

2012年01月16日 10時03分27秒 | 芸術・文化


昨日の日記、「有朋自遠方來不亦樂乎」でこの世捨て人のあばら家にも来客がある、嬉しいなということを書いておりました。
隠遁の私には久しぶりのお客様。
いや、チビ太やノスリさんたちとのお話も大事ですけど、やはり友人との歓談、心躍り、良きものでございますな。

ところで、彼のサプライズ。
お軸を二幅お持ちになりました。

一つは伝曾我蕭白のお軸。「飲中八仙図」というのだそうです。
(ごめん、画科の名前を間違っておりまして、訂正のメールが入りましたので、訂正しておきます。堪忍ね)
私的に言わせると集合人物画でございますけど、いや、実に自由闊達な筆さばき、東洋の文物には全く浅学な私の目から見ても、心の踊るような見事な物でございました。絵の人物(多分詩聖たち)がその時を謳歌し、さんざめいているだけじゃなくって、その雰囲気が見る私にまで伝染してくる力を持ったものでした。
世俗的に言えば、万が一本物であってもなくても、重文の価値のあるようなもの、、、
なんて言うと叱られるかな。
なんせ、この方、自分のコレクションだけで展覧会を開かれるほどのコレクターでござんすからして、極めて本物の可能性の高いもの。でも仮にそうでなくても、本当に質の高いものでありました。

私も、価値の定まらない現代作家の紹介を生業としてきた人間ですので、日本画は分からないとは言いながらも、素晴らしくいいものということは自信をもって言えるような代物でしたよ。


ところで、もう一つのお軸。
最初の蕭白で十分に堪能したと思ったら、またまたの驚き。
書でございました。
いろんなお茶席で、所謂高僧たちのミミズののたくりを拝見し、うんざりしている私でございますが、これは全く異質のものでございました。
よく、古典を読むと、香るような文字というのが出てまいりますが、まさしくそれを目の当たりにした思いで拝見いたしました。
大雅も自由、闊達。ならこれは何にも囚われない自由な筆。そして気持ちの暖かさ、まっすぐさがそのまま伝わってくるような、上品で、のびやかな筆。
画以上に書は分からないと匙を投げていた私の乾いた胸にもするすると春風が忍び込むようなそんな思いに駆られるような一幅でございました。
彼の見立てでは、伏見天皇のお筆だそうです。
後伏見天皇とは良く似た筆だけど、ちょっと違うのだそうです。
私はただただ自分の無知を思い知らされるだけですけど、その無知な、情けなき心にも十分に理解できました。
自分の書いたものさえ判読不能なような悪筆の私にとって、筆が持てなければ恋もできない昔のシステムを哀れんでおりましたが、書かれたもので、字の上手下手だけでなく、書き手の人柄まで伝わってしまうのだなって、、、
昔はそれが分かることが常識的に知られていたんだなって

あぁ、昔に生まれなくってよかった。
なに? 今だってもてなかったくせに?
あんた、喧嘩売ってんの?







日本人の美意識でしょうか?

2012年01月15日 09時40分53秒 | 芸術・文化


お茶の師匠曰く
「庭は枯れ果てた時が一番美しい」
ふんふん、これが日本人の美意識なのでしょうか。

春の若葉のしなやかさ、生まれたての命の持つ美
夏の陽を跳ね返す、したたかさ、剛健な力の美
秋の飾り立てた優雅さ

それぞれに美しいのだけど、日本人ってどこかそれでは満足しないところがあるのでしょうか。
自分の目、心で補い、作り上げる美しさ、そんなものを上と考えるところはないでしょうか。

しばしば書いていますよね。
煌々と光る満月
それよりも、それに雲がかかる、あるいは霞で朧ににじむ月。
そんなのがベターと考えることはありませんか、、、
ただの真ん丸よりも、ちょっと欠けているのを愛でる。

完璧主義者の日本人がなぜって思いますけど、
もしかしたら、不完全主義者のほうがより真実に近い?

