旅日記

旅の記録と紀行文を紹介する事でしょう。
写真は私が撮影したものを使用しています。

ぐるり台湾 台東→枋寮

2010-09-26 00:00:00 | 台湾日記

駅では原住民の像が歓迎!(威嚇?) (台東)

駅構内の原住民の戦士(?)の像が目に付く。原住民(族)とは漢族が台湾に移住する以前から住んでいた人々である。ひとつの民族ではなく10以上の部族があるそうで、ここ台東縣は原住民の人口に占める割合が高く、7つの部族が住んでいるそう。この像が何族なのか確認しなかったので知らない。なお下半身は諸事情により写さないでおく。出口に向かうと、「出口」「EXIT」の表記のほかに、「デグチ」と片仮名の表記もある。片仮名で書かれても判りにくい気もするが、日本語表記ありをアピールしたいのかも。集札するおばちゃんに、切符を持ち帰りたい旨を身振りで示すと、證明章のハンコの場所を教えてくれる。池上では改札氏が押してくれたけど、ここでは自分で勝手に押せばよいようだ。上手く押せなかったが、押印済の切符をおばちゃんに見せて出場。


臺東線 臺東車站臺灣省臺東縣臺東市岩灣里岩灣路

台東駅は台東市街から離れた場所にある。臺東線と高雄方面とを結ぶ南迴線の建設で、市街地にある旧台東駅と別に設けられた駅である。民國71年(1982)より卑南駅、民國80年(1981)からは台東新駅を称していたが、民國90年(2001)には旧台東駅が廃止となり、同年12月1日より正式に台東駅を称している。関門隧道開通で移転となった下関駅のような、門司駅(旧大里駅)と門司港駅(旧門司駅)のような感じか。門司港駅は現役だが。ともあれ新駅であり、市街地と離れているので、駅前は送迎の自家用車だらけである。うちには新岩国駅があるので、事情はよく解る。駅前はいずれ開発するのか、広大な敷地が拡がる。




駅前の風景・・・・・・


入口に巨大な原住民の像が!

若い白人旅行者のグループが、駅前の地図を見ている。街外れに降ろされちゃった訳だが、彼らが市街地に出るには、バスかタクシーの利用となるだろう。幸い(?)、今日は市街地に用はなく、ただ列車を乗り継ぐだけなので、駅入口に向かう。台湾の多くの駅は、入口と出口が分けられている。広島駅南口のような感じ。先程の「デグチ」は駅の横っちょだったが、入口は正面。


何族か知りません><

窓口氏にこれから乗車する2本の列車をメモに書いて差し出すと、すぐに切符を発券してくれた。まだまだ長丁場なので、7-ELEVENで、無糖のアイスコーヒーを買っておく。なお、この台東駅でも前出の池上便當は販売している。さて、改札氏に最初に乗る列車の切符を見せる。鋏を入れる訳でもなく、スタンプを押す訳でもなく、ボールペンで何やら線を引いておしまいである。気分が出ないが、月台に向かう。


次の出発は…


南迴線 普快車354次 [R123牽引] (台東)


往枋寮(枋寮行)は客車3両編成!

4年前に南迴線の枋寮-枋山間に乗車した時には4両編成だったと思うのだが、3両編成になっている。しかも最後尾の車両には夜間婦女候車區とある。まだ夜間ではないが、乗るのはためらわれる。機関車の後の車両は機関車の出す騒音が凄まじいので、これもためらわれる。結局、中間の2両目に乗車する。


気温は摂氏34度ase2


冷房はありませんhi

この客車は北回帰線を越えた熱帯の夏の南台湾なのに、冷房は付いていない。天井に扇風機があるのみである。汽車旅らしくて実にいいじゃないか。扇風機の電源を入れるが、何故か回らない。車内は温室と化し、車外より高温となっている。こんな列車に乗る酔狂な人はおるまいと思ったが、何人か乗っている。しかし今日乗ってきた自強號とは比べる程もなく空いている。


この席で1時間52分…

これから乗る南迴線(台東-枋寮間、98.2km)は、自強號は1時間20分、普快車で1時間52分と、所要時分の差は思ったほどない。票價(切符の値段)の方は、自強號が225元(日本円で約630円)、普快車が105元(約294円)と倍以上違う。列車の速度より、車内設備(空調、リクライニングシート)の差だろうか。


