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夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

Nikon D4 と 栗きんとん

2012年01月10日 20時00分00秒 |  デジカメ練習帖


NikonからD4が来月発売で、予約を受け付けるって連絡があった。
D800の発売が一年ほど前から噂されていたのだけど、D800よりも前にD4が出てしまったんですね。
画素数は一時言われていたようなオーバー2400万画素ではなく、16.2メガとむしろ好感が持てるのだけど、貧乏な私には、D800だって高根の花なのに。
それにしてもD800の発表はいつになるんだろう。


それにしても、今日の不思議、っていうのか正確には昨日の不思議だけど、
この数日、検索をかけてこのブログに来られた方の検索ワードのトップが「栗きんとん」なんですよ。
って、栗きんとんと夢幻泡影で検索をかけてみたら、栗きんとん以外にも栗の渋皮煮、何にも作らなかった去年の暮のお節の日記なんかがヒットしますね。

このブログ、まったく節操のないブログだから、漢詩があるかと思えば、大和詩、そして気が向けば食べ物の話、鳥や花、最近はチビ太の話。
もっとも書いているものの量から言えば、漢詩や大和詩はそんなにないんですけどね。
ところが不思議なことに、漢詩と食べ物で検索をかけてこられる方がすごく多いのですね。いっそ、それだけにしちゃおうかと思うくらい。
だから、栗きんとんで来られる方がたくさんいても変ではないんですけど、私的には栗きんとんはお節で作るもの、それが元旦過ぎてから急に増えるって言うのが、分からないんですね~
なしてかな~~?


怖~~ぃ それにしても今日は満月

2012年01月09日 16時55分53秒 |  岬な日々


今週の金曜日、病院の予約が入っています。
ただの検査ですが、検査前に2時間、後に2時間、検査を受けるための準備(?)(ショックを和らげるためなんだそうです)が必要で、承諾書も書かされました。
まあ、いいかって思っておりましたが、カレンダーを見て吃驚。
今週の金曜日は13日。
はて、蛇がでるのか、、、、
今年は蛇の親分の龍でしたね~


何かあるときのために、見果てぬ夢の松坂牛の贈り物。
けっして嫌とは言いませんです。




日記をアップしてから、たまたまカレンダーを見ながら驚きました。
今日は満月。
昨日、だいぶ丸い月を見て、十五夜かなって思っていたんです。
昨日は12月15日でしたしね。
でも、月齢は今日が満月なのでした。
こんな訳のわからない写真とか、何もない天文写真とか、月が上手く撮れませんね。



今日は

2012年01月08日 14時59分03秒 |   ボクとおいちゃんと ときどきおねえ


陽射は相変わらず強く、暖かかったのですけど、風や空気がすごく冷たい一日でした。
防寒完備のチビ太は元気元気で歩いておりましたが、
おいちゃんは、かなり嫌気がさしておりました。

まあ、人生にもこんな日がありますよね。。。
おいちゃんの人生にしてみれば、陽射があるだけまだ喜ばなきゃ。

春の色

2012年01月07日 08時02分17秒 |  岬な日々


散歩の道すがらの池。
もう正午ごろというのに、まだ氷が溶けきれないで浮かんでいます。



冷え冷えとした空気。
でも、太陽は日々に光を増してきています。

春風駘蕩とはいうものの、浅学な私には、どうも「春」のイメージが掴めないで困っております。



「春」
私なんぞが春って聞くと、あの暖かい太陽と風、華やかな花々を思い出すんです。
まさしくポッティチェリーの春「ラ・プリマベーラ」の世界ですね。
もちろん、かっては健全なおのこであった私には、春の女神たちよりも、薄絹をまとったエルメスの三美神の方へ目が行き、心が踊るのでありますけど。
(春を思い出して下さい。真ん中のヴィーナスから右のおばちゃんたちが春の女神たち。春、花、風の神さんですね。そして左の踊っている三人が三美神なんです。