もちろん雲のかかる前の月は、完璧以上に完全じゃなきゃ日本人は満足しないのかもしれませんけど、、

以前にも書いたことがありますね。
確か東京のお茶室の庭の話でしたっけ、
綺麗に掃除して、そこへ数枚の枯葉をちりばめる。
もっといえば、侘び寂のお茶だって、このライン上のことなのですよね。
意図してちょっとだけ足りないものを残す。ほんらいは完璧、満点なのにわざと汚点を残す。
そこから、自分の心で完全な物をイメージするのが好きな人種、文化。
なんとなく、日本人ってそんな部分も持っているのじゃないかなって、、、

庭は枯れ果てた時、その庭が若葉、あるいは紅葉で飾られた時をイメージして楽しむ。完全な物を見せられるよりも、そのほうがより楽しい。
師匠の言葉はそんな意味なんですね。

有朋自遠方來不亦樂乎

2012年01月15日 07時55分24秒 | 日記


ネットを貼るだけで、外にはでないおいちゃんですが、今日は久しぶりに人が来るというので、おいちゃん、にこにこしております。
都の辰巳キョンぞ住むって世捨て人を気取っていても、まだまだ完全には枯れていないのですね。

ところで、今日のお客様。
アレクサンドリアの図書館を知らしめるべく活動されている方。たしかにこの図書館、学術的には大変貴重な存在であったわけだし、意義のある活動だけど、すごくマイナーですよね。
こんな方々の活動があるから、いろんな貴重な物が後世に残されていくのでしょうけど、一時期、うっすらと関係を持った自治体なぞのなんでもかんでも「(数値での)評価」で価値づけられる土壌では育ちにくいのでしょうかね。でも役所がそれをやらなきゃ民間ではもっと難しい。

普通に企画を持ち込んでも、費用と来客数だけで判断されちゃいますからね。トップに上げてもらってやっとその枠から外れるのだけど、それが本当に大変なのですよね。

とはいえ、どこかで評価しなきゃならないと言うのも事実なんですけど。


話は戻って、図書館。
このブログでときどき取り上げているのが古事記や日本書紀、万葉集。
それよりも1000年も前の施設ですよね。
アレクサンドリアに思いをはせて、、、、
なんて言いながら、行ったことないのにねぇ、
ブックマークのピアニストのお姫様が演奏会を開かれていたんでした。

もちろん往時は一流の学者を集めた立派な王立の研究センターだったのですけど、どうも私の頭の中には砂漠の崩れ落ちた洞窟に粘土板が置いてあるなんてのをイメージがあって、あそこでどんなコンサートなんて疑問符を頭に描いていると、今の図書館はとてつもなく近代的な図書館なんですよ。
そうやって再建され、その意義を誇る、さすがに、西洋文明の宝箱だけのことはありますよね。

友人も、以前お会いした時も、コンテンツさえ出来上がれば、出版されるかどうかはどうでもいいなんて言う出版企画を持ち込まれていた。
私みたいな下賤の民には理解不能なお仕事だったけど、当時の通産あたりからの助成金で賄われていたみたい。こんな仕事は今はもう無理なのでしょうか、、、
でも、あのころはそんな活動が夢だったんです。
だって、展覧会であれ、ステージ企画であれ、レジデンス企画であれ、コンテンツを立てるところが一番面白くって、止められないのですよ。
実際に動き出すと、事務的な仕事ばかりで、関係者とけんけんがくがくばかり、肉体的にも、精神的にも参ってしまうのが現実。
ところが、何かまた新しいコンテンツを思いつくと、、、どうにも抗えないのですよね。。。
それで仕事になるのなら夢だけど、それだけで放りだしたら、誰も、何も出来上がりはしない。あの当時の私のおかれた場所が悪すぎた。

これでも文化催事が入場者数で判断されたら、カラオケばかりをやってりゃいいじゃないですかなんて悪口を言いながら、その意義とか、自治体の持つ啓蒙活動の役割を説明していたはずの私でさえ、金がないって言われ続けると、ついつい物質的な費用対効果ばかりを口にする私の現実、、、
もう少し目を上げて物を見なきゃいけませんね~







ご心配をおかけしました

2012年01月14日 09時50分38秒 |   ボクとおいちゃんと ときどきおねえ


おいちゃんが大騒ぎをしていた13日の金曜日の検診、無事に済んだようです。
おいちゃん、戻ってまいりました。
お騒がせいたしました。

チビ太にしてみれば、おいちゃんが帰らなくても、松坂牛を食べさせてくださる方が里親にって言ってくださりそうなので、気にもならなかったのです。
というより、またまたあの不味いドッグフードの生活が戻ってきたというので、心のどこかにはちょっと残念な思いもありますが、いた仕方ありません。