コーヒーも温くなる…

しかし今日の行程では、太魯閣號の次に楽しみにしていた列車である。南迴線は民國81年(1992)に正式に全通した新しい路線である。台東線と同じく非電化。ほとんど単線だが、一部区間で複線となっている。普快車354次は台東を出発。非冷房車での南迴線の旅が始まった。幸いやってきた車掌が客車の電気系統の主電源(?)を入れたようで、扇風機は使えるようになった。アメリカ製ディーゼル機関車の騒音はやはり大きい。窓を半分くらい開けていると、黒い粒のようなものが入ってきた。払い除けようとすると服を汚してしまう。どうも機関車からの煤らしい。まったくSLじゃあるまいし。しかし暑いので窓は少しだけ開けておく。列車は各駅に止まり、知本に停車。先程乗った自強號らしいのが停まっている。知本は知本温泉への入口の駅。台湾には温泉が多数あるのだが、まだ入った事はない。知本を出て暫くすると、列車は海沿いに出た。

南迴線 普快車354 台東(15:13)→枋寮(17:05) 35SP32584


車窓の太平洋 (太麻里-知本)


南迴線 太麻里站臺灣省臺東縣太麻里鄉大王村

太麻里に到着。改札から海が見える。利用客は少なそうだが、駅員は配置されている。太麻里から少し行くと川を渡る。長閑な車窓は一変する。川原は土砂などで埋まっている。そして線路は新しい。平成21年台風第8号(モーラコット)が台湾に上陸し、記録的な大被害となってしまった。八八水災と称される。ここもその被災地だろう。合掌。

列車は海沿いを南下する。大武に到着。新左營発台東行の莒光號93次と交換する。莒光號は編成も長く、乗客も沢山乗っているようである。冷房も効いているし。大武を出ると、列車は太平洋に別れを告げ、山間部に入る。次の古莊を出ると26.9km先まで駅は無い。長大な中央隧道(8,070m)で臺東縣より屏東縣に入り、太平洋と台湾海峡の分水嶺を越える。古莊からトンネルを経て中央號誌站(信号場)までは複線となっている。再び単線となり、なおもいくつものトンネルを抜けながら山峡を進む。やがて月台もない信号場で列車は停まった。


南迴線 枋野號誌站 (臺灣省屏東縣獅子鄉內獅村內獅巷

交換かと思えばさにあらず。信号場の建物の方から人がやってきて、列車に乗ってきた。ここの職員のための停車だろうか。PCで検索する時刻表には載っていない。信号場を出て暫く行くと海が見えた。先程の太平洋ではなく台湾海峡だ。台湾東海岸から西海岸に抜けた。


台灣海峡が見えてきた!


南迴線 枋山車站 (臺灣省屏東縣獅子鄉內獅村內獅巷

ようやく古莊の次の駅、枋山に到着する。西海岸最初の駅であり、台湾最南端の駅である。ここは4年前に降り立っている。そして枋山-枋寮間は、その時に乗車済なので、これで南迴線は完乗した事になる。同時に台湾を一周する路線に乗り終えた事になる。祝杯でもあげたいところだが、1日2往復の列車しか停まらない無人駅で降りても、酒屋もないし、明日の朝まで列車は来ないので、おとなしく終点に向かう。


車窓の台湾海峡 (內獅-枋山)

一往復しただけだが、見覚えのある車窓である。列車は久しぶりに大きな街の中を走り、終点の枋寮に到着した。なかなか充実した各駅停車の旅だった。 (つづく)


metro 普快車で枋寮站到了symbol6
いずれも民國99年(2010)7月30日撮影

ぐるり台湾 花蓮→台東

2010-09-19 00:00:00 | 台湾日記

東部幹線 自強2064次 [DR3100型車両] (花蓮)

太魯閣號で花蓮にやってきたけれど、太魯閣峽谷は行かない。もちろん行きたいけれど、有名な観光地の割には路線バスの本数は少ないという。太魯閣峽谷はまたの機会にして、鉄道の旅を続ける。太魯閣號と同じ月台の向かいに気動車が出発を待っている。階段の上り下りもなく、乗り継ぎ時間も5分となっている。ずいぶん接続がいい。おかげで花蓮の駅から出る暇もない。行き先は新左營。高雄市の台灣高鐵(新幹線)の駅、左營と同一の場所で乗換駅である。列車の顔つきは特急らしからぬが、座席はリクライニングシートである。後日調べたところ、メーカーは日本車輛製造であった。切符に書かれた席に行くと荷物が置いてある。おや、今度は無座(立席)の人か。すぐに荷物の主がやってきて、他の席に移動していった。気動車の自強號は花蓮を出発。臺東線の旅が始まった。