全くの私ごとではありますけど、コンテンポラリーのダンスやバレエがそんなに嫌いじゃないってのも、そのいくつかはこの三美神を思い出させるようなお姿だったりしてるからかな。でも、最近のコンテンポラリーは汚いのが多すぎるし、やはり私は近代までしか生きられない人間なんでしょうね。
それ以上に、オペラ・ガルニエだって、ロマンティック・バレーの看板掲げて、コンテンポラリーの味付けをしていたりして、「金 戻せ」って叫びたくなるなんてことは別にしましょう)

またまた、道をそれてしもうた。御免なさい。
とにかく、この暖かい、心躍る春に対して、ここんとこ毎日聞き、頂いている文言が、新春の文字。
これが旧暦なら、お正月は一番寒い時期なのですから、身を寒さに切られながらも、ほのかな春の期待を感じて、、、、なんてことが可能なんでしょうけど。

世の中はまだまだくらい。



花も、実も枯れ果てて、
でもそのなかのい陽射の中で、かすかではあるけど来る暖かさを予感させて、、、




なんてね。



それだって、これから一番寒い時期を迎えるんですからね。
一体、春って何を意味するんだろうって、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまう。(なに、それはいつものこと、、、、まあ、そうまぜっかえさないでくださいませよ)

とはいいながら、道端にはもう春の色



生きるとし生けるもの、たすきを渡すために、必死で頑張っているんですね。
どんなに優しくなった世界であっても、生きる者には繰り上げ発車はないんです。
だから、死に物狂いになるしかないんですね。


見えない振りをしよう

2012年01月06日 15時24分27秒 |   ボクとおいちゃんと ときどきおねえ


散歩でおいちゃんをプリムローズまで連れていきました。
でも、失敗。
あそこには山羊がいるんでした。それを忘れていた。
なんせ、今でも30キロくらい。大人になると2倍以上になるんだそうです。
それ以上に、毎日頭突きの練習をしているんだそうです。



あの子がチビ太に秋波を送ってきても、眼つけてきても、チビ太は、見えない振りをしなきゃ。
山羊が勝利の雄たけび(正確には、この子、女の子だから雄たけびじゃなくって雌たけびなんだろうけど)を上げようと、チビ太は無視無視ね。



柴犬の誇り? 
そんなもん、命あってのものだねだよ。


春はあけぼの

2012年01月05日 05時49分15秒 |   ボクとおいちゃんと ときどきおねえ


この前の「坊主の年始」にイオレスさんから
>気持ちよく眠っている姿は、朝寝の息子以外なら本当に癒されるんです/>ってコメントを頂きました。

私は逆。
気持ちよく眠っている姿は、朝寝の息子なら本当に癒されるはずなんです。

なんせ、なんども愚痴っておりますが、今年になって、連日、朝の4時に起こされるんです。

春はあけぼの 
やうやう白くなりゆく山ぎは 
少し明りて紫だちたる雲の細くたなびきたる
      
清少納言の言葉ですけど、
目の前の山際、どこが稜線か、空か、区別する術もない。
ただの闇夜の烏ですねん。

ぐずって起きないと、例の体当たり攻撃でございましょ。



ほれほれ、早よう起きんね、、、



それでいて、眠れなくなってしぶしぶ起きるころには、チビ太はストーブの前でグーグー
空にはお日様が
「今日は~」って



こうなると家のベッド東南向きなんで、もろに日差しが目に入って、眠れないんです。



おいちゃん、いつも眼をしょぼしょぼ。
思い出しました。
若いころ、そんな友人を見て羨ましかった。
また、誰かに恋をしているんかな~
なんて、思っていたりして。
友人の、「なんでまだ世界があるの。私はもう死ぬ場所もないよ」なんてのが、ものすごく羨ましかったりして。

(でもね~、その相方を見て、ゲゲゲって笑っちゃったりしたのは、誰にも言ってないけど。まあ、あばたはえくぼだし。100人いれば100色あるんだしね~
なんてことを言ったら、僻みにしかならないからね)