これからも「ぼくとおいちゃんと、ときどきおねえ」が続きますが、よろしくお願いします。
ただ、ぼくもおいちゃんも、「おねえ」が美人の、若い、優しいおねえが
松坂牛を持って現れることを密かに願っておりますが、叶わぬ思いでしょうかね~

春眠不覺曉

2012年01月13日 09時02分35秒 |  漢詩を長崎弁で


春眠不覺曉
處處聞啼鳥
夜來風雨聲
花落知多少
   春曉
   孟浩然



春眠 曉を覺えず
處處 啼鳥を聞く
夜來 風雨の聲
花落つること知る 多少


いや~、春の眠りは気持ちよーて、朝になったのにも気がつかん
鳥の声が、あっちこっちから聞こえてくる
昨夜は 雨や風の音がひどかったけん
花もたくさん落ちたことじゃろうね~






この詩、ほんとうはもっと後の時期の詩なのですけど、
今なら、春は名のみの、、、の方がベターなんでしょうね。





チビ太はおいちゃんを早く起こすので、早く寝るんですよ。
最近は夕方の6時くらいにはもうすやすや。
朝起きすると寒い。
それでも、この時期、陽が長くなり始めると、もう朝起きが辛くなる。
チューリップも顔を出してきているしね。



目が覚めると、お日様はもう顔を出してしまっている。
ほれ、しまった、、、



ピンクはお好き?  シクラメン

2012年01月13日 07時33分02秒 |  あなたの鼓動、華


今日は13日の金曜日。
ただでさえ怖いのに、、、

先日のブログに書いたように、今日は病院の検査日。
なんせ検査が始まる2時間まえから、体調整えの点滴、終わってからも2時間も安静のための点滴なんて、、、
おまけに、承諾書を書かされて、、、
却って、脅しているみたいですね。

今日は寒い一日。
心も寒く、身も寒く。
ということで、写真だけでも暖かい物を載せました。



ピンクはお好き?



クリスマス前に買ったシクラメン。
新しく一員になった家族です。



まだ、ご紹介してませんでしたね。

東京の親戚は、夏でも花を付けていましたが、この子たちも枯れないで花を付けてくれるでしょうか。
でも、それまた、体に悪いんじゃないかって心配になってくるんですけどね~





寒い一日

2012年01月12日 12時01分34秒 |  岬な日々


今日は、岬は今シーズンで一番寒い日なのだそうです。
予報では今朝は1度。
でも、今までも、車を走らせているとマイナスの温度を示すことがしばしばあったのですよね。
予報地点の差だのでしょうかね~


とはいうものの、ベランダではバラの花が寒さに耐えながらも健気に咲き始めています。
可哀想な気もする。
せっかく咲いても、虫もいないし、文字通りの無駄花。
でも、自分のためにはならなくっても、周りを豊かに、元気にしてくれています。




とこなつ

2012年01月11日 11時59分23秒 |  気になる詩、言葉



今、話題の撫子ですね。

なでしこのとこなつかしき色を見ば
       もとの垣根を人や尋ねむ
         源氏物語第26帖

なでしこは玉蔓のこと、もとの垣根は玉蔓の母の夕顔のことですね。
夕顔の帖に玉蔓は撫子としてでてきますので。
玉蔓は実は光源氏のライバルの娘。母親の夕顔をそのライバルから盗っちゃったんですね。九州へ逃げていて、あまりの美貌に周りが煩くなって、京へ戻る、その時に夕顔に仕えていて、今は光源氏に仕えている女官にあって、、、、
大昔の話にしては、実にいろんな仕掛けがストーリーに込められている。
っていうのか、人間や、人間の作っている社会が、そんなに変わらないと言うことなのでしょうね。


本来、夏から秋の花、でも岬では(東京でもそうでしたが)冬でも咲いています。異常気象(と都市化)のせい?


風車は、生まれた時から、そんな人間の社会に背を向けて、ひたすら仙人修行をやっておりますので、源氏の世界には興味がないけど、異常気象にはほとほと困っておりますよ。
いやはや、この地球、いったいどうなるのでしょう、、、、


。。。なんてことはないか。
昔も飛行術の勉強の時に、行水していた綺麗なU20を見て、雲からおっこったって、、、、 若い人にはありふれた話ですよね。
あれ、私のことだったでしょうか?
今じゃ、もうなんでもかんでも忘れちゃうのでね~