車票 自強2064次 花蓮→池上

東部幹線 自強2064 花蓮(11:45)→池上(13:37) 45DR3117

花蓮以南の臺東線は単線非電化である。電車の太魯閣號と比べ、ローカル特急はゆっくりと進んでゆく。大正15年全通の臺東線は軽便の軌間762mmだった。宮脇先生はナローゲージ時代の臺東線に乗車されているが、民國71年(1982)に他線区と同じ狭軌1067mmに改軌され、台北方面との直通運転が開始されている。列車は海沿いを離れ、中央山脈と海岸山脈との間の平野を走っている。10年以上前だろうか、テレビ番組で台湾の地勢を紹介していて、気になっていた所である。東西に山があり、伊那谷を行く飯田線の様でもある。お昼時で通路を挟んだ席の女性は花蓮を出る時からお弁当を食べていが、車内にもお弁当の売り子さんがまわってきた。しかしここで弁当を買って食う訳にはいかぬ。前の席の子供2人連れの女性がお弁当を買っている。そしてその女性が話し掛けてきた。例によって中国語が解らないのだが、前の2人掛けを大人1人と子供2人で利用していたのだが、それぞれ弁当を食べるので、おかんだけ自分の隣の席に座ってよいかという事のようだ。無論、構わんので席を勧める。しかし隣で食事をされると腹が減るね。ところが光復という駅で、自分の隣の席の切符を持った男性が乗ってきた。おかんは食べ掛けの弁当を持ったまま席を移っていった。そして隣に腰掛けた男性が弁当を開けている。お腹を空かせながら車窓を眺めている。いつの間にやら北回歸線(北緯23度26分)を通過して温帯から熱帯に入ったようだ。玉里という駅で停車。交換のため少し停車する。いい感じの小駅だが、意外と乗降客は多い。




田圃 (東竹-富里)

窓外には水田が広がる。米どころなのだろうが、その水田は7月も終りと言うのに、田植えを終えたばかりである。薄緑の水鏡に後の景色が映っている。日本なら5月頃の風景。この田植えを終えた水田は二期作目であろう。日本では二期作どころか減反政策で、車窓からの美田が台無しのところが多く見られる。富里を出発し、花蓮縣より臺東縣へ入ってきた。


田圃 (富里-池上)

相変わらず水田が見られる。池上米の産地である。今日の目的地、池上である。池上といっても、東急池上線の駅とは違う。ましてや、池上線♪がどんな歌かも知らん。花蓮からは2時間弱。隣の男性もここで降りる。


metro 自強號で池上站到了symbol6


駅の裏にも田圃


臺東線 池上車站 (臺灣省臺東縣池上鄉福文村鐵花路)

切符に「池上站證明章」という青いハンコをもらい、記念に持ち帰る。日本だと「無効 上野」というハンコをもらえば持ち帰ることが出来る。駅の外に出ると、弁当を手に持って、駅舎を背景に記念撮影している人がいる。ここ池上は弁当で有名な場所なのだ。これまで弁当を買わずにいたのは、池上で弁当を買うためである。


駅前風景

池上便當の池上とあって、駅前には複数の弁当屋さんがある。なお、台湾では弁当に便當の文字を使う。飯包ともいう。どこの弁当屋に行くかは決めてある。


全美行 池上總店 (臺灣省臺東縣池上鄉中正路)
全美便當在此喔~

プラットフォームで立売している業者さんである。先ほどの新左營行の停車中にも販売していた。わざわざお店まで行かなくても買えるのだが、買うのは弁当だけではない。店内に冷えた台湾啤酒(ビール)がある。カウンターでこれ1本と便當をひとつ注文する。店内にはテーブルもあり、ここで食事をすることが出来る。鉄道ではなく、車やバイクで立ち寄る人もいるのだろう。お土産品も置いている。店内を見ているうちに便當が出来上がり、代金を支払う。100元札を出してお釣りはなかった。内訳は便當(70元)、啤酒(30元)と思われる。店を出ようとすると、扉の所にいた人が開けてくれる。随分サービスがいい。駅に戻り台東までの切符を買う。希望する列車をメモに書いて差し出す。何か窓口氏に尋ねられるが解らない。するとメモに「7月30日」と書いてきた。「對」と答えると通じたが、「對」は正しいという意味で、「是」(はい)と返答すべきだったか。便當、啤酒を手に月台に戻る。列車が来る前に便當を撮影する。


池上鐵路月台便當(70元)←と思う。

便當にはレトロなデザインの掛紙が。いよいよ開けます。


中身はこんな感じ! じゅるる♪

ご飯の上におかずがぎっしり。そして弁当箱は経木という正当派。お、列車が入ってきたようだ。弁当を仕舞う。樹林行の自強號との交換のため、6分間も停車するので慌てる事はない。月台叫賣(プラットフォームでの立売)にも貴重な時間である。


月台叫賣の売り子さん!