坊主の年始

2012年01月04日 18時12分14秒 |   ボクとおいちゃんと ときどきおねえ


今日は4日。お坊さんが年始に回る日ですね。
だから、チビ太はお家に引き籠り。

なんて、、、ほんとうは、三が日、ずっと寝正月でした。



お節も出してもらえなかったし、おいちゃんは初詣やご来光を撮るんだなんて出ていましたが、チビ太はお留守番。



どこにも行けなかった。
チビ太だって、着物姿の可愛いお姉さんたちを見たかったのに。


恋をしてしまいました。   物が物でなくなる時

2012年01月04日 05時23分35秒 | 芸術・文化


以前にもご紹介しましたが、上総一宮にことろという小道具屋さんがあります。
おいてある古布がとても素晴らしい。
そこに上っ張りが置いてあります。
夏に使うものは一つ求めました。
あまり着ないのですけど、何となく満足しちゃっています。
ただ、以前にも書きましたけど、これで大きなポケットが二つ付いているとメグ・ライアンがなんかの映画で着ていたのに良く似ているな~なんて、まあ、私にもそんな一面があるんですよね。



寒くなりました、袷になった、あるいは厚手の上っ張りが欲しいと思っていました。


素晴らしく丁寧な作りの刺子の上っ張りがいくつか置いてあって、私の物欲を強烈に刺激します。
色も形も、私好み。防寒にもそこそこ間に合うでしょう。
何度も何度もそれを見るために通いました。
でも、その通いの密かな目的はもう一つ別な上っ張りを見たいからでした。

それは、非常に素朴な浜着。
道具として見た場合には、刺子の上っ張りの方が綺麗だし、洗練されている、それに私の目的にもあっているかもしれない。
この浜着は少し厚すぎてゴワゴワしすぎるかもしれません。
それに冬の防寒着としては、前がきちんと閉まるような、ヤッケみたいなものの方がもっと適切なんでしょう。

でも、刺子も、そしてこの浜着も、どうしても忘れきれない。
刺子にはそれなりの値段がついています。
でも、この浜着、さすがにこのお店のオーナーは布の専門家。刺子の二倍近い値段を付けています。
見るところが違うんでしょうね。
刺子だって、貧乏な年金生活の私には途方もないお金。
ましてこの浜着の値段は、清水から何度も落ちる覚悟がなきゃ手も届かない。
でも、欲しいのです。
店があいたら、買いに行こうと密かに決めています。



この浜着からはたんに道具としての意味以上に、私を刺激するものがある。これに染みついた時間の重みなのでしょうか。

例えば名物とされるようなお茶碗。欠けても金や銀で補修されて、却ってその価値を誇っている。そんなエリートのたどる道ではなく、この浜着には、何十年も使い古され、破れや綻びも、一針一針、母ちゃんや、それを着ていた漁師さんの手で補修されながら使われてきた重さがあります。
その時間の重みが妙に私のスポットにはまり込みました。



どんなに優れたもの、道具であっても、どんなに綺麗であっても、作られたときはその物の持つ価値だけしかないんですね。
でも、それが使われ、人と交わって来るうちに息吹いてくる、その物の時間が生まれてくるんでしょうね、、、




なんて、今年初めての妄想でした。



海のニャンコ

2012年01月03日 21時57分15秒 |  岬な日々


近年、毎年のように鳥が少なくなったって話題を聞きます。
去年もなんだか少なかったように思えます。
珍しいのも、ごく普通に見られる鳥も、数が少ないかな~って。

撮るものがなくって、海岸にウミネコなんぞを撮りに行っても、やはり少ない時が多かったですね。それが今年になった途端に、増えました。

こちらは大原の漁港。見えますか? 白くカバーしているのはウミネコ。



こちらは湾内です。



そして、こちらはチビ太の運動場。夷隅川河口のウミネコ。




でも、こんなのしか撮れないってのも、、、、



侘びしいね~