旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

最後の九州ブルトレ紀行 大分到着

2009-03-01 22:02:19 | 列車の旅

車窓には別府湾と別大国道(国道10号) (東別府-西大分)

門司を出発した列車は鹿児島本線を走る。北九州貨物ターミナル駅を見て、小倉に到着した。先行する〔はやぶさ〕も小倉に停車し、出発していったはずだ。小倉を出発すると日豊本線に入り、並行する鹿児島本線と西小倉で別れ、小倉の街の中心部をぐるりと回るように走る。JR九州小倉工場が見える。城野で日田彦山線が分かれていく。車窓がだんだん長閑になってきた。東九州自動車道苅田北九州空港ICが見える。連絡道路が空港へ続いているが、空港は見えない。行橋に到着。きれいな高架駅。向かいのプラットフォームには小倉方面へ向かう客が列車の到着を待っている。プラットフォームの端っこには平成筑豊鉄道田川線の乗り場がある。

行橋を出発すると、田川線が分かれてゆく。山国川橋梁を渡り、福岡県から大分県に入る。そして中津に到着。ここも高架駅。次の停車駅は宇佐。一昨年の正月、徳山から立席特急券で〔富士〕に乗り、宇佐神宮に初詣に来ている。その時はちっとも混んでなかったが、今日の〔富士〕は大勢の乗客が乗っている。

宇佐から先は十数年も通っていない。西屋敷を過ぎると長いトンネルに入る。大分県に入っても旧分国では小倉と同じ豊前国だったが、いよいよ豊後国に入る。地図を見ると新立石トンネルとあり、下り線だけが長いトンネルの新線のようだ。上り線はもとのまま。通過駅の駅名標に中山香とある。チュウザンコウ?チュンサンシャン?音読みのほか、なぜか中文で読んでしまったが、「なかやまが」が正解。中・山香か。宇佐の次の停車駅は別府だが、杵築で運転停車。後続の特急〔ソニック9号〕の通過待ち。容赦ないダイヤだ。扉は開かないが、外を眺めていると「サンドイッチ型城下町」の文字が見える。どんな城下町か想像がつかない。〔ソニック9号〕が走り去り、〔富士〕が出発する。杵築を出た後、グッとカーブして第六八坂川橋梁を渡る。景色が素晴らしい。坂を下ってきて、別府湾が見えてきた。〔富士〕の旅は、最後に絶景が待っていたのだ。


通り過ぎた別府の街も見える! (東別府-西大分)

日本有数の温泉地、別府に到着。この先は平成元年以来、通っていない。その時は進行方向右側(山側)の席だったのか、絶景を見た印象がない。今日は海側をしっかり見てみる。寝台のボックスから出てきて、多くの人が別府湾の青い海を見ている。


海上には、さんふらわあの姿も! (東別府-西大分)


終着の大分に到着!

東京を昨日の18時03分に立ってから、17時間14分。とうとう終着の大分に着いてしまった。食堂車もロビーカーも無かったけど、退屈することも無く、案外短く感じたくらいである。24時間以上掛けて、西鹿児島まで走っていた頃に乗ってみたかった。


寝台特急〔富士〕 1列車 (大分)


高架化が進むが、日豊本線と改札は地上のまま! (大分)

回送となった〔富士〕を見送って出場する。改札の女性に乗車券と特急券・B寝台券に無効の押印をしてもらい、記念に持ち帰る。インクがちと薄い。


日豊本線 大分駅 (大分県大分市要町)

平成元年に訪れているのだが、記憶がちと薄い。L特急〔にちりん〕から急行〔火の山〕に乗り換えの間、駅構内のにっしょく九州の食堂で昼食を済ませただけだったが。


府内城跡 (大分県大分市荷揚町)

今日はお城の跡まで歩いてみる。気持ちのよい街並みである。しかし風が強い。そして選挙カーが騒々しい。お城の見物もそこそこに駅へと戻る。途中に立派な建築物を目にする。


大分銀行赤レンガ館 (大分県大分市府内町)

旧二十三銀行(現大分銀行)本店として明治43年(1910)着工、大正2年(1913)完成。設計は辰野金吾氏だそう。


とり天定食(830円) 梅の家 (大分駅構内)
※画像をクリックすると大きなサイズで表示します。
いずれも平成21年2月16日撮影


駅前のインターネットカフェでブログを更新する。駅に戻り昼食にする。朝からビールを飲んだので、昼はやめておく。大分名物という、とり天の定食を注文する。鶏の唐揚げとは違うらしい。なかなか美味しい。ここでビールを飲むべきだった。 (つづく)