車票 自強1079次 池上→台東

知本行の自強號に乗る。切符の席に行くと通路側の席である。乗車時間は短いし、便當を食べるだけだからいいかと思ったが、窓側の席のじいさんが窓側の席を勧める。切符を確認すると、いいから座れという感じである。そして他の席に行ってしまった。親切なのか、昼間からビールを飲む日本人が鬱陶しいのか。まあいいや。有り難く窓側の席で便當と啤酒をいただく。列車で食べる弁当は格別である。3本の自強號に乗り、台東に到着した。台東といっても上野でもなければ、浅草でもない。昭和11年の時刻表によると、軽便だった台東線は花蓮港(旧花蓮・廃止)-台東(旧台東・廃止)間170.7キロに、急行でも5時間半程度を要している。

東部幹線 自強1079 池上(14:05)→台東(14:42) 40DR2802


metro 自強號で台東站到了symbol6


東部幹線 自強1079次 [DR2800型車両] (台東)

この列車のメーカーは東急車輛製造。今朝から日立製作所→日本車輛製造→東急車輛製造の乗継だった。台東でほとんどの乗客が下車して終着駅のようである。 (つづく)




市街地と離れた場所にある駅の裏には山が迫る!
いずれも民國99年(2010)7月30日撮影

ぐるり台湾 松山→花蓮

2010-09-12 00:00:00 | 台湾日記

精緻中西式自助早餐

民國99年7月30日星期五、台北のホテルで目覚める。辛亥革命のあった清宣統3年(1911)の翌年が中華民國元年(1912)で、今年は99年である。台湾では西暦(西元)とともに使われている。そして星期五は金曜日。月曜日から星期一、星期二と、漢数字が使われている。しかし日曜日は星期日である。さて、このホテルの最も安い料金の部屋には窓がなく、朝日が差し込むこともない。そして部屋には時計がない。時計がないのは台湾の他に泊まったホテルもそうだった。今回の旅行には新しい目覚まし時計を持参している。電波時計だが、電波を受信しない設定も出来るので、勝手に日本時間に戻ってしまう事はない。旅先では早起きなので、目覚ましが鳴る前に起きてしまった。台湾のテレビを見ながら漫然と過ごし、シャワーを浴びてすっきりしてから朝食に向かう。これは宿泊代金に含まれている。

食堂の女性に食券を出し、「早」と声を掛ける。おはようの意味である。食堂は最上階で、窓からは街が見下ろせる。ここの朝食についてインターネットで事前に調べたところでは、お粥かパンという事だったので、食パンを2枚取る。そこへ「Good Morning!」と元気よく若い女性が2人入ってきた。どこの国の人かと思ったら関西人だった。関西人のねえちゃんが話しているところ、白飯もあるという。何っ?よく見れば炊飯器に白米、それに魯肉飯の肉もあるではないか。食パンなんか取るんじゃなかった。取ったパンを返す訳にもいかず、極(ごく)軽盛(かるもり)の魯肉飯にしてみた。味付けはよい。なかなかいいホテルではないか。食後にコーヒーを飲み、食器とお盆を返す時に「ご馳走様」と「謝謝」と言って部屋に戻る。途中、扉の開いている料金の高い部屋をかいま見る。そちらは大きな窓がある。部屋でテレビをつけると、NHKワールド プレミアムで「みんなの体操」を放送している。実際に体操してみると結構きつい。日本時間で午前10時となったが、台湾では上午9時。そろそろ荷物をまとめ、無料のペットボトルの水も頂きチェックアウトする。


萬事達旅店 松山店 (台北市信義區松山路)

ホテルの入口は全家FamilyMart(ファミリーマート)の横。1階がコンビニエンスストア、2階以上がホテルと、夜食の調達には申し分なかったが、チェックインからチェックアウトまで一度も外出する事はなかった。近くに有名な夜市もあるようで、また利用してもいいホテルだ。


前の駅舎は取り壊されていた! (台北市信義區松山路)
ここまで民國99年(2010)7月30日撮影

昨夜は暗くてよく判らなかったが、旧駅舎は駅の地下化に伴い、無くなっていた。5年前、初めての台湾旅行で訪れ、3年前にも利用している。


松山車站の旧駅舎 (台北市信義區松山路)
民國94年(2005)7月15日撮影


臺灣鐵路管理局 縱貫線 松山車站台北市信義區松山路
再びこれより民國99年(2010)7月30日撮影

これが現在の駅舎。1階は入り口で、地下1階に切符売場や改札があり、地下2階にプラットフォームがある。冷房が効いていて気持ちがいい。自動販売機でよく冷えたコーラ(30元)を買い、自動改札機から入場する。


車票 自強1086次 松山→花蓮


月台(プラットフォーム)は地下 (松山)

先行する莒光號の遅れを受けて、後続の自強號も遅れている。列車の乗り継ぎがあるので遅れは困るが、莒光號が出発するとすぐに自強號は入線してきた。切符にも発車案内にも「自強」の表示のみだが、太魯閣號の車両で運転される。同車両は日立製作所の製造で山口県作られている。山口県人としては乗っておきたいところだが、ようやく念願かない乗る事が出来る。

東部幹線 自強1086 松山(9:37)→花蓮(11:40) 40TEM1023

乗車して切符の席に要ってみるとお婆さんが座っている。おや、太魯閣號は無座票(立席券)は発売しないはずだが。ご家族らしい女性がいたので、お互いの切符を見せると、お婆さんの席は隣の車両になっている。自分が中国語を話せないのがわかると、英語で「My Mother 云々…」、ようは席を替わって欲しいようだ。一人だけ離れた席の切符しか確保できなかったのだろう。切符は花蓮までとなっているので取り替えて、「没関係」と言って隣の車両に移動する。替わった席に行ってみると、窗邊(窓側)である。しかも元の席は山側だったが、今度は海側である。替わったほうが良かったのだ。列車は地下区間から出て高架線を走っている。松山以東は初めての台湾旅行で基隆まで乗った時以来だから5年振りである。当時は高架は工事中だった。コーラを持参のコップに移して飲みながら車窓を楽しむ。コーラは500mlではなく600mlである。そういえば台湾のペットボトルは大抵600mlだった気がするが、コーラ600mlはちと多い。

松山の次の停車駅、七堵に停車する。今度は子供を含むご家族が乗ってきて、女性が自分の切符を見せてくれという。見せると納得していたが、すぐに席を替わって欲しいと言ってきた。どこかと尋ねるとひとつ後ろの席という。窓側且つ海側という条件は変わらないので構わないが、終点の花蓮まで席は確保されているのか確認したかったが、当方の語学力が貧弱ゆえ、「Family Ticket 云々…」と言われて確認できなかった。まあ途中駅で降りるようなら、持っている切符の席に戻ればいい。しかしひとつの列車で二度も席を替わるのは初めてである。乗車率が良くて、纏まった席が取り難いのかも知れない。七堵を出発し、隣駅の八堵を通過すると、列車は縱貫線から宜蘭線に入る。初めて乗る区間だ。基隆河に沿って列車は走る。ちょっと山陽本線本郷-河内間の沼田川沿いを思わせるが、川底にははっきりとした地層が見えている。三貂嶺で平溪線が分かれている。後日ここは訪れる予定。列車は基隆河を渡ってトンネルに入る。淡水河水系から雙溪水系へ。この先の台湾最東端三貂角の根元を草嶺隧道で抜けて台北縣から宜蘭縣へ入る。青い太平洋と龜山島が見える。なるほど、亀さんのように見える。


太平洋岸に出て、龜山島を望む(福隆-石城?)

気持ちの良い海沿いを列車は走り、10時43分に宜蘭到着。松山から1時間06分、台北から1時間13分だが、高速道路に雪山隧道(12.9km)という長大なトンネルがあり、高速バスが1時間ほどで結んでいるという。振り子式の太魯閣號でこれに対抗している。宜蘭を出発すると6分で羅東に停車する。基隆市の七堵から宜蘭まで48分間の無停車だったので意外な感じがするが、主要駅なのだろう。羅東を出発すると終点の花蓮まで再び48分間の無停車。宜蘭線の終点の蘇澳方の路線と、花蓮方の北迴線が分岐する蘇澳新は通過となる。臺鐵全線制覇を企むからには、いつかは乗りに来るぞと左へ別れる線路を見つめる。宜蘭線は大正13年に全通しているが、北迴線は民國69年(1980)の全通。昭和11年の宜蘭線の時刻表を見ると、臺北發8時43分の101列車は、松山發8時52分で、宜蘭著11時27分、羅東發11時43分、蘇澳著12時03分となっている。線路は蘇澳までである。北迴線は新しく、直線的でトンネルが多い。太魯閣號は容赦なくとばしている。宜蘭縣から花蓮縣に入る。長いトンネルを抜けたところで後方の車窓を見る。清水斷崖かと思うが定かではない。太魯閣峽谷に程近い新城を通過し、東台湾最大の都市、北迴線の終点の花蓮に定刻に到着した。




metro 太魯閣號で花蓮站到了symbol6


東部幹線 自強1086次 〔太魯閣號〕 [TEMU1000型車両] (花蓮)


太魯閣(Taroko)は沿線の景勝地、太魯閣國家公園に因む
ここまで民國99年(2010)7月30日撮影

なお、臺鐵の太魯閣號[TEMU1000型車両]は、JR九州の885系車両がベースとなっている。日本、台湾の両列車に乗る事が出来、念願がかなった。 (つづく)


特急〔ソニック38号〕 3038M列車 [885系車両] (杵築)
平成21年2月16日撮影

ぐるり台湾 新松戸→松山

2010-09-05 00:00:00 | 台湾日記

特急〔スカイライナー23号〕 10AE07列車 [AE形車両] (成田湯川)

平成22年7月17日、京成電鉄の成田空港線(成田スカイアクセス線)が開業した。これで成田空港へ1時間程度で行けるようになった。開業日にさっそく乗ってみた。空港に行ったら海外に行きたくなったという訳でもないが、今年の夏は北海道には行かずに、台湾に行って太魯閣號に乗ってこようと思う。その勢いで、台湾をぐるり一周しよう。便利な時代になったもので、航空券もホテルも全て自宅PCからインターネットで購入・予約が出来た。旅行会社を訪れる事もなく、出発の平成22年7月29日木曜日を迎える。何か書類に不備があるのではないかと少し心配である。


JR東日本武蔵野線 ㊨京成電鉄成田空港線 (東松戸)

Suicaに3,000円チャージして、新松戸から武蔵野線に乗車。ふたつ目の東松戸で下車する。北総鉄道の改札もSuicaで入場し、北総線のプラットフォームへ。北総線の同駅は、京成電鉄も第二種鉄道事業で使用している。北総線の線路だが、京成電鉄がこれを借りて成田空港線を営業しているのだ。そこへアクセス特急成田空港行が京浜急行電鉄600形で入線してきた。もう何線だか分からない。車内に入ると開業当日と違い、鉄道好きの面々の姿は無かった。列車は北総鉄道、千葉ニュータウン鉄道、成田高速鉄道アクセスの保有する線路を快走してゆく。成田湯川で〔スカイライナー23号〕の通過待ちをする。最高時速160kmで運転する同列車だが、始発の京成上野、日暮里を出発すると、次の停車駅は空港第2ビル、そして終点の成田空港となり、家と空港との移動に利用する事はない。複線から単線となり、成田空港高速鉄道の保有する区間に入る。京成線(標準軌1435mm)とJR線(狭軌1067mm)が単線並列となる。隣の成田線を走るJR東日本の特急〔成田エクスプレス19号〕を抜いてゆく。こいつはいいやと思っていると、速度が落ちて新根古屋(信)に停車。その間に隣を〔成田エクスプレス〕は抜き返していった。こちらはアクセス特急羽田空港行と交換してから出発。次の空港第2ビルで下車。新松戸から1時間掛からない。

武蔵野線 普通 903E 新松戸(10:33)→東松戸(10:40) クハ205-48
成田空港線 アクセス特急 927H 東松戸(10:49)→空港第2ビル(11:29) 604-8

改札をSuicaで出場し、検問所を旅券を見せて通過する。成田国際空港第2ターミナルにある、今回の旅で利用するチャイナ エアライン(中華航空)のカウンターに行くと、まだ搭乗手続きは始まっておらず、出発の2時間半前頃から始まった。旅行会社のウェブサイトで航空券を購入し、印刷してきた「Eチケットお客様控え」なるA4の紙を旅券と見せる。こんなんでいいのか。歯磨き粉とスプレーの整髪料は機内に持ち込めないので預ける。搭乗券をもらって手続き終了。続いて出国となるが、その前に一応今回は保険に入っておく。スイス鉄道事故の例もある。目薬を持っていた。少量だが液体である。売店で機内への液体物持込用袋(50円)を購入。ちなみに財布の中は日本と台湾の硬貨が一緒にあるとややこしくなるので、紙幣のみ入れてある。Suicaで支払い、小銭を作らないようにする。手荷物検査、出国審査を済ませ、旅券に出国のスタンプをもらう。シャトルに乗る事も無く搭乗口へ。ちょうど折り返しとなる機材がやってきた。


チャイナ エアライン(CI) 中華航空 17便 [B747-409] (成田国際空港

搭乗口前には数人しかいない。他の旅客は食事か買い物でもしているのだろうか。小腹が空いてきたが、このあと御馳走が待っているので、売店でおむすび(115円)と水(105円)を買う。ちなみに出国しているので消費税等は掛からない。免税品のおむすびを食う。


おむすびもSuicaで購入!


clock まだ1時間以上…

時計を台湾時間に合わせておく。電話で時報(117)を聞きながら、1時間遅れに合わせる。日本が9時のとき、台湾では8時となる。出発時刻が近づいてきて、待合室の席も埋まってきた。搭乗前に用を足してくる。ふと売店を見てみると、北海道の商品の多い事。台湾の人に北海道は大人気らしい。台湾桃園空港では熊出没注意ステッカーの貼られたスーツケースを見掛けた。


ROYCE'白い恋人西山ラーメン… ここは新千歳ですか?
以上、いずれも平成22年7月29日撮影

ようやく搭乗が始まる。大きな機材らしく、搭乗を待つ長い列が出来ている。台湾の航空機に搭乗したので、日付は民國99年7月29日星期四となる。席は3人掛けの窓側で、すでに通路側、中間の席には女性が座っている。狭いところを通してもらい窓側に着席する。CI17便はスポットを離れると、第2ターミナルから延々走ってA滑走路にたどり着き、北側から南側へ離陸した。せっかくの窓側の席だが、九十九里浜は確認した後は雲上を行くだけである。

中華航空 17便 東京/成田(14:15)→台北/臺灣桃園(16:45) B-18251


お待ちかねの機内食!じゅるる♪
以下、いずれも民國99年(2010)7月29日撮影

国際線といえば機内食。昔は食事前に茶菓が供されたが、いきなり食事である。ポークを選択すると酢豚が出てきた。箸はなく、プラスチック製のフォーク、ナイフ、スプーンのみである。金属製じゃなくなったのは保安上の理由と軽量化のためだろう。グラスもプラスチック製のコップになっていた。それはいいとして、酢豚にパイナップルが入っとる。好き嫌いを言う訳ではないが、甘酸っぱいのはビールのあてにはいまいち。


サッポロ黒ラベル 三寶樂啤酒

そして供されたビールは、サッポロ黒ラベルではなく、三寶樂啤酒。台湾啤酒臺灣菸酒公司が受託製造している。「サッポロビール 三寶樂啤酒 PREMIUM LAGER」とあるので生ビールではあるまい。座席にモニター画面もなく、窓外も雲しか見えないので、食事も済ませ、入境登記表(入国カード)も書いてしまうと、ウトウトして過ごす。高度を下げてきたので窓外を見ると、海が見えた。もう台湾近海なのだろう。これまで空港の西側からの着陸しか経験が無いが、今日は東側から着陸するようだ。陸地が見えるとすぐに臺灣桃園國際機場台湾桃園国際空港)の北跑道(北滑走路)に着陸した。スポットに移動し、ボーディングブリッジが寄せられる。涼しい機内からターミナルに入る時、蒸し暑さを感じる。いつもはすぐに入境證照查驗(入国審査)となるが、機場電車に乗って第2ターミナルへ行くよういわれる。ここは第1ターミナルなのか。なぜ第2ターミナルに付けないのか。腑に落ちないまま2両編成の機場電車で移動する。成田空港のシャトルみたい、との声も聞こえるが、1機分の旅客が一斉に移動するので大変である。



機場電車 第一航廈→第二航廈

第二航廈(ターミナル)に着くといつもの通り。無事に入境(入国)し、ターンテーブルの前で手荷物を待つ。なかなか出てこない。熊出没注意を見掛けたのはこの時である。荷物が出てくる位置に移動して、暫くしてようやく出てきた。壊れ物っぽいので後から出したようだ。次は両替。E一万円券ばかりである事は確認済である。D一万円券事件(2007)の失敗は繰り返さない。臺灣銀行の窓口で4万円が手数料(30元)を引かれて14,314元となり帰ってきた(1元≒2円79銭)。3年前の時(1元≒3円44銭)よりもかなり円高である。さて空港は台北市ではなく台灣省桃園縣に位置している。台北市内にも主に国内線の臺北松山機場(空港)があり、成田と羽田の関係に似ている。今年中に羽田-松山間に定期便の就航が決まっている。羽田-松山といっても伊予松山ではないぞなもし。台北市内へは、バス→高鐵(新幹線)というルートもあるが、普通にバスで向かう。台北車站(駅)まで、國光客運〔國光號〕で125元、55分掛かるそう。切符を買いバス乗る。



國光客運 桃園機場二(17:41)→台北車站(18:49)
※ダイヤ不明につき、実際の時刻。

第二航廈を出発すると、第一航廈に停車して客が乗ってくる。バスは高速道路を車線規制の箇所を除き快走する。隣の席に二人連れのうち一人が座った。連れは近くの席に座っており、しきりに話している。スペイン語である。しかしよくしゃべる。後ろの席からは時折何かの楽曲が聞こえる。携帯電話の着信音(いわゆる「着うた」)らしいが、イントロでは電話に出ず、唄が始まってから出る。勘弁せえよ。この「着うた」には旅行中、各所で悩まされる事となる。バスはETCで泰山TBを通過し、台北盆地に出た。淡水河を渡り、台北市に入ると一般道に下りる。夕方で渋滞している所もある。見覚えのある所をだなあと思ったら、淡水線の民権西路站の前を通った。台北での定宿の最寄り駅である。しかし今夜は違う宿に泊まる。市内の道路が混んでいたせいか、1時間余り掛かって台北車站に到着した。夕立が降っている。急いで駅舎に入る。

さっそく鉄道の時刻表を探すが、売り切れとの事。日本のように本屋に行けば平積みになっている訳ではない。明日の乗りたい列車は分かっているので切符を買おうと思うが、窓口には長い列があるし、自動券売機はよく分からない。とりあえず晩飯にする。土用の丑の日に鰻を食べていないので、台湾で食べようと思う。駅構内にある和食のお店に入る。店内はお客さんの会話でざわざわしている。声が聞き取りづらいのを幸いに、一人だと人差し指を立てただけで席に案内される。和食のお店の格好の店員さんが注文をとりにきた。メニューには日本語も書いてある。日本語で鰻を注文し、この一人客が日本人である事が判明する。啤酒(50元)も注文する。台湾啤酒をやりながら鰻を待つ。


蒲焼鰻魚飯定食(260元) 微風台北車站 築地屋
(台北市中正區北平西路)

鰻が来た。味付けがやや甘い気がする。不味くはなかったが、ちょっと微妙ではある。味噌汁は出汁があまりきいとらんし、茶碗蒸しは具がかなり寂しい。和え物は普通。他に冷たい甘い飲み物が付いていた。さて今夜の宿に移動しよう。明日はさっそく鉄道の旅に出るから駅前の宿がいい。そこで定宿とは別の宿を取ってある。台北駅前ではなく、隣の松山駅前である。松山といっても伊予松山とは(略)。近距離の自動券売機は勝手が分かっている。區間車の車票(切符)で台北-松山間(18元)を買う。區間車というのは列車種別である。普通列車みたいなものか。台湾では種別ごとに切符の値段が違う。乗車券+料金券という仕組みではない。改札に行くと、次の列車は區間車ではなく自強號。特急に相当する。自強號の切符ではないが、台北-松山間の値段は同一である。改札氏に切符を見せながら「ツーチャンハオ」と言うとうなずいたので、そのまま乗っても構わないのだろう。地下の月台(プラットフォーム)に降りる。隣の高鐵(新幹線)の月台から発車ベルが聞こえてくる。こちらには自強1030次が入線してきた。1030次というのは列車番号である。宿へ行くため1駅だけ乗る列車だが、台湾一周の1本目の列車でもある。全席指定で台湾では對號というのだが、席が空いていれば座ってもいい。日本では立席というが、台湾では無座という。適当な空席に座ると、すぐに指定の切符を持った人が来た。1駅だし、デッキに移動するか。文字どうり無座である。列車は地下区間を走り、やはり地下駅の松山に到着した。

自強1030 台北(19:40)→松山(19:46) 35PPT1171


metro 自強號で松山站到了symbol6

3年前には地上駅だったが、一昨年に地下駅になったそう。新しいので気持ちいい。改札を出ると窓口へ行き、明日の切符を買う。台北と違い、ここは列は出来ていない。窓口の女性は英語が話せる。客の方は怪しい。乗りたい列車の窓側まで指定して買うことが出来た。表に出ると雨は止んでいる。歩いて宿に向かう。フロントに声を掛けると日本語担当の女性が応対してくれた。ウェブサイトの予約の画面を印刷した紙を渡す。予約時にクレジットカードでの決済だったので心配だったのだが、大丈夫そうだ。チェックインを済ませて部屋に入る。


萬事達旅店 松山店 (台北市信義區松山路)


雅緻雙人房(1,680元)

洗面台まわりに不満があるが、寝るだけなら次第点でしょう。何より駅から近いのがいい。寝台も気持ちいい。NHKワールドプレミアムの映りがよくないのは減点。久しぶりの台湾のテレビを見てからシャワーを浴びて、寝酒もせずに広い寝台で就寝した。(つづく)


スリッパ-を 浴室ではいたら滑べゐから浴室
中使用はお止めの樣御氣を付け下さい。